スマートホンにしてから色んなことを知らせてくれるようになりましたが、「小田急線相模大野脱線事故で運転見合わせ。」とメッセージが来たのはびっくり。
相模大野は小田急の心臓部、現業機関の中枢でここが麻痺すると小田急線全線にダメージを受ける、案の定全線運転見合わせで23時復旧のこと。 それならば本厚木で冷酒と鮪の刺身と烏賊でも焼いて呑んだらそのうち動き出すだろうと思ってました。 画像がリアルタイムで配信されてるのを見れば、両渡りの線路で車両の通過の途中で切り替わったか、それともフランジが乗り上げたか。 JAMの常連で開場時間に間に合わず。試運転すれば脱線日常茶飯事の某倶楽部のレイアウトを思い出しました。 これなら23時に復旧は無理、小田急もいい加減だなあと思い七夕が近づく平塚駅へ向かいました。
平塚駅、関西に住んでたころは「憧れの湘南電車の駅」です。 平塚駅に向かうときは気持ちが高ぶりますが、憧れの「湘南電車」の157系は40年近く前に姿を消し、国鉄の面影は貨物線を走るEF66ぐらいになりました。 ともかく長丁場になることを確保してますので、駅前で立ち食いそばで食事、構内で営業してた香魚軒は2009年の秋には撤退してました。
七夕は見に行くつもりでしたが、久しぶりに平塚駅を見たかったので渡りに船かもしれません。 しかし遊ぶわけにもいかず上りホームで貨物線の観察を少しして湘南電車に乗り込みました。 平塚駅はこの駅始発の列車もある上に増結・解結の作業もあるので相模貨物駅に分離し貨物線は通過のみになりましたが複雑な配線です。 そう思いながらも上りホームから湘南電車に乗込ます。
まもなく茅ヶ崎に停車、そして辻堂、その次は藤沢ですが30年前「山陰」のオハネフ12を撮影してたころは「青春18切符」で大垣行きに乗り東京から出発してたので藤沢を出て辻堂に着けば「次に小田急の電車を見れば首都圏脱出」と思ったものでした。 小田原ではアイボリーにロイヤルブルーの車体の電車がパンタグラフを下ろしてました。 そして藤沢、ホームは明るかったのですが横付けされていた車両はパンタグラフを降ろしてました。 大船・戸塚と都合よく横須賀線に乗り換えできれば武蔵小杉で南武線に乗り換えればいいのですが、都合よく横須賀線が来ず横浜で東横線に乗り換えることにしました。 振り替え輸送の影響で東横線・南武線共に混雑してました。
やっと到着、最寄り駅までは駅間600mなので歩くことにしました。 23時少し前に帰宅、「明日の始発から通常運転」に変更されてました。 そして徹夜で復旧作業の中継を見て、途中で地震があったりしましたが、「6時30分から通常運転」から「特急と地下鉄乗り入れはなし」になってました。 2時間近く遅れて帰宅、明日は通院ですがかなり疲れました。
相模大野は小田急の心臓部、現業機関の中枢でここが麻痺すると小田急線全線にダメージを受ける、案の定全線運転見合わせで23時復旧のこと。 それならば本厚木で冷酒と鮪の刺身と烏賊でも焼いて呑んだらそのうち動き出すだろうと思ってました。 画像がリアルタイムで配信されてるのを見れば、両渡りの線路で車両の通過の途中で切り替わったか、それともフランジが乗り上げたか。 JAMの常連で開場時間に間に合わず。試運転すれば脱線日常茶飯事の某倶楽部のレイアウトを思い出しました。 これなら23時に復旧は無理、小田急もいい加減だなあと思い七夕が近づく平塚駅へ向かいました。
平塚駅、関西に住んでたころは「憧れの湘南電車の駅」です。 平塚駅に向かうときは気持ちが高ぶりますが、憧れの「湘南電車」の157系は40年近く前に姿を消し、国鉄の面影は貨物線を走るEF66ぐらいになりました。 ともかく長丁場になることを確保してますので、駅前で立ち食いそばで食事、構内で営業してた香魚軒は2009年の秋には撤退してました。
七夕は見に行くつもりでしたが、久しぶりに平塚駅を見たかったので渡りに船かもしれません。 しかし遊ぶわけにもいかず上りホームで貨物線の観察を少しして湘南電車に乗り込みました。 平塚駅はこの駅始発の列車もある上に増結・解結の作業もあるので相模貨物駅に分離し貨物線は通過のみになりましたが複雑な配線です。 そう思いながらも上りホームから湘南電車に乗込ます。
まもなく茅ヶ崎に停車、そして辻堂、その次は藤沢ですが30年前「山陰」のオハネフ12を撮影してたころは「青春18切符」で大垣行きに乗り東京から出発してたので藤沢を出て辻堂に着けば「次に小田急の電車を見れば首都圏脱出」と思ったものでした。 小田原ではアイボリーにロイヤルブルーの車体の電車がパンタグラフを下ろしてました。 そして藤沢、ホームは明るかったのですが横付けされていた車両はパンタグラフを降ろしてました。 大船・戸塚と都合よく横須賀線に乗り換えできれば武蔵小杉で南武線に乗り換えればいいのですが、都合よく横須賀線が来ず横浜で東横線に乗り換えることにしました。 振り替え輸送の影響で東横線・南武線共に混雑してました。
やっと到着、最寄り駅までは駅間600mなので歩くことにしました。 23時少し前に帰宅、「明日の始発から通常運転」に変更されてました。 そして徹夜で復旧作業の中継を見て、途中で地震があったりしましたが、「6時30分から通常運転」から「特急と地下鉄乗り入れはなし」になってました。 2時間近く遅れて帰宅、明日は通院ですがかなり疲れました。
2月の横浜フェスタのカツミのブースで撮影しました。 サロ153-900だけと思えば「東海道・山陽緩行線のサロ111-900も作ります。」と聞いたので即予約、4月に連絡をもらい引き取ってきました。
トレーラーながらかなりの値段でしたが、増税前の特需の忙しさと引越しの疲れの解消になりました。 手持ちの113系の非冷房湘南色と編成します。
昭和49年に16番を始めました。 そのころ甲子園に住んでおりよく見ましたがほとんど空席だったと思います。 「裕福」なおじさんや身なりのいいお子様を連れた親子連れが乗ってました。 父親に「グリーン車に乗せてくれ」と言ったら「あほか」の一言、そのころはまだまだ特権階級の乗り物だったのです。 そんな父が16番開業のときは一番協力してくれました。
戦前の「1等車」や戦後の「グリーン車」の存在が「役所の幹部」用と知ったのはそのずっと後のことでした。 「きたぐに」のオロネ10やサロネ581、新幹線開通前の博多「あさかぜ」のナロ10がその用途でした。 父の影響か自分が「あかつき」や「なは」に乗ったときもすべて座席車でした。 北九州-関西の寝台は贅沢に思ってたのでしょう。 父の学生時代、京都の大学で九州に帰省するときはいつも座席車でした。 当時はそれが普通だったのですが、その上に節約することを考えたようです。
「あけぼの」夏の運転が発表されました。 「今度こそは乗ろう」と思いながらお盆や世間の休みを避けて週休をうまく組み合わせて乗りたいと思います。 先日見た「あけぼの」を見て刺激され購入した一番古いカツミのオハネフ24です。 高校時代にマッハ模型で中古で買ったのもあり、和歌山→京都→川崎と転属しましたが20代の中頃に理由あって手離した思い出があります。 そんなこともあり購入しましたが、確か1993年製造のオハネフ24もあるので編成が組めそうです。
「あけぼの」の乗車ですが、仕事が提示に上がれればそのまま上野に行き、翌朝は青森着。 八甲田丸を見て「はまなす」で札幌と夜行連発、札幌からは「北斗星」と、できればオハネフ24-500にも乗りたいと思います。