廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

レコードで聴くべきアルバム

2020年08月30日 | Jazz LP (Europe)

Enrico Pieranunzi / Space Jazz Trio Vol.1  ( 独 YVP Music 3007 )


私がピエラヌンツィを知ったのは1996年に "The Night Gone By" が発売された時で、ちょうどその頃ティエリー・ラングにハマっていた
こともあって、同じ系統のピアノ・トリオということでずいぶん熱心に聴いた。当然の流れでユニオンのCDフロアに行って、他の作品も
あれこれ買い込んで聴いた訳だが、その時にこのスペース・ジャズ・トリオ関連のものがシリーズとして数巻並んでいた。
純粋なトリオ形式のものとしてかなり期待して聴いたのだけど、これらのCDの音が悪く(楽器の音がくすんでいて分離が悪く、デッドな音場)、
音楽の良さがまったく感じられなくて非常に落胆した。

そういうこともあって長い間このトリオのことは忘却の彼方へと消えていたんだけれど、当初はアナログも出ていたということを知って、
聴いてみるとこれがまるで別の作品のような音の良さで、ようやく溜飲を下げることができた。

この第1集は1986年のリリースで、制作にあたっては当然キースのスタンダーズのことが念頭にあっただろう。スタンダーズは世界のジャズの
潮流を大きく変えたグループだったため、欧州を中心にして雨後の筍のように同様のピアノ・トリオが生まれたわけだが、このトリオは
おそらくは差別化を図るためにスタンダードは演奏せず、オリジナル曲だけでアルバムを構成した。そして、スタンダードを演奏しなくても
同様の感銘を与えることができることをきちんと証明した。

硬質なダンディズムに溢れ、高度な音楽的コントロールがよく効いた素晴らしい演奏で、耽美的でロマンティシズムを信条とする
他のトリオ群から大きく距離をとった音楽が素晴らしい。禁欲的でありながらわかりやすく、耳に残るメロディーが散りばめられている。
スタンダーズの物真似はできても、このトリオへの追従は難しいだろう。


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1974年 カナダのビル・エヴァンス・トリオ

2020年08月29日 | Jazz LP (ブートレグ)

Bill Evans / The Canadian Concert Of Bill Evans  ( カナダ Can-Am Records CA1200 )


1974年7月カナダのケベックのキャンプ・フォーチュンで行われたラジオ放送向けの演奏。ゴメス、モレルとのトリオで、司会のナレーションと
観客の拍手が入っているが、ライヴというよりは公開録音という感じだったのではないか。放送後にラジオ・カナダが配布用レコードとして
ごく少数枚のみプレスしたものがコレクターズ・アイテム化しているが、後日こうしてCan-Amレコードとして商用レコードとしてリリース
されている。ブート扱いになっているが、放送局が放出した音源なので、コンサート会場で盗み録りしたものとは毛色が違う。

音質は良好で、当時のエヴァンスが契約していたファンタジーからリリースされていたアルバム群よりもこちらの方が音がヴィヴィッドだ。
ピアノの音がクリアで輝きがあり、自然な音場感。何の違和感もなく聴くことができる。ゴメスのベースも粒立ちのいい音だ。

メランコリックで耽美的なメロディーの楽曲が並び、エヴァンスが優美なタッチで奏でる様は圧巻の出来。物憂げな表情が素晴らしく、
聴いていて圧倒される。音楽が深く透き通った秋の夕暮れの空の色のような雰囲気を帯びていて、これはちょっとすごい演奏だと思った。

優れた音楽家の演奏には公式/非公式など関係ないのだ、ということを思い知らされた。どれだけ汲んでも枯れることのないエヴァンスの
魅力に触れることができる。


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1960年 Birdland のビル・エヴァンス・トリオ(2)

2020年08月27日 | Jazz LP (ブートレグ)

Bill Evans / Hooray For Bill Evans Trio  ( Session Disc 113 )


こちらは1960年4月30日、5月7日にバードランドへ出演した時の演奏で、(1)と同じ時期のもの。レパートリーは似たような内容で、
この時期のライヴの定番だったのだろう。細部を比べればテイクごとにいろいろと違いはあるものの、大きくは同じ傾向の演奏だ。
ライヴらしく奔放で明るい演奏となっており、聴いていて楽しい。このバードランド・セッションはまとめてCD化もされているし、
ブートの生い立ちなどについてもネットに詳しい記事がたくさん載っている。ここまでくると、ブートというよりは事実上の公認の
記録と言ってもいいかもしれない。

これらの演奏を聴いていると、我々が知ったような気でいるビル・エヴァンスの姿というのは、本当にごく一握りのものでしかないんだな
と思う。場所も時間も離れている以上はしかたのないこととは言え、正規にプロデュースされ、きちんとパッケージ化されたものだけを
聴いても、実は何もわかっていないのだということを痛感させられる。

スコット・ラ・ファロのベースがしっかりとした音で録れており、それは大きなウッドベースの太いネックの木材の質感がわかるような音で
そんな細かいところに感銘を受けたりする。そういう小さなことの積み上げがやがては大きな感銘へと発展していく。

"Come Rain or Come Shine" や "Autumn Leave" が繰り返し演奏されるけれど、またか、という印象にはならない。聴くたびに新たな
感銘が湧いてくる。

これらの演奏もヴァンガードでのライヴのように内容を厳選して1枚のアルバムとしてリヴァーサイドがリリースしていれば、後世に残る
名盤となっていただろう。その原石がここには眠っているのだと思うと、このブートの価値の重さを今更ながらに実感する。


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1960年 Birdland のビル・エヴァンス・トリオ(1)

2020年08月25日 | Jazz LP (ブートレグ)

Bill Evans / A Rare Original  ( ALTO Records AL 719 )


ビル・エヴァンスの公式アルバムはすべて聴いてしまった。死後に発表された未発表作も、すべてではないにせよ、無理せず入手できる物の
大部分は聴いてしまった。現在は、モノラル盤で持っていたアルバムのステレオ盤を聴いてみたり、欧州プレスや国内盤などの国籍違いを
聴いたり、という感じで遊んでいるけれど、よく考えたらブートレグ(海賊盤)はまだ聴いていなかった。

ブートの存在については色々な意見があるものの、自分が好きなアーティストの演奏がより多く聴けるという点では有難いことなのではないか。
もちろん、アーティスト本人やレコード会社にとっては権利侵害の重罪以外の何物でもない。でも、そのアーティストを愛するリスナーから
してみれば、純粋に新しい演奏を聴くことができる喜びを抑えることは難しいということも否定し難い事実なのである。

特に、それがエヴァンス、ラ・ファロ、モチアンのトリオの演奏ということになると、あの4枚だけで我慢しろと言われても、そんなのは
土台無理な話なのだ。世界中のファンがそのフラストレーションを解消するべく、同一タイトルの版違いを何枚も買い込んだりして、
私自身も含めて、物欲の過食症状態に陥っている。

そういう日頃の鬱憤を晴らすのにこのブートは一役買ってくれるかもしれないということで、聴いてみることした。ブートの課題は音質の
悪さや編集の粗さだが、チャーリー・パーカーのブートに比べると時代が10年進んでいることもあって、音質の劣化はさほど気にならない。
正確に言うと、音質は良いとは言えないけれど、この時期独自の演奏内容に夢中になるうちに脳内でサウンドが勝手に補正されていくので
音質の問題自体がどうでもよくなっていくということだ。人間の脳の神秘である。

1960年3月19日にトリオがバードランドで演奏したもので、"Portrait In Jazz" (1959年12月28日) と "Explorations" (1961年2月2日) の
間の空白の1年間を埋める貴重な記録である。この1年という期間は、ファンにとっては無限の空白に値する。

レコードに針を落とすと、あのトリオの演奏が鳴り始める。聴き進めていくうちに、何とも言えない深い感慨が湧き上がってくる。
やはこの時期の演奏には、他にはない何かが宿っているのだ。

以前から思っていたことが確信へと変わる。それは、このトリオの魅力がラ・ファロの演奏にあるのではなく、エヴァンスのピアノの
弾き方そのものにあるということだ。この2年にも満たない短い時期のエヴァンスのリズム感、ブロック・コード、フレージングの
何もかもがその前後の時期とは違う。この独特の弾き方が圧倒的に素晴らしいのだ。

モチアンはエヴァンスのピアノの弾き方にピッタリと合わせるようについて行っていて、これも他のドラマーたちとは違う。
そのせいでトリオの演奏が一番まとまっているように聴こえるのだと思う。

"Beautiful Love" が演奏されているけれど、後のスタジオ録音と比べると原メロディーがしっかりと残っていて、これが発展して
あの演奏のようにメロディーが崩されたんだなということがよくわかる。"Blue In Green" もライヴらしい饒舌な演奏で、
静謐な演奏だけが魅力的なわけではないのだ。とにかく、どの演奏からも耳が離せない。

それにしても、このクラブの観客たちの会話のうるさいことと言ったら・・・。ほとんど誰も演奏を聴いていないんじゃないのか、
と思うような賑やかさだ。これに比べたら、ヴィレッジ・ヴァンガードは高級クラブのようにすら思えてくる。
でも、こういう賑やかさも今となっては古き良き時代の懐かしさに溢れていて、それすらも愛おしい。


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大衆性と芸術性の狭間で

2020年08月23日 | Jazz LP (Verve)

Kenny Burrell / Guitar Forms  ( 米 Verve V-8612 )


ギターの音色がカッコいい。ピアノはダメだったヴァン・ゲルダーだが、ギターは上手く録った。私が聴いた範囲では、ヴァン・ゲルダーが
録ったバレルの音の良さは、ギター本来の音が再現されているという点において、これが群を抜いている。

時代の空気を読むクリード・テイラーの大衆化路線が始まった頃の録音で、ウェス・モンゴメリーが一番上手くこの波に乗ったのに対して、
バレルの方は作品の質がシブめだった。これはギル・エヴァンスがアレンジし、リー・コニッツ、リッチー・カミューカ、スティーヴ・レイシー、
ジョニー・コールズなども参加したゴージャスなアルバム。ドン・セベスキーのアレンジでは出せない独特の浮遊感が用意される中、
バレルはコントロールされた音数で音楽を紡いでいく。

ギル・エヴァンスが得意のスパニッシュな風味をつけており、これがとてもいい。大衆性と芸術性がギリギリのところでせめぎ合う中、
ケニー・バレルのギターはよく歌っている。楽曲もメロデイアスな佳作が揃っていて、難しいことを考える必要もなく、鳴っている音楽に
身を委ねることができる。このアルバムはそこがいい。

ギル・エヴァンスの名前があるせいか、名盤100選に選ばれることもあるようだが、そういうタイプのアルバムではないように思う。
本質的にはかなりシブく、どちらかと言えば地味なアルバム群の中に入るような作品ではないか。だからと言って、作品への評価が
変わるわけではなく、素晴らしい音楽として輝き続ける。

このレコードは音質も良好。ステレオ盤も聴いてみたい。


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象を放つ

2020年08月22日 | jazz LP (Metro Jazz)

The Mitchells with Andre Previn / Get Those Elephants Out'a Here  ( 米 Metro Jazz E 1012 )


こういうアメリカ流のウィットは、日本人の我々にはなかなか伝わらない。何かの背景があったとしても、ずいぶんと時間も経っていて
とうに何のことかわからなくなっている。「象たちをここから解き放て!」と言われたって、何のこっちゃ?である。
レッド・ミッチェル、ホワイティ・ミッチェルの兄弟にブルー・ミッチェルを加えて "ザ・ミッチェルズ” としてみたり、レナード・フェザーは
何を考えているのかよくわからない。大体、この人は評論の文章も分かりにくく、取っ付きにくい人である。

ただ、そういうパッケージの仕方はともかく、内容は感じのいい、イカした音楽である。アンドレ・プレヴィン、ペッパー・アダムス、フランク・
レハク(アル・コーンの渦巻きドーンに参加しているトロンボーン)、フランキー・ダンロップと一流メンバーを集めて、軽やかで朗らかで、
それでいてツボを押さえた音楽を演奏している。

ペッパー・アダムスのバリトンの深い音色が強烈で、これが音楽をグッと絞めている。この起用は正解だった。プレヴィンも余裕の演奏で、
センスのいいフレーズで音楽を色付けし、ブルー・ミッチェルの独特の音色も印象的。各人が最適な演奏を持ち寄っており、上質なジャズを
聴くことができる見事なアルバムだ。そういう意味では、レナード・フェザーの采配は適切だったのだろう。

管楽器の演奏の良さに耳が行くが、アルバム最後に置かれた管抜きのピアノトリオの演奏が小粋な仕上がりで、こういう演奏でアルバムが
締め括られるのもセンスがいい。

このレコードは音も良く、聴いていて楽しい。誰からも相手にされないレコードなので、当然、安レコでもある。
しめしめ、と一人ほくそ笑みながら拾って帰ってきて、これはアタリだよ、と小躍りできる良いレコードだ。


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見かけに騙されてはいけない内容

2020年08月20日 | jazz LP (Pablo)

John Coltrane / Afro Blue Impressions  ( 米 Pablo 2620-101 )


1963年10~11月にストックホルムとベルリンで行われた公演の模様を録音したもので、この演奏旅行はノーマン・グランツの企画だった。
こうして録音はされたが、当時コルトレーンはインパルスと契約していたので、発売は1977年までお預けになった。

正規録音なので、音質は良好だ。コルトレーンのサックスの音色が艶めかしい。演奏もしっかりとした落ち着いた内容で、素晴らしい。
安っぽくてげんなりするジャケットのせいでリスナーには相手にされないが、内容は超一流だ。この時期のライヴ盤としてはインパルスから
ヴァンガードやバードランドでの演奏が出ているが、内容はこちらのほうがはるかにいいと思う。ニューヨークのように最先端の音楽を披露
している訳ではなく、欧州の観客のレベルに合わせたプログラムと演奏スタイルだが、音楽としての纏まりはこちらの方がずっといい。

コルトレーンは調子が良かったようで、フレーズがわかりやすく、よく歌っている。こういう演奏はインパルス盤では聴けない。定番ものだけ
聴いていては知ることができないコルトレーンの姿があるのに驚かされる。場面に合わせて、柔軟に演奏を変えていたんだなということがわかる。

2枚組という分量もちょうどいい。素晴らしい演奏なので、1枚では物足りなかっただろう。2013年にリマスター盤が再発された際には、
その年のグラミー賞を受賞している。ジャズの世界でグラミーはあまり有難がられないけれど、広く評価をされたことは間違いない。
日本でももっと広く聴かれるといいと思う。


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良質なブートレグ

2020年08月18日 | Jazz LP (ブートレグ)

John Coltrane / In Europe Volume 1  ( Beppo Records BEP 500 )


コルトレーンくらいになるとブートレグも無数にあって、そのブートの音源が買い取られて大手レーベルから逆輸入でリリースされたりもして、
何が何だかよくわからない。だからまあ、安くて音質に問題がなければ出自に関係なく聴いてみたりすることもある。

1961年から63年にかけて、コルトレーン・カルテットは欧州へ何度も演奏旅行をしていて、その時の演奏は非公式に録音されている。
これは62年11月19日ストックホルムの Kocerthuset でのライヴの中からピックアップされたレコードだ。この日は2セット16曲が演奏され、
そのすべてが録音されていて、その気になれば全曲聴くことができる。この演奏旅行は17日のパリ公演に始まり、20日はヘルシンキ、
22日はコペンハーゲン、28日はグラーツ、12月2日はミラノという行程だった。

この時期のコルトレーンが演奏する曲目は大体決まっており、全部を聴く意味はあまりないかもしれない。でも、これはコルトレーンに限った
話ではなく、ロックを含めた他のすべてのミュージシャンもそうだから、批判するにはあたらない。ツアー中に毎回曲目を変えるなんてことは
そもそも無理なのだ。

62年11月13日に "Ballads" の録音を終えて、すぐに欧州へと出発している。そういう時期なので、曲目はスタンダードが中心に構成され、
演奏スタイルもオーソドックスなものになっている。コルトレーンがライヴで普通のジャズを演奏していた最後の時期になるのかもしれない。
このレコードには "Bye Bye Blackbird"、"Mr.P.C."、"The Inch Worm" が収録されているが、どれも聴き易くて、且つ演奏も充実しているから
たいへん楽しめる。インパルスのバラード3部作はマウスピースの調子が悪かったからだと言われているが、このライヴを聴く限りでは
そんな様子は見られない。第一、大事な商売道具の不調をそのままにしておくなんてことをするのは信じられない話だ。

ブートの課題は言うまでもなくその音質だが、少なくともこのレコードは特に問題はない。コンサートホールの真ん中辺りでホールトーンを
丸ごと録ったようなノスタルジックな良い雰囲気で、雑音もなく、気持ちよく聴ける。

60年代のコルトレーンは急進的でどれも苦手というなら、こういう非公式録音を聴いてみるといい。この時期のオーソドックなジャズを
演奏するコルトレーンを聴くことができる。演奏は素晴らしく、インパルス盤とは違う側面を知ることができて、コルトレーンという人を
より身近に感じることができると思う。


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自分を初期化してくれる何か

2020年08月16日 | Jazz LP (Impuise!)

John Coltrane / Meditations  ( 米 Impulse! AS-9110 )


コルトレーンの最晩年の音楽にはフリー・ジャズという言葉がどうもしっくりとこない。他に適切な言葉が見当たらないし、それ以上考えるのも
面倒だから、ということでこの言葉があてがわれてきただけのように思う。私も長年ぴったりとうまくハマる言葉は何か、と考えてきたけれど、
未だに見つからない。60年代後半という時代だからこそ産み落とされた音楽であることは間違いないけれど、半世紀以上経った今、この演奏に
当時持っていた意味のようなものを探ってみてもしかたない。それはもはや考古学でしかなく、音楽を聴くということとは別の行為だろう。

私はこの頃の演奏も好きで、折に触れて聴く。聴いていると、不思議と何かが癒されていくような気がする。コルトレーンはとにかく真面目に
ひたむきに音楽に取り組んでいて、そういう誠実さみたいなものが日々の生活の中で知らず知らずのうちに歪んで澱が溜まってしまった
私の心を初期化してくれるような気がする。成熟しきった逞しい内容であるにもかかわらず、そこには純朴な青年の姿が透けて見える。

自分はコルトレーンの音楽には何も貢献できていない、と言ってバンドを去るしかなかったマッコイ・タイナーやエルヴィン・ジョーンズの
最後の演奏はどこか哀しい。この録音はイングルウッドのヴァン・ゲルダー・スタジオで行われたが、10年前にマイルスの横で緊張した面持ちで
不安そうに立っていた彼の姿を見ていたヴァン・ゲルダーは、この演奏の様子をどんな気持ちで見ていたのだろう。

もはや音楽としての形を成しておらず、瓦解の様子が激しくなればなるほど、哀しみは増していくように感じる。
こんなことになるなんて思ってもみなかった、と哭いているようにすら感じられ、晩年の音楽にはそういう不思議な何かが漂っている。


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「カッコいい」がキーワード

2020年08月15日 | Jazz LP (Impuise!)

John Coltrane / The Africa Brass Sessions, Vol.2  ( 米 ABC-Impulse AS-9273 )


Africa / Brass セッションで政治的な理由から収録しきれなかった "Song Of The Undergroud Railroad" に既発の別テイクを混ぜてコルトレーンの
死後にリリースされたのがこのアルバム。こんなジャケットにしなければもっと多くの人に聴いてもらえるだろうに、不幸なアルバムだ。

コルトレーンのオルタネイト・テイクはオリジナル・テイクとは違う雰囲気で演奏されたものが多く、これらもそうだ。特にここに収められた
"Greensleeves" はゆったりとした長めの演奏で、オリジナル・テイクよりこちらの方が好きだ。原曲の良さがよりわかりやすく出ている。

しかし、このアルバムの白眉は何と言っても "Song Of The Underground Railroad" だ。"Traditional" ということになっているが、このタイトルは
どうやら総称らしく、19世紀の奴隷制度下で人々が日常的に口ずさんでいた無数のワーク・ソングを念頭に置いたもののようだ。その語感が連想
させるイメージをそのまま旋律化したような感じで、これが最高にカッコいい。まるで何かの映画音楽のような、クールでハードボイルドな曲想が
疾走する。この時のセッションは、どれも楽曲としての出来の良さが際立っていて、最高の仕上がりだった。インパルスのコルトレーンを聴く
キーワードは、「カッコいい」だ。

1974年のABC Records時代の発売なのでヴァン・ゲルダーのカッティングではないが、残響が程よく効いた深夜の演奏を思わせる音場感で、
これがかなりいい。正規タイトルの方はヴァン・ゲルダーがインパルスに刻んだ典型的な高音質だったが、こちらはこちらで別の趣きがあって、
病み付きになる。

このサウンドを聴いていると、インパルスの中で好きなアルバムはオリジナルだけではなく、後発のリイシュー盤も聴いてみたいと思うように
なってくる。元の録音がいいから、きっと別の面白さが味わえるだろう。作品の良さに加えて音質のヴァリエーションも楽しめるのだから、
レコードを聴くという趣味には際限がない。


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ドルフィーの賢さ

2020年08月14日 | Jazz LP (Impuise!)

John Coltrane / Africa / Brass  ( 米 Impulse! A-6 )


インパルスでの第1作目であるこのアルバムを聴くと、コルトレーンが如何にマイルスから多くを学び、それを糧として成長したかがよくわかる。
アトランティックから移籍するにあたり、ラージ・アンサンブルを使ってレコーディングしたいこと、そのアレンジをギル・エヴァンスに頼みたい
こと、録音はヴァン・ゲルダー・スタジオでやることなど、まるでマイルスのやったことそのままをインパルスに要求している。

結局、アンサンブルのスコアはドルフィーとマッコイへと変更されたが、これが非常にうまくいった。ドルフィーはコルトレーンの意向を汲んで、
楽器の構成やアンサンブルの演奏の間引き方を徹底的にギル・エヴァンス流にした。コルトレーンの演奏を邪魔しないようバックにテナーは入れず、
サックスはバリトン1本と自身のアルトのみとし、フレンチ・ホルン、チューバ、ユーフォニウムで音の壁を作った。そして、アンサンブルには
最小限の出番しか与えず、メインはコルトレーン・カルテットの演奏を置いた。ドルフィーは頭のいい、賢い人だったのだ。

このアルバムと後にリリースされたVol.2は、インパルスの作品群の中では最も音楽的に優れた作品の1つだと思う。急激な発展が始まる途上で、
その予感は十分に孕みながらも普通のジャズの感覚もしっかりと残っている時期で、絶妙なバランスの上に成り立っている。アフリカという
キーワードやブラス・アンサンブルが入っていることから敬遠されるかもしれないが、それらに惑わされる必要はどこにもない。普通のアメリカ人
であるコルトレーンにとって、アフリカという言葉は音楽に異国情緒を与える単なる修辞の意味合いだっただけだろうし、バックのアンサンブルも
音楽に色彩をもたらそうとする手段だったに過ぎないと思う。難解なコルトレーンなど、どこにもいない。

とにかく、かっこいい、の一言に尽きる。最初から最後まで、ジャズという音楽が本来持っている美学のようなもので貫かれている。
生真面目で真剣な音楽で、このひたむきさに惹かれる。もし、コルトレーンの音楽に何か精神的なものを感じることがあるのだとすれば、
それは思想的なものなどではなく、この純粋なひたむきさしかないと思う。

このアルバムの中では、最後に置かれた "Blues Minor" が一番好きだ。こんなにかっこいいジャズは、そうそうないではないか。
この人は生涯を通じて珍しく駄作のない人だと思うけれど、インパルス時代のアルバムはやはり別格的にいいと思う。


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カツオドリがカモメに見える不思議

2020年08月12日 | ECM

Chick Corea / Return To Forever  ( 西独 ECM 1022 )


盛夏がやってきて、空が青くて気持ちがいい。そういう空の色を眺めていると、短絡的だが、このアルバムを思い出す。ECMの一般的なイメージに反して、
このアルバムは夏になると聴きたくなる。「いまさら盤」の代表のようなアルバムだが、この時期を逃すと掲載する気も失せてしまうので、書いてみよう。

冷静に考えると、これは不思議な音楽だ。よく聴くと、如何にも70年代のジャズらしく、かなり混濁した音楽が展開されている。エレピのフレーズは
お世辞にも美しいとは言えず、時代の垢に塗れている。ベースも無軌道な早弾きをまき散らす。フルートの音は痩せていて弱々しく、あってもなくても
どちらでもいいような感じだ。ヴォーカルに至ってはおばさんのカラオケの域を出ていない。個々の要素を客観的に見れば、そういう感じだ。

にもかかわらず、それらが総体として集まった結果、不思議な爽快感へと昇華されているのだ。個々の弱点みたいなものが良い方へと裏返って、
なぜかさほど目立たない。これが不思議なのだ。

全編がエレピで統一されていることが直接の要因ではある。この音の輪郭の曖昧な楽器が、濁って混迷した泥臭さをうまくコーティングしているし、
フルートの音色や女性の声質が柔らかく優しい雰囲気で全体を中和していることもある。この音楽の核になっている70年代的蒸し暑苦しさと、
それらとは真逆の芳香を放つ優美さを対峙させることで、何かそれまでにはなかった新しい独特のものが奇跡的に出来上がっている。

チックがどこまで意識的に仕掛けたことなのかはよくわからないけれど、この音楽の中核に隠れている泥臭さが何より重要なのは間違いない。
これがなければ、ただの表層的な娯楽的音楽で終わっていただろう。

録音はニューヨークのスタジオで、通常のECMの冷たく澄んだ音質とは異なる。薄霞がほんのりとかかったようなところがあり、そのサウンドは
ちょっと独特な質感がある。こういうところもECMの他のアルバムとは距離を置いたユニークさがある。

チックはキース同様、美しいメロディーを書く人だが、彼の美メロはいつもその全容が披露されず、フレーズの大波に揉まれる中でチラリとしか
その姿の一部を見せないもどかしさがある。そういうところはモーツァルトなんかとよく似ていて、それが聴き手の興味をより掻き立てることにも
繋がっているけれど、このアルバムでもそういうところがとても顕著だ。

そういう様々な要素が重なり合って、このアルバムは出来上がっている。そして、ただの爽やかな音楽ではないなと意識の水面下ではぼんやりと
感じさせながらも、そういう実際の複雑さを聴き手に必要以上に考えさせないように聴かせるところに、このアルバムが大ヒット作となった所以が
あるのだろう。無軌道に崩壊したジャズ界に突如現れた、という時代背景だけでこのアルバムの魅力を語るのは不十分。ジャケット写真に映った
カツオドリがなぜカモメに見えるのか、を考えるのは重要なことに思える。


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メキシコ人が弾くセロニアス・モンク

2020年08月10日 | Jazz LP (Latin)

Juan Jose Calatayud / Trio 3.14.16 de Juan jose Calatayud  ( メキシコ Discos TIZOC TAM 10004 )


ラテン音楽には手を出さないと決めている。ただでさえジャズとクラシックの2足のワラジを履いているのに、これでラテンまで手を出すと破綻するからである。
ユニオンにはラテン館があるし、ブログもあるけれど、そこには行かないし、ブログも見ない。人間、見ると欲しくなるから、見ないのが一番いいのである。

ただ、ごくごく稀にジャズのエサ箱にラテン・ジャズのレコードが混ざっていることがあり、安くてジャズ色が強ければ物珍しさから手を出すこともある。
大体はすぐに飽きて処分することになるので、そうなることを前提に、安いのだけに限定して拾う。

メキシコのジャズ・ピアニストとしては有名らしい、フアン・ホセ・カラタユードのピアノ・トリオで、セロニアス・モンクの "Bolivar Blues" で幕が開く。
演奏はごく普通のジャズ・ピアノで、モンクを意識することはない。デリケートで丁寧な演奏をしていて、悪くない。その後も同様のタッチの演奏が続き、
全体を通してジャズとして上手くまとまっている。A面はスタジオ録音、B面はライヴ音源だ。

言うまでもなく、アメリカのジャズとはやはり雰囲気が少し違う。ブルースの匂いがあまりなく、いい意味で軽く、カラフルな感じだ。クラシック・ピアノの
奏法をところどころで挟んでみたり、よくスイングするフレーズへ移行したり、と表情に変化を付けさせる工夫を凝らしている。何も考えずにダラダラと
引き流すようなことがないので、飽きずに聴き通せるのがいい。こういうところは、アメリカのジャズも見習うべきだったかもしれない。モンクの曲も
無理にそれっぽく弾くことはなく、原曲のフレーズをそのまま弾けばモンクっぽくなるから、という自然体で臨んでいるのが好印象だ。

音質もナチュラルなモノラル・サウンドで、何も問題ない。ラテン諸国のレコードは傷んでいるものが圧倒的に多く、そういうところに寛容でなければ
うまく楽しめないだろうと思うが、たまたまこれはきれいな盤質でそういうことを気にせずに聴くことができた。普段とは違う角度からジャズを聴くことが
できるので、安ければ拾ってみるのもいいかもしれない。


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これ以外では聴けない珍しい組合せ

2020年08月09日 | Jazz LP

Tony Scott / Gypsy  ( 米 Signature SS 6001 )


ジュール・スタインが書いたブロードウェイ・ミュージカル "Gypsy" の楽曲を取り上げているのは珍しい。少なくとも、私はこれ以外には知らない。
こだわりの人、トニー・スコットらしい選曲である。それを、マンデル・ロウ、ジミー・ギャリソン、ピート・ラ・ロッカという凄い顔ぶれで録音している。
こういう組み合わせの演奏も、これ以外では聴いたことがない。

50年代にバディ・デ・フランコと人気を二分し、ポール・ウィナーを争っていた実力は伊達ではなく、強者3人を従えた演奏はタイトで高度。
ミュージカルの曲を楽し気に演奏するというレベルを大きく超えて、ソフトながらもしっかりとしたジャズを展開していて、すごく聴き応えがある。

クラリネットは音量の問題から基本的にモダンジャズには不向きだと思うけど、ピアノがいないこのユニットはサウンドに隙間が多いので、
クラリネットの音がよく映える。ジャズのスタンダードにはなっていない楽曲を昔からよく知っているかのようにこなれた演奏をしている。
とにかく、4人の演奏が非常にしっかりとしていて、こういうのはクラリネットのコンボの演奏としては他にあまり例がないような気がする。

シグネチャーのこのステレオ盤は音質も良好で、4人の演奏がすっきりと分離していて、見通しがいい。バディ・デ・フランコのような保守的な音楽
ではなく、控えめに目立たないながらも果敢に音楽に取り組んでいた様子がよくわかる。一般的に受けるようなわかりやすい凄さではない
ところに難点があるのかもしれないが、ジャズのことがよくわかっている人が聴けばよく出来たアルバムであることが実感できるだろうと思う。


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幽玄な侘び寂び

2020年08月08日 | Jazz LP (RCA)

Tony Scott / Both Sides Of Tony Scott  ( 米 RCA Victor LPM 1268 )


Side A は子守歌のように静かな演奏、Side B はミドル・アップな朗らかな曲調、という編集をしているので Both Sides というタイトルになっている。
ピアノレスで、A面はマンデル・ロウ、B面はディック・ガルシアが静かに寄り添う。

幽玄な雰囲気が漂う音楽で、引き込まれる内容だ。"Cry Me A River" や "Stardust" をこんな侘び寂びの世界観で演奏しているのは聴いたことがない。
それが奇をてらったものではなく、素晴らしい音楽として仕上がっているところに驚かされる。なんだか京都の禅寺の和室で紅葉の楓を眺めているような
気分になる。アメリカ人にこういう感覚が理解できるのだろうか。

RCAのようなメジャー・レーベルでこういうサトルでスマートな作品を正面切って作ってしまうところにトニー・スコットという人の凄さを感じる。
一般大衆向けとするには、これはあまりに趣味が良すぎる。RCAもよく発売をOKしたな、と変なところに感心してしまう。

白人ミュージシャンにとって、ジャズはアウェイの音楽だ。当時の白人ミュージシャンたちの発言を読むと、例外なく、みんな自分がこの音楽をやる意味を
真剣に考えて模索していたことがわかる。それが上手くいった人もいればそうではなかった人もいるけれど、そういうところを噛みしめながら聴くと、
ジャズはもっと面白くなる。

トニー・スコットのレコードにはそういう工夫の跡がはっきりと刻まれていて、聴いていくと面白いということが最近よくわかるようになった。
こうして安レコ漁りにますます拍車がかかる。このレコードは750円。最近のユニオンの安レコの1つのスタンダードラインがこの金額らしい。


コメント (2)
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