廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

完成した音楽的基盤

2016年04月29日 | Jazz LP (Verve)

Stan Getz / At The Shrine  ( 米 Norgran MG N-2000-2 )


シュライン・オーディトリアムはロサンゼルスに古くからある6,300人を収容できる大きな劇場で、このレコードを聴くと観客の拍手の音の大きさと残響で
随分立派なホールなんだろうなということが想像できる。 季節は晩秋で、ひんやりと冷たいホール内の空気感もそこはかとなく伝わってくる気がする。

この頃のゲッツはブルックマイヤーと一緒に活動していたけど、なぜ彼を相棒に選んだのかはよくわからない。 バルブ・トロンボーンというぼんやりと
した音の楽器はレコードで聴く限りではクインテットのような小編成のバンドには不向きなような気がするけれど、ゲッツは気に入っていたらしい。
ここので演奏はみんな若々しく、歯切れがよく、ダレるところも無い。 バックのピアノトリオはリズムセクションとしては非力で冴えないけれど、
それでもバンドとしての纏まりはよく、2枚組という量でも違和感なく聴ける。





40年代末から演奏してきたゲッツ流のモダンジャズのスタイルがちょうど完成を迎えて一区切りとなる時期の演奏で、初期のスタン・ゲッツの総決算と
言っていい内容だ。 凡庸なミュージシャンならこの辺りを超えると段々と萎んでいくものだが、この人の場合は周知の通り、そうはならなかった。
この後もまだまだ長く発展していくこの人の音楽の基盤がまずは出来上がった、ということを祝福したい。

1954年11月に録音された割には、音はなかなかいい。 管楽器の音にスコープを合わせているせいでピアノトリオのサウンドは弱いが、2本の管楽器は
中音域が厚く芯のある音で録れている。 音像の輪郭もくっきりとしていてぼやけておらず、聴きやすい。 写真の小冊子を同封するなんて、まるで
アイドル歌手のような商品パッケージの仕方だが、この人が当時のアメリカでどれだけ人気があったか、ということがわかる。








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奇跡の顔合わせ

2016年04月24日 | Jazz LP (Verve)

Stan Getz & Bill Evans / Previously Unreleased Recordings  ( 米 Verve V6-8833 )


夢のような組み合わせで、本来なら歴史に名を残す大名盤として語り継がれるべきなのに、そうはなっていないのはエルヴィン・ジョーンズのドタバタと
うるさいドラムが内容をぶち壊しているからで、ホントにこいつは何をやってんだ、とレコードを床に叩きつけたくなる。 だから、私はこのアルバムは
"But Beautiful" "Melinda" "Grandfather's Waltz" の3曲しか聴かない。 ドラムを叩く人がエルヴィンを称賛する理由はよくわかる。 でも、音楽愛好家の
立場としては、場をわきまえない時の彼のドラミングはただの騒音でしかない。 ブラシさばきは上手いんだから、客演の時はそれに徹して欲しかった。

それでもこのアルバムが手放せないのは、"Grandfather's Waltz" が収録されているからだ。 冒頭のエヴァンスのソロの素晴らしさ。 ヴァーヴ時代の
エヴァンスがどれほど素晴らしいか、がこれを聴けばわかるだろう。 この演奏に惹かれて、その後いくつかの演奏や歌物が現れたけれど、このアルバムの
演奏を超えるものは無かった。 永遠のマスターピースだ。

ゲッツのスモーキーなサウンドも絶好調で、フレーズにもキレがあり、言うことなし。 この人がいれば他の管楽器奏者は不要で、1本のサックスだけで
豊かなハーモニーを産み出せる。 そして、音楽全体が統一されたトーンで染まっていく。 透明な水に落とした蒼いインクが、やがて全体にゆっくりと
拡がっていくように。

全曲でそういう様が聴けないのは残念だけど、それでも半分の曲で聴ける素晴らしさは他のアルバムでは決して聴くことができない、この2人だけの世界だ。
もっとたくさん作品を残して欲しかった。



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実は貴重な記録

2016年04月23日 | Jazz LP (Columbia)

Miles Davis / Miles In Tokyo  ( 日 CBS Sony 60064-R )


ジョージ・コールマンがマイルスのバンドを辞めたのは、トニー・ウィリアムスが彼を嫌ったからだ。 ジョージ・コールマンはコードを完璧に吹きこなして
破たんを見せないテナー奏者だったが、トニーはそういう予定調和を嫌った。 間違ったりヘマをしでかしても、何をやるのか見当もつかない、そういう
ミュージシャンを好んだ。 当時19歳だったトニーは随分年上のジョージを露骨に毛嫌いし、ハービーやロンと結託してマイルスが体調不良でライヴを
休んでテナーカルテットとしてステージに立った時にわざとフリーっぽい演奏をしてジョージを困らせたりした。 コルトレーンがバンドを去る時に
ジョージを推薦してマイルスは彼をバンドに入れて結構気に入っていたわけだが、その後のバンドがトニーのドラムを中心にサウンドが組み立てられる
ようになると、ジョージもさすがに居心地が悪くなり、止む無くバンドを去った。

ジョージがバンドを抜けた後、トニーは真っ先にエリック・ドルフィーを推薦したが、マイルスはドルフィーの出す音や演奏が嫌いでこれを却下、その後
目を付けていたウェイン・ショーターがやって来るまでいろんなサックス奏者がこのバンドを去来した。 サム・リヴァースもトニーが連れてきた1人で、
それはちょうど日本へのツアーの直前だったので、マイルスはリヴァースを同行させた。

初めて訪れる見知らぬ国で想定外の大歓迎を受けて気を良くしたマイルス御一行の演奏は中々出来が良く、アメリカのクラブでやっていた粗削りなもの
とは違い、隅々まで神経の行き届いた丁寧な演奏に終始している。 保守的なお国柄を考慮したようで、レパートリーも保守的、演奏内容もフリーキーな
要素はゼロ。 マイルスの美意識に覆われた上質な高級感で黒光りするような色合いの演奏になっている。

こういう空間ではサム・リヴァースも本来の持ち味は発揮できず、借りてきた猫のようなおとなしさ。 正直、これならテナーは誰でもよかったんじゃ
ないだろうか。 フレーズにはいろいろ工夫を施しているけれど、マイルスが設定した枠の中からはみ出るようなこともなく、意外な優等生ぶりを見せる。
ただ、やはり彼の音やプレイにはドルフィーの匂いがあるせいだろう、その後の常設メンバーになることはなかった。

この時期のマイルスのディスコグラフィーはライヴアルバムが連続するが、この作品が一番おとなしい。 当時こういうレガシーなスタイルにはもはや
興味はなかっただろうが、そこは音楽ショウと割り切った内容で、時期的にこういう旧式路線の演奏を聴くことは本来ならできなかったはずなのだから、
実は大変意義のある貴重な演奏の記録となっていると思う。 そのことがわかれば、十分楽しめる作品だ。



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鎮魂歌としてのソロ

2016年04月17日 | Jazz LP (Riverside)

Thelonious Monk / Thelonious Himself  ( Riverside RLP 12-235 )


セロニアス・モンクは数枚のソロ・ピアノによる作品を残しているが、それらの中でもこのアルバムが持つ不思議で異様な雰囲気は他と一線を画している。

モンクのピアノはラグタイムやストライド・ピアノなどの古いジャズの上に立脚しているが、その影響を隠すことなく露呈させながらも、全体的にスロー
テンポで、できるだけ音を弾かずに曲をドライヴさせようとしている。 それがベースは明るいにもかかわらずどこか暗い、という背反するムードを両立
させている。 他のソロ・アルバムは意外に明るく饒舌なピアノになっているのに、このアルバムだけはなぜか口数が少なく、内省的だ。

自分が弾いた1音1音を残響が消えて無くなるまでじっと確かめるように聴いて、納得してから次に進む。 珍しくスタンダードを多くやっているけれど、
なんだか曲目自体はどうでもいいような感じだ。 大事なのは自分が鳴らしている音そのものだ、と言わんばかりのゆったりとした弾き方だ。

最後に収録された "Monk's Mood" はコルトレーンとウィルバー・ウェアーが控えめなオブリガートをつけている。 コルトレーンはモンクの傍に付いて
音楽を学んでいたが、おそらくこういう彼のあまりに個人的な独白のような音楽を目の当たりにして、後の自分のやるべき音楽の方向性を自分の中で
徐々に固めていったんじゃないだろうか。 内容はお互いに似ても似つかないものでも、自分だけのスタイルを持ち、十分に制御しながらも自分の内面を
さらけ出すことの重要さを一番にモンクから学んだんじゃないかと思う。 

昔から名盤100選にはよく載っているアルバムだけど、万人に薦められる内容かというとちょっと微妙なのではないかと思う。 この人のソロ演奏なら
まずは1954年のヴォーグ社(スイング・レーベル)に録音したもののほうが平易で判りやすい。 この "ヒムセルフ" は一見シンプルなように見えて、
実は意外とやっかいな作品だと思う。 演奏に託されたものがもっと遥かに込み入っており、そういう意味では難解とすら言ってもいいかもしれない。
全体に鎮魂歌のような雰囲気が漂っていて、軽率にターンテーブルに載せるのが憚られるようなところがある、と感じるのは考え過ぎだろうか。




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十分元は取れた

2016年04月16日 | Jazz LP (復刻盤)

Bill Evans / Some Other Time ~ The Lost Session From Black Forest  ( Resonance Records HLP-9019 )


時間が無くて1週間聴かずに寝かせていた話題作、ようやく聴くことができた。 結論から言うと、私は大いに楽しめた。

このレコードは2枚組で、21曲収録されている。 おそらく収録当時に普通に発売されていたら取捨選択されて1枚として発売されていただろうから、
レコーディングされたすべての曲が今回発売されたのであろう。 つまり、出来のイマイチな演奏も「込み」での発売ということだ。
まずはそれを理解しておく必要がある。 だから、"How About You?" のような投げやりな終わり方をしている曲や、ソロピアノなのに精彩に欠ける
"Lover Man" のような曲も中には含まれている。 逆に、"Baubles, Bangles And Beads" や "What Kind Of Fool Am I?" のようなとても良い演奏ももちろん
当たり前に含まれている。 

60年代後半の一般的にはあまり評価されていない時期のエヴァンスの演奏だが、収録された曲を聴いていると、ありふれたスタンダードをいつものスタイルで
「異化」させようと懸命に取り組んでいるのがよくわかる。 それが上手くいっているトラックもあればそうでもないトラックもあるけれど、真摯に演奏に
取り組む姿が鮮明に伝わってくる。 何を弾いても神懸かっていた時期は既に過ぎ去ってしまったけれど、それをわかった上でベストを尽くそうとしているのが
よくわかるのだ。

ドラムの音が奥に隠れてしまってよく聴こえないようなマスタリングになっているけれど、私はエヴァンスとディ・ジョネットの相性が特にいいとは思わないので、
これはさほど気にならない。 少なくとも、それが気になって音楽に集中できない、というようなことはなかった。 また、残響が希薄で音圧が低いというのも、
アンプのボリュームをいつもより上げればピアノの音は一皮むけた音で鳴るので、これも特に問題ないと思う。

"IT's All Right With Me" でのピアノの粒立ちの際立った音の連なりには目を見張るものがあるし、"Wonder Why" でのコードワークは如何にもこの人らしい。
このアルバムを聴いて、初めて "What Kind Of Fool Am I?" という曲の魅力がわかった。

第一印象でノックウトされたり、声高に傑作だと騒ぎ立てるような内容ではないけれど、この時期の他の作品と同じようにじわじわと心に沁みてくるような
内容ではないだろうか。 曲を選別して1枚にまとめたほうが作品としての印象はきっと良かっただろうと思うけれど、私にはこんなにたくさんエヴァンスの
初めての演奏に接することができた歓びのほうが大きい。 十分元は取れたと思う。 シリアル番号は、1390 / 4000 だった。

 

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1947年のルースト録音

2016年04月10日 | Jazz LP (Roost)

Bud Powell / Indiana, Everything Happens To Me, Off Minor, I'll Remember April  ( Royal Roost 2992, 2998, 2996, 2991 )


バド・パウエルの最高傑作といわれる1947年のルースト・セッションでは、8曲が世に出ている。 実際は何曲収録されたのかはよくわからないけれど、
それらは10inchのSP4枚という形で発売された。 その後、1951年頃に10inchのLPとして切り直されて、以降LPフォーマットで何度も再発されている。

ただこの時の10inchLPは盤の材質がSP盤よりも遥かに粗悪なもので、きれいなものでも材質起因のバックノイズが酷く、鑑賞にはおおよそ向かない。 
それに現在ではきれいな盤が市場に出てくることはなく、見かけるのは傷だらけの酷い物ばかり。 だから、この録音に関してはSPのきれいなものか、
後の再発盤で聴くのが一番いい、ということになる。 

私がSP盤に手を出す時に決めていることは、値段の高いものは絶対に買わないということだ。 SP盤は事実上転売することができず(DUも原則買取不可)、
処分するのが非常に難しい。 それが如何に歴史的な価値がある内容であっても、SPを日常的に聴く人はもはやいないし、仮にいたとしてもそういう人は
既に大抵のものは架蔵済みで、今頃売りに出しても買い手が現れることはまずない。 だから、SP盤を買うということはその代金は一部ですら回収が
できないということを前提にしなければならず、高い値段で買うという行為は自殺行為に等しい。 1万円を超えるものなんて、私には論外だ。

この2枚は何年か前にたまたま無傷で1枚1,000円強で出ていたから買ったのだが、これがバックノイズは一切なく、ナローレンジなのは仕方ないとしても
音質は十分で何も問題ない。 片面1曲で、2分程度で針をいちいち上げなければいけないので面倒なことこの上ないが、パウエルのここでの演奏に漂う
濃密さは強烈で、かえって1曲ごとに区切りがあるほうがその余韻に浸れていいくらいなのだ。

一般的には "インディアナ" のハイスピード演奏に称賛が集中するけれど、私は "Off Minor" や "I'll Remember April" のようなミッドテンポの曲での
歌わせ方の中に漂う芳香に酔わされる。 それに、"インディアナ" のスピード感を褒めるなら、カーリー・ラッセルをまず褒めなきゃいけないだろう。
太く大きな音で乱れることなくインテンポで疾走するこんなベースはなかなか聴けるもんじゃない。 モダンベースの轟音を録り切った史上最初のレコードは
たぶんこれなんだろうと思う。

残りの4曲が手に入るかどうかはわからないけれど、パウエルのレコードは他にもたくさんあるから特に気にはならない。 いつも言うように、パウエルは
どの時期を聴いてもパウエルなのだから。


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ホッジスとストレイホーン

2016年04月09日 | Jazz LP (Verve)

Johnny Hodges With Billy Strayhorn And The Orchestra  ( 米 Verve V-8452 )


ジョニー・ホッジスばかりが目立つことなく、オーケストラと上手く調和したトータルサウンドで聴かせる。 楽器種別には主要メンバーが構えており、
そこへハワード・マギーやジミー・ジョーンズらが加わって色を添える。 ストレイホーンはアレンジャーに徹している。

ストレイホーンのアレンジはエリントンのそれと比較すると、もっときめ細かく音の帯域もやや狭めだ。 エリントンがやる大きく飛翔するような高揚感
はやや影を潜めるけれど、音使いやフレージングはエリントンそのもので、秘技伝承された唯一の愛弟子らしく見事なスコアを書いてる。

ブリッと身の締まった粒立ちのいいサックス群のハーモニーの快楽度は他のビッグバンドには求められないし、懐深く大きくゆったりと振れる様は何にも
代え難い。 エリントンの作り上げた音楽の凄さを思い知らされる。

惜しいのは、各楽曲の尺の短さ。 ラジオでかかることを前提にしているのか、どの曲も息を止めて一筆書きしたような感じで少し物足りない。 
せっかく素晴らしい演奏なのに、音楽を堪能する一歩手前で終わってしまう。 まあ、元々が単純な構造の音楽だから、長々とやると飽きる人が出てくる
ことを懸念してのことかもしれないけれど、私としてはもっとがっつりと聴きたいのでここは残念なところだ。

録音も素晴らしく、再生空間の隅々にまでいっぱい拡がる大きな音場を作る感じでこれがとてもいい。 ビッグバンドの良さを全身で感じることができる。
ホッジスのアルトの名演を聴くのに相応しい盤はもっと他にあるかもしれないが、エリントンのいないエリントン楽団が如何にもエリントンらしい音楽を
やっているというところが素晴らしい1枚。



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音の重さに酔う

2016年04月03日 | Jazz LP (Verve)

Bud Powell / The Lonely One・・・  ( 米 Verve MG V-8301 )


バド・パウエルの中では駄盤の代表格みたいな扱いをされる1枚、というか、そもそもそんな形で言及されるくらいならまだいいほうで、こんなレコードが
あることすら知らない人がいるかもしれない、最も知名度の低い作品の1つではないだろうか。

でも、それは仕方ないかもしれない。 ピアノには覇気がなく(パウエルにしては)、人々の興味を惹くような話題性の高い曲や演奏も見られない。
それに、晩年の演奏だから、という既成概念も手伝ってか、はなから相手にされていないようなところがある。

でも、ここでのパウエルはいつも通り唸り声を元気に出しながらそこそこリズミカルに弾いている。 少なくとも演奏の表情には明るさが感じられる。
"All The Things You Are" ではパーカーの演奏のアレンジを使っていて、パーカーのことが忘れられないんだなあ、と心を打たれるし、"Salt Peanuts"
なんかはさすがにこの曲の独特の雰囲気を上手く表現している。 パウエルは印象的なメロディーを持ったオリジナル曲を作る才能が元々あったから、
演奏する曲のメロデイーの扱い方がとても上手いし、アドリブラインも綺麗だ。 

それに、何といってもピアノの音の中にこの人だけの独特の重さと勢いが宿っている。 ピアノというのは、「重たい音」で弾くことが実は一番難しい。
透き通ったきれいな音で弾くことなんかよりも遥かに難しい。 私がこの人が好きなのは、純粋にピアニストとして優れているからだ。 早く弾こうが、
運指が悪かろうが、そんなことは正直どうでもいい。 ピアノの音そのものに心がこんなにも動かされる、ということが私には一番重要なのだ。

初版であってもさほど音がいいということはないレコードだけれど、なぜかこの作品は好きで、よく聴く。 
ここにはそれだけバド・パウエルという人のことがしっかりと刻み込まれているからなのかもしれない。


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"Emily" の名唱

2016年04月02日 | Jazz LP (Vocal)

Tony Bennett / The Movie Song Album  ( 米 Columbia CL 2472 )


私はジョニー・マンデルが書いた曲が特別に好きで、アルバムの中にそれらが入っているとそこを軸にして聴くことが多い。 どの曲もかなり高度な
コード進行を敷いていて、独特の陰影の深い雰囲気を持っている。 和音の響きやコードが移り変わっていく様を味わうのは音楽を聴く時の重要な
愉しみの1つで、この人の曲はそういう部分でとても感動させてくれる。

ビル・エヴァンスが愛した "Emily" もマンデルが書いた代表作の1つ。 7thのコードの響きが曲を支配する幻想的な曲想で、とても好きな曲だ。
だから意識的にこの曲が入ったアルバムはたくさん聴いてきたけれど、やっぱりこのトニー・ベネットのヴァージョンが最高だと思う。

映画の主題歌ばかりを集めたこのアルバムはトニー・ベネットの美質が最高に発揮されたこの人の最高傑作。 曲ごとにバックのオケのアレンジャーが
異なっており、ニール・ヘフティ、クインシー・ジョーンズ、アル・コーン、ラリー・ウィルコックスら錚々たる面々が並ぶが、"Emily" ではジョニー・マンデル
が自らアレンジと指揮をしている。 とても繊細で洗練されたスコアで、これだけを独立して聴いても十分聴き応えがある。

トニー・ベネットはそのベルカント唱法のせいでデカい声を張り上げてうるさいと思われがちだが、実際は全く違う。 声量にたっぷり余裕があるお蔭で、
フォルテッシモでもピアニッシモでも声が震えることもなく、非常に抑制が効いた歌い方をする最高のテクニシャン。 こういうところは、ブラウニーの
トランペットと非常によく似ている。 本当の実力者にしか実現できない世界だ。

管楽器奏者がワンホーンでエンターテイメント性の高いスタンダード集を作ることは多いが、その数の多さに比べて本当に成功していると思えるものは
実際はかなり少ない。 つまり、それだけこのフォーマットは難しいということだ。 そういう中で、ヴォーカリストが作る作品には上手くできているものが
多いというのは、実はすごいことだ。 そういうところはもう少しきちんと評価されてもいいはずだ。

トニー・ベネットの歌う"Emily"は、いつも私の心を洗い、気持ちを奮い立たせてくれる。 そういう歌があるということは素晴らしいことだと思う。



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