をとなの映画桟敷席         ~ほぼ毎日が映画館

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清志郎永遠なれ!

2009年05月09日 | 音楽礼賛
GW中の5月2日、旅先で1つの訃報を聞いた。
ロッカー忌野清志郎。今日、9日に一般ファンのための告別式が都内・青山で行われる。

清志郎とRCの曲は多感な時期はもちろん、大人になってからも常に傍らにいてくれた。
今思うと、中央線沿線で思春期を送ったものにとって、中央線で育った人たちがメンバーのRCサクセションは特に思い入れ深いバンドだ。そんなわけで、中学の終わりごろ自分もバンドを作ったり、遊びで習ったギターの手習いは「雨上がりの夜空に」のキメの部分の繰り返しだったり、多摩蘭坂や学校などゆかりの場所を友人と訪れたり、RCや清志郎に影響を与えられた。

当時の清志郎はすごくパンクな感じがし、個性が際立っていた。
自分にとってのロックアイドルだったもう1つのバンドがシーナ&ロケッツで、鮎川さんのギターとシーナの迫力ある歌声(叫び?)でクール&ワイルドに決めるカッコよさがあった。
一方、RCはまた別の魅力を持っていて、自分のバンドだけで演奏するだけでなく、Dr.梅津らのホーンセクションの生音とコラボする楽しさを教えてくれ、とってもそれがカッコよく、ちょっと大騒ぎ感もあって笑え、客ともども楽しいライブだった。
きっとこれが自分をサックスをやるようになった素地になったのかもしれない。

大人になってからはあまり曲を聴く機会がなくなったが、いつしか自転車に凝っていてそのエッセイを何度か読んだ。ここでも元気・元気!だったのだが。

残念ながら最後となってしまった武道館は行けなかったけれど、RCの頃からソロになってからも幾度かライブで発散して元気をもらった。「また元気になったから小さい小屋でやるとき行こう」と思っていたのだが、それは夢と消えてしまった…。

自分にとっての最後のライブとなったのは、文京区のシビックホールで、前の方の席だったので、かなり一体感があった。
清志郎が縦横無尽に飛び回りながら歌うので、ホールがライブハウスのように感じ、自分たちも一緒に飛び跳ねている臨場感があったのを覚えている。

昨日、雨上がりの空にとても大きな虹がかかった。それも驚くくらいくっきりと7色の。しばらくしてまた雨にかき消されてしまったが、清志郎が虹の橋をを渡って旅立ったのかな?

相当な闘病生活だったかと思うが、微塵も見せなかった姿勢にも敬意を表したい。
「不世出」のロッカー、清志郎に黙祷。