廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

愛という憂鬱と現ナマ

2017年01月28日 | Jazz LP (Bethlehem)

Herbie Nichols / Love Gloom, Cash, Love  ( 米 Bethlehem BCP-81 )


ハービー・ニコルズはとにかく録音が少なく、理解を深めるのが難しい。 1952年のサヴォイ録音、1955,56年のブルーノート録音、そして1957年の
ベツレヘム録音の3種類しか残っていない。 本人は常にレコーディングすることを望んでいたけれど、彼を支援してくれる人が現れなかった。
このあたりがモンクなんかと違うところで、どうやら人から好かれるところがあまりなかったようだ。 モンク自身、この人のことを評価しなかった。

その奇妙な作風や演奏スタイルから常にモンクと比較されるけれど、モンクが多くの人から愛され、ニコルズがスルーされるのはやはりメロディーへの
こだわりの有無だろう。 モンクはとにかく自身の曲のAメロにこだわって作曲しているけれど、ニコルズの曲は主題が曖昧(というか、ないに等しい)。
ものすごく好意的に解釈すればニコルズのほうが現代音楽的だ、と言えなくもないけれど、さすがにこれは言い過ぎでちょっと苦しい。

サヴォイ盤は未聴なのでどんな演奏なのかはよくわからない。 3枚の中ではブルーノートが一番入手が簡単だが、私は今も昔もこの演奏をどうしても
愉しむことができなくて、結局レコードは処分してしまった。 それに比べて、このベツレヘム盤ははるかに聴きやすい。 スタンダードが2曲含まれて
いることもあるけれど、自身のオリジナル曲もブルーノート盤よりも楽曲としての纏まりが良く、耳に残るのだ。 この盤で演奏される曲には主題らしき
ものが比較的はっきりしているし、演奏の表情も明るい。 ダニー・リッチモンドのドラムが元気よくて、演奏全体もポップな感じだ。 音楽的にはこの盤の
ほうが明らかに優れていると思う。 無理にモンクの名前を持ち出さなくても、少しクセのある、それでいて聴き応えのあるピアノトリオとして愉しめる。
ニコルズのレコードを何か1枚手許に残すのなら、これがいいのではないか。

意味深なタイトル曲のワルツの拍子がなかなか優雅で、スイングしていないにも関わらず印象的だ。 ブルーノートでは聴けないそういう意外な側面が
この盤には刻まれている。 ただ、その声はとても小さく、聴き取るには普段よりも注意を払わなければいけないかもしれないけれど。


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見識が必要なゲーム

2017年01月28日 | Jazz LP (安レコ)



今月に入ってUK買付けロー・プライス品が放出されて、段ボール箱に入れられて床にずらりと置かれている。 懐かしい光景が戻ってきた。
それらをゴソゴソと漁り、今週はこれらを引っこ抜いた。 これだけ買って、合計2,900円。 まあ、とにかく安いのだ。

これらの中で意外な拾い物だったのは、以下の2枚。



Al Haig / A Portrait Of Bud Powell  ( 米 Interplay Records IP-7707 )

まずは音の良さに驚かされる。 70年代の録音とは思えない、くっきりとした輪郭で生々しい音。 楽器が生きている感じがする。
アル・ヘイグの演奏も非常に闊達で、パウエルの息吹をしっかりと発している。 これは素晴らしい演奏で感動した。 



Dexter Gordon / Jive Fernando  ( 米 Chiaroscuro Records CR 2029 )

デックスにこんなアルバムがあるなんて知らなかった。 1981年8月のサンフランシスコでのライヴを収録したものだが、ピアノがジョージ・デューク
というのが珍しい。 この人の生ピアノなんて初めて聴いたけど、これが正統派のジャズピアノで、ブラインドで聴いてその名前を当てられる人はまず
いないだろう。 デックスは相変わらず絶好調で、太く大きな音でアフタービートながらなめらかな演奏が最高だ。 音質も良好で、何も問題なし。
"The Shadow Of Your Smile" を見事なバラードに仕立て上げていて、これで "いそしぎ" の名演がまた1つ増えた。


結果的には満足度の高い漁盤だったけれど、やっぱり探すことそのものが愉しい。 いかに安くていいものを買えるか、というこのゲームは止められない。
音楽やレコードへの見識が試されるのは、まさにこういう時だろうと思う。


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コマーシャルのどこが悪い?

2017年01月22日 | Jazz LP (EmArcy / Mercury)

Jullian "Cannonball" Adderley and Strings  ( 米 Emercy MG-36063 )


フロリダで音楽教師をしていたキャノンボールがニューヨークに出てきて演奏を始めた頃の有名なエピソードがある。 
フィル・ウッズがクラブで演奏をしていたある夜、ジャッキー・マクリーンがやってきて「ちょっと来いよ」と彼をカフェ・ボヘミアへと
引っ張って行くと、オスカー・ペティフォードのビッグバンドの前座としてキャノンボールが演奏していて、それを聴かされたウッズは
マクリーンと顔を見合わせて「なんてこった!」と興奮し合った、という話だ。

私はこの逸話がとても好きだ。 たくさんの夢を抱えた若い2人のミュージシャンが突然現れた新しいライバルの姿に興奮してその演奏に
じっと見入っている姿がすがすがしく微笑ましい。 彼らのその時のドキドキした気持ちが何だか手に取るようにわかって、
こちらも高揚した気持ちになるのだ。特に、驚いたマクリーンがすぐにウッズを探して引っ張って行った、というところがとてもいい。

1955年にニューヨークに出てきたキャノンボールは、弟のナットと共にクインシー・ジョーンズの家を訪れ、レコーディング出来るレーベルを
紹介して欲しいと頼んだ。 そこでキャノンボールに演奏させたところ、あまりの凄さに驚いたクインシーは当時自分が専属編曲家として
契約していたエマーシーのボブ・シャドにすぐ電話をかけて、「凄いぞ、次のパーカーが現れた」と興奮してレコーディングを勧めたという。
ちょうどチャーリー・パーカーが亡くなったばかりの時期だったのだ。 そして、キャノンボールはエマーシーと契約して「新しいバード」という
謳い文句付きでレコーディングを開始し、その一連の中で作られたのが、このウィズ・ストリングスだ。 これはもちろん、大ヒットした
パーカーの例のレコードの2匹目のどじょうを狙ったものだった。

デビューして間もない頃なので遠慮気味だけれど、非常に知的な雰囲気と最高度の技術となめらかな歌い方が同居していて、当時の人々が
驚嘆したことがよくわかる演奏になっている。 他の誰とも似ていない、聴いてすぐにキャノンボールだとわかる演奏になっているのが凄い。
紐付きでスタンダードで時間も短くて、というコマーシャルな音楽として真剣に評価されることがないスタイルだけど、このアルトは
他のものとは次元が違う。 コマーシャルの一体どこが悪い?と開き直ってでも聴きたい。

キャノンボールの悪いところは、先輩の忠告や教えをあまり聞かないところだった。マイルスは当時一番信頼できて自由にやらせてくれる
アルフレッド・ライオンと契約するように強く勧めたのに、キャノンボールはその忠告を無視してエマーシーと契約してしまう。 
その結果、ミュージシャンの意向など考えずにレコード制作のすべてに口出しするエマーシーの制作陣のせいで、キャノンボールは
やりたいことも彼がやれことも何一つさせてもらえず、一番大事な時期にその実力に見合わない作品ばかりを残すことになり、
それが彼のミュージシャンとしてのキャリアを駄目にしてしまった。 
後に彼は親会社であるマーキュリーに対して、そういう制作サイドの無能と横暴を批判し不満を表明することになったが、それはもはや
手遅れだった。誰が味方で誰の言うことを信頼するべきかを見極めることは何より重要だ、という当たり前の教訓がここにはある。


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無口なベンソンがカッコいい

2017年01月21日 | Jazz LP (70年代)

George Benson / Beyond The Blue Horizon  ( 米 CTI Records 6009 )


ビル・エヴァンスのモントルー・ライヴを聴いてからCTIレーベルを見直すようになり、値段の安さにも後押しされて、昔からの愛聴盤をCDから
レコードへボチボチと切り替えている。 さほどたくさんある訳ではないけれど、好きな作品というのは時間が経っても相変わらず好きだから、
これがなかなか愉しい。

この作品も冒頭の "So What" がとにかくカッコよくて、折に触れてよく聴いてきた愛聴盤。 こうやって原盤で聴くと、CDの音の悪さが際立つ。
デッドワックス部には手書きのRVGと機械打ちのVAN GELDERの2つが刻まれており、カッティングまで本人が手掛けたことがわかる。

ロン・カーター、ディ・ジョネットのリズム隊にオルガン、パーカッションと本人のギターというシンプルな構成で本腰を入れて取り組んでいる。
一般的に嫌われるイージー・リスニング風要素は皆無で、この時代の雰囲気を色濃く反映した直球ど真ん中のストレート・ジャズだ。
その心意気がビンビンに伝わってくる。

ベンソンのギターはケニー・バレル直系で、太いシングル・トーンでしっかりとギターを弾いていくのがいい。 ギターを聴いたなあという手応えが
しっかりと自分の中に残る。 ジャズ・ギターでこういう感触が残る作品は意外に少ないもので、ギター・ジャズが日陰者扱いされる原因の一つに
なっていると思うけど、このアルバムはそういうフラストレーションを晴らしてくれる。 オルガンもコンガも音楽を下品にすることなく、
全体の雰囲気の中にうまく溶け込んでいる。

ソフィスティケートな歌声をメインに切り替えた後年の作品も好きだけど、無口にひたすらギターを弾いていたこの頃の作品もとてもいい。
"So What" の曲のとしてカッコよさをより引き出した、という1点だけとっても、このアルバムはもっと褒められていいと思う。



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聴かせる1枚

2017年01月15日 | Jazz LP (Verve)

Lee Konitz / Motion  ( 米 Verve V-8399 )


リー・コニッツはある意味でジャズ愛好家泣かせの人かもしれない。 誰もがこの人のことを心底好きになりたいし、白人アルトでワンホーンが基本の
作品群も手放しで称賛したいのに、我々の理想とする作品、こうであって欲しいという形を常に裏切り、距離を置き、突き放してくる。 時期やレーベルに
よってスタイルも変えていて、聴き手はそれに翻弄される。 基本的に、芸術家なのだ。

大勢の見解と同じく、私もアトランティック盤にはいくつか好きなものがあるけど、ヴァーヴに残された多くの作品は聴く気にはなれない。 別に演奏が
悪いということではもちろんなく、聴き手の勝手な思い込みでそれらの多くがやはりコニッツらしくないと思うだけだ。 ただ、何事にも例外があるように、
この "Motion" だけは無条件にいいと思う。

ありふれた5曲のスタンダードを素材に、冒頭のお決まりのテーマ・フレーズを排してアドリブから入り、逆に曲を閉じる最後にテーマのメロディーを吹いて、
それが何の曲だったかのネタ晴らしをするという凝った仕掛けにしている。 ただ、これはコニッツ・オリジナルではなく、既にパーカーがやっていた手法だ。
パーカーを批判することも辞さなかった厳しい音楽観を持ちながらも、ある時はこうしてパーカーともシンクロする。 ただ、パーカーのように技巧性と
音楽性の信じられないような調和は見られず、アドリブラインを冗長なくらいに吹き繋げていくだけに終始していて、そこが逆に批判の対象になる。

バックはソニー・ダラスとエルヴィンだけだが、この2人の演奏はまるでフリー・ジャズの演奏のバッキングのような雰囲気だ。 エルヴィンはリズムを
生み出すというよりはおかずの過剰なまでの多さで変化を与え続け、ダラスのダークなベースが不気味に疾走することで音楽が進んで行く。 コニッツの
アルトはコード進行に沿ったアドリブラインなので、このサックスのラインとベースの複線だけで調性が維持されている。 その様が素晴らしい。

若い頃と同じ切れるような感触はここでは聴けないけれど、それは後退したのではなく、成熟して新たな姿になっているものとして前向きに歓迎したい。


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ステレオプレスで聴く Bass On Top

2017年01月14日 | Jazz LP (Blue Note)

Paul Chambers / Bass On Top  ( 米 Blue Note BST 81569 )


ある日、突然 "Bass On Top" をステレオ盤で聴きたくなった。 耳にタコができるくらい聴いてきたこの有名な作品の冒頭の "Yesterdays" の
アルコの深い音色のことは折に触れてよく想い返すのだけれど、記憶の中で鳴り響いているその音をステレオプレスで聴くとどんな感じなんだろう、と
ふと思ったら居ても立っても居られなくなり、ステレオ盤を探す羽目になった。

調べてみるとステレオプレスが出されたのはリバティーへの売却後になってからのようだ(金色のSTEREOシールが貼られたものを過去に見たような気も
するけど、日本盤だったかもしれない)。 探し出してみて気が付いたことだが、これが意外と見つからない。 すぐに見つかるんじゃないかと高を括って
いたが、再発とはいえ、このあたりになるとやはり人気があるのかもしれない。 流通自体はしているんだろうけど、うまくタイミングが合うかどうかに
かかってくる。 そして、そうこうしているうちに数週間の時間が経って、ようやく入手できた。 

ブルーノートがステレオ録音を開始したのは1957年3月7日で、1958年10月30日まではモノラルとステレオの2種類同時録音が行われた。 この作品は
1957年7月14日にハッケンサックのRVGスタジオで録音されているから、マスターテープは2種類あったことになり、疑似ステレオではないようだ。

オリジナルのモノラル盤は1曲目の "Yesterdays" を劇的に演出するためか、かなり過剰にエコーを効かせてマスタリングされているが、2曲目以降は
普通のサウンドに戻るのが特徴になっている。 このステレオ盤もそれと同様の傾向になっている。

モノラルの方は音圧は高く音も太く、4つの楽器の音がリボンでくくられた1つの花束のような感じだけど、ステレオのほうはそのリボンを解いたように
音がきれいに分離していて、右からベースとピアノ、左からギターの音が出てくる。 でも、その振り分けはステレオ初期の稚拙な技術の割にはさほど
不自然な感じでもなく、特にケニー・バレルのギターは中央で定位する。

各楽器の音の艶やかさもモノラルとステレオでは変わることなく、聴いていて違和感なども特にない。 古い録音なのでいわゆるハイファイ感などは
まったく無く、そういうものを期待するとがっかりするかもしれない。 コロンビアの同時期のステレオ盤と比べると、そういう面では劣っている。
でも、冷静に考えると、モノラルのほうが音場感としては不自然なのかもしれないなあ、と考えさせるようなところがどこかある。

ステレオ盤には耳マークもRVG刻印も無いけれど、そういう知識が邪魔して音楽を愉しめないのであれば高いオリジナルを買えばいいし(特に弾数が少ない
ということもなく、割と出会う機会はたくさんあるだろう)、もっと自由に音楽を愉しめるのであれば、これを選択するのも悪くないと思うな。


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シュワちゃんも真っ青

2017年01月09日 | Jazz LP (Europe)

Bruno Marini / West Of The Blues  ( 伊 LMJ 3342 )


"ダダッダッダダン、ダダッダッダダン ~" というテーマ曲が聴こえてきそう。 タフで、マッチョで、危険な香りがする。

バリトン、ベース、ドラムスのピアノレス・トリオで自作のブルースのみをゆったりと流していく、ジャケットの印象そのままの内容だ。
ダークでディープな色合いのサウンドが深夜の雰囲気を吐き出していく。 

ベースの音程が少し甘くてリズム感もちょっとユルいのが気になるけれど、音楽を駄目にするほどではないし、幸いにして全編ブルースなのでそれくらいで
ちょうどいいのかもしれない。 ドラムもちょっと無駄なおかずが多いかなあとも思うけど、3人の音量のバランスもいいので耳障りではない。
マリーニのバリトンは相変わらずよく鳴っている。

例によって自主制作のようだけど録音も良く、オーディオファイルが喜びそうな感じだし、ジャケットも凝った造りになっている。 イタリア人らしい
モノづくりへのこだわりに満ちている。 空間表現に長けた音場感なので、音量を絞って聴いたほうが逆に雰囲気が出る。 深夜聴きに向いている。

まあ、特に変わったことをしているわけではないのでそれ以上の感想は出てこないけれど、渋い刑事サスペンス物の映画のサントラなんかに使われそうな
カッコイイ音楽になっている。 ひねくれたところもなく、素直な感じがこの人の最大の美点なのかもしれない。 人は見た目ではわからないのである。


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しばらく安レコばかり漁っていたお陰で余っていたお小遣いが少しあったので、セールの売れ残りに手を出してみた。 あとは黒いジャケットのやつが未聴だが、
いずれ安いのが出てくるだろう。


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二番煎じとか言われても

2017年01月08日 | Jazz LP

Bill Evans / Montreux Ⅱ  ( 米 CTI Records 6004 )


後期のエヴァンスのレコードの中では、これは他の物に比べて少し高い値段が付く。 なぜだかはよくわからない。 今のDU価格で5,000円+税。 
だから、他のところだともっと高い値段がついていてもおかしくない。 特に演奏が秀でているわけでもないし、格別に音がいいわけでもない。

CTIというレーベルは一般的に好かれているレーベルとは言えない。 特にこれはジャケットデザインも理解に苦しむ感じだ。 別にレアな印象もないし、
そもそも「お城のモントルー」の二番煎じだし、ということで特別扱いされる要素も思い付かない。 不思議だ。

この作品をちゃんと聴いたことがある人はさほど多くないんじゃないだろうか。 余程エヴァンスに心酔していて彼の作品なら何でも聴きたいと思っていたり、
ブートまで追いかける熱心なコレクターくらいのレベルにならないとなかなかこの辺りまで手を出すことはないかもしれない。

エヴァンスは時代ごとにライヴでの鉄板のレパートリーを持っていたが、この時はリヴァーサイド時代の曲をプログラムのメインに置いているのが
ちょっと珍しい。 ジャズ・フェスでの演奏だからテンポも速めで闊達な演奏をしているけれど、まあ、どこをどう切ってもビル・エヴァンスのピアノで、
なぜリヴァーサイド時代ばかりが褒められるのか私にはよくわからない。 "How My Heart Sings" や "Peri's Scope" なんか、初演の雰囲気そのままで
嬉しくなる。 ビル・エヴァンスは何も変わっていないのだ。 

このレコードはヴァン・ゲルダーがエンジニアだけど、例のくぐもったような音ではなく、非常にクリアでピアノらしい音になっている。 エヴァンスの
ピアノの生の音はこうだったんだなあ、ということがよくわかる。

当時は無名だったマーティー・モレルは恒例の冒頭でのメンバー紹介の際には一番拍手が少ないけれど、コンサートの最後の曲では長いドラムソロで会場全体を
煽るように盛り上げ、観客がみんな熱狂して幕が閉じる。 ここでも、最後の観客の高揚の度合いはすごい。 みんな、きっといい汗を搔いたんだね。

聴けば聴くほど好きになっていく、とてもいいアルバムだと思う。



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インテリ感満載のギター

2017年01月07日 | Jazz LP

Dennis Budimir / Sprung Free !  ( 米 Revelation REV-8 )


不勉強にて全く知らなかった人だが、安レコ漁りをしているとこういうものにも遭遇する。 ジャケット裏面を何気なく読んでいると、なんとベースに
ゲイリー・ピーコックの名前が (但し、1曲のみの参加だった)。 その後ネットの中を覗き込むと結構いろんな記事にヒットして、これにも驚いた。
この体たらくでは、ギター・ジャズが好きだなんてとても公言できない。

冒頭からいきなりゲイリーのゴツンと重いベースの音が鳴って、素晴らしい演奏の予感が高まる。 それに合わせるかのようにギターも6弦から入り、
全体が低いトーンで始まる。 こういうのはたまらない。

ただ、聴き進めていくと何だかフレーズがたどたどしいことに気付く。 もしかして、この人、下手なの? まさかね、ゲイリー・ピーコックが共演して
いるんだし。 でも、1曲しか弾いてないんだよな、もしかして怒って帰っちゃったのか? この頃は既にアイラーやエヴァンスとも演奏を済ませていた
大物だったからなあ。 それともわざとこういう風に弾いているのかな。 いずれにしても、この1枚だけじゃ何ともわからない。

そういうことを考えながらも、ピアノや管のいないギター・トリオの隙間の多い演奏がとてもいい。 どことなくトリスターノなんかの初期クール派を
連想させるような質感もあって、そういうインテリなところもいい。 ステレオ録音だけど、キリッと締まってひんやりとした空気感もとてもいい。
これはすごく気に入った。 他にもリーダー作があるようなので、出逢いを楽しみに待ちたい。

こういうのがあるから、安レコ漁りは止められない。 まだまだ、楽しい漁盤の日々は続く。



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いつの間にか最後の難関に

2017年01月04日 | ECM

Ralph Towner / Diary  ( 西独 ECM 1032 ST )


意外に難しかったぞ、ダイアリー。 一番手こずったなあ。 いつの間にか最後の難関と化していたけれど、ようやく初版にぶつかった。
探し出して1年半くらい経っている。 その間にセカンド・プレスは2~3度見かけたけれど、1000番台前半は初版とそれ以降では音が違うからなあ。
毎年12月は安レコがどかっ、と出てくるのだが、その中に混ざっていた。 

ECMのラルフ・タウナーはほとんど聴くことができた。 私にとってのタウナーの元々のイメージは "Solo Concert" や "Anthem" のような
変則アコースティックギター1本で音楽を奏でる人という単純なものだったけれど、こうしてきちんと聴いてみるともっと大きく拡がった世界だったんだ、
ということを知ることになった。 マルチ奏者だったなんて知らなかったし、ピアノの演奏もなかなか聴かせる。

この作品はECM参加後の第2作目ということで、後の完成された様式へ至る過程にある内容なんだなあということがよくわかる。 タウナーが敬愛する
エヴァンスの例になぞらえると、"Everybody Digs" のような感じと言えるかもしれない。 今までの自分とこれからの自分がちょうど出会い、
混在しているようなところがある。 もちろん、それはその後の彼の作品を知っている私が流れを遡って聴いているから感じることではあるけれど、
当時のECMに出入りしていたアーティストたちが未知の領域への模索をしていた姿を十分に意識しながらも、自身のルーツ・ミュージックを振り切れずに
いるアンビバレンツな状況がしっかりと記録されていると思う。 ただ表面的に綺麗なだけの音楽ではないことは確かだ。 誰かに敷いてもらったレールの
上を走るのではなく、自身で手探りしながら進もうとしているのがこれを聴くととてもよくわかる。

でも、この作品から43年が経った現在、来月になると最新作がリリースされるそうだ。 彼はきちんと自分の力でここまで来ることができたということで、
その新しい作品をリアルタイムで聴くことができるということに感動させられる。 楽しみに待ちたい。



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チェット晩年の傑作

2017年01月03日 | Jazz LP (Enja)

Chet Baker / Strollin'  ( 西独 Enja 5005 )


1980年代のチェットは、少なくともディスコグラフィー上では、音楽家として最盛期だったのではないかと思えるほど、作品が質・量ともに充実している。
そのタイトルの多くは欧州でのライヴを録音したものではあるものの、やつれた容姿とは裏腹にとても精力的に活動していた様子がきちんと記録されている。
自身で作曲をすることはなかったけど、どんな曲であってもすべて自分の音楽に変えてしまうその腕前は他の誰よりも際立っていた。 例えそれがワンパターン
であったとしても、その魅力には抗えないものがある。

このアルバムは1985年ドイツのジャズ・フェスティバルにギターとベースを加えたトリオで出演した際の録音だが、あまりの出来の良さにのけ反ってしまう。
コアなマニアには知られた存在のフィリップ・カテリーヌの凄腕ギターがソロのパートで冴え渡る。 まあ、上手いのだ。 ジャズ・ギターの奏法だけど、
ロックのスピリットを感じる。 そして、チェットのトランペットもとてもきれいでしっかりとしたトーンで吹かれている。 必要最小限の楽器構成にも
関わらず、なんと豊かな音楽になっていることか。 ギターとベースのタイム感が絶妙で、ダレるところが一つもない。 "Love For Sale" にロック
っぽいアレンジを施しており、斬新でカッコいい。 なんだか、晩年のマイルスの音楽みたいだ。 かと思えば、"Leaving" のような静謐で寂寥感に
包まれたバラードも聴かせる。 完璧な演奏だと思う。

更に、このレコードは音が抜群にいい。 ECMとはまた違う方向の音の良さに酔わされる。 クリアーな音場感の中で、3つの楽器のあまりに生々しい音が
部屋の中に3次元のホログラムのように音像を結ぶ。 以前、CDで聴いた時にはこんな風には聴こえなかった。 これにはちょっと驚いた。

これは間違いなく傑作。 晩年のチェット・ベイカーの凄さを垣間見ることができる。 内容とマッチしたジャケットの意匠も見事で忘れがたい1枚。



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静かなモーニング・ソング

2017年01月02日 | ECM

Carla Bley / Andando el Tiempo  ( 独 ECM 2487 478 4863 )


新年の静かな朝に何度も何度も繰り返し聴いている。 この休暇のモーニング・ソングになっている。

カーラのこの新作のことはずっと気になっていたんだけれど、アンディー・シェパードという人に昔からあまりいい印象を持っていなかったせいで、しばらく
買うのを躊躇していた。 何枚か聴いたリーダー作が退屈極まりない内容だったからだが、それはかなり前のことであれからは随分と時間が経っているし、
これはカーラの作品だから大丈夫なんじゃないかと半ば自分に言い聞かせるようにして入手してみた。

結論から言うと、心配は杞憂に終わった。 サックスはカーラの音楽を邪魔することなくうまく調和している。 テナーの音はテナーらしく、ソプラノの音は
ソプラノらしく魅力的に鳴っていて、重要な役回りを上手にこなしている。 ECMという特別な音響空間の中で、控えめにではあるが確かに存在している。

両面聴き終えて、しばらく目を閉じて余韻に浸っていると、頭の中にじんわりと響きが残っているのはスティ-ヴ・スワローのエレベの音であることに気が付く。
昔からベースをリード楽器のように弾いてきた人だけど、ここではエレベの最大の美点である音色操作によって非常にマイルドでくすんだ柔らかい音色を
作っていて、これが非常に心地好い。 上手い音を作ったものだ。 

スワローのそういうベースの音を通奏低音としてカーラのピアノが瞑想するように流れている。 2人の揺蕩うような旋律の戯れでどこかに流されそうに
なるのをシェパードのサックスが海中に降ろされた錨のように船体を留めて、ゆらゆらと揺れる船上から陽光を反射しながら穏やかに波打っている海面を
いつまでも眺めているような、そういう気持ちになってくる。

カーラも既に80歳。 手持ちの残り時間が多いとは言えなくなった今、限られた時間をどこまでも引き延ばそうとするかのように、旋律で音楽を語るのではなく、
意識の流れで音楽を進めていく。 傑作とか駄作とか、そういう切り口では語ることはもはやできないものとしてそこにある。

アナログの柔らかな音場が素晴らしい。 前作もアナログ・プレスしてくれないものだろうか。 淡い期待をしながら待つことにしよう。


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