とら箱

後期高齢者で元気な父と暮らしてます。 自分も還暦を迎えました

2014JAM

2014-08-22 23:00:00 | 鉄道模型/未分類


存続するのかどうなるかと言われてますが今年も行きました。 しかしその動機が「情報収集」とはっきり決まってるので「モデラーズパフォーマンス」なる個人・団体の展示はまったく興味がなく、出展メーカーの新製品や現地販売が目的です。 自己満足の展示だけならその必要がないことを感じました。、

「猿のなんとか」ではありませんが、毎年同じことをやり続けてる私学の団体や縁日の屋台のように模型のそばで座る仏頂面の個人展示を見てると、「飽きずによくやるなぁ」と思います。 こちらもそれが目的ではないので流してるだけですが、暑いのによく頑張るものです。

 画像はこの頃興味をもちはじめた新幹線、カツミの展示で0系の塗りかえです。 「ドクターイエロー」の製品化予定だそうです。 「はやぶさ」に乗ってから「新幹線の模型」が欲しくなってきました。 今年で50年、新幹線は色んなことを運んできました、初めての上京は父は「富士」、母は「名士列車」、新婚旅行は151系「こだま」、自分と弟は新幹線でした。 戦闘機の技術から生まれた新幹線「0系」はその生まれを主張してるのでしょうか。 そして新幹線は家庭電化製品の魁でした。 

https://www.youtube.com/watch?v=NEDl7ZTi0Jc の3分17秒で加山雄三が「こういう形のものをクーラーという人がいますが、でもこれ、とっても暖かいのです。 -----これからは暖房もエアコンでする時代です。---」とあります。 0系の屋根はヒートポンプ式の「エアコン」です。 その理由は密閉式の構造なので従来のクーラーなら暖房を別に搭載しなければならない、しかし高速化の為軽くしなければならず、夏には使わない暖房を搭載するので、その分の重量が高速走行の負担になる、だから「エアコン」になりました。 在来線の車両で暖房を搭載すると5t以上の重量が増します。 恥ずかしながら我が家は今年になって引越し、初めてエアコンを購入しましたが、我が家の家電製品は新幹線より50年遅れてるということでしょう。

 まだまだ新幹線0系にはたくさんの「家電製品」があります。 インバーター式の室内灯、電気冷蔵庫、50年間人だけでなく生活を運び続けてたのではないでしょうか。 子供の頃から憧れだった新幹線、安易な話ですが子供の頃「国鉄に入って東京-新大阪を1時間35分で走る新幹線をつくる。」と言ってたのを思い出しました。 当時、東京-新大阪は3時間10分で走ってました。 東京から鹿児島まで9時間を切り、列車名は超特急が「霧島」特急が「薩摩」と考えてました。

 そんなことを思い出させたJAM、「はやぶさ」の思い出と共に元気を与えてくれました。
コメント
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