廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

何か特別な楽曲たち

2021年05月30日 | Jazz LP (Riverside)

Freddie Redd / San Francisco Suite  ( 米 Riverside RLP 12-250 )


ある意味、非常にリヴァーサイドらしいアルバム。ピアニストの創造性を尊重し、オリジナル楽曲を核にしたコンセプチュアルなアルバムを作る。
ブルーノートやプレスティッジでは見られないタイプのアルバムだろう。ドン・フリードマンのデビュー作なんかもそうだが、このレーベルは
アルバムを1つの作品として考える傾向がより顕著だったように思う。

フレディー・レッドはピアニズムで聴かせるピアニストではなく、作曲能力で聴かせるアーティストだ。ピアノの演奏には特に美質は感じられず、
感銘を受けるところは何もないが、この人が作った楽曲には何か特別なものがあった。その何かが、このアルバムには凝縮されている。

アルバム・タイトルにもなっている組曲は、サン・フランシスコの何気ない日常の心象風景が綴られている。名所の風景、ケーブル・カーが走る
チャイナ・タウン、海辺の情景、眠らない深夜の生活、そして明け方の街。ジャズという大衆音楽の中にこういう文学性を取り込んだアルバムは
おそらくこれが最初だったかもしれない。

"Minor Interlude" でのベン・タッカーが弾いた有名なベース・リフは、その後多くのミュージシャンやアレンジャーたちにコピーされた。
彼がそういう素晴らしい演奏を生み出せたのも、レッドの書いた楽曲の良さがあってのことだろう。

1957年に作られたこのアルバムには、単純なコード進行の上にアドリブが乗る大衆音楽としてのジャズが、やがては高度化し多様化することに
なる萌芽が見られる。ちょうど57~58年辺りがジャズにとっての1つの分水嶺で、この時期に一部の才能が徐々にジャズを次のステージへと
発展させていくことになる訳だが、このアルバムも地味ながらもそういうところへ貢献したんじゃないかと思う。


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愛すべき小品

2021年05月23日 | Jazz LP (Riverside)

Kenny Drew / Jazz Impressions Of The Rogers And Hart "Pal Joey"  ( 米 Riverside RLP 12-249 )


とても愛らしい作品。このジャケットは好きだな。色使いが品がいいし、ミュージカルの躍動感が控えめながらも上手く表現されている。
エサ箱で見かけるとちょっとうれしい気分になるレコードではないか。

内容もしっかりとジャズに寄った作品で、それはウィルバー・ウェアとフィリー・ジョーのリズムセクションの重量感が効いているからだ。
ドリューのピアノはもともと軽く、個性がない。だから普通に弾くだけではそのピアニズムはあまり印象に残らないけど、こうしてリズムが
しっかりとしていると没個性な面が逆に作用して、リズムを上手く引き立てる。

ロジャース&ハートの屈託のない朗らかな曲想がストレートに表現されていて、音楽としてしっかりと聴かせる内容になっているのがいい。
大作主義ではないリヴァーサイドらしい作りが功を奏した形だ。マイナーレーベルでよく見るタイプのスタイルではあるけれど、
そこはフィリー・ジョーの非凡なドラムの存在感が重く、一流の演奏へと格上げしている。

他のレーベルではこういうプリティーな小品はあまり見かけることはなく、そこがリヴァーサイドの魅力になっている。
我々のような古いジャズのレコードを愛する者は、こういうレコードを手にして聴いてきたことで育ってきたような面があるんじゃないか
という気がする。



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おそらくは間違えて出されたアルバム

2021年05月15日 | Jazz LP (Riverside)

Kenny Drew / I Love Jerome Kern  ( 米 Riverside RLP 12-811 )


RLP 12-811 という番号から、おそらくこの音源はリヴァーサイドではなく、傍系のジャドソン (JUDSON) からリリースする予定だったのでは
ないかと思う。同じくウィルバー・ウェアのベースとのデュオだし、作曲家シリーズという企画内容からも、それは容易に想像がつく。
ジャケット・デザインにしても、まったく同じ系統だ。レーベル・コンセプトがまだ十分に整理されていないレーベル初期のリリースなので、
こういう混乱が起こったのだろう。

演奏内容もまったく同じ系統で、真摯なジャズではなく、イージーリスニング志向のもので、特にそれ以上でもそれ以下でもない。
聴いても毒にも薬にもならない感じで、このレーベルの他の作品と同じような感動を求めても、それはここにはない。

ただ、それはケニー・ドリューがどうこうという話ではなく、あくまでもアルバム制作の目的がそういうものだった、ということで、
このアルバムを以ってこの人の才能云々を語ることは、当然ながら間違っている。こういうBGMとしてのジャズをやらせたら、
この人は一流の仕事をする、ということなのである。職業音楽家である以上、こういう仕事だって時にはこなす必要はあっただろう。

このあたりから白レーベルのフラットとグルーヴガードが混在するようになる。こういう仕様が混在する番号の盤はどちらがオリジナルか
という話になりがちだが、そういう話ではなく、仕様の切り替えが行われた端境期に当たっていたので両方の盤が混在しているだけだと思う。
生産ラインを止められないモノ作りの現場には普通にあることだ。マトリクスは同じで、音には何も差はない。
同じケニー・ドリューの "This Is New" 、ズート・シムズの "ZOOT !" 、セロニアス・モンクの "Brilliant Corners" なんかもそうだ。
コレクターはこだわるけれど、音楽を聴く上では何も関係のない話。気にする必要はないだろうと思う。



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ダブル・トランペットによる軽快さ

2021年05月08日 | Jazz LP (Riverside)

Don Elliott, Rusty Dedrick / Counterpoint For Six Valves  ( 米 Riverside RLP 12-218 )


マンデル・ロウのギター・カルテットをバックに、トランペット2本でカラッと乾いた空気感の軽快なスイングを聴かせる。ダブル・トランペット
である必要性みたいなものは特に感じないけれど、まあ一人ではアルバム1枚を持たせられないという判断だったのかもしれない。

テナーが2本の演奏だと無条件に「バトル」という言われ方になって自然と白熱したジャム・セッションのような演奏に化していくものだけど、
トランペットだとそういう感じにはならないのが不思議だ。音自体が軽く浮遊するからなのかもしれない。

モダンでもデキシーでもない、何と形容すればいいのかよくわからないタイプの音楽が展開されている。強いて言うなら、ボビー・ハケットの
音楽あたりが一番近いのかもしれないが、あそこまでスタイルがきっちりと仕上がっているわけではなく、個性があるわけでもない。
リヴァーサイドのレコードだから辛うじて手に取って貰えるのであって、これが地味なマイナーレーベルだったらおそらくは誰からも顧みられない
レコードとなっていただろう。好き嫌いは別にして、客観的にはそういう内容と言っていい。

ラスティ・デドリックはこのレコードしか知らないが、聴いていてどちらが彼の演奏なのかは私には判別できないので、どういうトランペッターと
言えばいいのかよくわからない。ただ、演奏はどちらも闊達で上手く、演奏の妙を楽しむことはできる。初版は10インチだったが、楽曲を追加して
12インチとして切り直されたのがこのレコードで、追加された中でワンホーンでスタンダードを吹いているのがドン・エリオットだが、
2本になった途端に判別が難しくなる。おそらく副旋律を吹いているのがデドリックなんだろうとは思うが、あまり自信はない。


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もう一つの唯一のリーダー作

2021年05月03日 | Jazz LP (Riverside)

Marty Bell / The Voice of Marty Bell, The Quartet of Don Elliott  ( 米 Riverside RLP 12-206 )


マーティー・ベルというヴォーカリスト唯一のアルバムで、ドン・エリオット、ボブ・コーウィンらがバックを務める。裏ジャケットの解説によると、
ベルは15歳の時にトランペットを始め、軍隊のバンドに在籍中はショーティー・ロジャースやレニー・ハンブロらと共に演奏していたそうだ。
その後、自身のトランペットの才能に見切りをつけてヴォーカルへ転向したが、こちらのほうもパッとしなかった。その歌声はボブ・ドローや
ジョー・デライズのような質感でお世辞にも美声とは言えないし、歌そのものも上手いとはとても言えない。ライナー・ノートでは "新しい才能"
として一生懸命売り出そうとする文章が躍っているが、正直言ってこれは品名詐称である。

まあ、そんな感じだからこれ1枚でシーンから姿を消すことになったのだろうと思うけど、ヴォーカルはちょっと横に置いて、バックのエリオットの
バンドがなかなかいい演奏をしているのが拾い物だ。エリオットはトランペットではなくヴィブラフォンをやっているが、ベースのヴィニー・バークの
低音がよく効いたサウンドが心地よく、上質なスイングを聴かせる。これはまずまずイケる。

タイトルの上でもエリオット・カルテットとして併記されているし、ライナー・ノートでもエリオットの紹介にかなりのスペースを取っているので、
リヴァーサイドとしてはこちらも売り出したかったのだろう。

リヴァーサイドは他のジャズ・レーベルよりも遅れてスタートしたため、当時の契約金額が安く、且つ活きのいい若手たちは既に他レーベルに
押さえられてしまっていて、スタート時は運営に苦労していた。過去のトラッド・ジャズ音源のライセンス販売などでカタログ補強をしながら
レーベルの顔となるモダン奏者たちを懸命に探していた。そういう苦労の過程が記録されたのがこれら一連の白レーベル時代だった。

程なくしてセロニアス・モンクをプレスティッジから引き抜き、ビル・エヴァンスを大物へと育てあげ、一介のローカル・ミュージシャンだった
ウェス・モンゴメリーに白羽の矢を立てることで一流レーベルへと急成長していくことになるわけだが、そういう人目に付く側面とはもう一つ別の、
いわば日陰の存在だった人たちのレコードもこうしてひっそりと残っている。


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唯一のリーダー作

2021年05月01日 | Jazz LP (Riverside)

Bob Corwin Quartet featuring Don Elliott  ( 米 Riverside RLP 12-220 )


ボブ・コーウィンは50年代の半ば頃、ドン・エリオットとグループを組んでいて、その頃の記録がこうして少し残っている。
ニューヨーク生まれで、歯科医になるために大学で勉強する傍ら、クラブで演奏していたところをエリオットから声を掛けられ、
共に活動するうちに歯科医になるのをやめて、ミュージシャンとして生きていくことを選んだ。

尤も、前へ出るタイプではなかったこともあり、フィル・ウッズなど白人ミュージシャンや歌手のバッキングを務めるのがメインで、
自身の名前を冠したリーダー作はこれしか残っていない。

指はよく回り、闊達な演奏だが、特に特徴があるわけでもなく、ピアニストとして大成するはずもなかった。
このアルバムではエリオットはトランペット1本に絞って演奏しているので、スコープが明快で典型的な平易な白人ジャズとなっている。
チェット・ベイカーがラス・フリーマンとやったワン・ホーンの演奏と雰囲気がよく似ていて、罪のない軽快なジャズだ。

リヴァーサイドの初期に特有の乾いた軽いサウンドで、ffrrカーヴで聴くと焦点がピタリと合って、心地よく聴ける。
何回聴いても特に印象が残ることもなく、褒めるべきところも貶すべきところもない内容だが、この時期のリヴァーサイドの初版は
プレス数が少なく、きれいなものもほとんど残っていないから、何となくレコード棚の中に残っている。そういう感じのレコード。


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