廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

ウンポコ3連発に想う

2017年11月26日 | Jazz LP (Blue Note)

Bud Powell / The Amazing Bud Powell Vol.1  ( 米 Blue Note BLP 1503 )


昨日の「公爵備忘録」Cotton Clubさんの記事が面白かったので、私も久し振りに "Un Poco Loco" 3連発を聴いてみる。

改めて久し振りに聴いてみると、いろんなことに気が付く。 まず最初に耳につくのが、マックス・ローチのドラムの不味さ。 ドラマーというのは演奏をする際、
さて、どうやってこの曲のリズムを作ろうか、とまずは考えるという。 つまり、その曲のリズムを決めるのはこの私だ、という自負を負って演奏を始める。
ところが、ここでリズムを作って演奏をリードしているのはパウエルの左手のラインとカーリー・ラッセルのベースだ。 あろうことか、ローチはパウエルの
左手のラインについて行くのに必死で、更に悪いことに、少し遅れてついて行っている。 不得手なラテンのおかずを全部叩くだけで精一杯で、ピアノの
演奏の後をついて回っているのだ。 まるで両手両脇に抱えきれない程の荷物を持たされて汗を搔きながら若い愛人の後をついて行く気の毒な中年男のように。

しかも、基礎部分のバスドラやスネアを叩くリズムがおそろしく単調で、これがこの曲本来の音楽的魅力を台無しにしている。 パウエルが表現したかった
ラテンの祝祭感はどこにもない。 翌日、パウエルはローチに電話をかけて激怒したというが、その気持ちはよくわかる。 B面のファッツ・ナヴァロとの
"Wail" で聴けるロイ・ヘインズのキレッキレのシンバルワークや、 "Ornithology" でのヘインズのブラシワークの見事さと並べると明らかに分が悪い。

パウエルが書いたこの曲の半音階ズレたようなメロディ-ラインには、師匠のセロニアス・モンクへの憧憬があるように思う。 モンクのようなねじれた曲想までは
出せなくても、全般的に位相をずらしたような旋律を弾いているのはビ・バップの流儀というよりはモンクへの賛辞だったのではないだろうか。 そして、こういう
奇妙な楽曲を正面切って真面目に演奏するこの感覚が、当時の最先端でヒップな実験音楽だったビ・バップの精神だったのだろう。 普通の感覚でこれを聴けば、
それはまるでふざけた遊戯のように感じられて、真面目に音楽鑑賞しようという気持ちをぶち壊された気分になるのも致し方ない。 でも、ビ・バップという音楽には、
基本的にそういう風に世間を嘲笑しているようなところがどこかある。 パーカーにせよ、ガレスピーにせよ、モンクにせよ、その音楽にはどこか諧謔的で道化的で
刹那的なところがあった。 "Un Poco Loco" にもそういう要素が凝縮されているのを感じる。

但し、12インチの編集の仕方には問題が残る。 ナヴァロの12インチにしても、パーカーのサヴォイの12インチにしても、同じ曲を2つ3つと続けて聴かされれば、
いくらそれが名演であっても「勘弁してくれ」という気持ちになる。 ウンポコの場合、例えばテイク2にはテープの回転が乱れて曲がグニャっと曲がる部分があるし、
"Parisian Thoroughfare" は流麗なピアノラインとラッセルの見事なベースラインに聴き惚れている最中でブツッとテープが終わってしまう。

この12インチはそういういろんなパッケージング上の瑕疵が目立つのは確かだけど、それはSPの "3分間の芸術" から解放されて、LPという "アルバム芸術"
を前提にした作品作りが考えられるようになるまでの過渡期に制作されたレコードの宿命で止むを得ない。 SPのまま放置されるよりはずっとマシだと考えて、
アルバム作品として評価するよりは個々の演奏を独立して愉しむための器だと思えば、いろんな不具合にも目を瞑れるかもしれない。 特にこのセッションの
10インチは高価で、私にはそこまで手を出せる力は無く、ここで手を打つしかないという残念な状況もそう考えざるを得ないことを後押ししている。


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Happy Birthday, Mr. Desmond

2017年11月25日 | jazz LP (Fantasy)

The Dave Brubeck Quartet ( 米 Fantasy 3-7 )


今日はポール・デスモンドの誕生日だそうだ。 ということで、書きかけの記事を一旦止めて、デスモンドの聴けるレコードへ変更だ。

デスモンドがブルーベックと組んで活動を始めたのは1951年頃で、この頃にレコーディングした音源は最初は78rpmで発売されている。 それらは後にLP期に
入って10インチや12インチで編集されて発売し直された。 だから、ファンタジー盤は曲の重複が多くて訳が分からない。

そういう古い録音を聴いても、デスモンドは既にデスモンド・トーンでアルトを吹いているから驚いてしまう。 何と言っても、まだパーカーが生きていた時代だ。
デスモンドも当然パーカーの演奏を生で見ただろうし、一体そのショックからどうやって距離を置いたのだろう。 その冷徹さには想像を超えるものがある。

この頃はまだユージーンやモレロは参加していなくて、ベースやドラムはメンバーが入れ替わり立ち替わりで、リズムは単調な演奏が多い。 でもブルーベックは
既にブルーベックのピアノだし、デスモンドもまろやかなトーンで、スタイルは既に出来上がっている。 コロンビア時代と少し違うのは、デスモンドが演奏を
リードしていて、アルトが鳴っている時間が長いことだ。 コロンビア時代はちょっと大家風を吹かしているような感じで、一くさりさらっと語って、その後は
3人の演奏を見守っているようなところがあったけど、この頃はリード楽器らしく演奏を主導していた。 まあ、若かったんだね。

このアルバムには "Alice In Wonderland" や "My Romance" 、"Look For The Silver Lining" が含まれていて、エヴァンスやチェットがレパートリーを組む際に
これをお手本にしたことがよくわかる。 アリスの冒頭のピアノはエヴァンスのピアノとよく似ているし、チェットの歌声とデスモンドのアルトはそのトーンに
冷たい雨で湿った空気のような同じ匂いがする。 日本ではあまり人気がないこのグループは、実はその後の白人ジャズの基盤になっているのだ。

今日は家で静かにデスモンドのアルトが鳴っているレコードを聴いて過ごそう。
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聴き応えはあるけど

2017年11月23日 | Jazz LP (Riverside)

Walter Norris / The Trio  ( 米 Riverside RLP 380 )


ドラムスの代わりにリズム・ギターを置いたナット・キング・コール・トリオの形式で、バーのラウンジで演奏されるような軽快でこじんまりとした音楽が流れてくる。
1961年当時にこういう音楽にどれだけのニーズがあったのかよくわからないが、ブルーノートやプレスティッジでは決して作られることがなかった、そういう
意味では珍しい内容と言えるかもしれない。

モンゴメリー・ブラザーズの "Groove Yard" で始まるところなんかは泣かせるし、"For Heaven's Sake" も耳を奪われる名演だ。 全体的に事前の予想とは
違って意外にしっかりとした演奏で、弱々しいところはない。 それをリヴァーサイドの骨太なモノラルサウンドが支えている。 聴き応えはある。

ただ、こういう音楽は頻繁に聴こうとはならないのが残念なところだ。 たまたま立ち寄った店で酒を飲んでいる時にかかっていたら気持ちよく酔えるな、という
くらいの聴き方がちょうどいいかもしれない。 発売当時もあまり売れなかったのだろう、ステレオ盤も出なかったし、再発もされていないようだ。

雰囲気のあるジャケットが印象に残るから何となく気にかかるレコードだけど、安レコとして転がっていれば「買い」、そうでなければ「スル-」で十分。
このレコードはそれくらいのゆるい付き合い方が相応しいと思う。


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冷たく透き通る空

2017年11月13日 | Jazz LP

Patrick Lehmann Sextet / Clear Sky  ( スイス Lexidisc Production LX 0381 )


シモキタで拾ったもう1枚の安レコ。 初めて見るレコードで、何者なのかさっぱりわからないけど、ジャケットが気に入った。 冒頭の触りだけ試聴すると、
ヴィブラフォンの冷たい音が静かに鳴る穏やかなサウンドだったのでお持ち帰り。

リーダーのパトリック・レーマンのトランペットにサックス、ヴァイブ、ピアノ、ベース、ドラムのセクステットで、1983年9月に録音されている。
どうやらスイスで製作されたプライベート・プレスのようだ。 スイスにはお国柄を反映してか、こういうマイナー・プレスのレコードがとてもたくさん存在する。
マニア心をくすぐってくるのでこれまでにも何枚か聴いたことがあるけど、イマイチなものが多かった。

これは非常にノーマルな現代のストレートジャズで、サックスは3種類を使い分け、ヴァイブは時にマリンバに変えられたり、とサウンドの表情も豊かだ。
ヴィブラフォンが品良く控えめに演奏されていて、このひんやりと冷たい音がありふれた2管ジャズになるのを上手く回避している。 ショーターの "Ana Maria"、
マリガンの "Don't Walk On The Water"、スタンダードの "As Time Goes By"、そしてメンバーのオリジナル曲が5曲という構成もバランスがいい。

この手の作品にありがちな凝り過ぎて聴き手には何も伝わってこない独りよがりな音楽ではなく、スマートで穏やかで自然で、曲によってはスムース・ジャズに
近い感触もあったりする。 正対して聴くというよりは軽く聴き流すのにちょうどいいという感じかもしれない。 

知らない音楽に接するワクワク感を愉しめるのが安レコ漁りの面白さ。 多少の冒険もできるし、コストパフォーマンスの面から当たりを引いた時の歓びは大きい。
このゲームは時期を選ばずにいつでも自由に参加できるし、自分だけの名盤を見つけられる特権的優越感も味わえる。 買うことが楽しいのではなく、探すことが
楽しいのだと思えるようになった時に、人はコレクターから卒業できる。


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ハーモニカの美音

2017年11月13日 | Jazz LP (70年代)

Toots Thielemans / Captured Alive  ( 米 Choice Records CRS 1007 )


新宿やお茶の水のようなジャズ専門館は年末セールという嵐の前の静けさで中古の動きがまったくなく、行くだけ無駄の状態。 こういう時は
目先を変えて下北沢に行ってみたりする。 ここはジャズの在庫数は少ないので日参する必要がなく年に1~2回しか行かないけれど、場所柄か
客層が他店とは違うので、新宿なんかじゃ見かけないようなものが転がっていたりするから、たまに行くと面白い。 6枚試聴して、2枚拾って
来た。 無論、安レコである。

トゥーツがジョアン・ブラッキーン、セシル・マクビー、フレディ・ウエイツのピアノトリオをバックにハーモニカ1本で臨んだストレートジャズ。 
如何にも70年代のアメリカジャズのメンツが揃った中で、ホーナーのハーモニカの美音が宙を舞う。 トゥーツの音は形容し難い切なさで鳴る。
ピアソラのバンドネオンやウラッハのクラリネットのように、楽器から流れてくる音色にはどうしようもないほどの哀しみが満ちている。 
そういう特別な音を鳴らすことのできた人が昔はいた。

このレコードは音が良くて、トゥーツのハーモニカの音がとてもクリアで生々しく録られている。 余計な残響は付けず、楽器本体の鳴っている
様子のみにフォーカスを当てたような音だ。 トゥーツの音に音像の中心が当たっているので、これがとてもいい。

バックのトリオはこの時期らしい中庸なジャズのスタイルで、そこにトゥーツの繊細な感性が混ざり合い、独特な雰囲気を作るのに成功している。
ハーモニカは決して無理したアドリブフレーズに走ることなく、自身の美音さを誇るかのように進んで行く。 これには黙って聴き惚れるしかない。

ジョニー・マンデルの "I Never Told You" というバラードが切ない。 選曲のセンスも抜群で、これはいいレコードだった。


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早回しされたテープのように

2017年11月12日 | Jazz LP (国内盤)

Cecil Taylor All Stars featuring Buell Neidlinger  ( 日本 CBSソニー SONF 01107 )


ジャズ・ピアニストなのにピアノ・トリオとしてのフル・アルバムを1枚も作らなかった、おそらく唯一の人がセシル・テイラーだった。
これが私のこの人に関する唯一の不満で、アルバムの中で何曲かはトリオで演奏してはいるものの、1枚全部という作品は私の知る限りはない。

その限られたトリオやプラス・ワンでベースを弾いていたのがビュエル・ネイドリンガーだ。 テイラーが常設トリオで活動しなかったので、ネイドリンガーの名前も
有名になることがなかった。 テイラーのデビュー作での縁からスティーヴ・レイシーのプレスティッジのモンク集なんかにも参加してるけど、それでもその名前が
クローズアップされることはなかった。

テイラーはベースを入れる時は必ずこの人を呼ぶ程仲が良く、その彼にスポットライトを当てようと企画されたのがこの録音だった。 ところがマスタリングも終わり、
いよいよリリースという直前になってCANDIDレーベルが倒産し、ついにリリースされることがなく終わってしまう。 ツイてない人はとことんツイてない。

その音源をCBSソニーが特典盤として初めて配布したのがこのレコード。 その時は非売品だったが、その後は違う形で再発されているようなので、特に
稀少な音源ということもなくなった。 私がこれを拾ったのはこの中にセシル・テイラー・トリオの演奏があるからだ。 元々はネイドリンガーのリーダー作だったのに、
世に出る時はテイラーの名前が前に出ている。 まあ、そのおかげで私の目にも留まることになったのだから、彼には気の毒だけどこれで正解だった。

3種類のセッションで構成されている。 クラーク・テリー、ラズウェル・ラッド、スティーヴ・レイシー、アーチー・シェップ、チャールズ・デイヴィスの多管編成では
何とスイング・ジャズをやっていて、これには驚く。 ミディアム・テンポでほんわかとしたオールド・スイングで、テイラーはゆったりとしたフリースタイルの
不協和音をまき散らしていて、これがなぜか曲調と違和感なく会っていて面白い。 こういうスイングとフリーの親和性の高さを聴くと、テイラーの演奏が
伝統に根差しているという言い方が紋切り型の文節ではなく真実であることがよくわかる。

お目当てのピアノトリオでは、重くどっしりとしたネイドリンガーのベースとデニス・チャールズのドラムの上でテイラーのピアノがまるでテープを早回しした
セロニアス・モンクのような感じで、これがとてもいい。 やはり、アルバム1枚分の演奏が聴きたかった。

まともに聴く人なんてほとんどいないようなアルバムだろうけど、私には面白いレコードだった。 安レコだからこそ、こういう音楽に接することができる。
安レコは凝り固まった世界観を大きく拡げてくれる扉なのだ。


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主流にはなれなかった「新主流派」

2017年11月05日 | Jazz LP (Blue Note)

McCoy Tyner / The Real McCoy  ( 米 Blue Note BLP 4264 )


「新主流派」は果たして主流だったのか、という疑問や論争にはもはや意味はない。 主流ではなかった、という結論は歴史が証明しているからだ。
アイラ・ギトラーが "Miles Smiles" を聴いてそう言った時、そこには「これからはこういうのが主流になるんだろう」という予想が込められていた。
でも、彼は根本的な所で躓いている。 いずれ主流や傍流という独立した流れなんかは消えて無くなってしまう、ということに思い至らなかった。

コルトレーンの暑苦しさから袂を分かったはずのマッコイが、結局はその影から逃れられなかったのは皮肉だ。 ジョー・ヘンダーソンのバックで弾いている
マッコイのピアノは、コルトレーンのバッキングの時と何一つ変わっていない。 コルトレーンに教えられ、鍛えられて一人前になったのだ。 今更逃げようとしても
それは無理な話だった。 コルトレーン・スタイルのジョー・ヘンダーソンやエルヴィンのドタバタ太鼓を入れたことで、益々コルトレーン・サウントへ近似していく。

新主流派と言われた音楽はモードによる主題と調性の抽象性に加えて、フル・パワーで楽器を鳴らし続ける強圧な演奏に特徴がある。 それまでのハード・バップは
どんなに熱い演奏であっても、それは絶対的に冷静な抑制の下でのブローだったけれど、新主流派の音楽は制御というタガを緩め過ぎたことが主流から
離れてしまう原因となったのだと思う。 そして、その1点こそがマイルスの第2期クインテットの音楽とその後の新主流派と呼ばれた音楽を決定的に
決別させたポイントだったのだろうと思う。 

新主流派という言葉が使われるのはブルーノートの作品に対してであることが多い。 そして、それらの作品がブルーノートの中で乱立し始める契機となったのが
マイルスが入院中にハービーやトニーやショーターが作った作品だった。 そこでの彼らのフリーへの戯れがこのレーベルのあちこちで芽吹き、抽象性は
コピーされたが制御は置き去りにされた。 そうさせたのは、コルトレーンやオーネットやフリージャズである。 そうやって本来の「新主流派」とは違う
新たな新主流派が大量に生まれた。 この "The Real McCoy" も、そういう状況の中で出来上がっている。

コルトレーンというバックグラウンドを引きずりながら、当時のブルーノートの中で流行っていたトーンでまとめられたのがこのアルバムだ。 だから、
ブルーノート4000番台のサム・リヴァースやボビー・ハッチャーソンやアンドリュー・ヒルが苦手な人には当然楽しめない。 名盤100選には必ず登場するけど、
行き場を失った新主流派を象徴するような作品で、万人に薦められるような音楽ではない。 私に言わせれば、これはちょっと特殊な種類の音楽なのだ。

でも、私はこのアルバムが好きだ。 どれくらい好きかと言えば、金曜日の夜、仕事から帰る途中に大音量で聴いて、翌日の土曜日の朝にもまた聴きたくなって
今度はレコードで聴くくらい好きだ。 とにかく、ジョー・ヘンダーソンのテナーがいい。 スローの時はショーターのようで、速いときはコルトレーンのようだ、
と揶揄されるけれど、ここでの演奏は音の粒揃いが良く、フレーズもなめらかで歯切れがいい。 4人の高度な演奏が奇跡的に上手く纏まっている。

これはアルフレッド・ライオンがブルーノートを売却し、リバティーを辞めて引退する3カ月前に録音されている。 私が惹かれるのは、ここには彼の最後の炎が
ゆらゆらと揺らめいているからかもしれない。


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EU復刻再発に期待

2017年11月05日 | Jazz LP (Warner Bro.)


Bill Evans / You Must Believe In Spring  ( 独 Warner Bros. WB560879 )


このレコードのドイツプレスはUSオリジナルより音がいい。 いや、正確に言うと、音の種類が違う。

以前からずっとUS盤の音には違和感があった。 全体的に人工着色料でべっとりと色付けしたような不快な音だと思っていた。 ピアノはエレピのようだし、
ベースも安いエフェクターを通したエレベのような音。 音場感ものっぺりと平面的で、楽器それぞれが音場の中に埋もれてしまっているような感じだ。

ところが、ドイツ盤は違っていて、ピアノはちゃんとアコースティック・ピアノ本来の音だし、ベースもドラムも本来の楽器の音を取り戻している。
各楽器の音はきちんと分離していて、各々の音像も独立している。 だから3次元の立体的な音場感で、全体的に透き通ってひんやりとした雰囲気が流れている。
つまり、ドイツ盤のほうがこの作品本来のイメージにより近い音で鳴る。 こう言うと誤解を招きそうだが、繊細さがあって、ちょっとECM的なのだ。

US盤はドイツ盤よりも音圧が高く、繊細さはないが迫力がある。 3つの楽器が同じような音量レベルだが、ドイツ盤はピアノを前面に立てて、ベースと
ドラムは少し後ろに下がらせたような感じで、これは明らかにイコライジングし直しているようだ。

ドイツプレスにはレーベルの形状が2種類ある。 これはどちらが先で、ということではなく、2つの別のプレス工場で製作されたものだと思う。
音質はどちらも同じだから。 ただやっかいなのは、右側のレーベルのものはプレスミスのある盤が多く、溝も少し粗い感じでロードノイズが出るものが
多い印象で、品質に難がある。 左側はプレス品質が安定していて、ノイズ感は基本的にはない。

ジャケットにも違いがあって、US盤は普通の厚紙素材に黄味がかったクリーム色で中央の絵画が茶色の水彩画のようだが、ドイツ盤はエンボス加工の素材に
白っぽいアイボリーで中央絵画は蒼味がかった黒色の水墨画のような感じ。 ドイツ盤のほうが上品な印象だ。


このアルバムはよく売れるから、そのうちに復刻再発盤がレコードで出るだろう。 それがEUプレスだったらドイツのマスターを使う可能性があり、その場合は
音質に期待ができる。 ただでさえ、最近の復刻アナログの質の高さには驚かされるのだから、その日が来ることを願って楽しみに待ちたい。




こちらは、残念なアメリカのオリジナルプレス。 何でもかんでもオリジナルがいい、ということでは決してないのだ。


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多様性豊かな良質さ

2017年11月04日 | Jazz LP (Warwick)

Curtis Fuller / Boss Of The Soul-Stream Trombone  ( 米 Warwick W 2038 )


大体いつもミドルクラスとして転がっているレコードで、普段から特に熱心にこの人を聴いている訳でもないから長らくスルーしていた1枚だったが、この1か月は
あまりに中古の出が悪く空振りが続くので拾ってみたら、これが意外にも良い内容で驚いた。

このアルバムは、その音楽性の良さで聴かせる作品だ。 アフロ・キューバンな曲があったり、望郷的なスロー・バラードがあったり、と多様な曲調が上手く
配置されていて、カーティス・フラーが引き出しの多いミュージシャンだったんだなということがよくわかる。 J.J.がエスタブリッシュメントとして大手のレーベルしか
相手にしなかったせいでトロンボーンの席が空いていたから引き合いが多かったのかと思っていたけど、案外こういう柔軟な音楽性を発揮したから
いろんなところから声が掛かっていたというのが実態だったのかもしれない。 これを聴いて、ちょっと見直した。

ユーゼフ・ラティーフやフレディ・ハバードも出しゃばらずに控えめなサポートを徹底していて、3管の割にはサウンドが静かですっきりとしているのもいい。
ウォルター・ビショップも趣味の良さとハード・ドライヴィングを両立させた上手いピアノを弾いている。 全体のサウンドが筋のいいハードバップに纏まっていて、
これは極めて良質な内容だと思う。 

J.J.ジョンソンのトロンボーンは本当に上手くて、この人は別格だなといつも思うけど、レコードに関してだけ言えばつまらないものが多く、我々マニアには
親しみにくい存在だが、カーティス・フラーはその逆で、演奏自体はイマイチだけどレコードに関しては良いものがたくさん残っている。 それだけ地に足の着いた
音楽をやることができたということなのかもしれない。 その中でも、これは特に強く印象に残る1枚と言っていい。 他の高額な盤を無理して買わなくても、
手頃な価格で手に入るこれを聴けばこの人の良さは十分に楽しめる。


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地方都市の名も無き風景

2017年11月03日 | Jazz LP

The Pat Britt Quintet / Jazz From San Francisco  ( 米 Crestview Records CRS 3075 )


名前を知っている演奏家は1人もいない。 おそらくサン・フランシスコで活動していたローカル・ミュージシャンたちだったのだろう。 アルトと
ヴァルヴ・トローンボーンの2管編成で1968年に録音されている。 主役のパット・ブリットは他にもアルバムがあるみたいだが、ウィキペディアにも名前が登録されていない。

でも、これが飾り気がなくてなかなかいい。 ハード・バップとモーダルのハイブリットのような感じだけど、ストレートなジャズだ。 どこかで
聴いたようなフラグメントもちらほら見られるけど、不器用ながらも一生懸命取り繕いながら演奏していて、いつの間にか好感をもって聴いている
自分がいる。

1968年と言えばフリーやファンクの嵐も過ぎ去って、瓦礫が覆う荒地のような風景だったろうけど、そういう荒涼とした地方都市の片隅で細々と
こういうジャズが残り少ない木々を燃料に小さく頼りなく揺れている薪の炎のように生き残っていた。 そうやってあちこちに点在していた
ひとコマを偶然切り取ったかのような、ありふれた日常の中の何気ない音楽のように聴こえる。 "Jim Beam Blues" なんてタイトルがそれを
物語っている。

アルトとヴァルヴ・トロンボーンの組み合わせって他にあったかな、と考えたけど思い付かない。 私が知らないだけかもしれないが、あまり
見かけない構成なのは間違いない。 でも、特にハーモニーの妙を聴かせようとするでもなく、各々がストレートに吹き進んで行く。 
そういう素っ気なさもかえって好ましい。

A面の最後に置かれた "Let's Play" という曲は欧州ジャズのような雰囲気があったり、"Nancy" では枯れた抒情が切なかったり、聴き所もしっかりと
ある。マイナー感いっぱいの安っぽいつくりのレコードだけれど、どこか心に残るところのあるレコードだ。



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