廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

R.I.P Benny Golson

2024年09月28日 | Jazz LP (Riverside)

Benny Golson / The Other Side Of Benny Golson  ( 米 Riverside Records RLP12-290 )


ベニー・ゴルソンの訃報が飛び込んできて、「そうか、残念だな」と悲しい気持ちでレコード棚を眺めた1週間だった。

薄々気付いてはいたけれどゴルソン絡みのレコードはたくさん棚の中にあって、果たしてどれを献花として手向ければいいかよくわからなかった。一番彼らしいレコードは
一体どれなのか、私が一番好きなレコードはどれなのか。でも、これまでに結構彼のレコードは取り上げてきているし、同じものをまた取り出してくるのも芸がない。

このアルバムは彼の代表作というほどの重みはないけれど、よく出来ているアルバムだ。アザー・サイドというタイトルはどういう意味で付けられたのかよくわからない。
彼が書いた有名な曲は外してそれ以外を取り上げているということなのか、ハーモニー重視ではなく標準的なハードバップ・スタイルの演奏だからということなのか、
いずれにしてもあまり目を引くとこはない地味な位置付けにあるように思う。でも、RVGのような特定の色付けはされていないリヴァーサイドらしいナチュラルなサウンドが
ゴルソンのサックスの音色を割と的確に捉えているし、親しい相棒のカーティス・フラーとの演奏ということで鉄板のスタイルは揺るぎない。このアルバムを聴けば、彼の
テナーがモゴモゴしているという批判には当たらないことがよくわかるだろう。フィリー・ジョーのドラムがいい具合に効いていて、音楽が踊っている。

レコード棚を漁っていて気が付いたけど、ゴルソンはマイナーなレーベルは別にしてほとんどのレーベルに録音、若しくは何らかの形で関与している。おそらくまったく
縁がなかったのはパシフィック・ジャズくらいではないだろうか。そう考えると、彼の存在の重みやジャズの世界への貢献度合いがよくわかってくる。彼がいなかったら
ハードバップという音楽にはこれほどの色彩の豊かさはなかっただろうし、映画やミュージカルの楽曲をスタンダードという形で導入した流れと互角に張り合った楽曲を
書くことができた筆頭の人だった。私がハードバップという音楽に一番惹かれたのは結局のところ、彼の作ったハーモニーだったり彼の書いたメロディーだったのだ。

彼を失った悲しみの中でのささやかな慰めは彼が最後に来日した際の演奏を間近で観ることができたことだ。半年後にコロナ禍で世界が一変するなどとは想像すら出来なかった
あの頃、また日本に来てくれたら観に行こうと楽しみにしていたのだが、あれが最後になってしまった。それでも、あの時のステージでの演奏や彼がステージの上で語った
ブラウニーの話は今でもよく憶えているし、その温かい人柄の温もりは私の中にしっかりと残っていて、この先も消えることはないだろう。

彼の残したレコードはまだまだ他にもあるから、これからも折を見て取り上げていければと思う。彼の音楽を忘れることはないのだから。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

未だに謎が解けないレコード

2024年09月16日 | Jazz LP

The Hank Babgy Soultet / Opus One  ( 米 Protone Hi-Fi Records And Recorded Rapes HBS-133 )


ユニオンのセールに出ているのを見て、そう言えばもう何年も聴いていないなあと思い出して久しぶりに棚から取り出してきたレコード。買った当時はよく聴いていたが、
この手のレコードは飽きるとまったく聴かなくなってしまう。おそらく10年振りくらいに聴き返してみると、やはり感銘を受ける内容であることを確認できた。

リーダーの名前も知らなければ他のメンバーもまったく知らない、おそらくはローカル・ミュージシャンの集団で、レーベルも他にジャズのレコードを出してはいないらしく、
とにかく謎だらけのレコードでこういうのは非常に珍しい。にも関わらず、モノラルとステレオの両方をリリースしているらしく、64年という時期を考えれば当然なのだが、
それにしてもその入念な販売状況からもしかしたらこの演奏を残すためにわざわざ立ち上げられたのか?と勘ぐってしまうほどだ。とにかく音が凄くいい。

そういう謎だらけにもかかわらず、欧州ジャズのような楽曲の雰囲気や演奏レベルの異様なまでの高さから一体これは何なのだ?と聴いていいて訳が分からなくなる。
それでも楽曲の出来は当時の欧州ジャズなんかよりも遥かに上回っていて凄いとしかいいようがないし、演奏も誰か名うての名人が覆面で演奏してるのかと思うような
レベルだが、ジャケットの裏面を見ると彼らの写真が載っていてそういうことでもないらしい。

そういう何が何だかさっぱりわからないところが常に居心地の悪さを誘発するが、それでも呆気にとられながらもあっという間に全編を聴かされてしまう。このレコードが
日本で「発見」されたときはそのモーダルでメロウな雰囲気が大ウケしたようだが、大事なのは最後まで一気に聴かせるその勢いだろう。当時のジャズの主流からは外れた
ところでこういう音楽が演奏されていたという事実が驚異的だし、こういう音楽が発売当時に評価されなかったのは当時のジャズ・ジャーナリズムの荒廃ぶりを物語っている。

無名のローカル・ミュージシャンたちが作ったレコードといえばアーゴのレコード群を思い出すけれど、それらとはまったく違う質感の演奏で、アメリカのジャズの層の厚さを
思い知らされることになる。そういうレコードだから稀少盤になってしまうのも無理もないが、ただこれは弾数が少なくて珍しいだけの中身のない稀少盤ではない。
手元にあるのはモノラルプレスなので、これがステレオプレスで再発されたらおそらくは買ってしまうだろうと思う。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Left Alone の名唱

2024年09月01日 | Jazz LP (Riverside)

Teri Thornton / Devil May Care  ( 米 Riverside Records RLP 12-352 )


リヴァーサイドが作ったヴォーカル作品はどれも1級品で唸らされるものばかりだが、これもそういう1枚。
テリー・ソーントンはデトロイト生まれで50年代から地元でキャリアをスタートさせていて、コロンビアからも何枚かリリースしてはいるものの
作品には恵まれず、広くその名前を知られることはなかった。声質や音楽のタイプは違うけれど、デラ・リースやダコタ・ステイトンなんかと
その存在のイメージが被る。実力と人気・知名度のバランスが悪い。

ジャズ専門レーベルのいいところはバックを務めるミュージシャンが豪華なところだろう。レーベルゆかりのミュージシャンがざくざくと参加
していて、その演奏を聴くだけでも価値がある。このアルバムもクラーク・テリー、セルドン・パウエル、ウィントン・ケリー、サム・ジョーンズ、
ジミー・コブらが参加していて、この時期特有のリヴァーサイド・ジャズの濃厚な雰囲気が立ち込める。

若い頃のデイオンヌ・ワーウィックに少し似た声質でしっかりとしたタッチで歌っていく。選曲が通好みでなかなかシブくていい。
そして、何といってもこのアルバムの目玉はビリー・ホリデイの "Left Alone" が収録されているところだ。ビリー自身はレコードに収録しなかった
のでこの曲を歌唱として聴けるアルバムはそれだけで価値があるが、なぜかどの歌手もまったく収録していない。畏れ多かったのか、それとも
何か別の理由があったのか、そのあたりの事情はよくわからない。ジャッキー・マクリーンの演奏をイメージすると少しその違いに戸惑うかも
しれないが、それでもこの曲特有の哀感にヤラれる。

ゴージャスなオーケストラをバックに歌うものもいいが、こういう我々が普段よく聴いているミュージシャンたちの演奏に囲まれて歌っている
アルバムには格別の良さがある。ヴォーカルと各楽器が等価の存在として不可分に絡み合いながら音楽が築かれていくところが素晴らしい。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする