廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

カークにハズレなし

2018年08月26日 | Jazz LP (Verve)

Roland Kirk / Now Please Dont't You Cry, Beautiful Edith  ( 米 Verve V6-8709 )


ハズレなしのアーティストと言えば、誰と答えるだろう。 ビル・エヴァンス? マイルス・デイヴィス? まあ、それはそうだろう。
でも、そういう時にローランド・カークの名前を挙げるのを忘れてもらっては困る。 私の知っている範囲では、カークのアルバムにハズレはない。
こうやってブログを書く時にどのアルバムから手を付ければいいのかわからないくらいなのだ。 

そんな中で私が一番好きなアルバムはたぶんこれになる。 ロニー・リストン・スミスのピアノ・トリオをバックにカークがゆったりとスタンダード系を吹く。
このアルバム全編に漂う淡いレイドバックした良い雰囲気はたまらない。 片足をレア・グルーヴに突っ込んだような、ゆったりとしたディープな
フィーリングには酔わされる。 マーキュリーとアトランティックの間に挟まれてなぜか1枚だけヴァーヴからリリースされていて、クリード・テイラーの
プロデュースが功を奏したのか非常にポップで洗練されていて、そういう意味ではローランド・カークの一般的イメージからはかけ離れた音楽だろう。

何よりロニー・リストンのピアノとそのトリオの演奏が絶品。 ゆったりとタメが効いて抑制された演奏が全体のいい雰囲気を作るのに貢献している。
生ピアノなのになぜかフェンダーローズの演奏のようなムードを醸し出しており、これには驚かされる。 このピアノを聴いていると、この辺りから
時代が変わっていったんだなあと思う。

カークは要所要所でマルチプレイでアクセントを付けるけれど、基本はワンホーンでゆったりと吹く。 過剰さを封印し、じっくりと聴かせる演奏だ。
言うまでもなく、この人の管楽器の演奏は超一流。 楽器がきれいな音でしっかりと鳴るし、音程も正確、それでいて深い感情表現ができて完璧だろう。
ローランド・カークは溢れ出る過剰なものに突き動かされて音楽を創っていったけれど、独り善がりなものではなく、ポップで判りやすい音楽を望んだ。
だから、本人としてもこの作品はきっと会心の出来だったのではないだろうか。

このアルバムはステレオプレスで聴くのがいい。 音質はとてもよく、この音楽の紫煙漂うようなまろやかな雰囲気はステレオ感の中でこそ活きる。
キャリアの中ではフッと息を抜いたように創られたアルバムだと思うが、これが心に深く喰い込んでくる傑作となった。

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これこそロリンズ

2018年08月25日 | Jazz LP (RCA)

Sonny Rollins / Our Man In Jazz  ( 米 RCA-Victor LPM-2612 )


ソニー・ロリンズのアルバムに最高傑作という言葉を当てはめるのは難しい。 そもそもこの人自身がジャズの最高傑作なのであって、高いピークは無数にある。
だからロリンズの演奏のどこが好きか、何を求めるか、によって最高傑作というよりは好きなアルバムが人それぞれに決まってくるんだろうけど、私の場合は
特に好きなアルバムの1つにこれがある。 ここには私の好きなロリンズの音色と演奏のエッセンスがギュッと濃縮されているからだ。

復帰後のロリンズは50年代のように歌わなくなったと言われることがあるけど、私はそうは思わない。 50年代は歌物のコード進行に忠実に沿ってゆったりと
伸びやかに歌っていたのに対して、復帰後は原曲のコード進行から離れたフレーズを自由に吹くようになっていて、それが歌を歌わなくなったような印象に
繋がっているのかもしれない。 でもロリンズは変わらずよく歌っていて、本質的に何も変わっていないと思う。

このアルバムもメンバー構成がオーネットのバンドを連想させるせいか、50年代のロリンズに固執する人には概ね不評のようだが、ロリンズが元々持っていた
粗削りな大胆さが素で出ている演奏が私にはたまらない。 ベースとドラムが当時の流行りだった疾走感溢れる演奏をする中、ロリンズはまったく意に介さず
自分のペースで歌いまくっている。 そのフレーズはスピード感とキレの良さが抜群で、これこそロリンズじゃないか、と思う。

今から思えば、ドン・チェリーは役者としては明らかに力量不足。 この音楽には何も貢献できていない。 当時はイケイケの若手だったからの起用だろうけど、
メッキが剥がれてボロが出ている。 途中で吹くのを諦めている。 クランショウとヒギンズは頑張っていて、事実上ピアノレス・トリオの音楽と言っていい。

面白いのが、チェリー、クランショウ、ヒギンズの3人がすっかりロリンズの音楽観に飲み込まれてしまって戸惑っている様子が伺えること。 きっとこの3人は
今日はてっきりフリー・スタイルの演奏をやるものだとばかり思っていたのに、ロリンズ大先生がまったくそうじゃないものだから、やべぇ、なんか違ったぞ、
と戸惑いながら軌道修正している感じが伝わってくるのが微笑ましい。 チェリーに至っては「オレ、なんで呼ばれたんだろ・・・」と思ってたに違いない、絶対に。


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ただの稀少廃盤ではなかった

2018年08月22日 | Jazz CD

Enrico Pieraninzi / In That Dawn Of Music  ( 伊 Soul Note SNMJ 003-2 )


その道では有名な稀少廃盤CDだったらしい本作が再発されたとのことで、店頭試聴してみると、冒頭の "王子様" が見事な演奏だったので購入した。
ピエラヌンツィの稀少廃盤はもう1枚の方(ライヴ盤?)がこの世界では横綱格のようだが、よくわからない。 どうせならそちらも再発してくれればいいのに
と思うけれど、何か事情があるのか、今のところそういう話はないようだ。 廃盤云々の話は置いといても、昔のピエラヌンツィの演奏なら純粋に聴いてみたい。

これはアルバムとして制作されたものではなく、90~93年頃の欧州各地に散らばっていたラジオ放送音源などを集めて雑誌の付録として世に出されたものだそうだ。
だから、メンバーはバラバラ、演奏も音質も統一感なし、という建付けだが、さすがにピーク期にあたるだけあってビックリするくらい素晴らしい演奏がある。

特に凄いと思ったのは冒頭の "王子様"、5曲目の "Je Ne Sais Quoi"、7曲目の "In That Dawn Of Music"。 "王子様" はトリオとしての互角な
取っ組み合いの様がマイルスの第二期クインテットのようだし、5曲目はエヴァンス派の真骨頂、7曲目はアルトのワンホーン・バラードの傑作。
この3曲は、この人にしかできない、他人を寄せ付けない音楽だ。 つまらない演奏も含まれてはいるけれど、これは寄せ集め音源なのだから曲単位の評価で
十分なのではないか。

高額廃盤で実際に聴いている人が少ないせいか、この手の音盤はネット上に評価が見当たらない。 だから、こういう再発には意味があると思う。
音楽は聴いてナンボ、の世界である。 これはただの稀少廃盤ではなかった。 オリジナルがどうだったのかはわからないが、このCDは音質も素晴らしく、
イマドキのCDは凄いなあと思う。


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苦み走った復活の狼煙

2018年08月19日 | Jazz LP (Enja)

Joe Henderson / Barcelona  ( 独 Enja Records 3037 )


ジョー・ヘンダーソンをしつこく聴いているけれど、結局手元に残る盤は少ない。 例えば70年代のマイルストーン時代は作品数は多いがその大半が
クロスオーバーなもので、どれも力作だとは思うけれど、1度聴けばまあ十分かな、というものばかりだったりする。 

そういう時、我々は不用意につい「駄作だ」と言って切り捨ててしまうけれど、丁寧に聴いていくと駄作にもそうなった理由がちゃんとあることがわかってくる。
彼の場合だって、別に急にイマジネーションが消えてしまったわけではない。 それは単に時代が別のものを要求したからに過ぎないのだ。 生き残るには
そういうものだって飲み込んで行かざるを得ず、さもなければ消えるしかなかった。 コルトレーンやブラウニーが70年代に生きていたとしても、たぶん同じような
感じだっただろうと思う。 ロリンズ、モンク、エヴァンスを見れば、それは一目瞭然だ。 1970年代は誰にとってもとにかく我慢の10年間だった。

そんな暗黒時代も70年代末頃から変化の兆しが現れ始める。 その第一発目がこの "Barcelona" だった。 巷ではフリー・ジャズのように言われているけれど、
実際は違う。 ピアノレス・トリオで、非常にビターな演奏をしているだけだ。 それまでの鬱憤を晴らすかのように、苦み走ったドライな演奏をしている。
これがとにかくカッコいい。 抑制されて硬質なテナーの音色にシビれる。

なぜ、突然エンヤから発表されたのかはよくわからないけれど、それまでの迷走ぶりが嘘のようなアコースティック・ジャズで、この後は80年代の主流派の復権に
呼応するかのように作品を順調に発表するようになる。 これはその幕明けに相応しい、素晴らしいアルバムだ。 このレコードは音も極めていい。



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おそらく彼女は迷っていた

2018年08月18日 | Jazz LP (Bethlehem)

Nina Simone / Little Girl Blue  ( 米 Bethelehem BCP-6028 )


ベツレヘムのレコードは盤もジャケットもきれいなものが他のレーベルと比べて特に少ないような気がする。 カタログ内容のほとんどが私の興味の対象外だから
別に構わないんだけれど、それでも何枚か探しているものがあって、その1枚がこのレコードだった。 これは特にきれいなものがなくてもう半ば諦めていたけれど、
ようやくまともなコンディションのものが見つかった。 且つ、値段も今まで見た中では一番安かった。 今月は何だか怖いくらいツイてる。

この時、彼女は歌手としてやっていくか、それともピアニストとしてやっていくか、で迷っていたんじゃないだろうか。 ジュリアードに学び、カーティス音楽大学への
進学すら考えていた彼女のピアノ演奏の圧倒的な素晴らしさが全編で聴ける。 彼女は人の心を揺さぶる歌を歌うことができる稀有な歌い手だけど、このアルバムは
それ以上にピアノが凄い。 彼女のピアノトリオのレコードが残されなかったのは非常に残念なことだと思う。 もしそれが残っていれば、ジャズ史における
ピアノトリオの名盤のラインナップは今とは違ったものになっていただろう。 ここでは力の入れ様が、7:3くらいの割合でピアノの方が勝っている。 

"Good Bait" をこんな風にドラマチックに解釈して演奏した例が他にあるだろうか。 まるでホロヴィッツのピアノを聴いているかのようだ。
そして、続く "Plain Gold Ring" でのフォークテールの語り部のような歌。 更に "You'll Never Walk Alone" のクラシカルなピアノ。
この辺りはもう凄すぎて、眩暈がする。 決して大袈裟な話ではなく。

彼女はデビューの時点で、既に何もかも超えてしまっている。 これを聴いてしまうと、他のレコードがどれも色褪せて見えてくるから恐ろしい。


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トロンボーンの重奏の美しさ

2018年08月17日 | jazz LP (Metro Jazz)

Melba Liston / And Her 'Bones  ( 米 Metro Jazz E1013 )


メルバ・リストンという名前はジャズ愛好家なら誰もがよく知るところだけれど、さて、その演奏は? というと思い浮かべることができないのが普通ではないか。
彼女のリーダー作はこれ1枚しかないし、スモールコンボに参加して演奏したレコードもほぼ残っていない。 だから、彼女が実際にどんな演奏をしたのかを
知る人はほとんどいないのが実態だと思う。

このアルバムも4トロンボーンで彼女のアレンジしたスコアを演奏するという内容で、どれが彼女の演奏かは定かではない。 おそらくは最初のソロ、若しくは
最も目立つソロが彼女なんだろう、と想像するのが関の山だ。 トロンボーンだけの重奏によるレコードは過去にもいくつかあって、これだけが珍しいということは
ないけれど、こんなに柔らかくしなやかな重奏はちょっと珍しい。 自身がトロンボーン奏者だからこそ、この楽器の特徴を熟知したアレンジが書けるのだ。

A面ラストの "Wonder Why" はビル・エヴァンスが愛した切ないバラードだが、このソロは全編がおそらく彼女の演奏だ。 真っ直ぐに伸びるロングトーンで
この曲の美しい旋律を歌っている。 残る3人のボーンズたちは柔らかい重奏で彼女のソロを静かに支えている。 とても美しい演奏だ。

そして、このアルバムのもう1つのハイライトはレイ・ブライアントのピアノ。 こんなに生き生きと弾むピアノは彼のリーダー作の中でも聴いたことがない。
歯切れのいいリズムの楽曲での彼のピアノは本当に素晴らしい。

取り回しの難しい楽器群による演奏なのに、全体の流れが実にスムーズでつっかえたり停滞する箇所なく音楽が流れて行くのは驚異的だ。 この楽器特有の
美しい重奏と傑出したリズム感で、音楽が輝いているように思える。 このアルバムは間違いなく傑作である。


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南米チリの謎の若者

2018年08月16日 | Jazz LP

Enrique Rodriguez / Lo Que Es  ( Extra Lovely Records EL010LP )


チリの首都サンチャゴで活動する謎の18歳のアーティスト、2017年にカセットテープで50部のみリリースされた本作が一夜で完売し、その後入手不可だったが
今回LPで限定300部のみリリースされた、とのこと。 購買意欲をそそる中々よく出来た販促文だが、既にユニオンの中古棚には当たり前のように転がっている。
こういうのは喰い付きは早いが、飽きるのも早いということか。

聴いてみて、なるほど、と思った。 これはユニオンのジャズ館に出入りするようなジャズおやじにはウケない音楽だ。 まあ、いわゆるジャズではない。 
発売元がソウル・ジャズとして展開したから日本でもジャズとして売り出したようだが、敢えて分類するとしたらアンビエントとかニュー・エイジ系の
ロックの感覚だ。 意識高い系のジャズ・カフェ(ジャズ喫茶、ではない)で流れているのがよく似合う感じだ。

ジャケットの印象から生ピアノのソロ演奏かと思ったが、実際はリズム楽器(打ち込みかもしれない)や電子音が絡み、どこまでも静かな音楽が流れる。
新しい感覚の衝撃を期待したけど、そういうのは感じられなかった。 ただ、現代音楽の巨匠たちの影響みたいなスノビズムも感じられず、自身の内なる感覚に
素直に身を委ねたような印象があり、そういうところは好感がもてる。 

敢えてレコードのみで発売する意義があるのかどうかはよくわからないけれど、取り合えずもっと広く一般に聴けるようにしたらいいんじゃないかと思う。
ジャズおやじなんか相手にしなくても、もっと聴かせるべき人たちは他にたくさんいるはずだから。


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西海岸時代の記録

2018年08月15日 | jazz LP (Fantasy)

Brew Moore / Brew Moore  ( 米 Fantasy 3264 )


サン・フランシスコに移住後、地元のローカル・ミュージシャン達を集めて録音された演奏で、トップが2テナー。 ブリュー・ムーアはレスター派、もう1人は
少しアーシーなタイプなので、聴き分けは容易にできる。 典型的な地方都市のローカル・ジャズ・セッションで、舗装されていない田舎道を年代物の中古車で
ガタガタと揺れながらのんびりと走っていくような、平易で邪気のない音楽が聴ける。 どこの街でも日々普通に演奏されていたであろう、人々の生活の中に
溶け込んだ飾り気のないジャズ。 こういうのは安レコで拾ってこそ、という気がする。 悪い意味ではなく、そうじゃなきゃダメだよなと思う。

50年代のファンタジーの典型的なモノラル録音で、ナロー・レンジでデッドな音でオーディオ的快楽度はゼロ。 傷一つないコンディションなのに、これだもの。
演奏の微妙なニュアンスや表情も、あまり聴き取れない。 

ニューヨークから西海岸に移ったのが1954年、その後60年代に入ると欧州へと移住する。 主流派としての仕事のありそうな所へと自然と流れて行くような
移動の軌跡だ。 そういう流れに身を任せるような生活の中で、地道に演奏活動をしていたことが偲ばれるようにポツリポツリとレコードが残っている。
この人のテナーを味わうなら欧州で作られたものを聴くほうがきっといいのだろうけど、これはこれで悪くない。 ブリュー・ムーアという人の音楽への
スタンスがよくわかるレコードだと思う。


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重厚なピアノトリオ

2018年08月14日 | Jazz LP (Jubilee)

Eddie Costa Vinnie Burke Trio  ( 米 Jubilee LP 1025 )


このアルバムのいいところはエディ・コスタがヴァイブをあまり演っていないところ。 この人のピアノは音が太くて聴き応えがあるけれど、ヴァイブは
これといって特徴もなく、悪くはないけれど面白味には欠ける。 余技としてヴァイブを演る人は他にもいるけれど、まあ大抵は面白くない。
ヴィニー・バークとの双頭バンドという名前の通り、ベースを前面に押し出しているところにありふれたピアノ・トリオにはしないという工夫が施されている。

"Get Happy" ではお得意の低音部の強い打鍵で長い旋律を弾いているが、これを聴いているとバド・パウエルの演奏を思い出す。 演奏が似ている訳では
ないけれど、音楽に強い勢いがあるところがパウエルを思い出させる。 クロード・ウィリアムソンを聴いてパウエルを感じることなんてまずないけれど、
コスタのピアノにはパウエルを感じる瞬間がある。

このレコードはなかなか音がいい。 ヴィニー・バークのベースの音が非常に生々しくて、アルバムを通して聴くとピアノよりも印象に残る。 この人は
軍産工場で働いている時に小指を切り落とす事故にあったそうだが、そういうハンデはまったく感じない。 コスタのピアノの音も分厚くて重量感があり、
全体的に重厚なピアノトリオのサウンドになっている。 マイナーレーベルの白人のピアノトリオだからな、と特に期待もせずに聴き始めたのだが、
チャラチャラと軽い演奏ではなく、かなり腹の底に響く音楽だった。

ジュビリーというレーベルは色々と紛らわしくて、間を置かずしてJLP規格とJGM規格がプレスされているし、レーベルも複数種類あって、アルバムによっては
初版のJLP規格よりもJGM規格の方が音が良かったりして、なんだかよくわからない。 かなり格下のマイナーレーベルの割にはいいアルバムが残っていて、
ビル・エヴァンスの演奏が聴ける盤もあったりして、無視することはできないレーベルではある。


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傑作には見えない傑作

2018年08月13日 | Jazz LP (EmArcy / Mercury)

Benny Golson / Turning Point  ( 米 Mercury MG-20801 )


ベニー・ゴルソンがここまでロリンズの影響下にあったとは知らなかった。 後乗りでフレーズに喰いついてゆっくりと噛み千切る様はロリンズそっくりだ。
ざらっとした低い音色もよく似ている。 ワンホーンという広い間口の中だからこそ、こういうことがよくわかるのだろう。 

一般的なこの人の印象、つまり潰れたような音が切れ目なくうねって何を吹いているのかよくわからない、という悪い癖はここではほとんど見られない。
ベン・ウェブスターのようなサブ・トーンも随所で効いていて、全編に巨匠の風格が漂う。 圧巻の語り口で最後まで吹き切っている。

ウィントン・ケリー、ポール・チェンバース、ジミー・コブのトリオも過不足のない、適切なプレイをしている。 バッキングに埋没することなく、自己主張で
邪魔することなく、ゴルソンのワンホーンとゆっくり交わりながら音楽を形成していく。 こうしてこのアルバムは傑作になっていく。

この時期のマーキュリー・レーベルは、時代の要請を受けて大衆向けのわかりやすい音楽を大量生産していた。 サラ・ヴォーンやローランド・カーク、クインシー・
ジョーンズ、ダイナ・ワシントンら大物もたくさんレコードを作った。 ゴルソンもジャズテットとして契約していたが、そこから1人離れてこれをそっと録音している。
どこからどう見ても傑作には見えないが、これを聴けばベニー・ゴルソンのプレーヤーとしての真の実力を知ることができる。


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第三のレコード

2018年08月12日 | Jazz LP (Prestige)

Red Garland / Live !  ( 米 Prestige NJLP-8326 )


ニューヨークのプレリュード・クラブで行われたレッド・ガーランドのライヴ演奏では、ベースとドラムがいつものメンバーではなく、フィラデルフィアの
ローカル・ミュージシャンがサポートしている。 ベースのジミー・ローサーはメイナード・ファーガソン楽団などで、ドラムのチャールズ "スペックス" ライトは
ディジー・ガレスピー、アール・ボステックらのバンドなどで演奏していた。 売れっ子のポール・チェンバースやアート・テイラーが多忙でブッキングが
できなかったのかもしれない。 プレスティッジのガーランドのアルバムの中でこれだけが音楽の雰囲気が違うのは、これがライヴ演奏だからではなく、
このメンバー違いが原因だろうと思う。 やはりリズム感が少し気だるく弱いし、アンサンブルの層も薄い。

それでも、ガーランド自身はしっかりと弾いている。 ベースとドラムの弱さをカヴァーしようとしていたのかもしれない。 そのせいか、スタジオ録音と
較べると珍しくピアノの演奏が前面に押し出されていて、一体感という意味ではいつもの黄金のバランス感は崩れている。 1作目の "At The Prelude" は
ガーランドの傑作の1つと言われるけれど、演奏を聴く限りではいささか格落ちの感がある。 勿論、それは2作目、3作目も傾向に変わりはない。
だた結局のところ、ガーランドの録音自体は(復帰後のものもあるとは言え)この時期に集中していて、且つ最も輝いていた訳で、ささいな違いのせいで
その価値が揺らぐことはない。 今となっては、私たちは慈しむ気持ちで聴けばそれでいいのだ。


そして、このやっかいなレコードの話である。 1作目の "At The Prelude" が黄色NJ、2作目の "Lil' Darlin'" がStatus、本作がNew Jazz規格、と
3レーベルに分かれてプレスされているところから、当初は最初のアルバムだけで完結させる予定だったが、ガーランドの引退で売れるものは何でも出して
しまえ、という話になったのだろうと思う。 この3枚は曲目が違うというだけで、演奏の質感は当たり前だがまったく同じで、何が何でも3枚とも聴かなければ
ならないというものではない。 このレコードもヴァン・ゲルダーのカッティングで、一応VAN GELDER刻印がある。 全体のサウンドは残響を無くした
デッドな音作りで、ピアノの音はいつものこもった感じはないが逆にチェレスタのような音色で、相変わらず何考えてるんだかなあ、という感じである。
手抜き感丸出しのジャケットデザインといい、本来は安レコで十分なはずだが、1回プレスされただけで忘れられたのはおそらく内容に際立った特徴が
なかったせいだろう。 まったく面倒臭いことをしてれたものである。


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夏休みのボサ・ノヴァ

2018年08月11日 | Jazz LP (Verve)

Stan Getz / Joao Gilberto featuring Antonio Carlos Jobim  ( 米 Verve V-8545 )


今日からやっと夏休み、今年の夏はホントに酷いことになってるのでゆっくり休めるのはとにかく嬉しい。 昨日なんて日中外を歩いているとあまりの
熱さに着ている服が自然発火して燃え上がるんじゃないか、と思ったくらいだった。 本当に命の危険を感じる。 しばらく外には出たくない。

泣く子も黙るこの名盤、盛夏になるとやはり聴きたくなる。 昔はジョアンの声が大嫌いで聴くと虫唾が走ったものだが、最近はこちらも歳をとって
慣れたせいか、ようやく普通に聴けるようなった。 それでもやはりジョアンの声や歌は好きになれない。 端的に言って下手な歌だ。

それに較べてゲッツのテナーの素晴らしさは際立っている。 聴いているとなんだか恐ろしくなるくらい孤高の音で鳴っている。 フレーズも素晴らしい
旋律ばかりで、一番豊かに歌っているのは結局はゲッツなのだ。 こんなことを言うと多方面から叱られそうだけど、ジョアンやアストラットの歌なんて
所詮は単なるゲッツの歌伴に過ぎないと思うくらいだ。

このアルバムには世紀の名盤になった要素がもう1つある。 それは全体を覆っている深く落ち着いたペースで、これはキャノンボールの "Somethn' Else"と
そっくりだ。 これこそがこのアルバムに独特の風格を与えている。 録音時のギクシャクした人間関係のエピソードが物語るように、張り詰めた緊張感が
弛緩しがちな南米の音楽をキリッと引き締めている。 仲が悪くて良かった、と感謝しなくてはいけない。

極めつけは、録音の良さ。 モノラルなのに深く残響が効いていて、奥行きのある立体的な音場感が素晴らしい。 録音エンジニアは若き日の
フィル・ラモーンで、天才の腕前を既に存分に奮っている。 このアルバムの功労者は何と言ってもスタン・ゲッツとフィル・ラモーンの2人なのだ。

いずれにしても、夏休みに聴くには相応しいアルバムとしてこれはなかなか重宝している。


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2018 Summer プレミアム廃盤セールで探し物を

2018年08月05日 | Jazz雑記
もう何年も前からずっと探しているんだけど全然まったくカスりもしない盤があって、それがセールに出ると言う。 普段の自分の行動パターンでは
これはもう見つからないんだなと判断、アホみたく暑い中(ホントに信じられないくらい暑い)、セールに行くことにした。

狙っていたのは、この2枚。 ちゃんと仕留めることができた。 




出かけたと言っても、並んだりはしない。 ゆっくり家を出て、ゆったりとしたお買い物である。 こういうのに並ぶような人たちは超高額盤狙いで、
こんなのは誰も鼻にも引っかけない。 でも、私とっては長年探していた値千金の、私だけの稀少盤なのだ。





クラブ・プレリュードでのライヴ演奏は3枚に分けてリリースされたが、最後のこれだけがなぜか全く出てこない。 でも、実際に盤を手にしてみて、
その理由がわかった。 盤の形状は黄色NJのものと同様の硬くてしっかりとした材質で、レーベルが紺のトライデント、つまりちょうど製造ラインが
切り替わる端境期だったのだ。 そういう谷間に落ち込んだせいで数が少ないんだろう、と推測できる。




一般にはあまり好かれない気の毒なベニー・ゴルソン、でも実はこれが傑作。 ワンホーンで、バックはマイルスのバックバンド。
マーキュリーなんだからいくらでも転がっていそうなのに、これがなぜかまったく出回らない。 内容の良さに、手放す人がいないのか。



お目当てを探している時に目に付いたので、ついでにピックアップしたオマケ。




今回は最初からターゲットが決まっていたからそれ以外はどうでもよかったけれど、いざ探すとなるとこれはこれで大変だから拾っておく。

店内は人が多くてゆっくり見て回れるような雰囲気ではなかったのでお目当てを拾って早々に退散したけれど、ブログに掲載されないミドルクラスの
出物が結構たくさんあって、そちらの方が内容が面白そうだった。 ゆっくりと物色できなかったのが残念である。





タイトル自体は別に珍しいわけではないが、レッド・ワックスとなると話は別。 カラー盤はそれ自体が最初版ということではなく、販促目的だったり
ノベルティとして制作されるプレスだから数自体は少ないけど、レギュラー盤が黒いヴィニールでカラー盤がある場合、カラーの方がオリジナルだと
言う人がいたらその人は基本的に嘘つきだから注意して。 これもレギュラーの黒盤がオリジナルということでいいと思う。




盤はきれいだけどジャケット不良ということで安レコだった。 でも、ファンタジー盤は盤がきれいなこと自体が非常に珍しいから、これでいい。


これらは夏休みのお愉しみにとっておこう。 そうすれば、残りあと1週間も何とか乗り切れそうだ。


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私が惹かれた理由

2018年08月04日 | Free Jazz

Cubic Zero / Flying Umishida  ( 野乃屋レコーズ Nonoya 003 )


待望の吉田野乃子さんの新作ということで、楽しく聴いた。 先週届いて、今週の通勤の行き帰りで聴いていたから、1週間で10回は聴いたことになる。
新譜を買うことがほとんど無くなってしまった現在、こういうのは私にしてみれば珍しいことで、今は新作が待ち遠しい数少ないアーティストの1人だ。

今回は前作とは打って変わり、ザ・エレクトリック・バンドになっているが、私は今回のサウンドの方が好みだ。 冒頭の出だしから、あ、これはいい、と
すぐに思った。 そこから最後まで一気に訊き通せる。 途中でダレるところもない。 よく出来ているなあ、というのが素直な感想だ。 じゃなきゃ、
10回も続けて聴こうとは思わない。

最近は60~70年代のフリージャズの作品への興味が薄れてしまってほとんど聴かなくなっている。 まあ聴き過ぎてちょっと飽きたというのもあるけど、
その頃の音楽には「時代の空気に強制されてやってました」という側面が多かれ少なかれあって、それがだんだん煩わしく感じられるようになってきたからだ。

「座ってきれいなメロディーを吹いている場合じゃなかった」というブロッツマンの言葉に象徴されるように、そこにはある種の閉塞感が漂っていて、
それがこの分野の音楽を重苦しいものにしていた。 そして、このまま行っても先はないんじゃないか、ということに気付き始めた気配が作品の中に
現れ出すようになる。 コルトレーンのように自分が始めたやっかいな音楽の後始末を自分ですることなく逝ってしまうことに嫉妬したアーティストも
中にはいたんじゃないだろうか。 荷が重すぎて結局は抱えきれず、路上生活に堕ちる人も出始めた。

そういうこととは遠く距離を置かれているから、私はこのアルバムが好きになったのだろうと思う。 この5人は自分たちが今一番面白いと思っている音楽を
楽しんでやっているように見える。 そういう純粋さが感じられたからこそ、こちらの心も動かされたのだと思う。 形式上、それがアヴァンギャルドなのか
主流派なのかというようなことは、当たり前のことだがどうでもいいことだ。 ICPやFMPには感じられなかった「純粋な愉しさ」がこのアルバムには
こぼれんばかりに溢れている。 それが素直に表現されていて、何より素晴らしいと思った。

今作はグループとしての音楽だからアルトサックスは1人だけで前に出るということはなく、他の楽器と互角な位置にいる。 私は彼女のサックスの音が
好きなのでもっとたくさんその音が聴きたかったけれど、まあそれは次のお愉しみにとっておくことにしよう。


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