人間万事塞翁が馬

長い人生では、人の周囲に何がどのように展開されるか分からない。だから人生は生きている価値がある。

意思決定プロセス

2021-02-12 18:22:44 | Weblog

女性蔑視と受け取られる発言により東京五輪・パラリンピック組織委員会の森会長が辞任した模様ですが、後任として要請された川淵三郎氏が昨日の時点では受諾する方向でした。しかし周囲から選考過程が不明確との批判が上がり、一転して会長職を受諾しないというニュースが流れてきました。今後、事態はどうなるのか心配です。

何故、このように貴重な情報が交錯するのか理解に苦しますし、世界にも日本の決定事項に対する不明確さへの印象と組織としての信用失墜を与えているように思われます。誰が最終的な責任者なのかが判明しないまま時間が経過するような気がします。日本には組織に意思決定機関はあるものの、決定プロセスが曖昧で、責任回避と取りかねない発言が見られます。

最近の政治にも観られるように、言行不一致がまかり通ることが許される事態は議会制民主主義の危機でもあります。責任の所在を明らかにすることは組織において最も重要な事です。しかし、どんなに批判が及んでも権力者が責任を取らない限り問題は収束しないのです。

これまでの日本の政治が、課題が放置されたままに時が経過するのを傍観している状況が少なくないため、残念ながら海外からの評価にも影響しているように思われます。日本のメディアは海外から指摘される前に、事前に問題提起して指摘すべき点はもっと強く指摘すべきだと考えます。

 

 

 

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How to use office

2021-02-10 17:27:49 | Weblog

 コロナ禍が終息すればオフィスの在り方はどのように変わるのでしょうか?おそらく元の形に戻ることはないと考えています。テレワークによるオンラインの活用で、今までは普通に掛かることを全くおかしいと感じなかった通勤や移動の時間と経費が大幅に減りました。米国は車社会なので、シリコンバレーに勤務する人も移動中は車の中で仕事をします。しかし日本人は電車通勤が普通なので往復の時間が無駄なのです。首都圏では移動もほとんど電車で行います。

欧米に比べて生産性の低さや労働時間の長さを縮めるには、このコロナ禍が終息した時でも元の働き方にすべてを戻さないことが必要と思います。世界中で漸くワクチンの接種が始まったばかりなのに、トヨタ自動車の今期決算も完全にコロナ禍の影響を脱して販売台数も営業利益においても上方修正するほど好決算のようです。コロナ下で勝ち組と負け組の企業が明確に分けられました。

デジタル革命は今後益々企業間格差をもたらすでしょう。少ない労働力で如何に付加価値を高め、生産性を上げていくかが日本企業に問われています。産業界が垣根を越えて知の集積によってイノベーションを起こさねばなりません。自由な時間を産学連携の仕組みづくりに充てて、これからの企業人は新たな事業を作り上げていくことに力を注ぐべきだと考えます。

オフィスの在り方も、働く人たちが創造力を育むようなデザインや活用の仕方を一から考え直すくらいの発想が企業には必要だと思われます。そして、家族を大事にし、より豊かな人生を模索して、後悔のない人生を送ってほしいと考える次第です。集団で一斉に満員の通勤電車に乗って仕事へ向かう光景は、欧米に競争力で負けないためにも行動を変えるべきではないでしょうか。

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伝統産業

2021-02-09 18:10:56 | Weblog

有り得ない事ですが、自分の娘が少女時代に宝塚歌劇団に憧れて目指したいとなれば、おそらく親としては応援しようとなるかもしれません。昨日、某講演会で「京都花街の伝統産業に学ぶ経営学」で生まれて初めて舞妓・芸妓さんの人材育成プロセスの一部を講演資料で拝見しました。もし自分の娘が舞妓さんに憧れてなりたいと言えば、おそらく親として反対するでしょう。しかし高度経済成長期時代と比べて舞妓・芸妓さんの人数は3倍に増えているようです。

実は宝塚も小林一三が京都花街の舞妓・芸妓の伝統産業から人材育成のコツを見習ったようですが、京都花街の伝統産業に伝わるサービス業の極意ともいえる熟練された人材育成の手法は中々凄いと思いました。お座敷であるお茶屋も舞妓を送り出す置屋もサービス業としての経営の極意がしっかりと備わっていることに驚きました。350年続くおもてなし産業である京都花街と比べて、私たちのIT業界では技術こそ優先して取得しますが、学ぶべき所は大でした。

京都花街では顧客に対しての「目配り」「気配り」「心配り」の姿勢が、お座敷の中でチームプレーとして完璧に行き届いているので大変驚きました。京都の祇園街については殆ど知識として知らない事ばかりで、縁遠い世界のように捉えていましたが、今回、大学の先生からの直接の講演は素人の私には大変勉強になりました。どこの世界でも人材育成無しでは商売が成り立たないし、京都花街のように350年の伝統文化の歴史を維持することもできないわけです。

 

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視点

2021-02-08 19:31:15 | Weblog

久しぶりに某有名人の演説をたまたまLIVEで聴きました。1年前はさんざんメディアから批判されていましたが、今回は裏を返したように評価されていたようです。人の評価は現在の実態に基づいて下されるので、その時々で評価が変わります。

評価が変わらないことが一番ですが、社会環境の変化によって否応なしに評価は変わらざるを得ないことがあります。悪い評価が出るのもその時点では仕方がない場合もあるのです。しかし悪評も糧として捉えて謙虚に反省して対策に臨めばいずれ必ず結果は変わってくるものです。

経済は生き物なので、常に進化していきます。中には成長が最盛期を過ぎて落ちていくものもあります。時代の変化を見通せば成長が可能な経済は元気になります。しかし対処療法で後追いする施策では経済も改善につながらないと思います。

グローバルな視点を持つことは難しいですが、日々、政治や経済の動きを注視していれば人の為すことに関してはある程度予測が可能だと考えます。時代の経過には天災もつきものですが、冷静な目があれば復活を待つことも精神的に可能となります。

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灯台もと暗し

2021-02-05 13:35:29 | Weblog

家内との会話の中で「あなたは遠くばかり見ているから、足下で躓いたりする」と言われます。一方の家内は足下を注意深く見ながら歩くタイプのようです。海外のサスペンスものを一緒に観ますが、家内はキャストの服装や屋敷内のインテリアを観ながら内容も理解しているのに、一方の私はキャストの人相と内容ばかりしか捉えていない違いがお互いにあります。

歌番組も私の方は声や曲に興味を抱きますが、家内は歌詞に興味が行くようです。つまり私は感性が今一つ乏しいという事だと自覚させられます。私は約束の時間に遅れた経験はありますが、家内はいつも時間に余裕を持っているため、時間に遅れたことは記憶にありません。だからと言って物事に細かい人間かと申しますと、私の方が細かい面があるようです。

遺伝子も育ちも違う者同士が同じ屋根の下に暮らすことは実に面白いものです。私は人をすぐ信用するタープですが、家内は当初疑念を持って人を見ることがあります。よく考えもせず即行動する私と、考えても中々行動に移らない家内と二人なので、意見の一致で一緒に行動するのもタイミング次第です。出かけるのが好きな私と、家にいることが一番好きな家内なので共に旅行するのも稀です。

昨日の元森首相の差別発言に対しては、「言霊」つまり言葉は人の魂に響いて通じるので、発言するときは一度復唱して、責任ある立場の人は常に気を付けなければ取り返しがつかなくなると家内から諭され、わが身に置き換えて学ばせられた出来事でした。若い候補者に代表の代行をお願いする姿勢があれば、発言の間違いを繰り返さずに済むのに大変残念です。ふと森政権時代に党内で異議を唱え、「加藤の乱」で失脚した故加藤紘一元衆議院議員を思い出しました。

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共育という教育

2021-02-04 16:03:28 | Weblog

人材を人財と尊重するのと同様に、教育を共育に置き換えてみると良いと思います。上司が部下を、親が子を教育することによって自分自身も共に育つ、すなわち人間的に成長するという事です。人に物事を教える場合、事前に豊富な知識を蓄えた上で、体験を通して内容を十分に理解していないと相手に真相は伝わりません。

人間は俄(にわ)か知識で理解が浅いとすぐに忘れてしまいます。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」というドイツの政治家オットー・フォン・ビスマルクの言葉がありますが、経験に学んだ愚者からは何も得られないと言われます。経験は人それぞれ違いますから、自分の経験など歴史を学んだ人から見るとたかが知れているのです。

人は長い歴史を通して生涯学び続けなければならないという事だと思います。私自身の経験を振り返っても、もしあの時代に戻れば違った判断をしただろうと、過去を顧みたりします。若い頃は人生経験も浅く、歴史を俯瞰して物事を判断するすべを知らないものです。若気の至りで行動した自分を後悔してきましたが、学び続けることで軌道をプラス方向へ向かわせるようにしてきました。

共育は上から目線ではなく、相手と同じ目線で共に学び、育つつもりで相手に対処することではないでしょうか。 私自身も忘れやすいので、敢えて書き記すことで脳裡に叩き込みたいと思うのです。つくづく日頃から感じますのは、人を年齢や外見で判断してはいけないという事です。謙虚に人の歴史に学んできた人の中に真に賢い人は存在すると思うのです。

 

 

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奨学金

2021-02-03 18:42:09 | Weblog

昨夜、政府より緊急事態宣言のひと月延長が発令されました。新型コロナの感染拡大を防ぐために止むを得ない措置だと思いますが、サービス業全般に与える業績への影響はさらに深刻な事態となることが予想されるので他人事ではありません。

また、これまで働いてきた非正規労働者の皆さんや学生さんへ及ぼす影響も計り知れないくらいだと思われます。私自身も若い頃は勤労学生でしたので、アルバイトで生計を立てている学生さんの大変な生活状況も少しは理解できます。

一方、コロナ禍でも史上最高益を上げている企業も少なくありません。同じ世代の中で経済的な格差は広がるばかりなので、このような危機において格差を減らし、生活困窮者を救い、生活を支援することは行政の責任ではないかと考えます。

私事ですが、今回のコロナ禍に対して大学の学部内に奨学金を新設して学生を支援する業務に携わりましたが、面接を繰り返して、さらに論文で選考されて最終的に受給者として選ばれた学生さんは、驚いたことにそれほど生活苦と言えるレベルではありませんでした。

多くは学業の足しに折角の奨学金を使いたいと希望している生活も中流レベルの人たちでした。水面下で本当に苦しんでいる人にどれだけ国や大学の支援が行き届いているのか、残念ながら実態が把握できないもどかしさを感じた次第です。

 

 

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人の役に立ちたい

2021-02-02 16:04:40 | Weblog

これは、もう10年以上も観ているTV番組「小さな村の物語 イタリア」で、イタリアの村人から何度となく聴いている言葉です。録画しているものを夜寝る前に観ることが多いのですが、イタリアの村人たちの話を聴くたびに気分よく寝床に就けます。

自分の欲が先で自分の事ばかりを優先する風潮が多い昨今の状況を考えますと、古来の日本のようなイタリアの村人の光景でさえも観察する価値があると思うわけです。私も田舎育ちなのですが、都会へ住みついたわが身を考えても、イタリアの人が家族や村の事を想う心はとても素晴らしいと感じるのです。

かつては日本の田舎も、今のイタリアの村と同じように村人同士がお互いに仕事を手伝い合う光景がありました。私も祖母の手伝いに同行して、夜のご馳走に度々呼ばれていました。皆、人の役に立ちたいと心から思っているので他人の手伝いにも決して労を惜しまないのです。

日本にも素晴らしい地方の文化がまだ残っているはずです。地方の良さをもう一度蘇らせる必要があると思う次第です。 

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国家観

2021-02-01 14:48:12 | Weblog

戦後75年が経過する議会制民主主義国家の我が国も、かつての戦時中は軍事政権が国家を主導し、遂には勝利の見込みのない戦争へ突っ走ってしまい、そして結果的には敗戦となり、多大な代償を余儀なくされました。しかし現在に至っても、周辺国では未だに国家統制が強く、民主主義国家に縁遠い国が見られます。

今朝のニュース速報で、ミャンマーのアウンサン・スーチー氏が国軍によって拘束されたというクーデターが発生したことを知りました。詳しい内容は徐々に分かってくると思いますが、昨年の総選挙でスーチー氏が率いてきた与党の国民民主連盟(NLD)に不正があったと反対派からの批判が強かったようです。

一度も訪れたことはありませんが、漸く民主国家が誕生して、これから世界に開かれようと外資も積極的に投資していた矢先ですが、元々が軍事政権だったこともあり、やはり民主主義国家が順調に育っていくには時間がかかりそうです。しかし一方では、民主主義国家の大国、アメリカでも国民の分断が顕著となっています。

中国やロシアにおいても国民の言論の自由は保障されていませんが、欧米の自由主義国家において言論の自由は当たり前です。国家統制とポピュリズムのバランスを保つこと肝要で、政治家が国を良くするも悪くするも統率力次第です。日本と違って、かの政権の長い国はどうしても独裁国家となりやすいようです。

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