廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

1人で静かに聴きたいレコード

2019年07月28日 | Jazz LP (Storyville)

Vic Dickenson / Vic's Boston Story  ( 米 Storyville STLP 920 )


私の知っている範囲ではヴィック・ディッケンソンの最もモダンに寄った演奏で、中間派の独特な雰囲気からは唯一解放された珍しい作品。
ヴァンガードの作品はどれも超一級品だと思うけれど、そんなに熱心に追いかけて聴いているわけではないので、実際はどうなのかはよくわからない。

中間派はニュー・オーリンズ・ジャズやスイング・ジャズの嫡子としてその血統の優位性には誰も口出しできないけれど、その頑なな純潔さ故に
発展することなく、ある時点で時がピタリと止まってしまったように見える。 究極の様式美を誇ったけれど、それは暗黙の閉鎖と排他によって
確立されたものだったように傍からは見える。 いくつかの中間派の作品にある種の窮屈さや息苦しさを感じる時に、そんなことを考える。

その点、このストーリーヴィルのアルバムはそういうものとは無縁の内容だ。 自由で開放された心地よさに溢れている。 トロンボーンはまるで
ディッケンソンの肉声のようだし、ここでは歌声も披露しているけれど、これもナチュラルでとてもいい。 こういう自然な雰囲気は、おそらくは
いつものセッションでのメンバーとは違うメンツでの演奏だからかもしれない。 ジョージ・ウェインがピアノを弾き、トロンボーンのワンホーンで
あるという構成も少なからず影響しているのだろう。 お決まりのヘッドアレンジが必要ないので、それだけでもまったく違う音楽に聴こえる。

ハード・バップのトロンボーン、例えばJ.J.ジョンソンなんかとは奏法そのものが違うので、そういう演奏に慣れた耳にはまるで別の楽器、例えば
フレンチ・ホルンやチューバのような、そういうものを聴いているような感じがする。 更に、"Yesterdays" や "In A Sentimental Mood" のような
モダンで取り上げられる楽曲も演奏していて、全体を通して聴いているとどのジャンルにも属さない不思議な音楽を聴いているような気分になる。
バックのピアノトリオも素朴で穏やかな表情を終始崩さず、ディッケンソンをしっかりと支えている。 ゆるいようでいて、よく纏まっている。

聴けば聴く程、他に似た事例を思い出せないようなある意味で究極の音楽。 採算よりクォリティーを優先したストーリーヴィルというレーベルだから
こそ作ることができた奇跡の1枚と言っていい。 「傑作だ」と騒ぎ立てたくはないタイプのレコード。 1人で静かに聴きたい。


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ジョージ・ウォーリントンの賢い買い方

2019年07月27日 | Jazz LP (Verve)

George Wallington / The Workshop Of The George Wallington Trio  ( 米 Norgran MG N-24 )


レコードの買い方にはいくつかパターンがあって、1つはあるアルバムが気に入ってそのアーティストのリーダー作を順番に買っていくパターン。
"Waltz For Debby" が好きになって、エヴァンスのレコードを片っ端から買っていくというやり方である。 もう1つは名盤100選や単発レビューを
頼りにランダムに買っていくパターン。 サキコロを買って、カインド・オブ・ブルーを買って、クール・ストラッティンを買って、というタイプ。
大抵の場合この2つはミックスされてグシャグシャな買い方になっていくけれど、大まかに言うとそういうパターンがある。

このジョージ・ウォーリントンのアルバムは、前者の買い方でしか決して引っ掛からないタイプのものだろう。 カフェ・ボヘミアのライヴ盤を知って、
ウォーリントン名義のアルバムを手繰っていく中で網に掛かってきて初めて聴くことになる人がほとんどのはず。 なぜなら、このアルバムが名盤と
して評価されたことはないからで、後者の買い方ではおそらく出会うことなく終わってしまう。 だからそうならないよう、ここに取り上げておく。

ウォーリントンのアルバムと言えばそのほとんどがコレクターズ・アイテム化していて、そういう切り口でしか語られることがない。 つまり、発売当時
ろくに売れなかったせいでレコードの数が少ないということだが、それに加えて彼のピアノそのものが評価されることはなく、せいぜいバンドの中の
管楽器奏者推しで話は終わってしまうの関の山だ。

でも、このアルバムを聴くと2管バンドでの彼のピアノとはまるで別人のような演奏に驚くことになる。 バド・パウエルのスタイルを消化した非常に
正統派のバップ系で、且つその上に清潔で上質なベールが掛かった個性があって、これが素晴らしい出来だ。 打鍵もしっかりとしているので音の
粒立ちが良く、ピアノが大きな音で鳴っている。 バラードで見せる透明感漂う抒情性は同時代の他のピアニストには見られない特質だし、アップ
テンポの曲での卓越したリズム感と途切れることのない長いフレージングは演奏力の高さを証明している。 冒頭の "Before Dawn" のピアノの音の
深みと響きがこのアルバムが別格の内容であることを保証してくれる。 古いノーグランの10インチの音は時代感漂うものだけど、それでもその凄みは
しっかりとわかるから、当時生で聴いた人たちはさぞかし驚いただろう。

彼のトリオ演奏は他レーベルでも聴けるが、例えばサヴォイのアルバムは内容が非常につまらないし音質も冴えなくて楽しめない。 この人の難しさは
そういうところにあって、作品全体に通底する何かが欠けている。 だからウォーリントンは前者のアプローチでは無駄な買い物をすることになる。 
よほどの裕福な人でない限り、ジョージ・ウォーリントンのアルバムは是々非々で選択するのがいい。

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未発表を掘り起こす意義

2019年07月21日 | Jazz LP (復刻盤)

Bill Evans / Live '66, Libe '80


ここのところ色々と忙しくて、このレコードたちのことをすっかり忘れていた。 世間でもまったく話題になっていないみたいだし、聴いている人は
少ないのかもしれない。 エヴァンスの場合は異例の復刻ラッシュが続いているから、聴き手側も有難みがなくなってきているのかもしれない。
ずいぶん贅沢な話だと思うけど。

私自身はこの2枚のアルバムを聴いて、3年前にレゾナンスが出した最初の掘り起こし盤以降続いている復刻ラッシュの中では最も優れた演奏だと思った。
特に66年のゴメス、リールとの演奏は、私たちが最も愛するリヴァーサイド時代のエヴァンスの雰囲気そっくりの演奏で、これは最高じゃないかと思う。

これらの掘り起こしで必ず陰口を叩かれる音質面は、ナローレンジ気味で音圧もさほど高くはないけれど、レゾナンスのような好き嫌いの分かれる
人為的な着色は施されておらず、とても自然なサウンドだと思う。 ピアノ、ベース、ブラシ、どれもが自然な音色で何のストレスも感じない。
どちらもテレビ放送用に収録された映像の音源をレコード化したものなので、元々オーディオ的な発想はないわけで、それに対して音質云々と言って
みたところでどうしようもないのだ。 掘り起こし盤というのはそういうものだ、と頭を切り替えて演奏を楽しむほうがいい。

しかし、これだけいろんな音源が掘り起こされてもなお、聴き応え感の尽きないビル・エヴァンスという人はどこまで深いのかと思う。 次々とリリース
される演奏を片っ端から聴いていっても、同じような演奏は1つとしてなく、それぞれに独立した感銘を受ける。 80年のライヴでの "Nardis" の解釈
の大きな拡がり方を見れば、彼の音楽には無限の可能性があるんだということがよくわかる。 ただ単にお馴染みの曲を手癖だけ弾き流していた人では
なかった。 深い憂いを帯びた抒情感も際立ち、どこを切ってもただただ素晴らしい。

ここまで掘り起こし盤を聴いてきて思うのは、ビル・エヴァンスというアーティストは正規リリースだけでは十分実像を伝えきれていないんだなあという
ことである。 特に60年代後半以降の正規盤は少し作り込まれたアルバムが多いせいで、素のエヴァンスからは少し乖離しているところがあることに
気が付くようになった。 そこをうまく補正してくれるのが現在リリースされている未発表群なのだ。 エヴァンスという人が好きならば、これらの
掘り起こしも聴いていくのがいいと思う。


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カッティングの違いを感じるアトランティックの10インチ

2019年07月20日 | jazz LP (Atlantic)

Barbara Carroll / S/T  ( 米 Atlantic LP-132 )


レコード漁りの醍醐味はパタパタとレコードをめくって探すことそのものにある。 その結果買うことになっても、それは副次的な産物かもしれない。
記憶の中に残っているのは買ったレコードのことよりも、店に行く途中に見た街の風景だったり、店から出て立ち寄った茶店でタバコを吸いながら
心地好い疲労感の中でぼんやりと考えたこととか、壁に掛かっている高額なレコードを指を咥えて眺めていたこととか、そういうことばかりだ。
買ったレコードのことより、買わなかったレコードのことの方をよく憶えていたりする。

このバーバラ・キャロルのレコードも、会計を済ませて店を出ようとした時に出口付近に無造作にダンボール箱が置かれているのに気が付いて、何気なく
その中をパタパタとめくっていたら出てきた。 それ以外にもボロボロ出てきて10枚くらい拾い上げるハメになり、再度カウンターに戻って検盤して、
その中の半分を追加で買うことになった。 そういう何てことはない行為そのものの方ががしっかりと記憶に刻まれている。

やはり、バーバラ・キャロルのピアノには他の人にはない何かを感じる。 それが何なのかを説明するのは難しいけれど、そこには確かに何かがある。
それを求めて彼女のレコードを聴くという孤独な作業を繰り返しているけれど、それはそもそも音楽を聴くということの原点でもある。
彼女のレコードは、どこか私にそういうことをさせる力を持っている。

アトランティックの10インチを買ったのはずいぶん久し振りのことだけど、一般的な12インチの黒ラベルのレコードたちと比べると音の鮮度が比較に
ならないくらい良い。 あのストレスのたまるこもった感じがなく、まるで別レーベルのレコードを聴いているような感じがする。 カッティングの
鋭さが違うなあ、というイメージとでも言えばいいか。 そういう面でもうれしいレコードだった。


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長引く梅雨空の下の安レコ

2019年07月17日 | Jazz LP (安レコ)


長引く梅雨空の3連休、街は10インチ祭りだというのでのんびりと徘徊。 すべて安レコ。

状態がイマイチなものが多くて買えるものは少なかったけど、まあこれだけ安ければ文句も言えまい。

所用で土曜日は行けなかったので落穂拾いだったけど、以前から気になっていたタイトルばかりが拾えたので満足。



 

3枚とも素晴らしい内容で、コスパ最高である。 こんな価格設定はユニオンにしかできないだろう。

こういう買い物が一番楽しい。 いつもこうだといいんだけどな。



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ビリー・ミッチェルを探して (続)

2019年07月15日 | Jazz LP

Al Grey, Billy Mitchell, Lee Morgan, 他 / Dizzy Atmosphere ( 米 Specialty SP-2110 )


50年代半ば頃にディジー・ガレスピーのビッグ・バンドに在籍していた管楽器奏者を集めてガレスピー・バンドのスモール版として企画されたアルバムで、
リー・モーガンやウィントン・ケリーが入っていることで一目置かれる作品。 ただ、アルバム・コンセプトがビッグ・バンドの縮小版なので、全体的に
ハード・バップ・コンボらしい自由さは後退しアンサンブルに比重が置かれていて、ちょっと肩透かしを喰らう微妙な内容だと思う。

まずはリー・モーガンに目がいくが、モーガンがレコーディングデビューして間もない頃の演奏なのでまだ個性は確立されておらず、彼らしいプレイは
聴けない。 ウィントン・ケリーも構成上出る幕は少なく、彼の良さが発揮されているとは言えない。 そこで、ビリー・ミッチェルの出番となる。

このメンバーの中では、ミッチェルがダントツで出来がいい。 ベニー・ゴルソンが編曲スコアを提供した "Whisper Not" ではほんの数小節の登場でも
圧倒的な印象を残すソロを吹いているし、"Over The Rainbow" では冒頭から最後まで彼一人の独断場で、おそらくはこの人の代表的名演と言っていい
仕上がりになっている。 アルバムの最後に置かれていることからも、重要な演奏という位置付けだったのだろうと思う。 そもそも、表ジャケットに
その姿が写っている時点で、彼がどういう立ち位置だったのかが伺える。

多管編成の中でこれだけ目立つ演奏ができるのだから、もっと前に出てリーダー作をたくさん作ればよかったのにと思う。 そうすればテナーサックスの
系譜の中にその名前をきっと残せただろう。 こういう機会喪失してしまったタイプの演奏家はたくさんいるけれど、このミッチェルはその筆頭だった
かもしれない。 ならば、せめて真価を知る我々マニアがスポットライトを充てようではないか。 既に手遅れで遅過ぎる話かもしれないけれど。


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ビリー・ミッチェルを探して

2019年07月14日 | Jazz LP (EmArcy / Mercury)

Billy Mitchell / A Little Juicy  ( 米 Smash BL 7666 )


ビリー・ミッチェルのテナーの音は私の好みなので彼が入っている演奏を聴くのは好きなのだが、如何せんレコードの数が少ない。 ビッグバンドでの
活動がメインだったせいもあったのだろうけど、リーダー作の少なさは致命傷で、まとまってその演奏が聴ける作品が少ないのだから評価しようがない。
他人名義のアルバムの中で彼の演奏が出てくるとその良さに驚かされて彼の作品を探すことになるわけだけど、リーダー作がほとんど残っていないことが
わかってガッカリする。

そんな中でMercuryの傍系であるスマッシュ・レーベルに残された貴重なリーダー作の1枚がこれになるわけだが、サド・ジョーンズを迎えて彼の自作曲
ばかりを演奏しているから、ミッチェルのリーダー作という感じがしない。 演奏パートもサドの方が多いから、なおさらそう感じてしまう。
一方、サド・ジョーンズ自身もトランペット奏者としては地味な感じだから、このアルバムの地味さはなおさら拍車がかかる。

それでもリチャード・ワイアンドやケニー・バレルらバックの演奏がしっかりしているおかげで、演奏全体はとても聴き応えがある。 両面通して聴くと、
いい演奏だったなという印象が残るから不思議だ。 ユニークな作風のサド・ジョーンズの楽曲の影響もあって、ありふれたセッションという退屈さとも
無縁だ。 聴けば聴くほど、いい演奏じゃないかという印象は確かなものになっていく。 特に、アルバム最後に置かれた "Kids Are Pretty People" の
慈愛に満ちたおだやかな表情は素晴らしい。

ビリー・ミッチェルの演奏を聴くという意味では喰い足りない感はあるけれど、それでも音楽としての満足感は十分残る。 マーキュリー傍系なので
プレス品質も良く音質も良好だ。 手持ちの盤はモノラルだが、録音時期を考えるとステレオ録音だったはずだから、ステレオプレスも聴いてみたい。
おそらくそちらのほうが音質はさらにいいだろうと思う。


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時代遅れの福音

2019年07月13日 | Jazz LP (Prestige)

Pepper Adams / Encounter  ( 米 Prestige PRST-7677 )


1968年12月に録音されたこの演奏はプレスティッジが録音したわけではなく、フリーランスのプロデューサーだったフレッド・ノースワーシーが独自に
行ったもので、録音が終わってから彼がいろんなレーベルに売り込みに周って、最終的にプレスティッジが買うことになった。 だから、この録音には
ヴァン・ゲルダーは関与していないし、レコードにもRVG刻印はない。 往年の名プレーヤーたちが集まったストレートなハードバップという好ましい
内容にもかかわらず、69年という時代からみればそれはひと昔前のクラシック・ジャズであり、どのレーベルも興味を示さなかったという。

レーベルの販売方針の下で行われた録音ではなく、アダムスが自由にメンバーを選んで好きなように演奏していいという企画だったので、彼は当時の
業界の流行りには背を向けて50年代の音楽を生き生きと演奏した。 他のメンバーたちもきっと同じ気分だったのだろう、みんな最高の演奏をしている。

我々聴き手は一方的に提供されたアルバムを受け取って、これが現代のジャズだとかこれは時代遅れのジャズだと考えるけれど、リリースされた作品は
そもそもアーティストの100%の想いだけで作られているとは限らないということを認識しておく必要がある。 世の中はそんなに簡単な話だけで成り
立っているわけではないのだ。

幸いなことに、このアルバムは100%ピュアな想いで演奏された傑作だと思う。 ズート、トミフラ、カーター、エルヴィンらに囲まれてアダムスは
これ以上ないほどなめらかで歌心に富んだ演奏をしている。 全体の纏まりも一分の隙もなく、最高の仕上がり具合いだ。 ペッパー・アダムスの
アルバムはどれもクオリティーが高いけれど、これはその中でも群を抜いている。

ストレイホーンの "Star-Crossed Lovers" での深い情感、"Serenity" での繊細な肌触りなど、1つ1つの楽曲が丁寧に演奏されていて粒ぞろいよく、
それらがアルバム全体の印象を決定付けている。 

録音も変な小細工はされておらず、残響感豊かで楽器の音もクリアで輝いている。 自然な音場感で、聴いていて音楽に集中できる感じが好ましい。 
たまたまプレスティッジからリリースされたというだけで、そこにこだわるのは筋違いだ。 このメンバーたちが心の底から演奏を楽しんだ様子が
ありのまま記録された時代遅れの福音を、我々も心行くまで楽しめばそれでいいのだろうと思う。


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最近聴いてよかったCD

2019年07月10日 | Jazz CD


最近聴いてよかった2枚。 どちらもテナーのワンホーン。

グラント・スチュワートはエリック・アレキサンダーによく似た感じだが、

私はこのグラントの方が好きだな。 しなやかで、クセが少ない。

"いそしぎ" のテーマが抜群にいい。 好きな曲だからうれしい。


ナット・バーチャルはバックのピアノトリオがモロ、コルトレーン・バンド。

ピアノはマッコイ完コピ、ドラムもエルヴィンそっくり。

ナットのテナーはコルトレーンからは上手く卒業できたみたいだ。


今でもこんなオーソドックスなのをやってくれてるなんて。

ジャズはちゃんと生きているな、と安心する。


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ベニー・ゴルソンの復習 ~その2~

2019年07月07日 | Jazz LP (Riverside)

Blue Mitchell / Out Of The Blue  ( 米 Riverside RLP 12-293 )


ブルー・ミッチェルと言えば "Blue's Moods" ばかりが人気で、それ以外はほぼスルーされる。 でもこのアルバムなんかはそれにも負けない内容を
誇る傑作だ。 にもかかわらずそういう話にならないのは、おそらくこの内容をブルー・ミッチェルのリーダー作として語ることの難しさにある。
このアルバムはベニー・ゴルソンの強い影響下にあって、ミッチェルの輝かしい音色だけでこの音楽を語り切るのは十分ではないからだろうと思う。
聴き終えた後、これは一体誰のアルバムなんだ?という戸惑いを感じる人がいてもおかしくない。

ベニー・ゴルソンのくすんだ音色とブルー・ミッチェルの明るい音色は対照的なのでここではゴルソン・ハーモニー色はさほど見られないけれど、それでも
ハーモニーは2管だとはとても思えないほど豊かで、ワンホーンのアルバムでは決して手に入れることのできない充実感を得ることができる。
ゴルソンが入ると普通のハードバップとはまったく違う新しい雰囲気に染まるところが凄いと思う。

B面1曲目のミッチェルが書いた "Sweet Cakes" が非常に魅惑的な名曲で、テーマ部をゴルソンと共に演奏するところは圧巻だ。 そしてロンネル・
ブライト作のスロー・バラード "Missing You" ではミッチェルの切ないソロとゴルソンのずっしりと重いトーンの対比が見事で、音楽に深い陰影を
もたらす。 ゴルソンがいることで、この2つの名曲は更に深い感動をもたらしてくれる。 このレコードは音質も素晴らしくて、音楽の魅力を
最大限に引き出してくれる。 どこを切り口にしても深く満足できるとてもいいアルバムだ。

ウィントン・ケリーやサム・ジョーンズというリヴァーサイドお抱えのメンバーに支えられた5人の纏まり感は素晴らしく、この上質さはこのレーベルで
しかきくことはできないだろう。 そして、その中核にいるのは物静かで控えめなベニー・ゴルソンであることは間違いない。 こういう風に、彼の
存在が作る影は至る所に見ることができる。 その足跡を辿っていくのは愉しい。


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ベニー・ゴルソンの復習

2019年07月06日 | Jazz LP (EmArcy / Mercury)

Clifford Brown / Study In Brown  ( 米 EmArcy MG 36037 )


ブルーノート東京のステージでベニー・ゴルソンはなぜあんなにブラウニーの話をたくさんしたんだろう、ということがずっと気にかかっている。
"I Remember Clifford" へのイントロダクションだと言えばそれまでだけど、印象としては単にそれだけのことではなかったように思える。

自分のことを語る際にとにかく自分の話ばかりする人には閉口させられるものだけれど、自分以外の話をする人なら一緒にその物の見方や世界観を
経験することでその人のことを知ることができるというのはよくあることで、そのほうがよりその人に接近できるものだ。 ベニー・ゴルソンは
後者のタイプの人だったようで、彼が語るブラウニーの姿を通して我々は彼のことをより深く知ることができたのかもしれない。

フィラデルフィアのクラブでジャム・セッションをしていた時に見知らぬ若者がやってきてトランペットを吹き出したのを聴いて「一体、何者だ?」と
とにかく驚いた、と笑いながら2人の出会いの様子を語っていたゴルソンは幸せそうな顔をしていた。 25歳で亡くなってしまったブラウニーには
ジャズ界によくある人物評伝がほとんどなくて、有名な割にはその人物像はあまりはっきりしない。 だから、彼にゆかりのあった人たちが語る話は
それが例え断片的なものであったとしても貴重である。 そして、ブラウニーのことを語る人たちは一様に幸福な表情を浮かべるようだ。

コナン・ドイルの「緋色の研究」に引っ掛けたタイトルのこのアルバムはブラウニーのトップに位置付けられる作品だが、私の場合は聴く頻度は低い。
アレンジがかっちりとし過ぎていて、いささか堅苦しい。 間違えて買ってしまったサイズの小さいワイシャツを無理して着て1日を過ごした時の
ような気分が残ってしまう。 演奏レベルは間違いなくトップランクだと思うけれど、愛着のあるなしはそれだけで決まるものではない。

とにかく演奏が凄い、という話でしか語られることがないせいで固定観念化したブラウニーのイメージは、彼の音楽へのパターン化した印象を人々に
非常に強く縛り付けているように思う。 でも、ゴルソンが語る彼の想い出を聴きながら、ブラウニーがかつて確かにこの世にいて、ゴルソンと共に
過ごした日々があったんだなあという実感がじわじわと湧いてくるのを感じた時、私の中のブラウニーの作品への印象も少し変わったような気がする。

来年の来日を心待ちにながらベニー・ゴルソンの復習をしていく過程の中で、ブラウニーのことも少し聴き直してみるのも悪くないかもしれない。


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ステレオ盤が勝ち

2019年07月03日 | Jazz LP (United Artists)

The Cecil Taylor Quintet / Stereo Drive  ( 米 United Artists UAS 5014 )


やはり予想通りだった。 このアルバム、ステレオ盤のほうが音がいい。

モノラル盤は音がこもっていて、音楽が死んでいる。

ところが、このステレオ盤だと音楽が蘇る。

1958年の録音だから時代相応ではあるけれど、

それでもモノラルよりはずっといい。

モノラル盤を聴いてピンとなこければ、ステレオ盤を聴いてみよう。

何かが変わるかもしれない。



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