廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

コロナは生誕250周年を台無しにしたか

2020年12月31日 | Classical

Wihelm Frutwangler / L.V.Beethoven Ⅸ Sinfonie D-moll, Op.125  ( 独 Electrola WALP 1286 / 87 )


2020年はベートーヴェンの生誕250周年ということで当初は世界中で様々な催しが企画されていたが、コロナ禍の影響で軒並み中止となり、
さほど盛り上がることなく終わろとしている。まさかこんなことになろうとは誰も思っていなかったわけで、残念なことだ。
ただ、クラシック音楽に親しい者にしてみれば、わざわざそんなイヴェントを持ち出さなくても日々ベートヴェンには接しているわけで、
催し物があろうがなかろうがあまり関係はない。気が向いたらお気に入りの演奏を持ち出してきては、ボソボソと聴くわけである。

年末になると自然と第九を聴く回数が増えるというのもどうなのよ、と思いつつも、やはり聴いてしまうのは、大抵はレコード2枚組という
面倒臭さから普段あまり手にすることがないことへの懺悔にも似た気持ちからかもしれない。

第九と言えば「バイロイトのフルトヴェングラー」ということになるわけだが、現代においては昔ほどの御威光はないらしい。
昔はそれこそ「神」として崇め奉られたこの演奏も、近年の多様な価値観の隆盛の中で相対化が大きく進み、以前のようなイヤらしい
神格化ではなく、もっとナチュラルに評価されるようになってきているみたいで、これはいいことだと思っている。

「この演奏はバイロイトの本番公演のものではなく、当日の本番直前に行われた通しリハーサルの演奏だ」と噛み付いた神をも恐れぬ
日本の団体がいて、その後、この演奏は真贋論争に巻き込まれた。当のHMVが公式声明を出さないものだから、結局のところ、何が本当か
わからないまま時間が経過し、このことがこの演奏への狂信的な崇拝気分に水を差したことも影響しているのかもしれない。

バイロイト祝祭劇場の音響は録音には向かない、とフルトヴェングラーが録音の申し入れを断ったために、この録音は非公式に行われ、
レコードもフルトヴェングラーの死後に発売された。そのせいでこういう事態を招いたわけだが、この演奏に只ならぬ異様な雰囲気が
あるのは事実で、ここから受ける音楽的感動は本物である。だから、真贋がわからないのならそのことを最重視しよう、というのが
現在の定説となっており、この論争は意外と常識的な着地を見せている。私もそれでいいと思っている。

2020年はベートヴェン生誕250周年の年として記憶されることはなくなってしまったが、新型コロナはベートヴェンの生誕を祝おうという
人々の気分を果たしてダメにしただろうか。私はそうは思わない。こうしてレコードを聴く限り、彼の音楽は不滅である。
コロナは私たちからいろんなものを奪い、そして強制したが、音楽を祝福したいという気持ちまでダメにすることはなかった。
このレコードを聴けば、音楽があれば私たちはいつだってタフになれる、ということを確認することができるのである。



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OJCのビル・エヴァンス(7)

2020年12月27日 | Jazz LP (Riverside)

Bill Evans / Waltz For Debby  ( 米 Fantasy Original Jazz Classics OJC-210 )


さぞかし何度もプレスされているだろうと思ったら、1985年、2009年、2011年、2020年とのことで、意外に少ない。
手許には2種類あって、まずは1985年の厚紙ジャケットのもの。何だか複雑なマトリクスだ。

A面 OJC 210 A-G1A G1 A1 (F + AP)
B面 OJC 210 B1 (T) P T

ピアノの音は優しい音色だが、水に溶かした水彩絵の具のようにうっすらと滲んでいる。
ベースはくっきりとした輪郭、ドラムはブラシで触るシンバルの音が繊細な質感。
やはり、楽器の音よりも全体のバランスを重視したマスタリングだ。ラファロのベースのフレーズが一番よく聴き取れる。




Bill Evans / Waltz For Debby  ( 米 Fantasy Original Jazz Classics OJC-210 )


こちらは薄紙ジャケットで、マトリクスが違う。

A面 OJC 210 A2 P (T)
B面 OJC 210 B1 (T) P T

ピアノの音色のクリアさが少し向上している。やはりマスタリングし直しているようだ。厚紙ジャケットのものよりも
ピアノが主役のバランスへと変更されている。

やはり、OJC盤はプレスのたびにこまめにマスタリングを見直しているようだ。最後は好みの問題に着地するので、
どちらを選ぶかは各人の判断になるだろうが、私はこの薄紙ジャケットの音の方が生理的に合っている。






このタイトルのオリジナルのステレオ盤は、ピアノの音がより大きく鳴る。ここがOJCとは違う点だ。
一方、ベースやドラムにはさほど違いは感じられない。ラファロのベースの音がややしっかりとしているかな、というくらいだ。
店員がかたずけるグラスの触れ合う音が一番生々しく聴こえるので、一定の音の鮮度は保たれているのだろう。

ただ、「すごくいい音か?」と問われると、「いや、そんなことはない、騒ぐような音ではないよ」と言うしかない。
オリジナルは各楽器の音はしっかりとしているが、全体のバランス感は明らかにOJCの方が優っているし、
そもそもこれを聴いて、「これは凄い音だ」とは誰も感じないないだろう。



こうしてしつこく聴き比べをしていくと、再発盤は音が悪い、という話はいい加減な話だということがわかる。
確かに駄目なものもあるが、少なくともエヴァンスのリヴァーサイド盤に限って言えば、再発盤が劣っているとはまったく思えない。

オリジナルが完璧だということは決してなく、そこに見られる欠点を丁寧に補正してリプロダクションされているし、
更に次のヴァージョンでは再度見直しして作り直されているのは明らかだ。
どの版にも独自の良さや欠点があり、その違いを享受できるようになれば、音楽はもっと楽しくなるだろう。


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OJCのビル・エヴァンス(6)

2020年12月24日 | Jazz LP (Riverside)

Bill Evans / Sunday At The Village Vanguard  ( 米 Fantasy Original Jazz Classics OJC-140 )


人気盤ということなのか、1984年、1987年、2002年、2008年、2015年、2020年、と頻繁にプレスされている。
手許には2枚あり、まずは1984年もの。

A面 OJC 140 B A1 C P GH1
B面 OJC 140 B2 C P GH T

ジャケットが国内盤のような厚紙仕様。最初はそれなりにコストをかけて作っていたようだ。

OJCに共通するベース音のクリアさと音圧の高さはここでも健在だ。音に輪郭があって、フレーズがよくわかる。
モチアンのブラシ音も粉を吹いているような粒の細かさで、1歩下がったような鳴り方だ。ただ、スネアの音が小さく、
あまりよく聴こえない。ピアノの音色は優しく美しく、不自然な着色も見られないが、少し音圧が低いのが気になる。

でも、トリオのサウンド感は全体のバランスがよく、聴いていて心地好い。個々の楽器にフォーカスするよりも、
全体のバランスを優先したようなマスタリングがされたようだ。




Bill Evans / Sunday At The Village Vanguard  ( 米 Fantasy Original Jazz Classics OJC-140 )

こちらは、おそらく1987年もの。

A面 OJC 140 B A1 D5 P GH
B面 OJC 140 B2 A1 P GH T

こちらのジャケットは紙質が薄く、表面に艶加工が施されている。

84年ものと比べると、音が違うことがわかる。こちらはピアノの音が薄皮が1枚剥がれたような感じで、
よりクリアで明るく、音圧も上がっている。ピアノの音色はこちらの方がいい。
ドラムのスネアの音もクッキリとしていて、全体的に音像の見晴らしがよくなっている。

マニアの感覚だと厚紙ジャケットの方が何だか有難い気がして、そちらの方を探したくなるかもしれないけれど、
音質に関してはこの薄紙ジャケットの方が直感的にはいい音だと感じるはずなので、買う場合はよく吟味した方がいいだろう。
OJC盤にもマスタリングの違いで音質に差異がある、ということは頭の中に入れておくといい。





オリジナルのステレオ盤とOJCの87年ものとを聴き比べると、音質の差がまったくないことがわかる。これには驚かされる。
このタイトルについては、わざわざ高いオリジナルのステレオ盤を買う意味はない、と言い切ってもいいだろう。

OJC盤は優れているのである。



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OJCのビル・エヴァンス(5)

2020年12月20日 | Jazz LP (Riverside)

Bill Evans / Portrait In Jazz  ( 米 Fantasy Original Jazz Classics OJC-088 )


さすがに代表作ということで、1983年、2011年、2015年、2020年、とプレス回数は多い。手持ちの盤は、2011年もの。

A面 OJC-088 A1 RE6 18697.1(2)
B面 OJC-088 B1 RE6 18697.1(2)

これは見事な音だ。何と言うか、風格のある音。初めて聴いた時にはびっくりした。

ラファロのベースの音が大きく、響きが非常に深い。これが全体のサウンドを印象付けている。エヴァンスのピアノの音色は
ややくぐもってはいるけれど、気になるほどではなく、かえってシックな雰囲気に貢献しているような感じだ。
モチアンは1歩後ろに下がったような聴こえ方で、これがサウンドに奥行き感を与えている。

驚くのは、音楽としてオリジナルとは少し違う印象を覚えることだ。オリジナルで聴く場合よりも、音楽が雄大に聴こえる。
ステレオ感はさほど効いていないため、音場の拡がりがもたらすというような類いの話ではなく、リマスタリングされた音に
何か別のものが宿っているような、小手先の技で高音質化を狙うのではなく、根本的なところで何かを問うているような、
そういう不思議な感覚に陥る。

リマスタリングというのは、「高音質!」ということばかりを標榜することではなく、別の角度から光を当てて音楽の違う側面を見せる
という重要な役目も担っているのだ、というサウンド・エンジニアの声が聴こえてくるようだ。音楽は元々が多面的であり、今聴いている
音楽は1つしかないのではない。だからこそ人は音にこだわるのだ、とこれを聴きながら思った。




Bill Evans / Portrait In Jazz  ( 米 Riverside RLP 12-315 )


このアルバムがRIAAカーヴでないことは間違いないが、適正なカーヴがどれかがイマイチよくわからない。エヴァンスのピアノに
限って言えばAESが一番いいが、これだとベースやドラムが痩せて小さな音になる。これを解決するにはデッカにするのが一番で、
ラファロとモチアンが俄然元気が出てくるのだが、ピアノの音がフォルテになると少し歪む。

デリケートなピアノトリオとして堪能したければAES、インタープレイの傑作として聴くならデッカ、という感じである。
そして、OJC盤は両者のいいとこ取りをしたような感じだと言っていい。



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OJCのビル・エヴァンス(4)

2020年12月19日 | Jazz LP (Riverside)

Bill Evans / Explorations  ( 米 OJC-037 )


OJC盤は1982年、2015年にプレス・販売されている。意外に少ない。手持ちの盤は82年もの。

A面 OJC 037 A G+ A
B面 OJC 037 B G+ A

音色の観点では、これはオリジナル盤と瓜二つな音と言っていい。

ステレオ効果は感じられず、モノラル盤の質感が漂う。ピアノの音色もモノラル盤で聴かれる音色と同じだ。
ラファロのベース音が小さい。モチアンのブラシやシンバルが、若干、音の粒子が細かくなって自然な感じになったかな、
というところで改善が見られる。

昔からこのアルバムの音は冴えないと言われてきた。おそらくはそれが原因で、4部作の中では一番成熟した大人の音楽なのに、
人気の面では常にデビーの後塵を拝してきた。そのためリマスターの効果を期待したが、どうやらこの時はあまり原音を
触らなかったらしい。触りようがない状態だったのか、それとも触る必要はないという判断だったのか、理由はよくわからない。




Bill Evans / Explorations  ( 米 Riverside RLP 351 )


このオリジナルのモノラル盤はRIAAカーヴではダメで、ffrrカーヴで聴くほうがいい。RIAAカーヴの方が繊細でいい、
という向きもあるかもしれないが、それは好みの問題としての話であって、客観的にはデッカ・カーヴで再生される音が
適正な音質だと思う。カーヴ補正後の音は音圧が上がり、音の歪みもなく、楽器の音が蘇り、音質が冴えないという印象は
払拭されるだろう。"Elsa" で、ラファロのベースが動く際にたてるギシギシという木の鳴る音がしっかりと再生される。
RIAAカーヴではここまでクリアには聴こえないのだ。


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OJCのビル・エヴァンス(3)

2020年12月17日 | Jazz LP (Riverside)

Bill Evans / Moonbeams  ( 米 OJC-434 )


OJCのレコードは1990年、2002年、2009年にプレスされている。所有盤は1990年もの。

A面 OJC 434 A1 G1 A5 (T)
B面 OJC 434 B1 G1 A1 (T)

これはとてもいい音だ。OJC盤に共通しているのは、ベースの音が大きくクリアに刻まれていること。
そのおかげで、サウンド全体のバランスがとてもいい。これがオリジナルとは決定的に違う。

ピアノの音色が艶めかしい。特に弱音の繊細な表情は見事だ。フォルテの箇所や和音も音が潰れていない。
モチアンのブラシは鳥が羽を震わせるような感じで聴こえてくる。

こういうデリケートな音場感が、このアルバムの演奏には相応しい。音楽の特性にうまく寄り添った音作りで、
エヴァンスのやろうとしたことが見事に再生されていると感じる。アーティストとサウンド・ディレクトとの
幸せな邂逅を見る想いだ。





オリジナルのステレオ盤は、モチアンのスネアの音に硬さが見られる。ベースの音もやや後退気味で、ピアノが前面に
押し出されたマスタリングのようだ。これが当時の標準的な音作りの考え方だったのだろう。

全体的に音質としては大きく気になるところはなく、音楽に集中できる。ただ、OJC盤は一聴してすぐに「いい音だな」と
無条件に感じる何かがあるのに対して、オリジナルの方はよく聴き慣れた60年代プレスのレコードという感じだ。

このオリジナルは両方ともRIAAカーヴで再生するのが一番いい。デッカ・カーヴだとバランスが崩れる。
タイトルによって、なぜこういう差異が見られるのかはよくわからない。

このアルバムは、よく言われる「静的な演奏だけを集めた」ことに特徴があるのではなく、"Re : Person I Knew" で始まり、
"Very Early" で幕を閉じるところに意味がある。エヴァンスが自作曲に込めたメランコリックな雰囲気が何より素晴らしく、
この2曲が聴きたくてターンテーブルに載せると言っても過言ではない。ジャズの一般概念ではうまく捉えることができない、
本当の意味でオリジナリティーが際立つ作品だと思う。


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OJCのビル・エヴァンス(2)

2020年12月13日 | Jazz LP (Riverside)

Bill Evans / How My Heart Sings !  ( 米 OJC-369 )


このタイトルも1989年、2009年にプレス・発売されているが、手持ちの盤は89年のもの。OJCのレコードは裏ジャケットに
バーコードがあればその番号で、もしくはマトリクス番号から何年ものかを判定する。

A面 OJC 369 A1 G1 (P) 手書き
B面 OJC 369 B1 G1 (P) 手書き

3つの楽器のバランスはよく、それぞれの音がしっかりと聴き取れる。特にベースの音圧が高く、ピアノ・トリオとしての快楽度が高い。
ピアノの音は若干固めで艶やかさに欠ける。人工プラスチックっぽいと言うか、そういう感じがする。ブラシの音も音圧は高いが
音が若干潰れ気味で、ブラシ音が束になっていてうまくほぐれていない。バランスはいいが、各楽器の音色があまり自然とは言えない。

次にオリジナルのステレオ・プレスを聴いてみると、ピアノの音に潤いと艶やかさがあり、ホッとする。ベースは一音一音に残響感があり、
音色に深みがある。音圧もあり、よく聴こえる。ドラムもよく聴こえる。3つの楽器の分離はよく、音がよく立っている。
各楽器の存在が独立しながらもアンサンブルとしてしっかりと結束している様子が上手く録れている。

もう1度OJCに戻って聴いてみると、やはり楽器の音色の質感が落ちているところが全体の足を引っ張っているような印象だ。
ただ、このアルバムは元々の録音がさほどいい訳ではないので、リマスタリングの成果が出し辛かったのではないだろうか。




オリジナルの方は、モノラルとステレオの音場感の差異があまりない。どちらで聴いても、似たような印象である。
正確に言うと、モノラル・プレスの音場感がかなりステレオ感に寄った感じで作られているのだ。そのせいで、似た印象になる。

このアルバムはRIAAカーヴではまったくダメで、ffrrカーヴで聴かないと音楽の輪郭がよくわからない。
カーヴ補正せずに聴くと、このアルバムはつまらない内容に聴こえるだろう。そのくらい大きなギャップがある。

アルバムタイトルにもなっている "How My Heart Sings !" は繊細で可憐なワルツで、このレーベルに収録された中では1、2位を争う
名曲である。また、"In Your Own Sweet Way" などプログラム内容が魅力的で、世評は芳しくないようだが、私は好きなアルバムだ。
評判が良くないのは、海外盤の再生の難しさにも一因があるのかもしれない。

以前、日本ビクターの紙ジャケCDを持っていたが、それがとても繊細な感じのいい音だった。このアルバムはもしかしたら国内盤で
聴く方がいいのかもしれない。いずれ機会があれば確認してみたい。


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OJCのビル・エヴァンス(1)

2020年12月12日 | Jazz LP (Riverside)

Bill Evans / At The Shelly's Manne-Hole  ( 米 OJC-263 )


OJC盤は音がいい、というのは今では常識になっているが、具体的にどういう音なのかについてはあまり伝わってこない。
そこで、音楽を繰り返し聴くに耐え得るビル・エヴァンスのアルバム群を題材にして、オリジナル盤と対比させながらも、
実際のところはどういう音なのかを聴き比べてみる。

一口にOJCと言っても、何度かプレス・発売されていて、このタイトルもレコードは1986年、2018年にプレスされている。
手持ちのものは86年プレスなので、その前提で聴いてみる。

A面 OJC 263 A1 G1 (A) 手書き
B面 OJC 263 B1 G1 (A) 手書き

一聴して、3つの楽器のバランスの良さに溜め息が出る。再生される音は上質でなめらかで、極めて自然なステレオ感。
プレス品質も良く、耳障りなロードノイズはまったくない。

ベースの音はリアルで、弦が震える音がクッキリと再生される。ドラムもスネア、ハイハット、ブラシの音が物凄く自然な音。
ピアノはきちんとアコースティック・ピアノらしい音で、弱音になっても音場の中に埋没しない。拍手の音もクッキリとしている。
聴いていて、気になる瑕疵は何も感じない。

このOJC盤を聴いた後にオリジナルのステレオ盤を聴いてみると、こちらはピアノの音がもっと硬質で、音がより立っている。
一方でベースの音圧が弱く、音が音場の中で埋没していて、あまりよく聴こえない。チャック・イスラエルがラファロと比べて
大人しく覇気がないと言われるのは、こういうオリジナル音源のサウンド感が影響していると思う。ドラムも控えめな音圧で、
スネアの音に深みが欠けている。

オリジナルは明らかにエヴァンスのピアノを目立たせるようなマスタリングをしていることがわかる。ただ、各楽器の音色は
明るくクリアで輪郭もクッキリとしていて、音圧の強弱の影響からOJC盤よりもサウンドに奥行き感がある。
拍手の音は潰れて割れている。とにかく、ピアノの音に全神経を集中させたような音作りになっている。

もう1度OJC盤に戻ってみると、オリジナルは全体的に古風な雰囲気、OJC盤はリノベされたばかりの清潔な部屋のような印象だ。
各楽器の音色を根本から見直し、1つ1つ丁寧に磨き上げて、正しい位置にきちんと配置し直した、という感じである。





オリジナルのモノラルとステレオでは、音場感はまったく異なる。モノラルは音がこもっていて、ぼんやりと霞んでいる。
それに比べると、ステレオはベールを1枚剥がしたようなクリアな音。普通に考えれば、このアルバムはステレオ盤で聴く方がいい。
1965年のリリースという時期を考えると、これは当然の結果だろう。


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聴き比べをすることの意味

2020年12月10日 | Classical
音楽を聴く際、聴き比べをすることがよくあるが、人はなぜそんな手間のかかることをするのだろう?

聴き比べをすることが基本姿勢となるのは、まずはクラシックだ。このジャンルは作曲家が書いたある1つの曲を
演奏家たちが寄ってたかって演奏することになるから、どれが自分にとっての最高の演奏か、ということが
最優先事項に自然となる。

自分でオリジナル曲を書いて、それを披露して、後世に残る名曲として認められたもののみが楽曲として生き残ったのが
現在認知されているクラシックの名曲群だ。この特殊性が、他のジャンルとは決定的に違う。
それ以外の無数の楽曲は誰からも演奏されず、忘れ去られて、存在することすら認められない。
階級社会の中で生まれ育った音楽の宿命で、厳しい世界だ。

クラシック音楽における聴き比べというのは、例えば、バッハの「ゴルトベルク変奏曲」(昔は「ゴールドベルグ」
と言っていたけど、近年はこういう表記で統一されている)を例に挙げると、こういう感じになる。





グールドの第1回目の録音。コロンビア盤よりメロディア盤の方が音が数段いい、という噂が一部で囁かれているが、
実際に聴き比べてみると、そんなのは大嘘だということがわかって失笑する。
彼はバッハだけの枠をも遥かに超えて、クラシック音楽全体の演奏史観を根底からひっくり返してしまった。
グールドの子供たちは、今や指揮者、ヴァイオリン、チェロの他、あらゆる領域に数多く存在する。




グールドの第2回目の、そして最後の録音。左はドイツ初版、右は数年前にリマスタされたEU盤。
オリジナルが一番音がいい、という鉄則がクラシックには当てはまらない。また、この録音はレコードより
CDの方が音がいい。テクノロジーの進化に比較的忠実なのがクラシックの特徴。おそらく、資金の投じ方が
他のジャンルとは違うのだろう。そのため、レコードよりCDの方がマーケット規模は大きい。




もちろん、グールドだけがいい演奏を残したわけではない。他にもいい演奏はいくらでもある。




少なく見積もってもこの3倍以上の演奏を聴いているけど、繰り返し聴くに値すると思うもののみを手元に
残している。まだ聴いていないものも当然あるので、これからもボチボチと聴いていく。


こんなのは全然少ない方で、交響曲なんかこの何倍もの種類がある。だから、クラシック愛好家は音盤を数千枚持っている
という人がざらにいるわけだ。微に入り細に入り聴き比べをして、自分のお気に入りの演奏がどれかを模索している。

そして、それらの演奏に点数をつけて、ランキング形式にするのが好きらしい。各人が思い思いに順位付けをしている。
でも、これがびっくりするくらい、自分の認識とは合わないのだ。好き嫌いというのはこうも人によって違うのか、
ということを思い知らされる。


一方、ジャズの聴き比べはというと、クラシックの場合とは様相が異なる。"Round Midnight" の演奏に関して、
セロニアス・モンクとマイルス・デイヴィスの演奏に点数を付けて、どちらがいい演奏か、という議論には決してならない。

ジャズの場合は「マイルス・デイヴィスのアルバムの中ではどれが一番好きか」だったり、「レコードとCDでは音はどう違うか」
だったり、同じレコードでも「オリジナル盤と再発盤はどう違うか」を聴き比べるということが主になってくる。
そもそもの音楽の成り立ち方が違うのだから、聴き比べの内容そのものが違ってくるのは当然だ。

でも、どちらにも共通して言えることは、聴き比べは面白いということだろう。結局のところ、それは未知なるものを
知りたいという欲求が原点になっているし、より良い音楽を聴きたいという渇望に支えられている。

聴き比べをする中で音楽的な感性は研ぎ澄まされ、見識も深まっていく。そして、一番好きな演奏を探していくということは、
つまるところ「自分とは何か」を探すことである。だから、聴き比べをするのはいいことなのだ。


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いろんな歌手を招いて

2020年12月08日 | Jazz LP (Decca / Coral)

Les Brown and His Band of Renown / Open House  ( 米 Coral CRL-57051 )


このところ数週間くらい、レコードがまったく買えていない。最後に買ったのは380円のこのレコードで、それも何週間前だったのか
よくわからない。何だかレコード熱が冷めたのかな、と思ったりもするが、これは、と思うようなものがないのが原因のように思う。
これは初めて見るぞ、と嬉しくなるようなものはさすがにもう少なく、例え聴いたことがなくてもエサ箱の中で何度も見かけるような
ものは新鮮味もなく、わざわざ手に取ろうという気も起きない。

そんな中で、このレス・ブラウンは初めて見るタイトルだった。1930年代から活動していた歴史の古いビッグ・バンドなのでレコードは
たくさんあるが、いろんなヴォーカリストを招いて共演するという楽しいレコードだ。

ハーブ・ジェフリーズとモダネアーズが入っているので、それが目当てで拾ったのだが、相変わらず素晴らしくて期待を裏切らない。
これらの歌唱はこれでしか聴けないようだから、好きな人にはたまらない内容だ。また、ランサーズやエイムス・ブラザースもいい出来で、
ちょっとした拾い物だった。

毎日聴こうというようなタイプではないが、時々こういうのが聴きたい気分の日があるので、それには打ってつけの内容だ。
私にとっては常備薬のようなもの。

ちなみにレス・ブラウンのバンド名はレス・ブラウン楽団やレス・ブラウン・オーケストラではなく、Les Brown and His Band of Renown
というのが正式名称である、というのはどうでもいいウンチクである。


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黒人クルーナーの原点

2020年12月05日 | Jazz LP (Vocal)

Billy Eckstine / I Surrender Dear  ( 米 EmArcy MG-36010 )


白人男性クルーナーの開祖がビング・クロスビーなら、黒人クルーナーの方はこのビリー・エクスタイン。歌手だけに留まらず、
自身のビッグ・バンドを持ち、後の大スターであるパーカー、ガレスピー、デックス、マイルス、ブレイキーらを育てた、
ジャズ界にとっては恩人でもある。

声量があるのでビッグ・バンドをバックに歌うことが多く、どのレコードも華やかな雰囲気があるが、このアルバムはエマーシー時代に
吹き込んだバラードを集めたもので、"There Are Such Things"などの代表的な歌唱が含まれている。この曲の歌唱はロリンズにも
インスピレーションを与えて、素晴らしい演奏へと繋がった。当時はみんなが彼の歌を聴いていたのだ。

深いバリトン・ヴォイスで歌われるスタンダードたちは独特の陰影を放ち、1度聴くと心に残るものばかり。"I Surrender Dear"などは
珍しくヴァースから歌われており、どの楽曲も丁寧に扱われていることがよくわかる。黒人歌手たちは白人歌手たちよりも
楽曲1曲ずつをより丁寧に取り扱っている傾向があると思う。

このクルーナー・スタイルはアール・コールマンに引き継がれ、ジョニー・ハートマンで完成する。その起点になったエクスタインは
もっと聴かれていい歌手だと思う。今はこういう歌い方をする人は、もうどこにもいない。


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