廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

本格派のモダン・ジャズ

2024年07月21日 | jazz LP (Atlantic)

Harry Lookofsky / Stringsville  ( 米 Atlantic Records 1319 )


ジャズの世界でヴァイオリンと言えばステファン・グラッペリやジョー・ヴェヌーティ、レイ・ナンスが頭に浮かぶが、彼らの音楽はモダンからは
距離があり、日常的に聴こうという気にはあまりなれない。そう考えると、モダン・ジャズに正面から取り組んだヴァイオリンと言うと、
おそらくはこのアルバムが唯一のものかもしれない。ハープやフルート、オーボエなんかでジャズをやっているアルバムはそこそこあるのに、
ソロ演奏に向いているヴァイオリンのアルバムがほとんどないのはよく考えると不思議だ。

このアルバムはハンク・ジョーンズ、ミルト・ヒントン、ポール・チェンバース、エルヴィン・ジョーンズがバックを務める本格派のモダン・ジャズで、
全体的に素晴らしい音楽が展開される。特にハンク・ジョーンズの演奏が光っており、"Somethin' Else" で聴けるような音数を抑えた漆黒のシングル
トーンが見事だ。ずっしりとした重量感のあるサウンドで、腰の据わった素晴らしいジャズが聴ける。

冒頭の " 'Round Midnight" がダークな雰囲気の名演で、原曲の曲想をうまく生かした展開はこの曲の数ある名演の中に列挙される。この曲はその
曲想が素晴らしいので、変に崩して演奏してもらっては困る。よく取り上げられる楽曲だがそれをわかっている演奏は意外に少ないので、これは
貴重な演奏である。

ヴァイオリンだけでは単調になると思ったか、管楽器を少し入れた演奏も含まれるが、飽くまでも軽いオブリガート程度のサポートでしっかりと
ルーコフスキーが主役の演奏となっている。演奏に重みを付けるためにテノール・ヴァイオリンも使っていて、なかなかよく考えられた構成にも
なっている。ヴァイオリンだけが目立つことなく、全体的に厚みのあるしっかりとした音楽になっているところが非常に素晴らしい。

西洋音楽の主役であるヴァイオリンもジャズの世界では肩身が狭かったのか、これだけのアルバムが作れるにも関わらず、この人のアルバムは
この1枚だけで終わった。もともとジャズという音楽はクラシック音楽の要素の流入を頑なに拒んできたようなところがあるし、当時は聴き手も
敢えてそれを望まなかったのだろう。でも、私は寺井尚子のデビューアルバムは大傑作だと思うし、決して親和性が低いとは全然思わない。
今後はもっと増えて欲しいと思う。



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懸案盤の緩やかな解決

2023年12月31日 | jazz LP (Atlantic)

Ornette Coleman / The Shape Of Jazz To Come  ( 米 Atlantic Records SD 1317 )


今年のレコード漁りで個人的なトピックスの1つは、このステレオ盤を拾えたことだった。

このアルバムのモノラル盤の音の悪さに気が付いたのはCDを聴いた時で、これはどうしてもステレオ盤を探さねばと長年探していたのだけれど、
これがまったく見つからない。並みいる有名な稀少盤もこのステレオ盤の足元にも及ばないなあ、とここ数年はもう探すことすら諦めていた。
そういう個人的な懸案の1枚が今年ようやく解決した。

楽器の音色の輝きが増し、音楽の高級感がアップして聴こえる。無理やり中央に音像を寄せ集めた感じからは解放されて、音楽が自然な様子で
空間の中を舞っているように変わった。これでようやくモノラルとはおさらばできる、と早々に処分した。

レコードを買っている人であれば誰にも「個人的な懸案盤」があるだろう。これだけはどうしても欲しいとか、持っているけど傷があるから
買い換えたいとか、その動機は人それぞれだが、おそらくそこに共通しているのは自分の中だけのどうしても譲れないこだわりではないだろうか。
そしてそのこだわりはあまり他人には理解できない(言い換えると、他人からみるとかなりどうでもいい)類のものだろう。でも、この自分にしか
わからない自分にとっての大事なこだわりこそがこの趣味の根底を支えていて、これが枯れた時にこの趣味は終わりを迎えるのだろう。

コロナ禍がひと段落して中古市場の状況は大きく様変わりしたが、それでも2020~21年頃の中古の流通が鳴りを潜めたあの耐え難いストレスから
解放される程度までには中古市場は復活しつつある。願わくは来年は更に流通量とスピードが増して、価格がコロナ前のレベルまでは下がって
欲しい。中古レコードの流通は人々の営みそのものを映し出しているのだから。



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騎士の音楽とは何か

2023年11月12日 | jazz LP (Atlantic)

George Wallington / Knight Music  ( 米 Atrantic Records SD 1275 )


マーク・マーフィーが歌った " Godchild " って、ジョージ・ウォーリントンが作った曲だったんだなあ、と改めて感じ入りながら聴く。
この人のピアノは音楽的表現力が乏しく、この演奏を聴いて歌いたくなるような感じはないけど、それを歌ってしまうところに
彼の才能があったのだろう。

ウォーリントンのピアノはまんまバド・パウエルだ。昔はクロード・ウィリアムソンが白いパウエルとよく言われて、私はいつも「どこが?」
と思っていたが、このウォーリントンは指がまったく回らなくなったバド・パウエルそのもの。縦揺れして、ぶっきらぼう。フレーズの処理も
バップ・ピアノの典型で、時代の変化についていけず早々と引退を余儀なくされたのはしかたがない。

自身のオリジナル曲とスタンダードが配置されているが、あまり違いを感じない。メロディーよりも演奏形式が前面に出てくるのがビ・バップの
特徴で、だからこそジャズは新しい音楽として一世を風靡することになったのだけど、その残滓が滴り落ちてくる演奏だ。ピアニストが自身の
ピアニズムをあられもなく露出して情感を吐露し始める前の、形式の美しさで勝負していた時代の音楽である。そこには完成された形式への
揺るぎない信頼とその杯を受け継ぐ者だけに許される気高い自信が溢れているように思える。このジャケットの絵と「騎士の音楽」という
タイトルが冠せられたのは単なる偶然ではないのだろう。

このアルバムはステレオプレスの音が極めてよく、トリオの音楽の深みがよくわかる。私はこのステレオプレスを聴いてモノラル盤は聴く気に
ならなくなり、さっさと処分した。そのくらい音質には雲泥の差がある。



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レーベルが変わることで印象が変わるテディー・エドワーズと共に

2023年07月29日 | jazz LP (Atlantic)

Joe Castro / Groove Funk Soul  ( 米 Atlantic Records 1324 )


ジョー・カストロはアトランティックにリーダー作を2枚残しただけなので、その実像はよくわからない。西海岸を拠点に活動していたようだが、
これといってスポットライトが当たることもなく、ひっそりとその生涯を終えたらしい。一時期、テディー・エドワーズと一緒に演奏をしていた
ようで、MetroJazzレーベルのロリンズのミュージック・インでのライヴ・アルバムの余白に収録されたテディー・エドワーズの演奏のバックで
ピアノを弾いている彼の様子が捉えられている。

私はテディー・エドワーズを聴いていると粗さを感じてしまうので好んで聴くことはないのだが、このアルバムを聴いて彼のテナーも含めた
音楽の良さに驚かされた。アップテンポの曲ではキレのよい闊達さで、ゆったりとした曲では深みのあるペーソス漂う表情で、いずれも懐の
深い音楽を展開している。このメンバーでこんなに豊かな情感が出てくるのか、というのが何よりの驚きだ。コンテンポラリー盤を聴いても
テディー・エドワーズの良さはあまりうまく捉えられていないと思うのは私だけなのだろうか。

カストロのピアノはバップの洗礼を受けていないような中道的なスタイルで、そういうところがこの音楽をありふれた雰囲気になることから
救っているような印象を受ける。テクニックを押し売りするようなところもなく、必要十分なだけの演奏で音楽を作り上げている。

ルロイ・ヴィネガーとビリー・ヒギンズの演奏もこれ以上ないくらいタイトで、この安定感があればこそ、という感じだ。特にヴィネガーのベースの
重量感のある音色が上手く録れており、全体がジャズのサウンドとして魅力的にまとまっている。アトランティックにしては珍しく音もよく、
このレーベルのモノラル盤に感じるストレスもまったくない。

こんなにいいレコードなのになぜ陽の目を見ることがないんだろう、とぼんやりと考えながら聴くけど、いつもその理由はよくわからない。



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管楽器との相性の良さ

2023年06月04日 | jazz LP (Atlantic)

John Lewis / The Wonderful World Of Jazz  ( 米 Atlantic 1375 )


誰からも褒められることのない典型的な安レコだが、これがなかなか聴かせるいいレコードで、結構気に入っている。
1960年に行われた3つの異なるセッションの寄せ集めで、楽器の構成も演奏者もバラバラというアルバムとしての不統一さに何か偏見がある
のかもしれないが、でも実際に聴いてみるとジョン・ルイスという個性が1本のスジを通しており、不思議とまとまりがいい。

ジョン・ルイスという人はインタビューを読むと非常に真面目な人だったことがわかる。音楽のことを真摯に考え、グループの運営に心を砕き、
どうすれば観客を楽しませることができるかに心を寄せていた。そういう真面目さが良くも悪くもその音楽に色濃く反映されていて、それが
賛否両論を引き起こすようなところがある。だから、何だか切ないな、と思うこともある。想いはなかなか伝わらない。

"Afternoon In Paris" は5管編成で、アルトはドルフィーが吹いている。この日の収録はこの曲だけで、この1曲のためだけにわざわざ呼ばれた。
短いながらもドルフィーらしいソロが聴ける。"Body And Soul" はゴンザルヴェスとポメロイの2管、その他はジム・ホールを入れたカルテット、
という魅力的な構成で選曲もいい。こういうメンバーでこういう選曲をしてもハード・バップにはならない、というのはよく考えると不思議な
ことかもしれない。それだけジョン・ルイスという個性は強固で音楽を支配する力が強かった。

管楽器が入る楽曲があるおかげでピアノ主体のアルバムよりも外に開かれたオープンな雰囲気が漂い、音楽の表情はいつもより朗らかだ。
パシフィック・ジャズの "Grand Encounter" なんかもそうだが、案外管楽器との相性は良かったのかもしれない。最後に置かれた "I Remenber Clifford"
が意外な選曲だが、感傷的にはならずに穏やかな表情で弾いているのが印象的だ。いいアルバムだったな、という心地よい余韻を残して終わる。



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昔から名盤と言われるが・・・

2023年01月22日 | jazz LP (Atlantic)

Lee Konitz / With Warne Marsh  ( 米 Atlantic 1217 )


昔から名盤100選には必ず載ってくるアルバムだが、本当にそうなのか、未だによくわからない。悪くはないのだが、他のアルバムを蹴落として
100選の中に入れるほどかと言われると、そうとは思えないというのが正直なところではないか。

トリスターノ派のお手本のような音楽になっているのはいいのだが、コニッツの演奏に彼独特のキレがあまり感じられない。ウォーン・マーシュの
ヘタウマな演奏もこれはこれで彼の個性だからいいとしても、コニッツの演奏の足を引っ張っているような印象があり、どうも居心地が悪い。

A面はスタンダード中心、B面はメンバーのオリジナルがメインという構成だが、とにかくA面はあまり面白くない。トリスターノ派の眼から見た
スタンダード解釈ということだが、斬新さに欠けていて、正直言ってかったるい。それに比べてB面はトリスターノ楽派の結晶のような音楽に
なっているので、こちらの方が断然聴き応えがある。間に入るペティフォードのブルースもいいアクセントになっていて、聴くならこちらのサイド
の方がいいが、それでも全体的にはもどかしさが残る。

その原因の1つは、アトランティックのモノラル盤固有の音の悪さにある。特にこのアルバムは録音が古いので、音質面から見るといただけない。
演奏の良さみたいなものはここからはまったく聴き取れず、音楽の評価が正しくできないのだ。そういう困ったレコードだから、関心の行方は
どうしても別の方向へと向くことになる。





うちにはこのレコードが2枚あって、どちらもフラットディスクだ。両方とも5千円くらいで転がっていて割安だったから拾って帰って来た。
このレコードは昔からフラットかグルーヴガードか、というところに焦点があたるけれど、私見ではグルーヴガードがレギュラーのオリジナル
ということでいいと思っている。どちらも音質は一緒で違いはない。最近気付いたのだが、グルーヴガード盤のジャケットは表が額縁で背厚の
ものばかりで、フラット盤のジャケットは表が額縁ではなく、背の無い巻き仕様のものばかりだということ。初期アトランティックのモノラル
プレスの標準仕様は前者のタイプなので、後者のタイプは明らかに別工場で制作されたイレギュラー・プレスだったんだな、ということで
私の中では決着している。そもそもフラットディスクは弾数が少な過ぎるので、レギュラー・プレスのはずがない。





これもフラットディスクだが、やはり額縁なしの背無し巻きジャケットの中に入っている。このタイトルも額縁・背厚ジャケットの中に入っている
のはグルーヴガード盤ばかりで、弾数は圧倒的にこの仕様のほうが多いのでこのタイプがレギュラー品だろう。



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隠れた実力派

2022年10月02日 | jazz LP (Atlantic)

Ted Curson / The New Thing And The Blue Thing  ( 米 Atlantic 1441 )


1964年に欧州へ演奏旅行へ行った際にジョルジュ・アルバニタと知り合いになり、それが縁となって帰国後に彼を含めて録音されたのが
このアルバムということらしい。ビル・バロンという曲者も加わり、硬派でいながらもストレートなジャズとなっている。

キャリアのスタートからセシル・テイラーやミンガスのバンドで演奏してきたこともあり、アヴァンギャルド派の印象があるのか、
日本では人気が無い不遇なミュージシャンの代表格のような人だが、この人の作品はどれも硬派な内容だが、聴きにくいということはなく、
真面目に音楽に取り組んだ成果がアルバムの中に刻まれている。

タイトルが暗示するように、既存のハード・バップやモードの語法に拠らない、第3の感覚のジャズということになるのだろうけど、
この路線はブルーノートの4000番台を含めて60年代の一大勢力だったわけで、その中でもアルバニタがアメリカのピアニストとは
一味違う色彩感で演奏していることもあり、新鮮な空気感が漂っている。アトランティックのサウンドの中で鳴るアルバニタのピアノは
マッコイのような音色と響きに聴こえるとこが面白い。また、ビル・バロンのテナーが太く硬い大木の幹のような存在感を発揮していて
音楽に重量感があり、浮ついたところがないのが好ましい。

テッド・カードンのトランペットの技量は高く、上手い演奏をするなあと感心させられる。ミンガスのバンドで相当しごかれたんだろう、
演奏に安定感があり見事だ。"Star Eyes" をバラードとして演奏していうけど、情感の込め方も上手く、一流の演奏家だったことがわかる。
あと10年早く生まれていたら、一端のミュージシャンとして人気を獲得していただろう。



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初期ロイ・エアーズの傑作

2022年08月17日 | jazz LP (Atlantic)

Roy Ayers / Virgo Vibes  ( 米 Atlantic SD 1488 )


ハード・バップをやらないミュージシャンは相手にしてもらえないこの偏狭な世界において、ロイ・エアーズは当然のように認知してもらえない。
ただ、デビュー後の数年間は良い仲間にも出会えて、しっかりとジャズをしていた。世代的にはハード・バップをやるには生まれたのが遅過ぎた
世代なので音楽の感性も次世代的なものだったが、初期のアルバムは内容がとてもいい。

チャールズ・トリヴァーとジョー・ヘンダーソンが加わるサイドと、トリヴァーに加えてハロルド・ランド、ジャック・ウィルソンに代わるサイドに
分かれるが、この2つのセッションがまるで違う雰囲気になっているのが面白い。演奏家の個性がそのまま音楽に反映されている。

ジョー・ヘンダーソンが入るサイドは明るい演奏で程よくファンキーだが、サイドが代わるとグッとシブく深みのあるブルース感が溢れ出す。
ハロルド・ランドとジャック・ウィルソンの組み合わせはこれ以外では知らないが、これがすごくいい。ミルト・ジャクソンのように誰とやろうが
全てを自分色に染めるタイプとは違って、共演者の色に上手く溶け込んでその都度違う音楽を生み出すのがこの人の才能のようだ。A面とB面で
こんなにも雰囲気が変わるアルバムも珍しい。

ハロルド・ランドの太く重い音色、トリヴァーの気怠い旋律がゆったりと流れる中、ジャック・ウィルソンの独得のピアニズムが音楽を主導する。
そして、その流れがロイ・エアーズに引き渡されて曲が静かに終わる様は素晴らしい。よく考えられた構成になっていて、全編通して聴き終わった
あとには深い余韻が残る。50年代のジャズにはなかったメロウ感が取り込まれるようになったのはこの辺りからかもしれない。



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チェンバースが牽引する漆黒の世界

2020年09月19日 | jazz LP (Atlantic)

Milt Jackson & John Coltrane / Bags & Trane  ( 米 Atlantic 1368 )


ミルト・ジャクソンが作るブルージーな空間にコルトレーンの重厚なテナーが響く。墨を流したような漆黒の世界が拡がる。

コルトレーンはフレーズを吹いてはいるが、それよりはテナーの音色そのもので音楽を創出しているような感じだ。それはミルト・ジャクソンも
同様で、アドリブが命とされるジャズの本線からは外れるような印象すらある。2人はその唯一無二の音色を幾重にも重ねることで音楽を
描いているようだ。コルトレーンがヴィブラフォン奏者と演奏しているレコードはこれしかないが、彼の重たい音色がヴィブラフォンと
こんなにも相性がいいというのは驚きだ。

そして、フロントの2人以上に耳を奪われるのはポール・チェンバースのベースだ。ベースの音が上手く録れているということもあるが、
チェンバースのベースが唸りをあげている。この音楽を引っ張っているのは、このチェンバースかもしれない。いつもの後乗りではなく、
イン・テンポでリズムをキープしながら、一音一音が唸り声を上げている。温厚なチェンバースが牙をむいた凄みに身がすくむ。

コルトレーンはミルト・ジャクソンを立てたバランスのいい演奏をしており、全体的にうまく纏まった音楽になっているが、どの楽器も
よく鳴っていて、骨太で極めて硬派なジャズに仕上がっている。あまりに本格派過ぎて、聴いていてちょっと怖くなる。

コルトレーンのアルバムとしてはいつも奥の方に隠れているが、これは非常によくできている。キャリアとしてはだいぶ格上の大先輩と
がっぷり四つに組んだ様が素晴らしく、コルトレーンが自立したことをはっきりと示すシンボリックなアルバムと言っていい。


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品格が際立つ傑作

2020年04月10日 | jazz LP (Atlantic)

Billy Taylor / One For Fun  ( 米 Atlantic 1329 )


中古レコード屋に通うマニアにとって、ビリー・テイラーは馴染みの人。どこに行っても何かしらの在庫が転がっていて、値段も安い。レーベルも
ブレスティッジ、リヴァーサイド、ABCパラマウント、アトランティック、ルースト、と幅広く、選びたい放題。おそらくほとんどの人が何かを
聴いたことがあるだろう。ピアノ・トリオの楽しさを一番わかりやすく教えてくれる教師のような存在かもしれない。

そういう親しみやすさが仇となり、軽く見られているのがちょっと残念な気がする。レコードがたくさんあると有難みが薄れて、それがアーティスト
本人の評価へと転化されていくのがこの世界の悪しき風潮。その代表格がこの人かもしれない。

この "One For Fun" は私が一番好きなレコード。非常に上質で高貴な雰囲気がある。内容は平易で極めてわかりやすいのに、チープな感じがまったく
しない。他のアルバムとは明らかに雰囲気が違うのだ。どの曲も似たようなテンポで演奏されていて、こういうのは普通ならのっぺりとした印象に
堕するのに、1曲1曲がしっかりと立っている。どの曲も軽快なテンポなのに、非常に落ち着いてていねいに弾かれているからかもしれない。

問題の多いアトランティックのモノラル盤としては音質もいい。高い周波数帯を切ったようなフラットさは相変わらずだけれど、個々の楽器の音が
くっきりと独立していて、ベースとドラムの音が分離のいい音像として迫ってくる。テイラーのピアノはどこかガーランドを想わせるところがあり、
このアルバムはガーランドのプレスティッジ盤と雰囲気がよく似ている。そういう意味でも聴き応えがあって、満点の内容だと思う。

このレコードは昔は寺島本が出るまでは知る人ぞ知るレコードで、入手が非常に難しい1枚だった。私も必死に探して、ようやく見つけたのは
コンデイションの悪いものだったけれど、我慢して聴いていた。それくらい珍しいレコードだった。でも、今はどこにでも転がっていて、
どれも状態は良く、値段も安い。個人的に時代が変わったことを1番実感するのが、これがエサ箱で売れ残っているのを見かけた時だったりする。


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ジャック・ウィルソンを見直す

2020年02月16日 | jazz LP (Atlantic)

Jack Wilson / The Two Sides Of Jack Wilson  ( 米 Atlantic 1427 )  


傑作である。どうして誰も褒めない? 安レコだから、なのかもしれない、やっぱり。

ジャック・ウィルソンと言えばブルーノートのアルバムへの言及ばかりだが、やはりまずはピアノトリオを聴くべきだろう。尤も、録音の機会には
まったく恵まれず、レコード期のまともなピアノトリオはこれくらいしか残っていないのではないか。リロイ・ヴィネガー、フィリー・ジョーが
バックに付いているんだから、悪いはずがない。そう考えて手に取るとこのアルバムが圧巻の仕上がりであることが判り、これ、最高だよ、と
一人で小躍りすることになる。

まず、このレコードはフィリー・ジョーのドラムの風圧の凄さ、ヴィネガーのベースの轟音に殺られてしまう。この2人の音が生々しくクリアに
録られていて、ピアノトリオとしての快楽度MAXなサウンドを体感できる。特に、ヴィネガーのベースの正確無比で強い音圧は最高だ。
ベース好きなら耳が釘付けになり、身悶えするレコードになっている。

ファースト・サイド、スロー・サイド、と分けられた編集で、A面のアップテンポの楽曲でベースとドラムの快楽を味わえるが、B面のバラード集では
ウィルソンの美音に酔わされる。コードの鳴り方が美しく、レガートなフレーズも優雅で、楽曲のしなやかさが見事だ。

とにかく上手いピアノを弾く人で、その演奏力の高さには圧倒されるけれど、そこには嫌味な印象はなく、楽曲を音楽的に聴かせるのが上手い。
豊かなピアノトリオの音楽を聴いたなあ、という深い充足感が残る。もっとたくさんのアルバムを残して欲しかった。

1964年のモノラルプレスだが、このレーベルのイメージとは裏腹に音質はとてもいい。楽器の音色に艶があり、音場感も自然だ。時期的にステレオ
プレスが当然あるので、そちらも気長に探そう。レコード屋に通う楽しみは尽きない。


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メアリー・ルー・ウィリアムスの優しいピアノ

2020年02月01日 | jazz LP (Atlantic)

Mary Lou Williams / Piano Panorama  ( 米 Atlantic LP 114 )


黒人としてのアイデンティティーを包み隠さず生きた彼女のようなタイプは日本では受けない。彼女のことをまともに聴いていて語れるコレクター
なんていないだろう。ピアニストとして影響力を持っていたわけでもないし、名盤100選に残るような作品があるわけでもないとなると、どこを聴いて
何を語ればいいのか、ということになる。

40年代にピアニストとしての形を作り上げた彼女は、地に足の着いた音楽活動を地道に続けた人だ。単なる演奏家としてだけではなく、当時の黒人ジャズ
演奏家を巡る環境の悪さを共済するために活動したりと幅広い動きをみせた。フランスに渡ってアメリカから逃避していた現地ミュージシャンと共演も
したし、大きなジャズ・フェスにも招かれて演奏した。その活動は現代の我々には何一つ評価されていないように思える。

古い10インチから流れてくる音楽の柔らかな質感は彼女の心をそのまま映し出しているように思える。フレーズは無理なく構成されていて、奇をてらった
ところもなく、打鍵のタッチもちょうどいい。疲れた仕事帰りに立ち寄ったバーでこれが流れていたら、心は癒され、思わず聴き入ってしまうだろう。
現代ジャズが失ったジャズらしいフィーリングに溢れた愛すべき小品だと思う。

女性ピアニストを語る際は、彼女のことも忘れず語ってあげて欲しい。60年代以降の彼女のアルバムに目を付けてスポットライトを当てたのがクラブ
ジャズのDJたちだった、なんて恥ずかしい話ではないか。


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Atlantic のステレオプレス

2020年01月26日 | jazz LP (Atlantic)

Phineas Newborn Jr. / Here Is Phineas  ( 米 Atlantic SD 1235 )


いつ、どの店舗に行っても、在庫が転がっているこのレコードのモノラルオリジナル。買ったはいいが、音の貧弱さにがっかりして大半の人がすぐに
手放すせいだ。アトランティックは内容の優れたタイトルが揃っている優良レーベルであるにも関わらず、マニアから褒められることがない。
モノラル盤信仰が蔓延るコレクターの世界でこのレーベルのモノラル盤の音の鮮度の無さやこもったサウンドの評価は極めて悪く、それがそのまま
作品の評価にすり替わってしまっている。まあ、これは致し方ない部分はある。

そこで以前シモキタで拾ったステレオの安レコを聴いてみると、これがモノラル盤よりも音の鮮度が高いことがわかる。ダイナミックレンジは明らかに
拡がり、ピアノの残響感も時代相応ながらもしっかりと再生される。そのおかげでフィニアスのピアノの際立ったタッチがリアルにわかるようになり、
彼がここでやりたかったことがヴィヴィッドに伝わってくる。

このアルバムは、おそらく元がステレオ録音だったのだと思う。ステレオの音場として不自然なところはなく、明らかにモノラル盤のサウンドのほうが
不自然であることがすぐにわかる。ということで、このアルバムに関してはステレオプレスで聴くのがいいと思う。

ただし、冴えない音のアトランテック・モノラル盤のすべてがステレオの方がいい、という結論ではない。それはあまりに短絡的で、正しくない。
こればかりは1枚1枚聴き比べてみて判断するしかない話なのだ。そして、仮にこのアルバムのようにステレオ盤の方に軍配が上がったとしても、
決して「高音質」ということではないことに注意が必要である。あくまでそれはモノラルと比べた場合の相対的な意味合いなのであって、それ自身が
客観的に見て「高音質」という意味では決してない。だから、レコードを買う時にはそういう文言に踊らされて高いものを掴まされることのないよう
気を付ける必要があると思う。

フィニアスのピアノの腕前は鉄の剛腕という感じで素晴らしいが、同時にここが好き嫌いの評価の分かれ目になる。このアルバムも安定感抜群の見事な
弾きっぷりだが、もっとタメてフレーズを歌わせてもよかったんじゃないかと思う。これだけ上手ければ如何ようにも弾けたはずで、そこがちょっと
もったいなかったなと思う。バド・パウエルの "Celia" を入れているあたりにパウエルへの憧憬の強さが感じられるが、あと1歩踏み込んでもよかった
んじゃないかと思う。


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過去を清算した特殊なアルバム

2019年09月23日 | jazz LP (Atlantic)

John Coltrane / Giant Steps  ( 米 Atlantic 1311 )


1958年に最初のピークを迎えたコルトレーンをまるで待ち構えていたかのように、翌年になると重要な録音が2つ続くことになる。 1つは3~4月録音の
"Kind Of Blue" 、もう1つは5月録音の "Giant Steps" である。 前者はジャズの歴史の潮目を変え、後者はコルトレーンの音楽の方向を変えた。
おそらくは本人ですら想像もしていなかった方向へと。

時間の流れの中で見てみると、このアルバムはそれまでの作品とはまったく異質な内容で、これ以降もこの路線に続くものは見られない。 あまりに
突然現れたという印象だ。 そういう意味で、このアルバムは自身の音楽観の移り変わりの中で自然に出てきたというよりは、ある特定の意図をもって
作られたんじゃないかという気がする。

この演奏を聴いていて感じるのは、この背後に積み上げられたであろう膨大な練習量だ。 もはやその場のアドリブというよりは、事前に準備されて
練習し尽した既定ラインの披露という感じだ。 そう思わせるくらいかっちりとし過ぎているので、何だかジャズっぽくない雰囲気すら漂っている。
なぜここまで完成度の高さにこだわったのか。

私にはこのアルバムの背後にソニー・ロリンズの姿が透けて見える。 ロリンズのサキソフォン・コロッサスも恐ろしい程の完成度の高さを誇るけど、
このアルバムと同じようにあまりにかっちりとし過ぎていて、そこが面白くない。 ただ、ロリンズの方はその背後に周到に用意された準備の跡は
感じられない。 あくまでもその場で自然発露的に演奏されていて、そこにロリンズの怖ろしさがある。 一方、コルトレーンは自分がそうではない
ことがよくわかっていたから、あのアルバムに匹敵するものを作るには念入りな準備と気の遠くなるような練習が必要だと考えたのではないか。
サックスの吹き方もロリンズに似た箇所が幾度となく出てくる。

それまで散々演奏が下手だと叩かれて悔しい思いをしてきた彼には、思うように吹くことができる今こそ、過去の自分を清算する必要があった。
そのためには自分の永遠の憧れであるロリンズの、あのアルバムに匹敵するものを作る必要がある。 そこで演奏不可能と思われる曲を書き、
それを難なく吹けるようになるまでひたすら練習し、満を持してトミー・フラナガンを連れてきたのだ。 そういう戦略に沿って作られた非常に
特殊なアルバムだったのだと思う。

インパルスに移った後はもうここで演奏した曲は顧みることもなく、コルトレーンにとっても一過性の作品だったことは明らか。 インパルス期の
アドリブ全開のスタイルでこれらの楽曲をやらなかったのは、コルトレーンの意識の中には元々ここにはアドリブの要素が希薄だという感覚が
あったからではないか、と邪推してしまう。 それほどここには一分の隙も見られない。


このレコードは貧弱な音でしか鳴らないアトランティック盤の中では珍しく楽器の音がクリアで高い音圧で鳴る。 尤も空間表現は全くダメで、
立体感や奥行きを感じることはできないけれど、それでもこのレーベルとしてはまずまずの部類に入る。 CDもまずまずの音で聴くことができるから、
元の録音が良かったようだ。 アトランティックはカタログ内容は非常に立派だが、そういう面では面倒臭い。


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カッティングの違いを感じるアトランティックの10インチ

2019年07月20日 | jazz LP (Atlantic)

Barbara Carroll / S/T  ( 米 Atlantic LP-132 )


レコード漁りの醍醐味はパタパタとレコードをめくって探すことそのものにある。 その結果買うことになっても、それは副次的な産物かもしれない。
記憶の中に残っているのは買ったレコードのことよりも、店に行く途中に見た街の風景だったり、店から出て立ち寄った茶店でタバコを吸いながら
心地好い疲労感の中でぼんやりと考えたこととか、壁に掛かっている高額なレコードを指を咥えて眺めていたこととか、そういうことばかりだ。
買ったレコードのことより、買わなかったレコードのことの方をよく憶えていたりする。

このバーバラ・キャロルのレコードも、会計を済ませて店を出ようとした時に出口付近に無造作にダンボール箱が置かれているのに気が付いて、何気なく
その中をパタパタとめくっていたら出てきた。 それ以外にもボロボロ出てきて10枚くらい拾い上げるハメになり、再度カウンターに戻って検盤して、
その中の半分を追加で買うことになった。 そういう何てことはない行為そのものの方ががしっかりと記憶に刻まれている。

やはり、バーバラ・キャロルのピアノには他の人にはない何かを感じる。 それが何なのかを説明するのは難しいけれど、そこには確かに何かがある。
それを求めて彼女のレコードを聴くという孤独な作業を繰り返しているけれど、それはそもそも音楽を聴くということの原点でもある。
彼女のレコードは、どこか私にそういうことをさせる力を持っている。

アトランティックの10インチを買ったのはずいぶん久し振りのことだけど、一般的な12インチの黒ラベルのレコードたちと比べると音の鮮度が比較に
ならないくらい良い。 あのストレスのたまるこもった感じがなく、まるで別レーベルのレコードを聴いているような感じがする。 カッティングの
鋭さが違うなあ、というイメージとでも言えばいいか。 そういう面でもうれしいレコードだった。


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