とら箱

後期高齢者で元気な父と暮らしてます。 自分も還暦を迎えました

今月も終わり

2014-08-31 23:04:45 | 日記


「あけぼの」にはじまり、JAMに行ったりで遊びまわってたような8月でしたが、青森に行ってもすぐに折り返したりで忙しい月でした。 最高の贅沢は「あけぼの」15時間の旅でしょう。

 そして初めての東北の旅は改めて日本の広さや美しさ厳しさを感じました。 帰路の新幹線は日本のあらゆる技術の先端、それが第二次世界大戦の技術の継承でありその産業への応用が平和への貢献することと考えています。 8月は「戦争が終わった月」ですが、戦争抜きに考えられない日本の歴史を思うと「8月」はこの国にとって大切な時なのです。

 さて新しい家に来てまもなく半年、模型は放置したままですがそろそろやらないと、10月の運転会が近づいてきました。 画像は修理中のパワーパックです。
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キハ80 増備

2014-08-29 23:00:00 | 鉄道模型/未分類


 JAMに行ってそれなりのものを見つければ購入するわけで、増結用にカツミの古いキハ80を購入しました。 台車がくたびれてますので、下回りを交換しようと思いますが、手持ちの床板と組み合わせて動力化して編成に組み込む予定です。 色が違うとかは気にしないし、手持ちの485系はユニットの会い方のロットの違いがあったりしますが、走行重視ですので気にしないことにしています。 しかしキハ80系が何両あるのやら。

 
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2014JAM

2014-08-22 23:00:00 | 鉄道模型/未分類


存続するのかどうなるかと言われてますが今年も行きました。 しかしその動機が「情報収集」とはっきり決まってるので「モデラーズパフォーマンス」なる個人・団体の展示はまったく興味がなく、出展メーカーの新製品や現地販売が目的です。 自己満足の展示だけならその必要がないことを感じました。、

「猿のなんとか」ではありませんが、毎年同じことをやり続けてる私学の団体や縁日の屋台のように模型のそばで座る仏頂面の個人展示を見てると、「飽きずによくやるなぁ」と思います。 こちらもそれが目的ではないので流してるだけですが、暑いのによく頑張るものです。

 画像はこの頃興味をもちはじめた新幹線、カツミの展示で0系の塗りかえです。 「ドクターイエロー」の製品化予定だそうです。 「はやぶさ」に乗ってから「新幹線の模型」が欲しくなってきました。 今年で50年、新幹線は色んなことを運んできました、初めての上京は父は「富士」、母は「名士列車」、新婚旅行は151系「こだま」、自分と弟は新幹線でした。 戦闘機の技術から生まれた新幹線「0系」はその生まれを主張してるのでしょうか。 そして新幹線は家庭電化製品の魁でした。 

https://www.youtube.com/watch?v=NEDl7ZTi0Jc の3分17秒で加山雄三が「こういう形のものをクーラーという人がいますが、でもこれ、とっても暖かいのです。 -----これからは暖房もエアコンでする時代です。---」とあります。 0系の屋根はヒートポンプ式の「エアコン」です。 その理由は密閉式の構造なので従来のクーラーなら暖房を別に搭載しなければならない、しかし高速化の為軽くしなければならず、夏には使わない暖房を搭載するので、その分の重量が高速走行の負担になる、だから「エアコン」になりました。 在来線の車両で暖房を搭載すると5t以上の重量が増します。 恥ずかしながら我が家は今年になって引越し、初めてエアコンを購入しましたが、我が家の家電製品は新幹線より50年遅れてるということでしょう。

 まだまだ新幹線0系にはたくさんの「家電製品」があります。 インバーター式の室内灯、電気冷蔵庫、50年間人だけでなく生活を運び続けてたのではないでしょうか。 子供の頃から憧れだった新幹線、安易な話ですが子供の頃「国鉄に入って東京-新大阪を1時間35分で走る新幹線をつくる。」と言ってたのを思い出しました。 当時、東京-新大阪は3時間10分で走ってました。 東京から鹿児島まで9時間を切り、列車名は超特急が「霧島」特急が「薩摩」と考えてました。

 そんなことを思い出させたJAM、「はやぶさ」の思い出と共に元気を与えてくれました。
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松井電機 ICP型パワーパック (パワーパックコレクション)

2014-08-19 23:14:00 | 鉄道模型/未分類


 昭和56年頃、「とれいん」に広告があり資料を取り寄せました。 DCC全盛の今は時代遅れのアナログ制御ですが、リレーを使った区間制御や自動列車制御、加速・減速の切り替えなど初歩的な回路ながらも充実した内容でしたが、いつの間にか広告がなくなりました。 信号はCDSを使ってました。

 画像は最近オークションで手に入れたもので、動作確認はしてません。 しかし不思議なパワーパックでついてるのは電圧計、電流計の方が必要ですがスピードメーターの意味があったのか、自分が作るパワーパックは電圧計・電流計は装備しています。 また逆転スイッチも2系統あるのは良いが、わざわざ入り切りスイッチをつけてます、またそれが見難い。 スロットルも左、そういえばソニーの「エスプリ」のプリアンプが信号回路にあわせた設計なのでボリュームが左、大半の人が右利きなのでそれなりの理由がわかりますが、このパワーパックはわからない。

 難癖をつけましたが当時は欲しかったパワーパックです。 そして気に入ってるパワーパックのひとつです。
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アサヒホビー 2B-1A SCR (パワーパックコレクション)

2014-08-07 23:00:00 | 鉄道模型・電気


 総武線各駅停車の平井駅前にあったお店のオリジナルの製品です。 製造が「WATANABE」と表記され認可番号もあります。 動作は異常なしでサイリスタ・インバーター独特のモーターの泣きがでます。 シンプルなパワーパックです。 実はサイリスタ・コントローラーを手に入れたのは初めてです。 中学のときの友人が自作のを持ってましたが、モーターが泣くのがあまり好きでなく、トランジスタ・コントローラーの方が好きでした。 また松永のMT-105を手に入れてからは、こちらのほうが回路が簡単にできるので中心になりました。
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八甲田丸と29年ぶりの再会ともうひとつの再会。

2014-08-04 23:00:00 | 日記
「国鉄時代」の昭和60年、「青春18きっぷ」で北海道に行きました。 上野から常磐線の始発に乗り、常磐線から東北本線を乗り継いで「ともかく札幌に行く」旅でした。 一日乗りとおして青森に着いたときは夜も深まり夜行便の八甲田丸に乗船しました。 青森駅の待合室で連絡船名簿に記入し乗船を待ちました。 待合室ではニュースを放送してましたが、その内容が「日航機墜落」。 知ったのは函館を過ぎたときでした。



 八甲田丸と再会です、施設の一部が残されています。 夜行便で函館で接続する鈍行がないので八甲田丸の切符売場で自由席特急券を購入しました。



 青函連絡船の戦災の碑を先に見ます。





「羊蹄丸と同じ展示?」がありました。 入場料を払ってから係りの方に「羊蹄丸と同じ展示ですか?」と聞きます。 そうしたら「羊蹄丸の解体のときに展示の一部を八甲田丸に移しました。」とのことでした。 羊蹄丸の解体のときに処分されたと思っていましたが、再び連絡船で展示されうれしく思いました。 1/1の模型ですからこれからも大切に保存して欲しいものです。





 青森の市場が東京から青森に帰ってきました。





 青森駅の待合室、事務所もあります。 船の科学館の羊蹄丸が処分されたのは残念でした。 それは羊蹄丸が「船」であって「鉄道」なので船の科学館ではお荷物だったのかもしれません。 船舶振興にはならなかったので維持されなかったのでしょう。 しかし最後の最後まで展示され必要な資料は搬出された羊蹄丸は国内で解体されて姿を消したのでこれでよかったのです。 29年前、帰りに乗った大雪丸は中国のどこかで座礁したままと聞きます。



 船首から見た八甲田丸です。 保存車両を見学します。





 目的のキハ82です。



 DD16です、見難いですが船の科学館からの人形が運転室にいます。





 桟橋の控車。ヒ600です。 検査は郡山の担当でした。 遠路はるばる回送したのでしょうか。



 まだまだ忙しい時期なので、八甲田丸の見学を含め青森には3時間弱の滞在でした。 「はやぶさ」320キロの速度は贅沢な座席と共に現実に戻ります・ しかし一番贅沢なのは「あけぼの」の15時間と大館の駅弁でした。 自宅に着いたときは翌日の「あけぼの」はまだ上野を出てませんでした。
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あけぼの

2014-08-04 13:00:00 | 日記


 暗がりの中、大阪に向かう「トワイライトエクスプレス」と交換、米どころはまだお目覚めでないようです。 周りに迷惑がかからないように行動します。



 日本海が見えてきました。 軽やかなジョイントの音が響きます、懐かしい山形県に入った頃です。 最後部に移動します。



 羽前大山で上り列車との待ち合わせをします。 ここから単線になります。



 模型にしたくなるような水田のなかを列車は進みます。 単線になり西鶴岡信号所を通過、「ホームを作らない駅なら信号所があるな」と模型のことを考えてたら鶴岡着。 日が高くなってきました。



 しばらく走り酒田へ、もう四半世紀以上前に合宿免許で3週間いました。 2月の雪が積もる中、最初にハンドルを持ったのがいきなり雪の上、スパイクタイヤははいてるもののまっすぐ走らせるのが難しい、そんな思い出があります。 おかげで初心者ながらかなり難しい運転ができるようになりました。 教官のほとんどが酒好きで教習中は酒の話ばかりしてたなぁ、「大山」「初孫」時々買って飲んでます。



秋田の手前で機関車を撮影、いい天気です。



 秋田に近づくにつれて防雪林が増えてきました。





 子供向けの図鑑でよく見ましたが、本物を見るのは初めてです。 父が九州、母が関西の出身なのと転勤族であっても九州と関西に住み父が東京の本社で退職したので、東北には行く機会がありませんでした。 ラッセル車は加悦や米原で見たことはあってもロータリー車は模型でしか見たことがありませんでした。 東北のそれも北側の冬の厳しさを感じました。



 オハネ24の配電盤の表示です。 寝台上昇・下降の表示がオハネ24であることを示します。 最後の3段寝台車でした。



 秋田に到着です。



懐かしい駅弁のホームでの販売です。 大館で予約してありますので購入しませんでしたがあと1時間かかります。 インターネットでは大館の華善の弁当の予約しか出てませんでした。 今度、秋田に来たとき購入したいと思います。 



 鉄道管理局のある大きな駅です、「こまち」が見えます。



 そして大館、「大館」の名前に惹かれたのが「ハチ公」物語です。 生まれて間もない子犬が急行702列車の荷物で東京に出てきたからです。 米俵の中にはビスケットが20枚入れられてたそうですが弁当もちだったのですね。



「花善」に予約してたので、ホームまで持ってきていただきました。 http://www.hanazen.co.jp/tori/index.html お茶も用意いただき、おつりの無いように確認しやすいように透明の袋に入れて渡します。



 鳥飯弁当です。 鉄道が好きなら「駅弁」は最高のご馳走です。 どんな食べ物でも駅弁に勝るものはありません。 車内で頂きます。

 食べたら少し眠くなってきました、そして、



 青森着、引き上げのDE10が待機しています。



 機関車はすぐに引き上げました。



 DE10が後ろに連結されました。 入れ換えのため片側の尾灯が点灯されます。 客車の写真を撮影したいので引き上げを待ちます。 ここからはデジタルカメラでなく銀塩カメラで撮影しました。 

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平塚から大宮へ

2014-08-03 23:55:55 | 日記

「湘南新宿ライン」で乗り換えなしでいけますが新青森を経由します。 大宮から南は重複区間になるので別途料金を支払います。 上野に向かいますので湘南電車で品川で乗り換えます。



 20時30分の13番線はマニアが集まり始めてました。 なかには4~5歳の女の子もいます、それもつれてくるのはお母さん。 「お父さんの趣味」ならともかく、それはそれでいいのですがネームド・トレインは女性の名前が多いです。 デジカメを構えるお嬢さんを見ながら、明日の昼までの住みかがどんな車両か気になってました。

 第一志望が一度も乗ったことがなかった24系24形(白帯)です。 北陸トンネルの事故で14系の増備が中止され24系に設計変更(給電関係)されたのが昭和48年、しかし49年からは2段寝台の25形が増備されたので数が少なく、当初の配置が向日町で品川から青森に移動しました。



「のぞみがかない」2号車は2段寝台改造されてますがオハネ24でした。 仕事柄こんなことも気になります。 左がオハネ24で右がオハネフ25クーラーの大きさが違います。 上から見たら熱交換器のファンがオハネ24が2個でオハネフ25が1個です。 オハネ25がオハネ24よりも定員が少ないのでクーラーの容量が小さくなりました。 しかしオハネ24も2段になりオハネ25とほぼ同じになりました。

 今夜の編成は、EF64 105・カニ24 102・オハネフ24 21・オハネ24 554・オハネ25 220・オハネ24 44・オハネ24 7・オハネフ25 202です。 明日の昼までの15時間オハネ24 7ですごすことになります。



 予め下段を確保してたのはいいのですが、なぜか自分の区画は自分以外は全て女性でした。 先ほどの上野のお嬢さんではありませんが、女性の進出は「旅」の魅力か。 国鉄時代は「移動手段」として、民営化された今は「旅を楽しむ」ようになったと思います。

 にぎやかなのは当然として3人とも一人旅でした。 北海道に向かうか青森の祭りを見るのか話が弾んでますが、こちらは疲れてたので早々にベッドに入り大宮からは日本海側に出るまでは夢のなかでした。


 オハネ24 7は向日町に配置されてました。 昭和48年から50年までは新大阪から山陽本線で西に向かい、40年経った今は上野から北に向かいます。
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