廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

セカンド・プレス愛好会(2)

2023年04月27日 | Jazz LP (Impuise!)

John Coltrane / A Love Supreme  ( 米 Impulse! AS-77 )


どうもこのレコードはオリジナルに縁がない。他のタイトルに比べてプレス数が少ないということはないと思うけれど、なぜか私の場合は
巡り合わせが悪い。まあ、誰しもそういうタイプのレコードがあるんじゃないかと思う。尤も、インパルスの場合はこのセカンド・レーベルの
プレスであってもオリジナルとの質感にあまり差はない。ジャケットや盤の手触り感もそうだし、VAN GELDER刻印があれば音質も特に違いはない
ように思う。もちろんタイトルにもよるけど、ただ貼っているラベルの種類が違うという程度のことに過ぎないのではないか。なので、さほど不満も
なく長年この版で聴いている。

「至上の愛」という邦題の語感の影響を多分に受けて最高傑作と言われてきたけれど、どうかなあと思う。最高傑作という言葉は、その本来の意味と
は別に、裏を返すと「万人受けする」という側面がある。特にコルトレーンのような特殊なミュージシャンの場合は、「コルトレーンらしさを十分
残しながらも最も拒絶感が少なく聴ける作品」という観点での話になっているような気がする。

コルトレーンについての私見はこれまで散々書いてきたのでここで繰り返すのは避けるけど、この作品がインパルスの作品群の中で比較的万人受け
しやすいのは、とにかく事前に非常によく作りこまれた楽曲群であったということに尽きる。延々と果てしなく続くインプロヴィゼーションは
影を潜めて、4つの組曲としてのがっちりとした構成感が最優先となっていて、とにかくこの時代のコルトレーンにしては例外的に聴きやすい、
ということだ。特にパートⅠ、Ⅱには印象的な主旋律のメロディーがあって、すぐに覚えらる。ここにコルトレーンという人の本質的な特性が
よく出ていると思う。誤解を恐れずに言うと、全体的にまったりとして即興感の薄い歌謡曲っぽさがあるだ。

コルトレーンがライヴでこの楽曲をほとんど演奏しなかったのは、マイルスがライヴで "Nefertiti" を演奏しなかったのと同じで、単にこれらが
当時のジャズ・ライヴ向きの曲ではなかったからだろう。コルトレーンはレコードとライヴはまったく別の物として明確に区別していた。

私が「どうなかあ」と感じるのは、そういう刺激の薄さのせいだと思う。音楽的な感動の大きさでは "Africa/Brass" やそのスピンアウトのアルバム
のほうが遥かに勝るし、演奏の臨場感で言えば "Ascension" には遠く及ばない。この「至上の愛」には硬質なダンディズムがあって、そこはいいと
思う。なりふり構わずの純粋さもあり、演奏力も極まった時期なので素晴らしいと思うが、判で押したように「最高傑作」と言われると、一言
モノ申したい気持ちになってしまう。



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R.I.P アーマッド・ジャマル

2023年04月23日 | Jazz LP (Argo)

Ahmad Jamal / Portfolio Of Ahmad Jamal  ( 米 Argo LP 2638 )


アーマッド・ジャマルが92歳で逝去したが、SNSでは海外からの哀悼のコメントはたくさん流れているのに比して、日本からの惜しむ声は
圧倒的に少ない。チック・コリアやショーターの時とは大違いだ。それが不憫で、申し訳ないとさえ思えるので、こうしてアーマッド・ジャマル
のことを書いている。

マイルス・デイヴィスの逸話があるので、ジャズが好きなら誰しも1度はジャマルの音楽を聴いているはずだ。恭しい気持ちを抱きながら
最初はレコードを聴いただろう。ところが実際に聴いてみると、それがイメージとはかなりかけ離れていることに戸惑うことになる。
あのマイルスが一目置いたのだから、もっと深みのある凄い音楽だと思っていたのだが、というのが大方の感想だったのではないだろうか。

日本人は変に真面目というか、音楽を気軽にリラックスして聴くことが苦手だ。きちんと正座して、オーディオ・セットと正対して聴かないと
音楽を聴いた気がしないし、そうしないとアーティストに申し訳ないという罪悪感すら覚えてしまう。そして、そういう意識の延長で、
軽い音楽を軽蔑したり、いろんな要素がブレンドされた音楽は純粋じゃないと眉を顰める。

音楽家にはいろんなタイプがいて、5年とか10年という短い期間に将来の種までも含めて自分のすべてを燃焼させて燃え尽きる人がいる一方で、
早い時期に完成させた自身のスタイル(そしてそれはしばしば他の誰にも真似できない傑出したものであることが多い)を緩やかに相似させながら
息の長い音楽活動を続ける人もいる。どちらがいいとか悪いということではなく、単に生き方が違うというだけのことだが、前者のほうが芸術家
としての生き方に相応しいという価値観が相変わらずある。

アーマッド・ジャマルは軽い音楽をやった人で、デビュー時で既にその独自性は確立されており、以降はその延長線上で活動を行った。
生活している地元を離れるのを好まず、大作を作ろうという野心もなく、自身の内なる声に従って音楽を演奏した。我々レコードマニアの視界に
入るのは初期のアーゴやエピック時代だが、それらはどのアルバムを聴いても基本的には同じような内容で、特に違いがない。
音数少なく、間を大きくとった演奏で、ライヴ録音ではそれが特に顕著だ。お客はリラックスして聴いていて、会場の楽しそうな雰囲気が
よく伝わってくる。そこにはジャマルの音楽の楽しみ方のお手本が示されているような気がする。私たちもそれでいいではないか、と思う。



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フランク・ストロージャーがいたユニット

2023年04月16日 | Jazz LP(Vee Jay)

Walter Perkins' MJT + Ⅲ ( 米 Vee Jay VJLP - 1013 )


ウォルター・パーキンスと言えば、まずはアーマッド・ジャマル・トリオを思い出すことになるけど、あまり知られていないながらも
この "MJT+Ⅲ" というレギュラー・グループを一時期率いていた。ベースのボブ・クランショウと彼が双頭リーダーとなり、ハロルド・メイバーンの
ピアノ、フランク・ストロージャーのアルト、ウィリー・トーマスのトランペットという2管編成で上質なハードバップを演奏した。

アルバムは4枚残していて、最初のアルバムはメンバーが違っていて演奏が地味だが、2枚目となるこのアルバムからはメンバーが固定されて
管楽器演奏のレベルが格段に跳ね上がる。演奏がしっかりとしていてどれも聴き応えがあるが、音楽的にはこのアルバムが一番出来がいい。

フランク・ストロージャーはリーダー作を作る機会にあまり恵まれなかったせいで過小評価されているが、抜群に上手いアルト奏者で定番の
ビッグ・ネームたちと比べても何も遜色がない人。このグループの演奏でも中核的存在を担っていて、彼の演奏を聴くにはうってつけの内容だ。

コロンビア時代のセロニアス・モンクやキース・ジャレットのスタンダーズのように、アルバムをたくさん残してもマンネリだとか金太郎飴だとか
言われたりすることもあるけれど、それでも音楽家はできるだけたくさんアルバムを残すべきだと思う。アーティストというのは、結局のところ、
作品を通じてでしかその実像を知りようがないからだ。それが満足できるものであっても、そうでなくても、作品があって初めて話がスタートする
のであって、それがなければどうにもならない。

そういう意味ではこのMJT+Ⅲのアルバムはストロージャーを聴くためのものと言っていいけれど、他では聴けないウィリー・トーマスという
なかなかしっかりとした演奏を聴かせるトランペッターを知ることができるという点でもありがたいものだ。ストロージャー同様、楽器がよく
なっており、フレーズもしっかりとしていて、バンド・サウンドを強固なものするのに大きく貢献している。彼らの演奏を聴いていると、どことなく
アート・ファーマーとジジ・グライスのユニットの演奏を思い出す。音楽の傾向は少し似ている。

アルトとトランペットの2管編成というのはパーカー&ガレスピーを起源にして脈々と流れる系譜の1つであるけど、このグループの演奏も
その中にしっかりと足跡を残しているといっていい。このアルバムも名盤の風格はないかもしれないけど、聴けば印象に残るいい出来である。



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アート・ファーマーらしいレコード

2023年04月02日 | Jazz LP (ABC-Paramount)

Art Farmer / Last Night When We Were Young  ( 米 ABC-Paramount ABC-200 )


このアルバムは1957年4月24日と29日にニューヨークで録音されている。クインシー・ジョーンズの編曲を小編成の弦楽隊が上品に演奏する中、
ファーマーは穏やかにメロディーを奏でる。ピアノはハンク・ジョーンズで、バリー・ガルブレイスも加わるなど、全体が洗練と上質の極みのような
雰囲気だ。57年のニューヨークと言えばハード・バップがピークを迎えていた時期だが、そんなのはどこ吹く風と言わんばかりに、ファーマーは
優し気にスタンダードを歌っている。

アート・ファーマーはキャリアの早い時期からレコーディングの機会に恵まれていて、レコードはその生涯を通じてたくさん残している。
駄作と呼べるようなものはなく、どれも一定水準以上の出来を誇っているし、中には歴史的名盤と呼べるようなアルバムもある。
ジャズミュージシャンには切っても切れないドラッグ問題にも無縁だったようだし、ジャズ業界の浮き沈みもうまく乗り切って最後まで
第一線のミュージシャンとして生きることができた。こんな堅実な人生を送ったビッグ・ネームは他には思い当たらない。

彼のそういう穏やかな人格はそのまま作品に反映されていて、ここでも本当に気負うことなくまっすぐ素直な演奏をしている。
既に彼の持ち味である独特の歌い方は完成していて、ややもするとチープなイージーリスニングになりがちなフォーマットを第一級のジャズとして
キープさせているのはさすがとしか言いようがない。雰囲気的にはブラウニーのウィズ・ストリングスのアルバムとよく似ていて、あそこまで
トランペットに圧はないけれど、それでもよく鳴る音色でスタンダードを崩すことなく、この人らしく心地よく扱っている。

このアルバムは意外と見かけない。アート・ファーマーのレコードとしてはレアな部類に属する。そもそもたくさん売れるタイプの作品ではないし、
当然1度のプレスだけで終わったようだから、弾数は少ないのだろう。



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