オハフ331を作るのに物色しましたらオークションでオハフ33を入手しました。 テスリやドアを交換します。 今月も終わり、そしてあと1か月で今年も終わりです。
摺動式変圧器です。 しまい込んでた松永のMT-105を出してきました。 1次側を電圧変換する昔ながらのやり方ですが信頼性が高いので30年以上変えてません。 トランジスターやサイリスターも試しましたがいつもこの方式に戻ってしまいます。 また電源を外部に持つのがあまり好きでないのもあります。
基礎的なことはある企業で商品の研修で教えてもらいました。 またもっと大きい摺動式の変圧器を使って扇風機の回転がそれほど変わらないことを試したこともありました。
今の市販のパワーパックは電気用品安全法の為か外部電源にしてるのが多いようです。
先日の運転会で久しぶりに運転(併結)しましたが、ガラスが外れてたのを修理して連結面の連結器を交換しました。 ケーディーの118を使います。 配線の手直しもしたいのですが今回は見送ります。
スローペースで作ってます。 電源スイッチの取付穴があいたのであとはドリルで主要部品の穴をあけて配線のみです。
模型の記事で「紀伊半島の郵便荷物気動車」で購入しました。 懐かしいキユニ284やキユニ261の記事がありました。
キユニ261です。
上段固定窓です。 エンジンが連結面に搭載されてます。
昨日は出かけましたので本日アップします。
24系がブルートレインの代名詞になりましたが、20系が元祖でした。 本来は14系が増備されるはずでしたが北陸トンネル事故で24系になりました。 そしてモノクラス化と人員合理化で25形になりました。
この画像「並び」というお題ですが列車の方向が異なります。 どこかで方向転換するのでしょう。
思うことがあって、というよりも何をするにしても迷うと神頼みします。 京都が身近でしたのであちこちに神様仏様がいましたし、その昔は神仏混合でした。
と言うことで川崎大師。 仏教の五色の旗が冬空を舞います。
七五三の季節です。 子供は国の宝ですね。 女の子の方が華やかです。 成人式までですが。
大師参道、来年は寅年。 初詣は賑やかになり冷酒おでんが復活するでしょうか。
京浜急行は先頭車にモーターを持ち、ですが阪神電車も元々は路面電車なので全ての車両にモーターがついてました。 そんなことを思いながら京浜急行に乗りますが、いつも先頭車のモーター点検蓋のそばに行ってしまいます。 そういえば157系も165系も287系も先頭車にモーターがついてます。 結局、お参りよりも京浜急行に乗りたかったのかも、
今は亡きマンテンのジャンボファングルが大量にありまして、それを生かすのに工夫します。 大阪から取り寄せたアングルです。 補強材を使わないようにできて部品点数が少なくて済みます。 純正材で組み立てるのではないので工夫します。 ネジは日本橋まで行ってナニワネジで購入しました。 通天閣のそばで呑んだビールがうまかった。 夏場でしたからね。
先日、購入しましたモジュールパネルと手持ちのモジュールパネルをぬりました。 そういえば今日はダラスの事件の日ですね。 明日は公休日ですが役所に行く用事もありそのあと出かけます。
データを整理してたら2014年の夏に乗った「あけぼの」の画像が出てきました。 カニ24-100は「あさかぜ」や「出雲」で運用されてました。
オハネフ24も歳を重ね姿をかえてきました。 トミックスで「JR仕様」で発売してます。
15時間かけて青森に行ったのも遠い思い出になりました。
「試運転会」と化してます。
EF90とEF66のこともあり今回はEF61を試運転しました。
インサイドギアですがよく走ります。 換装も考えてないので摺動式の変圧器のポワーパックをそのまま使ってます。
お罐付きです。
裾と台車に傷があります。
客車列車用ですが、瀬野八で補機仕業もありました。
来月は繁忙期なので今年はこれでおしまいです。 来年は早々に開催します。 よいお年をお迎えください。
本日発売分です。
「北陸」は廃止直線の2010年の1月に乗りました。 京都に行ったのですが、乗車券が上野から小田原で山科から関西に入りました。 「雷鳥」のサハ481-600に乗るのが目的でしたが、東海道筋にブルートレインがなくなった直後でしたので楽しい旅でした。 開放B寝台に乗りたかったのですが喫煙車両でしたので個室に乗りました。 しかし帰路が架線故障で遅延し、小田原には3時間遅れての到着でした。
区画整理で仮店舗に移ります。 自分が子供の頃「模型店」はプラモデル主体でも「模型店」の名前を冠するにはラジコンなども扱ってました。 また自分が16番の模型を始めたのはプラモデルの鉄道模型動力化に始まりました。 友人によく話すのが「マブチのFA-130に12Vをつないだら燃えた。 それを見てた祖父が2000円くれて「12Vのモーターを買ってきなさい。」と言われたことです。 祖父は戦時中は自動車の整備兵でトヨタにも勤めてました。
小学校の頃、校区内にプラモデル主体の模型店が2店、そして文房具店でもわずかながらプラモデルを扱ってました。 模型店の主人は学校の先生が多く模型は「教育」の一端を担ってたのでしょう。 戦後はもと軍人の方がメーカーや店舗をはじめたのも多いです。 「桜花が新幹線になった。」話に似てます。 また玩具店でも模型を扱ってました。 町内でも自分が住み着いてからは鉄道模型を扱ってたのは5店舗ありましたが、今はこの店舗のみになりました。
片づけをされてて覗いたら、パネルが残ってました。 これがこの店の最後の商売になったわけです。 ご主人は退職されましたが本物の鉄道会社に勤務されてました。