廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

剥き出しの姿

2021年10月23日 | Jazz LP (Impuise!)

Sonny Rollins / East Broadway Run Down  ( 米 Impulse! A-9121 )


1966年1月にコルトレーン・グループから脱退したエルヴィン・ジョーンズ、まだ在籍中だったジミー・ギャリソンらを使って同年5月に
ピアノレスで制作されたアルバム。プロデューサーの意向だったのか、ロリンズの意志だったのかはわからないが、コルトレーン・バンドに
似たサウンドになることは予め承知の上で録音されただろうから、コルトレーンに逆影響されて、という批判は当てはまらない。

元々ロリンズは共演者には無頓着で誰でも受け入れたし、自己のレギュラーバンドにも興味を示さなかった。バンドとしての総合音楽で
勝負したマイルスやコルトレーンとは違い、いつも自分の身体1つで音楽を体現していて、タイプがまったく違う。ここでもエルヴィンや
ギャリソンがやるとどうしてもそうなってしまうコルトーン・バンド・サウンドなどには一向に意に介せず、好きにやらせている。
背景がどうであれ、ロリンズは自分の歌を歌い続けるから、音楽トータルで見た時にバックとロリンズの一体感がなく、そのせいで
この時期のロリンズは分が悪いのである。ミュージシャンではない一般のリスナーは音楽をバンド・サウンドとして聴くことしか
できないから、ロリンズのレコードを聴いた時に完成度の低い音楽という当然の感想しか持てない。また、ロリンズは最初からフリーを
やろうとしていたわけではないから、そもそもフリー・ジャズにもなっていないし、そちらから見ても中途半端な音楽にしか見えない。

アルバム・リリースの後、インパルス経営陣にボロかすに酷評されて気落ちしたロリンズはスタジオから離れてしまう。
役員たちが怒ったのは売れそうにないレコードを作ったからだが、ロリンズは自分のプレイや理念を否定されたと思ったのだろう。
最初からボタンの掛け違いがあったのだ。

音楽リスナーの立場から見ると、A面のタイトル曲はハバードが入り、かつての新主流派+コルトレーンサウンドのミックスという
プロデューサー的お仕着せの建付けがどうにも凡庸でつまらないのであって、ロリンズの爆音号砲はそれまでのスタイルを究極にまで
推し進めた形に完成していて、とにかく圧巻でしかない。どう考えてもこんなに切れるようなサックスを吹いた人はパーカーを除けば
後にも先にもいないのであって、彼が誰にも追従できないプレーヤーになっているのは明らかなのだ。

そういう意味では、このレコードはB面の方がよりロリンズの本音に近かったのではないかと思う。”偽装の息遣い”という何とも意味深な
タイトルの、モードとブルースのハイブリットのような1曲目と愛らしい2曲目のスタンダードは境目なく繋がっていて、長い長い前書きの
末にそっと本題に入るかのような、如何にも繊細な照れ屋さんらしい演奏ではないか。ロリンズのサックスの音色は究極の美しさで、
ヴァン・ゲルダーがそれを上手く録っている。"We Kiss In A Shadow" のメロディーが始まった時にバックの2人が戸惑ったように演奏を
スロー・ダウンさせていくぎこちない様子がしっかりと記録されているところから、おそらく、これは演奏前の打ち合わせにはなかった
展開だったのではないだろうか。ロリンズは単純なリフを繰り返す前半の演奏の中で、突然歌い出したくなったんじゃないかと思える。

聴けば聴くほど、ロリンズの本質が剥き出しになったようなレコードであることがわかる。当時の状況への違和感のようなものを
誰よりも早く最初に演奏の中に持ち込んだブルーノートのヴァンガードライヴ、RCAのチェリーとのセッション、そしてこの作品は
中々その根っこの部分への理解が進まないアルバム群のように思えてならない。



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第18回 ショパン国際ピアノコンクールの様子がリアルタイムで観れるなんて

2021年10月17日 | Classical
今、ちょうど第18回のショパン・コンクールの予選がワルシャワで開かれていて、その様子がネットでほぼリアルタイムに観ることができる。

https://chopin2020.pl/en/

5年に1度開かれるこのピアノ・コンクールはおそらく現存するコンクールの中では最も古く、権威があり、一番有名である。
オリンピックと一緒で、本当は去年開かれるはずだったが、コロナ禍で1年延期となり、今年の開催となっているわけだ。
活字でしか知らなかったこのコンクールが自宅に居ながらリアルに鑑賞することができるなんて、何だか信じられない世の中になったものだ。

このコンクールはその名の通り、ショパンの曲しか弾くことが許されない。コンクールの開催理念が、ショパンの優れた解釈者を発掘する
ことが目的だからだ。ただ如何せん、私はショパンの曲が概ね嫌いだ。こう言うと大抵は驚かれてしまうんだけど、好きになれないんだから
しかたがない。だから、すべての演者の全演奏を聴くのはちょっと辛いものがあったりして、全部を正座して聴いたわけではない。
ところどころをつまみ食いする、という不謹慎極まりない聴き方だった。

ファイナリスト12名の中に反田恭平、小林愛実が残り、これから本選で競い合うことになる。反田恭平はさすがに別格的に上手かったけど、
私は選外となった進藤美優の演奏が良かったと思っていて、彼女が残るといいなと思っていたけど、今回の審査員にはウケなかったらしい。
果たして、この中から未来のポリーニやアルゲリッチは生まれるだろうか。



ミハイル・ヴォスクレセンスキー 20のノクターン               ウラジミール・ソフロニツキー ポロネーズ Op.29、他


ショパンを家で聴こうなんて思わないので基本的にはレコードやCDは買わないのだけど、例外的に「これはちょっといい」と思って
たまに聴くものもこうして少しだがある。これらに共通するのは、ピアニストの個性や力量がいわゆる”ショパン的”なものを大きく
飛び超えていることだ。だから、”ショパン的”なものに拒否反応が起きる私でも聴くことができるのだろう。

尤も、こういう演奏を国際コンクールなんかでやってしまうと、予備の予選で落ちてしまうだろう。審査員に言わせると言語道断、
こういうのはショパンとは言えない、と門前払いになる。だから、「何かショパンのいいレコードを探しているんだけど」なんて
言われた際には、間違ってもこのあたりは推薦できない。そういう人には「名盤100選」お墨付きの綺羅星の如く輝く名盤たちを
お勧めしておくのがよろしいと思う。



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滋味深いアンサンブル

2021年10月15日 | Jazz LP (Prestige)

Milt Jackson / S/T  ( 米 Prestige PRLP 7003 )


ミルト・ジャクソンの古い時期のレコードだが、再発がたくさん出ており、よく聴かれている作品だ。
スタンダードがメインとなっていて平易な内容であることから、地味ながらも一定の人気がある。

ビ・バップ期に頭角を現して、そのままスムースにハードバップ期に移行できたヴィブラフォンの第一人者で、この後に出てきた
他のヴァイブ奏者たちは同じことをやっても勝ち目はないということで、そのすべてが独自路線に走るしかなかった。
ある者は実験的な音楽を、ある者はピアノと併用するなど、図らずも後継者をシャットアウトしてしまった感がある。
黒人ミュージシャンに至っては、この楽器で世に出ること自体、最初から諦めていたようなフシがあるくらいで、
その存在感は計り知れないところがあったのだろう。

デクスター・ゴードンなんかと同じで、フレーズのすべてが何分の1拍か遅れる後ノリの演奏スタイルで、これが独特の寛ぎ感を
もたらしている。こういうのは意識してできることではないので、天性のものなんだろう。よく"ブルージー”という言葉が使われるけれど、
私にはこれが適切な表現だとはあまり思えない。その洗練された音色の影響もあるけれど、彼の演奏から感じるのはもっとすっきりとした
ある種の爽やかさのようなもので、こってりとしたものは感じない。

ホレス・シルヴァーの伴奏の上手さのおかげで、このアルバムはヴィブラフォンとピアノという同系統の楽器が互いに喧嘩することなく
共存できている。この人はなぜか褒められることが少ない人だけど、特にこのアルバムは彼の上手く制御されたピアノに気を配って聴くと、
この音楽の良さをより深く感じることができるだろう。ヴィブラフォンのフレーズだけを聴いていると、変化に乏しく起伏の弱い音楽に
聴こえるかもしれないけれど、パーシー・ヒースとコニー・ケイのまったくブレることない鉄壁のリズムも含め、聴き所のたくさんある
滋味深い内容だと思う。全員が互いの音をよく聴き、抜群のバランス感で合奏を志向していることがとてもよくわかる。



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