廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

バリー・ハリスのパーカー集

2019年03月31日 | Jazz LP (Argo)

Barry Harris / Breakin' It Up  ( 米 Argo LP 644 )


バリー・ハリスの遅すぎるデビュー・リーダー作がチャーリー・パーカー集だったというのは、彼の音楽観をよく表していて、如何にもこの人らしい。
世に無数に存在するパーカー集の中でも、このアルバムが醸し出す雰囲気はパーカーの音楽が持っていた抒情的な側面を非常に上手く再現していて、
筆頭の出来の1つに挙げていい。 冒頭の "All The Thing You Are" が放つエレガントな芳香はパーカーが吹いた "Bird of Paradise" の雰囲気そのもの。
バリー・ハリスはピアノの技術で聴かせるのではなく音楽の建付けの上手さで聴かせる。 彼が言いたかったのはそういうことだったんじゃないだろうか。

"Embraceable You" ではデューク・ジョーダンが弾いたイントロのフレーズを踏襲していて、先人への敬意も忘れない。 ジョーダンとはまた一味違った
淡い情感で原曲の世界を描いていく。 パリで開かれる国際ジャズフェスティバルへ出演するために取ったパスポートをに因んで、"I Got Rhythm" の
コード進行を使って作った曲 "Passport" なんかも取り上げていて、マニアを喜ばせる選曲が嬉しい。 自作のブルースもいい塩梅で配置されていて、
捨て曲なしの内容が素晴らしい。

50年代に作られたピアノ・トリオのアルバムとしては、これは別格に好きだ。 このアルバムに漂う独特の風格は他の何にも代えがたいものがある。
その後リヴァーサイドと契約してたくさんのリーダー作を出せるようになったのは良かったと思うけれど、それらはどれもバリー・ハリスらしさは
希薄なような気がする。 バリー・ハリスらしい重いタッチでゆったりと歩を進めるこのデビュー作こそが、彼がジャズ界を渡り歩く際のパスポート
となったのはおそらく間違いない。 アーゴは地味なレーベルにも関わらず、そのアーティストの最良の姿を捉えることができた不思議な力があった。
地方都市に根を下ろすアーティストを大事にするというレーベルポリシーがその力を産み出していたのかもしれない。

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セカンドが勝ち

2019年03月30日 | Jazz LP (Pacific Jazz / World Pacific)

Lee Konitz / Plays With The Gerry Mulligan Quartet  ( 米 World Pacific Records PJM-406 )


リー・コニッツの最良の演奏が聴けるものとしては一般的には1954年のストーリーヴィル盤が人気があるが、その前年に録音されたパシフィック盤は
それに負けない素晴らしさを誇る。 でも、パシフィックは2枚の10インチにマリガン・カルテットの演奏とミックスして分散して収録したものだから、
コニッツの演奏に焦点が定まらずに印象がぼやけてしまって名盤としての選から漏れてしまっている。 これは明らかにレーベル側の編集ミスで、
その反省から57年にコニッツ参加の演奏だけを集めて、未発表だった2曲を加えて、リマスタリングを施して、12インチに再編集してリリースした。
そして、この12インチが非常に素晴らしい仕上がりになっている。

まず、音質が劇的に向上している。 特に、ハリウッドのクラブ "The Haig" でのライヴを収録したB面の生々しい音場感は圧巻だ。 クラブの最前列で
聴いているような空間表現、楽器の艶やかな音、どれをとっても最高の仕上がりである。 コニッツのアルトの音は、彼のレコードの中ではこれが一番
リアルで生々しい。 この12インチを聴くと、いくら初出とは言え、もう10インチ盤は聴く気にはなれない。 如何に10インチの音が貧弱かがよくわかる。
10インチではカットされていた拍手もちゃんと入っている。

次に、編集の仕方が明快で、A面はスタジオ録音、B面はライヴ録音というまとめ方のお陰で、コニッツのプレイに1本のスジが通る。 1曲1曲の演奏が
きちんと繋がっていき、各面が1つにまとまり、それがアルバムとしての統一感を形成する。 マリガン・カルテットをバックに付けたリー・コニッツの
リーダー作として立ち上がってくる。 これが正しい姿で、最初からこうするべきだった。

さらに、10インチでは選から外れてオクラ入りしていた "I'll Remember April" と "All The Things You Are" でのコニッツの演奏がこのライヴでの
ハイライトだったということ。 10インチは基本的にマリガン・カルテットが主役というコンセプトでコニッツは客演扱いだったから、マリガン・カルテット
が目立たない曲は当時は外されたようだが、コニッツ目線で見るとこの外された曲にこそ価値があり、彼のベスト・プレイが聴ける。

初出が一番エライとされる奇妙な世界においてこのレコードは単なるコンピレーション扱いで、安レコとしてエサ箱の隅に追いやられている。
でもパシフィックのリー・コニッツは、このセカンドが勝ちなのだ。





ジャケットの意匠は見事でも貧弱な音質で、あまり聴く気になれない困った初出たち。


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自我を語り出した音楽家たち

2019年03月27日 | Jazz LP (70年代)

Abdullah Ibrahim Dollar Brand / Autobiography  ( スイス Plainisphare PL 1267-6/7 )


1978年のニヨン・ジャズ・フェスティバルでのライヴ演奏を収めたもので、1983年に2枚組としてリリースされている。 「自叙伝」というタイトル通り、
自己のルーツであるアフリカ音楽をベースにしたソロ・ピアノで、敬愛するエリントンやモンクを途中で挟みながら、祈りや讃美歌へと回帰していく。
こう書くと何やら重苦しい感じだけど、音楽自体は非常にメロディアスでなめらかに演奏されていて、すごく聴き易い。 難解さはまったくなくて、
そもそもが真面目に取り組まれているから、初めて聴いた時はその真摯さに感銘を受ける。 そして、キースのソロ・ピアノとの類似に気が付く。
メロディアスなところなど、共通点も多い。 そこに思い至ると親近感も湧き、案外愛聴盤として手許に置く人も出てくるのではないだろうか。
見かけは取っ付きにくいけど、とてもいい内容のアルバムだと思う。

と、ここで話が終わればハッピーなんだけど、何度も聴いていくうちに、こういう風にジャズの演奏家が音楽を超えて自我を語り出すようになったのは
いつ頃からだろう、という疑問が出始める。 何となくこの手の饒舌なソロ・ピアノと言うのはキースの専売特許のようなイメージがあるけれど、
調べてみると、"Bremen / Rausanne" も "African Piano" も73年に演奏されている。 どうやらこの頃からジャズの演奏家は音楽そっちのけで、
自我を語り出すようになったようだ。 そして、聴衆もそっぽを向くどころか、熱烈に歓迎し始める。 73年と言えば、マイルスの下を去ったハービーが
"Head Hunters" を出して大ヒットさせた年で、マイルスは自信作だった "On The Corner" が思うように売れず、最初の引退の一歩手前の状態だった。

彼らはなぜこの時期に急に自我を語り始めるようになったのだろう。 個人的な音楽を大手を振って始めた元祖はコルトレーンで、それが下地になって
いたのは間違いないけれど、彼が亡くなってかなり時間を置いたこの時期になぜ?というのがどうもよくわからない。

自我を饒舌に語ることの危うさには常に気を配り、警戒を怠らないようにすることだ。 これは表現者にとっては甘美で危険な罠である。 演奏家が
これに手を染めた場合、聴き手はどこまでの距離感で向き合えばいいのかに迷う。 ダラー・ブランドを聴いていて感じるある種の居心地の悪さは、
この迷いが原因だ。 彼のピアノには彼自身の音があり、強い感銘を受ける。 彼の紡ぐ旋律はメロディアスで郷愁的で、そういう面にも感激する。
でも、他の演奏家の音楽には感じないその戸惑いが、私の中で感動が拡がっていくのを阻害しているような気がする。

不思議なことにダラー・ブランドの音楽は外形的にはキースの音楽に似ているが、実際にダラー・ブランドを聴いていて思い出すのはキースではなく、
セシル・テイラーなのである。 ダラーの音楽はキースには繋がっていない。 寧ろ彼はテイラーの息子なのである。

キースは最終的に "スタンダーズ・トリオ" という形で音楽家としての落とし前をつけることができたけど、ダラー・ブランドはどうだったのだろう。
最後まで "アフリカの声" から逃れることは出来なかったのだろうか。


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スタン・ゲッツとハービー・ハンコックの共演

2019年03月24日 | Jazz LP (Columbia)

Bob Brookmeyer / Bob Brookmeyer And Friends  ( 米 Columbia CL 2237 )


これは聴けば腰が抜ける驚愕の大傑作だけど、そう語られているのは見たことが無い。 たぶんボブ・ブルックマイヤー名義なので、大方の人がスルー
しているだろうし、レコードもエサ箱ではお馴染みの安レコで廃盤価値もゼロ、そういう観点で注目されることもない。 でも、これは傑作なのである。

コロンビアならではの大物が集められた豪華な録音で、実質的にはスタン・ゲッツとの双頭リーダー作。 ゲッツが第一リードを取る曲とブルックマイヤーが
第一リードとなる曲が混在し、ブルックマイヤーはオリジナル曲を3つ用意していて、それなりに気合いが入ったレコーディングだったようだ。
ゲッツとハービー・ハンコックの共演はこれ以外では聴いたことがなく、そういう意味でも非常に貴重な演奏だと思う。 ただし、ハービーはまったく
やる気のない演奏で、彼にとっては単なる小遣い稼ぎだったようだが、それでもその控えめに抑えたプレイが素晴らしい。

1965年のリリースだが、フリーやニュー・ジャズがジャズ界を焼け野原にしてしまったこの時期、コロンビアはポップでキャッチーなジャズでリスナーを
取り戻そうと考えたに違いない。 呆れるほどわかりやすくポップな内容になっている。 ブルックマイヤーが作ったオリジナルは非常にメロディアスで、
冒頭の "Jive Hoot" なんかはCMで使えばヒットしそうな曲だ。 制作意図がはっきりとわかる、何とも明るく朗らかな音楽だ。

でも、だからといってこれをバカにするのは間違っている。 クオリティーの高さがハンパなくて、ちょっとヤバいのだ。 こういう大物が集まれば、
やっぱり出来上がる音楽は凄いことになるんだなということがよくわかる。 特にスタン・ゲッツの演奏は神々しいまでに美しく、コロンビアの録音の
良さがそれを後押ししていて、鳥肌が立つくらいだ。 ハービー、ロン・カーター、エルヴィン、ゲイリー・バートンは当時彼らがやっていた音楽を考えれば
退屈な仕事だったに違いないけれど、それでもその演奏には他の誰にもできない凄みがあって、本物の違いがビンビンに伝わってくる。

コロンビアも単に大衆にアピールできるアルバムを作ろうとしただけなのに、まさかここまでのレベルになるとは思っていなかったのではないだろうか。
メジャー・レーベルの強みが生み出した、想定外の傑作だったのだろうと思う。



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スタン・ゲッツとの2度目の録音

2019年03月23日 | Jazz LP (Verve)

Stan Getz / In Stockholm  ( 米 Verve MG V-8213 )


ベンクト・ハルベルグのスタン・ゲッツとの2度目の録音は1955年の年末に行われている。 12月のストックホルムの街はきっと雪深かったことだろう。
このアルバムにはどこかそう思わせる空気感が漂っている。 古いレコードを好んで聴く理由の1つは、再生すると当時の空気が音と一緒に解き放たれて
こうして部屋に満たされるからだ。 それはただの錯覚かもしれないけれど、それでもそう感じるこの感覚からは逃れられない。 溝を針でこする時に
付着していた空気の粒子が削れて飛び散っているんじゃないか、という妄想を抱いてしまう。

このアルバムは冒頭の "Indiana" が圧巻の名演で、これはゲッツの最高傑作なんじゃないかという期待に胸が躍るけれど、2曲目以降を聴いていくうちに
大きく膨らんだ期待は徐々に萎んでいく。 その理由はバックの演奏の意外なほどの単調さにある。 

ガンナー・ジョンソンのブラシは終始カサカサと鳴っていてとてもいいけれど、ハルベルグのピアノがどういう理由か一本調子で冴えない。
フレーズが平凡でいつもの想像力が見られないし、打鍵も強弱のコントラストに欠ける。 運指はスムーズだけれど、ピアノがどうも心に残らない。
これが原因で、音楽に精彩が無く非常に単調になってしまっているのだ。 ゲッツ自身はいつも通り快調に淀みなく吹いているけれど、バックの単調さに
引きずられて後半は切れが甘いところも出始める。 私がハルベルグをこれまであまり熱心に聴いてこなかったは、このアルバムのそういうところが
昔から引っかかっていたせいだ。

それでも、このレコードは残響豊かで当時のストックホルムの空気を丸ごと録ったような大きな音場感が素晴らしく、そういう部分では満足度は高い。
ゲッツの北欧録音の他のディスクは音質があまり芳しくないので、これはその意味では北欧物の筆頭のアルバムになるだろう。


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タワーレコード新宿のレコードショップに行ってみた

2019年03月22日 | Jazz雑記


金曜日の仕事帰りに、昨日新規オープンしたタワーレコード新宿のレコードショップに寄ってみた。

タワーレコードに来るのは、おそらく10年振りくらい。 CD売り場が今もちゃんとあるのに驚いた。 よく持ちこたえてるなあ。





窓際は新品コーナー。 中古はフロア中央に並んでいる。 ワンフロアぶち抜きで天井が高く、解放感があって、とてもいい感じ。

でも、こういう置き方だと、ジャケットが日焼けするんじゃないかな? 大丈夫?


中古の在庫状況は、Rock / Pop がメインターゲットのようで、高額盤もチラホラ。 ソウルやヒップホップもそれなりにある。

ジャズはまあ予想通りで、一応、コーナーは作っておきましたよ、とおざなりな感じ。 

ラインナップも「急ごしらえでブックオフで仕入れてきました」という印象で、当然私が買いたくなるようなものは1枚もない。



   

ほとんどが再発や国内盤。 オリジナルなんてほとんどないし、あってもこんな感じ。 ユニオンの3倍以上・・・


今のところ、ジャズはまったくやる気ないみたい。 もちろんこれからの展開だから、長い目で見る必要はあるけどね。

でも、次に来るのは1~2年後でいいな。 その頃には少しは良くなっているかもしれない。


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スタン・ゲッツとの最初の共演

2019年03月21日 | Jazz LP (Roost)

Stan Getz / Vol.2 Swedish All Stars feat. Bengt Hallberg  ( 米 Roost RLP 404 )


ベンクト・ハルベルグはスタン・ゲッツがスウェーデンに来た時のパートナーとして幾度も録音に参加している。 最初は有名な "Dear Old Stockholm" を含む
ルースト・セッションで、これはSP録音だったが、後にLP期に入って10インチ盤としてまとめられている。 ルーストの編集のやり方は大体がアバウトで、
資料的観点で見るとなんだかなあと思うことが多いけれど、この時の録音はうまいこと1枚にまとまっている。

ハルベルグは上手い演奏をしている。 "Prelude To A Kiss" のイントロなんてエリントンの曲想を上手く表現していて、ゲッツへの橋渡しも上手く
いっている。 伴奏者としては完璧な演奏をしている。 だからこそ、その後もゲッツは彼を指名したのだろう。

ゲッツのルースト録音には2つの副次的産物があって、1つはスウェーデンに優秀なジャズメンがいることを紹介したこと、もう1つはホレス・シルヴァーが
レコーディング・デビューを果たしたことだ。 ルースト録音では他にアル・ヘイグやデューク・ジョーダンも参加していて、ゲッツ自身はどの演奏でも
安定していて出来不出来の差はないけれど、ピアニストが変わることで音楽の質感は微妙に変化する。 昔からゲッツの北欧録音は名演と言われるけど、
それはゲッツの演奏が特に良いということではなく、ハルベルグの抒情的なピアノが音楽をより優雅なものにしているということなんだろう。

録音は悪く貧しい音質だし、3分以内という時間的制約もあって、この時期の録音でゲッツの魅力が十分聴き手に伝わることはないけれど、北欧の有名な
民謡を仄暗い情感で歌った演奏はやはり素晴らしい。 ハルベルグは晩年のインタビューで「マイルスの "Dear Old Stockholm" の演奏をどう思うか」
と訊ねられて、「レコードは持っているんだけど、実は1度も聴いたことがないんだ」と答えている。 本当なんだろうか?

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レナード・フェザーが褒めた北欧のピアニスト

2019年03月17日 | Jazz LP (Epic)

Bengt Hallberg / S/T   ( 米Epic LN 3375 )


金曜日の夕刻、du cafe 新宿に立ち寄った後に拾った安レコ。 20年以上前に聴いた時は至極つまらないという印象だったが、今聴くとどうだろう、
という興味で拾ってみた。 こんなレコードでも昔はそこそこの値段が付いたものだが、イマドキはジャンク扱いらしい。 オランダ・フィリップス盤が
オリジナルだからということなんだろうけど、提携関係にあったこのエピック盤も同時期の発売だし、こちらのジャケットの方が秀逸だ。

エピック社は発売にあたり、アメリカでは無名だったベンクト・ハルベルグを紹介するためにレナード・フェザーにライナーノーツを書かせているが、
相変わらずこの人の文章は読みにくい。 悪文という程ではないにしても、もっと素直に書けないのかとうんざりしながらいつも読むことになるが、
ピアノのタッチが際立っているという的確な評価がされていて、おかしな内容ではなかった。 欧州の状況をレポートするために1951年の夏には既に
渡欧していて、その際に現地でハルベルグを知ったということだから、評論家としてはまともな人だったんだろう。

今の耳で聴いてみるとかつて感じたほどつまらないということはなく、アメリカ人以上にアメリカらしい正統派のピアノトリオで、汚れ知らずの端正
極まりない音楽になっていることに感心させられる。 "I'm Coming, Verginia" や "Sweet Sue,Just You"、"Dinah" のような古い曲が中核になっていて、
まるでビング・クロスビーやミルス・ブラザーズのインスト版という感じだが、古臭さは全くなく、すっきりと整理された新鮮さがある。

ピアノのタッチもしっかりとしていて、音の粒立ちが良く、歯切れもいい。 北欧のアイデンティティのようなものを見せることなく、アメリカの音楽に
自らを完全に同化させていて、ひとまずはジャズという音楽への敬意を表したということだったのかもしれない。 そして、それは成功している。

スタン・ゲッツの北欧滞在時のパートナーとしての重責をきちんと果たし、同じく北欧を訪れたクインシー・ジョーンズを「ジャズを理解している若い
ピアニストがいる」と喜ばせた優秀な才能が、ここには記録されていた。 かつての印象は間違っていた、と反省した週末だった。


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ジミー・ヒースの私的愛聴盤

2019年03月16日 | Jazz LP (Riverside)

Jimmy Heath / On The Trail  ( 米 Riverside RM 486 )


ジミー・ヒースはリヴァーサイドにたくさんレコードを残していて、我々にとってはエサ箱の常連なので見る機会の多いアーティスト。 私も結構たくさん
聴いてきたけど、結局手許に残っているのはこのアルバムだけになってしまった。 ウィントン・ケリー、ケニー・バレルらがバックを支えるワンホーンで、
ジミーのテナーは冴え渡っている。 このアルバムはこの人の実像をヴィヴィッドに伝えてくれる素晴らしい内容だと思う。

抜群に上手いテナーを吹くし、作品もたくさん残っているから、もっと人気があっても良さそうなものなのにイマイチなのは、モダンの主流からは微妙に
外れたアーシー一歩手前の音色と感覚を持った独特の位置感のせいだろう。 その音色とフレーズはどこかテキサス・テナーを連想させるけれど、決して
そこまでバタ臭くなく、かと言って都会的ということもなく、音楽的にも目立った特徴が見られることもく、全体的にグレーゾーンにいた人だ。
マイルスはバンドメンバーに穴が開いた時によくこの人を臨時で使ったけど、常設メンバーに抜擢されなかったことからもその感じがよくわかる。

でも、ここでは目から鱗が落ちるような明快なハードバップを披露している。 何にも気兼ねすることもなく、自然体で非常に上質な音楽で圧巻の仕上がり。
なまじ作曲や編曲ができたからアルバムには色々と趣向を凝らしたものが多い中、このワンホーンはプレーヤーとしての力量がそのまま発揮されている。
サックス1本で全曲最後まで飽きさせずに聴かせるのは難しいことで、それができたのは限られたビッグネームだけだろうと思うけど、このアルバムは
そういう名盤群に入れても何の遜色もない。

中でも、サラ・ヴォーンが好んで歌った "Vanity" と "I Should Care" のバラードが最高の出来。 この人にはバラード・アルバムを作って欲しかった。
これを聴けば、誰しもそう思うだろう。

おまけに、このレコードは最高に音が良い。 オルフェウムはこういうのがあるから、決してバカにしちゃいけない。 

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du cafe 新宿で一休み

2019年03月15日 | Jazz雑記



du cafe 新宿が本日オープンするというので、仕事帰りに寄ってみた。

17:35頃に入ったら、今日はオープニング記念イベントがあるので18:00に閉店すると言う。

時間があまりないので、アルコールは止めて、ホットコーヒーを頼んだ。

これがとても美味しくて、ちょっと驚いた。

口当たりの良い軽さなのに、ちゃんとコクがあって豊かな風味が広がる。

苦味でごまかしたりせず、まっすぐで素直な味わい。

しっかりと準備してオープンしたんだな、と思った。

ただ、店内が狭いのがちょっとどうかなあ、と思う。 休日はなかなか入れないんじゃないかな。

音楽は、スティングが流れていた。



   


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マックス・ローチという男(その3)

2019年03月10日 | Jazz LP (Debut)

Max Roach / Quartet featuring Hank Mobley  ( 米 Debut DLP-13 )


これはハンク・モブレーのレコーディング・デビュー作で、1953年4月10日にテナーのワンホーンで録音されている。

1930年にジョージア州イーストマンで生まれたモブレーは20歳になるとプロとして活動を始め、51年にはニュージャージーのニューアーク・クラブのハウス
バンドのメンバーとしてギグに出るようになる。 このハウスバンドのピアノはウォルター・デイヴィスJr.、ドラムがマックス・ローチで、それが縁で
ローチはモブレーとウォルターに声をかけて自身のバンドを作った。 そのバンドで録音したのがこのデビュー・レーベルのレコードということになる。

この演奏を聴くと、モブレーは早熟だったことがわかる。 技術的にはまだ覚束ないけれど、まるでロリンズのような音色で悠然とした演奏をしているのだ。
これを聴いてモブレーだとわかる人はおそらくいないだろう。 このレコードはこのレーベルにしては珍しく録音が良くて、楽器の深い響きが上手く録れて
いるせいもあるけれど、テナーの重く深い残響が響く様子には凄みがある。 私が知っているモブレーのテナーの音色では、これが一番いい。

この頃からローチは自己名義の録音ではドラム・ソロを無遠慮に始めるけれど、このレコードで聴ける彼のソロは悪くない。 殺伐として殺気立った雰囲気が
あり、これは聴かせる。 そして、それに互角に張り合うモブレーのテナーが見事な出来なのだ。 短い演奏時間であっという間に終わってしまうのが
残念だが、このレコードの演奏は粗削りな雰囲気とそれを活かす残響感豊かな音場が素晴らしい。

ローチがモブレーに目を付けたのは慧眼だったと思う。 いけ好かないやつだけど、ある種のセンスがあったのはどうやら間違いなさそうである。
自分が作ったバンドだから仕方ないのかもしれないけれど、このレーベルの趣旨を考えればハンク・モブレーのリーダー作として売り出してもよさそうなのに
そういう気遣いを全くせずにアルバムを出してしまう。 パーカーのバックでドラムを叩き、クリフォード・ブラウンを自己のバンドメンバーとして囲い込み、
ロリンズのサキコロに参加し、常にそうやって天才たちの傍にいることで自己の評価を確立してきたのが、このマックス・ローチという男なのである。


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マックス・ローチという男(その2)

2019年03月09日 | Jazz LP (Time)

Max Roach / Award-Winning Drummer  ( 米 Time T/70003 )


ピアノを使わず、レイ・ドレイパーを迎えた3管のハーモニーでコード演奏を代行させるというコンンセプトがなかなか上手く効いてる。 この構成の美点の
1つは、管楽器のソロをとる場合に楽器の音がきれいに聴こえることだ。 ピアノの和音の中にソロ楽器の音が混ざらないので、管楽器奏者が上手い場合は
その発する音の美しさや演奏の巧みさがよく判る。 これはブッカー・リトルやジョージ・コールマンのような演奏家にはうってつけの環境だろう。

ブッカー・リトルのラッパが冴えている。 輝かしい音色とグッと締まった制御のバランスに圧倒される。 強い知性で冷静にコントロールされた演奏は、
トランペット演奏の理想像の1つではないかと思う。 数十年後にウィントン・マルサリスらがやろうとした演奏スタイルがすでに1958年のニューヨークで
行われていた。 だから、ウィントンが自分の演奏の新しさを語っていた時に、ブッカー・リトルを知っていた私にはそれがピンとこなかった。 

ジョージ・コールマンもほろ苦い音色で節度のある落ち着いたプレイをしていて、いいテナーだなと素直に感じる演奏だと思う。 誰かと似ていることもなく、
この人だけの世界があるところが素晴らしいのではないか。 控えめな性格だったせいか、50年代に本人名義のアルバムがないのでとにかく一般的な評価が
低いけれど、こうして演奏はしっかりと残っているのだから、もっと聴かれるべきだ。

管楽器群の演奏が知的に洗練されていて、この当時の3大レーベルが量産したハードバップとは少し趣きが違う何かがある。 こういうのをきちんと聴けば、
3大レーベルだけが主流で王道だという認識が必ずしも正しいということでもないのだということに気が付くだろう。

但し、ここでもマックス・ローチの長いソロが出てくる。 特にA-4は初めと終わりに短い3管の重奏があるだけで、あとはすべてローチのソロが延々と
続くという恐ろしい曲。 まあ、一番最後に配置されているのが唯一の救いで、当然、3曲目が終わったら針を上げることになる。

例によってドラム・ソロ付きという問題点はあるけれど、これは内容が非常に優れたアルバムだ。 アート・デイヴィスのベースの音もよく録れているし、
ブッカー・リトルやジョージ・コールマンの演奏に耳を傾ければ、多少の瑕疵には目をつぶろうという気にもなれる。 

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短信~マイルスのお手本

2019年03月06日 | Jazz LP (Epic)

The Ahmad Jamal Trio  ( 米 Epic LN 3212 )



マイルスがキャノンボールとブルーノートに録音した "枯葉" 、

あの奇妙なイントロはこのジャマルの演奏からパクった、というのは有名な話。

マイルスのジャマルへの入れ込み様は只事じゃなかったんだな。

このアルバム、発売後まもなくジャケットが白人女性の横顔のデザインにすぐに差し替えられた。

何があったのだろうか。 色々と勘繰りたくなる。

娯楽のために作られたレコードだ、スタンダードをできるだけたくさん詰め込もうと、

どの曲も短い演奏で、ジャマルはちょろちょろっと弾いているだけ。

私にはただの退屈な音楽にしか思えないけれど、マイルスは違う何かを聴き取った。

凡人と天才の差は越え難し。


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マックス・ローチという男

2019年03月03日 | Jazz LP (EmArcy / Mercury)

Max Roach +4 / On The Chicago Scene  ( 米 Emercy MG 36132 )


知れば知るほど嫌いになるのがマックス・ローチという男だが、そのレコードを無視できるかというとなかなかそうもいかない。 この男、なぜか共演者に
恵まれていて、レコードとしては聴かずに素通りすることができないのである。 幸いにもブラウニーとやった作品以外は安いので、気が向いた時などに
拾っているが、困ったことにドラムの箇所を除くと演奏がいいものがあったりする。 それらの中でやはり群を抜いているのが、ブッカー・リトルと
ジョージ・コールマンがいた時のアルバムだ。 この2人の優秀さにケチを付ける人はいないだろうけど、その2人が揃って聴けるというところにマックス・
ローチのアルバム群の重要な価値がある。 これが無ければ、私自身は決して手を出すことはなかった。

このアルバムは確かブッカー・リトルの初レコーディングアルバムだったはずで、ロリンズがローチのバンドを去る際にドーハムの後任として推薦した、
というような話だったと思う。 もともとはシカゴ音楽院でクラシックを学んでいた正統派だから、技術的には既に完成していた。 50年代の有名な
トランペッターたちの誰にも似ておらず、どちらかというと現代の演奏家たちに通じるスタイルをこの時期にやっていて、その超時代感が驚異だった。

ジョージ・コールマンもマイルスのバンドに入る前の演奏だが、既に最初の全盛期かと思わせるような素晴らしい演奏をしている。 強い音圧や息の長い
フレーズ感のような身体的な圧倒感はないけれど、魅力的な音色となめらかで上手いフレージングに惹きつけられる。

こうして絡み合いながらも交互に立ち現れてくる2管の演奏は素晴らしくてどんな名盤にも負けない出来だけれど、問題はマックス・ローチの平坦なドラム・
ソロが長々と続くパートが出てきて、急にシラケてしまうことだ。 あまりの居心地の悪さに「ドラム・ソロって音楽に必要ないよな?」と思ってしまう
けれど、よく考えるとそんなことはなくて、スティーヴ・ガッドのソロなら永遠に聴いていたいのだから、結局ローチのソロがつまらないだけなのだ。

この人は「歌うようなドラム」と称えられるそうだけれど、私はそう感じたことは1度もない。 のっぺりと平坦で無味乾燥なものにしか思えない。
生で聴けばもしかしたら違う印象なのかもしれないけれど、それは叶わないことであって、レコードで聴くしかない以上はその感想しか持ちようがない。
リズムキーパーとしてはタイトで優秀だと思うけれど、ソロに関しては正直言って要らない。 ただこのレコードは彼名義なのだから、これは我慢する
しかないのだ。 リトルとコールマンの素晴らしい演奏に接するための代償だと諦めて、渋々聴いている。

不可解な言動もいろいろあったりしてどうもいい印象が持てないが、少なくとも彼の周りには優れたミュージシャンが常時いたことは間違いない。
ドラムという楽器は他の楽器と比べてやる人が相対的に少なくて引く手あまただったという事情はあっただろうけど、それにしてもなぜこんなにも
リーダー作を多く持つことができたのかが不思議でならない。

でも、そうやって文句ばかり言いながらもこのアルバムは好きでよく聴いているのだから、俺は本当にマックス・ローチが嫌いなのか?という疑問も
出始めている。 イヤよイヤよも好きのうち、だったらどうしよう、嫌だなあ。

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小気味よい演奏の裏に見えるもの

2019年03月02日 | Jazz LP (Decca / Coral)

Hal McKusick Quintet / Fraturig Art Farmer  ( 米 Coral CRL 57131 )


アート・ファーマー、エディ・コスタを迎えたマイルドなハードバップ・セッションだが、このメンツならではのサムシングに欠ける。 やはりファーマーの
存在感が強く、実質的にはアート・ファーマー・クインテットという感じになっている。 マクシックの良さは奥に引っ込んでいて、全体的にはファーマーが
ジジ・グライスとやったクインテットの音楽によく似ている印象だ。 あのバンドの音楽監督はジジ・グライスかと思っていたが、案外ファーマーが中を
仕切っていたのかもしれない。

これを聴いていると、マクシックの弱点が見えてくる。 バンドという形になった時に音楽的リーダーシップをとれないということだ。 エディ・コスタは
得意の低音域を強打する奏法を封印してサポートに徹しているので管楽器がどう演奏するかに焦点が集まるけれど、先陣を切るのは決まってファーマーだし、
楽曲のアレンジもファーマーのアルバムで聴けるものだから、マクシックの音楽を聴いているという感じがまったくしないのだ。 私自身はファーマーが
好きだからこれはこれで何も問題ないけれど、ハル・マクシック・クインテットと言われると「そうはなってないんじゃない?」と言わざるを得なくなる。
我が俺がと前に出ようとする個性がすべていいとは言えないにしても、個人商店として活動していくには向いていなかったんだろうなと思う。

とは言え、演奏者はみんな腕利きばかりが揃っていて、闊達な演奏が聴けるいいアルバムに仕上がっている。 コーラルは一般大衆向けレーベルだから
もともとシリアスなジャズを録音する意図などなかったはずで、そのラインにうまく沿った本流のハードバップとして上質な演奏に十分満足できる。
ミュージシャンというのはある程度の大物でない限り、録音するレーベルの意向に沿うことが必要だったのだから、こちらもそれを前提にして聴かなければ
いけなくて、その印象が自分好みじゃないからと言って切って捨てるのは拙速。 いつの時代も世の中はいろいろとややこしい。


コメント
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