一般に「能ある鷹は爪を隠す」と申しますが、人望のある人ほど謙虚なのです。多くの人には自らのプライドが強過ぎて人間関係で邪魔をすることがよくあります。容易に馬鹿になることのできる人は、実際のところ処世術に長けており寧ろ利口な方なのです。先日、同級生の一人が孤独死をしたとの連絡を受けました。小・中・高と一緒の学校でしたが、彼がなぜ人が変わったのか今では知る由もありませんが、地方に住んでいた彼も、いつの間にか周囲の流れや環境に沿えなくなってしまったのです。私の知る限り、かつての彼は頭脳もいい方で、性格的にまったく問題がなかったのですが、年齢とともに周囲の環境によって異なる道に染まってしまったようです。考えてみると、中学・高校の頃の生活の仕方や人的環境が、その後の人間の情緒の形成や人生に少なからず影響を与えるということだろうと思うわけです。
本日、退職する社員が本社へ挨拶に来ました。新入社員から勤めてきた社員が去るのは、経営者にしてみると城の石垣が一部崩れたような想いですが、少しだけ嬉しいのは、本社に来て「お世話になりました」とお菓子まで持参して挨拶してくれる事です。また送別会も仲間だった社員たちが開いてくれて激励してくれているようです。社員の入社退職は会社の宿命ですが、人間同士の付き合いだけはいつまでも変わりません。人を大切にするという事だけは他社に負けないように経営したいと思います。今日は卒業生をまた1人社会へ送ったような気持ちです。これからも頑張ってくれることを心より祈ります。
本日は今、急成長が期待されている新進気鋭の若手経営者と久しぶりに会ってきました。今、34歳。今年、35歳になろうとしている経営者の彼の生き生きとした働きぶりと、若者で溢れるオフィス空間を拝見してホッと胸を撫で下ろしました。いずれ弊社とコラボして地方の縫製工場の効率化に少しでも貢献できれば幸いです。丁度、本店を訪れた時、立ったままで採用面接中でしたが、そっと入室して社長の一言一言を聴き入ってみました。社会人としての生き方を応募して来た若い人に一つ一つ覚悟を問うていたように見えました。頑張ってくれることを陰ながらこれからも仲間として応援したいと思います。
本日は東証一部上場企業のお客様より接待を受けました。本来は逆の立場なのですが、4人で長時間にわたり業界での経験談で花が咲きました。お相手は技術に明るく、人脈の広いナンバー2の方でしたが、おそらく後継者になられるであろう人物のように感じました。新しい出会いは、39期を迎えようとしている我が社の誇りです。最後に、日本橋で42年の歴史あるお店のお料理は最高で、正にプレミアムフライデーでした。本当にご馳走様でした。お客様に深く御礼申し上げます。
今日は社内外の何人かの若い人達と随分対話しました。皆、息子世代の方ばかりですが、彼らが日々どんな事を考えながら生きているのか、その片鱗を知る事ができた有意義な1日でした。社員と暫く距離を置いて過ごしていると、双方に話したいことが中々伝わっていないことが分かります。人は育てようとする上司が存在しないと成長しません。お互いに議論し、切磋琢磨しなければ厳しい環境で生き残ることは不可能です。自立の精神で、リスクを背負って、ハングリー精神を有したリーダーに是非育ってほしいところです。
米国はトランプ政権になって多重人種国家を見直そうとしていますが、一旦できた河川を元通りにする事は容易ではないと思います。その点、日本は移民政策において、解放し過ぎなかった事が功を奏している面があります。しかし近くやって来る今後の少子高齢化に対処するには、ある一定の比率で海外の優秀な若者を呼んでくる案を検討する必要があります。でも極端に移民を解放すべきではないとも言えますし、移民容易にを締め過ぎても如何なものかと思います。当局は既にご理解の事だと考えますが、「覆水盆に返らず」の政策だけは取らないでほしいものです。「対岸の火事」では済まされないという気が致します。
官僚の腐敗に関しては戦後ずっと問いただされてきた問題ですが、未だに後を絶たずといった印象を抱きます。今、教育のメッカとも言える文部科学省での大学への天下り問題がクローズアップされています。私が建設会社に勤めていた時代は官僚と業界の癒着は普通に行われていましたが、現在は官庁工事の指名停止という会社経営にも大きく影響するように先の行為には罰則が強化されています。
まさか教育の総本山である文科省でも、日常的に官僚と大学での癒着が行われていたとは意外でした。ここは官僚側の責任追及は当然として、大学側にも何らかの重いペナルティが課せられるべきです。特定の大学が生き残り策として、官僚を操って自大学を有利な立場へ導こうとする行為は、公的な文部行政の立場から許されざるものです。徹底して処罰されなければ浄化作用は働きません。
優秀な人材を活かすことを否定しているわけではなく、特定の大学や企業が「我田引水」に対して罪悪感を持たないこと自体が問題なのです。安易な官僚の天下りは先輩から後輩へと後々まで影響力が引き継がれて、敷いては教育格差の温床にもなり得るからです。どうも最近の多発する事件を鑑みると、世の中の価値観が少しずれてきているような印象が無くもありません。
まさか教育の総本山である文科省でも、日常的に官僚と大学での癒着が行われていたとは意外でした。ここは官僚側の責任追及は当然として、大学側にも何らかの重いペナルティが課せられるべきです。特定の大学が生き残り策として、官僚を操って自大学を有利な立場へ導こうとする行為は、公的な文部行政の立場から許されざるものです。徹底して処罰されなければ浄化作用は働きません。
優秀な人材を活かすことを否定しているわけではなく、特定の大学や企業が「我田引水」に対して罪悪感を持たないこと自体が問題なのです。安易な官僚の天下りは先輩から後輩へと後々まで影響力が引き継がれて、敷いては教育格差の温床にもなり得るからです。どうも最近の多発する事件を鑑みると、世の中の価値観が少しずれてきているような印象が無くもありません。
たまたま偶然に大学の学部役員に推薦されて、傍らに卒論の審査委員を依頼されました。先日、卒論の審査委員会が催されて優秀論文の選考を行いました。来る卒業式にその表彰式も同時開催されますが、今回初めて学生諸君の論文を興味深く拝見して少し感じたことがあります。様々な文献を読んで参考とされているのはいいのですが、メディアに依存しがちな傾向を感じました。
世の中のいろんな政治的・経済的な論点には賛否両論があります。両者を公平に自分の力でもっと深く考察してほしかったと思いました。私たちの時代は徹夜で学友と激論を交わしたことが多かったので、自分の考えをしっかり持っていました。ネットの時代なので調べれば何でも容易に情報が手に入りますが、自分の目や耳で実際に手に入れたモノには裏付けまで理解できますが、彼らにはそのことが重要だと感じた次第です。
世の中のいろんな政治的・経済的な論点には賛否両論があります。両者を公平に自分の力でもっと深く考察してほしかったと思いました。私たちの時代は徹夜で学友と激論を交わしたことが多かったので、自分の考えをしっかり持っていました。ネットの時代なので調べれば何でも容易に情報が手に入りますが、自分の目や耳で実際に手に入れたモノには裏付けまで理解できますが、彼らにはそのことが重要だと感じた次第です。
先週は長年、経営者仲間として親しくして頂いた某社長の通夜に参列してきました。私もこれまでほとんどが仏式のお別れ会と称する催しのみしか参列した事はありませんでしたが、先週末は最初から最後まで教会の賛美歌に彩られた、素晴らしいお別れの空気を味わう経験をさせていただきました。
通常、葬儀会場で執り行われる通夜や告別式への参列では淡々とした気持ちで時間を費やしますが、今回は長い時間の割にはとても新鮮な印象を受けました。振り返ってみると、現在は多くの日本人は結婚式を教会で行うのが一般的です。こういう私も若い頃、結婚式の費用が無償という条件で、記憶は定かではありませんが、しばらく教会へ通って神父の話を滔々と聴かされた経験があります。
「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命のある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」と結婚式で神父(神)の前で誓った経験は誰しもあります。つまりカトリック教徒であれば神に誓って決して別れないということなのです。
しかし現実は様々な理由で離婚へ至る人も多いのが現代社会です。人はどうしても結婚式での神への誓いを忘れてしまうのですね。仕方がありません、形だけは教会で式を上げますが、カトリック教徒ではありませんから。私自身は当時、神父から無償の施しを受けましたので、個人的に感謝の気持ちが一杯で、当時の誓いの言葉など今でも忘れられません。我々はもっと信仰の良さも感じたり、時には素直な気持ちで学ぶべきだと思います。
通常、葬儀会場で執り行われる通夜や告別式への参列では淡々とした気持ちで時間を費やしますが、今回は長い時間の割にはとても新鮮な印象を受けました。振り返ってみると、現在は多くの日本人は結婚式を教会で行うのが一般的です。こういう私も若い頃、結婚式の費用が無償という条件で、記憶は定かではありませんが、しばらく教会へ通って神父の話を滔々と聴かされた経験があります。
「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命のある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」と結婚式で神父(神)の前で誓った経験は誰しもあります。つまりカトリック教徒であれば神に誓って決して別れないということなのです。
しかし現実は様々な理由で離婚へ至る人も多いのが現代社会です。人はどうしても結婚式での神への誓いを忘れてしまうのですね。仕方がありません、形だけは教会で式を上げますが、カトリック教徒ではありませんから。私自身は当時、神父から無償の施しを受けましたので、個人的に感謝の気持ちが一杯で、当時の誓いの言葉など今でも忘れられません。我々はもっと信仰の良さも感じたり、時には素直な気持ちで学ぶべきだと思います。
世の中を渡っていく上で、「短気は損気」という心がけを常に持っていることが必要だと思います。つまり今風に言えば、言動においては常に「TPO」を意識しなさいということではないでしょうか。人から見た自分の態度は一目瞭然で人間性を写す鏡なのでとても重要だからです。
私の経験ですが、かつて大企業(大企業も中小企業の数が集まっただけのことです)に勤めていた時に、会社の事業の主な取引先はほとんど地元の中小企業様でした。決してこちらが大企業面(づら)して、大手だからという態度では地元企業様には通用しなく、まったく相手にされません。
会社の看板だけで営業は成就しないのです。自分をどれだけ取引先に理解してもらい、ファンになって戴くかしか営業の世界ではライバルに勝てないのです。つまり営業の仕事は、自分という人間をお客様に歳月を掛けて売り込む仕事だからです。看板で仕事をしていれば、やがて仕事は絶え、決して取引が長続きすることはありません。
テーマに掲げました「短気は損気」という意味は、取引先の大小にかかわらず、営業姿勢といいますか態度は慎まなければならないということです。大企業という意識は捨てて、常にお客様に対して謙虚な姿勢で臨まなければならないということです。人望を磨かなければお客様に好かれない、だたの形式だけの付き合いとなり、お客様が会社の財産にならないのです。
人生、「短気は損気」です。他人を変えることは出来ません。自らが変わるしかないのです。怒ったら結果的に損をするのは自分だからです。
私の経験ですが、かつて大企業(大企業も中小企業の数が集まっただけのことです)に勤めていた時に、会社の事業の主な取引先はほとんど地元の中小企業様でした。決してこちらが大企業面(づら)して、大手だからという態度では地元企業様には通用しなく、まったく相手にされません。
会社の看板だけで営業は成就しないのです。自分をどれだけ取引先に理解してもらい、ファンになって戴くかしか営業の世界ではライバルに勝てないのです。つまり営業の仕事は、自分という人間をお客様に歳月を掛けて売り込む仕事だからです。看板で仕事をしていれば、やがて仕事は絶え、決して取引が長続きすることはありません。
テーマに掲げました「短気は損気」という意味は、取引先の大小にかかわらず、営業姿勢といいますか態度は慎まなければならないということです。大企業という意識は捨てて、常にお客様に対して謙虚な姿勢で臨まなければならないということです。人望を磨かなければお客様に好かれない、だたの形式だけの付き合いとなり、お客様が会社の財産にならないのです。
人生、「短気は損気」です。他人を変えることは出来ません。自らが変わるしかないのです。怒ったら結果的に損をするのは自分だからです。