足がつきました。 日曜日仕事なので選挙いかないと。
飛行機の補助動力は電源供給が目的です。 それがだめになればラム・エア・タービンという風力発電装置がありますが、写真でしか見たことがありませんが、実際に動作すれば大変なことです。
レガートシートがあったころの「なは」のカニ24です。 そのままだと足がありませんが、完成しても幽霊です。
柳川の実家は鰻が名物ですが川魚が苦手です。 40年前に綾部駅で鮎寿司なるものを見たことがあります。 本厚木駅の近くで「相模川遊漁券発売」なる札を見たことがありますが、鮎釣りのことでした。
長浜鉄道スクエアに展示されていた活魚車の模型ですが、梅田(貨)駅や米原駅に常備され多摩川や相模川に稚魚が放流されてました。 琵琶湖の鮎の稚魚を輸送する為の車輛です。
地域の貨車の展示で見入ってしまいました。 明日は模型ショー。
ヨ9000は九州で運用されてました。 こちらは実際に運用されなかったレム5000が上回りで下回りがヨ9000と同じ1軸台車をはいた100キロ仕様の車輛です。 しかし実際は結果が芳しくなく65キロ制限でした。 ヨ9000は運用されましたがレム9000は運用されずに廃車になったようです。 モアのヨ9000があるので一緒にはしらせたいと思います。
仕事をしてる頃は「テレビを見る時間があるなら寝る。」生活でしたが、一線を退いてからは気持ちが楽になってます。 今のデジタルテレビはUHF帯域でFM-VHF帯域は使われてませんが、自宅に初めてカラーテレビが来た時の話です。
その頃、甲子園に住んでおり父の会社と取引がありアンテナもフルセットで設置しました。 「サンテレビ」が放送を始めた頃でしたが、UHF帯域が地方放送として割り当てられてました。「Uチャンネル」と呼んでいてその頃はサンテレビしかありませんでしたが、山陽電鉄提供のの天気予報で名古屋や東京の天気予報までありました。 姫路周辺のスポンサーが多く廃業しましたが「つばめや」も模型店ではテレビコマーシャルをしてました、「俺の部屋はコックピット」とコピーがありましたが語源をしってるのかいな。 西ノ宮にも店がありスハフ12を求めました。
先日、用事があり下北沢に行きましたが東京MXで「ありがとう」が再放送されてます。 またテレビ埼玉では「パパと呼ばないで」も放送されてます。 いずれも昭和40年代の東京で「ありがとう」は東北沢、「パパと呼ばないで」は佃がロケ地になってます。 「ありがとう」のスタジオのセットを見てると昭和40年代の雰囲気で今の模型のような風景です。
下北沢も様変わりし、小田急が地下に行ったのはともかく変わってしまいましたが、住宅街に入ると古い家に懐かしさを感じます。 東京に遊びに行ったときおじいさん(叔父のお父さん、叔母は母の妹)がいていろんな話をしました。 その家も既になく、時が流れるとともに街の成長を感じました。
委託で求めたオハネフ25-100です。 最後に乗ったブルートレインが「あけぼの」で10年前、昔になりました。 25形は「銀河」や「あさかぜ」で乗りました。 今は思い出ですが模型では現役です。 台車の塗装や車輪と連結器を交換します。
3月で引退しましたが、季節家電は今は書き入れ時です。 オーディオが仕事の時は夏が旅行できたので、久しぶりに夏の旅でもと思いながらも、父のことで出かけるのも難しいとこです。
オハ12345のクーラーがAU-13ENなのでそのまま交換しようと思います。
今日は米国独立記念日です。 しかし沖縄では事件が起き米兵が逮捕されました。 戦争は終わることがないのでしょう。
今年は猛暑のようです。 父の部屋のエアコンは先年買い換えましたが、自分の部屋のエアコンはそのまま動いてます。 これまでの仕事が空調でしたので家庭用のほかに趣味面でも気になってることです。 特に軽量客車の寝台車については冷房化で形式が変更されてることから、興味を持ちました。
2020年に阪神の赤胴車が全廃され、今年の2月に関西に行ったときに青胴車もほとんど運用がなく尼崎に押し込められてたことから、古い冷媒を使ってるMAU-13(阪神形式)も終わりなら、AU-13を使ってる宮原の12系も運用終了が近いし今年の夏は越さない、と思ってたらその通りになりました。
AU-13のオリジナルです。 熱交換器側が鎧戸のようになってます。
屋外展示で「スチーム号」のオハ12345ですが、AU-13ENが使われてます。 熱交換器側が網です。 おそらく電車の部品をそのまま使ったと思われます。