廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

1950年冬、そしてニューヨークの喧騒

2017年02月26日 | Jazz LP

Charlie Parker / Bird at St. Nick's  ( 米 Jazz Workshop JWS 500 )


開演時間が迫っている。 どうしても聴きたい公演だから、と愉しみにしていたのに、相棒のミスのせいで仕事が長引いてしまい、慌てて地下鉄に乗り込んだ。 
あと少しでハーレムだ、気ばかりが焦る。 やがて電車は駅に着き、ドアが開くと飛び出すようにホームに降りて階段を駆け上る。 外は寒くて、吐く息が
白い。 狭い通りを人ごみをかき分けながら走って、ようやく聖ニコラスに辿りついた。 重たいドアを開けると、暖かい空気と人々の話し声や笑い声が
ドッと押し寄せてくる。 既に客席はほとんど埋まっていて、辛うじてドアの近くにポツンと空いた席を見つけて、そこになんとか滑り込む。 額の汗を拭いて、
酒を頼み、既に始まっている演奏の方に目をやる。 ステージの真ん中には大きな身体のバードが堂々と立っていて、"オーニソロジー" を演奏していた。
大勢の人々の熱気と、アルコールと、小屋の中いっぱいに響いているバードのサックスの遠くから聴こえてくるような残響にやがて身体全体が包まれて、
私の意識は次第にぼんやりと彷徨いだした・・・・

このレコードの印象は、こういう感じだ。 つまり、パーカーをめぐる周辺の状況を通してパーカーを聴いているような印象だ。 この演奏は家庭用テープ
レコーダーで録音されていて、パーカーの演奏が始まると録音ボタンが押され、彼の演奏が終わると録音は止められる。 当時はテープ代がとても高価だった
ということもあるが、それよりも何よりも、パーカーの演奏以外は誰も興味なんかなかったのだ。 当時の人にはレッド・ロドニーもアル・ヘイグもロイ・ヘインズも、
パーカーの前では記録に残す価値のない刺身のつまでしかなかった。

たくさん残っているパーカーの私家録音を聴くと、彼の演奏だけではなく、それに付随した当時の様々な世相が一緒に記録されていて、それが面白い。
だから音が悪いから云々という話はあまり意味がなくて、そこに一緒に封じ込められた当時の様子を知ることができるということに意味があるのだと思う。

このレコードで聴けるのはパーカーの残響感の強いアルトの響きと観客の話し声がメインで、バックの演奏はほとんど聴こえない。 だからこの公演では
PAが使われなかったということや、テープレコーダーがステージからかなり遠くの観客席に置かれていたことがわかる。 パーカーの音はとにかく大きかった
そうだから、ステージから離れていてもアルトの音だけはしっかりと録音できたのだろう。

1950年2月の寒い冬のニューヨークという街の喧騒や人々の活気が目の前によみがえる。 そこにこのレコード独自の価値があるのだと思う。


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安レコの底ヂカラ

2017年02月25日 | Jazz LP (安レコ)


今週拾った安レコたちにはテーマがある。 かつてCDで聴いて、音が悪くて投げ出してしまった音盤たち、というテーマである。
レコードで聴き直してみようと思ったまま長らく忘れていたが、偶然、目の前に揃って現れた。



Enrico Pieranunzi / Deep Down  ( 伊 Soul Note SN 1121 )

水も滴るようなピアノの美音が降り注ぐ。 部屋の中の空気がガラリと変わるのがはっきりとわかる。 これがあれば、空気清浄機なんていらないな。
マーク・ジョンソンのジャスト・インなリズムとラインがとても効いていて、演奏を格上げさせている。 "Antigny" "Evans Remembered" という
素晴らしいキラー・チューンに心から酔わされる。 後者では、3人の演奏にはもはやエヴァンス・トリオが乗り移っている。

とにかく、CDとは別次元の音である。 ピエラヌンツィのピアノの音の輝き、マークの太い低音、ジョーイの濡れたようなシンバル、どれをとっても
最高の美音で迫って来る。 この作品の真価が初めてわかった。



Kenny Barron / 1 + 1 + 1  ( 米 Blackhawk Records BKH 5060L )

ベースとデュオで対話する作品で、ベース奏者はロン・カーターとマイケル・ムーアが分担して受け持つ。 マイケル・ムーアはとても好きな人。
ケニー・バロンは過去の偉人たちのいいところを全部1箇所に集めたような、隙1つない完成されたピアニストだ。 黙って拝聴すれば、それでいい。
こんなに素直にスタンダードを歌わせるピアニストは他にはあまりいないんじゃないだろうか。

ブラックホークというレーベルはゲッツのアルバムもそうだったけど、CDの音が私にはどうもダメなので、こうしてレコードで聴くしかない。
期待通りの伸びやかでとても自然な音が心地よい。 初めてまともにこの作品を聴いた気持ちになった。



The Great Jazz Trio / At The Village Vanguard  ( 日本 East Wind EW-8053 )

言うまでもなく、これがオリジナル。 昔からトニーのドラムスの音が凄いことで有名だ。 床が重低音で振動するのがわかる、甚だ近所迷惑な1枚。
でも、聴きどころはそれだけじゃない。 ハンク・ジョーンズの抑えの効いたピアノにも圧倒される。 ロン・カーターは相変わらず音程が悪いけど。
それでもやっぱり、トニーは最高のドラマーであることをこれが裏付ける。 この頃の日本のレーベルは企画・制作を乱発していたけど、その中には
最高のジャズを記録したものも確かにあるのだ。 クラウス・オガーマンが書いた名曲 "Favors" でのハンクの情感が切ない。

これもどういうわけかCDは音の粒度が粗く、興醒めする。 それがレコードだと自然な音場感で、とてもいい。 700円でこれが聴けるんだからなあ。


安レコの底ヂカラを改めて実感させられた3枚。 安レコにしか興味が無くなったせいで、レコード屋にいる時間が以前よりも長くなった。
物量の多さが桁違いだからだ。 結構疲れるけれど、それでもゴソゴソと探すのは楽しくて、あっという間に時間が過ぎている。


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ビ・バップへの目配せ

2017年02月19日 | jazz LP (Atlantic)

Ornette Coleman / Change Of The Century  ( 米 Atlantic 1327 )


"来たるべきもの" が発表されて、ニューヨークを中心にして各地で騒ぎになっていた最中に録音されたアトランティック第2弾。 いろんな意味で相当
注目されていた作品だっただろうと思うけれど、前作はオーネットの作品の中ではかなりポップな(と言っていいだろう)作風だったのに対して、この
アルバムは本格的にジャズを演奏することに真剣に取り組んだ辛口な内容だ。 明らかにパーカーとディジーの演奏を意識していて、それが裏コンセプトに
なっているのは間違いない。

前作で見せた音楽の形式へのこだわりをここでは鮮やかに脱ぎ捨てて、楽曲の主題をすべて拭い去っている。 だから音楽はより抽象的になっている。
その中でオーネットはかなり力強くアルトを演奏していて、時にはパーカーのようにファットなトーンで、時にはドルフィーのように咆哮してみせる。
スピード感もあり、前作のどこか子供が遊んでいる時に見せるような遊戯感のようなものは今回は影を潜め、大人のジャズを聴かせてくれる。

このアルバムを聴いた後にパーカーのサヴォイのレコードを聴いてみると、この2つはさほど距離が離れていないということがよくわかる。 見かけ上の
形式は似ても似つかぬものではあるけれど、核心部分には共通したものがある。 オーネットの音楽には革新と保守の要素が必ず奇妙に同居していて、
それを感じ取ることができさえすればこの人への抵抗感は消える。 そういう意味では、このアルバムはジャズを演奏することによりこだわっているので、
そういうマーブルなブレンド感がくっきりとしている。

聴き終えた後に残る充実感は前作を上回る。 とにかく真面目に真剣に取り組んだ音楽で、後の彼の音楽の原石のようなラフカットされてざらりとした質感は
他ではなかなか聴けない。 折に触れてこういう音楽に接しておかないと、自分の中で上手く音楽への感性を維持し続けられないような気がするのだ。



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今週末の安レコたち

2017年02月18日 | Jazz LP (安レコ)


今週拾った安レコたち。 この辺りはふと聴きたくなる時があるので、手許にあると重宝する。 だから安いのが見つかった時に、サボらずに拾っておく。 



Bill Evans / Time Remembered  ( 日本ビクター VIJ-4035 )

これは探していた未発表録音ものの1枚。 エヴァンスのカッコいい時代の写真をあしらったジャケットが嬉しい。 これを聴くと、日本ビクター盤の
音質の品格の良さが改めてよくわかる。 日本ビクター盤でリヴァーサイド諸作を買い直そうかな、と考え込んでしまう。 何だかんだ言ったところで、
私はこの音を聴いて育ったのだ。 愛着の度合いはオリジナルなんかよりはるかに深い。



Jimmy Rowles / We Could Make Such Beautiful Music Together  ( 米 Xanadu 157 )

スタンダードを原曲のメロディーを解体して演奏しているので何の曲を演奏しているのか一聴するとよくわからないものが多い、とてもよく考えられた
内容になっていて、なかなか硬派だ。 単なる甘いスタンダード物にしていないところに、ベテランの矜持を感じる。 ザナドゥはプレスの版数が多く、
レイタープレスは音が薄くて興醒めするが、初期プレスの盤で聴くと音質はいい。



Mel Torme / At The Crescendo  ( 米 Bethlehem BCP 6020 )

昔からメル・トーメの代表作と言われるけれど、エンターテイメント過剰なところがあり大味な内容だと思う。 同じクレッセンドのライヴなら、
素直に歌に集中しているコーラル盤のほうが出来が良い。 あちらは、作者本人の "The Christmas Song" が聴ける。



Jimmy Raney / Solo  ( 米 Xanadu 140 )

この人はプレスティッジ盤などで聴いても本当の良さはわからない。 クリス・クロス盤やザナドゥ盤で聴いて初めてギタリストとしての良さがわかる。
これは無伴奏のソロ演奏なのでギタリストとしての真価がよくわかる内容で、年老いた見た目の印象とは違う瑞々しさが素晴らしい。 ギターを触ったことが
あれば、この作品の良さは身に染みるはず。


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少し認識が変わった Flight To Demnark

2017年02月12日 | Jazz LP (Steeplechase)

Duke Jordan / Flight To Denmark  ( デンマーク SteepleChase SCS-1011 )


昔聴いてつまらなかったのに、今聴き直すと印象が変わっているものと言えば、このアルバムなんかもそうだ。 デューク・ジョーダンのトリオの代表作と
名高い作品だけど、若い頃はまあこれがさっぱり面白くなかった。 他のアルバムと比べて選曲がいいので人気があるのはよくわかる、でも何度聴いても
自分の中に引っかかるものがない。 だからレコードは早々に処分して、それ以来このアルバムのことは意識の中から消えていた。

デューク・ジョーダンが腕の達者なピアニストとは言えないことは、マイルスの供述を待つまでもなく、大方の人が認めるところだろう。 但し、だからと言って、
それが音楽家として失格ということではもちろんない。 彼の書いた名曲たちは永遠に輝き続ける。 ベニー・ゴルソンなんかと同じタイプだ。
この2人がいなかったら、ジャズという音楽は随分と味気ないものになっていたに違いない。 

今これを改めて聴いてみると、まずは鍵盤へのタッチの素直さが心地好いことに気付く。 運指はなめらかではないけれど、そこから出てくる音の真っすぐな
ところが意外に気持ちいい。 こういう感じはジャズのフィーリングに欠ける、と捉えられ兼ねない部分で賛否は分かれるかもしれないけれど、今の私には
この音たちが心にうまく響くようになってきている。 だからその感覚に身を任せると、音の触感をトリガーにして音楽が身に染みるようになった。

"No Problem" や "Here's That Rainy Day" というセンスのいい曲が目に付くけれど、このアルバムの白眉は "Glad I Met Pat" というオリジナル。
欧州に移住後、ニューヨーク時代に近所に住んでいた愛らしい少女の想い出を綴ったこの曲は彼らしい慈愛に満ちた優雅で優しいメロディーが素晴らしい。
何気なくこういう曲をアルバムの中に入れるところも、何ともこの人らしい。 もっと前面に出して演奏すればきっと有名な曲になったのに、奥ゆかしい
というか、欲がないというか。

以前は気が付かなかったそういうことが、今はちゃんと受け取ることができる。 私も歳を取り、少しは成長したのかもしれない。
音楽を長年聴いていると、そういう風に自分を相対化できる瞬間がある。 それは決して無為な行為、ということではないのだ。


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少し認識が変わった Brad Mehldau

2017年02月11日 | Jazz LP

Brad Mehldau / 10 Years Solo Live  ( 米 Nonesuch 549103-1 )


入手してからかなり時間が経った。 まあ8枚組の大作なので、何度も繰り返し聴いて、自分の中での評価が固まるのにはそれ相応の時間がかかる。
別に義務としてそうした訳ではなく、この麗しい美音を全身で浴びるように聴くことをただ単に十分愉しんだだけだけど。

このブログにはこれまで1度も登場したことがないことからもわかる通り、私はブラッド・メルドーが「好きではない」。 私がこの人を初めて聴いたのは
"The Art Of The Trio" がリリースされて少し経った頃のことだったから、もう20年も前ということになる。 その時に思ったのは「何てつまらない音楽
なんだろう」ということだった。 そして、それが決定的な印象として自分の中に貼り付いた。 もちろん、その後もポツリポツリといくつかの作品を
つまんで聴いてきたけれど、その張り紙が剥がれ落ちることはなく、いつしかこの人への興味はすっかり無くなってしまった。

そんな中でこの大作に手を出したのは、ECMの作風へのアレルギーが無くなったことと関係がある。 それを克服した今なら、以前のような嫌悪感なく
もっと自然にこの人の音楽に接することができるんじゃないか、という個人的な理由からだと思う。 それに、レコードというフォーマットでリリース
されていることも大いに後押ししてくれた。 CDだけのリリースなら今でも聴いていなかっただろう。

第1面から聴き始めて最初に感じたのは、相変わらず頭で考え過ぎている音楽だなあ、ということだった。 白人のインテリ・アーティストらしい、高級ブランド
スーツで身を固めたスノッブな音楽。 そして、この人は自分を解き放つのが下手なんだなあ、とも思った。 なんでこんなにカチコチに固まった演奏を
するんだ? もっと肩の力を抜いて、自由に飛翔すればいいじゃないか。

ただ、聴き進めていくうちに、少し違うことも感じるようになってくる。 昔聴いたピアノトリオの演奏がまったくスイングすることなく、陰鬱な室内楽を
聴かされているような感じだったので、この人はジャズに対してどこか醒めていて距離を置いているんじゃないかと思っていたけれど、よくよく考えると、
「ジャズはスイングするもの」という定義は60年代の中ごろには既に完全に崩壊している訳で、ジャズが現代までに辿ってきた経緯を十分踏まえた上で、
この人は今でもジャズという音楽を強く信じているのかもしれないという気がしてきた。 キースのソロを聴いているとそのあまりに自我を垂れ流し過ぎる
様子に恥ずかしくて正視できないような気分になることがあるけれど、この人のソロは一定の構築感を指向することを常に忘れない。 潔癖過ぎるほどの
清潔感を感じるけれど、息が詰まるようなところはないし、嫌なところもない。 その端正に整った造形には感服するし、最初は硬過ぎると感じた音楽も
よくよく聴いてみると意外にしなやかな質感があるな、という風に認識も変わってきた。

この人の弱点は打鍵の(おそらくは生来的な)弱さだと思うけれど、鳴っている音の粒立ちの良さとピュアさはそれを補って余りある。 圧倒されるものは
感じないけれど、それでも現時点のジャズというフィールドでピアノをここまで純粋に聴かせることができる人はあまりいないのではないだろうか。
ECMを含めて美音系ピアニストは世界中に存在するし、高度な録音技術の汎用化で音の質感だけで誰のピアノなのかを識別することはもはや難しいけど、
そういう副次的なところではなく、奏でられるピアノ音楽そのものの中に聴く者を黙らせるものがあるのは間違いない。 現にこれだけの量にもかかわらず
飽きることなく何度でも聴き通せるのだ。

50~60年代の演奏を思うと、ジャズピアノというのはなんと様変わりしたことか。 パーカーやマイルスに聴かせたら、これのどこがジャズなんだ?
と言うかもしれない。 でも、ジャズという音楽は常に変わっていくものだということを証明したのはあなたたちじゃないか、と我々は返すしかない。
現在この人が多くのポピュラリティーを獲得しているということがそれを物語っている。 私もこれからはもう少し前向きに聴いてみようと思うようになった。


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「不安」の感覚

2017年02月05日 | Jazz LP (Verve)

Stan Getz / Focus  ( 米 Verve V-8412 )


エディー・ソーターとは何者なのか。 殆どの人がそういう感じだろう。 私もソーター・フィネガン・オーケストラの名前は知っているけれど、その作品は
聴いたことがない。 ドラムやトランペット奏者としてプロの活動を始めて、スイング時代にアーティー・ショウやベニー・グッドマンに楽曲やアレンジを
提供するようになり、その後は作曲・編曲家として身を立てた。 その道では大家となったのだろうけど、こういうのは日本では最も理解されにくい分野だ。

そういうあまり馴染みのない人が、いきなりこのアルバムで我々の前に立ちはだかる。 冒頭の "I'm Late, I'm Late" の劇的でショッキングなオープニング。
間隙入れずにロイ・ヘインズのドラムが不吉な音で鳴り響き、そしてゲッツがいつになく感情剥き出しなブロウで迫ってきて、聴いているこちらは思わず
背筋が凍り付いてしまう。

ソーターの書いたスコアは決して耳当たりがいいものではなく、聴いている者を不安な気持ちにさせる。 幻想的なバラードも何かを暗示するように
深い霧が立ち込めている。 その中を、ゲッツのサックスはあてもなく彷徨うかのように進んでいく。 我々はその姿を見失いそうになりながらも懸命に
彼の後を追って深い霧の中を彷徨うけれど、いつになったら視界が晴れて目的地に到着できるのかがわからない。 辿り着けそうだという予感すらない。

当たり前のことだけど、これをジャズというフレームの中で評価するのは無意味だ。 どこかにある形而上的な空間の中で何かを暗示し続ける誰かの声、
なんだかそういう感じのものを既存の秤で測ってみてもしかたがない。 「不安」に身を任せられるかどうかを試される、そこが面白い。
だから、このアルバムには中毒的にハマってしまうのだ。


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ゲッツ、天才の証

2017年02月04日 | Jazz LP (Verve)

Stan Getz, The Kenny Clarke-Francy Boland Big Band / Change Of Scenes  ( 独 Verve 2304 034 )


Gigi Campiって、欧州のノーマン・グランツだなあ、と事あるごとに思う。 音楽プロデューサーとは言え、根っこが興行師なのだ。 だから、こういう
レコードを作る。 アメリカから流出した多くのジャズミュージシャンの受け皿として作り上げたこのビッグ・バンドは異例の長い活動期間を誇った。
アメリカに戻ってもジャズの仕事は無い状態だったから、メンバーたちも前向きに活動したんだろう。 そういう彼らにいろんなレコーディングの機会を
用意して、質の高い作品を数多く残したこのプロデューサーは立派な仕事をした。

そんな中で、スタン・ゲッツを招いて共演させたこのアルバムは、バンドの作品としても、ゲッツの作品としても、素晴らしい傑作に仕上がっている。
ゲッツにはオケをバックにした作品がたくさんあるけれど、それらの中でもこれは "Focus" と並んで一、二位を争うクオリティーだ。

楽曲はすべてフランシー・ボラン作曲のオリジナルで、幻想的な雰囲気で統一されたスコアを楽団が非常に繊細且つダイナミックに演奏していく。
その中をゲッツのビッグ・トーンが鳴り響き、圧巻の音楽になっている。 ドイツの最高の録音技術で録られた音響も素晴らしく、すべてに圧倒される。

それにしても、スタン・ゲッツの柔軟性の高さには驚かされる。 こういうビッグバンドの中にいてもその音量の豊かさはダントツだし、スコアが指示する
抽象性にもきちんと応えることができる。 どこの国の音楽だろうと、いつの時代の音楽だろうと、この人には吹けない音楽などないのかもしれない。

この作品は1971年に録音されたが、翌72年にヴァーヴは独ポリドールに買収されてジャズ部門の新規制作は廃止になる。 その直前に欧州で制作された
ため、このレコードはアメリカでは制作・発売されなかった。 まあ、アメリカでは受けないだろうな、こういうハイブラウな音楽は。


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長年探していた本盤だったが、UK買付けロー・プライス品の山の中に独盤と英国盤の2つがあっけなく入っていた。 どちらも900円台だったが、その血統を
考えると独盤のほうが血筋が正しいような気がしたので、独盤を選んだ。 このロー・プライス・シリーズ、私には宝の山。


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