廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

ベニー・ゴルソン in ブルーノート東京 2019.6.29

2019年06月30日 | ライヴ鑑賞
ベニー・ゴルソンのブルーノート東京公演を観てきた。 6月29日(土)の1stセットで、17:00開演で1時間20分ほどの公演だった。 本当は金曜の夜の
公演に行くつもりだったが、老眼のせいでスマホ操作を誤ってしまったのだ。 金曜の夜には渡辺貞夫が観に来ていたようなので、惜しいことをした。

  

セットリストはこんな感じ。 それまでの公演よりも1曲少ないのは最終日でお疲れだったせいかもしれない。

1. Horizon Ahead                      ■メンバー
2. Whisper Not                          ベニー・ゴルソン(ts)
3. Tiny Capers                          マイク・ルドーン(p)
4. I Remember Clifford                        バスター・ウイリアムス(b)
5. Alone Together (ピアノ・トリオによる演奏)           カール・アレン(ds)
6. Now's The Time (クロージング・テーマ)

今回はいい席が取れて、ステージど真ん中の正面に正対するシートだった。



17:00ピッタリに照明が落ちて、メンバーたちが客席の間を縫って登場。 こんな時間通りに始まるなんて、外タレの大物では珍しい。
黄金に輝くテナーを持ったゴルソンがスタッフに囲まれてゆっくりゆっくり歩いていく。 大丈夫かと見ているこちらがハラハラしたが、
ステージに上がったその姿は90歳とは思えない、もっと若い感じに見える。 

この4人でHigh Noteレーベルに録音された近作のタイトル曲で始まり、「ディジー・ガレスピーのバンドで演奏していた頃、ボストンのクラブで
誰も人がいない時間にシートに座って30分ほどで書いた曲で、ディジーがすごく気に入ってくれてレコーディングもした」という紹介を経て
"Whisper Not" が静かに演奏された。 しみじみとした雰囲気に酔わされて、これは本当にいい曲だなと思った。

続いてクリフォード・ブラウンの想い出話に移り、「とにかく色んな才能が豊かで、奨学金で学校に通っていて、てっきり音楽の奨学金だろうと
思っていたら、何と数学の奨学金だったんだ、数学だよ?信じられない!」と言ってみんなを笑わして、そのブラウニーが作った曲です、という
紹介から "Tiny Capers" が演奏された。

そして、ブラウニーが死んだ夜の話へ。 ある日の深夜、演奏が終わった3:00am頃、ブラウニーは新婚だった友人リッチー・パウエルとその奥さんが
どうしても家に帰りたいというので、みんな疲れていたけれど車で帰ることにした、運転は若い新婦がしたが、その夜はフロントガラスから前方が
見えないくらい酷い土砂降りで、交差点を右折しなければいけなかったのに前がよく見えなくて道を直進してしまった、そしたら真横から車が・・・、
という話だった。 そして、"I Remember Clifford" が始まる。 ゴルソンの長めの無伴奏ソロから静かに3人が演奏に加わり、マイク・ロドーンの
抒情的なソロ・ピアノを挟んで、最後のゴルソンの無伴奏カデンツァで曲が終わる。 場内は途中のソロ終わりで拍手するのをためらってしまうほど
切なく物悲しい雰囲気に包まれた。

次の "Alone Together" はピアノトリオによるアップテンポのハードな演奏。 「クラシックの演奏家は何百回演奏しても毎回同じ音で演奏する、
でも我々ジャズミュージシャンは毎回違う演奏をするんだ」とまるで若い演奏家に向かって何かを諭すように話をする。

そして、クロージング・テーマである "Now's The Time" を演奏しながら、メンバー紹介をしてライヴは終了した。 「みなさんは本当に素晴らしい
観客です、このままマンハッタンへ連れて帰りたい」という挨拶の後、ゆっくりとステージを降りて、数人のスタッフが彼を気遣いながら周りを
囲み、4人は観客たちと握手をしながら楽屋へと戻って行った。


ゴルソンのテナーは見事なまでに枯れていて、早いパッセージなどは吹くこともないけれど、それはどこから聴いてもあのゴルソンの音色だった。
無伴奏のカデンツァではサブトーンと言えば聞こえはいいけど、音はかすれて吹くのもしんどそうだった。 それでも、それは紛れもなくベニー・
ゴルソンのテナー・サックスの音だった。

ピアノのルドーンもリズムによく乗る演奏で、バラードでは情感豊かな表情も素晴らしい。 カール・アレンは体重200キロ近くはあるんじゃないの?
というような巨漢で、そのリズムの安定感はハンパない。 そして、何と言ってもバスター・ウィリアムズのベースの素晴らしさ。 鉄壁のタイム感、
創造性豊かで歌心満点のソロは完璧で、久し振りにベースの演奏で感激させられた。

ゴルソンは自身の演奏以外ではずっと椅子に座っていたし、動作もゆっくりと緩慢で、そろそろ見納めなのかなと思った。 声や話し方は普通に元気で
闊達だったし、表情も生き生きとして明るかったけど、この先身体がどこまでついていくかはわからない感じがした。

でも、何とも言いようがないくらい、素晴らしいステージだった。 また来年も来てくれるなら、必ず行こうと思っている。


公演が終わって外に出るとまだ明るかったので、表参道から帰る途中下北沢で下車して、レコードをごそごそと漁って帰って来た。
何と楽しい土曜日だったことか。 毎週こうだといいのになと思うけど、なかなかそうもいかない。





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ベニー・ゴルソンの予習 ~その3~

2019年06月29日 | Jazz LP (Prestige)

Benny Golson / Gone With Golson  ( 米 New Jazz NJLP 8235 )


冒頭の "Staccato Swing" が素晴らしい名曲で、3部作の中では1番人気がある。 作曲したのがゴルソンではなく、レイ・ブライアントだというのが
意外な感じがする。 Aメロのフレーズが如何にも管楽器奏者の発想っぽくて、ピアニストがこういうのを考えるのは珍しいと思う。

この曲のおかげで、このアルバムが一番音楽的に豊かな印象がある。 1つの名曲がアルバムの印象を決定付けるのはよくあることだが、これもその一例
だろう。 ただ、そのせいで他の演奏への関心が薄れてしまい、アルバム全体の美味さを味わうことを忘れてしまうという落とし穴にはまることもある。
このアルバムも演奏の白眉はB面冒頭の "Blues After Dark" であって、実際はここが重力の中心だと思う。

ベニー・ゴルソンがあれだけの名曲を産み出すことができたのは、この人のブルースへの深い共感がその下地になっているのだと思う。 彼のアルバムに
収録されたブルース形式の楽曲を聴いていると、そこから溢れ出て止まらない翳りのある薄暗いムードが他のアーティストたちのものとは異質であるのが
よくわかる。 彼がブルースから汲み取ってくる何かが澱のように彼の中に溜まっていき、やがてそれが発酵して例えば "Whisper Not" という曲の核が
出来上がる、というような感じだったのではないか。 そんなことを考えながら聴いていくと、このアルバムはもっと愉しめる。

バックを務めるのは、レイ・ブライアント、トミー・ブライアント、アル・ヘアウッド。 ベースとドラムが他の2作と比べるとやはり大人しい演奏なので、
このアルバムが一番演奏が柔らかくマイルド。 それが一番音楽的にわかりやすいという印象を作り上げている。 こうして注意深く聴き比べていくと、
グループのメンバー構成が音楽に与える影響の大きさという当たり前のことを改めて実感することができる。 そして、そういう違いをもすべて覆い包む
ようなゴルソン・ハーモニーの重層感が音楽を何と豊かなものにしていることか。 ありふれたハードバップセッションとは根本のところが違う。

最後に、このレコードの音質は3部作の中では音像のフォーカスがやや甘く、他の2作と比べるといささかモヤッとした感じがする。 ただ、その印象が
マスタリングのせいなのか、バックのトリオの演奏が弱めのせいなのかは判然としない。 音圧もごく微妙に落ちるような気がするけれど、それも
同様の理由ではっきりとはわからない。


今日の夜のブルーノート東京での公演はワンホーンなのでゴルソン・ハーモニーの妙なる響きを味わうことはできないけれど、彼がこれまで作り上げて
きた音楽の重みを感じることができるだろう。 愉しみである。


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ベニー・ゴルソンの予習 ~その2~

2019年06月23日 | Jazz LP (Prestige)

Benny Golson / Gettin' With It  ( 米 New Jazz NJLP 8248 )


ゴルソンのNew Jazz3部作の中では最も言及されることが少ないこのアルバムはトミー・フラナガン、ダグ・ワトキンス、アート・テイラーのトリオが
バックを務める。 カーティス・フラーとの2管編成でスタンダードを交えてゴルソン・ハーモニーで彩りながら演奏するスタイルは同じだが、バックの
メンツの違いが音楽の雰囲気を少し変えている。 名前を見ると、このトリオが一番興味を惹くだろう。

冒頭の如何にもフラナガンらしいレガートなピアノの導入部でこのアルバムの雰囲気は既に決定的だ。 そしてワトキンスのイン・テンポなベースは
チェンバースの後ノリのリズム感とはまったく違うムードを音楽の中に持ち込んでいる。 この縦ノリのかっちりとした雰囲気はサキコロそっくり。
ベース奏者が変わるだけでこうまで音楽は変わってくるのか、というお手本のような内容だ。 

そういう非常に目立つ2人を、アート・テイラーの寡黙なドラムが支える。 テイラーはハイハットをメインに使い、おかずのシンバルは最小限にしか
使わないので、非常に静かなドラムであることが身上で、彼がドラムに座った演奏はその他の楽器の音が聴き取りやすく、バンド・サウンドの内部構造が
よくわかる。

そしてこのアルバムは他の2枚に比べて2管のハーモニー部の比率が低く、それぞれのソロ演奏に重点が置かれている。 そういう意味でこのアルバムが
一番演奏の本気度が高い印象がある。 特にB面最後の "Bob Hurd's Blues" でのフラーの長尺のソロは圧巻の出来だ。 片面を2曲のブルースだけで
目一杯溝を切ったB面がこのアルバムの真骨頂と言える。 そしてこのアルバムはフラーの好演が全面に出ている。 ゴルソンもそれがわかっていたのか、
ファースト・ソロはフラーに取らせて、自分は一歩引いて演奏している。 丁寧に聴けば聴く程、ゴルソンの人柄がにじみ出ているのがわかるだろう。

全体的にゆったりとした曲調が多く、マイルドで洗練されている雰囲気が素晴らしい。 "Groovin' With"とは好対照を成すアルバム作りの上手さが
絶妙だと思う。 昔のレーベルはこういうところに感心されられる。


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ベニー・ゴルソンの予習 ~その1~

2019年06月22日 | Jazz LP (Prestige)

Benny Golson / Groovin' With Golson  ( 米 New Jazz NJLP 8220 )


来週ベニー・ゴルソンが来日して、ブルーノート東京でライヴをやる。 最近はほぼ毎年来日していて、去年も一昨年も都合がつかず行けなかったが、
今年はうまくタイミングが合ったので、行くことにした。 御年90歳ということで、もうこれ以上先送りにはできない。

ゴルソンが絡む作品はリーダー作以外も含めると無数にある。 それだけジャズ界への貢献が大きかったということだが、その割には巨匠扱いされる
こともなく、ウネウネとしたフレーズになるところが嫌われることもあり、まともに評価されているとは言えない。

私の場合、ベニー・ゴルソンと言えばNew Jazzレーベルに残した3部作がまず頭に浮かぶ。 カーティス・フラーとの2管編成だが、バックのトリオの
顔ぶれがそれぞれ違い、その違いがアルバム毎の雰囲気を微妙に変えているところが面白い。 その違いを聴き分けて楽しんでみよう。


このアルバムはレイ・ブライアント、ポール・チェンバース、アート・ブレイキーがバックを務めていて、当然ながらブレイキーのドラムがサウンド全体の
印象に大きく貢献している。 我々にはお馴染みの、ザ・ハードバップ・サウンドである。 このアルバムが一番ブルー・ノートっぽい雰囲気が濃厚なのは
ひとえにブレイキーの輝かしいシンバルワークのおかげだ。

ゴルソンのテナーもフラーのトロンボーンも骨太の分厚い音で、その存在感は圧倒的だ。 もちろん、それはヴァン・ゲルダーの録音が上手くいっている
からだが、それだけではない。 ゴルソンの深くくすんだ音色の魅力には抗いがたいものがあり、これが本来のこの人の持ち味だったのだろう。
いくら録音技師が優秀だからといって、そこに存在しないものまで録ることはできないのだ。 録ったものをいかにロスレス再生できるかが腕の見せ処
だったのであり、そういう意味では録音技師というよりは再生技師という称号のほうが相応しいのかもしれない。

全体的に濃厚に漂う深く煙ったようなサウンドと音場感にヤラれてしまう、素晴らしいアルバムだ。 ピンポイントで話題になる要素はないけれど、
5人の演奏は最上級で纏まりがよく、究極のハードバップの姿を見ることができる。 音質も3部作の中では一番音場感が明るく張りがあるように思う。
最後に置かれた "Yesterdays" の穏やかで繊細な表情がこのアルバムを上手くクロージングさせるのも素晴らしい。 完璧な仕上がりだと思う。


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ソニー・クラークが西海岸にいた頃

2019年06月19日 | jazz LP (Fantasy)

Cal Tjader / Tjader Plays Tjazz  ( 米 Fantasy 3-211 )


カル・ジェイダーがソニー・クラークとブリュー・ムーアを迎えた1955年の録音に、ジェイダーがドラムで参加したトロンボーンのボブ・コリンズの
カルテットによる別録音音源を追加して12インチとして発売されたもの。 お目当ては前者のセッションだけど、コリンズとのセッションも
味わい深い演奏で、これはこれで悪くない。

まずはソニー・クラークに目が行くけど、西海岸時代のクラークはまだ駆け出しの時代で、録音されたものは出来不出来がはっきりと分かれる。
私の聴いた範囲ではバディ・デフランコとのセッションは優れているが、それ以外の録音はどれもパッとしない。 そんな中でこのジェイダーとの
録音はまずまず。 一聴してクラークとわかるわけではないけど、予備知識抜きでも印象に残るピアノを弾いている。

それに比べて、ブリュー・ムーアはファンタジー・レーベルでの2枚のリーダー作と同様の個性を見せており、こちらはわかりやすい演奏をしている。
レスター、ゲッツ系統だが、まだ覚束ない感じの演奏だ。 西海岸に来たのは競争の激しいニューヨークではやっていけなかったからかもしれない。

ジェイダーのヴィブラフォンは冴えている。 どの曲も演奏時間は短いながらもひんやりと冷たく、音色もきれいだ。 フレーズは淀みなく流れ、
音楽の清潔さを決定的なものにする。 この頃の西海岸のジャズは、何かに追い立てられるような東海岸のそれとは違い、レイドバックしている。
ウエストコースト・ジャズが好きな人は、きっとそういう雰囲気に惹かれるんだろうなと最近になって思うようになった。

ただ、カル・ジェイダー自身の音楽はそういう特定の色はついていない。 ナチュラルなジャズである。


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あるレコードのことが気に入ると・・・

2019年06月16日 | Jazz LP (Argo)

Max Roach / Max  ( 米 Argo LP 623 )


何とも図々しいタイトルである。 そして、例によって、間抜けなジャケットデザイン。 当然、35年間ガン無視で来たわけだけど、よく調べて見ると
このアルバムはフロントがケニー・ドーハム、ハンク・モブレーという興味を引く顔ぶれであることがわかり、これは1度聴かねばということになった。

名前を見ただけでどういう演奏なのかは簡単に想像できて、実際に聴いてみるとまさにそのまんまの演奏だが、これがなかなか渋みが効いた良い内容だ。
ドーハムは抜けのいい音で抑制したフレーズを吹き、モブレーはいつものマイルドな音色で音楽の全景を淡く染めていく。 この2人は相性がいい。

ゆったりとした曲の印象が強く残り、全体を通してとてもいい雰囲気が溢れている。 アップテンポの曲では相変わらずローチ君の自己主張がウザいけど、
それを除けばこのアルバムは上質でマイルドな質感が素晴らしい。 ちょっと悔しいが、これは気に入ってしまった。 

ローチ君のドラムの特徴である音量の大きめなハイハットが刻む正確なリズムも、よくよく考えればタイムキーパーとしてのドラマーとしては優れている
ということだ。 おかずが多くて技をひけらかすようなところが癇に障るし、ソロパートでの味気無さは観賞上の必要性のなさを増々助長するものでしか
ないけれど、どうもこの男は共演者に助けられて良いアルバムを作ることに長けていたようだ。 だから、嫌い嫌いと言いながらも、こうやって聴いて
しまうことになるのである。

更に厄介なことに、変に気に入ってしまったものだからレーベルデザインが2種類あることにも気付いてしまい、気になって両方聴いてしまうという
愚行を冒してしまう。





この2つの盤のデッドワックス部のマトリクスの記載には違いがある。 Side-1を例にとると、

写真1枚目 : J08P_1147_1(機械打ち)        A1(機械打ち)Ⅰ(機械打ち)
写真2枚名 : J08P_1147_1(機械打ち)△848(手書き)A2(機械打ち)Ⅰ(機械打ち)

ジャケットも盤のプレス形状も同じなのでどちらも同時期の生産だと思うが、音質は2枚目のほうが全体的に残響感が効いていて、この音楽の特質が
より強調されているような印象を受ける。 それに比べて1枚目のほうは残響感が微妙に弱い分、楽器の音の輪郭がくっきりしているような感じだ。
こうして聴き比べると、直感的にマスタリング自体が違うような印象を受ける。 音の鮮度はどちらも同じなので、後先の問題ではなさそうだ。
Argoの場合は、経験的に言って、レーベルのデザインや形状が違うとマスタリングも違っているんじゃないかというのが個人的な印象である。

どちらもそれぞれに良さがあるので、結局このアルバムは2枚ともレコード棚の中に仲良く並んで収まっている。 ここまで手間をかけさせるくらい、
私はこのレコードが気に入っているということなんだろう。


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お財布に優しいカル・ジェイダー

2019年06月15日 | jazz LP (Fantasy)

Cal Tjader / Cal Tjader Quartet  ( 米 Fantasy 3-227 )


ヴィブラフォンの話になった時に、カル・ジェイダーの名前が出てくることはまず無い。 ルックスがジャズ・ミュージシャンとしての凄みに欠けるせい
かもしれないし、ファンタジー・レーベルが名門レーベルではないからなのかもしれない。 表面的なイメージだけが独り歩きして、アーティストや
作品自体の純粋な評価は置き去りになるのは世の常だとは言え、この有り様は気の毒を通り越してあまりに酷いんじゃないかと思う。

彼が奏でるフレーズは柔和でメロディアスで、趣味のいいセンスの良さを感じる。 シリンダーの響きもよく、ヴィブラフォン本来の愉楽に満ちている。
音数も過不足なく適切で、知情のバランスが取れているおかげで音楽は常に自然な表情をたたえている。 その上質な肌触りは常に心地よい。

このアルバムはヴィブラフォンとピアノトリオによるカルテットの演奏で、この人の実像が一番よくわかる内容だ。 スタンダードなどの穏やかな曲を
ヴィブラフォンの演奏で聴きたい時にはこれに勝るものはない、うってつけのアルバムだと思う。 バックのジェラルド・ウィギンス、ユージーン・ライト、
ビル・ダグラスのトリオも優雅で芳醇な演奏で、特にユージーンのベースは音が大きく録られていて聴感上も聴き応えがある。

60年代に入るとラテン音楽に傾倒するようになり、聴く人を選ぶようになっていくけれど、50年代はストレートなジャズをやっていて間口の広い音楽が
聴ける。 いい意味で軽快なサウンドだけど、決してサロン風に堕することはなく、しっかりと正統派のモダン・ジャズで実力は確かなものだった。
おまけにお財布にも優しいとくれば、これはもう聴くしかない。


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金曜日の夜の安レコ

2019年06月12日 | Jazz LP (安レコ)


毎週恒例、金曜日の仕事帰りに新宿で拾った安レコ。 2枚買って、2千円でお釣りがくる。

Tha Mastersounds は680円で最安値記録を更新。 "Ballads And Blues" というタイトル通りの内容。

Buddy Childersは随分前に聴いたけど、内容は全く覚えていなかった。

ターコイズの溝有りフラットだけど艶なしで、もしかしたらセカンドなのかもしれない。 カゼヒキは全くなくて、良好な音質。

これ、実はハービー・スチュワードを聴く盤だったんだな。



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ゴルソン・ハーモニーの極み

2019年06月09日 | Jazz LP (EmArcy / Mercury)

Art Farmer - Benny Golson Jazztet / Here and Now  ( 米 Mercury MG 20698 )


ゴルソンがトランペットやトロンボーンと一緒にゴルソン・ハーモニーを施してやった演奏はジャズテット名義であろうがなかろうが、実にたくさんある。
メンツの組合せは様々で、リー・モーガンの時もあればブルー・ミッチェルの時もあるけれど、やはりその真価を発揮するのはゴルソンと同系統の音色を
持つファーマーやカーティス・フラーの時だろう。 ゴルソンは演奏には加わらずスコアだけを提供する場合もあるけれど、なぜかそういう時の演奏には
ゴルソン・ハーモニーの雰囲気は希薄になる。 つまり、あの独特のムードはゴルソンのテナーの音自体が重要なキーになっているのかもしれない。

そういう意味で、ゴルソン、ファーマー、トロンボーンの3管が揃うこのアルバムはゴルソン・ハーモニーの淡い霧に煙る最も素晴らしい内容になっている。
トロンボーンはグラシャン・モンカーⅢ世で、おそらく契約の関係で参加できないフラーの代用だったらしく、完全にハーモニー要員扱いで彼のソロは
最後の自作曲以外ではほとんどない。 それでもトロンボーンの音色があるのとないのではハーモニーの豊かさが全く違うので、その存在意義は大きい。

ゴルソンは取り上げる楽曲のセンスも良く、ここでも緩急のバランスがいい名曲が並んでいて、両面通して聴いた後には心地よい満足感が残る。
マーキュリーのこの時期の録音は完成されていて、音質も最高の仕上がりになっている。 

頻繁に聴くという訳ではないにせよ、30年間聴き続けても飽きることがないのだから、これはもう自分の中では座右の銘の1枚になっていると言っていい。
ジャズテット名義のアルバムは出来不出来の差があって、中にはつまらないものもあるけれど、これは間違いなくゴルソン・サウンドの極みの1つが聴ける
アルバムだ。 ありがたいことに稀少盤ではないので、誰でも気軽に聴けるというところも素晴らしい。 本当の名盤はこうでなくてはいけない。


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800円の傑作

2019年06月08日 | Jazz LP

Tony Scott / South Pacific Jazz  ( ABC-Paramount ABC 235 )


ブロードウェイ・ミュージカル「南太平洋」の音楽を取り上げたアルバムで、トニー・スコットがクラリネットとバリトンを持ち替えながらワンホーンで
見事に仕上げた傑作。 リチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタインⅡ世の黄金のコンビなので、音楽の素晴らしさは折り紙付きだ。

とにかく全編がデリケートで丁寧に演奏されていて、ものすごく洗練されていて、優雅な雰囲気に驚いてしまう。 クラリネットは穏やかで典雅で幽玄、
バリトンは従前のイメージを覆すペッパー・アダムス系の骨太さ。 アドリブラインもなめらかで自然でこんなに上手い演奏をするのか、と目から鱗だ。
クラリネットやバリトンは人気がないんだろうけど、まあ、そういう意識は聴いているうちにどこかへと消えてしまうだろうと思う。

バックのトリオの演奏も繊細さも素晴らしく、ディック・ハイマンはピアノとオルガンを効果的に使い分け、ジョージ・デュ・ヴィヴィエのベース、ドラムは
グラッセラ・オリファントとオジー・ジョンソンで分担している。 トニー・スコットの演奏を邪魔することなく、完璧なサポートぶりが素晴らしい。

ABCパラマウントという総合レーベルなので録音やレコードプレスの品質もよく、音質の良さも保証されている。 レコーディング・スタジオ内の雑音のない
静かな空間の中で演奏されている雰囲気がよく伝わってきて、そういう音場感の高級さが素晴らしい。

美麗で洗練されているけれど、実際はどこをどう切っても血の滴るような本格的なジャズであることがわかる。 そういう芯のしっかりとしたジャズを
ゴリゴリのマニアでなくても愉しめるよう絶妙に甘美なコーティングを施して提出出来たところに一流の仕事の痕跡を感じる。 購買意欲の全然湧かない
ジャズらしさを感じないジャケットデザインも、案外意図的にそうしたんだろうなということもわかってくる。

安レコ漁りは単なる安物買いの為だけにやっているのではなく、こういうレコードに出会う為の違いの分かる男の孤独な営みである、ということにしておく。

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"Fantasy祭り" は "安レコ祭り" と同義語

2019年06月05日 | Jazz LP (安レコ)


先週末に拾った安レコ。 Fantasyレーベルを軸に、すべてが千円台。

カル・ジェイダーはいいヴァイブ奏者だが、誰からも相手にされない。 

上段右のアルバムはピアノはソニー・クラーク、フロントはブリュー・ムーアのワンホーンなのに、

ジェイダー名義になった途端にマニアからは完全無視される。

そういうところが不憫で、Fantasy祭りと相成ったわけである。


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買わないほうがいいレコード

2019年06月02日 | Jazz LP

Walter Bishop Jr. / Summertime  ( 米 Cotillion Records CLP-236 )


余計なお世話かもしれないが、これは買わない方がいいレコード。 イコライジングが滅茶苦茶で、まるで風呂場で演奏しているのを聴いているような
残響過剰な音場感。 聴いていると船酔いした時のように気持ちが悪くなる。 これでは音楽鑑賞以前の問題だと思う。

ウォルター・ビショップJr.には世評名高い "Speak Low" があるが、あれもイコライジングのバランスがおかしなレコードで、それがたまたまベースが
強調されたために「すごい音」という話になっている。 ただ、肝心の音楽そのものは私にはどうもピンとくるものがなく、特にビショップのピアノが
あまりに凡庸で捉えどころがない。 私自身はパーカーのバックで弾いているのを聴いたのが最初だったが、その時からそういう印象だった。
そういう弱点を覆い隠すためにわざとああいう調整を施したんじゃないかと勘繰りたくなる。

本題の "Summertime" に戻ると、やはりピアノの演奏には粗が目立つ。 フレーズの処理も雑でありきたりで面白味がない。 打鍵もただ力一杯叩き
つけるばかりの一本調子で、ピアノの演奏を楽しむという趣きをここに見出すのは難しい。 ノーマルな音場だったらもう少し違う印象が持てたかも
しれないが、レコードというのはそれも含めての1つの作品。 ビショップ本人には気の毒だが、これは仕上がりの悪さしか感じられない。
マイナーレーベルで弾数が少なかったために悪評が拡がらずに済んだわけで、これは却ってよかったんじゃないかと思う。 


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斜陽、諦観、So Sorry Please

2019年06月01日 | Jazz LP (Riverside)

Red Garland / Bright And Breezy  ( 米 Jazzland JLP 48 )


表舞台から姿を消す1年ほど前に録音されたしみじみと聴かせる演奏で、ガーランドのその頃の心境がにじみ出ているかのようだ。 演奏自体は明るく
元気はいいが、50年代の演奏とは少し違う雰囲気が漂う。 それはレーベルが変わったせいかもしれないし、バックの面子が違うせいかもしれない。
ただ、バラードでは極端にテンポを落とし、シングルノートを多用するなど、奏法自体にも変化がみられる。 それらを聴いていると、「斜陽」という
言葉が浮かんでくる。 

このアルバムはバド・パウエルの "So Sorry Please" で幕を閉じる。 これがパウエルそっくりの演奏で非常に驚かされる。 2つを聴き比べてみても
どちらがどちらの演奏なのかがわからないくらいよく似ている。 ガーランドはレコーディング・デビューした時には既に自分のスタイルが完成していて、
パウエルの影はどこにもちらつくことがなかった。 そういう稀代のスタイリストが、隠遁直前にまるでパロディのようにモダン・ジャズ・ピアノの開祖
そっくりに弾いてみせたのは、第一線から退く決意から出たジャズ界への愛嬌たっぷりの惜別の挨拶だったのではないか、とすら思えてくる。

そんな風に至る所で諦観の痕跡が見られるし、そこからくる切なさのようなものを感じ取ることができる。 それはごく微量で微かなものだけど、こちらも
年齢を重ねてくるとそういうものに自然と敏感になってくる。 若い頃に聴いた時は覇気のないつまらない演奏だと思っていたが、時間の経過が自分に
とっての音楽の価値を変化させていく。 人の数だけ音楽評はあると言われるけれど、実際は時間の流れの中でも評価は移ろいゆく。 作品の内容にうまく
感応するタイミングで聴くことが出来さえすれば、この世につまらない音楽なんて存在しないと思えるのかもしれない。


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