廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

選曲の良さに見る天才

2024年04月13日 | Jazz LP (RCA)

Bud Powell / Swingin' With Bud  ( 米 RCA Records LPM-1507 )


レッド・ロドニーの演奏する "Shaw Nuff" を聴いていてすぐに思い出したのがこのパウエルの演奏で、私の中ではこの曲の基準はパウエルのこの
レコードになっている。もちろんパーカー&ガレスピーの演奏がマスターピースで、管楽器で演奏するのが正道だろうと思うけど、ピアノで弾く
この曲の良さには独特なものがあるのを証明している。ピアノ奏者が演奏している例は少ないようだけど、ビ・バップを作った面々の一人である
パウエルならではということなのだろう。

バド・パウエルはモダン・ジャズ・ピアノの演奏スタイルを作った人なのでその路線で語られることがほとんどだけど、私はそういう話にはあまり
興味がなくて、この人の音楽センスにシビれて心酔している。このレコードはたくさん残っているパウエルの記録の中でもそういう彼のセンス、
つまり作曲能力や素晴らしい楽曲を選ぶセンス、そして音楽の良さを大事にする演奏という点で筆頭に挙げられるものだと思っている。

彼は素晴らしい曲を書ける人で、ここでは名曲 "Oblivion" や "Midway" が収録されている。"Oblivion" はマーキュリー盤が初演であちらはソロ演奏
だけど、こちらはトリオでより豊かな雰囲気に仕上がっている。いくら演奏力が高くても、楽曲がつまらなければ聴いていても面白くない。

また、演奏する楽曲を選ぶセンスにも長けていて、このアルバムではジョージ・シアリングの "She" やトミー・フラナガンがムーズビル盤で冒頭に
置いた "In The Blue Of The Evening" 、ジョージ・デュヴィヴィエの "Another Dozen" のような名曲を選んでいる。マイルスやキース・ジャレットが
選曲力の良さで知られているけど、その元祖はパウエルだったのだと思う。これらの知られざる名曲があるあかげで、このアルバムは上質な香り
が濃厚に漂う仕上がりになっている。

そして、こういう優れた楽曲たちの原曲が持つ良さを最大限に生かすように旋律を大事にしながら驚異的なアドリブを混ぜて弾くところに
バド・パウエルのバド・パウエルたる所以がある。演奏力の凄さだけではなく、総合的に豊かな音楽を生み出す天才を感じるのだ。

そして、このジャケットの写真はバート・ゴールドブラットが撮影している。写真の構図としては平凡だが、なぜか心に残る写真ではないか。
そういういろんな面を持った素晴らしい1枚となっている。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幽玄な侘び寂び

2020年08月08日 | Jazz LP (RCA)

Tony Scott / Both Sides Of Tony Scott  ( 米 RCA Victor LPM 1268 )


Side A は子守歌のように静かな演奏、Side B はミドル・アップな朗らかな曲調、という編集をしているので Both Sides というタイトルになっている。
ピアノレスで、A面はマンデル・ロウ、B面はディック・ガルシアが静かに寄り添う。

幽玄な雰囲気が漂う音楽で、引き込まれる内容だ。"Cry Me A River" や "Stardust" をこんな侘び寂びの世界観で演奏しているのは聴いたことがない。
それが奇をてらったものではなく、素晴らしい音楽として仕上がっているところに驚かされる。なんだか京都の禅寺の和室で紅葉の楓を眺めているような
気分になる。アメリカ人にこういう感覚が理解できるのだろうか。

RCAのようなメジャー・レーベルでこういうサトルでスマートな作品を正面切って作ってしまうところにトニー・スコットという人の凄さを感じる。
一般大衆向けとするには、これはあまりに趣味が良すぎる。RCAもよく発売をOKしたな、と変なところに感心してしまう。

白人ミュージシャンにとって、ジャズはアウェイの音楽だ。当時の白人ミュージシャンたちの発言を読むと、例外なく、みんな自分がこの音楽をやる意味を
真剣に考えて模索していたことがわかる。それが上手くいった人もいればそうではなかった人もいるけれど、そういうところを噛みしめながら聴くと、
ジャズはもっと面白くなる。

トニー・スコットのレコードにはそういう工夫の跡がはっきりと刻まれていて、聴いていくと面白いということが最近よくわかるようになった。
こうして安レコ漁りにますます拍車がかかる。このレコードは750円。最近のユニオンの安レコの1つのスタンダードラインがこの金額らしい。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧いセピア調の風景が蘇る

2020年04月06日 | Jazz LP (RCA)

Duke Ellington And His Orchestra / The Indispensable Of Duke Ellington ( 米 RCA Victor LPM 6009 )


新型コロナ対策で4月1日から10日まで取り敢えず在宅勤務となっている。東京のピークはまだまだ先だろうし、来週以降どうなるのかわからない。
ただ、家にいる時は何となくブログを触るのが生活習慣になっているし、音楽でも聴かなきゃやってられない気分だから、週末だけのアップでは
手が回らないものをいい機会だから少し取り込んでおこうと思う。

エリントン楽団の1940~46年のRCA吹き込みをLPとして切り直した2枚組で、ブラントン、ベン・ウェブスター、アル・ビブラーらがいた黄金期の
演奏が聴ける決定盤の1つだが、先日のエリントン大量放出時に500円で転がっていた。まあ、人気が無い。

大好きな "Morninng Glory" から始まる個人的に嬉しいプログラム内容で、音質も良好だ。こういう時にメジャー・レーベルというのは心強い。
当然ながらどの曲も3分間の芸術(複数枚を繋げた大作も収録されてはいる)で、アドリブはそこそこ、楽団のアンサンブルを愉しむ内容だ。
時代の雰囲気が漂う、セピア色の風景が眼前に拡がる。

エリントンのこの時代の演奏を聴いていると、コッポラの "ゴッドファーザー Part.Ⅱ" を思い出す。デ・ニーロが若き日のヴィト・コルレオーネを
演じた、あの画面の色調とシークエンスだ。他のビッグ・バンドでは思い出すことはなく、エリントンの音楽の場合だけ、あの映像が浮かんでくる。
不思議だ。

80年近く前に演奏された音楽なのに、それらが人の心に及ぼす影響がこんなにも明瞭なことが不思議でならない。そして、それはどこからどう
聴いても、エリントン楽団の演奏だと判る。私には、ウディー・ハーマン楽団の演奏とチャーリー・バーネット楽団の演奏の違いを聴き分けることが
できるかどうかについて自信がまったくないけれど、エリントン楽団の演奏であれば簡単に聴き分けることができると思う。それはエリントン楽団
にしか出せない音であり、ハーモニーであり、ムードであるからだ。私がブラインドで聴き分けることができる古いビッグ・バンドは3つしかない。
エリントン、ベイシー、クロード・ソーンヒルの3楽団だけ。後は、きっとわからないと思う。

50年代のコロンビア録音と同じ聴き方や楽しみ方はできないけれど、RCA時代にしか味わえないものが間違いなくある。
それをじっくりと堪能するには、このセットはうってつけだと思う。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グルダの本気

2019年09月14日 | Jazz LP (RCA)

Friedrich Gulda / At Birdland  ( 仏 Decca LK 4188 )


グルダがジャズを始めたのは単なる気まぐれではなく、本気で転向しようとしていたらしい。 ただ、周囲に猛反対されて、二足の草鞋を履くという
ところで妥協した。 音楽の本場ヨーロッパの人々から見れば、ジャズなんて・・・という感覚だったのだろう。 長い歳月をかけて丁寧に磨き上げ
られた音楽を聴いている感性からすれば、こんなガサツな音楽は聴くに堪えないのかもしれない。

それでもグルダは持ち前の型破りな性格から、アメリカに乗り込んでニューヨークの一流クラブで当時のトップクラスのメンバーたちと一緒に堂々と
ライヴをやってしまう。 このライヴを聴けばグルダが演奏を心から愉しんでいたのがよくわかるし、他のメンバーたちもグルダが書いたスコアの
レベルの高い建付けをとても上手く演奏していて、彼らの他のアルバムでは聴けないような質感の高いジャズに仕上がっている。

普段は地味過ぎてその実力がさっぱりわからないアーロン・ベルやニック・スタビュラスが非常に弾けた演奏をしていて、まるで別人のようだ。
アイドリース・スリーマン、ジミー・クリーヴランド、セルダン・パウエル、フィル・ウッズという4管も目の覚めるような演奏をしている。 彼らは
グルダが用意した高級な器に臆することなく対峙していて、ウッズは別にしても他のメンバーたちは日頃十分な実力を発揮できていなかったんじゃ
ないかとすら思えてくる。

B面トップの "Air From Other Planets" なんて、これは本当にライヴ演奏なのか?と疑いたくなるような完成度の高さだし、ピアノトリオで
演奏される "Night In Tunisia" は完全クラシックマナーで弾き切ってしまうグルダのピアノが痛快極まりない。 どの楽曲も聴き所満載で、
普通のジャズアルバムでは聴くことができないタイプの、それでいて濃厚なアメリカのジャズを聴くことができる。 このアルバムは面白い。

オリジナルはアメリカのRCA Victor盤だが、欧州ではグルダはデッカと契約していたのでアメリカ以外の国ではデッカレーベルから発売されている。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アラン・ジェイ・ラーナーとフレデリック・ロウ

2019年08月12日 | Jazz LP (RCA)

Shorty Rogers / "Gigi" In Jazz  ( 米 RCA Victor LPM-1696 )


ラーナー&ロウの作詞・作曲コンビで一番有名なのは何と言っても "My Fair Lady" だけど、その後にもいくつか映画音楽を作っていて、その中の1つが
この "Gigi" になる。 私自身はこの映画は観たことがないし、映画そのものもあまりヒットはしなかったようだ。 マイ・フェア・レディの後に
作られたのでそれなりに派手なパブリシティーをかけたようで、映画の公開後すぐにこのレコードも作られている。

ショーティー・ロジャースはジャズ・ミュージシャンというよりはハリウッドのスタジオ・ミュージシャンとしての仕事のほうが比重が大きかったようで、
有名な割にジャズ愛好家からはまともに相手にされない。 私もこの人は苦手でこれまでまったく手を出せずにいたが、このアルバムはすっきりとした
演奏で悪くないと思った。 メンツだけ見ると典型的な西海岸ジャズで一番苦手なタイプだが、ピート・ジョリーとラルフ・ペニャが入っていることから
試聴してみると如何にもRCAらしい清潔な内容で、変なアレンジも施されておらずちゃんと聴ける内容だった。

西海岸のジャズはハリウッド映画産業と共に育つというちょっと特殊な構図の中にあったので、東海岸のハードバップとは当然まったく異なる進化を
遂げている。 それはあくまでも娯楽としての音楽であり、ジャズという音楽をしょって立とうという気概はなかったように思う。 東海岸でジャズが
どんどん変化していったのに比べて西海岸のジャズがそのフォームを変えることなくずっと安定していたのは、まずは人々に提供される娯楽としての
使命があったからかもしれない。 そのためにジャズミュージシャンの多くがスタジオに入り、小銭を稼いでいたのだろう。

ショーティー・ロジャースは良くも悪くもそういう中の代表格だったように思う。 トランペットの腕前は確かだし、音楽作りのバランス感もあって、
基礎がしっかりとしている印象を受ける。 このアルバムを聴いていると、タイプが違うというだけのことであって、何も東海岸のジャズばかりが
一流ということではないんだろうなあと思えるようになってくる。 少なくとも、コンテンポラリーやパシフィックジャズというレーベルの中の
一定数の作品群よりはこちらのほうがずっと本流のジャズに近いような印象を受ける。 もう少しこの人を聴いてみるか、という気にさせてくれる
アルバムだった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

短信~ そんな虫のいい話はなかなかないけれど

2019年01月16日 | Jazz LP (RCA)



相変わらず素晴らしいピアノを聴かせる、バーバラ・キャロル。 RCA盤は出れば必ず安レコで綺麗なんだけど、これが意外と出てこない。

RCA以外のレーベルにも録音は少しあるけど、結構いい値段が付くからそちらには手を出す気になれない。

だから、手がすべって安くしちゃった! というのが転がってないかなあ、などと虫のいいことを考えながらエサ箱を漁る日々。

でも、エサ箱の前ではみんな同じことを考えてるよね、きっと。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

抑制と情感のブレンド

2018年11月02日 | Jazz LP (RCA)

Gary Burton / The Time Machine  ( 米 RCA Victor LPM-3642 )


ゲイリー・バートンを聴くようになったのは比較的最近のことで、それまではどちらかと言えば苦手に思っていた。 若い頃に聴いたECMのチックとの共演盤が
面白くなくて、その刷り込みのせいだと思う。 少し前にECMに凝った時期があって、その時にも他のECM盤を聴いたけど、やはりピンとくるものはなかった。
ミルト・ジャクソンからの影響を受けず、独自のスタイルで音楽をやろうとしているのはよくわかるのだが、どうもその成果には共感できなかった。 
時代的な背景もあったのだろうけど、レガシーなものから過剰なまでに距離を置こうとするあまり、肝心の音楽が置き去りになってしまったように思えた。

ところがRCA時代のアルバムを聴くようになって、その認識は変わっていった。 RCAにはたくさんアルバムが残っているけど、一作ごとに作風が異なっていて、
どれも明確な制作上の意図が込められていて非常によく考えられているのがわかる。 聴き進めていくにつれて、なるほどなあ、と感心するようになった。

このアルバムはゲイリー・バートンがヴァイブ、ピアノ、マリンバを操り、ベースとドラムを従えたトリオだが、ヴァイブとピアノ、ヴァイブとマリンバが
オーヴァーダブされたカルテット形式になっている。 オブリガート役のピアノやマリンバが趣味のいい演奏で、音楽的な豊かさに大きく貢献している。

ベースはスティーヴ・スワロー、ドラムはラリー・バンカーで、2人の才人の演奏も骨太なのにデリケート極まりなく、音楽上の纏まり方は完璧だ。 構成上の弱点から
こじんまりと室内楽的になりそうなものだが、幸いなことにまったくそうはならず、大きく拡がりのある音楽が自由に展開していく様が素晴らしい。
このアルバムは思索的でありながらも上質で風通しの良さが心地いい傑作だと思う。 

適度に知的好奇心を満たしてくれて、適度にポップで、すべてにおいてとてもいい塩梅である。 スワローの名曲 "Falling Grace" の美メロには身悶えする。
キースが "Standards Vol.3" を作ったら、というのは昔よくやった遊びだが、私ならこの曲を1曲目にしたい。 また、ラストの "My Funny Valentine" の幻想的な
ムードは、マイルスの名演と唯一互角に張り合えるのではないかとさえ思う。 敢えて繰り返すが、これは抑制と情感が見事に混ざり合った驚くべき傑作である。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これこそロリンズ

2018年08月25日 | Jazz LP (RCA)

Sonny Rollins / Our Man In Jazz  ( 米 RCA-Victor LPM-2612 )


ソニー・ロリンズのアルバムに最高傑作という言葉を当てはめるのは難しい。 そもそもこの人自身がジャズの最高傑作なのであって、高いピークは無数にある。
だからロリンズの演奏のどこが好きか、何を求めるか、によって最高傑作というよりは好きなアルバムが人それぞれに決まってくるんだろうけど、私の場合は
特に好きなアルバムの1つにこれがある。 ここには私の好きなロリンズの音色と演奏のエッセンスがギュッと濃縮されているからだ。

復帰後のロリンズは50年代のように歌わなくなったと言われることがあるけど、私はそうは思わない。 50年代は歌物のコード進行に忠実に沿ってゆったりと
伸びやかに歌っていたのに対して、復帰後は原曲のコード進行から離れたフレーズを自由に吹くようになっていて、それが歌を歌わなくなったような印象に
繋がっているのかもしれない。 でもロリンズは変わらずよく歌っていて、本質的に何も変わっていないと思う。

このアルバムもメンバー構成がオーネットのバンドを連想させるせいか、50年代のロリンズに固執する人には概ね不評のようだが、ロリンズが元々持っていた
粗削りな大胆さが素で出ている演奏が私にはたまらない。 ベースとドラムが当時の流行りだった疾走感溢れる演奏をする中、ロリンズはまったく意に介さず
自分のペースで歌いまくっている。 そのフレーズはスピード感とキレの良さが抜群で、これこそロリンズじゃないか、と思う。

今から思えば、ドン・チェリーは役者としては明らかに力量不足。 この音楽には何も貢献できていない。 当時はイケイケの若手だったからの起用だろうけど、
メッキが剥がれてボロが出ている。 途中で吹くのを諦めている。 クランショウとヒギンズは頑張っていて、事実上ピアノレス・トリオの音楽と言っていい。

面白いのが、チェリー、クランショウ、ヒギンズの3人がすっかりロリンズの音楽観に飲み込まれてしまって戸惑っている様子が伺えること。 きっとこの3人は
今日はてっきりフリー・スタイルの演奏をやるものだとばかり思っていたのに、ロリンズ大先生がまったくそうじゃないものだから、やべぇ、なんか違ったぞ、
と戸惑いながら軌道修正している感じが伝わってくるのが微笑ましい。 チェリーに至っては「オレ、なんで呼ばれたんだろ・・・」と思ってたに違いない、絶対に。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

静かな子守歌のように

2018年06月10日 | Jazz LP (RCA)

Barbara Carroll / We Just Could't Say Goodbye...  ( 米 RCA Victor LPM-1296 )


聴けば聴くほど好きになっていくバーバラ・キャロル。 やはりこの人の弾くピアノは他の人が弾くピアノとはちょっと違う。 聴くたびに心地好い衝撃を受けるので、
今一番買えると嬉しいアーティストの1人だけど、彼女のレコードは安レコでしか買わないという厳格なルールを自分に課しているので、これが案外難航している。
金を出せば簡単に集まるけれど、それでは何も面白くない。 

全編がおだやかでゆっくりとした子守歌のような演奏で、上品で洗練されている。 ピアノの音数は抑えられていて、決して弾き過ぎることがない。
でも、その演奏はイージーリスニング的ではなく、イマジネーションに富んでいる。 端正で、まっすぐな音で、適切な打鍵の強さで、ここはこう弾くべき、
というタイミングを絶対に外さない完璧なタイム感。 誰かに似ているとか、誰の影響を受けているとか、そういう話を彼女のピアノは拒絶する。

魅力的とは言えないジャケット・デザイン、レーベルが押し付ける陳腐なイメージ戦略、そういうものでどれだけの数のリスナーを失っていることか。
このアルバムだって、お世辞にも買う気をそそる意匠だとはとても言えない。 でも、私はそのピアノの魅力に気付いてしまった。
ということで、彼女のアルバム探しの日々はこれからも続く。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どこまでも熱いライヴ

2018年01月20日 | Jazz LP (RCA)

Lalo Schifrin / En Buenos Aires Grabado en Vivo !!  ( アルゼンチン RCA VIctor AVS-4096 )


ラロ・シフリンがピアノ・トリオにギターを加えてブエノスアイレスで行ったライヴパフォ-マンスだが、詳細はよくわからない。 故郷への凱旋公演という
こともあってか、観客の熱狂ぶりが何だか凄い。 音楽に熱狂する以前に、スターを前にした熱狂ぶりのようだ。 シフリンのMCもやたらと長く、演る側も
聴く側も気合い十分でその熱気がしっかりと記録されている。

若い頃にパリの音楽院に留学してメシアンに師事したりしながらもジャズへの想いが断ち切れずにズルズルとその道に進んだけれど、結局ジャズミュージシャン
としては身が立てられなかった。 その理由がここにも記されている。 いわゆるジャズのフィーリングが希薄なのだ。 

別に「アメリカのジャズが絶対」という訳ではないし、この人はアルゼンチン生まれなのだからアメリカ音楽が身に沁みついていないのは当然なのだけど、
それでも他のラテン・ジャズと比べるとあまりにその音楽は脱色されていてあまり印象に残らない。 ラテン音楽独特の哀感も感じられないし、ジャズと
自身のアイデンティティーの折り合いを結局は上手くつけられなかったように思える。 サントラの世界ではジャズをベースにしたサウンドで大成功したけれど、
本人的にはどういう気持ちだったのだろうと要らぬ心配をしてしまう。 ゴリゴリのジャズ愛好家の多くはラテン・ジャズには後ろ髪をひかれながらも
案外のめり込まないものだ。 それはラテン・ジャズはやっぱりアメリカのジャズとは何かが違う、と直感的に感じるものがあるからだろうと思う。

ただ、そんな風にジャズという狭い言葉にこだわらずに聴けば、艶めかしく優れたインスト音楽として愉しめる。 演奏は上手いし、リズムも素晴らしい。
熱狂する観客に煽られて、演奏が発する熱も凄い。 ジャケットがボロくて安レコだったので聴くことができたようなものだけど、ジャズのレコードからは
あまり感じることはないような、独特の南米の熱を感じることができるレコードだった。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新しいヴィブラフォンの響き

2017年04月29日 | Jazz LP (RCA)

Gary Burton / Something's Coming!  ( 米 RCA LPM-2880 )


ジム・ホール、チャック・イスラエル、ラリー・バンカーというエヴァンス一派がバックアップを務めるゲイリー・バートンの若き日の知られざる傑作。
知的で、涼やかで、繊細で、新しい感覚で演奏されていて、これが素晴らしい。 私のゲイリー・バートン観を物の見事にひっくり返してくれた。
まるでポール・デスモンドのRCAの諸作のような、静かで落ち着いていて、ひんやりと冷たい雰囲気を放っている。

ジム・ホールがシングル・ノートでしっかりと弾いている。 彼の枯れた音がヴィブラフォンの冷やかでカラフルな音と対比されて、サウンド全体が安定している。
イスラエルとバンカーの演奏はまんまエヴァンス・トリオの雰囲気で、これが全体を落ち着いたトーンに仕上げている。

バートンは両手にマレットを2本ずつ持って演奏するので、ミルト・ジャクソンのような旋律主体ではなく、和音主体になる。 ピアノで言えば、ブロック・
コードでフレーズを弾く感じだけど、叩きつけたりすることはないので和音は濁らずとても澄んでいて、ジャケット・デザインの印象通りの音楽になっている。

ジャズの世界はマイナー・レーベルが有難がられて、RCAのようなメジャー・レーベルのレコードは軽く見られるけれど、それは本来はおかしいことだ。
予算が潤沢で録音機材や環境も良く、制作ノウハウも豊富なメジャーレーベルが作る作品は高いクオリティーのものが多い。 特に、RCAはクラシックで
録音技術を鍛え上げたレーベルだから、そのサウンド品質は見事だと思う。

デビューの契約がRCAというのは選ばれた人だということを意味していて、その期待を裏切らない作品になっているのではないか。 こうなると、他の作品も
聴かなきゃな、と認識も新たに安レコ漁りに邁進する日々がまだまだ続くのである。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

20年後の再評価を期待して

2016年07月31日 | Jazz LP (RCA)

Sonny Rollins / The Standard  ( 米 RCA Victor LPM-3355 )


もう、最悪である。 何が最悪って、このジャケットデザインはないだろう。 更に音源に鋏を入れたり、勝手にフェイドアウトさせる始末。 おかげで
クズ盤扱いになっている。 でも、このRCA時代のロリンズは最高にいいのだ。 クラシックなんかも同じだが、アメリカの大手レーベルのモノづくりの
手抜き加減の酷さは目に余るものがある。 アーティストは訴訟を起こしてもいいんじゃないかと思う。 そのせいで自身の作品が正しく評価されないのだ。

ロリンズの唯一無二の魅力は、テナーを「楽器を吹く」という行為としての制約から解放して操ることができたことで、その結果テナーの音が肉声のよう
でもあり、まるで歌っているかのように聴こえるということになっている。 そして、その技のピークがこの時期なのだと思う。 プレスティッジ時代は
あくまでもテナーが誰よりも上手く吹けた時期であり、ブルーノートやコンテンポラリー時代になると楽器から徐々に解放される軌跡が克明に記録され、
このRCA時代にそれが完成された形で残されている。 ウィリアムズバーグ橋での研鑽の様子が目に浮かぶような内容だ。

私はFacebookでお気に入りの音楽家としてロリンズを登録しているから、毎日のように彼の現在の元気に活動している様子が配信されているのを見る。
もうすぐ90歳になろうかというその姿は以前よりも小さくなってしまったかのようだけど、それでもとても元気そうに見えるのは何より嬉しい。

いつまでたっても、このRCA諸作と例えばプレスティッジ諸作を比較してどちらが優れているか、というような類の話しかできないようでは困る。 
クラシック愛好家はフルトヴェングラーのブラームスとゲルギエフのブラームスを同じ熱意で聴くけれど、今のジャズ愛好家の多くはそうはなれない。
でも20年後にはそういう世代は(私も含めて)全滅して一掃されているだろうから、その時にジャズを巡る状況が大きく変わる可能性はまだ残っている。
その頃には人々の作品への評価が今とは違う景色になっていることを期待したい。 それがこの素晴らしい音楽が生き残っていける唯一の道だから。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リズム・ギターは脇役ではない

2015年07月19日 | Jazz LP (RCA)

Freddie Green / Mr. Rhythm  ( RCA Victor LPM-1210 )


フレディ・グリーンの唯一のリーダーアルバムとして知られる1枚。 
そして、ギタリストのアルバムなのに、ギター・ソロが全く出て来ない不思議な内容としても知られています。

実際に楽器を触って、バンドを組んで演奏したことがあればわかることですが、音楽を創ったり演奏する側からすればギター・ソロのパートというのは
実は無用の長物で、あれは基本的に我の強い第一ギタリストと聴衆のためにあるものです。 本当にその音楽がどこまで良くなるかは、リズム隊の
作りだすリズムや全体のハーモニー次第です。 グループで演奏していれば、それが否が応でもわかってきます。 だから、リズム・ギターというのは
演奏する人たちの中では何より重要で、それは理屈以前の問題なのです。 

フレディ・グリーンが偉大と言われるのはあくまでそういう文脈においてであって、ギタリストに速弾きのソロを期待する向きにはこのレコードは
全く評価されないかもしれません。 でも、そうじゃない人には、ベイシー・オーケストラの巨大なサウンドの中では埋没してしまいがちなこの人の
コードの音色やカッティングの音がよく聴こえる内容に、嬉しくなるのではないでしょうか。

この人はギターをアンプに通さず弾くので、バンドの中では音がどうしても小さくなってしまうから、ヘビー・ゲージを強いテンションで張って
できるだけ大きい音が鳴るようにしていた。 だから、弦とネックの指板の間にできる弦高が非常に高く、指が1本入るくらいだったといいます。 
そんなに高い弦高ではソロのフレーズを弾くのは無理だし、そもそも普通の人ならコードを押さえることすら難しい。 きっとすぐにギターのネックが
反ってしまって、何度もギターを取り換えたんだろうなあ、と思います。

ここで聴かれる音楽はベイシー楽団からのピックアップメンバーを主にしたスモールコンボで演奏されるお手本のようななスイングジャズ。 
オールド・ベイシーのミニ版です。 簡単なテーマ・リフで始まり、各管楽器の無拓なソロがあり、リズム隊のお披露目があって、全員の合奏による
クロージングで終わります。 ただ、それだけ。 それがスッキリとスマートで、とてもいいです。 中でも、アル・コーンのソロが非常に秀逸です。

フレディ本人の作ったシンプルなブルース曲がほとんどですが、最後に "星に願いを" が収録されており、スイングスタイルでこの曲が演奏されるのは
珍しく、ほのぼのとハッピーな気分で聴き終えることができます。 演奏にはシビアだったそうですが、優しい人柄だったことが伺えるレコードです。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする