廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

小ネタ集(Clef、Norgran編)

2024年03月23日 | Jazz LP (Verve)
最近レコード屋に行ってお店のご主人と話しをしていると、例外なく村上春樹さんの「デヴィッド・ストーン・マーティンの素晴らしい世界」の
話しがまるで口裏を合わせたかのように出てくる。それぞれの文脈は違えどこれだけ複数の人から同時にこの話題が出てくるのだから、その
影響力はさすがだなあと思う。「じゃあ、クレフやノーグランのレコードは売れてます?」と訊くと、そこは意外とそうでもないらしい。
まあ、買う側も「本は本だし」ということでそこは冷静なのかもしれない。

DSMと言えばクレフやノーグランのレコードということになるけど、このレーベルのレコードについては昔から疑問に思っていることがあって、
それが長年未解決のままで残っている。

1.番号あり/なしのジャケットは2作品だけなのか?

下のスタン・ゲッツとパーカーのレコードは、ジャケットの表面左上に「MG X-XXX」というレコード番号が書かれているものと書かれていない
ものの2種類があって、書かれていないタイプが初出だとされている。

 


 

きっと「やっべぇ、うっかり番号を入れるの忘れちゃったよ、まあ次から入れておけばいいよね、誰も気が付かないでしょ」みたいな感じだった
のだろうと思うけど、こういうのはよくわかるのである。だから番号なしが先というのはそうなのかなと私も思うんだけど、こういうのはこの
2タイトルだけなのか?というのがいつも疑問に思うこと。私自身はDSMジャケットなら何でも買うというタイプではないので、これ以外のものが
どうなっているのかがよくわからない。


2."Jazz Series" ロゴのあり/なしはどちらが初出か

クレフ・レーベルには同一タイトルでトランペッターのイラストの腰あたりに "Jazz Series" というロゴがあるものとないものがある。
レーベル下部の "Jazz At The Philharmonic" ロゴについては最近よく言及されるけど、この"Jazz Series" についてはどちらが先なのだろう。

スタン・ゲッツの2枚の10インチには、この "Jazz Series" ロゴがあるものとないものが存在して、私はないタイプのほうが先だったのだろうと
思ったから、わざわざそちらを探して買った。




"Jazz Series" ロゴがないタイプが先だと思ったのにはいくつか理由がある。

・ロゴなしタイプの方が圧倒的に数が少ない
・パーカーを例に取ると、"S/T" はクレフがオリジナルで "Jazz Series" ロゴはないが、"South Of The Border" はマーキュリーが初出でクレフは
 セカンドとなり、"Jazz Series"ロゴがある




・バド・パウエルの "Moods" のように、クレフの前身であるマーキュリーにはこのロゴはない。このレーベルはマーキュリー→クレフ→ヴァーヴ
 という変遷を辿るので、クレフの最初はマーキュリーのデザインをそのまま流用したのだろうと推測できる。




但し、このロゴがあってもなくても、盤の材質や形状、質感には何も違いはないし、音質もまったく一緒。なので、この件は特にこだわる
必要はない、というのが私の結論である。


3."Big Band" にはマーキュリー・レーベルが本当にあるのか

パーカーの "Big Band" の初出はマーキュリー・レーベルだという話があるが、私は40年近くレコード漁りをしていて、1度も見たことがない。
このレコードは愛聴盤なので見かけると必ずチェックしてきたが、そのすべてがクレフだった。本当にあるのだろうか?

また、村上さんはこのレコードを「10インチ盤」と書かれているが、これは12インチの間違いで、そこはご愛敬。そういう勘違いも含めて
レコードの話は楽しいのである。





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ジョー・ゴードンに見出されたアルト

2024年03月17日 | Jazz LP (Contemporary)

Jimmy Woods / Awakening  ( 米 Contemporary Records M 3605 )


ジョー・ゴードンは最後のリーダー作にジミー・ウッズというアルト奏者を呼んだが、おそらくはこの時の演奏が注目されたのだろう、2か月後に
ほぼ同一のメンバーによる録音と別のメンバーによる録音が行われて1枚のアルバムが制作された。これがウッズの初リーダー作になる。
ジョー・ゴードンとの演奏は今度はジミー・ウッズ側から見た音楽という切り口になっていて、ジョー・ゴードンはサポートに回っている。

こちらもゴードンに倣ったかのようにウッズ自作のオリジナルが大半を占めており、意欲的な内容で聴き応えがある。楽曲はゴードンと同様に
ハード・バップからは脱した新しい感覚の音楽になっているが、ウッズ自身のアルトが同時期に出てきたドルフィーに少し似た演奏をしており、
ゴードンのアルバムよりも半歩先を行くような印象を覚える。

61年のゴードン他との録音では曲数が足りなかったのか翌年にワンホーンで追加録音をしており、ゲイリー・ピーコックが参加している。
こちらの演奏は先の録音のものとは少し雰囲気が違っており、しっとりとした抒情的な表情を見せている。そのせいでアルバムとしての統一感には
やや欠けるけど、こちらの演奏も見事な出来である。これだけで1枚作ってもらいたかった。

ジミー・ウッズもこの後もう1枚のリーダー作を作って、その後は途絶えてしまっている。レコード・デビューが遅かったのがまずかったのだろう、
60年代も半ばになるとこういう従来の主流的ジャズは急速に市場から締め出されるようになる。ちょうどその時期だった。どんなに優れた音楽が
出来ても、それは時代のニーズには合わないと見做されてレコードが作られることはなくなっていった。彼のこの後の足跡はよくわからない。
だからこうして辛うじて残されたレコードをコツコツと聴くしかないのだ。



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あるトランペッターの進化(3)

2024年03月13日 | Jazz LP (Contemporary)

Joe Gordon / Lookin' Good  ( 米 Contemporary Records M 3597 )


ジョー・ゴードンはシェリー・マンのバンドを経て1961年に2枚目のリーダー作を作るが、これが音楽的に見事な進化を遂げた傑作になっている。
西海岸での録音だったのでコンテンポラリーが受け皿になっているが、このレーベルのカラーには馴染まない東海岸的なポスト・ハードバップで、
この音楽的変遷はまるでマイルスのそれを思わせる。ここで聴かれる音楽はまるで現代のメインストリーマーたちがやっているような超モダンな
感覚で、彼のエマーシー録音からの7年間はまるでジャズが辿った70年間に相当するかのような錯覚を覚える。

このアルバムはジャケットにも記載があるようにスタンダードは排した全曲ジョー・ゴードンのオリジナルで、彼がトランペット奏者ではなく
音楽家であることを指向していたことがわかる。単にその時代のジャズを演奏しましたということではなく、自分の中に澱のように溜まっていた
音楽的な想いを自身でメロディー化して演奏したところにその他大勢のアルバムとは一線を画す価値がある。どの曲もわかりやすいメロディーで
構成されていて、この時期に台頭していたニュー・ジャズの影響もまったくない。憂いに満ちた翳りのある楽曲も多数あり素晴らしい出来だ。

相方にはエリック・ドルフィーのエピゴーネンのようなジミー・ウッズを選んでいるところが面白いが、このアルバムは全体の雰囲気がゴードンの
曲想で統一されているので、ウッズの個性もうまくその中で中和されていて適度なアクセントとして機能している。全体の演奏にはキレがあり、
ダレる瞬間もまったくなく、正対してじっくり聴くとそのクォリティーの高さには感銘を受ける。

短い期間の中でこれほど正統的に進化を遂げた人はなかなか珍しいのではないか。真面目に音楽に取り組んだことがきちんと形に残るところが
素晴らしいし、何より音楽が変に捻じれておらず、スジがいいところがよかった。彼の音楽や演奏はこの2か月後の別の録音で途絶えてしまうのが
何とも残念でならない。



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あるトランペッターの進化(2)

2024年03月09日 | Jazz LP (Contemporary)

Shelly Mann & His Men / At The Blck Hawk Vol.1  ( 米 Contemporary Records M 3577 )


ジョー・ゴードンのようなマイナーなアーティストになるとその詳細な足跡はわからないが、どうやら1958年に西海岸へ移ったらしい。
どういう理由で西海岸へ行くことになったのかもよくわからないけど、西海岸には彼のようなブラウニー直系のトランペッターがいなかった
からか、すぐに仕事に就くこともできたようで、亡くなる1963年まで彼の地で活動した。

そして1959年頃からはシェリー・マンのバンドの常設メンバーとして参加するようになり、このバンドのカラーを変えることに成功している。
それまでのシェリー・マンのバンドと言えば退屈な編曲重視のアンサンブルものが多く、各メンバーの実力が活かされることのない駄作を
量産していたが、ジョー・ゴードンが加わってからのこのバンドはまるで別のグループへと変貌を遂げた。非常に洗練されたハード・バップの
一流バンドへと。

その最も理想的な成果がこの4枚のアルバムに収められている。コンテンポラリーからのリリースなので一連のシェリー・マンのレコードの中に
埋もれがちだが、これは西海岸で最も優れたジャズ・グループによるスイートで心奪われる名作である。ライヴにも関わらず、まるでスタジオで
演奏されているかのような端正で抑制の効いた演奏が素晴らしい。

まず何と言っても、リッチー・カミューカのテナーに聴き惚れることになる。この人はその実力の割に作品に恵まれず、一般的に代表作と言われる
モード盤もこの人の本質を捉えているとはとても言えず、この4枚のライヴに比べると退屈極まりない駄盤に思えてくる。それに比べてここでの
ふくよかで濃厚な音色によってこれ以上なくなめらかに旋律が歌われる様は筆舌に尽くしがたい。他のレコードで聴く演奏とはまるで別人のよう。

デビュー盤ではブラウニーの影響下にあるような演奏をしていたゴードンは、ここでは各所でデリケートな演奏を聴かせる。"Summertime" や
"Whisper Not" ではマイルスばりのミュートで魅了するし、アップテンポの曲でも伸びやかなトーンとリズムを外すことのないタイム感で
アドリブフレーズを奏でる。どの局面でも音数が適切でここまで豊かな表情で安定した演奏をするトランペットはちょっと珍しいのではないか。
彼の演奏の雰囲気が著しく好ましい方向へと進化しているのが何とも嬉しい。

通常であれば1枚のアルバムとしてまとめるであろうところを4分冊でリリースしているところからも、レーベル側が演奏を切り落とすところが
ないと判断したことが伺える。現にこの演奏はちょっと、というところがどこにもない。アルバム4枚に分けてリリースするというのは異例の扱い
だが、冗長さを感じることはなく、この演奏であればもっと聴きたいという欲求を満たしてくれる。

東海岸のビ・バップに対抗するために始まった西海岸の白人ジャズが初期の形式から脱出しようとした時期にジョー・ゴードンとの邂逅に恵まれ、
世の中の状況に敏感だったシェリー・マンが彼を軸に新しいバンドを作ったのだろう。ジョー・ゴードンにはそうさせる力があったということ
だったのではないかと思う。













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あるトランペッターの進化

2024年03月02日 | Jazz LP (EmArcy / Mercury)

Joe Godon / Introducing Joe Gordon  ( 米 Emercy Records MG-36025 )


ジョー・ゴードンは1963年に寝煙草が原因の火事で亡くなっている。リーダー作はこの1954年吹き込みのデビュー作を含めて2枚しかないので
一般的知名度は限りなく低いが、サイドマンとしてはコンスタントに演奏が残っていて、当時は有能な演奏家として評価されていた。
大体がこの "Introducing~" というタイトルで登場する人は将来を嘱望されていたケースが多く、その早すぎる死は惜しまれる。

プロとして活動を始めたのが1947年ということだからまったくの新人というわけではなく、そろそろリーダー作を作ってもいいのでは、という
ことで吹き込まれたのだろう。演奏は堂々としたものであり、ラッパもよく鳴っている。1954年と言えばビ・バップがハード・バップへと移行
しつつあった端境期で、このアルバムも様式としてはハード・バップだが、まだ形式的な成熟は見られず、生まれて間もない不安定さの中を
ビ・バップの荒々しい演奏スタイルで進むという内容で、クリフォード・ブラウンがアート・ブレイキーのバンドにいた時の音楽にそっくりだ。
ここにもブレイキーが参加しているので、まさにアート・ブレイキー・クインテットと言われても何も違和感がない内容だ。

クインシー・ジョーンズが作曲した曲を多く取り上げているのがこのアルバムの特徴で、なぜそういうメニューにしたのかはよくわからないが、
スタンダードをまったく入れずに1枚のアルバムを作るところにこの人の音楽上の信念が伺える。そのおかげで非常に硬派な音楽になっていて、
筋金入りの本当のジャズ好きだけに好まれるようなアルバムになっていると思う。そんな中でもクインシー作の "Bouse Bier" が憂いのある
マイナーキーの佳曲で、素晴らしい出来だ。

ただ、この人はこういう荒々しい演奏だけには留まらなかった。この後、西海岸へ移って活動をするのだが、そこで音楽的な進化を遂げる。
そこがこの人の評価ポイントであり、素晴らしいところだったと思う。今回この人を取り上げたのはそのことを書きたかったからに他ならない。
このアルバムはそのイントロである。



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