廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

ウェストコースト・ジャズを産み落としたのは誰だったのか

2018年05月27日 | Jazz LP (Pacific Jazz / World Pacific)

Gerry Mulligan / Gerry Mulligan Quartet  ( 米 Pacific Jazz PJLP-1 )


ジェリー・マリガンと言えばパシフィック・ジャズのアルバムイメージが強烈で、ウェストコースト・ジャズの中心人物だったかのような印象があるけれど、実際は違う。
彼はニューヨーク生まれで25歳まで東海岸で活動していた。 ギル・エヴァンスに編曲を学び、クロード・ソーンヒル楽団にスコアを提供するなどビッグ・バンドの
仕事が多く、その縁で映画音楽の仕事の声がかかり、1952年にロスへ行くが、1956年には東海岸に戻っている。 つまり、西海岸にはたった4年しかいなかった。

ロスで映画音楽の仕事をしながら夜はクラブでスモール・コンボの演奏をしていて、そこでまだ学生だったリチャード・ボックと出逢い、このレコード他に収められた
楽曲を録音して78rpmのSPと33rpmの10インチLPの2形態で発売したら "Bernie's Tune" がヒット、あっという間に人気グループになるが、麻薬の不法所持で
マリガンは逮捕され、バンドは1年もたたないうちに解散するという、まるでジェットコースターに乗ったかのような西海岸滞在だった。

音楽上の人格形成の若い時期にギル・エヴァンスの下にいたことがその後の彼の音楽観を決定付けていて、このピアノレス・カルテットも隙間の多いアレンジを
少ない楽器でスピード感を持たせて処理したことで成功している。 ウェストコースト・ジャズはこのレコードが生まれたことで本格的に立ち上がっていくけれど、
マリガンがここで演奏した音楽の礎になっているのはギル・エヴァンスの音楽観であり、その最初のダウンサイジング版だったマイルスの"クールの誕生"だった。
つまり、当時の西海岸に "ウエストコースト・ジャズ" を産み落としたのは、ギル・エヴァンスとその使徒であった2人の東海岸の若者だったということだ。

この10インチはこのレーベル・イメージである乾いた軽いサウンドとは違い、残響が効き冷気漂う奥行きを持った立体感のある音場感で再生される。
そのせいもあって、この後に展開される西海岸のジャズのイメージとは少し印象が異なる音楽になっている。 このピアノレス・カルテットはアレンジを
取り入れてはいても、演奏の主軸は各楽器のアドリブラインだ。 その手際よく整理されたアレンジとアドリブのコラージュを正しく継承した演奏家は
その後のこのレーベルの中では、チェット・ベイカーのグループを覗けば、結局のところ現れなかったように思う。


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安レコの一番いい買い方

2018年05月26日 | Jazz LP (EmArcy / Mercury)

Gerry Mulligan / Something Borrowed, Something Blue  ( 米 Limelight LM 82040 )


安くて内容のいいレコードを買いたければ、財布の中にお金を少ししか入れないことだ。 若しくは、お金のない時に敢えてレコード屋に行く。

財布に3万円入っていると、どうしても高いレコードから優先して探してしまう。 そうすると、早い段階で予算は尽きてしまい、安レコのコーナーまで
辿り着くことはない。 でも、財布に千円しか入っていなければ、千円以下のレコードしか買えないわけだから、本気で安レコを掘らざるを得ない。
そして、こういう時にこそ、イカした安レコに出会うことができる。

金曜日の夜、財布を見ると2千円しか入っていなかった。 そこで、よし、今日はこれで買えるものを探すぞ、と一人腹を括ってみる。 そうすると、今までは
目に留まることのなかったこういうレコードが視界に入ってくるようになる。 もし、もっとお金が入っていたら、私はこの最高にイカしたレコードを
手に取ることはなかったろうし、この極上の音楽を聴き逃していたに違いない。 そういうアホなゲームを楽しみながら、安レコを探すのだ。

マリガンがズートと組んで、ウォーレン・バーンハート、エデイ・ゴメス、デイヴ・ベイリーをバックに吹き込んだこのアルバムは、まるでもう1つの "Night Lights"
と言ってもいいようなおだやかで上質な趣味のいいジャズになっていて、これ、最高だよ、と一人で小躍りした。 当面のヘビロテ決定である。

マリガンは曲によってはアルトを吹いたりしてのんびりと楽しそうだし、ズートは少しかすれたような穏やかなトーンで静かにメロディを紡ぐ。 
ウォーレン・バーンハートの参加が珍しいけど、新鮮な感覚でジャズ・ピアノを弾いており、これがこのアルバムの隠し味になっているようだ。
"Sometime Ago" のソロなんて、まるで若い頃のエヴァンスのようだ。

ライムライトというレーベルは総じて地味なラインナップを持つマーキュリーの傍系廉価レーベルだけど、大物がズラリと顔を揃えた侮れない内容を誇る。
レーベル上部の小っちゃいドラマーの絵が可愛らしい。

手元には千二百円が残ったので、まだ他にないかなと粘って探してみたけど、この日は他にめぼしいものはなかったので、これで切り上げた。
金曜日の夜、新宿の街は解放感に溢れた人でごった返していて、そういう雰囲気を楽しみながら私もゆるやかに家路に着いた。


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皮肉な結果

2018年05月20日 | Free Jazz

Chick Corea / Circle 1, Live in German Concert, Circle 2, Gathering  ( 日 CBS/SONY SOPL 19-XJ, SOPL 20-XJ )


金曜日の夜、DU新宿の新店舗1Fで拾った安レコ。 未だに新店舗に慣れてなくて、どこに何が置いてあるのかがまだよくわかっていない。 エレベーターを
待っている時に1Fの奥に何気なく目をやると、ジャズのレコードが置いてあるのに気が付いた。 行ってみると、国内盤中心の中古コーナーだった。
どうやら1Fはロックなどオールジャンルの国内盤中古をメインにした一般ピープル向け、3Fは我らが変態オタク向け専門フロアということらしい。

チックのサークルは聴いたことがなかった。 チックが一時的に齧ったフリーということは知っていたが、そもそもが彼の音楽をあまり聴かないせいもあって、
これまで聴く機会もなくきた。 内容を知らない初めて聴くレコードを買って家に帰る帰り道はいつも楽しい気分になる。

第1集はドイツでのライウ、第2集はニューヨークのスタジオ録音。 ライヴ演奏は聴衆を楽しませる要素がふんだんに織り込まれていて、スタジオ録音のほうは
緻密に計算されたガチンコの実験的な現代音楽。 第2集の方が完成度が圧倒的に高いけれど、私自身は第1集のライヴの方がずっと楽しかった。

チックはこのサークルというユニットでは過去の音楽が生み出した全てのものを統合しながら更に新しいサウンドをつくろうとしたのだと語っていて、
正にこの言葉通りのものが第2集で聴くことができる。 「過去の音楽を統合して」というのがミソで、よくも悪くもこれ以前のフリーや現代音楽の様々な部品が
ここにギュッと凝縮されている。 ただ、ここにそれまでの音楽には無かった新しい響きがあるのかどうかは私にはピンと来なかった。 録音当時には何か
新しいものがあったのかもしれない、ただ今の耳で聴くとそれらはどれもがどこかで聴いたことがあるような気がする。

一方、ライヴはチックの軽快なピアノソロから始まる。 まあ、とにかくチックらしい明るく軽いピアノで、このミスマッチ感が今までのフリーには見られなかった
まったく新しいタイプの響きだ。 フリーや現代音楽について回るある種の胡散臭さを上手く吹き飛ぼしていて、これは面白いと思った。
これこそがチック・コリアがフリーに取り組む意味なんじゃないか、とさえ思えてくる。 練りに練ったスタジオ録音が不発で、自分らしく弾いたライヴの方が
斬新だった、というのは何とも皮肉だ。

尚、この第2集は発売当時、スイングジャーナル誌がゴールド・ディスクに認定したんだそうだ。 何とも困った雑誌である。


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30年後にわかる事実

2018年05月19日 | Jazz LP (Columbia)

Wynton Marsalis / Black Codes ( From the Underground )  ( 米 Columbia FC 400009 )


ウィントン・マルサリスの音楽が総じてつまらないのは間違いないけれど、そんな中でこれは一番まともな出来で、私もこれは割とよく聴く。 
1985年1月の録音で、なんともう30年以上も前の演奏なのだから、時の流れの速さには驚いてしまう。

彼が矢継ぎ早に作品を発表していた当時、「ウィントン・マルサリスは果たしてホンモノなのか?」という議論があった。 今となっては懐かしい
「新伝承派」という言葉がその疑問を更に助長する形で話は進んでいた。 不思議なもので、ウィントンの音楽には確かに聴いた人に自然と
そういう疑念を抱かせるようなところがあった。 でも、結局のところ、当時はその議論に対する結論は出ていなかったように思う。

そして30年の月日が流れた現在、このアルバムを聴きながら思うのは、結局、その後ウィントンの音楽を脅かす存在は現れなかったし、
誰も彼がニセモノだったと証明することができなかったよな、ということだった。 

現時点、そして過去10年くらいの主流派の音楽を振り返ってみても、この "Black Codes" そっくりの音楽ばかりで溢れかえっているし、
始末の悪いことにそれらはこのアルバムよりも明らかにグレードが低いのだ。 その構図は60年代のマイルス・バンドとそれを取り囲む
全体の状況と酷似している。 でも、それはウィントンが傑出していたと騒ぐよりは、対抗馬を立てられなかった業界の深刻な人財不足を
嘆くべき話なのかもしれない。

ウィントンはこの時23歳で、ブランフォードもケニー・カークランドもジェフ・ワッツらバンド・メンバーもほぼ同世代。 演奏力の高さは
他を寄せ付けない。 バンドとしての纏まりも完璧で、勢いがあり、全体が影のある物憂げな雰囲気で統一されていて、これは最後まで
一気に聴かされる傑作だろうと思う。


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主客転倒 その2

2018年05月13日 | Jazz LP (Elektra)

Teddy Charles / Vibe-Rant  ( 米 Elektra EKL-136 )


これも主客転倒してしまったアルバムで、テディー・チャールズがリーダーにもか関わらず実態はアイドリース・スリーマンのワン・ホーン・カルテットだ。

テディ・チャールズのヴァイブにはこれと言って特徴はない。 一般的な認知のされ方も、卓越した演奏者というよりは実験的なアプローチをした人という
イメージだろう。 だから、実際はそうでもないけれど、こういうスタンダードを含めた普通のアルバムを作っていること自体が珍しいという印象になる。 

ヴィブラフォンは意外と演奏者の個性がよく出る楽器だけど、この人の演奏は淡麗だ。 ミルト・ジャクソンはその強い個性のためにアルバム1枚聴くと
すぐにお腹いっぱいになるが、この人のは飽きがこない。 1枚だけじゃなくて、もっと続けて聴きたいと思う感じだ。 演奏自体はどちらかというと
たどたどしくて、不器用な人が一生懸命言葉を探しながらしゃべっているようなところがある。 音も大き過ぎたり重なることもなく、印象に残る。

そういうあっさりとしたヴァイブの響きの中を、スリーマンのトランペットが大きな音で泳いでいく。 かなり大きな音だ。 線の細い演奏をする印象が
あったけど、録音が良ければまるで別人のような姿が現れる。 音圧の高さに圧倒されるけれど、音程はかなり不安定で怪しい。 リーダー作の少ない人で
なぜだろうと思っていたけれど、これが原因だったのかもしれない。

そんな感じでどれも上手さで聴かせるタイプではないけれど、全体としては落ち着きがありながらも勢いのある演奏で、印象に残るアルバムだと思う。
Elektra の録音も良く、接近して録った楽器の音を何も手を加えずそのまま溝に刻んだような感触。 そういう面でも満足度は高い。


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主客転倒 その1

2018年05月12日 | Jazz LP (Pacific Jazz / World Pacific)

Roy Haynes with Frank Strozier / People  ( 米 Pacific Jazz PJ-82 )


パーカーのバックを務めるなどビ・バップ時代から第一線にいたロイ・ヘインズはリーダー作が多いけれど、これは全然話題にならない。 パシフィック・ジャズ
というレーベル・イメージに合わないせいかもしれないし、ビッグ・ネームがいないせいかもしれない。 

でも、フランク・ストロージャーはとてもいいアルト奏者だ。 コルトレーンが抜けた際にマイルスのバンドに誰を入れるかをメンバー間で話し合った際に
彼の名前が挙がったこともあるくらい、当時のミュージシャンの間では評価されていた。 なぜか作品には恵まれなかったが、残された数少ないアルバムは
どれもいい演奏ばかりだし、ここでもワン・ホーンで朗々と歌っていて、このアルバムは彼のワン・ホーン・カルテットと言っていい内容になっている。
フィル・ウッズに似たスカッと抜けのいい綺麗な音色をまっすぐ吹いていく様は素晴らしい。

ロイ・ヘインズも普段のバッキングでは決して見せないような目立つ叩き方をしていて、リーダー作という自由な空気を満喫している。 ブレイキーのような
目立ち方ではないけれど、それでも普通のリズム・セクションの型にははまらない叩き方をしていて、きちんとその存在を誇示している。

ただ、メロディーを持てない楽器の宿命で、音楽的主役の座はストロージャーに譲っている。 ストロージャーはその期待にきちんと応え、非常に品のいい
アルトサックスのなめらかなワン・ホーン・アルバムに仕上げることができた。

このレコードは音質も極めて良く、このレーベル独特の乾いた軽いサウンドではなく、楽器の音が濃密でクリア。 スタジオ内の空気感も伝わってくる。
パシフィック・ジャズもこれくらい後半になると、サウンドの色も変わってくるのかもしれない。

大名盤に飽きた頃に手にすると嬉しい、地味ながらもじっくりと聴かせるとてもいいアルバムだ。


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モノラルプレスの"お城のモントルー"

2018年05月06日 | Jazz LP (Verve)

Bill Evans / At The Montreux Festival  ( 英 Verve VLP 6243 )


"お城のモントルー" の英国モノラル盤が転がっていたので拾ってきた。 このレコードのオリジナルはUSステレオ盤でモノラルは存在せず、モノラル盤が
あるのは英国プレスのみ、というのはマニアの常識となっている。 

私は常々このUSオリジナルは音が悪いと思っていた。 ステレオと言っても音響的な意味でのステレオ感はまったく無く、全体的に音が素な感じがする。
疑似ステレオというほどの人為的な感じはないけれど、各音のまとまりが無くて各楽器の位置関係も悪く、そのせいか演奏にもまとまりが感じられない。
そもそも楽器の音に艶が無く、音が生気なく死んでいる。 そんな訳で、英国プレスのモノラル盤を見かけて聴いてみようという気になったのだ。

案の定、モノラル盤はUSステレオとは違う種類の音が出てくる。 1番の違いは楽器の音の艶で、これは明らかにモノラルのほうが音の艶がいい。
楽器の音が非常にクッキリとしているので、演奏の細部までよく聴こえるし、その結果として演奏の全容がより理解し易くなっている。 "Enbraceable You"
でのエヴァンスとゴメスの対話と絡み方が生々しく、ああ、こういう演奏をしていたのか、というのが初めてわかったような気がした。

また、3つの楽器の位置関係もこのモノラル盤のほうが良くて、例えばゴメスはエヴァンスのすぐ隣の向こう側にいて、エヴァンス越しにベースの音が
まっすぐに聴こえてくる。 ステレオ盤ではこういう聴こえ方はしない。 今まではさほどいい演奏だとは思えなかったこの作品の本当の姿が
ここでようやく見えたような気がした。 今更ではあるが、やはり名演だったのだ。

これはステレオとモノラルのどちらが音がいいか、というような短絡的な話ではない。 想像するに、このオリジナルマスターはモノラル録音だった
のではないだろうか。 そう考えるのは、単純にモノラル盤のほうがより自然な定位感と音場感だからだ。 このライヴ演奏を録音したのはスイスの
ラジオ局のテクニカル部門だから、モノラル録音をしていた可能性はあるだろう。 

ただ、これも的外れな想像かもしれない。 このアルバムはまだ他に英国ステレオプレスやドイツのステレオプレスも同時期に出されていて、
それらを聴くとまた違う所感を得ることになるのかもしれないが、私にはそこまで首を突っ込む気はない。 ここから先は別の人に任せようと思う。


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楽曲最優先の正統派マイナー欧州ジャズ

2018年05月05日 | Jazz CD

Noel Kelehan Quintet / Ozone  ( アイルランド Cargo Records CAR001FCD )


新譜CDコーナーの筆頭場所に大量に飾られていた。 アイルランドのグループが1979年に録音した日本では初めて紹介されるアルバムとのことだ。


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移転後の新宿ジャズ館はレコードとCDがワンフロアに同居していて、まだ頭の中で地図が出来上がっておらず、どこに何が置いてあるのかがよくわからない。
CDコーナーは以前よりも手狭になったような印象で、新品と中古と高額廃盤が混在しており、なんだかよくわからない。 新譜の試聴もできるのかできないのかも
よくわからない。 バイヤーズ・マンスリー・セレクトはどうなるんだろう。 あれは続けて欲しいんだけどな。 

レコード・コーナーが広めに場所取りされて優遇されている分だけ見易くなったのはいいけれど、その代償としてCDが割を食わされた感じだ。 
やはり高収益事業分野には敵わない、ということなんだろう。 分野別の優劣の差が露骨に出ている。

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ブログに紹介された時はマイルスの影響を受けた、と書かれていたが、聴いてみるとマイルスの影はどこにも見られない。 どちらかと言えば、晩年の
アート・ファーマーが若いテナーと組んで、ヨーロピアン・ジャズ・トリオをバックに北欧の最新スタジオを使って録音しました、という感じだ。

楽曲の出来の良さを最重視した作りで、非常に上質で洗練されていて、ジャズというよりはジャズのテイストで包んだ映画のサウンドトラック、という質感。
まあ、「如何にも」という感じで仕上がっている。

リーダーのノエル・ケレハンはクラシックの教育を受けた作曲家兼アレンジャー兼ピアニストとしてイギリスやアメリカのラージ・アンサンブルで研鑽を積んでおり、
それがこの楽曲優先の音楽へと繋がってきているのだろうと思う。 どの曲も適度に翳りを帯びた哀愁が漂い、こういうのが好きな人なら悶絶必至だろう。

最新リマスターされているとのことで、CDの音質は極めて良い。 録音当時のアナログの質感はきちんと残しながら深みのある透明感高い残響の中で
音楽が鳴っており、音響的快楽度は高い。 最近のCDの高音質さには本当に驚かされる。 


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J.J.ジョンソンのキラー・チューン

2018年05月05日 | Jazz LP (Columbia)

Count Basie and His Orchestra / Classics by The Great Count Basie Band  ( 米 Columbia CL 754 )


ジミー・ラッシング最高の名唱 "Goin' To Chicago Blues"やドン・バイアスが幽玄なソロをとる "One O'Clock Jump" など、ベイシー・オーケストラの
代表トラックが並ぶ大傑作だが、このアルバムのハイライトは J.J.ジョンソンがベイシーと共作して必殺のソロをとる "Rambo"。 これを聴くために、
このレコードは存在する。 マンハッタン・トランスファーが "Vovalese" で再現したのがこのトラックだった。

トロンボーンという楽器の最大の武器であるシームレスな音階を最大限に屈指したメロディーラインは正に人が歌っているかのようななめらかさで、
フレーズの階段状の構成も素晴らしく、こんなトロンボーンの演奏は他では絶対に聴けない。

古い演奏を集めたものなので、サウンドもマイルドでうるさくない。 本来の持ち味である剛性感高くドライヴする演奏も最高だけど、こういう落ち着いた趣きで
洗練された音楽もとてもいい。 メジャー・レーベルだからこそできた録音で、それがこうしてコンパクトにまとめられているのは素晴らしい。 名盤だらけの
ベイシー楽団だけど、その中でもこれは絶対に外せない殿堂入りの1枚。


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もう一つの不調な演奏

2018年05月04日 | Jazz LP (Roost)

Bud Powell / Bud Powell Trio  ( 米 Roost RLP 412 )


ノーグランの打鍵が覚束ない演奏と時期的に隣接する1953年の演奏で、こちらもかなりひどい演奏をしている。 シングル・ノートでのアドリブラインは
少なく、ただコードを鳴らし続けることに終始し、そうやって時間を稼ぎながら曲の終わりが来るのをじっと待っているような雰囲気がある。

聴いていて、この時のパウエルは脳の思考回路が停止していたんだなということが生々しく肌で感じとれる。 記憶の中に眠る主旋律のコード進行に合わせて、
本能的に、無意識的に、和音を鳴らしてなんとか曲について行っているような感じだ。 端的に言って、これはひどい演奏だろうと思う。

ただ、不思議なことに、そうやってパウエルが鳴らすコードを聴いているうちに、こちらが勝手に頭の中でアドリブ・ラインを作って演奏に追従するように
なっているのに気が付く。 こちらの脳が演奏に欠けているものを無自覚のうちに補完していくような感じで、そうやって自分がこの演奏に同化していくのを
感じる。 そして、いつの間にかこの演奏の中に自分が引きずり込まれてしまっているのに気付く。

それにパウエルが鳴らす和音には、なんだか雷鳴のような衝撃がある。 比喩としてのそれではなく、物理的にこちらの頭の中に衝撃が伝わるし、肌にも
ビリビリと感じるものがある。 このレコードはルーストの10インチの割にはピアノの音がクリアに鳴るせいもあるだろうけれど、コード1つで聴き手に直に
張り手を喰らわせるようなこんな演奏は他にはないのだ。

何より信じ難いのは、こういう外形上はガタガタの演奏がレコードとして正規に商品化されているということだ。 現在、誰かがスタジオでこんな演奏をして、
それを録り直しもさせず、編集もせず、そのまま新作としてリリースすることができるレーベルが果たしてどこかにあるだろうか。 

そして、それ以前に、こういう演奏をやってのけてしまうような音楽家はどこかにいるのだろうか。 


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ゴールデン・ウィークの成果 ~その3~

2018年05月03日 | Jazz LP (Verve)

Bud Powell / Jazz Original  ( 米 Norgran MG N-1017 )


一口に稀少盤と言っても、縁のないレコードというのは人によってかなりバラつきがあるんじゃないだろうか。 「激レアだと言われてるけど、意外と簡単に
手に入った」とか、「珍しくないのに、中々買えない」とか、その内容は人によって違うはずで、その差分と差分を生む原因がきっと面白いんだろうと思う。

私にとってのバド・パウエルの1番の難関は、この "Jazz Original" だった。 目の前に現れるのはジャケットの表が無残にスレて、盤も傷だらけのものばかりで、
きっとこのレコードは私の手元にはやって来ないんだろうなと諦めていた1枚だった。 シナトラが歌う "Deep Night" が好きで、その曲が含まれるこのアルバムに
縁がないとは、なんてツイてないんだろうと思っていた。

ところがこの連休初日のセールでこれの美品が出るというので、普段はセール当日に店に行くことなんて決してないのに、今回だけは出かけることにした。
と言っても朝早くから並ぶ訳ではなく、渋谷に着いたのは13時半ごろ。 店内には客は誰もおらず、私一人だった。 本当に今日はセール初日か?
と思いながらも恐る恐る在庫をパタパタとめくっていくと、ありがたいことにちゃんと私が来るのを待っていてくれたのだ。 


1954~55年頃はパウエルの調子がかなり悪かった時期で、このアルバムを含めて、この時期にリリースされた演奏はどれもガタガタだ。 ここでもB面の
後半になるとパウエルの演奏は怪しくなってきて、最後の "How High The Moon" は打鍵すらままならない状態になっている。 ピアノでテーマを奏でる
というよりはダミ声でメロディーを歌って曲を進めているというほうが実態に近い。 普通のピアニストならこんなのは完全に没テイクだろうが、そこは
バド・パウエル、OKテイクになってしまう。

でも、別にそれでいいのだと思う。 4月なのに外は夏日で、汗をかきながらもこうしてわざわざ買いに来るくらい、パウエルのピアノが好きなのだ。
どんな演奏であっても、聴くことができればそれだけで嬉しい。


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ゴールデン・ウィークの成果 ~その2~

2018年05月02日 | jazz LP (Atlantic)

Lee Konitz / The Real Lee Konitz  ( 米 Atlantic 1273 )


これもようやくニアミントを見つけた。 ありふれたものだけど、状態のいいものとなると途端にハードルが上がり、買えない状態が長く続いていた。
盤もジャケットもまるでデッドストックかと思うようなきれいな状態で、こういうのはうれしいものだ。


今回は暇に任せて、中央線沿線(立川、中野、新宿、お茶の水)、井の頭線沿線(吉祥寺、下北沢、渋谷)の普段行かないような所も含めて時間をかけて
丁寧に見て回った。 関東エリアの全店を覗こうかとも思ったけど、さすがに千葉や大宮や関内は遠くて、行ききれずに断念。
それに、時間はあるけど金はないといういつものパターンで、これじゃ学生時代と何も変わっていないじゃないか、とその進歩の無さに呆れてしまう。


アトランティックのコニッツは、これが1番好きだ。 曲単位で言うと、"Inside Hi-Fi" の "Kary's Trance" が最高だけど、あのアルバムは半分がテナーで、
それらがぼよよ~んと間延びした感じの演奏になっていて、そこが好きになれない。 アルトだけでアルバムを作っていたら、あれが最高作になっていた。

ライヴ演奏で且つ演奏の途中でテ-プに鋏が入るという乱暴な建付けだけど、コニッツの演奏には初期の狂気をはらんだ妖しさの残り香があり、そこがいい。 
このレーベルの欠点である高音域帯をカットしたようなデッドな音場のせいで再生上はアルトの音の鋭角さが失われているけれど、それでも彼にしか出せない
独特の危ない雰囲気が溢れていて、とてもいい。 この感じを聴くためだけに、私はコニッツのレコードを買うのだ。 


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ゴールデン・ウィークの成果

2018年05月01日 | Jazz LP (Columbia)

The Dave Brubeck Quartet / Time Out  ( 米 Columbia CS 8192 )


やっと見つけた、新品同様のステレオ初版。 このコンディションの良さに意味がある。 GW前半に歩いて探した猟盤の成果である。

ここまでモノラル・プレスとステレオ・プレスの差が大きいレコードも珍しい。 その中でも一番違いが顕著なのが、ジョー・モレロのドラム。
もう、部屋のあちこちの角度からドラムやシンバルの音が身体に刺さってくる。 スピーカーは2つしかないのに、なんでこんなにいろんな角度から
ドラムの音が飛んでくるんだろう。 "Take Five" の中間部でモレロが叩くフロア・タムの音が急に私の背後から聴こえて、思わずビクッとなる。
これは一体、どういう原理なんだろう。

そういう空間表現に長けているだけではなく、楽器の音の艶もモノラルとステレオではまったく違う。 濡れて雫が飛び散るようなシンバル、
灯りが消えた深夜の街に静かに鳴り響くようなアルト、和音が濁らず音が分離しているピアノ、どれをとっても楽器の音の実在感が違う。

1959年の夏のニューヨークでの録音だから、音がいいといってもそれはHi-Fiな良さということではなく、あくまでその時代相応の良さであるけど、
それがどうにも音楽をより音楽的に響かせているようなところがあって、不思議だと思うのだ。

こうまで音場感が違うと、音楽そのものも違うものを聴いているような錯覚に陥る。 普通こういう場合はモノラルにはモノラルの良さがある、と
擁護されるものだけれど、このレコードに関してはわざわざ倍の値段が付くモノラルを聴く必要はないんじゃないだろうか。  


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