日暮(ひぐらし) 吉延氏の著書。
日暮氏は1962年生まれ、立教大学法学部法律学科卒業後同大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程満期退学をされ、政治学博士(学習院大学)であり現在鹿児島大学法文学部教授であられる。専攻は日本政治外交史・国際関係論。
先日、渡部昇一氏のパル判決書に的を絞つた東京裁判に関する著書を読み、感想を投稿した。
日暮氏の著書は氏があとがきで「本書は、できるだけ冷静かつ客観的に『東京裁判の政治史』をとらえようと試みた。(中略)たいていの東京裁判論に見られる『悲憤慷慨』や『道徳的判断』をなるべく排除するよう努め、また『事実』の『忠実』な叙述になるべく専念するよう努めた。少なくとも努めたつもりである」(P392)書かれてゐるやうに、客観的な記述となつてゐる。
正直、先に読んだ渡部氏の著書は渡部氏自身が「東京裁判史観を知る必要はなくパル史観を知るべきだ」と断言してゐるだけあつて、少々「偏つた」観があつた。 特に、東京裁判に無知なまま読むといたづらに米英ソ連に悪感情を抱くことは否めない。
だが、日暮氏の著書は連合軍が東京裁判の枠組みを立てた過程と背景、連合軍の視点と対応、日本の対応、判事を出した国々の背景と事情、判決書(連合軍とパル)、戦犯釈放までを順を追つていく。
第一次世界大戦の戦後の「ヴェルサイユ条約の失敗」を教訓として東京裁判を行なひ日本に戦争責任を負はせ日本の戦争が犯罪だつたと認識をさせて再教育を施せば、日本は戦勝国として協調しうる平和的国家に変はるだらう(P37-38)、の思惑の下行なはれたやうであるが、
なら、第二次世界大戦後、戦争は起きなかつたのであらうか?
確かに日本は戦争を起こしてゐない。しかし、連合軍として東京裁判に検事を出した国々は戦争を起こすか他国の領土に侵犯してゐるではないか。 (これは渡部氏の著書にも指摘があつたが、東京裁判を起こした枠組みの背景を考へると、しみぢみ白豚ご都合主義といふものを実感するし、嘘つき民族の被害者を気取つた自分等の行為の棚上げに対しても日本は過去のことをあれこれ言はれる筋合いは無い、とはつきり言ふべきであると思ふ)
証拠採用その他、裁判の進行が「連合軍寄り」で進められた等は本書には詳細は無い。それよりも、もつと全体の流れがとつとつと書かれていく。なので、東京裁判に関してある程度知つてゐて詳細を知りたい人は本書ではない別の本がよいかと思ふが、東京裁判に関して知識が無い人は本書を読んで知識を得た上で詳細を語る本を読むのがよひと思ふ。
本書を読み感ぢるのは
- 日本政府の人々は各省の利益を踏まへながらも、天皇に「裁き」が及ばない(天皇責任論が連合軍から出ないやうにする)ことを大前提に考へた
- 天皇の地位は連合軍がヘタに手出しをできないと考へる位置づけであつた。(現在の「象徴」の位置よりもはるかに天皇が強大な影響を放つてゐたことがわかる)
- アメリカはこの時から「世界の警察」「世界のリーダー」でなくては気が済まない
- アメリカだけでなく、自己主張の強いアングロサクソンの各国の参加およびその他白人の参加により、判事内でゴタゴタ(日本人のやうに「譲り合ふ」などといふことは絶対に世界では無いとよくわかる)
- ソ連(ロシア)はいつでも図々しい
- 人間は自衛のために「嘘」を吐く (人を陥れても自分は生きたい) ←この嘘のうち、満州国の溥儀の吐いた嘘が教科書の記述になつてゐると思はれる
- 戦犯A,BC級とならぶとA級が一番重い印象をうけるがアメリカ人からすればA級は「平和に対する罪」であり「古い出来事である故、忘れ勝ち」なのにたいしてBC級の残虐行為は「極悪の非文明的な犯行」だから「宥恕することは中々困難」(第14回外交記録、P350) といふ区分けの意識の違い
- BC級戦犯に台湾人・朝鮮人がゐた(同民族同士で殺しあつたといふことであれば、黄 文雄氏の著書の朝鮮人の歴史上の行為の記述と一致、現在の状況と変はらない)
と印象に残つたが、国際上の歴史は各国の思惑が渦巻き、それに翻弄される日本国と「戦犯」とされた人のやうすが見へる。戦後10年以上、「神武景気」から高度経済成長とされた時代にやうやく全員刑期満了となつた。
国際情勢と各国の動きは現在も同様であり、国内情勢であたふたしてゐるやうではとても太刀打ちできないであらう。
「東京裁判」の検事、判事はある意味世界中に散らばつた民族が集まつてをり、それらが国となるとだのやうな主張を各自行なふか、行動するかの一つの目安であるやうに思ふ。民族研究には各国の対応を見ていくと外交によひのではないかと思はれる。
今は好き勝手なことをホザける、幸せな時代なのだ。。。。 この人たちがゐてくれてこそ、なのだ。。。。
さう思つたら、靖国神社へ行かふと思つた。 基本的に人間を神社に祀るのは賛成ではないのだが、今からは想像もつかない犠牲の下に自分がゐるのだと思ふとお礼を言ひたい。
「靖国神社に行かない政治家」はこの時代の犠牲の上に自分がゐる、といふことを理解してないのだなと思つた。政治家は年齢のいつてゐる人が多いが、今の自分を居させてくれた人たちのことを考へたら、諸外国の反応(はつきり言へば内政干渉)はだうでもいひはづである。
嘘つき民族には一言、「先祖への感謝はキミらは無いのか。日本人は昔から先祖代々感謝する民族なのだ、口出しするな」と言へばいひだけの話だ。(日本人ぢや、ないんだな)