責任感と言っても人それぞれ重みの内容が違います。かつて私も大きな会社にいた頃は、当たり前ですが給料をもらっている以上、自分の仕事に対して責任感を強く抱いていました。しかし会社を経営していると、これも当たり前ですが社員を抱えている会社に対する責任感を感じるわけです。大企業は業績が悪化した時に、業績回復のために経営トップは自らの責任でリストラを実行することがありますが、資本主義経済の中で株主の期待も含め、企業を存続させるためには不可避な手段かもしれません。しかし、それはそれまでの信用と豊富な蓄積があるから可能なのです。一方、中小企業は大企業ほどの信用と蓄積はないのでリストラは困難です。最終的に頼れるのは経営である自分の判断力次第となるわけです。簡単に言いますが、経営者の判断力には全社員の雇用を守るという大きな責任が伴います。苦境に際しても、いざという時に万難を排して皆が結束できるかが勝負だと思います。日本ラグビーの「ワンチーム」のように、衆知を結集して、これからも困難を乗り切っていきたいと思います。
会社経営していると実に様々な「しがらみ」に関与する機会が多々存在します。しかし中には、最初から取捨選択し、なるべくしがらみを持たないようにしている方もいます。しがらみは作ればきりがありませんから、自分自身が今後お付き合いを長期的に続けていく覚悟があるかどうかで判断すればよいと思います。しかし、一度作ったしがらみを途中で絶つことは気分的にも良いものではありません。私自身も様々なしがらみを作ってきましたが、自社の事業に結びつくようなしがらみなど殆どなかったと言っても過言ではありません。寧ろ、事業における様々な情報を有料で取得すると考えれば目的は明確ですし、しがらみを継続する意味はあります。経営者は1年365日の限られた時間を如何に有効に使うかが、会社経営における重要なポイントとなります。決してプラスにならないしがらみはないと思いますが、お金の使い方と同様に、時間の使い方次第でビジネス界での勝負が決まるのも事実です。しがらみはある時期になれば少しずつ整理するのも、これからの自分自身にとって必要なことではないでしょうか。
現在、21年卒業予定の学生さんの面接を行っています。今日も中国の留学生さんとスカイプ面接をしていて、自分の将来を自由に切り拓こうと考えている姿勢に、思わず自分自身の70年代の頃のことが脳裡に映し出されました。中国大陸も日本と違って国土が広いのでいつも出身地域を聴くのですが、文化も習慣も言葉も違う異国の地で単身働こうという意思にはとても感心します。確かに今はネットの時代なので、家族との対話も動画配信で可能です。寂しさという点ではかつてと比較にならないと思いますが、彼らの異国へ出ていく勇気は母国でどのようにして育まれているのだろうかと思う次第です。私自身も若い頃は、海外に留学して海外で働くことに憧れていましたが、実家の都合もあり、留学どころか実家を離れることさえ難しく、反対を押し切って上京しても、その後なかなか自由も利かなかったものです。人生は紆余曲折で「人間万事塞翁が馬」ですが、色々チャレンジする機会は若い頃しかないので、是非彼らの将来に期待したいと思 いますし、会社としても彼らに少しでも手助けすができれば幸いだと思います。「Boys be ambitious」ではなく「Youth, have a dream」でしょうか。
今回の新型コロナウイルス感染騒ぎでも、専門家による認識レベルが極端に違うことを改めて感じさせられました。日本は動物による感染症防止はこれまで幾度も経験してきましたが、人による感染症防止にはかなり不慣れであることが今回は判明しました。我が家でも、このような時に比較的呑気な性格の私に対して、家内は必要以上に心配性で用心深いところがあります。「やっていればよかった」「やらなければよかった」という事前の判断がとても重要であることを、我が家の夫婦間でよく話題になります。責任ある立場にいれば尚更、事前の判断は特に慎重であるべきです。三連休は、アフガンで尊い命を奪われた中村哲医師の足跡記録、二・二六事件の新たな真実、再現ドラマですが、昨夜の吉田元首相時代の史実など、日本の歴史も人間の認識レベルの差によって変わってくることが理解できます。「想定内」「想定外」という言葉が様々な場面で用いられますが、想定を深めて慎重に事に当たることが如何に大切であるかを、いつも何か事件が起きるたびに感じさせられます。「備えあれば患いなし」とはいうものの、人は何か起きて初めて、今後は過ちを犯さないように用心を重ねるものです。しかし認識の違いは人それぞれですので、過ちを犯す人は繰り返すのです。性(さが)なのでしょうね。周囲に、またはリーダーに望ましい判断を下す人がどこの世界でも必要のようです。認識レベルが違っても、多少うるさい人をなるべく排除しないことが大切だと思います。
地方に若者が減り、過疎化が止まらないことは既に周知されています。しかし、その課題を如何に解消するかは政治の問題だと思いますが、過疎化という現状の食い止めはここまでくると容易くはないように感じます。大きな決断になりますが、解決方法の一つとして考えられるのは、ICTをうまく活用してベンチャー企業にインセンティブを与え、資金と共に労働人口を地方へ分散させることではないでしょうか。これだけインターネットが国土の隅々まで普及した現在ならば、アイデア次第で日本の狭い国土をもっと有効に活用ができると思うのです。私は何年も前から時々テレビで「小さな村の物語 イタリア」を観ていますが、日本もイタリアのような地方を目指すべきではないでしょうか。財政的には豊かでなくても、日々の生活ができて、国民が生きていて幸せであれば良いと思うのです。日本全国の地方をどのように活性化させるか、長期的な課題解決には次世代通信網をフルに活用すれば、望ましい未来の国土の姿が実現可能ではないかと考えます。人・物・金を一体に長期戦略を立てなければ地方創生は掛け声だけで国土の変革は難しいと思います。
近年、私たちの仕事の仕組みが徐々に変化してきているように思います。かつては大手メーカーの下請けが中心でしたが、最近は自主ビジネスが段々と増えてきています。一つには自社製品の開発を通して、各種展示会へ出展するようになり、直接のお客様からの声を聴く機会が増えるとともに、自社ブランドのアピールが可能となりました。このような業態変化が起きるとは従来は考えもつきませんでした。きっかけはリーマンショックによる不況を経験したことに依ります。従来の下請け構造では、不況になると外注業者は一方的に契約を打ち切られていました。つまり市場の需要と供給における調整弁として我々は使われていました。不況時に、やはり自立しなければ将来はないと思った次第です。試行錯誤するうちに自社の進み方が徐々に見えてきたのです。未だに業界は旧態依然とした元請け・下請け構造が普通ですが、弊社は少なからず独自の路線を進みつつあります。仕事には遣り甲斐と働き甲斐がなければ、従業員の笑顔も生まれないものです。これから先も狭い範囲でも独自路線を貫くことができれば幸いです。自ら市場の変化に気付き、進むべき道を、自らの手で開拓し、自社で軌道修正していく企業でありたいと考えます。
会社経営は政治と同じだと時々思ったりします。会社組織を内閣だと考えれば、内閣の布陣が国の命運も決めるし、経営陣が会社の運命を決めるとも言えます。社長は総理大臣でしょうし、役員メンバーは各閣僚となります。会社経営も政治も実務を理解していなければ適切な判断も指示もできません。会社経営において役員人事が重要なことと、政治において閣僚人事が重要なことは同じだと思います。役員は社員のために、大臣は国民のために働かなければならない使命があります。残念ながら、そのように思われないような事象を目にすると、誤った人事だと思わざるを得ません。いつも犠牲になるのは雇用されている社員や生活者である国民です。トップリーダーの人事権は、慎重の上にも慎重を重ねなければならないというのが、これまでの私自身の経験から言えることです。「いわしは頭から腐る」と言われます。呉々も何度も反復学習して、極力過ちをしないよう注意したいものです。
先日亡くなられた野村監督が人材育成は「見つける」「育てる」「生かす」と話していましたが、最も集約されたポイントだと思いました。企業でも採用で人材を「見つけ」て、職場で「育て」て、「生かす」ために、現状よりハードルを上げてやらなければ、向上心のある人は現状維持では仕事に対するモチベーションが下がるので、新たなチャレンジで躍進を目指して他へ転戦します。三つとも人材育成として難しいことは野村監督も話していました。それができる球団や企業が勝利を収めることに繋がるわけです。企業も折角、採用した人材は大切にし、成長時に辞めさせないよう、一人一人戦略を立てて人材育成をしなければなりません。やめる人は現状に満足しないからでしょうが、常日頃から様子を観察し、対話をすることで相手が何を考えているかを把握し、成長を目指して共に育ちあう環境を企業内につくることだろうと思います。「言うは易く行うは難し」ですが、少子化で採用することの大変さを現場も真剣に考えて、大切な人材を留める更なる努力と工夫が必要です。私自身のこれまでの経験から考えたことです。
現在、ボランティアでいくつかの要職をさせて頂いていますが、会合に参加して勉強になるのは周囲の方々から学べる人間性です。やはり役員などに選ばれる人たちは、どこかしら人に尽くすという気持ちを常に持ち合わせているのです。お金は「頭と心と人」に使うように家内からいつも執拗に言われますが、私自身も未だに不足している面があります。若い頃は日々の生活が最優先で仕方がないのですが、熟年になってから多少生活のゆとりができたら、自分のためだけでなく、世の中の人のために少しでも役立つお金を使うべきだと自分の事として考えるわけです。私の周囲の方を拝見していますと、私には中々できない気前の良さを皆さん持ち合わせているのです。皆さん自己顕示欲も多少強いのでしょうが、私自身は貧乏性なのか気前の良さという点で大先輩の皆さんに負けてしまいます。しかし、先輩方の生きざまを時々直に観察できるだけでも大変勉強になります。家内からも「ケチではなく、貧乏性」だと言われます。幼少時の環境が影響したのか、なかなか治らない癖のようです。
世の中、こんなに変わったのかと思うことは多々ありますが、私自身40代前後の頃は毎晩のように3次会で夜12時過ぎまでお客様とお付き合いしていました。今考えると何という無駄をしていたのかと思いますが、当時はそのような接待が普通に行われていました。今は同年配の方々とは大体一次会で終わることがほとんどです。それだけ年齢とともにエネルギーが無くなった証拠でもありますが、肉体的にも大変楽なお付き合いになりました。その分、夜の繁華街もお店が絶えたことでしょうが、当時は帰宅時に深夜のタクシーを捕まえることも大変なほど繁華街はどこも賑わっていたようです。若い頃は妻子ともに夜は早く休んで、深夜に亭主が帰宅するのは普通でしたが、今は妻から「今日の帰宅は何時?」と聴かれる毎日です。「亭主元気で留守がいい」と諦められるより、高齢だから毎日心配してくれるだけでも良しとするしかありません。考えてみると20代の頃から深夜まで会社や外で仕事をしていたようです。休日もなく働いていましたが、本当に体調不良もなく、毎日元気だったように記憶しています。今日あるのも過去の積み重ねのように思います。何故、今日はくだらない話をしたかと申しますと、テーマがなく困っていたところ、日経BP総研から届いた雑誌の表紙(スナック未来)をたまたま拝見したからです。