廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

マイルスが書いた美しい楽曲

2023年01月02日 | Jazz LP (Columbia)

Miles Davis / Someday My Prince Will Come  ( 米 Columbia CL1656 )


このアルバムは、私にとってはB面トップの "Drad-Dog" を聴くためにある。当時のコロンビアの社長だったゴダード・リーバーソンの名前を
逆さ綴りにしたという意味のよくわからないタイトルのせいでこの曲の良さが人目を引かないが、これはマイルスの抒情性がよく出た名曲だ。
マイルスはアルバムの中にそれまで誰も取り上げなかった隠れた名曲をひっそりと潜ませることがよくあって( "Summer Night" だったり、
"Something I Dreamed Last Night" だったり)、本人もそういうのを愉しんでやっていたフシがあるけれど、この "Drad-Dog" もそういう1曲だ。

ウィントン・ケリーの音数の少ないピアノが美しく、この音の積み重ねが抒情性を帯びた曲想を形作っていく。ハンク・モブレーの柔らかい音色が
短く呟くのもいいアクセントになっている。コルトレーンが加わる硬質な曲との対比が際立つ。とかくモブレーの弱さが批判されるアルバムだが、
この楽曲に関してはモブレーでよかったのだと思う。

マイルスのアルバムのいいところは、こういう美しい音楽を常に忘れないところだったんだよなあと思う。これだけのメンバーが揃い、せっかく
逞しくなったコルトレーンを呼び寄せることができたんだから、もっとハードな演奏でアルバム全体を埋め尽くすことだってできたはずなのに、
そうはしなかった。冒頭のタイトル曲も可憐な曲想と骨太で硬派な演奏が上手く両立しているし、バラードの配置も忘れない。他のアーティストの
アルバムをたくさん聴けば聴く程、彼のアルバムのそういう特異性が傑出して見えてくる。こんなアルバムを作った人は他に誰もいないのだ。

このレコードはマイルスのコロンビアの中でもダントツで音がいい。ちょうどプレス機の入れ替えやレーベルデザインの変更時期に製造された
関係でごく稀にCBSロゴのないレーベルや溝ありの個体が出てくるがそれらは単なるイレギュラープレスであり、この写真のようにCBSロゴが
あり溝のない形状のものがレギュラーのオリジナルということでいい。他のタイトルに比べてきれいな物があまり出てこない印象があるので、
価値があるのはそちらの方ではないか。



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疑似ステレオは悪なのか

2023年01月02日 | Jazz LP (Columbia)

Miles Davis / 'Round About Midnight  ( 米 Columbia CS 8649 )


新年の縁起物はマイルス・デイヴィスということで、今年もやる。

まだプレスティッジとの契約が切れていない中で録音したコロンビア第1弾のこのアルバムは天下の大名盤として不動の地位を保っているが、
実のところは各曲の演奏時間が短くて不完全燃焼感が残ることと、録音時期が古いせいで音場感がデッドで、コロンビアにしては珍しく
高音質とは言い難いレコードである。端正で優れたテーマ部のアレンジが物凄くカッコよく、音楽的には満点の出来だが、本人の自伝を読むと
同時期に併行して行われたプレスティッジへのマラソン・セッションの方へはたくさん言及していて、演奏内容にも非常に満足していた様子が
伺えるが、こちらの録音については録音した事実には触れているが内容については一切言及がない。マイルスはまだ自身が若くてやんちゃ盛り
だったプレスティッジ時代の日々に非常に愛着があったらしく、嬉しそうにそして慈しむようにその頃の出来事を話している。

それに引き換えこのアルバムの録音経緯については、ジョージ・アヴァキャンが大金を積んでマイルスを引き抜いたことへの後ろめたさから
移籍したことへの言い訳に終始していて、肝心のアルバム制作に関する自身の想いが語られていない。だからそれを補完するとすれば、
おそらくマイルスはこのアルバムでグループのエキサイティングなアドリブ至芸を披露したかったのではなく、ジャズという音楽がクラシック
などの他の音楽様式と比較しても何も遜色はないのだということを示したかったのではないだろうか。

このアルバムの最初の発売はコロンビアがモノラルとステレオを同時発売するようになる前のことだったので、ステレオプレスはかなり後に
なってからリリースされている。当然疑似ステレオで、ジャケットにも仰々しくその旨が書かれていたりして、このステレオプレスについては
誰も相手にしない。でも、モノラルプレスの音質に満足できない私は、ちょうど安レコとして転がっていたこの版としては3rd プレスくらいの
盤を拾って聴いてみた。

疑似ステによくある左右に楽器を極端に振り分けたような感じではなく、音場全体に残響を付加したようなサウンドで、これが悪くない。
楽器の音色はモノラルプレスとさほど変わらないが、空間に拡がりが感じられて、チェンバースのベースの音圧が上がり、よりクリアに聴こえる。
残響がこの音楽の仄暗い雰囲気を盛り上げるのに一役かっており、"'Round Midnight" や "Dear Old Stockholm" のようなハードボイルドな楽曲の
良さがより引き立つ感じだ。高音質になったかというとそこまでは行っていなけれど、このアルバムが持っていたカッコよさみたいなものが
半歩ほど前進した感じはある。疑似ステレオという言葉には「偽物」という語感が伴いイメージが悪いけれど、これは全然悪くはないと思った。






素晴らしいカヴァー・アートだが、これはコロンビア専属のデザイナーだった Sadamitsu Neil Fujita というハワイへ入植した日本人移民の
家に生まれた日系アメリカ人がデザインした。デイヴ・ブルーベックの "Time Out" も彼のデザインだ。






録音風景がこうして残されている。まるで音楽が聴こえてくるかのよう。ジャケットの写真は裏焼きだったのだ。





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今年の収穫の1枚(2)

2022年12月30日 | Jazz LP (Columbia)

Thelonious Monk / Underground  ( 米 Columbia CS 9632 )


これは680円で買った。ユニオンのレギュラー盤(国内盤メイン)の新入荷のエサ箱で平日に見つけた。眼にした時はさすがに手が震えたけど、
すぐに冷静になって「どうせ盤質が悪いんだろう」と思って検盤したら、盤は傷一つなくピカピカで、ジャケットもトラックシートに書き込みが
あるけど破損とかもない。どこかに落とし穴があるのでは?と色々と探ってみたけど、瑕疵は見つからなかった。普通にセールにかかれば
2~3万円くらいのタイトルなので、きっと何か手違いがあったのだろう。

コロンビアのレコードにはステレオ期のタイトルでラジオ局向けにプロモーション用に配布されたものがあり、タイトルによってはこのプロモ盤
だけにモノラルプレスが存在するものがある。ジャズの場合はこのモンクの "Underground" とマイルスの "Nefertiti" が Promo Only "Mono" として
高値が付く。マイルスの方は2年に1回くらいの頻度で見るけど、どれも状態が悪いものばかりだったが、これはそもそも現物自体を初めて見た。
だから、手にした時に震えたのである。

音質はどうかというと、元々の録音がいいのでもちろん良好な音質だけど、特にプロモだから、という感じはない。家にある普通のステレオ盤と
聴き比べてみても、これが特に高音質だとは感じられない。67~68年にかけて録音されたものだから当然ステレオ録音で、モノラル盤はミックス
ダウンされているということだけど、それによる音質劣化はなく、ステレオ盤に近い音場感だ。

ロックの世界ではプロモ盤はとにかく有難がられるし、SNSなどでも高音質だと騒がれているけれど、ジャズに関して言えばプロモ盤が
特別に音がいいと感じたことは私自身はこれまでに1度もない。だから、この手の話はレコードを売る側が少しでも高く売りたいがために
仕掛けた話であって、それにコレクター側が踊らされているだけなのでは?と私自身は懐疑的だ。ただ、この Promo Only "Mono" は弾数が
少ないという稀少性が高値の根拠となっていて、裏を返せば単なるイレギュラーなバージョンに過ぎないということでしかないけれど、
それについては蒐集の世界固有の特殊な常識としてある程度は理解できる。

ただ、そういう既定路線とはまったく別の処にこのレコードが転がっていて、それに邂逅したというこの趣味の1番の醍醐味を味わうことができた
というところに他では代替の効かない価値があった。中古レコードは探すことが1番楽しいのである。予め用意されたリストに載っているものを
買う、というのとは楽しさの質が根本的にまったく違う。



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ブルーベック・カルテット最後のアルバム

2022年06月05日 | Jazz LP (Columbia)

The Dave Brubeck Quartet / The Last Time We Saw Paris  ( 米 Columbia CS 9672 )


洗練の極み、とはこのアルバムのためにある言葉。白人ミュージシャンには黒人ミュージシャンがやるようなジャズは結局できず仕舞いだったが、
逆にこの洗練の高みを極めたような演奏は黒人ミュージシャンにはできなかった。

このアルバムはデイヴ・ブルーベック・カルテットの最後の公式アルバムで、この後バンドは解散した。
最も成功した白人ジャズグループとして、彼らの生活は多忙を極めていた。長期間行われる世界各地でのツアー生活、その合間を縫って行われる
レコーディング。そういう生活が長く続いたせいで、バンドのメンバーたちは疲弊し、精神的にも不安定になり、関係もギクシャクし始めた。
互いに会話することもなくなり、返答もいつも決まった言葉を返すだけになった。そして、もうこれ以上は限界だと悟ったブルーベックは67年
いっぱいでバンドを解散することを決意する。そんな中で行われた最後の欧州ツアーの様子がここには収められている。

晩秋のパリで行われた演奏はどこまでも優雅にスイングして、まるでカシミヤのような質感。バンドの内情がそういう状態だったということが
とても信じられない。ブルーペックのピアノはいつになく穏やかで、聴き入ってしまう。自作の "Forty Days" での彼のピアノは、まるで後年の
キース・ジャレットのような思索的な演奏で、これには驚かされる。10年も前にブルーベックが先取りしていたということだ。

行儀のよい欧州の観客が静かに見守る中、ライヴ会場独特の広い空間を感じる独特の雰囲気に包まれながらポール・デスモンドの冷たく澄んだ
アルトが優雅に舞う。この静かなアルトを聴いて鳥肌が立たない人がいるだろうか。

このアルバムには "One Moment Worth Years" や "La Paloma Azul" などの美しい名曲が選ばれているところも魅力の1つで、アルバムの
素晴らしさを後押ししている。加えて録音が非常によく、見事な音質でこの優美な音楽が聴ける。

デイヴの妻であるイオラ・ブルーベックがライナーノーツを書いているが、当時は67年末で解散することは公表されおらず、この欧州ツアーも
"フェアウェル・ツアー" であることは告知されていなかったが、英国やその他の現地では既にその噂が拡がっていたらしかった。このパリ公演も
デスモンドのアルトの演奏が終わるたびに大きな拍手が沸き起こり、最後の "Three To Get Ready" が終わると、まるで会場が割れるような
大きな歓声と拍手が沸き起こる。その反応が大きければ大きいほど、聴いているこちらの寂しさも大きくなる。



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Columbia のステレオを愉しむ(2)

2020年10月14日 | Jazz LP (Columbia)

Billie Holiday / Lady In Satin  ( 米 Columbia CS 8048 )


ステレオ方式という技術は元々はクラシックの交響曲を豊かに再現するために磨き上げられた技術だから、こういうオーケストラをバックにした
アルバムをステレオで聴くというのはそれが本来の姿だろうと思う。特にこのレイ・エリスのスコアとそれを演奏するオケは圧巻の出来で、
この繊細な表情を聴くにはステレオが向いている。

ビリー・ホリデイはこういう大編成の演奏をバックにしたものが少なかった。美声を震わせて朗々と聴かせるタイプの歌ではなく、スモール
コンボの中であたかも楽器の1つであるかのように歌うタイプだと思われてせいかもしれない。声量のない彼女の歌声の背後に大編成のオケを
付けるのは向かない、と考えるのが普通だったのだろう。

ところが、その常識を覆したのがこのアルバムの凄いところだった。深い憂いと抒情に満ちたオーケストレーションの中で歌う彼女は
まるで優美なドレスを身にまとった女王のようだ。その歌声とオーケストレーションの対比によるギャップ感が大きくなればなるほど、
音楽は深みと凄みを増していく。オーケストラの演奏はまるで彼女の心情が乗り移ったかのようで、この2つは不可分な関係になっている。

モノラル盤はオーケストラが彼女の背後から背中をグイッと押し出し、彼女がステージの前面でスポットライトを浴びているような
印象に仕上がっているが、ステレオ盤はオーケストラのサウンドが彼女のまわりを大きく取り巻いているような浮遊感があり、
その独特の空間表現が素晴らしい。キンキンのハイファイ・サウンドではなく、ノスタルジックな印象で全体をまとめたところが
このアルバムには何より相応しくて、それがいいのだと思う。


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Columbia のステレオを愉しむ

2020年10月12日 | Jazz LP (Columbia)

Freidrich Gulda / Ineffable  ( 米 Columbia CS 9146 )


値段が安かった、というだけの理由で拾ったのが2年前。すぐに飽きるかなと思っていたが、予想に反して結構気に入って、今も聴いている。

居場所の無さが創り上げた世界 - 廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

そんな中、更に安いステレオ盤が転がっていたので拾ってみたが、案の定、音がいい。楽器の音のクリアさ、各楽器の配置、音場の拡がり、
どれをとっても申し分ない。モノラルも悪くないけど、やはりステレオプレスのほうが自然な音である。

この音場感で聴いていると、やはりピアノの上手さの違いがはっきりとわかる。特に弱音で弾いてる時の音の粒立ちの良さが他のジャズの
ピアニストだちとはまったく違う。如何にもクラシックで鍛えられた豪腕だが、不思議とジャズとの親和性が高い。クラシック臭さがなく、
しっかりとジャズ・ピアノになっている。「スイングしなければ~」というような話の次元はとっくに超えている。

ジャズやクラシックなどのジャンルを問わず、ピアノを聴く音楽にはピアニストの腕前を聴く音楽と元々の楽曲を愉しむ音楽の
2種類に分かれるような気がするけど、このアルバムは言うまでもなく前者のタイプ。そして、その方がもちろん面白い。


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日常を描いたアルバム

2020年07月08日 | Jazz LP (Columbia)

Keith Jarrett / Expectations  ( 米 Columbia KG 31580 )


いつも楽しいsenriyanさんのブログきっかけで探していた本盤、安レコが転がっていたので拾った。今回、初聴きだ。キースはアルバムが多く、
熱狂的なファンでもない私は未聴のアルバムが多いので、何かのきっかけを利用してボチボチ聴いていくというゆるいスタンスでいる。
このアルバム、どうやら評判の方はあまり芳しくないようだが、そうなると俄然興味が湧いてくる。

キース・ジャレットのアルバムを身銭を切って買うのは、大抵の場合、あの耽美的な世界にどっぷりと浸りたいからだろう。だから、そういうつもりで
このアルバムを聴くと、「金返せ~」となるのは無理はない。そういう気分でレビューすると、当然辛口にもなるだろう。しかし、私の場合は最初から
どういう内容かわかった上での買い物なので、ニュートラルに聴くことができる。

ここには、おそらく、当時の日常の風景が描かれている。8ビートのリズムは街の鼓動であり、ファズ・ギターやソプラノ・サックスが表現するのは人々の
とりとめのない会話であり、それらの中で時々考え事をするかのようにみずみずしいピアノが短く歌う。これを聴いていて目の前に浮かんでくるのは、
彼を取り巻いていた日々の息遣いのようなものだ。街の中を闊歩し、車の行き交う音やクラクションの洪水を抜け、カフェでコーヒーを飲み、
誰かと気楽におしゃべりをする。そういう毎日繰り返される生活の営みが描かれているように感じる。

だから、この世界観は親しみやすい。非日常的な北欧の冷たい空気感などあるわけがない。あるのは、もっと暖かい人の体温のようなものである。
そして、何かを主張するような込み入った感情の重さなどもなく、もっと軽やかだ。よく履き込んだ古びたスニーカーを履いて、友達に会いに行くような
カジュアルさに溢れている。

アメリカン・カルテットが演奏したジャズ作品、というような印象すらない。ジャズという形式など、最初から頭にはなかったのではないか。
ECMとはまったく違う意味で、結構おもしろく聴ける。ある時期からはECM一辺倒になってイメージが固定化してしまうけれど、もっとこういう毛色の
違うアルバムをどんどんやればよかったんじゃないか、と思う。一つの成功体験をなぞり過ぎると飽きがくる。唯一評価を得られることができなかった
これらの分野が放置されたまま発展に至らなかったのは残念な気がする。


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仏盤で聴く "A Portrait Of Thelonious"

2020年06月27日 | Jazz LP (Columbia)

Bud Powell / A Portrait Of Thelonious"  ( 仏 Columbia S 63.246 )


パリのスタジオでの録音だが、これはアメリカ盤がオリジナルということでいいだろう。ただ、家にあるのはモノラル盤で、ちょうどステレオ盤は
聴いたことがなかったので、まあいいかと拾ってみた。フランス盤にはモノラルプレスがない。

当然、元々はステレオ録音だろうから、自然なサウンドだ。品のいい適度な残響を纏っていて、良好な音場感。モノラルは芯のしっかりとした骨太な
音楽を聴かせるが、こちらはもっと演奏の表情が明るい。ピアノの演奏の中に映るパウエルのいろんな表情がよくわかる。こういうところがさすがの
コロンビアだろう。音楽をより音楽的に再生してくれる。

ベースの音もクリアで輪郭がはっきりしていて、サウンドの中に埋没していない。ドラムのブラシが擦れる雰囲気もよく出ている。それぞれの音の
分離がよく、見通しのいいサウンドだ。

アメリカ盤のステレオは聴いたことがないが、おそらく国籍の違いはあまりないんじゃないかと想像する。コロンビアは元々欧米各国に製造工場を
持っており、クラシックのレコードではそれぞれ意匠は異なっていても音質は均一な仕上がりだから、ジャズでもきっとそうだろうと思う。
コロンビアの場合は国の違いよりも、モノラルかステレオかの違いの方が重要になる。このアルバムはモノラルとステレオのそれぞれに良さがあり、
甲乙は付け難い。

これでバド・パウエルの公式なレコードはすべて聴いたことになると思う。全部が手許に揃っているわけではないけれど、コレクションを目的に
しているわけではないので、これで十分だと思う。どれを聴いても、この人の演奏には感じ入るものがある。ここに載せていない盤もまだ他に
たくさんあるので、機会があればまたぼちぼちと取り上げていく。


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アメリカと日本の感性の違い

2020年06月07日 | Jazz LP (Columbia)

V.A / The Sound Of Jazz  ( 米 Clumbia CL 1098 )


アメリカのCBSテレビが1957年12月8日に放送した "The Seven Lively Arts" という番組のサントラとして、コロンビアの30番街のスタジオで
大物たちが集まって新たに録音したアルバム。この番組は随分と気合いの入った制作だったようで、一流雑誌の Harper's がスポンサーとなり、
ジャック・スマイトが番組ディレクターに就き、ナット・ヘントフが音楽監修を務めるなど、錚々たる顔ぶれが並んでいる。そして、参加した
ジャズ・ミュージシャンも大物が揃えられた。

やはり何と言ってもビリー・ホリデイの "Fine And Mel'ow" が貴重で、レスター・ヤング、コールマン・ホーキンス、ベン・ウェブスター、の3人が
バックで吹く夢の共演をしていて、シブいところではドク・チーサムのオブリガートが聴けるのが嬉しい。この1曲のためだけに買う価値がある。

このアルバムにはいろんな示唆が含まれていて、例えばそれは、メンバーの人選のセンスが日本人のそれとは大きく違うというところだったりする。
番組の内容はおそらくは一般大衆にジャズという音楽を紹介するものだったのだろうと想像するが、その際に日本人ならこういうメンツを並べるか、
という話である。ここにはデューク・エリントンもマイルス・デイヴィスもソニー・ロリンズもいない。

冒頭がレッド・アレンで幕を開けるというのが何ともシブいわけだが、ジミー・ジュフリーにしろ、ジミー・ラッシングにしろ、日本では誰からも
相手にされないブラインド・スポットにいるようなアーティストたちがビリー・ホリデイやカウント・ベイシーと堂々と肩を並べている。
日本人がジャズという音楽を紹介する場合に、こういうメンツで説明しようと考える人はいない。こういうところに、アメリカと日本での
ジャズへの認識の違い、感性の違いが如実に現れてくる。有名大物アーティストのアルバムを並べるだけで事を済ませようとする日本のジャズを
取り巻く状況の退屈さは、もはや手の施しようがない。

ジャズを聴き始めてまだ右も左もわからない頃にガイドとして何をお手本にするか、というのは重要になってくる。「名盤100選」は確かに便利
なガイドの1つだが、あれだけでは不十分なのだということが今になるとよくわかる。昔はネットがなくて頼れる情報が限られていたこともあり、
ああいう類いの本に頼るしか手段がなかったが、今はそういうものに縛られる必要はまったくないのだから、本物・偽物をよく見極めた上で
広く学べばいいと思う。我々に言わせれば、そういう面では本当に恵まれた時代になったのだから。


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バド・パウエルの肖像

2020年05月20日 | Jazz LP (Columbia)

Bud Powell / A Portrait Of Thelonious  ( 米 Columbia CL 2092 )


1961年12月、渡仏したキャノンボール・アダレイはプロデューサーとして、パリのシャルロット・スタジオで2つのセッションを録音した。
1つは15日にバド・パウエル、ピエール・ミシュロ、ケニー・クラークの "The Three Bosses" にドン・バイアスとアイドリース・スリーマンを加えたもの、
もう1つは2日後の17日に管楽器を外したパウエルらのピアノ・トリオによる演奏。但しこの2つのセッションは一旦お蔵入りとなり、前者は1979年、
後者は1965年になってようやく発売された。後者はアルバムとして発売される際にスタジオ演奏の上に観客の拍手をオーヴァー・ダビングしている。
どうしてこういう経緯を経たのかはよくわからない。

アルバム・タイトルも不思議で、確かにモンクの曲が半分を占めているとは言え、この構成から「セロニアスの肖像」とするにはいささか無理がある
ような気がする。メンバーたちはそういうつもりでレコーディングをしたとは思えず、このアルバムには制作上の不可解な混乱の跡が残っている。
もしかしたら、録音時点では発売先は決まっておらず、後にコロンビアがキャノンボールから版権を買い取ったのかもしれない。そのため、制作の
意図と発売の形式が噛み合っていない結果となってしまったのかもしれない。

そういうわからないことだらけのアルバムではあるけれど、幸いなことに、ここで聴ける演奏は圧倒的に素晴らしい。私自身は欧州移住時に録音
されたパウエルのアルバムの中では、これが一番好きだ。

パウエルは運指が滑らかでフレーズもイマジネイティヴだが、ここでの演奏にはそういうことにプラスして深いタメが効いている感じがある。
だから演奏全体に哀しみのようなものが漂っていて、それが切ない。ヴァーヴ盤で聴けるような朽ち果てていこうとする際の哀感ではなく、
音楽家として成熟を極めた感性から放たれる深い芳香のようなものだ。この演奏に枯れている様子は見られず、逆にみずみずしいくらいだ。
選曲も良く、アール・ボステックの "No Name Blues" なんてイカした曲も入っている。

そういうことを感じることができるのは、録音が良いおかげかもしれない。ステレオ盤は聴いたことがないのでよくわからないが、手持ちの
モノラル盤は音が深く澄んでいて、適度な残響と拡がりのある空間が感じられるとてもいい音だ。楽器の音もクリアで演奏の微細なニュアンスも
手に取るようによくわかる。そのおかげで、演奏の良さがより際立っているのかもしれない。

パウエルのピアノ・トリオにはただのピアノ・トリオだけには終わらないものがたくさん含まれているので、やはり管楽器のバックではなく、
トリオなり、ソロで聴きたい。そういうピアニストは、エヴァンスなどを含めてごく一握りしかいない。このアルバムは「セロニアスの肖像」
ではなく、「バド・パウエルの肖像」なのだ。


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コルトレーンに変わる存在として

2020年05月01日 | Jazz LP (Columbia)

Charles Lloyd / Discovery !  ( 米 Columbia CS 9067 )


60年代後半にチャールズ・ロイドが時代の寵児としてもてはやされたのは、おそらくは行き過ぎて手の届かなくなったコルトレーンの穴を埋める
存在として一番相応しかったからではないかと想像する。音色も吹き方もフレージングも、その何もかもがコルトレーンそのものと言っていい
この人の登場は、人々の渇いた喉を潤す救世主のように映ったのではないだろうか。

このアルバム・タイトルはまさにそういう存在を発見した制作サイドの当時の気持ちを言い表しているように思う。誰もがコルトレーンに変わる
新しい存在を探していた時に現れた期待の星だったのだろう。デビュー作がいきなりコロンビアなのだから、ザイトリンなんかと似た待遇だ。
"酒バラ" 以外は自作を揃えていて、その期待にきちんと応えようとしていたことがわかる。アーティスト本人と制作側の双方のやる気が揃った
のだから、出来のいい内容になるのは当然だったのかもしれない。

このアルバムはコロンビアが誇る高品質な音、ドン・フリードマンの澄んだピアノなどがロイドの重厚さを上手く中和していて、全体のバランスが
とてもいい。ロイドがテナーの演奏を完全に掌握している様子が手に取るようにわかる。コロンビア録音でよかったね、という感じだ。

現在も健在で、コルトレーンの倍の時間を生きて、新作をリリースし続けている。時節柄、健康に気を付けて頑張ってもらいたいと思う。


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神々の本気

2020年04月29日 | Jazz LP (Columbia)

Herbie Hancock, Dexter Gordon, 他 / 'Round Midnight ~ Original Motion Picture Soundtrack  ( 米 Columbia C 40464 )


この映画が公開された時、私は封切をちゃんと観に行った。もう随分昔のことになる。新宿歌舞伎町の一番奥にある、噴水を中心にして小さな
ターミナル状に映画館が取り囲んだ中の一画だったと思う。映画自体は可もなく不可もなく、ストーリーももうほとんど覚えていない。
当時はここに出演しているビッグ・ネームたちの多くは普通に音楽活動していたし、さほど彼らの出演自体も有難みは薄かったように思う。
ただ、デックスだけは別で、あまり表に顔を出さないこの人がまさか、という驚きをもって迎えられたように記憶している。
伝説のミュージシャンを地でいくような感じだった。

まだジャズを聴き出してそれほど時間も経っていない駆け出しのファンだった私はすぐにサントラ盤を買って聴いていたけれど、当時はどの楽曲も
短く刈り込まれて大雑把な演奏に思えて、まあこんなもんか、という感じで接していた。ところが、それから少し時間が経ったある時期を境にして
ここで聴ける演奏の凄さがわかるようになり、今では頻繁に聴く愛聴盤になっている。

ハービー・ハンコックが音楽監督として全体を制御、適材適所で見事な采配を振るっている。彼自身のプレイも素晴らしく、マイルスのバンドに
いた頃のアコースティック・ハービーの透徹した演奏が素晴らしい。

ハイライトの1つはやはりデックスで、"Body and Soul" では彼がこの曲をやる際に昔からやっているイントロのフレーズから始まって、最後まで
原曲のメロディーをまったく使わずにバラードを朗々と吹き切る。同じコード進行上で別メロディーの楽曲のように展開しながら、どこか遠くで
"Body and Soul" の聴き慣れたメロディーが同時に鳴っているような、パーカーやエヴァンスが多用したパラドキシカルな演奏が圧巻だ。

ゴルソンではなくケニー:ドーハムが書いた方の "Fair Weather" をチェット・ベイカーが気怠く内省的に歌い、ハービーが伴奏を付ける。
こんな夢のような組み合わせ、他では考えられないではないか。

また、ハービー、ロン・カーター、トニー・ウィリアムスのトリオにボビー・マクファーリンがマイルスのミュート・トランペットの役割として
加わる "Round Midnight" と "Chan's Song" は、敢えて大袈裟に言うなら、現代の巨匠たちがジャズという偉大な音楽へ捧げた祈りのような演奏だ。
静かな演奏なのに、トニーのドラムのなんと凄いことか。

映画のサウンドトラックという肩書などどうでもいい。ジャズの神々が集まって本気を出した、凄まじい演奏の記録である。


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見た目はイケてるのに名盤になれなかった作品

2020年03月20日 | Jazz LP (Columbia)

The Jazz Messengers  ( 米 Columbia CL 897 )


マニアでなくても食指のそそるアルバムだ。ブルーノートお抱えのメンバーなので表向きはメンバーの名前を出せなかったにもかかわらず、
ジャケットを見ればブルーノート・セッションと同等内容であることは一目瞭然。でも、聴き終えた後には物足りなさが残る。

メンバーの演奏はいつも通り溌剌としていて、勢いもある。典型的なハードバップスタイルだし、ドナルド・バードもモブレーもよく鳴っている。
名曲 "Nica's Dream" も入っていて、ちゃんとゴルソン・アレンジで演奏している。この曲でのモブレーの長尺のソロは極めて秀逸で、彼の良さが
よく出ている。ホレス・シルヴァーのソロも素晴らしい。シルヴァー、ワトキンス、ブレイキーの3人の演奏はこの時代の1つのモデルケースと言える
演奏で、まあ、完璧だ。これ以上の演奏は望めないだろう。

そうやって個々の要素を見ていけば満点なのに、なぜか、物足りない。それが不思議でツラツラと考えていくと、いくつかの欠点が見えてくる。
まず、コロンビアの優等生的な音場感と典型的なハードバップ・スタイルとのミス・マッチだ。無菌室のような、塵一つないショーウィンドウのような
清潔な空間で鳴る紫煙漂うハードバップはどことなく居心地の悪さを感じる。この録音は極めて良好だけど、この音楽のタイプにはあまり合わない。

もう1つは、ここで披露される音楽があまりにも紋切り型だということだろう。定規で採寸されたかのようなスタイルがスリル感を削いでいる。
メンバーの演奏も寸分たがわぬイメージ通りの演奏で、絵に描いたような予定調和な世界。聴く前に抱くイメージを音楽を聴きながら後追いで
確認し続けるような作業になることの退屈さ。美しく完成された造形がもたらす行き止まりの閉塞感、みたいなものをどうしても感じてしまう。

そこまで突き詰めて考えなくても、聴いた時に直感的に全身で感じる痺れるような良さみたいなものが希薄であることは間違いない。これだけの
メンツが揃いながらも名盤の列に入れなかったのは、それなりの理由があるということだと思う。

尤も、これはマニア受けするレコードなので、そういう意味では有難みのある存在かもしれない。メンツの良さ、コロンビアの優秀なモノづくり、
メジャーレーベルで聴ける良質なハードバップは意外と少ないので、存在感はそれなりにある。ジャズはマイナーな音楽だったんだなということが
改めてよくわかる。

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マイルス・デイヴィス 私的ベスト2

2020年01月02日 | Jazz LP (Columbia)

Miles Davis / Sorcerer  ( 米 Columbia CL 2732 )


2番目に好きなマイルス・デイヴィスのアルバムは、この "Sorcerer"。 第二期黄金クインテットの中ではこれが最高だと思うし、アコースティック・
マイルスの最後の傑作だと思う。"Miles Smiles" も "Nefertiti" もいいんだけれど、このアルバムにはある種の風格が漂っていて、そこに殺られる。

冒頭の "Price Of Darkness" でいきなり頂点の演奏を見せる。このグループの演奏の中核はトニー・ウィリアムスだけど、彼の煽情的なドラムが
炸裂する。当時のマイルス・クインテットのライヴ映像を見ると、トニーのドラム・セットのシンプルさに衝撃を受ける。あんなに少ない構成でこんな
プレイをしていたというのが未だに信じられない。彼ならスネアとハイハットだけで人を戦場へと送り出すことができるんじゃないか、という気がする。

ガーランドやコルトレーンを手放し、この新しいグループを作るまで、マイルスは妥協することなく非常に時間をかけた。自分の目指す音楽を実現できる
メンバーが揃うまで、本当に辛抱強く待った。ハービーなんてマイルスのバンドに入る前は全然目立たない存在だったのに、一体どうやって彼の資質を
見抜いたんだろう、というのが不思議でならない。それでもこのメンツが揃い、こういう音楽が残ったのだから、凄いとしか言いようがない。

マイルスは個人にできることは限界がある、ということをよく知っていたのだと思う。メンバーを信じて作曲や演奏の多くを任せ、グループとして
音楽を作っていったからこそ、こういう作品群が残ったわけだ。メンバーに恵まれたということはあるにしても、人選をしたのは本人なんだから、
そこから既に彼の音楽作りは始まっていたということになる。

コードによる安定感や一定のリズムキープという枠を捨てて演奏されるこのバンドの心地よさは筆舌に尽くし難い。それが決して無軌道でもなく、
粗野にもならず、洗練の極致として聴けるのだから、音楽のバランスや秩序は元々もっと違う所にあったのだとしか思えない。メロディー、リズム、
ハーモニーという音楽を構成する3要素という定説は間違っているのではないか、ということを唯一このバンドだけが証明していたような気がする。
音楽の正体を解明しようとしてきたシェーンベルグ以降のクラシックの近代楽派や欧州のフリ-ジャズ演奏家たち、欧米のプログレなどを聴いても
どこか腑に落ちない不納得感からは逃れられないのに、マイルスのこのアルバムはいともたやすく何かを提示しているような気がしてならない。

アコースティック・ジャズとしてできることはもうこれ以上は無い、ということで次の段階へ行ったのは当然だったと思う。マイルスにそう思わせた
4人の若者たちには何の罪もないけれど、もっとこのジャズを聴きたかったという恨み節をいつまでたっても捨てることができないのも事実である。
どの時期の演奏も良くて優劣の差なんてないけれど、やはりこの時期の演奏は格別なものがある。


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マイルス・デイヴィス 私的ベスト1

2020年01月01日 | Jazz LP (Columbia)

Miles Davis / Porgy And Bess  ( 米 Columbia CL 1274 )


新年の縁起物は毎年マイルス・デイヴィスということになっているので、今年もやる。

私が最も好きなマイルスのアルバムは、この "Porgy And Bess"。好きなものベスト〇〇というのは大抵の場合はその時の気分で変動するものだけど、
これに限っては不動の1位である。

このアルバム全体を貫いて流れる暗く不気味なモードの雰囲気がたまらない。原曲のスコアがあるので完全なコードレスというわけにはいかないが、
それでもギル・エヴァンスはこの作品のカラーを完全に塗り替えることに成功しており、まったく新しい音楽を提示した。中でも最も秀逸な事例は
"Summertime" で、これは凄いアレンジである。マイルスが取るリードの背景で重奏の似て非なる旋律が併走しながら絡み合って溶け合っていく様が
恐ろしい。

オーケストレーションというにはあまりに旋律的で、第2のリードパートのような背景が深みを持ってじわじわと拡がっていく。マイルスのラッパが
全編に渡ってとてもよく歌っており、彼が誰よりも歌を聴かせることができるトランペッターだということを証明している。テナーサックスが1人も
いない重奏の音色がとても新鮮で、ありふれたジャズのサウンドとは根本的に違っているのがいい。

元々は土着的で蒸し暑い夏の夜を想起させる内容だが、ここではグッと都会的に洗練されながらも抽象的なテクスチュアーがうっすらと施された
後にも先にも聴いたことがないような音楽へと変容していて、単なるジャズの1アルバムというレベルでは片付かない話になっている。
それでいて1度聴くと、その手触りや質感は忘れようがないほどクッキリと心に残る。学生時代に初めてこのアルバムを聴いた時、事前にイメージ
していた雰囲気とはまったくかけ離れた内容に非常に戸惑ったけれど、その時に残った印象は好き嫌いを超えてあまりに強烈だった。
私にとって、このアルバムがもたらすインパクトは "Kind Of Blue" のようなわかりやすい異質性などとは比較にならないほど大きかった。

以来、このアルバムが最も好きで、現在に至っている。高級ブランドの広告写真のようなジャケットのアートワークも素晴らしい。
すべてのジャズアルバムの中でこのジャケットが1番好きだ。







うちにはこのアルバムが2枚ある。好きなアルバムだからということもあるが、もう1枚は Side B が手書きマトリクスだからだ。
コロンビアのような量産プレスのレコードに手書きマトリクスがあるなんて知らなかったので、これを見た時は非常に驚いた。

気になる音質だが、通常の機械打ちよりも残響に深みがあるような気がする。最初の写真のものはコレクターが喜ぶプロモ盤だが、それよりも
音場感にグッと深みがあるように聴こえる。レコードの音の良し悪しはスタンパーの問題もあるが、それ以前に塩化ビニールの素材に原型を
何秒間押し当てたかというプレス時間に依存する。ラジオ局や販促用・評論家向けに配布されたいわゆるプロモ盤が音がいいと言われるのは、
それらのレコードが通常のレギュラー盤よりもプレス時間が長めに製造されているからだ。レコード会社はレコードをたくさん売るために
できるだけいい音で聴いてもらえるよう、意図的にそういう特殊なプレスをして関係先に配布した。これは実際に製造工場でレコードを作って
いた人から間接的に人を通して聴いた話なので、どうやら本当のことらしい。ただ、私の経験上、プロモ盤だからどれもがレギュラー盤よりも
音がいい、という話は嘘だと思う。聴き比べても、何も違いがないタイトルはたくさんあった。

上記の2枚については気のせいかもしれないけれど、感覚的にはそう思えるのだから、手書きマトリクス盤が手許に残っている。
ちなみにこれを買ったのはDU 新宿ジャズ館で、値段は2,160円。値札には特段何もコメントはなかった。

やっかいなことがもう1つ。 "Kind Of Blue" のモノラルプレスにも Side A に手書きマトリクスが入った盤がある、ということだ。
私は実際に見たことがないが、どういう音がするのかちょっと興味がある。


コメント (2)
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