人間万事塞翁が馬

長い人生では、人の周囲に何がどのように展開されるか分からない。だから人生は生きている価値がある。

1月31日

2023-01-31 16:59:33 | Weblog

今日で1月も終わりです。毎年、年末年始の期間は一番幸せなひと時ですが、あっという間に過ぎ去ってしまいます。2月逃げる3月去ると言われるようですので、明日からの2月を逃がさないように何とか1年の仕込みの月にしなければ3月もあっという間に去っていきます。大事なのは先ず1年のプランを立てることだと考えます。そうしなければ「歳月は人を待たず」です。

今日もあるプランを立てたのですが、先のプランがあれば月日を待つ楽しみがあります。最近はあまり温泉にも出かけていないので城廻のついでに実現したいと考えています。海外は慣れないし言葉にも不便を感じますので、安心して出かけられる国内旅行が一番だと感じています。これからは子どもに心配を掛けないことが親としての務めではないかと考える次第です。

まだ若い社員の皆さんも日頃から健康管理には十分気を付けてください。親に心配を掛けないで安心を与えることが子どもの務めでもあります。また先祖を節目節目に供養することを忘れないことも我々の大切な務めです。私自身も常に先祖から見守られているという気持ちで日々仏壇に向かって感謝の意を表しています。

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創造力を養う

2023-01-30 21:06:31 | Weblog

 シンギュラリティが近いとは?10年後?AIとロボットが人間の仕事を代行するような時代が本当に到来するのか?と近未来に様々な疑問をお持ちの方は多いと思います。まだ疑問をお持ちの方はいい方で、疑問を抱かない方が実際は多いのではないでしょうか。もし何も考えずにこれまでの延長で仕事を続けていれば、そのうち仕事がAIやロボットに奪われるという事です。

ある方がイタリア人の特徴を例に話していました。イタリア人のモノづくりはワクワクする作品を完成させるという意識が存在すると言います。つまりアートがこれからは重要になります。AIやロボットにできないのは人間の持つ感性による創造力です。これまでの教育も見直さなければ、古くから続く知識を詰め込む指導方法だけでは能力を充分に引き出せないと考えます。

しかし現状が変わることは困難を極めますので、若者たちが自ら変わる道を大人たちが作ってあげることではないでしょうか。その一つが高校生から海外留学を推し進めることだと考えます。大学での短期留学ではだめで、大学からは時期がもはや遅いという事です。残念ながら若い人たちの感性や創造力を磨くためには海外留学が必要だと考えます。

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世界市場へ

2023-01-27 14:44:24 | Weblog

先日、某大学で開催された海外のAIスタートアップ企業のプレゼンを聴く機会がありました。開催内容はすべて翻訳されていましたので、8時から11時30分まで長時間の催しでしたが大変貴重な機会でした。世界市場をターゲットにしたテクノロジーが日本でもどんどん誕生してほしいのですが、ターゲットにおいて日本の国内市場に閉じたものが多過ぎるように感じます。

よく言われるのは言語の壁ですが、連携を生かしてビジネスを考えればテクノロジーを展開する上で言語の壁はないはずです。日本のベンチャーは中々海外市場に出ようとしないので海外との人材交流を通じて共に世界市場をターゲットにすればよいと考えます。米国も大手IT企業が人員削減を進めていますので、テクノロジーも新しい流れに変わるものと考えています。

世界経済はインフレで各国は金利を上げていますので、資金の流れは日本の金融緩和とは真逆の動きで引き締め気味のようです。日本の金融緩和を生かせば新規事業を誕生させるチャンスでもあります。ビジネスアイデアは海外の人材を生かせば発掘できるのではないでしょうか。海外に人材は日本市場にも期待していますし、内部留保の潤沢な日本企業の動きにも注目しています。

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先祖の供養

2023-01-26 15:17:29 | Weblog

数日前に祖母の33回忌が近いという知らせが遠く離れた故郷の菩提寺からきました。13回忌を済ませてから知らぬ間に早20年が過ぎ去ったという事です。母親代わりに育ててくれた祖母は母親より大切にしてきましたので、おそらく最後になるであろう今秋の法要を、何年振りかの故郷への帰省を兼ねて先祖の供養として催さなければと考えています。 

親がいなければ今日の自分は存在しないのですが、父親とは同じ屋根の下に暮らしたことはなく、正直なところ性格も良く分かっていません。母親は私が幼い時に離婚してからも時々会いに来ていましたし、成人してからも関係はずっと続いていました。やはり母親の子ども思いは強いですね。祖母が亡くなってからは母の世話を最後までずっと続けて天国へ見送りました。

父も母も再婚しましたが、双方に子どもができなかったことが後々が複雑にならなくてせめてもの救いだったのかもしれません。私たち夫婦の結婚式は北海道と九州という距離もあったので双方の家族を呼ばないで二人だけで式を挙げました。我々夫婦も老人同士ですが、祖母の最後の法要が到来するとは全く気が付きませんでした。

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実効性ある少子化対策を

2023-01-25 12:55:03 | Weblog

 「人の話をよく聞くこと」が特技だと言われている岸田首相が通常国会の所信演説で少子化対策を一番に挙げていました。これまでの政権ではあまり力説されてこなかった首相の所信演説だと考えます。何故、少子化対策が最も重要かと申しますと80万人を割ると言われている出生数が日本の将来において危機的状況を生むからです。ちなみに中国は少子化と言われても直近でも日本の10倍以上の出生数だからです。国力の差が一段と開くのは当たり前です。

子どもの数はやがて成人して日本経済を支える力になりますが、諸外国と比較すると日本の人口構成は若年人口が年々減少しているのです。3人に1人の高齢者がこのままだと2人に1人が高齢者になる時代が到来して、将来は若い世代が面倒を見る経済的余力がなくなります。これまでの政治のリーダーが気が付くのが遅かったのです。自分の子どもを育てて初めて養育費の負担がどれだけ重いか分かります。

子どもを育てた経験のない政治リーダーが真剣に国民に耳を傾けて少子化対策の必要性の実感は薄いのではと考えます。岸田首相は育った環境に恵まれた方ですが、子育てに苦労している人の話を聞いて少しは理解されているのではと私も少しは期待しています。何度も言いますが、過去の出生数が将来の経済力を決定づけるからです。新興国と言われている周辺のアジア諸国は若年層が断然多いので日本より豊かくなることは疑問の余地がありません。

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東奔西走

2023-01-24 16:31:08 | Weblog

 テレワークというコロナ前までは考えられなかった働き方にすっかり慣れました。今後は単に元の勤務形態に戻るのではなく、ケース・バイ・ケースで効率を考えて業務の生産性向上を重視することが大切だと考えます。但し、コミュニケーション力や社会人としての気質を養うという面で弱点な部分があります。あくまでも、まだ働き方として実験中だと思われるのです。

小学校でも一時期にオンライン授業が試されましたが、児童の成長期にオンラインですべてが対応できるはずがありません。対面授業でも対面営業でも人との阿吽(あうん)の呼吸が通じることでお互いの信頼関係が醸成されます。しかし歳を取ってくると妻との静かなひと時は心がとても落ち着きます。外は寒い中で自宅でおしるこが出てくるのも有難いものです。

社員の皆さんのブログを拝見していると、自分自身の過去を思い出しながら彼ら彼女らの行動力の凄さに驚きます。見聞を広めることは体力に勝る若い時代の特権だと考えますので、時間の許す限り大いにあちこちを出歩いてほしいと思います。そして多くの人と触れ合い対話することで人としても成長するのです。積極的な東奔西走をお勧めします。

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人生の糧

2023-01-23 17:40:40 | Weblog

何事も始める時に、能力がない、自信がないという人の話をよく聞きますが、初めから能力や自信がある人はほとんどいません。私もこれまでを振り返ると全く経験がない仕事も自らから始めたり、人から頼まれたりして、困惑しながらも常にチャレンジしてきました。最初は周りのできる方たちを見て、とても自分は敵わないと思いながらも、少しずつ体験を重ねることで時間の経過とともに自分にもできると自信が付いてきたものです。

高校時代まで部活と家の手伝いで、卒業後に上京するまで大学の受験勉強の仕方もろくに知らない若者でした。上京して新聞販売店に住み込みの生活をする中で、地方から来た同じ浪人している仲間から刺激を受けて受験勉強を始めたようなものです。最初はお金がなくて予備校にも行かなかったので自分の実力の無さにも全く気づきませんでした。結局は地方の国立大の受験にも失敗して、また上京する羽目になりました。

今までを振り返っても全く後悔はありません。すべて過去は自分の実力が及ばなかったまでですから、未来に向けてさらなるチャレンジをすればいいわけです。過去は変えられませんが、これからの未来は自分の判断でいくらでも変えることが可能です。人生において何事も失敗は付き物なので、失敗に学んで次の人生の糧にすれば良いのです。「人を恨むな羨むな」と肝に銘じましょう。余計な神経を使わないことです。

 

 

 

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子は鎹(かすがい)

2023-01-20 14:39:50 | Weblog

昨日は祖父母の話をしましたが、両親がいなければこの世に誕生しないわけなので、ここで少し触れたいと思います。私の記憶では5歳頃に父母は協議離婚したようです。私が生まれて間もなく夫婦仲が悪く、お互いに殆どすれ違いの生活をしていたようです。4,5歳頃は福岡の炭鉱街で母子家庭でしたが、その後、父の実家(熊本県天草市)の祖父母に突然預けられることになりました。一晩で目が覚めたら母が去っていったのですから子どもとしては大変な驚きです。

その後、母も父も再婚しましたが、両親は子育てを放棄しましたので祖父母が親代わりとなったわけです。今では珍しくないのですが、当時は滅多にない家庭でした。子どもの頃は寂しさも感じましたが、成長につれて段々と両親と離れた生活に慣れてきました。寧ろ両親には内心自分勝手さに子どもながら反発していたように思います。子どもに対してどこまで自分たちの非を自覚したのかわかりませんが殆ど感じなかったと思います。

しかし、高校を卒業するまで無事、素直に育ったのもすべては祖父母のお陰だと感謝しています。母も時々訪ねてくることがありましたし、父も時々帰省することがありましたが、一緒に同じ屋根の下で親子として生活する気にはなれませんでした。夫婦が離婚して犠牲になるのは子どもたちです。子どものために夫婦仲をお互いに維持していくことが大切だと今日まで両親を反面教師にして生きてきました。子は本当に鎹です。

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傾聴する

2023-01-19 15:26:38 | Weblog

私の父方の祖母は95歳で1991年(平成3年)に亡くなりましたが、今でも大変感謝しています。もし祖父母が幼児の頃から高校を卒業するまで育ててくれなかったら、現在の私の人格も存在も違ったものとなっていたと思います。その祖母がいつも口癖に言っていました言葉は「人の振り見て我が振り直せ」という教えでした。山奥の田舎で育ちましたので、部落の人たちは貧しいながらもお互いに助け合いながら生活をしている方々ばかりでした。

人の声も届かない静かな日々の生活の中で祖父母が発した多くの言葉が未だに私の耳に残っています。私はどちらかと言うと人前でしゃべるのは得意ではありませんが、人の話を聞くのは大好きです。自分のことを話す何十倍もの人の話を日頃から聞いています。その点、ラジオやclubhouseは私にとって大変有用な情報ツールだと感じています。しかも無料で自由に自分の都合で聴けるからです。

妻からは右から左に聞き流しているだけなのではと言われますが、著名な方折角の聞くのは私の単なる趣味のようなものかもしれません。しかし、いろんな人のいろんなジャンルの話を聴くことで凡人の私の頭の引き出しにも少しは残ると思うのです。夜の中には人の話を聞く機会を作らない人が少なくないようですが、限られた人生の時間がもったいないと感じています。

祖母が話していました「人の振り見て我が振り直せ」という教えは、より多くの人の言動を見て自省しなさいということだと思います。子どもの頃、周りの人たちは両親もいない環境に憐れみをもって接してくれたのだと思いますが、却って私自身は恵まれた環境に育ったと今でも感じています。非行に走って不良少年にならなかったことが一番良かったと生前に涙ながら話していました。

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記憶を記録する

2023-01-18 14:12:55 | Weblog

昨日は1995年1月17日に起きた阪神淡路大震災から28年目の日でした。ふと妻が「私が会社の手伝いに行っていた時だった」と口に出したのです。実は28年前の当時は会社も経営の立て直しのため事務職員も雇用しないで役員の奥さんをボランティアで使っていました。私はすっかり経営が苦しい時期のことを忘れていたのですが、妻の記憶には鮮明に残っているようでした。

私は過去の苦しいことなどすっかり忘れてしまい、先のことばかりに目が行ってしまうため震災と重なっていたことにも気づかなかったのです。会社は人間の子どもと同じで経営陣の育て方によって規模の大小はありますが自然と成長していきます。好きな言葉で「ローマは一日にして成らず」という名言がありますが、会社も日々の積み重ねがのちの結果となります。

あれから28年たったのかと大震災の時期と照らし合わせて感慨深さを感じました。かつて日経新聞などで「会社の寿命30年説」と言われたことがあります。確かに30年という歴史の中では様々な時代の変化に遭遇します。つまり成長のピークが過ぎて一つの区切りを迎えた周期だろうと考えます。弊社も社歴は43年になりますが、2度の周期を経て現在に至っているという認識です。

そのような意味で干支で癸卯(みずのと・う)の2023年は、皆で知恵を出し合って解決策を見出し、心を合わせて課題に取り組む年ではないかと考えています。ウサギのように身近で広く親しまれる会社を目指したいと思います。最後に「災害は忘れた時にやってくる」ことも日頃から認識しながらBCP対策を怠らないようにします。記憶を記録して忘れないことです。

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