廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

自我を語り出した音楽家たち

2019年03月27日 | Jazz LP (70年代)

Abdullah Ibrahim Dollar Brand / Autobiography  ( スイス Plainisphare PL 1267-6/7 )


1978年のニヨン・ジャズ・フェスティバルでのライヴ演奏を収めたもので、1983年に2枚組としてリリースされている。 「自叙伝」というタイトル通り、
自己のルーツであるアフリカ音楽をベースにしたソロ・ピアノで、敬愛するエリントンやモンクを途中で挟みながら、祈りや讃美歌へと回帰していく。
こう書くと何やら重苦しい感じだけど、音楽自体は非常にメロディアスでなめらかに演奏されていて、すごく聴き易い。 難解さはまったくなくて、
そもそもが真面目に取り組まれているから、初めて聴いた時はその真摯さに感銘を受ける。 そして、キースのソロ・ピアノとの類似に気が付く。
メロディアスなところなど、共通点も多い。 そこに思い至ると親近感も湧き、案外愛聴盤として手許に置く人も出てくるのではないだろうか。
見かけは取っ付きにくいけど、とてもいい内容のアルバムだと思う。

と、ここで話が終わればハッピーなんだけど、何度も聴いていくうちに、こういう風にジャズの演奏家が音楽を超えて自我を語り出すようになったのは
いつ頃からだろう、という疑問が出始める。 何となくこの手の饒舌なソロ・ピアノと言うのはキースの専売特許のようなイメージがあるけれど、
調べてみると、"Bremen / Rausanne" も "African Piano" も73年に演奏されている。 どうやらこの頃からジャズの演奏家は音楽そっちのけで、
自我を語り出すようになったようだ。 そして、聴衆もそっぽを向くどころか、熱烈に歓迎し始める。 73年と言えば、マイルスの下を去ったハービーが
"Head Hunters" を出して大ヒットさせた年で、マイルスは自信作だった "On The Corner" が思うように売れず、最初の引退の一歩手前の状態だった。

彼らはなぜこの時期に急に自我を語り始めるようになったのだろう。 個人的な音楽を大手を振って始めた元祖はコルトレーンで、それが下地になって
いたのは間違いないけれど、彼が亡くなってかなり時間を置いたこの時期になぜ?というのがどうもよくわからない。

自我を饒舌に語ることの危うさには常に気を配り、警戒を怠らないようにすることだ。 これは表現者にとっては甘美で危険な罠である。 演奏家が
これに手を染めた場合、聴き手はどこまでの距離感で向き合えばいいのかに迷う。 ダラー・ブランドを聴いていて感じるある種の居心地の悪さは、
この迷いが原因だ。 彼のピアノには彼自身の音があり、強い感銘を受ける。 彼の紡ぐ旋律はメロディアスで郷愁的で、そういう面にも感激する。
でも、他の演奏家の音楽には感じないその戸惑いが、私の中で感動が拡がっていくのを阻害しているような気がする。

不思議なことにダラー・ブランドの音楽は外形的にはキースの音楽に似ているが、実際にダラー・ブランドを聴いていて思い出すのはキースではなく、
セシル・テイラーなのである。 ダラーの音楽はキースには繋がっていない。 寧ろ彼はテイラーの息子なのである。

キースは最終的に "スタンダーズ・トリオ" という形で音楽家としての落とし前をつけることができたけど、ダラー・ブランドはどうだったのだろう。
最後まで "アフリカの声" から逃れることは出来なかったのだろうか。


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