廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

疲れていても、金曜日の夜は安レコ

2019年05月29日 | Jazz LP (安レコ)



先週金曜日に拾った安レコ。 疲れていたけど、レコ屋に行くと疲れはどこかへ消えるなあ。

リヴァーサイドは2,000円、あとは3ケタ(800円、500円)。

トニー・スコットは意外な拾い物だった。 いずれ、個別に取り上げる。

トニー・ベネットのこのマルーン・フラット、昔は10,000円じゃ買えなかった。 この凋落振りはどうだろう。


今はブルーノートがブームだから値段が高騰して、という話をよく聞く。

でも、その一方で優れた内容のレコードが同時並行して安レコ化しているのを見ていると、

ジャズという音楽を巡る状況は、リスナーの鑑賞力も含めて、全てが衰退していっているのかもしれないと思うことがある。

定番ブランドしか嗜好できない感度の悪さというか、想像力の無さというか。


正常化する日は来るのだろうか?



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割り切れない個性

2019年05月26日 | Jazz LP

Elmo Hope / Here's Hope!  ( 米 Celebrity CEL-209 )


エルモ・ホープは不遇のピアニストの代表格のように言われることが多く、判官贔屓気質の日本人には気の毒さが先に立って悪く言われることがない。
レコードはそこそこ残っているし、そのうちの半分くらいは入手も容易である。 幻のピアニストということでもないし、稀少盤と騒がれるものも
特にないだろう。 3大レーベルそれぞれに作品があり、その他マイナーレーベルにも点々と足跡はあるから、客観的に見ればまずまずだったのでは
ないだろうか。

彼が活動していた当時は「いい曲を書くがピアノの腕がよくない」というのが仲間内での評価だったらしいが、これはかなり的確な指摘だ。
このアルバムで聴けるのはすべて彼の自作だがどれも工夫が効いていて、なかなかいい。 "Hot Sauce"、"De-Dah"、"Stars Over Marakesh"など、
印象に残る楽曲は多い。 そういう意味では、セロニアス・モンクなんかと同じタイプだったのかもしれない。 モンクほどの強烈なインパクトはない
けれど、自身は自作曲を中心に録音していた。 ただ、他のミュージシャンが取り上げてくれなかったせいで、世に広まることがなかった。

ピアノの演奏は全体的に荒い印象だ。 こういうのは独学で習得した人によく見られる傾向だが、もしかしたら彼もそうだったのかもしれない。
長いフレーズを弾くのが苦手なようで、コードを叩きつけてお茶を濁すようなところが気になる。 そういう弾き方だから、この人のピアノを味わう
ところまではなかなかいけない。 61年録音にも関わらずバップ風の演奏をしていて、当時の人の眼にはかなり時代遅れに映っただろう。
この時代にこういう演奏をしていたのだとすれば、共演の申し出はおそらくほとんどなかったはずで、彼が表舞台で評価されることなく終わったのは
まあしかたないなと思う。

ただ、現代の我々からすれば同時代にマッチしているかどうかなんて関係ないわけで、単純にハードバップのピアノトリオとして楽しめばそれでいい。
旧友のチェンバースやフィリー・ジョーがバックを務めるという豪華な布陣で演奏されたありふれたスタンダードではないユニークな楽曲が吹き込まれた
これ以上はないくらいドマイナー・レーベルのレコードを聴く、というある意味ジャズ観賞の究極の姿のような楽しみに浸れる。 ドマイナー・レーベルの
割には音質はまずまずの仕上がりだし、フィリー・ジョーが結構キレた感じのドラムを叩く、ありふれたピアノ・トリオとは一味違う内容になっている。

後期バド・パウエルとハービー・ニコルズを足して2で割らずに3で割ったような印象のピアノに作曲能力という付加価値がついた独特のピアノのジャズ
として、不思議と印象が残る。 単なるその他大勢のマイナー・ピアニストたちとは根本的に格の違いがあるのは間違いない。

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自主レーベルにかけた想い

2019年05月25日 | Jazz LP

Charles Mingus / Mingus At Monterey  ( 米 Charles Mingus JWS 001 002 )


デューク・エリントンを敬愛するミュージシャンは多いけれど、ここまで溺愛した人も珍しい。 2枚組LPの半分近くをエリントン・メドレーに費やす
心酔ぶりだが、これがとてもいい演奏だ。 ラージ・アンサンブルの良さを生かしながらもシンプルでスッキリと整理されたサウンドで、混沌とした
ところもなく、エリントン楽曲の中から数滴しか抽出できないエッセンスを丹念にかき集めたような音楽になっているのはさすがだ。 ジャッキー・
バイアードのピアノのリリカルで澄んだ音が印象的だし、管楽器のソロも素晴らしい。

このバンドは日本ではロクに相手にもされないミュージシャンたちで構成されているけれど、どのプレーヤーも演奏は高度でしっかりとしていて、
その集合体としてのアンサンブルの力は凄まじい。 この素晴らしさを先入観なくありのまま受け取ることができるかどうかで、音楽の楽しみ方は
ずいぶんと変わってくるのだろう。 それによって、レコードの買い方も変わってくる。 

エリントン・メドレーが終わると、ミンガス作曲の楽曲へと移行する。 幻想的な "Orange Was The Colour Of Her Dress, Then Blue Silk" を挟んで、
クライマックスの "Meditations On Integration" へと一気に駆け上がっていく。 祝祭的な喧騒の中にも制御された構成があり、ライヴならではの
感情の高ぶりが美しく記録されている。

ミンガスの演っていた音楽は「ミンガス・ミュージック」という一言で片づけられて、それは何か非常に特殊で固有種であるかのようなニュアンスをもって
語られることが多く、そのせいで一体どれだけ多くの人がミンガスを敬遠しているのだろうと憂慮してしまう。 通常のスタンダードを取り上げず、
エリントンと自作にこだわり続けたせいでそういう言い方をされてしまうだけなのであって、変な固定観念を持つ必要はどこにもない。 彼にとっての
スタンダードはあくまでエリントンだった。 ミンガスのジャズは極めてオーセンティックなものであり、その関わり方が積極的で主体的だったという
だけのことだろう。 このライヴなんかも、もっと聴かれるべき素晴らしい作品だ。

既存のレコード産業の在り方が不満で、自主レーベルを立上げて通信販売のみでスタートさせるというところにもこの人の音楽への関わり方がよく表れて
いると思う。 とにかく生真面目で真剣に音楽と共に生きた人だったのだ。 愛すべき人だったのだと思う。

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ボチボチ拾う

2019年05月22日 | Jazz LP (Pacific Jazz / World Pacific)


ボチボチ拾っている、The Mastersounds。 DUだと、800~1,080円くらい。 私もこれ以上は出す気はない。

「いざ、探さん」となるとすぐには見つからないけど、気長に行こう。

出てるかな?と思いながらフラッと寄って、エサ箱をごそごそ。

空振りも多いけど、それもまた楽し。 レコード屋に居ること自体が楽しいんだな。


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圧巻の演奏とは裏腹に

2019年05月19日 | Jazz LP (Imperial)

Sonny Criss / Jazz - U.S.A.  ( 米 Imperial LP 9006 )


最初の1曲目から最後の曲までのどこを切り取ってもソニー・クリスが吹きまくっている、まさに金太郎飴のようなアルバム。 インペリアルには3枚の
アルバムを残したけれど、すべてが同じ作りになっている。 ワンホーンでスタンダードを短く吹き流す。 ヴィブラフォンが入っていたり、ギターが
入っていたりとアルバム毎にバックの構成の違いはあるけれど、本質的な違いはない。

ほとんどのフレーズを同じ音量でフラットに吹いていくので、そこには陰影美のようなものは感じられない。 音色は濁りのないクリアできれいな音で、
音圧も高いのでこのアルトのプレイには圧倒される。 強い顎の力や大きな肺活量がなければこうは吹けないだろうし、何より淀みなく流れるフレーズが
技術力の極みを証明している。 こんなになめらかに吹き続けられる人は他にはあまり思い付かないのではないだろうか。

ただ、そこにはパーカーやゲッツのような新しくて美しいメロディーの創造はない。 手クセ・口グセの断片をひたすら積み上げていくスタイルで、これが
音楽の金太郎飴化現象を引き起こす。 それをフラットな音量で吹き続けるので、その印象は増々強くなる。 素晴らしい演奏なのは間違いないけれど、
アルバムのすべてを聴き通す前に猛烈な満腹感がやってくる。 レコードなら片面の再生が終われば音楽は自動的に鳴り止むが、CDや配信だと再生を止める
タイミングが難しそうだなと思う。

この人の場合はそういう個性のアルトだから、2管編成くらいのほうがいい。 その時の相手は饒舌なタイプではなく、できれば口数の少ない人がいい。
そうすることで彼の素晴らしさは相対化されて、より輝くことになっただろう。 ただ、本人的にはそういうことには興味が無かったようで、その後も
似たようなアルバムが続くことになる。 全体の中でもう少しアルバムの作り方に変化があったら、もっとよかったのになと思う。

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音色の美しさで仕上げられた傑作

2019年05月18日 | Jazz LP (Bethlehem)

Charlie Mariano / Charlie Mariano  ( 米 Bethlehem BCP 25 )


チャーリー・マリアーノが32歳の時に吹きこんだワンホーンの傑作。 聴いていると、やはり白人アルトというのは黒人アルトとは全然違うなと思う。

何よりも魅力的なのはその音色で、ちょうどフィル・ウッズとアート・ペッパーの間のような感じだ。 きらびやかで艶やかな輝きがありながらも彫りの
深い陰影感で聴かせるところが特徴で、ウッズとペッパーのいいところを併せ持ったようなところが珍しい。 アドリブ・ラインは弱くプレイそのものも
たどたどしいところがあり、演奏力で圧倒されることはないけれど、その弱点を音色の彩で大きくカヴァーしている。

黒人アルト奏者はこういう建付けを好まない。彼らは自己表現のために何よりも楽器の習熟を最優先にするし、自身のプレイに自分のすべてを委ねようと
するけど、白人アルト奏者は全体と個を相対化して見ているようなところがある。 調和を乱すような行き過ぎたアドリブは取らないし、音の大きさよりも
サックスの音色が音楽とうまく溶け合っているかにも随分気を配っているような感じがある。

マリアーノもただ吹きまくればいいんだという演奏はせず、全体をリードしながらも最終的には音色の美しさで音楽を仕上げてみせる。 このあたりは
同時期のソニー・クリスなんかと比較してみれば、その違いは明白だろうと思う。 ソニー・クリスはその音色も十分美しいけれど、あくまでもアルトの
プレイそのもので音楽を構築している。 だから、マリアーノのこのアルバムを聴いてもちょっと喰い足りないな、もっと聴きたいな、という腹八分な
印象が残るけれど、ソニー・クリスやソニー・スティットのアルバムは聴いている途中で満腹感が襲ってくることになる。 

こういう音色の陰影美で聴かせる人は多管編成よりもワンホーンがいい。 若い頃のフル・ワンホーンはこれしかなく、人気があるのもよくわかる。
スタンダードをメインに美しく仕上げたところが素晴らしい。

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紛らわしいジャケットだけど

2019年05月12日 | jazz LP (Atlantic)

Sonny Stitt / Stitt Plays Bird  ( 米 Atlantic 1418 )


コルトレーンのレコードも随分安くなったんだなあ、と手に取ってよく見たらソニー・スティットのレコードだった。 紛らわしいジャケットだ。
アルトのワンホーンでパーカー集を作っているというのは何となく知ってはいたけれど、これのことだったんだなと今更ながらに納得した。

聴けば聴く程パーカーには似ておらず、この手の話はもういいんじゃないかと思う。 この逸話がスティットの実像への理解をどれほど邪魔してきたか。
作品数がとにかく多くてとても全部には手が回らないし、プレス枚数も多くて中古も豊富に出回っているから大体がいつも後回しにされる。 本来であれば
日本のコアなジャズマニアが積極的に聴いて評価していくべきなんだろうけど、レコードが簡単に手に入る人というのはどうも有難がられない。

50年代初頭からこの64年の録音に至るまで、スティットという人は基本的には何も変わっていない。 テナーやバリトンも頻繁に吹くけれど、主軸はやはり
アルトで、それが一番魅力的に聴こえる。 快活で明るく、適度なキレとスピード感があり、何でも吹ける。 このアルバムも何のギミックもなく、ただ
ひたすらパーカー・ブルースを吹いている。 テナーと持ち替えしているアルバムが多い中で、このようにアルト1本で通しているものは少なく、そういう
意味では彼の持ち味が一番シンプルに堪能できるとてもいいアルバムだと思う。 ジェイ・マクシャンの "Hootie Blues" なんてシブい選曲もイケてる。

バックの演奏も良く、リチャード・デイヴィスの重たいベース、時折登場するジム・ホールのいつものいぶし銀的ソロが聴けるのも嬉しい。 録音も良くて、
気持ち良く最後まで聴くことができる。 ジャケットで損をしているような気がするけど、きっとこれからもふっと聴きたくなる類いのアルバムだろう。


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今では美しく聴こえる歌声

2019年05月11日 | Jazz LP (Verve)

Billie Holiday / Solitude  ( 米 Clef MG C-690 )


気が付くと、いつの間にかビリー・ホリデイのレコードが棚の中で増えている。 特に意識して探しているわけではないのだけれど、数が減っていない
ところを見ると、自分で自覚している以上に彼女の歌が好きなのかもしれない。 

若い頃から彼女のレコードは聴いていたけれど、正直に言うと好きだから聴いていたのではなく、有名な歌手だから聴かなきゃいけないというバカげた
理由からで、美声とは程遠いひしゃげた線の細い歌声を我慢しながら聴いていた。 でも、ある時期を境に、他の歌手とは何かが違うと思えるようになり、
昔はダミ声にしか聴こえなかった彼女の声質も、今では美しいと感じる瞬間が幾度も訪れるようになっている。

"奇妙な果実" のせいで面倒なイメージが付いてしまったが、そこから離れた彼女は朗らかで無邪気ささえ感じることがある。 歌い方やフレーズまわしは
かなりワンパターンで、そういう意味では表情の変化には乏しいし、声量もないし帯域も狭くて、普通に考えれば歌手としての資質には欠けているんじゃ
ないかとすら思えるのに、心に残る印象は誰にも負けないのだから歌というのはつくづく不思議なものだと思う。 技量のかさだけでは測れない。

このアルバムは52年頃の古い録音がメインなので音場感はそれなりの感じだが、当時スタン・ゲッツも好んで演奏していた"You Turned The Tables On Me"
などが聴けるのが嬉しい内容だ。  彼女は非常にたくさんのスタンダードを録音していて、当時の一流の歌手はおそらく歌えない歌はない、という感じ
だったんだろうと思う。 そうでなければステージには立たせてもらえなかったんじゃないだろうか。 エラやサラも大体似たようなレパートリーを
当然録音しているけれど、みんながそれぞれ違う歌を歌っているようで、そこが面白い。


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ドン・バイアスの子守唄のような演奏

2019年05月06日 | Jazz LP (Savoy)

Don Byas / Tenor Sax Solos  ( 米 Savoy MG 9007 )


1946年、渡仏直前にサンフォード・ゴールド、マックス・ローチらと吹き込んだSP録音をLPへ切り直したもので、アルバムとしてのコンセプトなどはなく、
ドン・バイアスのバラード・プレイをただ堪能するレコード。 パーカーがビ・バップを始めた頃とは言え、まだまだジャズは難しいことを考える必要の
ない、ある意味では幸せな時代でこれはこれで十分だった。 

このサヴォイ・セッションのすぐ後にドン・レッドマンのビッグ・バンドの一員として欧州ツアーに出かけ、そのままパリに居を構えてアメリカには戻る
ことなく、72年にオランダで亡くなっている。 黒人が生きづらかったアメリカにさっさと見切りをつけたわけだが、それにしてもずいぶんと早い
決断だったものだ。 その代償としてアメリカのレーベルで50年代に新録のアルバムを作ることなく生涯を終えた珍しいジャズ・ミュージシャンで、
フランスで録音された音源が少し逆輸入されてポツポツと10インチが残っている程度だから、当然認知度は低いままだし、実像もよくわからない。

ベン・ウェブスターと同系統のバラード系だけど、ベンよりも更に深く暗い音色でゆったりと吹く人で、そこに少しゴルソンのようなうねり感が混ざる。
そういう強烈な個性があったので、アメリカで活動していればそれなりにレコードはたくさん残っていただろうし、名盤として後世に残る作品もきっと
作れたはずだから、何とも残念なことだ。 当時のアメリカに人種差別とドラッグが無ければ、ジャズという音楽はもっとマーケット規模の大きな音楽に
なっていたのに、と嘆かざるを得ない。 ローランド・カークのように「ドン・バイアス命」を公言するフォロアーももっとたくさん生まれただろう。

LP化にあたってはヴァン・ゲルダーは関与しておらず、元の音源をあまりいじらずにトランスファーしているようだけど、音質は極めて良好だ。
アドリブは少なく、メロディーをそのまま吹き流しているだけの短い演奏で、何とも素直でおだやかで子守唱のような心地いい音楽。 こういうのを
聴いていると面倒臭い日々のあれやこれやが何だかすべてもうどうでもいいや、という気分になる。 当時の人もそうだったんじゃないだろうか。 
その頃の音楽に求められていたのは、きっとこういう効能だったんだろうと思う。 

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寂し気な音楽

2019年05月05日 | Jazz LP (Prestige)

Bobby Timmons / Little Barefoot Soul  ( 米 Prestige PR 7335 )


4カ月振りにHMV新宿に行ったら、ジャズの売り場面積が半分に縮小されて、在庫も1/3くらいになっていた。 新着品もすべて3ケタの国内盤ばかり。
フロア全体の大きさは変わっていないので、その分別ジャンルが広くなったようだ。 予想はしていたとは言え、やはり目の当たりにするといささか
ショックである。 ここは遅かれ早かれ、ジャズからは撤退するのかもしれない。

ユニオンなんかを見ていても、やはり1番の稼ぎ頭はロックなんだろうと思う。 私のロックに関する知識は大学時代で完全に止まっているから、90年代
以降のシーンの状況などさっぱりわかっていないけれど、ロックの廃盤セールで幅を利かせているのはやっぱりビートルズを筆頭に60~80年代の黄金期の
もののような印象を受ける。 おなじみのメジャーアーティストでも帯付き国内盤にそこそこの値段が付いていてビックリさせられるけど、プレスされた
枚数がジャズなんかとはケタが違うからレコードそのものの稀少度では競えず、マトリクスやプロモや帯というところで差別化を図っているみたいで、
これはこれでものすごく大変なんだろうと思う。

ジャズの廃盤セールに群がっているのは、そのほとんどが50~60代だ。 40代の人もいるだろうけど、数は少ない。 街のレコード屋でレコードを
買って聴いていた最後の世代だから当然この世代が中心になるだろうけど、彼らも数年後には年収が目に見えて下がり始めて、10年後には年金受給者
になる。 昨今のユニオンの廃盤セールの狂乱振りだけを見ていると感覚が麻痺してしまうけれど、それ以外のところではジワジワと先細りし始めて
いるのを肌身で感じる。 

高額盤の何割かは外国人(特にアジア系)が買っている。 彼らの買い方はいわゆるブランド買い。 ブランド品ならなんでもいい。 アジア人が新宿で
壁に掛かっている6ケタ前後のブルーノートをすべて剥がして買っていくのを見た時には唖然としてしまった。 また、Jazz Tokyoなんかは特定の客には
店頭には出さずに直接売ったりもしている。 そういう客には高額盤でもセルフ試聴を許していて、まあやりたい放題だ。 平常時に私が安レコを
セルフ試聴している横で、その客は通常のプライスタグに6~8万円の値段が印字されたプレスティッジのレコードを10枚くらい束で持って試聴して、
根こそぎ買っていく。 ユニオンも上客を繋ぎ止めるためには手段を選ばないようだけど、この手のお得意さんの数も徐々に減っていくだろうし、
老舗専門店のご主人によると外国人の爆買いも年々減ってきているとのことだ。 この先どうなっていくか、愉しみ半分、心配半分だ。


連休にも関わらず客のいないガランとして縮小したHMVのジャズコーナーで拾ったボビー・ティモンズ。 リヴァーサイドのイメージが強いけれど、
プレスティッジ後期にもアルバムが残っている。 リヴァーサイド諸作はスタンダードを無難に弾いただけでどれも印象が薄いが、プレスティッジの
ほうは選曲や演奏がもっと黒っぽく、音楽がくっきりとしていて印象に残る。 ただ、どことなく寂し気な音楽だ。 特にセールスを期待していわけ
でもないだろうし、聴きたい人だけに聴いてもらえればそれいいよ、という雰囲気があって何だか切ない内容だった。 

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2度目の欧州ツアーは大喝采の中で

2019年05月04日 | Jazz LP (Riverside)

Thelonious MMonk / Two Hours With Thelonious ~ European Concerts By Thelonious Monk  ( 米 Riverside RM 460/461 )


1961年の春、モンクはレギュラーグループを引き連れてジョージ・ウェインが主催した2度目の欧州ツアーに出かけた。 この時期、欧州ではモンクは
巨匠としての評価が確立していて、各国でのコンサートは熱狂をもって迎えられた。 およそ1ヵ月の滞在で、そのうちのミラノとパリでの公演の一部が
ここには収録されている。 

お馴染みのモンク・レパートリーが並び、チャーリー・ラウズが口火を切り、モンク、ダンロップ、オアらが順番にソロを取り、最後はまたラウズに戻って
曲が終わる。 観客の大喝采を受けていたし、ミラノではこの都市最古のオペラハウスが用意され、オフの時間はリムジンや一流ホテル、高級な食事が
あてがわれる歓待を受けて、モンク・カルテットは絶好調の演奏をしている。 特に目立つのはラウズの傑出した演奏で、中庸でいながらモンクの曲想を
上手く表現するフレーズを自由に操る様子は圧巻だ。 完全にモンクの音楽に溶け込んでいて、もはや不可分の状態になっている。 ドラムのフランキー・
ダンロップはモンクに鍛えられて育った人で、素晴らしいリズム感で曲をドライヴしている。

モンクのピアノも朗らかで打鍵も強く、キレのいいスピード感があって、とても調子が良かったようだ。 このカルテットの演奏は古いジャズを基盤にして
作曲されたモンクの曲を非常にモダンで抽象的て多層化した音楽へと昇華しており、成熟した独特な感じは筆舌に尽くし難いものがる。 ライヴという
こともあって、弾けるような張りの良さとグループとしての強固な纏まり感も際立っていて、あまりの見事さに言葉を失ってしまう。 凄い演奏だ。
この時のツアーを見た現地の評論家が「これまでで最高の体験だった」と語っているけれど、これは社交辞令ではなかったんだろうと思う。

当時、リヴァーサイドの財政状況の悪化は深刻な状態で、倒産への坂道を転がり始めていた。 アメリカ国内でのレコード販売数が伸び悩んでいたため、
欧州フォンタナ社とライセンス契約を結び、他社よりも積極的に欧州販売を進めようとしていた。 この時もロンドンにいたビル・グロウアーが急遽
ミラノへやってきて、当初は予定になかったこの公演の録音をすることにしたらしい。 リヴァーサイドは2重帳簿を作って粉飾決算を繰り返していて、
モンクへの報酬の支払いもごまかしていた。 そのせいでモンクとキープニューズの関係は破たんしていて、モンクの代理人は新たなレーベルとの
契約に向けて動き出していた。 そういうゴタゴタした時期だったということが信じられない、とても素晴らしい演奏が収められている。

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心地好い衝撃、新たな探し物

2019年05月03日 | Jazz LP (Pacific Jazz / World Pacific)

The Mastersounds / In Concert  ( 米 World Pacific Records WP-1269 )


The Mastersounds というグループ名を聞いてメンバーをそらで言える人は果たしてどれほどいるだろう。 ましてや、そのアルバムを聴いたことがある
という人は? でも、中古レコード漁りをしている人の大半は彼らのレコードを見ているはずで、たいていの場合、それらは捨て値同然の値段でエサ箱の
隅っこで埃をかぶっている。 その姿はまるで誰か拾ってくれる人がやってこないかと目を閉じて静かに待っている捨て猫を想わせる。

聴かれた形跡のないきれいな盤から流れてきた音楽は信じられないほど洗練された初めての感触だった。 それはヴィブラフォン+ピアノトリオという
ありふれた編成だったが、流れてくる音楽はこれまでは聴いたことがない新鮮な感覚で溢れていた。 ベーシストのモンク・モンゴメリーはフェンダーの
エレクトリック・ベースを弾いている。 だから、サウンド全体が普通のジャズ・コンボよりも新しい。 そして、バディ・モンゴメリーのヴィブラフォンは
幻想的な光のカーテンが大きく揺れているように音が大きく外へと拡がっていく。 これには心地よい衝撃を受けた。

彼らのレコードはよく見かけるが、購買意欲のまったく湧かない装丁で手にすることすらせずに来てしまった。 これは探さなければいけない。
最近はこういうパターンが多い。 見ているようで、結局は何も見ていなかったというパターンである。 こうして探すレコードは減るどころか、
ますます増えていく。 愉しみが増えたということなので別に悪いことではないけれど、安レコ漁りもそれなりに深い沼だということである。
こういうのはリストアップされることもないから、足を使って探すしかない。 尤も、面倒くさいなあと思う反面、顔はにやけているかもしれない。
残った連休でどれだけ探せるかわからないけど、頑張って一巡してみるか。

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リヴァーサイド傍系レーベルの謎 2

2019年05月02日 | Jazz LP (Riverside)

Frank Strozier / Long Night  ( 米 Jazzland JLP 56 )


リヴァーサイド傍系レーベルの中では最も太い支流であるJazzlandレーベルは、次世代の若手や新しい感覚の音楽の受け皿として用意されたようだが、
実際はアバウトなラインナップになっていて、本流との境界線は曖昧。 今の感覚で見ると、レーベルを分ける必然性は感じられない。 本流の再発も
出したりするものだからリヴァーサイドの廉価レーベルのようなイメージが付いたりして何となく虐げられてしまっているけど、内容の優れたものが結構
残っていて無視できない。

実力の割になぜか評価されないフランク・ストロージャーが初々しい傑作を残したのもこのレーベルだった。 フィル・ウッズ直系の都会的なアルトが眩い
光を放っていて、これは圧巻の内容だ。 ブラインドで聴けばおそらく全員がフィル・ウッズと答えるはず。 またこのタイトルは録音が際立って良く、
最高の音質で鳴る。 ゆったりとしたバラード調の曲が多く、都会の夜を想わせるしっとりとした大人のジャズになっていて、どこを切っても満点の内容
であるにもかかわらず、暗いジャケットデザインと地味なメンバーのせいで名盤の選から漏れてしまった不幸なアルバムだ。 

そんなわけで私はこのレーベルが結構好きなのだが、面倒なことに本流と同様に橙大レーベルと橙小レーベルの2種類あって、どちらが初出なの?という
疑問が付いてまわる。 更にやっかいなことに、タイトルによってはどちらか1種類しかなかったり溝の有り無しが絡んだりして、仕様の不統一さは本流
以上に混迷していて、そこには規則性のようなものも見られない。

このストロージャーのアルバムは大小の2種類があって、どちらが初出なのかはわからない。 写真の大レーベルの方が数は少ないような気がするけれど、
音質はどちらもあまり違いがないような気がする。 好きなレコードだから白黒はっきりさせたいけれど、こういう小さい支流になるとわざわざ踏み分け
入って釣り糸を垂れる人も少ないから、情報も見当たらない。 カギは本流側の基準にあるんだろうけど、それ自体が不明確だからお手上げなのである。


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最もハードルの低いアルバムの1つ

2019年05月01日 | Jazz LP (Roulette)

Phineas Newborn Jr. / Piano Portraits By Phineas Newborn  ( 米 Roulette R 52031 )


最近のヘビロテNo.2はこのアルバム。 フィニアスのアルバムと言えばもっと凄みのあるものが他にあるが、芸術性の追求は一旦忘れてリラックスして
音楽を愉しむために作られた力量の絶妙なさじ加減にハマっている。 平凡な例えで言うと、フェラーリを時速80キロくらいで街中をゆったりと優雅に
流しているような感じ(実際に乗せてもらったことがある)、というのが体感的には1番近い。 まったくビクともしない剛性感がそっくりなのだ。

自分でもコントロールしきれずに自らが食い破られてしまった底の見えない才能の片鱗はここでも隠しようがないほど溢れ出ているけれど、それでも彼の
アルバムの中では最も「普通の」ピアノトリオ作品に寄っているものの1つかもしれない。 丹念に時間をかけて磨かれたような指紋ひとつ付いていない
クリアな音が、粒立ちよく歯切れよく一切ブレることのないリズム感に乗って流れて行く。 彼のピアノはジャズピアニストの匂いは希薄で、どちらかと
言えばリヒテルやギレリスなんかの方が感覚的には近い。 だから普通のジャズファンからはその実力は認められながらもどうにも近寄りがたい雰囲気が
煙たがられて一般的人気があるとは言い難い状況で、それは彼が活動していた当時も似たような感じだったらしい。 だからこういうクセのない作品も
作る必要がきっとあったのだろう。

これだけ雄弁で情報量の多いピアノであれば、そもそもベースやドラムは必要ないんじゃないかと思うけれど、トリオの纏まりは一糸乱れることもなく
素晴らしい一体感で進んで行く。 それでも、どんなに見かけ上は普通にスタンダードを演奏しているピアノトリオであっても、フィニアスのピアノが
放つ狂気を孕んだ妖気のようなものが全編に漂っていて、無意識的に、無自覚的に、聴いている人を不安な気持ちに陥れる。 その不安とうまく共存
できる人だけが彼の音楽を愉しめるわけで、最も低いハードルの1つとしてこれは日常的に愛聴できる。


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