廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

ピアノ・トリオを軸にして

2018年04月30日 | Jazz LP (Riverside)

Red Garland Quintet / Red's Good Groove  ( 米 Jazzland AM 87 )


"レッド・ガーランド五重奏団" という大きな表記が珍しくて目を引いたので手に取った。 ガーランドのアルバムとしてはまったく意識したことがなかった。
メンバーも一流で固められているのに、人口に膾炙されることのないアルバムだ。 ジャズランドというレーベルのせいかもしれない。

管楽器が演奏する "Take Me In Your Arms" は初めて聴いたが、単調なアレンジのせいかさほど印象には残らない。 アレンジが単調なのはこの曲に限らず
全体に共通するところで、メリハリや工夫の跡が見られない。 どの曲も同じような中庸なリズムなので、曲が変わっても違いがわからない印象が残る。

ブルー・ミッチェルはいつものひとクセある音色でなめらかに吹いていくが、元々音色に陰影感がないので、こういう重奏系には向かないなあと思う。
ワンホーンで突っ走る演奏のほうが合っている。 アダムスもいつものドラマチックさに欠ける演奏で、彼の良さが出ていない。 このアルバムは
総じて管楽器の良さが感じられない。

それに比べて、ピアノ・トリオの3人はとてもいい。 1番いいのはやはりフィリー・ジョーで、この人が叩くとハード・バップがよりハード・バップらしくなるのを
改めて実感する。 この人のおかげで、このアルバムは駄作にならずに済んでいる。 サム・ジョーンズのベースの音も非常にクリアに録れていて、ギシギシと
軋む音が生々しい。 リヴァーサイドのレコードは、この人のベースのアコースティック感を上手く録ったものが多い。

そしてガーランドのピアノの音がプレスティッジとは全然違う。 ピアノの音がよりピアノの音らしく、クリアに鳴っている。 グランド・ピアノの音がする。
いつものガーランドとは違う表情が新鮮だ。

良くも悪くも、リヴァーサイドらしいアルバムだと言える。 管楽器にフォーカスして聴くと面白味に欠け、ピアノ・トリオを軸にするととてもいい。
これがプレスティッジ録音だときっと逆になっていたはずで、あちらを立てればこちらが立たず、なかなか難しい。


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サイドメンバーたちの華麗なるキック

2018年04月29日 | Jazz LP (Columbia)

Gene Krupa / Gene Krupa's Sidekicks  ( 米 Columbia CL 641 )


ジーン・クルーパ本人にはさほど興味はなく、各曲のソリストの歌や演奏が聴きたくて手にした。 クルーパはドラマーとしての顔とバンド・マスターとしての顔の
2つを持っていて、これはSP期にコロンビアに録音された曲を集めてLPとして切り直したもの。 コロンビアのLPの初期のものにはこういう編集ものが
たくさんあって、結構面白い。 

ヘレン・ワードが歌い、ジェリー・マリガンが吹き、デイヴ・ランバートが歌い、ヴィド・ムッソが吹く。 ベニー・グッドマン楽団のオーディションに落ちた
アニタ・オデイをクルーパが拾ってやったのは有名な話だが、そのアニタも歌っている。 

1938年にベニー・グッドマン・オーケストラを卒業したクルーパは自身のオーケストラを持ち、最初のスタジオ録音をした際にこのヘレン・ワードの歌う
"One More Dream" も含まれていて、これは貴重な音源になっている。 このアルバムを企画したのはクルーパ本人だが、この楽曲は編集の際には
思い入れがあって外すことができなかったようだ。 

この時期の白人オーケストラは皆フレッチャー・ヘンダーソン楽団をお手本にしていて、誰の楽団であろうがどの演奏であろうが違いがなく、正直言って
あまりあれこれ聴く意味はないような気がするけれど、唯一、各楽団お抱えの歌手の歌を聴くのが楽しみだ。 楽団側もそれがわかっていて、新人歌手の
発掘には熱心で、そのおかげで多くの歌手たちが楽団を卒業してソロ活動しながらレコーディングして、膨大なレコード資産が残されたのだ。

ここに納められたのは1930~40年代のアメリカの商業音楽の中心だったもので、このレコードをかけているとなんだか古いラジオ放送を聴いているような
気分になる。 正対して聴くというよりは、何か家事でもしながら聴く「ながら聴き」が一番相応しいのかもしれない。 楽団に在籍して色を添えた
サイドメンバーたちの華麗なるキックを愉しめればそれでいい、幸福なレコードだ。


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居場所の無さが創り上げた世界

2018年04月28日 | Jazz LP (Columbia)

Friedrich Gulda / Ineffable : The Unique Jazz Piano of Friedrich Gulda  ( 米Columbia CL 2346 )


私はクラシック・ピアニストとしてのグルダは好きではない。 どちらかと言えば、嫌いである。 この人が弾くモーツァルトからはモーツァルトの音楽が
まったく聴こえてこないし(DGGのソナタ集は酷い出来だった)、ベートーヴェンに至っては楽聖が苦心の末創り上げた造形の欠片すら拾えていない。
クラシックの場合は楽曲の曲想の表現を演奏者の個性が後押ししなければいけないのに、この人の場合は個性が音楽の中心になっていて、
作曲家の音楽がどこかに行ってしまっている。 だから、グルダがジャズの世界に首を突っ込んだのは、ある意味当然のことに思える。

元々がそういう心証を持っているのでグルダのジャズの演奏にも特に興味も持てずにこれまで来たのだが、このアルバムに関しては意外にいい、と思った。
少なくともジャズの世界においては他に見当たらない感性で創られた音楽になっていることは間違いないと思う。 

当たり前のことだけどさすがに上手いピアノで、これを聴くとビル・エヴァンスのピアノが下手に聴こえる。 そういう意味では格の違いは確かにある。
アンドレ・プレヴィンのような硬直したピアノとは違い、柔らかくしなやかで、音と音の境目がない。 所々で弾き過ぎる悪いクセが出るけど、それでも
全体的にかなり抑制して弾いているのがわかる。 ジャズのピアニストにもしなやかに弾く人はいるけれど、これは質的にちょっと次元が違う。

黒人ジャズとも白人ジャズとも違うし、アメリカのジャズとも欧州のジャズとも違う、またもう一つ別の世界観の音楽としてそこに在る。
ジャズの世界にはさほど長居することなくまた元の世界に戻ったけれど、元々クラシックの世界ではマエストロとして認知されながらも、愛好家からは
暗黙的に少し際物扱いされていたところがあって、そういう生来の居場所の無さがこの人の音楽の独自性を担保しているのを実感する。

アルバムタイトルにもなっているB-3の "Ineffable" の筆舌につくし難い優雅なピアノの舞は圧巻。 1965年のジャズとは思えない、まるでピエラヌンツィが
弾いているかのような現代感があって、これは驚異的だ。 先入観を捨てるのは難しいことだけれど、これは聴くべき1枚だと思った。


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美人じゃなくても

2018年04月22日 | Jazz LP (Verve)

Barbara Caroll / Funny Face  ( 米 Verve MGV-2063 )


由緒正しい愛好家はバーバラ・キャロルなんて聴かないんだろうし、レコードを買ったりしないのかもしれない。 彼女がそうやって相手にされないのは
おそらく美人ではないからだと思う。 ジャズおやじは美人にしか金を出さないし、ベリー・ショートの髪型だってそんなのは嫌いなのだ。

でも私は最近このレコードを聴いて、芸術的衝撃を受けた。 こんなイン・テンポでピアノが弾ける人は、ジャズの世界では他に見当たらないのではないか。
そしてこのピアノの魅惑的な音色。 最適な打鍵があった時にしか、ピアノはこういう音色にはならないものだ。 それが途切れることなく続いていく驚異。 
こんなにピアノの演奏に耳をそばだてたのはいつ以来のことだろう、と思う。

音楽における芸術的衝撃というのはこういうところに隠れていると個人的には思う。 一般的には前衛の領域にそういう衝撃が溢れているようなイメージが
あるのかもしれないけれど、それは幻想だ。 ブロッツマンの演奏を目の前で聴いて感動したのは、サックスの演奏力のあまりの確かさに対してであって、
無調のフレーズの果てることのない羅列に対してではなかった。 

バーバラ・キャロルは別に何か人を驚かせるような曲芸的な演奏をしているわけでないけれど、彼女が弾くピアノの適切さは、音質へのこだわりがさほど
無かったヴァーヴのモノラル録音からでもちゃんとこちらに伝わってくる。 音響的な快楽はなくても、その音が他の誰とも違っているのはちゃんとわかる。
そのことに驚かされた。

オードリーとアステアのジャケットからわかるように、映画 "ファニー・フェイス" で使われた曲をメインにしたガーシュウィン集で、気軽に聴ける演奏。
各面に1曲ずつバーバラの歌も入っているけど、これは平凡で余計だった気がする。 こんなことをしなくても、彼女のピアノだけでよかった。
録音当時もそのピアノの魅力にはあまり気が付かれていなかったのかもしれない。


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フィル・ウッズのワンホーン裏名盤

2018年04月21日 | Jazz LP (Verve)

Kenny Burrell / A Generation Ago Today  ( 米 Verve V-8656 )


フィル・ウッズのワンホ-ンでの隠れ名盤がこんなところにある。 ケニー・バレル・トリオにプラス・ワンの構成だけど、ほとんどがフィル・ウッズなので、
事実上のフィル・ウッズのワンホーン・カルテットとして聴ける。 客演という立場をわきまえて前面に出てバリバリ吹いたりはしないけれど、それでも
静かなギター・トリオの中ではひときわ映える。

ケニー・バレルもシングル・トーンの太い音でしっかりと弾いているのが嬉しい。 コード・ワークよりもソロのフレーズが多く、テナーのピアノレス・トリオを
聴いているような感じがするところもある。 一聴してすぐにバレルだとわかる音と弾き方で、彼のギターの特徴を掴むには絶好の内容だ。 
アルバム全体を通して明るい雰囲気が貫かれていて、聴いていると自分の心の中まで同じように爽やかな空気満たされていく。

更に特筆すべきは、録音の良さ。 ヴァン・ゲルダー・スダジオで録られていて、マスタリングもカッティングも自身の手で行っている。 これが素晴らしい
サウンドで、静かな空間の中にバレルのホーンのような音やウッズのキラキラと輝くアルトの音が触れそうなほどクッキリとした輪郭で前面に出てくる。
全体的に深めの残響が効いていて、サウンド全体に奥行きがあり、この録音は見事だ。

ヴァーヴのMGM時代のレコードには素晴らしい作品が山のようにある。 その充実ぶりは同時期の他レーベルの比ではない。 フリーやファンクへ流れる
ことなく、しっかりと王道主流派路線を守ったその姿勢には一目を置くべきだと思う。 67年にはポリドールに売却されなければならないほど経営的には
うまくいっていなかったけれど、それでもそういうことを作品のクオリティーに一切影響させなかったのは素晴らしい。 このアルバムはそういうMGM時代の
ヴァーヴの良心が創り上げた静かなる傑作である。 


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Duck Soup

2018年04月15日 | Jazz LP (復刻盤)

Miles Davis, John Coltrane / Final Tour : Copenhargen, March 24, 1960  ( 日 Suny Music Japan International SIJP68 )


こういうレコードがいろいろ発売されるのは、私のようなカモがいるからだ。 聴く前からどういう感じかは容易に想像出来るし、聴いてみても結局は
その想像の確からしさをただ確認するだけでしかない。 でも、だからと言って、聴かずに済ますこともできない。 生産的ではないからと言って、
意味がないと切り捨ててはいけないものだってあるのだ。

コルトレーンがマイルス・バンドを去る直前の最後の欧州ツアーでの演奏は様々な形で音源が出回っているので、ここで聴ける音楽的な内容については特に
目新しいものはない。 成長したコルトレーンがバンドのスタイルからはみ出すようになってきていて、楽曲ともミスマッチな感じになってきている。
こうやって聴いていると、マイルスの音楽のある種の清潔さがよくわかる気がする。 コルトレーンの音や演奏には濁りがあって、そこがマイルスの澄んだ
音楽とは相容れない。 離別の時が来たのである。

音質は良好だ。 正規録音と比べても何の遜色もない。 ライヴ特有の空間を感じるような音場感ではないけれど、楽器の音がクリアで聴いていて気持ちいい。
最近のアナログ・レコードの品質の高さを実感する仕上がりだと思う。

ただ、この1枚だけではどうにも物足りない。 どうして全音源をレコードで出さないのかはよくわからないが、これではあまりに喰い足りない。
CDを買うしかないのかなあ、やっぱり。 大手レーベルにありがちな、こういう販売形態のちぐはぐなところは疑問が残る。 貴重な音源なんだし、
演奏の素晴らしさは文句なしなんだから、あたりまえの販売形態にしてもらいたいと思う。 レコードの需要があるのはわかりきっているはず。



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黄昏の怪獣

2018年04月14日 | ライヴ鑑賞
13日の金曜日、新宿に怪獣現る。





ピットインに来るのはずいぶん久し振りだけど、タイミングがうまく合ったので、足を運ぶことにした。 ヘザー・リーのペダル・スティール・ギターとの
デュオということで、どういう感じになるのか楽しみにしていた。 この2人によるアルバムは何枚か出ているけど、まだ聴いていないのでちょうどいい。

観客は30人ほどで、多いとは言えない。 こんなんでギャラが出せるのか、とこちらが不安になる。 よく日本に来てくれる人だから、案外また今度で
いいや、という人が多いのではないだろうか。 でも、もう彼は77歳で、そんなに悠長なことは言ってられないと思う。 私のようなオッサンは少なく、
若い人が結構来ていたのは意外だった。 来日初日だったからか、観客が少ないからか、本人の意向で今日は1セットのみ、と予めアナウンスがあった。

ブロッツマンからヘザー・リーは初めての日本だと紹介があったけど、若い頃のダリル・ハンナのようなすごく綺麗で可愛い人だった。 身長は180センチ以上
あって、顔も小さくてスタイルも抜群、ミュージシャンというよりはモデルのような感じだ。 ペダル・スティールでアヴァンギャルドとはとても想像つかない。

1曲目はマイナーキーの哀感のあるテーマから大きく起伏するドラマチックな曲、2曲目はヘザーの破壊的なアルペジオが前面に出た幻想的な曲、ラストは
ゆったりとした短めの曲で、ブロッツマンがまるでコールマン・ホーキンスやベン・ウェブスターのようなサブ・トーンを使ったフリー系のバラード。

この2人は相性がとてもよかった。 ベザーのペダル・スティールはファズやディレイを使って小さいローランドのアンプから爆音を鳴らす。 物静かな所作で
荒れ狂ったような混濁したハーモニーで小屋の中を埋め尽くすようなパートもあり、そのかわいい外見とのギャップの大きさに恐くなる時もあった。

ブロッツマンは若い頃のような長尺なフレーズはなく、短めのフレーズを延々と繋いでいくような感じだったが、生で聴くとサックスとしての演奏力の
確かさがよくわかって、時々ロリンズの姿がダブって見えるような気がした。 音楽的にもいわゆるフリー・ジャズという匂いはもはや無くて、完全に
ブロッツマンの音楽として確立している。 不満な箇所は一瞬たりともなかった。 単純に、まる1時間聴き惚れていた。

自分のパートを吹き終わって、ヘザーにバトンタッチした後に水を飲んだり楽器を調整したりしながらステージをゆっくりと歩くその姿は「黄昏の怪獣」
という趣だった。 身長は大きくないが、大きな横幅と分厚い胸板と大きく盛り上がった広い背中はまるで巨大な岩のようで、セイウチのような口ひげと
賢者の眼光を宿した眼が印象的だった。 

ヘザーはとてもシャイな感じで、曲が終わるとチラッと観客の方へ眼を上げて、ニコッと笑う。 そういうところが可愛かったな。

また、観に行きたい。




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ただのお祭りでは済まない演奏

2018年04月11日 | Jazz LP (Blue Note)

Herbie Hancock, Joe Henderson, 他 / One Night with Blue Note, Volume 1  ( 米 Blue Note BT 85113 )


1979年に活動停止したブルーノートが1984年に活動再開したことを祝ってニューヨークのタウンホールで行われたライヴで、かつてこのレーベルで
一世を風靡した同窓生たちが集まって大懐メロ大会を披露した。 アルフレッド・ライオンやリード・マイルスも会場に来ていて、アート・ブレイキーや
ケニー・バレルのような大物から、新生ブルーノートで活躍することになるペトルチアーニやスタンリー・ジョーダンまで、錚々たるメンバーが顔を揃えている。

この第1集はハービー、ロン、トニーのトリオを核にして、フレディー・ハバード、ジョー・ヘンダーソンの2管とボビー・ハッチャーソンらが4000番台の
懐メロを披露している。 いい演奏もあれば、ズッコケる演奏もあって、これがなかなか面白い。 でも、これらはあくまで催し物だから、能書きは不要。
気軽に楽しめば、それでいいのである。

今回のお目当てはもちろんジョー・ヘンダーソンだけど、これが立派な演奏で感心してしまう。 ハービーはノリノリではしゃぎまくっているし、ハバードも
余裕ぶちかますプレイで楽しませるけれど、ヘンダーソンは至って真面目だ。 名曲 "Recorda Me" がハイライトだけど、これは凄くいい出来。
オリジナルのヴァージョンよりも、私はこちらのほうが好きだ。 トニーのドラムは素晴らしいし、ハッチャーソンのヴァイヴも透明感があって、
"Page One" の演奏にはない新しい表情に思わず引き込まれる。 やはり、この人たちは他の人とは違うのだ。 それが実感としてよくわかる。

4000番台に作品を作っていた頃はみんなまだ若くて野望に燃えていたけれど、あれから20年も経てば肩の力も抜け、同じ曲を演奏してもこんなにも
洗練された上質なジャズにすっかり様変わりするのだ。 

アルバムとしては第1集から4集まで作られて、ジャケットのボトルの数が一つずつ増えていく、とても印象的なデザインとなっている。 もちろん、これは
リード・マイルスの意匠で、さすがに魅せてくれる。

この第1集ではボビー・ハッチャーソンの音色と清潔な演奏が1番耳に残る。 ただ、最後の "Hat And Beard" にはズッコケる。 ジェームズ・ニュートンでは
あまりに力不足。 これはちょっと気の毒だったんじゃないだろうか。

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ハードボイルドな名ライヴ

2018年04月08日 | Jazz LP (70年代)

Joe Henderson / At The Lighthouse, "If You're Not Part Of The Solution, You're Part Of The Problem" ( 米 Milestone MSP 9028 )


ウディ・ショウ、ジョージ・ケイブルスのエレピ、という如何にも70年代的な熱の籠った演奏で、特にベースとドラムのべっとりとしたビートに
エレピがまとわりつき、その上を管楽器が刹那的に流れてハードボイルドな雰囲気を醸し出す。 B1の "If You're Not Part Of he Solution,・・・" の
カッコよさは格別だ。 夜のサンフランシスコの街をハリー・キャラハン刑事が車で犯人を追い駆ける光景が目に浮かぶ。 懐かしき70年代。

ウディ・ショウのラッパの音が大きく目立つ中、ヘンダーソンは硬質な音で速いパッセージをたくさん交えながら朗々と吹いていく。 対照的な
サウンドの2つの管楽器のバランスがいい。 ヘンダーソンは難しく重たいフレーズを吹く割にはリズム感が良く、全体のスピードに乗り遅れたり
することがなく、非常に上手く音楽に溶け込んでいるところが凄いと思う。  サックスの演奏の収まりがよくて、難解さをまったく感じない。
そこがいいんだろうと思う。

ライヴ演奏なので個々の演奏の弾け方を愉しむのが本来だろうけど、このアルバムはそれ以上に音楽的な纏まりが良く、何より全体がカッコいい。
だがら、各部品をバラバラに聴くのではなく、一歩引いて全体を丸ごと愉しむのが一番いい。 リズム隊が熱を帯びながらも破たんせずに冷静に
リズムをキープし続けているので、それが音楽全体を纏まりいいものにしているのだと思う。 そういう意味で、このアルバムが成功しているのは
このリズム隊に拠るところが大きい。 アート・ファーマーがコロンビアに残したライヴ盤と雰囲気がよく似ている。

それにしても、東京の街を毎週1~2時間ぶらつくだけで、ジョー・ヘンダーソンのめぼしいアルバムが安価で立て続けに手に入れることが
できるのだから、この街は改めて凄いと思う。 狭い立地も幸いして短時間で効率よく、狙った獲物を確実に仕留められる。 
レコード漁りには最高の街だ。


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RIP, Cecil Taylor、でも・・・

2018年04月07日 | Free Jazz

Cecil Taylor / Indent  ( 米 Unit Core Records 30555 )


このレコードは初版がプレスされた直後に火事でその大半が原盤と共に燃えてしまい、現存するオリジナル盤はごく僅かしか残されていない。
昔、そういう話を廃盤専門店(トニーだったか、コレクターズだったか)で聞いたことがある。 ただ、この手の話はどこまでが本当なのかはよくわからない。
当時はあまり出回っていなかったのかもしれないけれど、今はそんなに稀少だという印象もない。 海外のディーラーが日本人に高く売りつけるために
ねつ造した作り話だっただけなのかもしれない。

そんな訳で、昔は高くてとても買えるシロモノじゃなかったこの初版盤も、今では身近な存在になっている。 私もワンコインで買った国内盤のすぐ後に
適価の初版を見つけて、喜んで買い直した。 特に音がいいということもないけれど、愛聴盤だからこんなことが嬉しかったりする。 
そんな風に、私にとってのセシル・テイラーは、楽しみながらレコード漁りをする他の多くの好きな演奏家たちの一群の中の一人である。
音楽の素晴らしさだけではなく、レコード漁りの愉しさまで提供してくれる人だった。

一昨日、ブルックリンの自宅で89歳で亡くなったということで、残念だと思う。 ただ、だからと言って、今頃慌てて饒舌に語り出す気にもなれない。
このブログでもこれまで折に触れて彼の音楽を語ってきたし、それはこれからも変わることはない。 彼のカタログのまだ半分も聴いていないだろうし、
しばらくはゆるゆると続くであろうレコード漁りの日々の中で、セシル・テイラーのレコードとの楽しい出会いもまだまだあるだろう。 

RIP, Cecil Taylor、でも、私にとってセシル・テイラーの音楽は未だに現在進行形。 いつまでも私の中で鳴り続けている。



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似て非なるもの

2018年04月01日 | Jazz LP (Riverside)

Don Friedman / Circle Waltz  ( 米 Riverside RLP 431 )


テトラゴンで見事な仕事をしていたドン・フリードマンに感銘を受け、久し振りに聴き直してみた。あまりピンとこない作品で棚の中で眠っていた。

ウィキペディアを見て驚いたのは、2年前に亡くなっていたということと、日本にたくさんファンがいる、という2つの記述。亡くなっていたとは
知らなかったし、日本にファンがたくさんいるなんて話もそんな実感はない。確かに晩年は日本録音の作品を色々作ってはいるけれど、
人気があるというには程遠い状態ではないだろうか。

この人のアドリブラインはかなり抽象的で、る口ずさめるようなフレーズが出てこない。題材がスタンダードであってもそうだし、自信のオリジナル
ともなると、それこそ現代音楽一歩手前くらいの混沌さに陥る。スタンダードがスタンダードらしい曲想として羽ばたくことなく、フリードマンの
独白に埋没していくことになるので、私の中で音楽的な印象が残らない。このアルバムが代表作だと言われたり素晴らしいと言われるのは、
おそらく1曲目の表題曲だけの印象でそういう話になっているのだと思う。それ以外の演奏を聴いてこれが代表作だと実感している人は
あまりいないのではないだろうか。

エヴァンスの名前が引き合いに出されるのもわからない話ではないけれど、よく聴けば2人の弾き方がまったく違うのは明らかで、似ているのは
時々見せる静かな佇まいとかメロディーの中での間の置き方くらいだろう。エヴァンスは卓越したリズム感で演奏するけど、この人はリズム感が
あまりよくない。それを他のピアニストがあまり弾かないようなフレーズを持ってくることでリカヴァリーしているような感じである。

チャック・イスラエルは元々はフリードマン・トリオの常設メンバーだったが、ラ・ファロが亡くなって落ち込んでいたエヴァンスを立ち直らせる
ためにオリン・キープニューズがフリードマン・トリオから引き抜いてエヴァンスに充てた人だ。イスラエルはおそらくエヴァンスとラ・ファロの
演奏を聴いていたのだろう、 "Circle Waltz" ではテーマ部の演奏の後にすぐにベースのソロ・パートを始めたりしている。

そういうエヴァンス・トリオの演奏マナーをそのまま取り入れることで疑似エヴァンス・トリオ風になっている(イスラエルのこの作品への貢献度は
あまりに大きい)ことと、ピート・ラ・ロッカのドラムが過剰な演奏を避けて適切にサポートしていることで、愛好家のエヴァンス・ロスによる飢えと
渇きをほんの一瞬満たしてくれるところがいいのだろう。ただ、エヴァンス・フィルター抜きで同じように評価してくれる人がどれだけいるのか
よくわからないところが何とも気の毒になる。物思いに耽るような表情が素晴らしい作品だけど、エヴァンスの名前を跳ね返すだけの何かがあれば
もっとよかったのにと思う。


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