廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

1年を振り返って思うこと

2018年12月31日 | Jazz LP (Riverside)

Bill Evans / Waltz For Debby  ( 米Riverside RLP-399 )

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普段は自分の書いたものを読み返したりはしないけど、1年を振り返る時期が来たので過去記事を手繰ってみたらロクなレコードを取り上げていない
のがわかった。「誰もが知っている名盤は載せない」という方針でやってきたけれど、いくら何でもこれは酷すぎると思う。 個人の覚書だとは言え、
人様の眼に触れることを前提にしているんだから、もう少しわかりやすさへの配慮は必要だし、これでは内容に華も無い。 我ながら読んでいて
陰鬱な気分になった。それと、ネガティブなことを記す際はもう少しその意図がうまく伝わるような書き方をしなきゃいけない。 褒めてばかり、
明るいばかりというのは嘘になるし、つまらないと思うことはつまらないと書くべきなんだけど、その真意を伝えるのが難しい。 
この辺りの匙加減がSNSの一番難しいところだと改めて思う。
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この反省を受けて、これまで触れるのを頑なに拒んできたこの名盤で今年を締め括ることにする。 ジャズを愛好する者としてこれは避けて通ることは
不可能なアルバムだからだ。 ブログを持っていてこれに触れないのは逆に不自然だろう。 でも今はこういう名盤を取り上げるのが非常にやり辛い。
私が買った6年ほど前はボーナスが出ればまだ何とか買ってもいいような範囲の値段だったが、今はもう桁違いに高額になってしまい、常識的に考えて
手を出せるようなものではなくなってしまっているからだ。 

オリジナル盤はジャケットの質感がいいし音場感も素朴な自然さが好ましいので、本来はできるだけ多くの人の手に触れるべきだと思う。 
でも、そういう状況になっていないのは残念だ。 このレコードは他のアーティスト達のリヴァーサイドのレコードと同じ程度に弾数はあって、
別に稀少盤というわけではない。 あまりの価格の高騰ぶりに持っている人たちが「手放したらもう買い直しがきかない」と怖れて流通しなくなって
しまったのだ。 馬鹿なことをしてくれたよな、と心底思う。 

この手の本当の名盤のオリジナル盤は音楽の内容の良さとそれをより活かすモノづくりの良さを多くの人に経験させるよう、もっと流通頻度を
あげるように(少なくとも昔と同程度くらいに)していくべきなんじゃないかと思う。 一部の人だけが有難がるただの稀少盤は値段なんて
いくらでもいいと思うけど、こういうのは大人の見識で関係者は取り扱うべきだ。 そのほうが長い目で見ればいい結果になるだろうと思う。
今やマーケットの成長を牽引するべき立場なのに、万人が認める名盤だから今の相場は低すぎる、もっと価格を上げるべきだ、というような
ことしか言えないようではお先真っ暗なのではないだろうか。 競争原理が働いていないことが原因なのであれば、来年はHMVに肩入れして
みようかな、とまで考えてしまう年の瀬だった。


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2018年末 セール後半戦で果たしてリベンジできたのか?の巻

2018年12月30日 | Jazz雑記
さて、ディスクユニオンの年末セールの後半戦が始まった。 今季の前半戦は内容的にはイマイチでかなり苦戦していた感がありありだったが、ユニオンにも
プライドがある。 最後の意地をかけた大型セールをかましてきた。 ただ、緊急開催とは銘打っているけど、実際はこうなるであろうことは大方の予想通りである。
まあ、コンサート開演前に公開されるセットリストの中にアンコールの曲名が書いてあったらシラケるでしょ?ということなのかもしれない。

いずれにせよ、前半戦で惨敗を喫した私としてはこのまま手ぶらで平成を終わらせるのは如何にも後味が悪い。 ここは何とか一矢報いたい、ということで
寒波押し寄せる極寒の中、モソモソと繰り出すことにした。

メインターゲットはもちろんミドルクラスだが、今回のリストには以前から探していたものが2つ出ている。 安レコ漁りのついでにこの2枚が拾えればラッキー
いうことで、まずは御茶ノ水へ。

Jazz Tokyo に着いたのは、13:30頃。 嵐は過ぎ去ったのだろう、店内はほどほどの混み具合で落ち着いて漁ることができた。 店員のお兄さんは明らかに
疲れ切っていた。 何とも気の毒である。 小一時間ほど漁り、連れて帰ることにしたのはこの2枚だった。





狙っていた2枚のうちの1枚が、このスティーヴ・キューンの "Three Waves"。 ちゃんと衝立にフェイスで飾られていて、私が来るのを大人しく待っていた。
これでレコード時代のキューンの持っておきたかった最後の1枚が手に入った。 ステレオ盤はたまに見かけるが、モノラルの美品にはトンと縁がなかった。
これはRVGカッティングなので、まずはモノラル初版が欲しかったのだ。 今回のものは新品同様の完全ミントで、これは嬉しい。
ボビー・ティモンズのクリスマス・アルバムはありふれた安レコだが、かぜひき盤が多くてこれまで買うに買えなかったもの。 クリスマスはもう終わったけど。

目玉商品は当然売れていて、売れ残ったものを見た範囲だけの所感だけど、値段は概ねリーズナブルだったと思う。 一部おかしな値段が付いていて
誰も買わないだろう高額盤も数枚あったが、そういうものを除けば、値段だけ見ると「安いじゃん」という印象だった。 ただし、当然盤質は全体的に
イマイチだった。 おそらく店頭の買取だけでは商品が集まらず、海外買付をしてきたんだろうと思う。 如何にもそういう状態の盤が多かったし、
数は多かったけれどミドルクラスのラインナップは平凡な顔ぶれで、私の食指は動かなかった。 一応、2~4,000円くらいの盤を10枚近く検盤したけれど、
買ってもいいだろうと思えたのがティモンズ盤1枚だけだったのだ。 リストには「総枚数1,000枚以上!」と景気のいい文言が躍っていたけれど、
内実を見ればそれは寂しいものだった。 やはり、今年のセールが低調だったことは隠しようがないように私の眼には映った。


次は同じくミドルクラスがたくさん出るという新宿へ。 ブルーノートの高額盤に手を出す気はないのでここには狙っている盤はないけど、何か安レコが
買えるかと思って15:00頃に着いたが、これが見事なまでに空振り。 買いたいと思えるようなものは1枚もなかった。 やはりこの店舗は高額盤だけに
照準を合わせていて、もはや私なんかが出入りしていいような店ではなくなったきた感がある。 ブルーノートもほぼ消えていて、残っていたのは
リー・モーガンの"City Lights" だけだった。


続いて、吉祥寺へ。 ここではもう1枚の狙っていた盤を無事拾うことができた。 これでマッコイのインパルス主要3部作は揃った。





ただし、肝心の安レコがさっぱり収穫がなくどうにも収まりが悪いので、下北沢へ。 ここはジャズのセールはなく、通常運転中。 
ジャズのコーナーはガラガラである。 のんびりと探して、以下の3枚を拾った。 すべて1,000円台。





スティットの "Tune-Up!" は後期の名盤、エリントンの大作はミント状態、クリス・コナーは10インチが初出だけど年に1回くらいしか聴きたい気分に
ならないので、私にはこれで十分。 フラットのきれいな盤で、これはお買い得だったのだろう。 これで2018年最後の猟盤は終わった。


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巨匠の至芸

2018年12月29日 | Jazz LP (EmArcy / Mercury)

Erroll Garner / Solitaire  ( 米 Mercury MG-20063 )


これは、今まであまりこの人を真剣に聴いてこなかったことを反省させられたレコードになった。 正直に告白すると、エロール・ガーナーは "Concert
By The Sea" しか聴いたことがなかった。 昔から有名な名盤だけど、まあこんなものか、というくらいの感想しか持てず、そこでこの人への興味は
止まってしまっていた。 音楽を聴くためのレコードというよりは、当時如何にジャズが人気があったかを説明するための教材という感じに思えた。

ところが、このレコードはそうではない。 全編がガーナーのソロ・ピアノで、グランド・マナーで最後まで弾き切ってみせる。 その演奏力に圧倒された。
そのアプローチは古風なスタイルで、それはアート・テイタムをお手本にしているわけだけれど、テイタムのように強い支配力でねじ伏せるようなことはせず、
もっと柔軟でしなやかなうねりを見せる。 音楽はとても自然に流れて行くけれど、取り上げられたスタンダードたちが見事なまでにガーナーの音楽に
塗り替えられている。 圧巻の演奏力だけど、同時にとても繊細で隅々まで神経が行き届いている。 これは凄い、という感想しか出てこない。

おまけに、このレコードは音がとてもいい。 ピアノの音が輝いている。 グランド・ピアノがフル・ヴォリュームで鳴っているのが手に取るようにわかる。
ソロ・ピアノを聴くのには最適な音場感だろうと思う。

安レコ買いの一番のメリットはこういうところだと思う。 いろんな音楽に気軽に触れることができて、その中で思いもよらず新しい窓が開くことがある。
そうやって自身の音楽生活の幅は拡がり、充実していくのだ。


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短信~長続きしないユニオン断ち

2018年12月26日 | Jazz雑記



ミドルクラスが出る、というので3連休中日に渋谷へ。 マリガンの美盤を拾って、新宿へ回遊。

ユニオン断ちなんて、結局続かないのだ。

初めて見るセシル・テイラーの2枚組を聴くのが楽しみだけど、意外に良かったのが先行して聴いたエロール・ガーナーのソロ。

パーカーを聴いて感じる「凄い!」に近い衝撃があった。


今週末からはユニオンが意地を見せた大型セールの後半戦が始まる。

安レコも忘れずに出してくれたらいいんだけどな。



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慈愛に満ちた優しさ

2018年12月24日 | Jazz LP (Prestige)

Webster Young / For Lady  ( 米 Prestige PRLP 7106 )


ビリー・ホリデイに因んだアルバムと言えば、まずこれが出てくる。 このアルバムが制作された時、ビリー・ホリデイはまだ健在だったので "トリビュート"
という言葉は使われていないけれど、アイラ・ギトラーの解説を待つまでもなくこれが彼女のために作られたことは誰にでもわかる。 残り時間はもう
多くはなかったけれど、その頃彼女はヴァーヴで精力的にレコーディングしていた。 このアルバムがどういう経緯で企画されたのかはよくわからない
けれど、生前にトリビュート作品が作られるのは異例なことだから、当時から彼女は既に生きる伝説だったんだということがこれでよくわかる。

それにしても、地味なメンバーで固めたものだ。 クイニシェットやウォルドロンの起用は当然だったとしても、少なくとも売れるレコードにしよう
という意図は最初からなかったんだろうと思う。 披露された演奏も非常に大人しく控えめで、何かを懐かしむようなトーンで統一されている。 

ウェブスター・ヤングは明らかにマイルスのコピーキャットだし、クイニシェットは最晩年のレスター・ヤングのようだし、ウォルドロンの口の重さは
相変わらずだが、そういう要素が悪い方向には倒れず、むしろこのアルバムの趣旨にはよく合っている。 聴いていて、なんと慈愛に満ちた
音楽なんだろうと感じるのだ。この雰囲気をぶち壊す愚か者は誰一人いない。 皆が彼女のことを頭に想い描きながら、慈しむように演奏している。

アルバムはウェブスター・ヤングのオリジナル曲で幕が開き、彼女の持ち歌へと進んで行く。 ハイライトはB面の "Don't Explain" から最後の "Strange Fuirt" 。
"Don't Explain" はデクスター・ゴードンに決定的な名演があるけど、こちらはもっと彼女のイメージに近く寄り添った寂れた哀感が漂う。 
そして、最後のフレンチ・コルネットのオープン・ホーンによるストレートなメロディーラインに落涙。 ここにこのアルバムの想いがすべて
凝縮されていると思う。

リード・マイルスにジャケット・デザインをさせてこんな優しいアルバムを作るなんて、ボブ・ワインストックもそんなに悪いやつじゃなかったのかもしれない。


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All Or Nothing At All

2018年12月23日 | Jazz LP (Verve)

Billie Holiday / All Or Nothing At All  ( 米 Verve MG V-8329 )


私は "All Or Nothing At All" というスタンダードが好きなのだが、それはこのビリー・ホリデイの歌を聴いたのがきっかけだった。

この曲を最初に聴いたのはコルトレーンの "Ballads" だったが、何とも暗く陰鬱な曲だなあという印象で、その頃はこの曲がくると針を上げていた。
ところがこのアルバムを聴いてその印象は一変する。 聴く前はあの暗い曲をビリーが歌ったらどんなことになるんだ?と戦々恐々だったが、流れてきた
その歌は優しく朗らかな表情で、暖かい陽だまりの中で心地よいリズムに身を任せたような素晴らしい歌唱だった。 これで完全に目から鱗が落ちた。

ノーマン・グランツの巨匠趣味のお陰で、ヴァーヴ系列にビリー・ホリデイのアルバムがたくさん残ることになったのは幸いだった。 今となってみれば、
それはもう人類の大いなる遺産と言っていい。 レコーディングにも細心の注意が払われていて、当時のヴァーヴお抱えのビッグネームがスモール・コンボで
バックを固める。 パーカーがもう少し長生きしていればきっとグランツは参加させたはずだけど、そうできなかったのは残念だった。

このレーベルに残ったアルバムはどれもいい出来だけど、私はこのアルバムが一番好きだ。 ビリーの表情は終始穏やかで、歌も上質な羽毛のように軽い。
バックを固めるメンツの演奏もとにかくデリケートの極みで、その中でも特にベン・ウェブスターとバーニー・ケッセルが最高の歌伴をつける。
ケッセルの分散コードクークは魔法のようだ。

ビリーも調子が良かったようで、どのフレーズも丁寧に処理しているし、声もよく出ている。 何よりも明るい表情が素晴らしいけれど、それが明るければ
明るいほど、同時に得も言われぬ哀しみも増していく。 これこそがビリー・ホリデイである。 こんな情感は彼女の歌でしか感じられない。

嬉しいことに、このアルバムは録音がとてもいい。 初版のオリジナルはもちろんだが、以降の版で聴いても遜色ない素晴らしい音質で楽しむことができる。





暗くて重い演奏だけど、ビリー・ホリデイがこの演奏への印象を変えてくれた。 まるで "北風と太陽" のように。


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ヴァンガードに残った完璧なハードバップ

2018年12月22日 | Jazz LP (Vanguard)

Dave Burns / Dave Burns  ( 米 Vanguard VRS 9111 )


ヴァンガード・レーベルに残された中間派ではないアルバムの代表格はこれだろう。 これはどこからどう聴いても普通のハードバップで、ブラインドで聴けば
ブルーノートの1500番台としか思えない。 冒頭の "C.B. Blues" はプロデューサーの Clarence Bullard に因んだ名前のブルースだが、これがいい雰囲気で
このアルバムの幕明けに相応しい。 この曲に限らず、収録された曲はどれも哀感のこもった佳曲揃いで、このアルバムの音楽的な完成度の高さはハンパない。

ケニー・バロンが参加しているのでそこばかりに目がいきがちだが、他のメンバーの演奏も非常に適切な匙加減でコントロールされていて、演奏の質の高さは
他を寄せ付けない。 ヴァンガードに作品を残した中間派のプレーヤーはみんな演奏家としては超一流で、腕に余程の自信がないと恥ずかしくてこういう
センッションには顔を出せないだろうと思うけど、このアルバムに参加している無名の演奏家たちのレベルの高さは圧巻だ。 特にテナーのハービー・モーガンは
ビリー・ミッチェルを想わせるシブい音色で魅せてくれる。

デイヴ・バーンズは演奏も上手いし、音楽の作り方も上手い。 なぜリーダー作に恵まれなかったのかが不思議だ。 ブルーノートにもサブで参加しているが、
リーダー作が残っていてもおかしくない人だ。 もっとたくさんこの人の作品を聴きたいのに、と残念に思う。

このアルバムはそういう寡作家の貴重な1枚ということもあってか、手にした人がしっかりと聴き込んできたようで、きれいな盤を見つけるのにかなり苦労した。
そういう意味でも、個人的な思い出の1枚となっている。


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短信~ユニオン断ちの日々

2018年12月19日 | Jazz雑記



"ユニオン断ち"を始めて10日ほどが経過、今のところ禁断症状は出ていない。 どうなれば禁断症状なのかはわからないけど。

なんだか冴えない師走だなあ、と思う。


"断ち" の直前に拾った、売れ残りたち。

マーク・レヴィンソンはオーディオ屋になって正解だったと思う。 演奏からはあまり才気が感じられない。

ポール・ブレイは繊細で思索的、それでいていい意味で肩の力が抜けていて、とてもいい。

ピアノの音がしなやかで、今やっている音楽に迷いはないという確信のようなものを感じることができる。

"In Haarlem" の方が人気があるみたいだけど、私はFontana盤の方が好きだな。



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現代的な感覚に満ちた演奏

2018年12月16日 | Jazz LP (Vanguard)

Mel Powell Trio / Borderline, Thigamagig  ( 米 Vanguard VRS 8501, 8502 )


ヴァンガード・レーベルの音楽は、ジャズ愛好家の意識の中から急速な勢いで消え去りつつあるのではないだろうか。 このレーベルは「中間派専門」という
レッテルを貼られてしまったのがまずかった。 それは間違っているわけではないけれど、「中間派」という言葉が与える画一的なイメージが人々の興味を
無意識的に制限して限定してしまう。 その言葉が一般的に喚起するイメージは、ヴィック・ディッケンソンやバック・クレイトンらの音楽だろう。
それらは素晴らしい音楽だけど、その単調さにウンザリした気分がやってくるのも早い。

だが、実際にヴァンガードに残された作品の中には、そういう狭いカテゴリーには収まらないような優れたものが存在する。 その代表格がメル・パウエルの
アルバムだと思う。 イェール大学でパウル・ヒンデミットに師事するような人だったから、その音楽は「中間派」の枠になんか収まるわけがない。
でもヴァンガードのレコードを買って聴こうかという人の多くはスイング・ジャズを愛する人だから、例えばこれらのレコードは嗜好に合わずあまり評価されない。

ベースを入れず、ピアノとドラム、そして管楽器1本という変わったトリオ編成で、もうこの時点で感覚の違いが顕著だ。 管楽器はポール・クイニシェットであり、
ルビー・ブラフということで見かけ上はあくまでもスイング系だし、演奏も方法論としてはそれを踏襲しているけれど、出来上がった音楽は中間派とは程遠い、
まったく新しいものになっている。 管楽器奏者がそういう新しさに何の違和感もなく上手く馴染んでいるところに音楽的成功の鍵がある。

これは、例えば古い音楽にはまったく興味がなく、現代ジャズしか聴かないよ、という人が聴いても何も違和感を持たないであろう、そういう感覚に満ちている。
ピアノは自由に飛翔し、ドラムのブラシが空間の間口を拡げ、その中を管楽器がスムースに泳ぐ。 特にクイニシェットのテナーの艶めかしい動きが素晴らしい。
録音は1954年だが、メル・パウエルが牽引するここでの演奏の感覚は大きく時間を飛び越えて現代にまで手が届いているのが驚異的だと思う。

元々が作曲家志向だったことや筋ジストロフィーになったことなどから、演奏家として最盛期だった頃のレコードが少ししか残っていないのが何より残念だ。
そんな彼のアルバムをしっかりと残したのが、ヴァンガードというレーベルだった。


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ヒッコリー・ハウスのハウス・ピアニスト

2018年12月15日 | Jazz LP (Savoy)

Marian McPartland / Jazz At The Hickory House  ( 米 Savoy MG 15032 )


日本ではヒッコリー・ハウスと言えばユタ・ヒップを連想するのが一般的だが、アメリカではマリアン・マクパートランドということで相場は決まっている。
1952年にヒッコリー・ハウスのハウスピアニストになった彼女はそこを根城に活躍し、78年から2011年まで "Radio Jazz" という人気ラジオ番組の司会を務めた。
こういうアメリカの日常感覚が日本にいると当然わからない。 ジョージ・シアリングが大物ジャズピアニストだと言われてもピンとこないのと同じように。

イギリス生まれで十代の頃はクラシックの音楽学校に通っていたという経歴のとおり、彼女のピアノは基礎トレーニングがしっかりとしていることが一聴すれば
すぐにわかる。 我流で身につけたピアニストたちとは一線を画した正統なピアノ奏法なので、演奏がしっかりとしている。 こういうところは他の多くの
女流ピアニストたちと共通している。 酒やドラッグで不安定な演奏をしがちな男性ピアニストたちよりも遥かに安心して聴けるのだ。

特にこのアルバムはドラムをジョー・モレロが叩いており、冒頭から彼の神技ブラシが炸裂する。 演奏が揺れに揺れる。 ヴィニー・バークのベースもずっしりと
重く、理想的なピアノトリオの演奏を堪能できる。 取り上げられているスタンダードはどれもありふれたものだし、特に目新しいことをやっているわけでも
ないからスルーされるのが普通だろうと思うけれど、聴けばその良さに認識も新たになるだろう。

10インチはRVGカッティングではないので、ピアノの音が自然な響きで鳴っている。 ピアノに関してはRVGが関与しないほうが好ましい場合が多いから、
こういうピアノ・トリオの場合はRVGがリマスターしている12インチよりは10インチで聴くほうがいいかもしれない。


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短信~不作な年末

2018年12月10日 | Jazz雑記



安レコ、ミドルクラス入り混じっての拾い物。 入れ食い? いやいや、まさか。 全然。

この年末は数年に一度の不作だそうだ。 実際、ミドルクラス以下の新着はスカスカ。

今月はもうユニオンに行く必要ないなあ、と思う。

バイヤーのみなさん、安レコやミドルクラスも頑張って仕入れて下さい。

皆がみんな、高額盤ばかりを欲しがっているわけじゃないんです。


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残念に思う気持ち

2018年12月09日 | jazz LP (Atlantic)

Tony Fruscella / S/T  ( 米 Atlantic 1220 )


たまたまアトランティック盤が続いてちょうどいいので、トニー・フラッセラを。 こういうタイミングを逃すと、もうブログにアップしようがない。
このアルバム、内容については語るべきことがほとんど何もない。

よくもまあ、ここまで無名の人ばかりを集めたものだ、と感心するメンバー構成で、レコードコレクターが唯一アレン・イーガーの名前を知っているくらいだろう。
その割には演奏が全体的にかなりしっかりとしているなあ、と感心するにはする。 フィル・サンケルが自作の楽曲を提供し、且つアルバム全体のアレンジを
やっていて、これが影の主役になっていてアルバムとしての成功要因になっている。 

個別に見ていくと、ピアノのビル・トリグリアが特にいい。 抑制されて無駄な音がなく、非常に趣味のいいピアノを弾いている。 そしてアレン・イーガーの
静かで枯れた演奏もこのアルバム・コンセプトと上手くマッチしてる。 柔らかくなめらかでくすんだトーンにも耳を奪われる。

フラッセラのトランペットも語り口のしっかりとしたもので、もっとたくさんのアルバムを残すべき人だった。 にもかかわらず、重度のジャンキーで且つ
アルコール依存症でまともに活動できず、42歳で亡くなった。 多くの才能がこうして無意味に失われていった。 秀逸なジャケットデザインとそこから受ける
印象を損なうことのないいい演奏で忘れ難い1枚になっているのに、1枚しか残せなかったというところにいつも後味の悪さがついて回る。
演奏を聴けば聴くほど、残念だという気持ちが音楽から受ける感銘を上回ってしまうのが何ともやり切れない。


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セロニアス・モンクが評価した音楽

2018年12月08日 | jazz LP (Atlantic)

Jukius Watkins & Charlie Rouse / The Jazz Modes  ( 米 Atlantic 1306 )


ジャズ界きっての迷バンドの一つが、この "Jazz Modes"。 定冠詞は "Les" だったり "The" だったりする。 このバンドが褒められた文章を見たことがないけど、
まあ当然だろうと思う。 何がやりたかったのか、何を目指したのか、聴いていてもよくわからない。 最初のアイデアそのものは良かったけれど、
それは発展性がない種類のものだった。 但し、バンド自体は長くは続かなかったものの、レコードは複数のレーベルにそこそこ残っている。 
アトランティックは元々新しいものを厭わないレーベルだったし、当時は面白い試みの一つとして批評家筋の評判も悪くなかったようだ。

この2人は1955年にオスカー・ペティフォードのバンドに在籍した時に仲良くなった。 互いに似たような音楽観を抱いていたらしい。 そのバンドが解散した後、
ワトキンスが住んでいたアパートの近くのナイト・クラブで演奏する仕事を得たラウズは、アフター・アワーズにワトキンスと2人で演奏するのを楽しんだ。
ドラムレスで演奏されたそのサウンドはマイルドでソフトにブレンドされた素晴らしい響きだった。 2人はアイデアは語り合い、バンドを組むことにした。

確かにラウズの柔らかいトーンはフレンチ・ホルンと相性がいい。 ただ、このバンドはそれだけでは終わらなかった。 曲によってはソプラノ歌手を招いて
楽器とユニゾンで声楽スタイルで歌わせたり、サヒブ・シハブにバリトンを吹かせたりと様々な工夫を施して、何とも不思議な音楽を展開している。


そんな不可思議な音楽に私が興味を持ったのは、セロニアス・モンクが関係している。 モンクが晩年の相方になぜチャーリー・ラウズを選んだのか
その理由を知りたいと長年思っていたのだが、去年翻訳が出たセロニアス・モンクの分厚い伝記を読んだ際に、積年のその謎が氷解した。 

このバンドが活動していたちょうどその頃、モンクはあの伝説のファイブ・スポット公演をしていた。 コルトレーン~グリフィン~ロリンズというテナー奏者の
バトン・リレーが終わり、次の後任が中々決まらなかったモンクは、メアリー・ルー・ウィリアムズがドラッグ中毒に苦しむミュージシャンを救うために立ち上げた
"ベル・カント基金" を支援するためのコンサートに参加した時に、同じく参加していたこの "ル・ジャズ・モード" の演奏を聴いて気に入り、ラウズに白羽の矢を
立てた、というのだ。 当時、その空席を狙ってアメリカ中の若いテナー奏者たちが売り込みをかけていて、その中には何とウェイン・ショーターもいたらしい。
そんな過熱した競争が繰り広げられる中、チャーリー・ラウズはこの不思議な音楽を通じて羨望の眼差しの的であった特等席を得ることができたのだ。

この話はかなり説得力がある。 モンクとラウズは過去に共演歴もあり、元々互いに顔馴染みだったようだが、それでもこの不思議な音楽とそれを演っている
テナー奏者をモンクが気に入ったというのは、おおいにあり得る話だろうと思う。 こんな風変わりな音楽をやるヤツなら、というのが決定打だったのではないだろうか。
これは聴かないわけにはいかないぞ、ということでそのレコードを探すようになったわけだ。

ちなみに、この伝記本は翻訳がとても上手で、非常に読みやすい。 分厚さを意識せず読み終わることができる素晴らしい翻訳書なので、お薦めです。




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短信 Atlantic 1

2018年12月02日 | jazz LP (Atlantic)

Modern Jazz Quartet / European Concert  ( 伊 Atlantic 2K 60008 )


アメリカ盤のジャケットでは買う気になれず、と思っていたところにイタリア盤が。

いいジャケットだ。 これなら買おうという気になる。

1960年ストックホルムでのライヴ、ジョン・ルイスが北欧の人々に1曲ごとに丁寧に曲を解説してから演奏に入る。

MJQのライヴは "The Last Concert" が最高だけど、これも負けず劣らず素晴らしい。


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クセは強いけれども

2018年12月02日 | jazz LP (Atlantic)

John Lewis / Piano  ( 米 Atlantic 1272 )


ジョン・ルイスは最初からこんな朴訥としたピアノを弾く人だったわけではない。 ビ・バップ初期からプロとして活動していて、普通にバップの演奏をしていた。
その頃の演奏は例えば初期ブルーノートの管楽器奏者のアルバムで聴けるし、結成直後のMJQでの演奏なんかもそうだ。 モンクやシルヴァーらに混じって
演奏しているのを聴く限りではとても上手いけれど特に個性的ということはなく、平均的なバップ・ピアニストだったと思う。

それがMJQがクラシック音楽との融合というコンセプトを固めた辺りから当然のようにルイスのピアノも変化し始める。 饒舌なミルト・ジャクソンに手綱を掛けて
背後から締めるかのようにグッと音数を落として感情的なものも排して弾くようになり、ここにジョン・ルイス・ピアノが誕生する。 つまり、このピアノスタイルは
速く走りがちなヴィヴラフォンとの対比のために編み出されたのであり、ある意味ミルト・ジャクソンがいたから出来上がったと言っていいかもしれない。

その究極の姿がこのアルバムで聴ける。 思慮深いチェス・プレーヤーが考え抜いた末に動かす駒ように、ピアノは一音ずつゆっくりと進む。 足早に家路に着く
人々の流れの中をただ一人物思いに耽りながらゆっくりと歩いている人のように、その姿は際立って目立つ。 

スタンダードも演奏されているが、原曲のメロディーは曖昧にぼかされている。 だから自分の中にジャズという音楽のストックがたくさんないと、この演奏の良さ
みたいなものを享受するのは難しいかもしれない。 雰囲気だけで楽しむには、いささか独特過ぎるだろうと思う。

それでも、一度ハマれば繰り返し聴きたくなるアルバムになる。 アトランティックにしては珍しく残響の濃い音場感で聴かせるところも良い。
深夜に灯りを落として、一人で静かに聴くのがこのアルバムには相応しい。


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