人間万事塞翁が馬

長い人生では、人の周囲に何がどのように展開されるか分からない。だから人生は生きている価値がある。

秋の候

2020-09-29 18:53:45 | Weblog

 記憶を辿ると1977年10月の頃だったでしょうか、当時1年間、私は藤沢にあった某コンピュータ・メーカーの工場でコンピュータ端末の組み立て作業のアルバイトをしていました。

既に就職内定していた会社に1年後に再びお世話になる前年の出来事です。今思えば、気楽な有意義な生活を組み立て作業と何人かの家庭教師のアルバイトを掛け持ちして、のんびり過ごした1年間でした。

季節は「天高く馬肥ゆる秋」ということもあり、たまたま会社内に福利厚生で回覧されてきた行事に社員の方から誘われて、暇だったので2人で上高地へのバス旅行へたまたま参加したのです。

当時のバス旅行は、神奈川県内の様々な企業が福利厚生として社員に紹介していた企画行事でした。生まれて初めて訪れた上高地で、たまたま他社から参加してきて知り合った女性が、実は現在の妻だというわけです。

その数ヶ月前にも三宅島へキャンプに友人とフェリーで行った際にも、島一周のサイクリングで知り合った女性がその後、逢いたいと埼玉から神奈川へ訪ねて来ました。人生は何でもタイミングですが、当時の様々ないきさつはとても良い思い出となっています。

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在りし日

2020-09-28 14:13:16 | Weblog

私の机に今でも1枚の「丹沢・大山フリーパス2014.9.27-28」券が挟んであります。ご承知の通り、27日は今でも忘れられない木曽の御嶽山が噴火して大惨事になった日です。当時は社員と毎年のように恒例の大山登山を実施していました。

今から6年前の2014年9月27日のお話をします。参加した社員のメンバーと小田急線の伊勢原駅で午前8時頃に集合して、バスで大山の登山口の大山ケーブル駅で下車して、道の両側に土産や食事処など並んだ参道を登り、大山ケーブル駅に到着しました。

そこから皆でケーブルカーに乗って阿夫利神社駅で下車し、休憩の傍ら神社に参拝して無事に登山を終えることを祈願し、愈々大山の頂上を目指して登り始めました。急勾配の山道ですが、正午ごろには無事全員が登頂しました。

頂上はあまり広さがないために大変混雑していますので、昼食後一服して下山することにしました。下山の途中には温泉場もあるようでしたが、下山しだすと登りの疲れもあり、寄り道はあまりしないものです。

15時前後ごろにやっと麓のバス停近くの土産店に来たところ、お店の中からTVニュースで御嶽山が噴火して大変なことだという事を初めて知ったのです。私達と同じように山登りをしていた人たちが大噴火の犠牲になったわけです。

机の上のチケットを見るたびに、大惨事の忘れられない当時の記憶が蘇ってきます。あれから6年も過ぎてチケットに印字された文字も薄らいでいます。本日は在りし日(2014.9.27)の出来事を取り上げてみました。生きていることは奇跡でもあるので、命を大切にしたいものです。 

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スプーン一杯の幸せ

2020-09-25 11:48:06 | Weblog

何だこれは?と思いの方も、知っているよと言われる往年のファンの方もいると思います。多くの知らない方を前に言いますと、実はかつて民放ラジオのパーソナリティをしていた作家の落合恵子さんの大ベストセラー小説のタイトルです。

今朝、偶然にラジオ深夜便に登場の落合恵子さんの話声を半世紀ぶりに聴きました。人の事は言えませんが、ラジオ局を10年くらいで辞めて絵本の世界へ身を投じて45年、現在のご年齢が75歳と聴きまして、話の内容とともに正直、大変驚きました。

当時はラジオ局なのでお顔を拝見することはあまりなく、時々テレビでゲスト出演者として見かける程度でしたが、軽やかな明るい声で「レモンちゃん」の愛称まで付いていた落合恵子さんはお持ちの才能と言い、我々青春時代の憧れの人でもありました。

彼女の生い立ちとか、その後の活動を今回のインタビューで初めて知ることができましたが、「スプーン一杯の幸せ」というエッセイ集は、おそらく落合恵子さんの人生そのものだったのではないかと私はお話を聴きながら感じた次第です。

ご健在で今も原宿に45年も続けられている絵本のショップがあると聴き、是非一度訪ねてみたい気がします。感受性も感性も乏しい私には落合恵子さんの小説は理解できないかもしれませんが、良い機会なので一度手に取ってみたいと思います。

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世代交代

2020-09-24 14:12:45 | Weblog

ここ4か月くらい前から朝5時過ぎからウォーキングを続けていますが、当初は途中の空き地で住宅の基礎工事が着手されたばかりの頃でした。ところが段々と現場の状況が変わり、この9月中旬には3件の新築住宅があっという間に完成しました。

近頃の住宅建設には1,2人の作業員で効率よく工事が進められているようで、早朝に近くを通るので作業をする人は見かけませんが、日々工事の進捗スピードの早い様子が素人の目にもわかります。

新築住宅にどんな家族が入居してくるのか楽しみですが、子どもがまだ小さい3,40代のご夫婦ではないかと想像します。空き地も元は大きな1軒の屋敷があったのだと思いますが、現在は若い家族向けに2,3軒の一戸建て住宅が建つ時代です。

主要駅から離れた郊外ですが、毎日ご近所を歩いていると新築の住宅ばかりを目にします。昭和から平成、そして令和へと世代交代が進み、周辺の住環境にまで変化をもたらしているようです。

近くの広大な工場跡地には新たに製薬会社の研究棟や物流倉庫が建設中です。近くでは用地取得が終わり、30年ぶりに国道1号線に繋がる環状線の工事もようやく始まりましたが、道路工事だけはまだまだ延々と続くような印象です。

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GoToキャンペーン

2020-09-23 11:59:51 | Weblog

5月連休はコロナ禍による緊急事態宣言で外出自粛が徹底されていましたが、この9月の4連休はGoToキャンペーンが功を奏したのか、各地の行楽地はコロナ前の2月の水準を超えて人出が多かったようです。極力3密を避けるよう言われても、現地に行ったら予想が外れて混雑だったというのが率直な国民の感想でしょうか。

医療関係者は医療崩壊にならないように感染拡大を恐れていますが、国民の生活を守る政府は、何とか経済を回さなければ倒産や失業者の増大につながるという意図があります。世界を見ると日本の感染者数が極端に小規模だというのが分かります。

各国政府も対応に右往左往しているのでしょうが、日本人のマスク着用率は何と言っても世界一だと感じます。つまり行政による日々こまめな感染状況が国民の間に周知されているのだと思います。段階を踏んで解除に動くところは、日本人らしいきめ細やかさが求められるからでしょう。

確かにこれだけ長期間にわたり自粛生活を強いられると、人間にも精神的に良くないことが予想されます。しかし10月から漸くGoToイベントなるものも実施されるようなので、経済も少しずつ回っていくものと思われます。

コロナ禍が世の中を大きく変えましたが、様々な面のオンライン化で便利になったことは、個人的には大変有難い事だと感謝している次第です。うまく時代の変化に適応していくことだと思います。

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思考力

2020-09-18 14:38:05 | Weblog

日本にとってコロナ禍は江戸末期の黒船襲来ではないかと私は思います。この国はにっちもさっちも行かなり土壇場になって気が付くところは国民性なのかもしれません。産業競争力会議なるものが前政権内でも存在していたようですが、推進役のデジタル庁を設置して、産業のデジタル化を牽引する組織としての戦略は練られていたのだろうかと思うわけです。

幾ら現場の状況が分かっていても、一国のリーダーが旗を振らなければ物事は始まりません。その点、やはりエンジニア的思考のある人がリードしなければならないと考えます。ある方が話しているように、かつては理系と文系が役割を分担して戦後の産業を伸ばすことができました。

しかし時代は変わって、その役割は今や後発の新興国が担っています。日本が目指すべきは発想力を活かしてイノベーションを創出する方向だと思います。教育から変えて、世界に通用する人材の育成を考えなければなりません。

もっと若い頃から海外を見聞させたり、技術の先端地域に若き人材を派遣するなり、世界の潮流を理解させることだと思うのです。優秀な学生に、フルブライト奨学金のような制度を復活させて海外渡航をさせるのも良い方法だと思います。

 

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セキュリティ事故

2020-09-17 14:31:12 | Weblog

今に始まったことではないのですが、国のありとあらゆる分野でセキュリティの脆弱性が現存するのではないでしょうか。近年特にセキュリティ事故が多発しているように思われます。

問題なのは被害者への補償は当然ですが、加害者の究明がどこまで実際になされているかです。堅牢なセキュリティ対策を取ることはもちろん重要ですが、犯人を取り押さえ厳罰を科す法制化とともに、不正なアクセスの発信元を抑えることはどうなっているのでしょうか。

国の行政機構にもセキュリティの専門機関を設ける必要があります。セキュリティ対策も省庁の縦割りで行われているのが現状ではないでしょうか。新政府によるデジタル庁の発足と共にセキュリティ部門も横串で組織化されるべきです。

ICT後進国の日本がデジタル化を推進するには、先ずは穴だらけの現在のデジタル情報網のセキュリティ強化を最優先にすべきだと考えます。便利さの裏には想像を超えた危険性が潜むことを強く認識しなければなりません。もっとセキュリティを重要視すべきです。

 

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人間ドック

2020-09-15 15:08:10 | Weblog

 本日は年に一度の人間ドックでした。このところ在宅勤務で運動不足になりがちなので、連日のように早朝ウォーキングを習慣化してきたためか比較的に体調も良かったので、人間ドックによる検査結果は問題ないだろうと考えていました。

毎日の運動が功を奏したのか、お蔭様で今回も検査数値に何ら問題はありませんでした。肺活量測定は案の定コロナ禍の影響で中止となっていましたが、他の項目は通常通りの検査が行われました。毎年同じような検査項目ばかりなので、他に検査の工夫はないのかと思う次第です。

昨年、完成したばかりの健診センターの建物ですが、今年は新型コロナウイルスの感染拡大によりエントランスでは検温や消毒など徹底した措置が施されており、検査人数の制限が設けられているのか、昨年同様にそれほどの混みようではありませんでした。

これまで歯科医同様に幾つもの健診センターをはしごしてきましたが、もう15年近く現在の健診センターで健康診断を受けています。かつてはHメーカーの社員でなければ受診できなかった所ですが、時代は変わって誰でも利用できる純民間の施設に変わりました。

私たちの健保組合との契約健診センターとしても先方の都合で中々承認が下りませんでしたが、私が直に施設機関と交渉して健診契約の締結に至りました。大事な事は電話で話しても拉致が明かないので、直接出向いて相手と合意を得るしかありません。これもビジネスの基本です。

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ICT教育

2020-09-14 16:18:32 | Weblog

 先日、某新聞の記事で2018年に新設された公立小・中一貫の学校においてICT教育が順調に進んでいる現状を初めて知りました。日本の現状が、OECD加盟国中で最下位にある現状を打破しようという動きではなかと期待しています。

やはり子どもが授業でデジタル機器を自由に使いこなせる教育環境を早急に整備することが重要だと思います。但し、小学校では未だに子ども一人に1台のコンピュータが行き渡っていないのが現状です。

また課題として都会と地方、貧富の差による教育の格差が益々広がっているのも現実です。ICT教育を全国に広げて地域間の教育格差をなくすことが、日本の将来にとって最も重要であると考えます。

来る新政権には行政の縦割りに風穴を開けて、これまで以上に中央と地方の格差を縮小してスピード感のある新政策の実現を期待したいものです。新総裁誕生のニュースをネットで拝見しながら思った次第です。

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子ども心

2020-09-11 16:00:45 | Weblog

今朝のラジオで久方ぶりにノンフィクション作家の柳田邦夫さんのインタビューを聴きました。この方について私が今でも鮮明に記憶しているのは、35年前の日航ジャンボジェット機の墜落事故でのNHKテレビでの解説者としてのお顔です。

当時、事件についてテレビで詳しい解説をされていたので航空関係の専門家の方だと勘違いしていました。実は元NHKの社会部記者で事件現場の取材が専門の方だったのです。

航空機事故と言えば、私の記憶にある初めて衝撃を受けたニュースは1966年11月13日に起きた全日空松山沖墜落事故です。事故の日は大安吉日の日曜日の夜で、あいにく気象条件が悪い中で起きた事故(乗員5名、乗客45名の全員が死亡)でした。

当時、中学2年だった私はたまたま緊急ラジオニュースを耳にしてニュースの内容を事細かくメモを取り、翌日、学校の担任教師に記録した内容を報告した記憶があります。私自身も世の中に起きている様々な事象を取材することが大好きだったのです。

今朝の柳田邦夫さんのプロフィールを聴きながら、著名な方なので失礼を承知の上ですが、興味のあることや物事への価値観が私とも似ていると思った次第です。私も現場取材の仕事には憧れていた時期がありました。

氏は20年前から絵本を広める活動を続けているとのことでした。幼児期に絵本を子どもに読み聞かせることは、子どもの心を成長させる上で欠かせないものだと話されていました。若い世代の皆さんも是非、絵本を子育ての教材にしてください。

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