廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

ハル・マクシックが語る、パーカーとギル・エヴァンスの共演

2019年02月24日 | Jazz LP (Verve)

Charlie Parker / The Magnificent   ( 米 Clef MG C-646 )


昨日ハル・マクシックのことを色々調べている時に、彼自身のことについては何の収穫もなかったけれど、それとは別に面白い話を知ることができたので、
備忘録として簡単に残しておこうと思う。 マクシックという人はこれまでまともに語られてこなかった人だったのだということが今回よくわかった。
このままだといずれは忘れられてしまうことになるのかもしれない。 ジャズ全盛期に生きたミュージシャンの常として、彼もパーカーと親交があった。 
その彼が語るパーカーにまつわる話が面白いのである。

パーカーと組んで作った "ウィズ・ストリングス" がアメリカでヒットしたのに気を良くしたノーマン・グランツは2匹目のドジョウを狙って、今度はコーラス隊を
バックにしたレコーディングを企画した。 当時はビリー・ホリデイが40年代にデッカ録音で使ったような伝統的なコーラス隊は既に流行遅れで廃れていたので、
もっとヒップでイケてるヴォーカリース・スタイルのコーラス隊を使おうということになり、デイヴ・ランバートと彼が集めた "デイヴ・ランバート・シンガーズ" を
スタジオに呼んだ。 そして、彼らのバックの演奏には小編成のアンサンブルを使い、そのスコアと指揮をギル・エヴァンスに頼み、ベースにはミンガス、
ドラムにはマックス・ローチを使った。 ギルはバスーン、クラリネット、フレンチ・ホルン、フルート、オーボエを使い、このクラリネットにハル・マクシックを
充てた。 この時の録音風景について、マクシックが非常に貴重な回想をしている。

録音はニューヨーク40番街のブライアント公園を横切ったところに建つビルの4階にあったフルトン・スタジオで行われた。 30フィートの高い天井を持つ
巨大なスタジオで、防音のために天上から床までの壁一面に分厚いカーテンが敷かれ、レコーディング・ブースは巨大なガラス張りになっていた。
そこに大勢の楽器演奏者たちが片方の側に、10人を超えるシンガーズたちがもう片方の側に配置され、パーカーは楽器奏者側の前に立って演奏した。 
この時録音されたのは、"In The Still Of The Night"、"Old Folks"、"If I Love Again" の3曲で、管楽アンサンブルを指揮するギル・エヴァンスや
ヴォーカル隊を指揮するデイヴ・ランバートもスタジオに入っていた。

録音が始まると2つの問題が浮上した。 1つ目はランバートの書いたスコアが難し過ぎて、ヴォーカル隊が上手く歌えずレコーディングが混乱したことだ。
ランバートは "L,H&R" でもお馴染みのヴォーカリーズの先駆者の1人で3~4人程度のヴォーカル・アレンジは得意だったが、10人を超える規模のアレンジには
慣れておらず、この時用意したスコアが軽快に歌うには重過ぎてヴォーカル隊が上手く歌えず、テイク数を大幅に重ねることになってしまった。

もう1つは、マックス・ローチがパーカーが指示したリズムテンポを無視して、レコーディングを邪魔したことだ。 プライドの高い彼はこういうコマーシャルな
レコーディングに最初から不満で、テイク1ではわざと速いテンポでドラムを叩き、気の毒なヴォーカル隊を大混乱に陥らせた。 この時、パーカーだけは
悠然とした態度で難なく演奏し、ギル・エヴァンスは終始落ち着いていたという。 ギルはクロード・ソーンヒル時代は録音が終わるとブースから人を追い出して
1人こもり、床に仰向けに寝転んでプレイバックのチェックをするのが常だったが、このパーカーとの録音ではそういう振舞いはしなかったそうだ。

これらの想定外のドタバタが起こったせいでレコーディングは大幅に長引き、グランツは予算を大幅に超えるお金を使うことになってしまった。 
当時録音テープは非常に高価で、テイク数を重ねれば重ねるほど大金が飛んで行ったわけだ。 そういう様子をハル・マクシックは冷静に見ていて、
現場にいた者だけが語り得る貴重な情報としてこうして語り継いでくれている。

私はパーカーとギル・エヴァンスが一緒にレコーディングしていたなんて初めて知ったし、普通なら我々には知りえない舞台裏の秘密が生々しく目の前に
蘇るようなこういう話には心が躍る。 掲載のアルバムに収録された2曲のイントロで聴けるクラリネットがマクシックの演奏だと思うと今までとは違う
印象に変わってくるし、昔からこのバックのヴォーカル隊の歌は稚拙でぎこちないなと思っていたのが、実はそういうことだったんだということがわかると、
これはこれで微笑ましい気持ちで聴けるようになるではないか。

それにしても、マックス・ローチって野郎はつくづくイヤなヤツである。 この男、知れば知るほど、ますます嫌いになっていくなあ。


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硬質なアルトとうまいギターが絡むと

2019年02月23日 | Jazz LP (Bethlehem)

Hal McKusick / East Coast Jazz #8  ( 米 Bethlehem BCP 16 )


ジャズの世界にはアルバムは残っているけれど、実像が掴みにくいアーティストというのが大勢いる。ハル・マクシックもそういうタイプの人だ。
キャリアのスタートは有名なビッグバンドを渡り歩くことから始まり、50年代後半の数年間に複数のレーベルにリーダー作を集中して残して、
その後はスタジオ・ミュージシャンとして裏方にまわってしまった。マルチ奏者として1枚のアルバムの中で複数の楽器を吹き分けるし、
多管編成のものが多いということもあって、現代の我々には音楽家としての実像がわかりにくい。

そんな中でワンホーン・カルテットのアルバムが2枚残っていて、それらを聴くとこの人の素の姿が一番わかりやすい。 バリー・ガルブレイス、
ミルト・ヒントン、オジー・ジョンソンというピアノレスが趣味の良い伴奏で支える中、ハルのアルトやクラリネットが大きな音で鳴り響く。

この人のアルトは硬質で重みのある音で、奏法は力強くて音に覇気がある。演奏に隙が無く甘い情感で酔わせようという気配もないので、
聴き手がコロリと参るようなはところはなく、背筋のピンとした清潔感と生真面目さはリー・コニッツなんかよりもずっと徹底していて、
これを聴くとコニッツのサッスクは案外メロメロだったんだなと思ったりするくらいだ。そういう音楽に厳格さを求めるような人柄が
この業界には合わなかったのかもしれない。

強いアルトの音と同じくらい感心するのがガルブレイスのギターで、なんと上手いギターを弾くんだろうと驚かされる。こういう風にギター1本で
伴奏を付けるものは多いけれど、こんなに味わい深い演奏はちょっと他には思い当たらない。いつもジム・ホールやジョー・パスばかりが
称賛されがちだが、このガルブレイスも別格な演奏家であることがこれでよくわかる。

得てして「室内楽風な」と言われがちなところがあるけれど、これはそういうのとは違うだろうと思う。白人の腕利きミュージシャンが、
演奏家としての資質を最大限に生かすことができた非常に聴き応えのあるアルバムで、その核心には強いジャズのスピリットを感じることが
できる、実は静かに熱い演奏だ。

ベツレヘムの若い番号のレコードはローレル(月桂樹)のフラットディスクが初版だけど、この時期に製造されたものはプレスの状態が不安定で、
特にこのマクシックのアルバムはプレッシングバブル(凸)が目立つ盤がほとんどで、買うに買えないとマニアを泣かせるレコードだ。
私自身、まったく問題のない盤はこれまでに見たことがない。 手持ちの盤は凸はないけれど、フラット特有の外周部の細かいスレがあり、
少しノイズが出る。でもこの盤は音圧が高く楽器の音も太いので、盤面の多少の瑕疵は気にせずにゲットされてよいと思う。見た目の印象より、
実際の聴覚感がいいものは案外多い。これに関しては、経験上、問題ないものを待っているとおそらく日が暮れてしまうような気がする。


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若き日のフィル・ウッズの最高傑作

2019年02月17日 | Jazz LP (Prestige)

Phil Woods / Woodlore  ( 米 Prestige PRLP 7018 )


フィル・ウッズの最高傑作はこれで決まりだけど、若くしてこんなアルバムを作ってしまうと、後はもうやることが無くなってしまったんじゃないだろうか。
この時期にプレスティッジをメインにしてたくさんレコードを作ったけれど、なぜか多管編成ものが多く、ウッズの良さはすべて殺されてしまっている。
一番よくわからないのがジーン・クイルとのコンビで、互いの良さを喰い合ってしまうこのコンビネーションの意味は未だに理解できない。

パーカーが1955年3月に亡くなった時、ニューヨーク界隈は "パーカー・ロス" に陥り、業界では "次のパーカー" はどこにいる?と大騒ぎになった。
当時のニューヨークにはウッズやマクリーンがいたが、マクリーンはまだ演奏が未熟だったし、ウッズは白人だったせいもあってか、これまた白羽の矢が
立つことはなかった。 このアルバムを聴けば当時最もパーカーに近いところにいたんじゃないかと思えるけれど、その後のアルバムを見ていくと、どうも
パーカーに近づくことを周囲が許さなかったんじゃないかと勘ぐりたくなるようなものばかりだ。

何の邪念もなく、ワンホーンですべてを出し切るような歌いっぷりには圧倒される。 若さに満ち溢れて、こんなにみずみずしい感性を感じるジャズは他には
見当たらない。 そしてアルバムの最初から最後まで1本のサックスでこんなにも豊かに歌い切っているのを聴いていて思い出すのはロリンズの同時期の作品群で、
同じような感銘を受ける。 サックスのアルバムでこれ以上の賛辞を贈る必要はないだろう。

ワンホーンのもう1つの代表作 "Warm Woods" は演奏に抑制が効きすぎていて、音楽としては消化不良感が残る。 メジャーレーベルのEPICらしい高級感溢れる
ゴージャズ&ファビュラスな音場感でオーディオ的には "Warm Woods" の方が優れているけれど、イージーリスニング的な要素が強過ぎて、まるでラスヴェガスの
高級ホテルの最上階にある豪華なバーで聴いているような感じがする。 それに比べて、"Woodlore" はバードランドやカフェ・ボヘミアの最前列でかぶりつきで
聴いているような濃厚なジャズの匂いがあって、このアルバムは結局のところ、そこがいいのだと思う。


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"Porgy and Bess" の前哨戦だったのかもしれない

2019年02月16日 | Jazz LP (Pacific Jazz / World Pacific)

Gil Evans and His Orchestra / New Bottle Old Wine  ( 米 Pacific Jazz WP-1246 )


キャノンボール・アダレイが全面でリードを取る"キャノンボール・ウィズ・オーケストラ"という内容で、ギル・エヴァンスのアルバムとしては珍しい建付けだ。
このアルバムは1958年4~5月に録音されているが、同年7~8月にはマイルスの"ポーギーとベス"を録音している。 この2つはオーケストラのメンバーの
多くが同じだし、全体のサウンドの色合いや肌触りが同じであること、古い素材を使って主役に自由にスケールを吹かせているところなど共通点が多い。
そう考えると、このアルバムはマイルスとの録音の予行演習だったのではないか、という推測が成り立つ。 何と言ってもマイルスとの録音は注目を
集めるから、失敗は許されない。

ビ・バップ以降、コードに強く縛られるジャズという音楽に風穴を空けようとジョージ・ラッセルやギル・エヴァンスらがスケールを重要視したスコアを
書くようになり、それがモードに発展していくのがちょうどこの時期だ。 このアルバムでもオーケストラにはスイングさせず、ソリストのために
大きく空いたスペースを用意して、自由にスケールを取らせる。 そのためには長いソロを自由自在に操れるリード奏者が必要で、そう考えると
キャノンボールしかいない、ということになったのではないだろうか。 この頃のキャノンボールは無敵の存在だった。

広く空いた空間の中で、キャノンボールのアルトが舞う様は凄まじい。 厚みと輝くような光沢のあるアルトの音は本当に美しく、淀むことなく
なめらかなフレーズは尽きることなく流れて行く。 オーケストラのサウンドも繊細できめが細かく、キャノンボールのアルトと艶めかしく絡み合う。
ギル・エヴァンスの作品の中では際立って密なサウンドで、キャノンボールの明快なソロが音楽をわかりやすいものに仕上げていて非常に聴き易い。

パシフィック・ジャズ・レーベルとして最終的にはリチャード・ボックらがマスタリングをしたが、録音自体はニューヨークで行われている。
ジョージ・アヴァキャンのプロデュースだから、コロンビアのスタジオを使ったのかもしれない。 このレコードは音質が抜群に良い。 


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レナード・フェザー推薦のワンホーン

2019年02月11日 | Jazz LP (Bethlehem)

Eddie Shu / I Only Have Eyes For Shu  ( 米 Bethlehem BCP 1013 )


レナード・フェザーは過小評価されていたり陽の当たらない所にいるジャズメンを擁護して広く紹介するなど、評論家としてやるべき仕事に熱心だった。
そういうところは、大物頼みだった日本の評論家と言われた人たちとはずいぶん違う。 そのおかげで今私たちがレコードを通して聴くことができるアーティストは
大勢いるわけだが、このエディ・シューもその1人だ。 おそらくは唯一のリーダー作であろうこのレコードのライナーノーツでレナード・フェザーはシューの
驚くべき多才さを詳しく紹介し、正しく評価されない状況を怒りを込めて嘆いている。 このレコードは彼の口添えがあって作られたのかもしれない。

そういう陽の当たらないミュージシャンたちの受け皿としてベツレヘム・レコードが果たした役割も大きかった。 セールスという意味では望み薄の人たちの
レコードをずいぶんたくさん作っていて、凝りに凝ったジャケット装丁などコストをかけることも厭わなかったので、後の時代のレコード・コレクターたちにも
広く愛された。 このレーベルが無かったら、中古レコードのエサ箱の中はずいぶん寂しい様相になっていただろうと思う。

そういう心強い味方をバックにしたシューの演奏はテナー・サックスのワンホーンで、その音色はスタン・ゲッツのようだ。 でもその音は力なく弱々しい。
フレーズはぎこちなく、メロディアスに聴かせるという感じではない。 各曲の演奏時間も短く、あっという間に音楽は鳴り止んでしまう。

ただ、これが本当にシューという人の実力だったのかどうかはよくわからない。 こういうのはこの時代の10インチのレコードに共通する話で、アーティストの
本当の力をどこまで上手く再現できているのかは怪しく、この1枚だけでは判断できない。 だからこそ、もっとたくさんレコードを残して欲しかったと思う。

モノラル時代の10インチは音楽を聴くという観点で言えば不十分なメディアだったけれど、ジャケットのデザインには時間やお金をかける精神的余裕があった時代
だったので秀逸なものが多い。 だから、こういうのは内容うんぬんではなく、まずはその雰囲気を楽しめればそれでいいのだと思う。 シューの場合は
これでしかまともに聴くことはできないのだから、なおさらである。 ジャケットを愛でながら、古い音をそのまま楽しく聴けばそれでいいのだろう。


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雪を溶かすような熱気に満ちた試行錯誤の記録

2019年02月10日 | Jazz LP

George Wallington Quintet / At The Bohemia (Featuring The Peck)  ( 米 Progressive PLP 1001 )


朝起きて雪が積もっているのはいくつになってもうれしい。 東京地区では今年初めての積雪で、実際は家々の屋根にうっすらと積もっていてる程度
だけど、雪国に住んだことがない私には雪というのはやはり特別なものだ。 雪が降っているのを見て思い出すいろんな光景の1つに、このレコードを
初めて買って帰った遠い日の想い出がある。 だから、雪の日はこのレコードを聴きたくなる。

その日は記憶がないほどの大雪で、初めてこのレコードを見つけて買って帰る途中、電気系統のトラブルで路線上の電車が全て止まってしまい、
電車の中に2時間閉じ込められてしまった。 何とか一番近い駅まで電車は動いて停まったけど、そこで息が絶えたように動かなくなってしまった。
まだ携帯電話がなかった時代で、帰宅途中でごった返す車両内の人々の半分くらいはその駅で下車して行った。 でも外は見たこともないくらい大量の
雪が積もっていてバスやタクシーが走っているとは思えなかったし、裏がツルツルのローファーを履いていた私は雪道を歩いて帰れないので、
電車が動くのを待つしかなかった。 車両のドアは半分だけ解放されていたので、何度も駅のホームに出て煙草を吸った。 つり革につかまりながら
疲れてウトウトしているとようやく車両が動き出し、何とか最寄り駅まで辿り着いたけど、普段は10分かからない家までの距離を靴が滑ってまともに
歩くことができず40分かかった。 手に持っていたこのレコードが邪魔で仕方なく、途中で本気で捨てて帰ろうかと何度も思ったけど、なんとか家に
着き、身体を温めながらこのレコードを聴いた。 だから今でもこのレコードを聴くと、外の凍えるような寒気と暖房で暖まった部屋の暖気の入り
交ざった記憶が蘇ってくる。 私にとってこのレコードは真冬に聴くレコードなのだ。

ジョージ・ウォーリントンという人のピアノは、私には未だによくわからない。 こんなにスイングしないピアノは他に知らないし、フレーズも何を
弾こうとしているのかさっぱりわからない。 これでよくジャズピアニストとしてやってたなと逆に感心してしまうけれど、ドナルド・バードと
マクリーンやウッズとやったクインテットはこじんまりとしてはいるけれど、どれもそれなりにいい出来だと思う。 それはウォーリントンが
というよりは、管楽器奏者たちの手堅い演奏のお陰である。 特にこのアルバムはライヴということもあり、2管の良さが前面に出ていて楽しく
聴ける。 ライヴ録音が上手くなかったRVGの録音も珍しく良好だと思う。

ウォーリントンはこの頃 "The Peck" という演奏手法を提唱していて、このアルバムではその手法を採用しているのだということがライナーノートに
短く解説されている。 それは1930年代に流行したタップダンスからヒントを得た、ホーン奏者とリズム・セクションの間でこま切れのフレーズを
挟み合うように演奏することを言うらしく、そう言われてみればこのアルバムに限らずウォーリントンのクインテットの演奏はどれもフレーズが
短く突っかかるようなギクシャクしたものが多く、全体的に不思議な雰囲気の作風になっているし、それは遡ってみると彼のトリオの演奏なんかにも
見られる特徴だ。 彼のピアノにスイング感が見られないのはどうやらこの独自の理論の影響のようだ。 バードもウッズもマクリーンも律儀に
この手法をこなしているのには感心するけど、それが音楽的にどういう意味や効果があるのかは私にはさっぱりわからない。 でも、みんなこうして
試行錯誤しながらもまじめに音楽をやっていたのだから、そういうところをもっとしっかり聴いてあげたい。 これは一般的には普及することなく
終わった、ある一つの大いなる試行錯誤の記録なのだ。


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世評とは一致しない自分だけの愛聴盤

2019年02月09日 | Jazz LP

Eddie Bert / Let's Dig Bert ( Eddie That Is )  ( 米 Trans-World TWLP-208 )


あの世に行く時に何枚かレコードを持って行っていいよと言われたら(そう言ってくれるといいんだけど)、これはその中に必ず入れるつもりでいる。
結局、自分にとって一番好きなレコードというのは世評とは一致しない。 意識的に音楽を聴けば聴くほど、そのギャップの大きさは拡がっていく
のだろうと思う。

エディ・バートのトロンボーンはマイルドな音で、演奏スタイルも中庸で特に目立つこともない。 それが結果的に音楽を前面に押し出しすことになって、
余計な雑念が沸くことなく音楽に没頭できる。 ハンク・ジョーンズやバリー・ガルブレイスらの堅実な土台の上で、トロンボーンとテナーがゆったりと泳ぐ。
Davey Schildkraut という無名のテナーがなんと魅力的なことか。 ハスキーがかった深みのある音で、音楽に寄り添うように立っている。

そういうしっかりとした演奏技術に支えられて旧いスタンダードを交えながら緩急交互に演奏が進んで行くが、全体的にはノスタルジックでゆったりとした
印象の音楽にまとまっている。 この望郷的な雰囲気は筆舌に尽くしがたい。 寒い冬の早朝、どこかで焚き火をした残り香を嗅いで、遠い故郷を
思い出すような独特の切ないムードが漂っている。 






こちらは第2版で、これが一番よく見かける。 エデイ・バートという人もトロンボーンという楽器も人気はまったくないから、どちらもいつも800円くらいで
転がっている。 音質はどちらもまったく同じで、マイナーレーベルにしてはまずまず良好。 完成されたモノラルサウンドが心地よい。 
尤も、クールジャズでもないのになぜ "Cool" なのかはさっぱりわからないし、エディ・バートをDigするからと言ってショベルカーへの尋常じゃない
こだわりを見せたりする感覚もよくわからない。 マイナーレーベルというのはつくづく不思議だと思う。 これじゃ、誰も買おうなんて思わないよね。
売る気があったのかどうかが疑わしい。


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短信 ~ これ、なかなか聴かせる

2019年02月06日 | Jazz LP (Jubilee)

Herb Geller / Stax Of Sax  ( 米 Jubilee JLP 1094 )



ハーブ・ゲラーの作品の中でこのアルバムは軽く扱われる、というかほぼ無視されているような感じだ。

でも、これはなかなか聴かせるのだ。

アルトのワンホーンで爽やかに吹いていて、何だか気持ちのいい風を正面から受けているよう。

嫌味のない、素直な、シンプルで感じのいいジャズ。 おまけに、値段も安い。

こういうのが、いいレコードなんだと思う。


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リヴァーサイド屈指の轟音

2019年02月03日 | Jazz LP (Riverside)

Wynton Kelly / Kelly Blue  ( 米 Riverside RLP 12-298 )


あるレーベルで、同一時期、同一スタジオ、同一レコーディング技師、同一マスリング技師、であるにもかかわらず、レコード再生時の音質の良し悪しに
大きくバラつきがあるのはなぜだろうと不思議に思う。 録音に使うマイクの種類やセッティングは毎回違うだろうから、そういうものが違いとなって現れるのかも
しれないし、エンジニアも人間だからその日の気分によって音への感度にムラがあったりしたのかもしれない。 工業製品としての品質に異様なこだわりをみせた
ブルーノートでさえ音質のバラツキは大きいのだから、他のレーベルでは何を言わんやである。 

3大レーベルの一角として名盤を量産したリヴァーサイドだが、ヴァン・ゲルダー信仰者の多いジャズマニアからは音質面で評価されず、常に3番手の扱いを
受けている。 複数のスタジオと複数のエンジニアを使ったせいでレコードの音質のバラツキが他レーベルより大きかったのは事実で、サウンド面で統一した
レーベルカラーを持てなかったのがこのレーベルの弱点だったけど、1つ1つ聴いて行けばびっくりするような音で鳴るものもあるのがわかる。

例えば、この "Kelly Blue" なんかは恐ろしく音がいい。 音楽的には世間で言われるほど優れているとは思えないけれど、とにかく音質が圧倒的にいいので、
その生々しい臨場感にジャズらしさが溢れていて、これはすごいものを聴いた、と理屈抜きに思わせられるのだ。

録音技師はジャック・ヒギンズ、マスタリングはジャック・マシューズが担当しているが、この2人は1959年前後にタッグを組んでいて、たくさんの録音を
手掛けている。 この時期の2人の録音にはグリフィンの "The Little Giant" やモンクの "5 By Monk By 5" など音のいい作品もあるが、逆に
エヴァンスの "Portrait In Jazz" のようにパッとしないものもあり、エンジニアの名前が音質の良さを担保してくれない。

この "Kelly Blue" の音の凄さはA-2の "Softly, As In A Morninng Sunrise" を聴けば一番よくわかる。 これがあのウィントン・ケリーか、と思うような
デーモニッシュな演奏で、ピアノの弾き方が普段とは全然違う怪演なのだが、それ以上にピアノの音が記憶の中のケリーの音とはまったく違う。
グランドピアノがフルトーンで鳴っていて、その残響すべてがそのまま録られていて、これは上手い録音だと思う。

エヴァンスのポートレイトもこの音で録ってくれていたら、とつくづく残念に思う。 このギャップの大きさはオーディオ機器のグレードなどでは埋めようがなく、
我々の手ではどうにもならない。


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美しいロンリー・ウーマン

2019年02月02日 | jazz LP (Atlantic)

The Modern Jazz Quartet / Lonely Woman  ( 米 Atlantic 1381 )


オーネット・コールマンが大手レーベルからアルバムを出すことができて、好き嫌いはともかく、世間に広く認知されてプロとして活動できるようになったのは、
ひとえにジョン・ルイスのおかげだった。 彼がコンテンポラリーやアトランティックにアルバムを作ることを強力に働きかけなかったら、ジャズの歴史的様相は
今我々が知っているものとは少し違ったものになっていたかもしれない。 大衆向けのダンス音楽だったスイングジャズの中から突如現れたカルト・ミュージック
であるビ・バップの重要なピアニストとして活動し、その次は誰一人考え付かなかったクラシックへの接近を果たし、バンドを世界的な人気者に育てて、
若手の教育にも心血を注いだこの人の生き方は十分ラディカルだった。 無調の咆哮や破滅的な生活だけがラディカルというわけではない。

オーネットの "Lonely Woman" をここまで素晴らしい魅力的な楽曲として披露した例は他にはない。 オーネットがこの曲に込めた想いを正しく理解し、
楽曲としての美しい側面にスポットを当てて、物憂げな哀しみの音楽として見事なまでにまとめた本当に美しい音楽だ。 ジョン・ルイスがオーネットのことを
どういう風に捉えていたかが、これを聴けばよくわかる。 ジョン・ルイスの耳にはオーネットはちゃんと音楽として響いていたということだ。

このアルバムはそういうオーネットへの想いに感動するだけではなく、収録された他の楽曲も素晴らしい名曲ばかりで、アレンジもクラシカルな路線からは外れて、
普段よりもグッとポピュラーなタッチになっている。 演奏の纏まり具合いと高度さも圧巻で、アトランティック時代の最高傑作と言っていい。
音質も跳び抜けて良く、オーディオ的快楽度も文句なし。 通だけの秘かな愉しみにしておくのはあまりにもったいない、陽の当たる所に引っ張り出そう。


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