読書おぶろぐ

読んだ本の感想を書いてます

東京裁判を正しく読む

2011年01月15日 15時52分33秒 | 政治関連・評論・歴史・外交

牛村 圭氏と日暮 吉延氏の対談形式の東京裁判に関する論評。

牛村氏は国際日本文化研究センター教授であり、東京大学大学院比較文学比較文化、シカゴ大学大学院歴史学の各博士課程修了されてゐる学術博士であり、「『文明の裁き』をこえて」で山本七平賞を受賞してをられます。

日暮氏は学習院大学より政治学博士を得てをり、「東京裁判」「東京裁判の国際関係」の著書を発表されてをられます。

東京裁判に関して長年国内外の史料を読み解き研究してきた方々の対談だけあつて、様々な政治学者や東京裁判判事、関係者の著書を引用しつつ世間に知られてゐる説やその矛盾の指摘など勉強になることが多い書だつたと思ひます。

毎回、政治や歴史に関する本を読んでマスゴミの影響の害悪を感ぢますが、ここでもありました。「『A級戦犯』とは」(P68-70)

そもそも「A級」の語源は何なのか?これについて牛村氏が「憲章の第五条の(イ)項に掲げられているからですね。英語の憲章、つまりチャーターには(イ)ではなく(a)として記載されています。この(a)項に該当するからClass A war criminal つまり日本語に訳して「A級戦争犯罪人」、略して「A級戦犯」です。」(P68)と述べられた後、「ところが今日重大な責任を負う者、あるいは罪万死に値する極悪人、の形容として「A級戦犯」の語が濫用されています。週刊誌の見出しなどその典型です。

(中略)これは、執筆者や編集者の歴史知識の貧弱さに問題があることよりも、「A級」の「級」に、「等級」を無意識のうちに読み取って、「A級」の、つまりとびっきりすごい第一級の戦争犯罪人だからさぞかし悪いやつ等だったのだらう、と思い込んでしまっているためだと思います。

(中略)このClassというのはgrade 「等級」ではなくcategory「分類」ですよね。Class A war criminal を「A級戦犯」というのではなく、「A類戦犯」とでも訳していたならば、21世紀になっても延々と続く「A級戦犯」の語の濫用は少なくとも起こらなかったでしょうね」(P68-69)

マスゴミは、「真実追求」とかなんとかホザキ他人にマイクの攻撃をするのならまづ、きちんと自分らが勉強をし正しい知識の上に報道の名の下の他人攻撃をすべきです。

ほんたうに、いつでもマスゴミには嫌気が差します。

それから驚いたのは、政治学者としていろいろな著作を発表している丸山眞男氏の見解にも、意図的に速記録の一部を削除して自身の論調を展開・発表していたこと(P204)もわかり、がつかりしました。なぜ、かのやうな「嘘」をわざわざ吐くのでせう? 自身の推測が誤つてゐたのなら自身のこれまでの考へを改めればいひだけの話です。元の情報を操作して自身の論理を発表する必要がどこにあるのか全くわかりません。軽蔑しました。

東京裁判に限らづ、歴史や政治といふ「各国の思惑」「政治家の立場が大きく左右される事柄」には時として嘘があります。なので、一つの事柄についても様々な書物を読み、自身で比較考察することが重要なのだ、と教へてくれた一冊です。


旅ボン イタリア編

2011年01月14日 19時57分21秒 | エッセイ

ボンボヤージュさんの、初海外旅行体験本。

ボンボヤージュさんの公式サイト ↓

http://www.bonsha.com/

富士山編、北海道編とあるけれど最初の旅ボンです。

可愛くなつた登場人物(編集者さん、通訳さん、ボンさん)たちとイタリアが楽しめる。

行つたことのあるイタリアの都市を懐かしく思ひだしながら読みました

ヴェネツィアの、絶品アルデンテの手長海老のパスタ、ローマのパニーニを思ひだしたな~

 

 


プラチナデータ

2011年01月14日 14時14分42秒 | 東野 圭吾

東野圭吾さんの作品。

東野氏の作品には、社会の風潮や出来事があちこちに散りばめられてゐるがこの作品も「政治不信」を引き起こしてゐる「腐敗」を背景に、殺人事件の犯人を追う警察の姿を上手く描いてゐると思ふ。

女性の絞殺体が発見される。殺害現場から発見された一本の毛髪から、「DNAプロファイリング」鑑定法により犯人に最も近い人物が報告される。

DNAプロファイリングとは、血液型や推定身長体重・体格、人相、体質とそれによる病気、容貌だけでなく、東京都**区在住の++子、この女性の三親等以内に犯人はゐる、といふ結果まで導き出すものであつた。

そのプロファイリングにより、犯人が逮捕されるのだが警察は犯人を絞り込んだ過程において「目撃情報を得た」といふことにする。なぜ、プロファイリングシステムといふ本当の理由を発表できないのか - 捜査一課の浅間は疑問を持つうちに国民にDNAを登録させ、遺留物を検索したときに、関係者が出てくるシステムの開発が進んでゐることを知る。

「DNA登録」とはプライバシーの侵害と考へる浅間に対し、プロファイリングシステムの神楽は既に法案が国会で通ることとなつてゐること等を告げる。その法案が成立しその後、政府は国民に「DNA登録」を呼びかけ始める。犯罪抑制に繋がるといふのが建前なのだが・・・・

しかし、その後起きた殺人事件ではシステムは「該当者なし」といふ"Not Found" を示す。NF13と呼ばれる犯人と、システムに登録データが不足してゐると考へて動いてゐるうち、システム開発に重要な人物らが殺害される。

年金問題等、「何があつても自分たちは安全に」を考慮しながら動く官僚、政治家らの姿勢をシニカルに描いて行く。それらに加へて、ファンタジツクな面もあり・・・

やはり東野さんは「人間」を描くのが上手いな・・・ さう思ふ作品であつた。


東京裁判

2011年01月11日 19時40分42秒 | 政治関連・評論・歴史・外交

日暮(ひぐらし) 吉延氏の著書。

日暮氏は1962年生まれ、立教大学法学部法律学科卒業後同大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程満期退学をされ、政治学博士(学習院大学)であり現在鹿児島大学法文学部教授であられる。専攻は日本政治外交史・国際関係論。

先日、渡部昇一氏のパル判決書に的を絞つた東京裁判に関する著書を読み、感想を投稿した。

日暮氏の著書は氏があとがきで「本書は、できるだけ冷静かつ客観的に『東京裁判の政治史』をとらえようと試みた。(中略)たいていの東京裁判論に見られる『悲憤慷慨』や『道徳的判断』をなるべく排除するよう努め、また『事実』の『忠実』な叙述になるべく専念するよう努めた。少なくとも努めたつもりである」(P392)書かれてゐるやうに、客観的な記述となつてゐる。

正直、先に読んだ渡部氏の著書は渡部氏自身が「東京裁判史観を知る必要はなくパル史観を知るべきだ」と断言してゐるだけあつて、少々「偏つた」観があつた。 特に、東京裁判に無知なまま読むといたづらに米英ソ連に悪感情を抱くことは否めない。

だが、日暮氏の著書は連合軍が東京裁判の枠組みを立てた過程と背景、連合軍の視点と対応、日本の対応、判事を出した国々の背景と事情、判決書(連合軍とパル)、戦犯釈放までを順を追つていく。

第一次世界大戦の戦後の「ヴェルサイユ条約の失敗」を教訓として東京裁判を行なひ日本に戦争責任を負はせ日本の戦争が犯罪だつたと認識をさせて再教育を施せば、日本は戦勝国として協調しうる平和的国家に変はるだらう(P37-38)、の思惑の下行なはれたやうであるが、

なら、第二次世界大戦後、戦争は起きなかつたのであらうか?

確かに日本は戦争を起こしてゐない。しかし、連合軍として東京裁判に検事を出した国々は戦争を起こすか他国の領土に侵犯してゐるではないか。 (これは渡部氏の著書にも指摘があつたが、東京裁判を起こした枠組みの背景を考へると、しみぢみ白豚ご都合主義といふものを実感するし、嘘つき民族の被害者を気取つた自分等の行為の棚上げに対しても日本は過去のことをあれこれ言はれる筋合いは無い、とはつきり言ふべきであると思ふ)

証拠採用その他、裁判の進行が「連合軍寄り」で進められた等は本書には詳細は無い。それよりも、もつと全体の流れがとつとつと書かれていく。なので、東京裁判に関してある程度知つてゐて詳細を知りたい人は本書ではない別の本がよいかと思ふが、東京裁判に関して知識が無い人は本書を読んで知識を得た上で詳細を語る本を読むのがよひと思ふ。

本書を読み感ぢるのは

  • 日本政府の人々は各省の利益を踏まへながらも、天皇に「裁き」が及ばない(天皇責任論が連合軍から出ないやうにする)ことを大前提に考へた
  • 天皇の地位は連合軍がヘタに手出しをできないと考へる位置づけであつた。(現在の「象徴」の位置よりもはるかに天皇が強大な影響を放つてゐたことがわかる)
  • アメリカはこの時から「世界の警察」「世界のリーダー」でなくては気が済まない
  • アメリカだけでなく、自己主張の強いアングロサクソンの各国の参加およびその他白人の参加により、判事内でゴタゴタ(日本人のやうに「譲り合ふ」などといふことは絶対に世界では無いとよくわかる)
  • ソ連(ロシア)はいつでも図々しい
  • 人間は自衛のために「嘘」を吐く (人を陥れても自分は生きたい) ←この嘘のうち、満州国の溥儀の吐いた嘘が教科書の記述になつてゐると思はれる
  • 戦犯A,BC級とならぶとA級が一番重い印象をうけるがアメリカ人からすればA級は「平和に対する罪」であり「古い出来事である故、忘れ勝ち」なのにたいしてBC級の残虐行為は「極悪の非文明的な犯行」だから「宥恕することは中々困難」(第14回外交記録、P350) といふ区分けの意識の違い
  • BC級戦犯に台湾人・朝鮮人がゐた(同民族同士で殺しあつたといふことであれば、黄 文雄氏の著書の朝鮮人の歴史上の行為の記述と一致、現在の状況と変はらない)

と印象に残つたが、国際上の歴史は各国の思惑が渦巻き、それに翻弄される日本国と「戦犯」とされた人のやうすが見へる。戦後10年以上、「神武景気」から高度経済成長とされた時代にやうやく全員刑期満了となつた。

国際情勢と各国の動きは現在も同様であり、国内情勢であたふたしてゐるやうではとても太刀打ちできないであらう。

「東京裁判」の検事、判事はある意味世界中に散らばつた民族が集まつてをり、それらが国となるとだのやうな主張を各自行なふか、行動するかの一つの目安であるやうに思ふ。民族研究には各国の対応を見ていくと外交によひのではないかと思はれる。

今は好き勝手なことをホザける、幸せな時代なのだ。。。。 この人たちがゐてくれてこそ、なのだ。。。。

さう思つたら、靖国神社へ行かふと思つた。 基本的に人間を神社に祀るのは賛成ではないのだが、今からは想像もつかない犠牲の下に自分がゐるのだと思ふとお礼を言ひたい。

「靖国神社に行かない政治家」はこの時代の犠牲の上に自分がゐる、といふことを理解してないのだなと思つた。政治家は年齢のいつてゐる人が多いが、今の自分を居させてくれた人たちのことを考へたら、諸外国の反応(はつきり言へば内政干渉)はだうでもいひはづである。

嘘つき民族には一言、「先祖への感謝はキミらは無いのか。日本人は昔から先祖代々感謝する民族なのだ、口出しするな」と言へばいひだけの話だ。(日本人ぢや、ないんだな)


「パル判決書」の真実  いまこそ東京裁判史観を断つ

2011年01月08日 21時41分24秒 | 政治関連・評論・歴史・外交

渡部 昇一氏の著書。

渡部氏は昭和5年、山形県生まれ。上智大学大学院修士課程修了。ドイツ、イギリスに留学後母校で教鞭を取られるかたわらアメリカ各地でも講義をされ、上智大学教授を経て上智大学名誉教授であられる。専門の英語学だけでなく、歴史、哲学、人生論など執筆ジャンルは幅広くDr.Phil(1958), Dr.phil.h.c.(1994), 第24回日本エッセイストクラブ賞、第一回正論大賞受賞されてゐる。

本書を読み始めた動機はこちら ↓ に書いたが、「歴史の嘘」を延々と中高時代に教へられてきたこと(現在も嘘を教へたり、平気で嘘談話を出してゐる自称政治家がゐるが)より「明治以降、一体どのやうなことがあつたのか、そして東京裁判とは何なのか」と考へて本を探したことによる。

http://liebekdinoschumi.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-6cc6.html

本書は、東京裁判にインド代表判事として参加したラダビノッド・パルの判決書を、歴史や法律の「非」専門家である日本人に向けて書いたものである、と認識する。

「パル判事の真実」の前書きには、「最近の私の結論では、普通の(研究などの専門職でない立場と言ふ意味と解釈してする)日本人には東京裁判について知る必要はなく、『パル判決書』のみ徹底的に知るべきである、ということである」(P1)と書いてある。

あまりに極端に思へるが、パル判事はひとり、被告全員無罪を主張した人なのである。

渡部氏はなぜ、「東京裁判(東京裁判史観)について知る必要がなく、「パル史観(パル判決書)」を知るべきだと主張するのか。

途中の章にも記述があるが、「終章 『東京裁判史観』から『パル史観』へ」(P223-233) に綺麗にまとめられてゐる。

本書は、パル判決書を東京裁判で「容疑」として挙げられた罪状についてパル判事が証拠を詳細に検証し見解を述べていくことを項目ごとにまとめてゐるものであるが、なぜパル史観なのかを知りたい人は最初に終章から読むのがよいかもしれない。

中でも驚いたのは教科書と矛盾がある!といふ部分が多々あつたことである。これは、教科書と読み比べるべき書であらう。(つまり、教科書が嘘を吐いてゐるといふことなのである)

終章には以下がまとめられてゐる。

  1. 東京裁判の検察、裁判官(判事)が中立国からの選出ではなく日本と戦つた国から選出され、公正な裁判と言ひがたい。
  2. 国際法に則つて行なはれた裁判ではない。(第一章に記述されてゐるが、マッカーサーのチャーター(極東国際軍事裁判所条例)が作られ、それに基づいて裁判が行なはれた。この条例作成には、主席検事が加ははつてをり告発する側が裁判の規定づくりに関与してゐる)
  3. 2に記載のとおり、東京裁判は法律的に無効であることにパル判事は気付いた
  4. パル判事は、国際法の立場から被告の容疑を検証し判決書を書いた
  5. GHQにより発令された昭和21年の公職追放令により学界、ジャーナリズムを始めとした各界で公職追放された人に代はり、共産党に入党したり左翼活動で日本から逃げ出した人、追われた人が占めるやうになつた。政界や経済界では追放された人たちが復帰したが、学界とジャーナリズムの分野では左翼思想の人間が居続けた。それゆえ、「反日的」な「東京裁判史観」が広まり社会に普及して行つた。
  6. 5により、誤まつた事が「歴史的事実」として広まつてゐる現在、事実に忠実であるパル史観を学ぶことが必要である。

本書を順を追つて読んでいけばわかるやうに、「東京裁判史観(判決)」といふのは言つてみれば白人が白人と同ぢことをしやうとしたおよび白人の植民地であつたインドシナやマレーを奪つたアジア人(日本人)に仕返しをしただけの話なのである。

その仕返しをするためにも、国際法に則つて検証していつたのでは有罪に出来ないので、自分たちの都合のいひやうに条例を作り、自分たちに不利な証拠は却下し、有利な証拠を作らせ採用し・・・ととどのつまりは「日本有罪」と持つていくための茶番劇だつたのである。

その白豚の考へをイギリスの植民地のインドの人であつたパルは見抜いたのであらう、一つ一つを詳細に検証し「なぜ白人が今までやつてゐたことを日本がしてはいけない(有罪になる)のか」としていくのである。

なので、本書はパルの視点により白豚が「有罪」とした部分で「国際法上無罪」である根拠や白豚検事らの主張の矛盾点を突き、そこに渡部氏が条約に関する補足等を記述していくといふ、法律用語で難解な部分はあるが東京裁判として行なはれたことが如何なる事だつたのかよくわかるやうになつてゐる。

印象的だつたのは、溥儀の家庭教師を務めたジョンストンといふ人が溥儀と一緒に命からがら日本の公使館に逃げた。やがて日本の助けを得て父祖の地である満州の地に戻つたことが体験記である「紫禁城の黄昏」に書いてあるさうだ。(P93) しかしジョンストンや駐日英大使クレーギー、駐日米大使グルーなどの「日本に有利」な証言はことごとく却下された。

この「紫禁城の黄昏」を読んでみる必要があるが、教科書では操り人形の溥儀を椅子に座らせ、操る手が日本とされた当時の新聞の挿絵が載り「溥儀を皇帝として即位させ、満州国を傀儡政権とした」と書いてあつた。

傀儡政権の操り人形皇帝なのか、助けを得て父祖の地に戻つて自身の意思を発揮したのかどちらなのだらうか?

そして、さらに驚いたのが東條英機に関してである。この人は、あたくしが受けてきた授業によりますと、陸軍大臣で戦争をひたすら進言し邪魔であつた当時の内閣を倒閣させて自分が総理大臣となつて日本を戦争に導き、被害を出し続けてもひたすら戦争を主張し原爆投下を引き起こしたといふやうな、極悪人でありA級戦犯で死刑になつたといふ筋書きであつた。

パル判決書によれば「東條は米内内閣の倒壊と全然関係が無い。検察側は東條の行動あるいは態度が1940年7月の同内閣倒壊の原因であつたことを示すどんな証拠をも提出できなかった。東條はそのときまで航空総監の職にあり、政治には全然関係、関心ももつことなく、日本の航空兵員の訓練に専念していた」(P164)

・・・・・・

ここまで来ると、がッくりするよな・・・ 何がッて、平気で嘘を教へてきた(今も教へてる)教員らの恥知らづさにです。

しかも、中学高校以上の授業となれば、教員は全員、専門授業である。小学校のやうに一人の担任がすべて教へるのではない。専門教員ならば、自分できちんと勉強をする時間も必要もあるではないか。それを怠つて、ばかの一つ覚へのやうに「軍部が悪い、軍が政治に口を出すと戦争になる、日の丸君が代は軍国主義の再来だ」とやつてゐるとは愚かしい。

本書はところどころ法律用語が難解ではありますが、全員読むべき書でありませう。特に、子供のゐる人々は子供のためにも読むべきです。