とら箱

後期高齢者で元気な父と暮らしてます。 自分も還暦を迎えました

八甲田丸と29年ぶりの再会ともうひとつの再会。

2014-08-04 23:00:00 | 日記
「国鉄時代」の昭和60年、「青春18きっぷ」で北海道に行きました。 上野から常磐線の始発に乗り、常磐線から東北本線を乗り継いで「ともかく札幌に行く」旅でした。 一日乗りとおして青森に着いたときは夜も深まり夜行便の八甲田丸に乗船しました。 青森駅の待合室で連絡船名簿に記入し乗船を待ちました。 待合室ではニュースを放送してましたが、その内容が「日航機墜落」。 知ったのは函館を過ぎたときでした。



 八甲田丸と再会です、施設の一部が残されています。 夜行便で函館で接続する鈍行がないので八甲田丸の切符売場で自由席特急券を購入しました。



 青函連絡船の戦災の碑を先に見ます。





「羊蹄丸と同じ展示?」がありました。 入場料を払ってから係りの方に「羊蹄丸と同じ展示ですか?」と聞きます。 そうしたら「羊蹄丸の解体のときに展示の一部を八甲田丸に移しました。」とのことでした。 羊蹄丸の解体のときに処分されたと思っていましたが、再び連絡船で展示されうれしく思いました。 1/1の模型ですからこれからも大切に保存して欲しいものです。





 青森の市場が東京から青森に帰ってきました。





 青森駅の待合室、事務所もあります。 船の科学館の羊蹄丸が処分されたのは残念でした。 それは羊蹄丸が「船」であって「鉄道」なので船の科学館ではお荷物だったのかもしれません。 船舶振興にはならなかったので維持されなかったのでしょう。 しかし最後の最後まで展示され必要な資料は搬出された羊蹄丸は国内で解体されて姿を消したのでこれでよかったのです。 29年前、帰りに乗った大雪丸は中国のどこかで座礁したままと聞きます。



 船首から見た八甲田丸です。 保存車両を見学します。





 目的のキハ82です。



 DD16です、見難いですが船の科学館からの人形が運転室にいます。





 桟橋の控車。ヒ600です。 検査は郡山の担当でした。 遠路はるばる回送したのでしょうか。



 まだまだ忙しい時期なので、八甲田丸の見学を含め青森には3時間弱の滞在でした。 「はやぶさ」320キロの速度は贅沢な座席と共に現実に戻ります・ しかし一番贅沢なのは「あけぼの」の15時間と大館の駅弁でした。 自宅に着いたときは翌日の「あけぼの」はまだ上野を出てませんでした。
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