人生において人との縁を大切にしていれば損はないものです。そのためには人との関係を一方的に断ち切らないで維持することが大事です。縁は自分にどんな運をもたらすか分かりません。千載一遇の縁などは滅多にないことなので特に大切にすべきです。ビジネスの世界では人脈の多さがものをいいます。世の中は人の集まりで成り立っていますので、人脈(ネットワーク)の多さで運命が決まる時もあります。色んな場での名刺交換は誰でもしますが、戴いた名刺を長期的に活かしている人は意外と少ないものです。出会いをその後どう活かすかは個人の裁量に依ります。私もかつて戴いた名刺には日付と場所、その人の特徴を必ず明記していました。お陰様でこれまで足を使ってお客様から戴いた名刺を、大切に保管して多くのビジネスチャンスに活かしてきました。縁は座っていては得られないので、掴むには動き回ることがどうしても必要となります。しかし、自由に動き回っても縁が自然に生まれるものではありません。ですから千載一遇の出会いの機会があれば、その縁を大切にしなければとても勿体無い話だと思うのです。何故、本日このような話をしたかと申しますと、弊社にとってかけがえのない千載一遇の大切な縁が出来たからです。
2020年以降、社会は大きく変わることが予測されます。人口減少は止まらないし、医療や社会保障費は増える一方で減ることもないので、社会は変わらざるを得ないのです。あらゆる分野にデジタル技術が活用されなければ、従来の延長線上では社会が機能しなくなります。ちょうど明日からG20サミットが大阪で開催されますが、主要な議題の中に5Gの実用化に向けた標準化技術の話も出てくるでしょう。SDGsの理念を下に、各国が国連が提唱する世界的課題に共通認識を示す大事な場でもあります。日本は世界でも高齢化の先頭を走り続けていますが、デジタル技術の有効活用で世界の見本となるべきです。弊社も他社との連携で過去にないようなシナジー効果を発揮し、既存社会に豊かさと幸福を提供できる企業になりたいと考えています。5Gの実用化に伴い、今後、デジタル技術はさらに加速度的に進化していきます。それとともに新規産業が誕生し、新たな雇用が生まれることを期待しています。デジタル技術によって、弊社が社会の貧困の格差是正に少しでも貢献できれば幸いです。
私も社員の皆さんと同じように、サラリーマン時代には待遇の不満とか上司の不満など多々ありました。しかし所詮、待遇に不満があるのは会社の中で自分だけではないので、もらった給料で生活をやりくりするしかないし、上司に不満でも上司は変えられないし、自分自身が頑張るしかないと思ったものです。同業他社の給与など知る良しもなく、会社の業績が良くなれば少しは昇給もあるだろう、くらいの発想でした。仕事の遣り甲斐は大事で、どうしたら楽しくなるだろうと自分の頭で考えるべきです。自分が積極的になればお客様の対応も変わるはずです。ただ単に一方的にお客様に召し使われるほど、自分の仕事としてつまらないものはありません。どうしてもレベルの要する仕事を任せてくれないお客様ならば、自分から会社に事情を話して別のお客様の仕事に変えてもらうべきです。日々の経験を積んでいれば年々自分の成長が分かるので仕事にも遣り甲斐を次第に感じてきます。多くの人と仕事上での対話をすることが自分を高める上でも大切です。対話をするには知識が必要ですから、自分で知識を詰め込むしかありません。ネットの時代なので知識は氾濫しているので、相手の話に頷きながら、肝心なことは自分から発言することだと思います。私は基本的にお酒は飲めませんが、いろんな人との対話はお酒の好きな人以上にお酒の席で作っています。多くの人と接して他人から謙虚に学ぶ姿勢がいつの時代でも人生においては大切なことです。
日本の高度成長を牽引してきた日本型経営組織がグローバルな時代の趨勢に取り残されてきています。行け行けドンドンの高度成長期は右へ倣え方式で産業界もピラミッド組織が有効に働いていました。しかし、現在のような変化の激しい時代には従来のピラミッド組織では変化のスピードに付いていけないと思われます。ベトナム戦争で米国が北ベトナムに敗れたのもベトコンのゲリラ戦法が有効に機能したからです。同様にビジネスの世界でも、小さなチームが右往左往にアンテナを張り巡らせて、臨機応変にお客さまの要望に的中した提案が出来る企業が勝利を収めると思われます。年功序列の人事制度も、時代に相応しい制度設計をしなければ優秀な社員の定着は望めないどころか優秀な人材も入社してきません。最近急に初任給を上げる企業が増えてきましたが、新規採用が難しくなってきたのと若者の離職率が増加してきたことによる企業の防衛手段だと考えます。IT企業も積極的に人材に投資して社員のスキルアップを図り、同業他社より付加価値のあるビジネス領域を伸ばすしかありません。企業が変わるためにもWinWinの関係で切磋琢磨して時代を変革しようとするビジネスパートナーの存在も欠かせないと考えています。2020年以降、時代はドンドン変わっていきます。ビジネスチャンスの前髪を是非とも掴みたいものです。
日曜日、用事のついでに床屋さんの前を通ったら不思議なことにお客様が1人もいなかったので急遽入店しました。お客様が少ない理由はどうやらお天気のせいだったようです。天気が悪いと床屋へ行くのをためらう人も多いし、給料日の前というのもあるようです。用事というのは床屋さんの隣のクリーニング屋さんのことですが、このクリーニング店はいつも大繁盛で私も随分前からの常連で利用しています。床屋さんもクリーニング屋さんもこの付近では珍しく10年くらい長きに渡って御商売が続いています。理由は他のお店よりも価格が安くて、仕上がりも良いからです。それだけでなく、店員さんの対応が良いことも共通しています。デフレ経済環境の中では、消費者目線に合った商売をしてお客様の信用を積み重ねなければ継続は難しいのです。私もこの床屋さんが開店する前はすぐ近くのお店に通っていたのですが、同じように多くのお客様がこのお店に徐々に集まって来ているようで、近隣の床屋さんの経営は大変だと思われます。お隣のクリーニング屋さんも近隣では1人勝ちをしているようです。ちなみに近隣の飲食店は、お客様の入りが継続できずにしょっちゅう新しいお店に入れ替わっています。古くから継続しているお店は生き残っていますが、この点は一般の企業も同じです。
「指導者はものごとを公の立場で考えなくてはならない」・・・これは私の引き出しの中にあるPHPから出ている松下幸之助の「指導者の条件」という小さな本の中に書かれている言葉です。もう10年以上前に購入した書籍ですが、なぜ私が本日のブログでご紹介したかといいますと、私が企業は社会の公器だという考えを松下幸之助に学んだからです。抜粋箇所の一文をご紹介しますと次のように記してあります。<企業というものを考えてみれば、資本にしろ、土地にしろ、物資にしろ、人にしろ、本来は私のものでなく、天下のものである。ただ、それをよりよく活用することにより社会にプラスをもたらすために、便宜的に形の上で私有ということが許されているわけである。指導者はそのことをよく知らなくてはいけないと思う。何ごとも天下のもの、公のものなのであり、したがって自分のなすところは本質的にはいわば公事である。この自覚が大切だと思う>、と書かれています。松下幸之助も中国の孟子の教えに学ばれているようです。私は企業が独立性と称して自分たちが好きなように自由にするというのは幸之助の教えに反していると思うのです。企業は外部からの指摘がなければ自分に厳しくならないので内部の自浄作用は中々働かないものです。自由を履き違えると自らの制限が効かなくなり、結果的に企業にとっても社員にとっても良い結果にならない考えます。企業は私の所有物ではないということを私は何度も松下幸之助の教えから学びました。
子どもの育つ環境を整えることは最重要だと思います。親がどれだけ立派な人でも子育てが上手いとは限りません。寧ろ立派な立場にいるからこそ子育ては難しい場合もあります。つまり子どもに期待し過ぎるからです。子どもも独立した一人の人間だと思えば良いのですが、自分の子どもだと意識し過ぎて子どもにプレッシャーを掛けることはないでしょうか。兄弟でも姉妹でもそれぞれ性格が違いますから、親は子どもを比較しないことが大切です。長男と次男、長女と次女は育て方も微妙に違ったはずです。3人家族と4人家族では子どもの育つ環境も違います。私の子どもも姉妹同士の性格は随分違います。それぞれの個性を尊重すれば子ども同士はいつまでも仲良く、お互いを思いやるようになります。昨今の事件に感じることは、親の子育てにおいて兄弟、姉妹毎に差があり過ぎるのではないかと考えます。子どもは別人格で自分と子どもは違うという発想が大事だと思います。
昨日のブログを書き忘れていたので早朝になってしまいましたが前日分として投稿します。自社では皆が常識だと思っていることが、実は他社から見たら非常識の場合が多いのです。つまり社外の世界を知らないと「井の中の蛙」の感覚症状で、自分たちは普通の行動をしていると勘違いをしてしまいます。6月は中旬から下旬にかけて上場企業の株主総会が行われますが、今年は特にコーポレートガバナンスについて異議を唱える総会となり、紛糾することが大いに予想されます。つまり、株主である第三者から見ると非常識なことが、いざ自社内では常識で通っていることが多いのです。人間は自分に厳しくすることは難しいので、他人から指摘されないと自分自身に甘くなってしまうのです。生え抜き社員は一見素直なのですが、世間を知らないために中々人間的に成長が難しい面もあります。ではどうしたら良いかとなりますが、私が思うに中途入社の社員を入れたり、外部と資本業務提携しながら、ガバナンス的にも内部に刺激を与え続けることだと思います。さもないと非常識の企業になっていることに自社内で気がつかないことがあります。
今朝のイランの核開発加速のニュースにやや懸念を抱いたのですが、実は昨日、政府関係主催の日・サウジアラビア2030年ビジョンフォーラムというイベントに参加してきたばかりだったからです。隣接しているイランとサウジは中東においても敵対関係にありますから、もし米国とイランが軍事的衝突をしますと、原油価格にも飛び火しますが、それ以上に中東全体や周辺国にまで影響が拡大します。近年、中東のオイルマネーを活用しようという動きが世界的に活発化しています。昨日は日本とサウジアラビアが未来に向けて関係強化を打ち出す段階への皮切りだと認識しました。しかし、米国とイラン情勢の緊迫した話題などは出席者からはこれっぽっちも出てきませんでしたので、今に始まったことでもないので他人事なのかもしれません。歴史的にややこしい地域であることは相違ありません。昨日から暗いニュースばかりを書いていますが、どうも毎日の生活がニュースと隣り合わせだというのが我ながらいけないのかもしれません。今後はなるべく明るい話題を見つけて書きたいと思います。
昨日、大阪で起きた拳銃強奪事件は犯人の逃亡により指名手配されていましたが、今朝、漸く容疑者の逮捕というニュースで安堵した市民の皆さんは多かったと思います。今日は最近多発している幼児虐待事件について考察してみます。幼児虐待と言えるかどうか分からない程度の多少のいじめみたいなものは、「おしん」伝説のようにかつての時代から見られたと思います。しかし、昨今の度重なる幼児虐待事件のニュースは子どもを持つ親としての行為だからこそ、連日の虐待ニュースを聴く側としても大変な痛々しさを感じます。怒るとすぐに切れやすい若者の性格による突如としての行動だと思いますが、どうしても古い世代の私たちには無力の幼児に対する後先を考えない暴力行動が理解できません。かつて昭和の時代に猛烈に働いた団塊世代が今の日本に繁栄をもたらしたことは相違ないのですが、家庭を留守にして子育てを母親に任せて子どもの躾を犠牲にしてきた部分もあります。おろそかな子育て教育のつけは必ず子どもの将来に禍根を残すと思うのです。先日の元エリート官僚による息子の殺人事件にも、子育てに失敗した親の執念みたいなものを感じた次第です。自分の子どもでも駄目なものは駄目と、幼少時の頃から子どもに厳しく言える親の教えが、複雑な今の時代だからこそ益々必要なのではないでしょうか。