廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

冬空に掛かる月

2018年02月28日 | Jazz LP

Art Pepper / Winter Moon  ( 米 Galaxy GXY-5140 )


これを聴くと、ゲッツの "People Time" やエヴァンスの "You Must Belive In Spring" を思い出す。 人生の終焉が目の前に迫った時に、
人はこういう想いを残すのかもしれない。 この寂寥感をいずれは誰もが自分の身の上に感じることになるのだろうか。
 
冒頭の "Our Song" の哀しく切ない旋律は音楽家の心情をそのまま映し出したかのような曲で、その想いのようなものが何の迷いもなく真っすぐに
聴き手の心の中に入ってくる。 アルバム・タイトルの "Winter Monn" はホーギー・カーマイケルの作曲だそうだが、私は原曲を聴いたことがない。
でも、ペッパーが切々と吹く旋律を聴いていると、冷たい冬空に掛かる月が見えるような気がしてくる。

どの曲も本当に飾り気なく真摯に演奏されていて、そのひたむきさには何とも言いようのない感銘を覚える。 音楽に集中し、楽器を精一杯鳴らしている
様子が目に浮かぶ。 こんなに赤裸々な演奏をした人はちょっと珍しいのではないか。 コルトレーンのひしゃげた咆哮を聴いてもさほど心は動かないけど、
このためらいながらも懸命に鳴っている音には耳を傾けずにはいられない。

ここにあるのは極めて内省的な音楽であるにもかかわらず、このジャケットデザインは意図的だったのかそうではなかったのかはさておき、その厳しさを
中和している。 アルトのワンホーンで紐付きで、さらにこのジャケットとなれば、誰もが甘美な内容を想像してこのアルバムを手にするに違いない。
でも、その期待は裏切られるだろう。 それがこのアルバムが名盤としてもてはやされない理由だから。


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デンマークへの演奏旅行

2018年02月25日 | Jazz LP

Bud Powell / Bouncing with Bud  ( デンマーク Sonet SLP 31 )


1962年4月26日のコペンハーゲンのカフェ・モンマルトルでの演奏と言われているけど、拍手は入っておらず、まるでスタジオ録音のように聴こえる。
この時のデンマークへの演奏旅行の様子はスティープルチェイスがゴールデン・サークルでの演奏をまとめてリリースしていて、パウエルの演奏は
基本的に同じ感じだ。 フレーズはよく歌い、それに合わせて濁声のハミングも終始聞かれる。 ミスタッチはそれなりに目立つけれど、運指はしっかりと
していて、心身ともに調子が良かった様子が伺える。 レパートリーや演奏レベルはどちらのレーベルも同じで、これがパウエルのこの時期の日常的な
ルーティーンだったことがよくわかる。 そこには新たな驚きはないけれど、しっかりとバド・パウエルのピアノが鳴っている。

ベースがペデルセンなのでリズムラインがしっかりとしていて、パウエルの運指が乱れてヨロっとしかかってもペデルセンがパウエルの身体を横からグイっと
支えるので、音楽が澱むことがない。 ベースやドラムは最初からそういうつもりで演奏に臨んでいたんだと思う。 

欧州滞在時のパウエルの演奏を捉えたアルバムは結構たくさんあるので、この時期の演奏が伝説化されずにありのままを聴けるのは素晴らしいことだ。
あのままアメリカにいたら生活の中での様々な心労も嵩み、こうはいかなかっただろう。 演奏に専念できる環境があり、それを歓迎してくれる人々がいて、
彼の晴れ晴れとした心境が演奏の中から明確に伝わってくる。 欧州時代のレコードの意義はそういうパウエルの心穏やかだった様子を我々が知ることが
できて嬉しい気持ちになれる、というところにあるのだと思う。

62年であればステレオ録音が普通だったはずだが、これはモノラルとしても録音されていたのかもしれない。 ステレオをミックスダウンした感じはなく、
とても自然なモノラルサウンドだ。 残響をつけず、それでいてくっきりとしたクリアで分離のいい音が素晴らしい。 いかにも盤の硬い材質が鳴っている
と思わせる硬質なサウンドがパウエルにしか出せないピアノの音にマッチしていて、バド・パウエル・トリオの音楽を最上のものにしている。


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変なサウンドの意味

2018年02月24日 | jazz LP (Atlantic)

John Coltrane / My Favorite Things  ( 米 Atlantic 1361 )


とにかく変なサウンドである。 私が初めてこれを買って聴いた18歳の時もそう思ったし、今聴いてもそう思う。 名盤100選に当然のように載っていたから
買ったわけだけど、本当にこれが名盤なのかどうか未だに私にはよくわからない。 

でも、このアルバムはたまに無性に聴きたくなる。 この変なサウンドがどうしても聴きたくなる。 どうやら自分の中でクセになっているらしい。
つまり、この「変であること」に重要な意味があるようだ。 そこには何かのコードが隠れているのをはっきりと感じる。 だから聴きたくなるらしい。

これはコルトレーンがスタンダードを美しく演奏することを完全に放棄した最初の作品と言っていいかもしれない。 プレスティッジ時代は一人前になるために
ひたすらスタンダードを上手く演奏しようとした。 プレスティジ最終期に残したスタンダードの演奏は無骨ながらも独特の美しさに貫かれた世界を創り上げる
までに至っている。 ところが、アトランティックに移籍して、彼は変わる。 ようやく楽器を思うように吹けるようになったこともあり、再現ではなく
創造に踏み出すようになる。 このアルバムに何か意味があるのだとすれば、それは「美しさを放棄する」と宣言したことかもしれない。

コルトレーンのロリンズ・コンプレックスは相当なもので、"Giant Steps" なんていうロリンズ・コピーの極北のような作品を作るほどそれは凄まじかった。
晩年になっても、欧州へ演奏旅行に出かけている間は妻にロリンズの動向を調べさせてはその内容を欧州にいる彼に逐一報告させたりしていて、
ちょっと病的な感じだった。

ただ、ソプラノを吹くようになってからは、落ち着いて自分の音楽をやることができるようになったように見える。 このアルバムも出来上がったサウンドは
異化されて聴き手を緊張させるような雰囲気になっているけれど、コルトレーン自身はリラックスして演奏している。 それまでのテナーのフレーズは
ワンパターン(ロングトーンの後にクシュクシュっと駆け上がる)で、聴いていてうんざりするところがあったけれど、ソプラノを吹き出した頃から
その悪しきワンパターンは影を潜めるようになった。 そういういろんな変化が顕著に始まったのもこの辺りかもしれない。

そうやってつらつらと変なサウンドの意味を考えていくと、それなりにいろんなことに気が付くけれど、やっぱり変であることには変わりはない。
そして、その変なサウンドは私の無意識下で長年に渡って私を虜にしているのもこれまた変わりはないのだ。


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シナモンとクローブ

2018年02月21日 | jazz LP (Pablo)

Zoot Sims / Quietly There  ( 独 Pablo 2310 903 )


ジョニー・マンデルは最も好きな作曲家の1人で、彼の書いた曲に "Cinnamon and Clove" という名曲がある。 ジャズの世界、特にインスト物では
まったく取り上げられることがないので(なぜだかはよくわからない)、他の曲ほど知られていないのではないだろうか。

ピアノの非常に印象的なイントロを受けてズートの演奏が始まると部屋の中の空気が変わる。 洗練されたラテンのリズムに乗って、音もなく波を立てることもなく
水を切って進んで行く船のように、なめらかに演奏が進んで行く。 バックのピアノトリオの演奏が静かで粋で、これがこのアルバムのもう1つの聴き所だ。
"A Time For Love" や "Emily" も深いバラードに仕上がっていて、非の打ち所がない。 

レコードマニアならご存じの通り、同じレーベルでもアルバムによって音のいいものと悪いものがある。 このアルバムはやたらと音がいい。
理由はわからない。 わからないけど、その素晴らしい音で聴くとズートのテナーはモノラル期の音とは音色や張りが全然違うことに気が付く。
モノラル期はフレーズの歌い方やリズムへのノリの良さに意識が行っていたけど、この盤ではその音の深みや輝きに惹かれながら聴いている自分がいる。

ズートは不思議な人だなと思う。 元々はスイング系が基盤になっている人で、古風な音楽を得意としているにも関わらず、こんなに都会的で洗練された
音楽もさらりとやってしまう。 自分の傍に強引に音楽を引き寄せるのではなく、選んだ素材に上手く自分を適応させて、それに成りきってしまうかのようだ。
その様子があまりに自然で、どれが彼の実像なのかがわからなくなってくる。

特に画期的な音楽をやったわけでもなく、歴史を変えるような作品を作ったわけでもないのに長く前線に居られたのは、そういう音楽への柔軟なスタンスの
おかげだったのだろう。 アヴァンギャルドや電化の道を慎重に避けながら、最後までアコースティックな音楽だけをやり続けることができた手がかりが
このアルバムには隠されている。



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もっと評価されていい人

2018年02月18日 | Jazz LP (Prestige)

Art Farmer / Farmer's Market  ( 米 Prestige PRLP 8203 )


アート・ファーマーは何をやらせても上手過ぎる。 どの演奏を聴いてもいとも簡単そうにやってのけるから、その凄さがこちらに伝わってこない。
長い演奏活動の中で残した作品数は膨大で、そのクオリティーに出来不出来の差があまりないことから、中堅扱いされることすらある。 
でも、それは改めて言うまでもなく、間違っている。 

50年代のトップランナー集団の中で激動の時代を乗り越えて長く最後まで第一線で活躍して、リーダー作品を安定して残したのはほんの僅かしかいない。
マイルス、ロリンズは別格としても、スタン・ゲッツくらいとは同格の扱いをされていいはずなのに、そうはなっていないのが気に入らない。

ファーマーの凄さの一片に触れることができるのがこのアルバム。 1956年11月に録音されたが発売は後回しにされ、イエローレーベル最終期の1958年に
リリースされたが、彼のプレスティッジの作品ではこれがダントツで群を抜いている。 そして、彼のハードバップの最終完成形がここに出来上がっている。

ファーマーのくすんだ音色やおだやかなスタイルと同系統のハンク・モブレーと組んでいることで、アンサンブルの統一感が完璧。 そして、ケニー・ドリューが
絶品のソロを連発している。 この時期のドリューの演奏としてはこれが最高ではないだろうか。 楽曲の選曲も良く、演奏全体のキレの良さが他の物とは
一線を画している。 そしてヴァン・ゲルダーが触ると手が切れるようなサウンドをレコードに刻み込んでいる。 ファーマーのプレスティッジのレコードの中では
これが一番音がいい。

大抵は笑顔で写真に写っているし、作品も身近なところにたくさんあるので親近感が高いミュージシャンだが、そういうのも考え物なのかもしれない。
ゲッツくらい偉そうにしていればもっと畏敬の念を持たれたのかもしれないけど、人柄の良さがそうはさせなかったのがある意味、もったいない。


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音色に酔うテナー

2018年02月17日 | Jazz LP

Coleman Hawkins / The Gilded Hawks  ( 米 Capitol T-819 )


サックスはなぜこうも人によって音色が違うのだろう。 マウスピースの種類やリードの硬さ、楽器の製造年代などでも当然違ってくるだろうし、吹き方によっても
変わってくるけど、他の楽器よりもその違いがより顕著だ。 だからサックスを聴くのは楽しくて、その楽しさは人の歌声を聴く楽しさと共通するものがある。

コールマン・ホーキンスはアドリブラインを聴いて感心するタイプではなく、その音色に聴き惚れるというタイプだ。 だからスモール・コンボでバリバリと
ハードバップをやっているものよりは、サックスが朗々と歌うことができるような形式の音楽のほうが向いている。 そういう意味ではこのキャピトル盤なんかは
ホーキンスを聴くのにはうってつけだ。 まるで、シナトラやディック・ヘイムズのレコードを聴いているような錯覚に襲われる。 

キャピトルのレコーディング・オーケストラの上品な演奏をバックに、スタンダードを大らかに吹いていく。 聴いていて退屈さを感じることは一切ない。
そのくらいテナーの音色には豊かな表情があり、クルーナーのようなどこまでも深いトーンが腹の底まで響いてくる。 一歩間違えば陳腐なムード音楽に
堕するところが、そうはならずに豊かな音楽として最後まで聴かせるのはパーカーのウィズ・ストリングスと同じだ。 

このレコードはラックのインストコーナーに入れるよりは、シナトラのレコードの隣に置きたくなる。


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探していたものが安レコとして現れる時

2018年02月14日 | Jazz LP (安レコ)



先週拾った安レコたち。

ホーキンスのキャピトル盤って案外見つからないなあ、と諦めかけていたところだったので、これは何とも嬉しい。

モータウンで一番好きな曲が "Neither One Of Us"。 学生時代にデヴィッド・サンボーンがこの曲の魅力を私に教えてくれた。
300円という値段が相場から言って安いのか高いのかよくわからないけれど。

ジョニー・マンデルをズートのワンホーンで聴けるということで探していた。 "Cinnamon And Cloves" をやっているのが嬉しい。 
音質は最高レベル。 全編がスロー・バラードとスロー・ボッサの、大人の夜のジャズ。


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キャノンボールの計らいで

2018年02月12日 | Jazz LP (Riverside)

Paul Serrano Quintet / Blues Holiday  ( 米 Riverside RLP 359 )


キャノンボール・アダレイはリヴァーサイド時代に音楽ディレクターもやっていて、多くの無名の演奏家たちにレコーディングの機会を提供した。
元々音楽教師をやっていた人だから、世のため人のために働くことを厭わなかったのかもしれないが、意味のあることだと思う。 
優しい人柄が偲ばれる話で、その爪の垢を煎じてマイルスにも飲ませてやりたかった。

シカゴのローカルミュージシャンだったポール・セラーノはこの時28歳だったが、ポッと出の新人ということではなく、プロのミュージシャンとして十分な
経験を積んでいた。 シカゴ市民交響楽団、ウディ・ハーマン・オケ、ビリー・エクスタインやヴィック・ダモーンのバックでの演奏、その他諸々。
クインテットのメンバーたちもセラーノと行動を共にした仲間だったようだ。

そういう経歴を物語るかのようなしっかりとした演奏をここでは披露している。 ハードバップど真ん中のストレートな演奏で、何とも若々しい。
バンキー・グリーンのアルトはどことなくキャノンボールを思わせるところもあるし、ロリンズなんかのテナー奏者のような音を出すところもある。
このアルト奏者は思わぬ拾い物だ。 音が太く、演奏がしっかりとしているので、音楽全体がグッと締まる感じになっている。

ドラムスにピート・ラ・ロッカを座らせているのは、きっとキャノンボールの計らいだったのだろう。 こういうのはアルバムに箔が付く。
ランディ・ウェストンの "Little Niles" でラ・ロッカの叩き出す複雑なリズムパターンが音楽にグッと深みを出しているのがよくわかる。

セラーノもオープンとミュートをうまく使いこなし、ノンビブラートのミュートはちゃんとマイルスの路線を行っている。 オープンホーンの長尺ソロでも
破たんなく見事に吹き切っていて、これならキャノンボールもさぞ満足しただろう。

裏ジャケットのライナーノートもこのメンバーたちをベタ褒めしており、みんなで大プッシュしている。 ただ、第2版がプレスされていないところを見ると、
あまり売れなかったようだ。 1960年に無名の白人が演るハードバップがそんなにウケるとは思えないから、これは致し方ないことだと思う。
セラーノ自身これに懲りたのか、元々表舞台に立つ気はなかったのか、リーダー作はこれ1枚で終わらせてその後は裏方に回って活動したようだ。
でもまあ、それもまた良し、だと思う。


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ESP がバド・パウエルを出した本当の理由

2018年02月11日 | Jazz LP

Bud Powell / Blue Note Cafe Paris, 1961  ( 米 ESP 1066 )


アングラ音楽専門のESPがなぜパウエルのアルバムを唐突に出したのか、と以前から不思議に思っていた。 更に言えば、ESPは1972年にはパーカーのアルバムも
出している(もちろん、こちらは放送録音音源)。 このレーベルのカタログ内容の特異さや奇怪さを思えば、この2人がいきなり登場するのには驚かされる。

軽くおさらいをすると、パウエルは50年代中期にヘロインの不法所持によりキャバーレー・カードを没収されて表向きにはニューヨークでライヴ活動ができない
状況だった。 そんな中で1957年にパリで行った2週間のギグが大成功に終わったため、パウエル一家は59年にパリに移住し、66年に帰国するまでは欧州で
活動した。 パリではピエール・ミシュロ、早くからこの地に移住していたケニー・クラークと常設トリオを組み、"The Three Bosses" と呼ばれていた。

そんな中、1961年にパリのクラブ・ブルー・ノートでの演奏をアラン・ダグラスが録音したのがこの演奏になる。 この時、ズート・シムズがパリに来ていて、
このパウエル・トリオと共演した演奏もダグラスは録っているし、別のメンバーと演奏したものをアメリカに持ち帰って当時所属していた United Artists から
"Zoot Sims In Paris" としてリリースしたりもしている。 デックスがパリに来ればこの3人が出迎えて名盤を作ったりしていて、パリでの生活はそれなりに
充実していたみたいだ。

それを裏付けるかのように、ここでのパウエルは絶好調だ。 いつもの唸り声も発しているし、フレーズも独創的で、トリオとしての纏まりも見事だ。
ケニー・クラークもアメリカ録音では聴けないようなはじけた演奏をしている。 モンク師匠の楽曲もしっかり演っていて、"Monk's Mood" なんかは
この曲の独特の雰囲気をとても上手く表現していて、さすがだと思う。 パウエルらしいピアノの硬質なタッチもちゃんと感じられるし、運指にも乱れはない。
後期のバド・パウエルの演奏としてはよく出来ている部類に入る。 録音状態も全く問題なくて、不思議と異国の地らしい淡く霞んだような物悲しい雰囲気が
全体を覆っており、ズートのレコードでも感じるのと同じような何とも言えない切ない感じがある。 この独特なムードはクセになる。

アメリカのマイナーレーベルたちが誰も移住後のパウエルを追いかけなかったのは不思議だ。 まるで何かを申し合わせたかのように、一斉にパウエルから
手を引いている。 まあ、60年代に入るとどのレーベルも経営が怪しくなってくるから、欧州までわざわざ録りに行くだけのパワーが無くなっていたのかもしれない。

そんな中、ESPはこの残された最後の巨人の録音を出すことを狙っていた。 レーベルオーナーのバーナード・ストールマンはラシッド・アリを連れて65年に
パウエルの最後のスタジオセッションを試みたが、パウエルは既に演奏できる健康状態ではなく、このスタジオ録音は失敗に終わっている。 上手くいけば
それはバド・パウエルの最後のスタジオ録音アルバムになっていたはずだった。 それでも諦めきれず、66年にパウエルが亡くなった後に未亡人から販売
ライセンスを得てこの61年の演奏をレコードとしてリリースした。 これはそういう執念の1枚だったのだ。

ESPが最晩年のパウエルを録りたかったのは、一義的にはこの偉人の記録を自社に残したいという想いからだったろうが、それ以上にこの時期のパウエルが
死に向かって朽ち果てていこうとしているその無残な姿にどうしようもなく惹かれたからだったのではないだろうか。 通常のありふれた音楽には満足できなかった
このレーベルの病のようなものが、パウエルの死に至る病の匂いを嗅ぎ取ったのかもしれない。 ジャケットの暗闇の中に浮かぶ彼の横顔に死相を見るのは
おそらく私だけではあるまい。


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ジャズテットの隠れた傑作

2018年02月10日 | Jazz LP (国内盤)

The Jazztet / Voices All  ( 日 Eastworld EWJ 90016 )


1982年にジャズ・フェスティバルに出演するためにジャズテットを再結成して来日した際に録音されたアルバムで、"Whisper Not"、"Killer Joe"、
"I Remember Clifford" など代表曲と新曲がブレンドされている。 正直、こういうのは恥ずかしい。 古き良き時代にいつまでもしがみつく姿は
みっともない。 もちろんそれはアーティストのことではない。 こういうレコードを作るレコード会社のことである。

Eastworldは東芝EMIのレーベルで、売れる見込みのあるレコードしか作らない。 社員の中にはもっと違うことをやりたいと考えている人もいただろうけど、
会社の方針には逆らえない。 だから、こういうタイプのレコードが出来上がる。 手放しで喜んだ人もいれば、同じ数だけ顔をしかめた人もいただろう。
でも、レコード会社はそんなことは気にしない。 喜んで買う人のほうが多いだろうという見込みがあったから、この企画が承認されたのだ。

かく言う私も、そういうアンビバレンツな感情を持つ一人だ。 よくもまあ何の臆面もなくこんなレコードを作ったな、という軽い嫌悪感を覚えながらも、
ジャズテットの聴いたことのない音源となると飛びついてしまう。 いくらカッコつけて能書きを垂れても、本能が逆らうことを許さない。
なぜなら、ジャズテットは最高だから。

ゴルソン、ファーマー、フラーによるゴルソン・ハーモニーに包まれたサウンドがとにかく素晴らしい。 そして、アート・ファーマーが最高の名演を聴かせる。
極めつけはデジタル録音が優良で、演奏の良さを最良の形で再現してくれる。 ハードバップは死んでないじゃないか、と思う。
結局のところ、ハードバップはそれ自体が消費されて内部崩壊的に廃れていったのではなく、時代がより刺激的な他のものに目移りしているうちにただ単に
忘れられただけだったのかもしれない。 ここで聴かれる音楽には他のジャズにはない風格みたいなものがあって、そんなことを考えさせられる。

50~60年代の演奏よりもはるかに洗練されていて、ずっとマイルドで、ハーモニーにも深みがあって、音楽的にはより進化しているような感じすらある。
音楽家としての経験をよりたくさん積んだメンバーが再度集まって演奏する音楽からは、以前とは違う声が聴こえてくるような気がする。

最後に置かれた "Park Avenue Petite" では、ファーマーのバラード・プレイの極致が聴ける。 いくら人前で褒めるのは恥ずかしくても、これは傑作である。


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3ケタのオリジナルたち

2018年02月07日 | Jazz LP (安レコ)



先週拾った安レコたち。 左上から順に、800円、350円、650円。 なんだか不憫で、泣けてくる。

ジャズテットの黄色のヤツは再結成して来日した際に録音された日本オリジナルで、他国ではプレスされていない。 
こんなレコードがあるなんて知らなかったけど、中古CD市場の方では廃盤として高値が付くらしい。

ESPのパウエルは以前から気になっていた1枚。 試聴したら音質が思いのほか良かったので、慌てて購入。
エアチェックか何かなのかと思ってたけど、ちゃんとマスターテープの音だった。

しかし、どれも安いなあ、立派なオリジナルなのに。 
こんなのばかり漁っていると、2~3,000円のレコードが「ちょっと高いな」とか思うようになる。



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ダニー・ボーイを聴くために

2018年02月04日 | Jazz LP (Verve)

Ben Webster / The Consummate Artistry Of Ben Webster  ( 米 Norgran MGN 1001 )


エリントン楽団の最初のテナーサックス・スターはベン・ウェブスターだったが、彼のプレイは同世代の人たちと同様、バラードは絶品だけどアップテンポの
演奏は下品なブローで聴くに堪えないという評価が一般的で、まあそうだよな、と思う。 この世代のこの分野の人たちはみんなビッグ・バンドが主戦場
だったから、大勢の演奏の中で目立つにはそういう吹き方をせざるを得なかっただけで、やがてそれが自身のスタイルとして定着したということなんだろうけど、
レコードを聴く側からすればそんなの聴く気にはなれないよ、ということになる。

ただ、吹き方の話しだけではなく、彼らの演奏する音楽自体、どれも皆似たような古風なスタイルで退屈だという問題もある。 ビッグ・バンドでの生活は
毎日毎晩同じ曲を同じように演奏し続ける。 決められた枠からはみ出すのはNGで、定型を維持することが最重要ミッションになる。 そんな生活を長年
やっていると自身の音楽性は固定されて時代の流れからは完全に取り残されるし、音楽を発展させていくという発想そのものがなくなる。 だから、ソロで
仕事をやる際も、結局はビッグ・バンドでやっている音楽の縮小版みたいな音楽しかできなくなる。 安定した収入と生活の代償は大きかった。

エリントンはパーカーやマイルスにも自身のオーケストラに加わらないかと声をかけている。 でも、パーカーは法外なギャラを要求し(もちろんドラッグを
買うために)、マイルスはその頃心血を注いでいた "クールの誕生" に専念したい、ということでどちらも破談になっているけれど、2人の本音は毎晩毎晩
同じ演奏をし続けるような生活や生き方は自分にはとうてい出来っこない、というものだった。

ベン・ウェブスターがエリントン楽団にいた時期は比較的短く、1943年には退団してその後はフリーで活動したこともあり、残されたレコードにはそういう
ビッグ・バンド的停滞からは何とか逃れているものが多いように思う。 ノーグランに残したこの演奏も、アップテンポの曲でもブローは抑えてサブトーンを
効かせたマイルドなプレイでうまく乗り切っていて、捨て曲のないとてもいい仕上がりになっている。

そして、ここには "Danny Boy" の決定的名演が最後に置かれている。 まるで優しく歌われる子守歌を聴いているような演奏で、これは忘れ難い。
最後にこの演奏を聴くためだけに、私はこのレコードを頭からかける。 そして、早くダニー・ボーイが来ないかな、と想いながらその時を待つのだ。


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国境の南、太陽の西

2018年02月03日 | Jazz LP (Columbia)

Duke Ellington and The Orchestra / Such Sweet Thumder  ( 米 Columbia CL-1033 )


1956年にカナダのオンタリオで行われた "シェークスピア・フェスティバル" のためにビリー・ストレイホーンがメインとなって書き下ろした組曲で、これは
なかなかの大作である。 楽曲の1つずつがシェークスピアの各戯曲に対応するという凝った構成で、欲しいもののところへは決して直接行くことはなく、
ただその周りをぐるぐると遠巻きに回ってばかり、というシェークスピア戯曲の特性が割と上手く音楽として表現されているんじゃないだろうか。
戯曲を読んでいて感じるじれったくもどかしい感じがよく出ていると思う。

そういう楽曲群の中で最も白眉なのが "Star-Crossed Lovers" で、"ロミオとジュリエット" をモチーフとしたこの曲は「星の巡り合わせが悪い恋人達」
という名前を与えられている。 ジュリエット役のジョニー・ホッジスが切々と謳うエリントン楽団屈指のこのバラードに強いインスピレーションを受けた
村上春樹は、それだけで1冊の小説を書き上げてしまう。 星の巡り合わせが悪いとしか言いようのない人間模様が描かれたその小説は発売当時は
「安っぽいハーレクイン・ロマンス」と評論家からはこき下ろされていたのをよく憶えている。 でも、私はあの小説が好きだった。
高名な作家に小説を1冊書かせてしまうほどの力を持った音楽がここには収録されている。

戯曲から音楽を起こすという手法を採っているので通常のスイングするジャズではなく、情景描写を主眼とした音楽になっている。 エリントン楽団には
こうした特定のテーマを持つ組曲がいくつかあって、どれもいい出来に仕上がっているのが凄い。 スモール・コンボでもいいから、もっと多くのグループが
これらの組曲を演奏すればいいのにと思うのだが、全然見かけない。 畏れ多くて手が出せない、ということなのかもしれないけれど、これだけ優れた
楽曲群なのに勿体ないじゃないかと思う。 エリントンの組曲を現代語法でリライトしてわかりやすく聴かせるような才能に出てきて欲しいと思うけれど、
そういうことができそうな知性は現代ジャズの中に存在するのだろうか?


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