廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

計算し尽された作品

2017年06月28日 | Jazz LP (70年代)

Tommy Flanagan / Plays The Music Of Harold Arlen  ( 米 Inner City Records IC 1071 )


安レコ漁りをしていると見たことのない、あるいは聴いたことのないレコードに出くわすことが多い。 だからこそ面白いのだが、それらの中には
初版も再発も無造作にミックスされていて、これはこれで目利きが必要になる。 このレコードは初めて見たもので、内容的には如何にも日本人好み
だなあと思って家に帰って調べてみると、オリジナルは日本のトリオ・レコードだった。 私はトミー・フラナガンにはあまり興味がなく、
作品の知識がほとんどない。

これはトリオ盤がリリースされた翌年にアメリカで出たものだが、ジャケットはこちらのほうがいい。 それにトリオ盤は聴いたことはないけれど、
このインナー・シティ盤はとても音がいい。

全編スタンダードで、どの曲も短めで品よくまとめている。 "Eclypso" のような硬質な作品も作れば、こういう売れ線もきちんとこなす。
上手いもんだなあ、と感心してしまう。 ハロルド・アーレンというシブい作曲家を取り上げるところはトリオ・レコードのセンスなんだろう。
よく出来ている。

注目は最後に収められたヘレン・メリルが歌う "Last Night When We Were Young" 。 彼女に1曲だけ歌わせる、という物足りなさの演出も
あざといくらい効いている。 さすがの素晴らしい歌で、この1曲のためだけに買う人も多いのだろう。 
すべてが計算された、これはプロデューサーの技が光る1枚。


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輝かしい人見記念講堂でのライヴ

2017年06月25日 | Jazz LP (Paddle Wheel)

Chet Baker / Memories - In Tokyo  ( 独 Paddle Wheel K28P 6491 )


亡くなる1年前に来日して昭和女子大学人見記念講堂で行われたライヴを収録したもので、一般的に最晩年の名演としてよく知られた作品だが、
レコードを見るのは珍しかったし、パドル・ホイール・レーベルは録音がいいものが多いし、ということで手に取ってみた。

かつてCDで散々聴いていた作品とはいえ、この数年はすっかり遠ざかっていて、随分久し振りに聴くことになったのだけど、改めてこのライヴは
素晴らしいと思った。この時のチェットは体調がよかったようで、トランペットの演奏が圧倒的に素晴らしい。 長いフレーズをかすれることなく
ヨレることなくしっかりと吹いていて、音も大きく張りがあって驚かされる。そして、歌声も高音部でかすれることなく、息も長く続き、
非常にデリケートに歌っている。どちらも満点の出来だ。

バックのハロルド・ダンコのトリオも見事な出来で、チェットを立てて邪魔しない細心の繊細さでついていっている。ゲッツのバックを務めた
ケニー・バロンのように、ヘレン・メリルのバックを務めたトミー・フラナガンのように。

そして、選曲もいい。特に、"Almost Blue" と "Portrait In Black And White" が最高の出来だ。憂いに満ちたこれらの名曲を、前者は静かな
バラードとして、後者は大きくうねるようなドラマチックさで有無を言わせぬ力で聴かせる。それ以外の曲も含めて、全体的に非常に丁寧で
繊細な演奏になっていて、その統一感は圧巻だ。 日本の観客のために、かなり入念に準備してきたのが伺える。

最後に、録音の素晴らしさ。 とにかく全てが輝くようなきれいな音で録られていて、人見記念講堂のゆったりと大きい空間が見事に表現されて
いる。自然な残響感の中でゆったりと流れていく繊細な音楽を聴くのは最高の贅沢じゃないだろうか。さすが、キング・レコードである。
ただ、このアルバムはCDも同じように高品質で、特にレコードだけが素晴らしいということではない。このパドル・ホイールはCDの音も
見事なのだ。

晩年のチェットの音楽は素晴らしい。その素晴らしい音楽が日本の最高品質の録音技術でこうして録られたのは、何とも誇らしいことである。
そのことを素直に喜びたい。


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直近の猟盤での成果

2017年06月24日 | Jazz LP (安レコ)
この2週間ほどの猟盤の成果はこんな感じ。 相変わらずの安レコ狙いで、今はこれが一番面白い。

ちなみに、ここで言う安レコとは2,000円未満のレコードのことを言っていて、これはDUの定義に準拠している。 DUでは2,000円未満を「ロー・プライス」、
2,000~8,000円未満を「ミドル・クラス」、8,000円以上を「高額廃盤」、と呼んでいる。 まあ、妥当な線引きじゃないだろうか。




特に意識しているつもりはないんだけれど、最近はスティープルチェイスをよく聴いているような気がする。 全部、1,000円台だ。 安レコ狙いになると、
当然のようにこのレーベルの存在感が増してくる。 昔聴いていた国内盤LPやCDはどれも音が硬くてサウンドに空間的な拡がりが感じられず、音楽を全然
愉しめなかった。 そういう印象があったのでこれまでは避けていたのだが、オリジナルを聴いてみるとそれまでの印象とは全然違う音場感の良さだし、
よくよく考えると値段も安いし、ということで自然と手が出るようになったのかもしれない。 最近24bitデジタルリマスタされてCDが再発されているけど、
音はどうなのかなあ。





Horizonレーベルはチリチリと音の出る盤が結構多くて買えていなかったが、ようやくノイズのない盤が見つかった。 これは嬉しい。
ルネ・オファーマンはちゃんと聴いたことがなかったから、この機会に聴いてみようということで。 どちらも当然1,000円台。





この2枚はさすがに安レコというわけにはいかず、ミドル・クラス。 左の黄色いジャケットのものが青レーベルのレギュラー盤で、右のベージュ色のものが
緑レーベルの初出盤。

緑レーベルのほうが音がいいから、ということで廃盤専門店では高い値段が付いているけれど、こうして聴き比べるとそんなのは嘘だということがわかる。
どちらもフラットだけど材質には違いがあって、緑のほうはブルーノートのレキシントンのような硬くて重い材質、青のほうは普通のルースト盤の材質。
でも音の質感はまったく変わらない。 ちなみに12インチも音の質感は同じで、材質的には最も安定している。 12インチのきれいなものは材質起因の
ノイズは全くないから、やっぱりこれは12インチで聴くのがいいと思う。

だから、緑レーベルは青レーベルと比べて別格の音とか、物凄い音とか、そういう話にはダマされないでね。 




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真夜中のギター

2017年06月21日 | Jazz LP (70年代)

Jimmy Raney / Momentum  ( 独 MPS 20 21757-4 )


ジミー・レイニーは70年代以降に意外とたくさんの作品を残している。 プレイは地味そのものだし、歴史に名を遺すような有名な作品がある
わけでもないのに、なぜこれほどレコーディングの話があったのだろう。 それらの多くがギターに焦点を当てた編成と録音で、彼のギターを
満喫するにはうってつけのものばかりだ。

50年代に作られたギター・ジャズの多くが管楽器やピアノらが普通に演奏するコンボもので、ギターそのものを味わうというよりは普通の
ジャズバンドの演奏でたまたまギターも入ってますという感じだったが、70年代以降は管楽器入りの編成は減って、ギターをメインにしたものが
増えててきて、レコード制作の考え方が大きく変わったのがわかる。

このアルバムもピアノを排したギター・トリオ編成で、ジミー・レイニーはコードをあまり鳴らさず、シングル・ノートで全編を弾きまくっている。
ブルースを弾いてもブルージーではないし、使うスケースも中音域帯に集中しているから何となく一本調子な印象になってもおかしくないはず
だけど、どういう訳か退屈することなく聴けるから、これが不思議だ。 

特にここではリチャード・デイヴィスのベースがずっしりと重くダークトーンでギターと対等な録音レベルで録られていて、強烈な存在感を
見せている。全体的なサウンドカラーはこのデイヴィスのベースが支配していて、ジャケットデザイン通りの真夜中の雰囲気が濃厚に漂っている。
こういうムードはジャズ・ギターには相応しい。

MPSレーベルの録音も必要最小限の残響を使って生々しく楽器の音を艶やかに録っていて、空間表現も申し分ない。 究極に地味で渋い内容
だけど、私にはどストライクな内容で愛聴盤の1つになっている。


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ピアノの音に宿る強い力

2017年06月18日 | Jazz LP

Michel Petrucciani  ( 仏 Owl Records OWL 025 )


ミシェル・ペトルチアーニを初めて聴いた時は本当に驚いた。 今まで聴いたことがないようなまったく新しい感性、みずみずしいピアノの音、強い意志の力。
頭の上から冷たい水を被ったような、目の覚めるような感覚。 音楽を聴く中でこういう覚醒感を憶えることは、数えるくらいしかない。 その時聴いたのは
アルバム "Playground" の中の "September Second" で、そこから遡るようにしていろんな作品を聴いた。 そして、当然の帰結として、このアルバムに
辿り着くことになる。

ピアノの音に込められた強い強い意志の力に、何より心を打たれる。 美しく弾こうなんてまったく思っていないであろうにも関わらす、ピアノが本来持っている
であろう最も美しい音を意志の力で一番奥底から掴み出してくるかのようだ。 ピアノ音楽の世界でペトルチアーニがピアノの中から解放した音は、間違いなく
最も美しいものの1つだったと思う。 おそらく、世界中のあらゆるピアニストたちがこのピアノに激しく嫉妬したことだろう。

ペトルチアーニの自作曲やドラムのアルド・ロマーノのオリジナル曲などの名曲も多く揃い、音楽としての快楽度も最高峰だし、仏OWLレーベルの録音も完璧。
ロマーノのドラムがペトルチアーニの演奏に興奮して曲によっては少しうるさい局面があるのが玉に瑕だが、それも演奏全体を大きくドライヴさせる大きな要因に
なっているので、これはこれでよかったのかもしれない。 

録音の機会にも恵まれてたくさんの作品があって、そのどれもが素晴らしいけれど、やはりこの作品の凄さを聴きに戻ってくることになる。 いいなあと思う音楽は
たくさんあっても、強い感動にまで至る音楽はさほど多くあるわけではない。 この音は生きている。 優れたピアニストは大勢いるし、名盤の数も星の数ほど
あれど、この作品はそれらのいわゆる"名盤"たちとは格を別にする存在だと思う。 

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凄腕ギタリストの証

2017年06月17日 | Jazz LP (Verve)

Johnny Smith  ( 米 Verve V-8692 )


ジョニー・スミスというギタリストは、ルースト盤を聴いてもギタリストとしての真価はわからない。 ただ単にレーベルの意向だったのだろうとは思うけれど、
ギターをしっかりと弾いていなくて、音の悪いムード音楽の域を出ない。 ニーズがあって作られているんだろうから、何もそれが悪いということではないけれど、
私には正直言って物足りない。 でも、このヴァーヴ盤を聴けば、この人はおそろしくギターが上手い人だったんだなということがよくわかるのだ。

1967年という時代の空気が反映されていて、レノン&マッカートニーの曲もやったりしてヴァーヴらしいセールスを意識した作りになっているけれど、
とにかくギターががっつりと弾かれていて録音のど真ん中にいるので、びっくりするくらいの正統派ギターアルバムになっている。 録音も良く、ギブソンの
フルアコの抜けのいいヴィンテージ・トーンが気持ちいい。 

この人に師事したギタリストは多く、数多くの弟子たちが活躍しているし、ギブソンが早い時期にジョニー・スミス・モデルのギターを出したり、とアメリカでは
凄腕ギタリストとしての評価は固まっているけれど、日本ではおそらくそういう認識のされ方はしていない。 日本人はジャズという音楽やレコードなどの
媒体は大事にするけれど、ミュージシャン本人への関心や理解は低いから、この人の認知度もこの先も変わることはないのだろう。

ギタリストが "いそしぎ" を演るのは珍しいけど、この曲独特のムードを上手く表現していて短い演奏ながら印象に残るし、ビートルズの曲も上質な仕上がりで、
ギタリストの技量表現と観賞音楽の両立を果たしている見事な作品で、うーんと唸ってしまう。


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何だか静かな生誕100周年

2017年06月11日 | Jazz LP (Columbia)

Thelonious Monk / Solo Monk  ( 米 Columbia CL-2349 )


ブルーノート東京のロビーに置いてあったフリーペーパーを適当に拾って帰りの電車の中でパラパラとめくっていたら、今年はセロニアス・モンクの
生誕100周年だという話が書いてあった。 普段から雑誌を読むこともなく、最近は新品コーナーに顔を出すことも減ったので、この手の時事ネタに
はすっかり疎くなっている。

100周年ともなればいろんな企画や催し物があっても良さそうなものだが、その辺はどうなっているんだろう。ちゃんと盛り上がっているのだろうか。
あまりそんな気配は感じないような気がするんけれど、まあ、ただ単に私が知らないだけなのかもしれない。私はいろんなミュージシャンが大挙して
やる"セロニアス・モンク・トリビュート" の演奏を聴くのが楽しくて結構好きなので、そういうのをどんどんやって欲しい。

モンクの楽曲は大勢で賑やかにやるのがいいと思う。ソロで寂し気に弾くよりは、管楽器入りでしっかりと演奏するほうがモンクの楽曲が持っている
複雑な多様性を上手く表現できるからだ。だから、普段はモンクのソロ演奏のレコードよりも2管クインテットの演奏のレコードのほうをよく聴く。
モンクの弾くピアノは基本的に陰影感に乏しく、どの音も同じくらいの打鍵の強さでフラットに音が鳴らされるから、本質的にはソロは観賞に不向き
なんじゃないかと思っている。 ただ、楽曲の面白さは群を抜いているし、演奏から立ち昇る寂寥感も他の人と比べても圧倒的なので、やはりたまに
聴きたくなる。

モンクのソロ演奏を収めたレコードは何種類かあるけれど、時系列に見ていくと時間が経つにつれて演奏のコクのようなものはどんどん薄くなって
いく代わりに、ピアノの音はトレード・オフするかのように逆に良くなっていく。それまでのマイナー・レーベルの音と比べると、このコロンビア盤は
一皮剥けたような感じで鳴る。でも、そういう音のクリアさが、却って失った物を思い出させるような寂しさを助長しているようなところもある。
だから、音がいいというただそれだけでは単純に喜べない気もするし、という感じで愛好家の心理はなかなか複雑なのである。

何を聴いても何かを感じさせるモンクの音楽や演奏なのだから、100周年という口実を利用して盛り上がってくれればいいのにと思うんだけど。


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マリア・シュナイダー at Blue Note 東京

2017年06月10日 | ライヴ鑑賞



金曜日の夜、ブルーノート東京へマリア・シュナイダー・オーケストラを聴きに行った。 事前予約していたのではなく、前日の夜に来日中であることを偶然知って、
当日の昼頃に電話でまだ空席があることを確認して飛び込んだ。 当然自由席しか空きがなかったのだが、ステージ横の一番前が空いていて、そこに座ると
メンバーに向かって指揮するマリアの顔が終始よく見えた。 礼儀正しいフロア係りの人が「ここはマリアの顔がよく見えるんですよ」とこっそり教えてくれたのだ。





開演時間になるとバンドメンバーが順番にステージに上がり、やがて黒のタイト・ワンピースに身を包んだマリアが大柄な黒人のフロア担当にエスコートされて
観客席の間を縫うように歩いてきてステージに上がる。 変わらずとても美しい。

妖艶なモードの曲でスタートする。 中ほどでテナーがソロをとるが、まるでウェイン・ショーターのような吹きっぷりだった。 2曲目はアコーディオン、
フリューゲルホーン、3曲目はギター、トロンボーン、アルト、5曲目はバリトンとテナーの怪物、ダニー・マッキャスリンの後期コルトレーンが憑依したかのような
爆発的ソロ(これが壮絶だった)、ラストはバリトンがリードを取る幻想的なバラード、という内容で、それはもう素晴らしい演奏だった。

こうして目の前で演奏をじっくり聴くと、この人の創る曲にはすべてにおいて他の誰のものでもない、独特の芳香があるのがよくわかる。 そして、それは
CDで聴く時よりもはるかに強く香っている。 ヒンデミットやラヴェル、様々な現代音楽から強く影響を受けていると本人が言うように、その語法は明らかに
ジャズのものではないけど、そういう要素とは別に楽曲から立ち昇る強い香りにやられてしまう。 

ビッグ・バンドという既成概念からは早くに決別し、過去の誰とも似ていないオリジナルな音楽を1つずつ積み上げてきた彼女の仕事は、いくらグラミーを
何度も取っているとはいえ、もっともっと広く一般的に評価されていいと思う。 ここまで、ビッグ・バンド・ジャズという言葉が似合わない音楽は他には
ないだろう。

ニコニコと愛らしい笑顔で終始楽しそうに指揮をしているけれど、真横から見ているととても忙しく団員に両手で演奏に関する指示を出しているのがよくわかる。
特に、ドラマーへ「もっと激しく」「もっと大らかに」というような演奏を大きく盛り上げろという類いの指示をかなり執拗に出していた。 そして、ドラマーが
それに反応してより大きな音で叩き始めると、満足そうに可愛らしく頷く。 まるで、演奏中に手話で団員たちと話をしているように見えた。
そういう彼女の姿に、最初から最後まで見とれてしまった。

このオーケストラは、生で観て、生で聴くべきである。 今週の5日間、毎日2セットで、セットリストも毎回変えての一大公演だ。 迂闊にも来日することを
事前に把握できていなかったのが悔やまれる。 許されるなら全セットを観たい、本当に素晴らしいライヴだった。




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コンコードにおけるいいギター・ジャズ(その5)

2017年06月07日 | Jazz LP (Concord)

Emily Remler / East To Wes  ( 米 Concord Jazz CJ-365 )


こんなに凄いギター・ジャズがあるレーベルは、いいレーベルに決まってる。

コンコードにはケニー・バレルがたくさんアルバムを残しているし、タル・ファーローもバーニー・ケッセルもハーブ・エリスも、とにかく名前を挙げればきりがない。
でも、そんな中での真打ちはやっぱりこれに尽きる。

冒頭の "Daahoud" のカッコよさ、"Sweet Georgie Fame"の典雅さなど、単にギター小僧だけに訴求するのではなく、広く音楽として聴かせる力のある内容で、
最高の出来ではないかと思う。 ウェスへの敬愛に満ちた内容で、ギター奏法も歌心も限りなくウェスに近づきながらも新しい感覚で空気を一新する力にも
満ち溢れている。 後のスムース・ジャズ界に登場したノーマン・ブラウンなんかは明らかにこのレムラーのフォロワーで、その影響力も計り知れない。
古いジャズの物真似ではないところに、このアルバムの重要な価値があるのだと思う。

ハンク・ジョーンズのサポートも完璧で、決してレムラーの邪魔をせず、最小限の音で黄金のカーテンを拡げるようなバックのサウンドを創り上げる。
ピアノトリオをバックにすると普通は和音がぶつかって音楽が濁ることが多いのに、まったくそうなっていないのはハンク・ジョーンズだからこそ。
バックのトリオが、この新しい才能を暖かい気持ちで前面に立てようとしたことがよくわかる。

迷いのない真っすぐな疾走感、しっかりとフレーズを歌わせる音楽観など、褒めるところしか見つからない稀有なアルバムではないか。

コンコードはこうやって大物だけではなく、新しい才能にも積極的に場を提供した。 そのおかげで彼女の素晴らしい作品群が世に出ることができたのだ。
だから、このレーベルはいいレーベルなのだと思う。


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コンコードにおけるいいギター・ジャズ(その4)

2017年06月04日 | Jazz LP (Concord)

Ed Bickert / Bye Bye Baby  ( 米 Concord Jazz CJ-232 )


いいギター・ジャズのアルバムがあるレーベルはいいレーベルである、というのは間違いない。

デイヴ・マッケンナのピアノ・トリオをバックにビッカートが軽快にスイングする。 ピアノがいるのでコード演奏はそちらに完全に任せていて、ここでの
ビッカートはシングル・ノートで弾きまくっている。 こういうのは彼にしては珍しいかもしれない。 ギタリストにとってはあれこれと気を使わなくていいから、
このほうが楽でいいんだろうし、マッケンナの屈託ないピアノの影響もあってか、音楽全体が明るい。 休日の爽やかな早朝のような雰囲気がある。

それにしても、デイヴ・マッケンナという人は50年代の頃から何も変わってないな、というピアノを弾いている。 80年代になってもこういうご陽気なピアノを
弾いていて果たしていいんだろうか、という疑問がないわけではないけど、まあ、ここでの演奏のスコープはあくまでもゴキゲンな音楽をやることだから、
その目的はしっかりと達成している。 普段は大人しいビッカートも明らかにその雰囲気にあてられていて、前に出た演奏になっている。

キャノンボールが書いた "Things Are Getting Better" でのギターの緩くて長いソロがいい。 チョーキングを多用して曲想を演出しようとしているけど、
ちっともファンキーじゃないところが何となく可愛い。 ストレイホーンの "A Flower Is A Lonesome Thing" での漂うような哀感がいい。 

華麗なテクニックを披露するわけでもなく、ブルージーにシブくキメるわけでもないけれど、この人の淡々と音を紡いでいくギターはとても判りやすい。
クセのないテレキャスターの音は優しく耳に残る。 アルバムの最後に置かれたヴィンセント・ユーマンスの "Keeping Myself For You" の絶妙なリズム感と
テンダー・フィーリングが絶品で、アルバムが終わるのが勿体ない気分になる。 そして、いい音楽を聴いたな、という心地よい実感が残るのだ。


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コンコードにおけるいいギター・ジャズ(その3)

2017年06月03日 | Jazz LP (Concord)

Remo Palmier  ( 米 Concord Jazz CJ-76 )


いいギター・ジャズのアルバムがあるレーベルは、いいレーベルである。

パーカーらがいたビ・バップ時代に新人としてデビューして演奏の現場で活躍してきたレモ・パルミエの唯一の単独リーダー作。 ハーブ・エリスとの共同名義の
ものを除くと、リーダー作は何とこれしかない。 これは本当に勿体ない。 とてもいいギタリストだからだ。

穏やかなバラード調の曲だけを集めて、1音1音確かめるようにしながら弾いていく。 これがパット・マルティーノの弾き方とそっくりなのだ。 ギターの音色も
そっくりで、これには驚いてしまう。 但し、それは真似をしているという感じではなく、長年かけて積み上げてきた結果こうなったという確固たる風格が
ひしひしと感じられる。

"Two For The Road" や "Dolphin Dance" など選曲のセンスが良いし、ルー・レビィやレイ・ブラウンがバックを固めているのでサウンド全体の強固な
安定感もハンパなくて、聴いていて満足度の非常に高い完成されたアルバムになっている。 くどいようだが、これ1枚だけというのが何とも悔やまれる。

コンコードのポリシーに沿ったリスナー第一主義の音楽だけれど、マニアが聴いてもそのレベルの何気ない高さに唸らされる。 ロック界のTOTOやフージョン界の
Fourplayのような感じだ。 こなれた耳にはその演奏力の高さがすぐにわかるだろう。

1945年からラジオ局付きのミュージシャンとして70年代まで活動してきたので、レコード制作に縁が無かった。 デビューしたばかりの頃は当時のギブソンの
広告モデルに採用されていたくらいだから、将来を嘱望された存在だったのだろう。 こうして表舞台に出ることなく終わった有能なミュージシャンが一体
どのくらいいたのだろう、と考えるとなんだか気が遠くなってしまう。





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