廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

あり得ない共演を夢想させる作品

2016年01月31日 | Jazz LP (Riverside)

Thelonious Monk / Brilliant Corners  ( Riverside RLP 12-226 )


オーネットの音楽は確かに変わった音楽で、聴く人を議論に巻き込むようなところがありますが、変わった音楽の代表であるモンクの場合はそういう
ところは別にないし、それどころか積極的に褒める人がどこからともなく自然に現れてくるくらいで、賛否両論という票の割れ方はしません。 

モンクの音楽はいつも調性の内に留まっていて、ただメロディーがいつも半音ズレたスケールで弾かれているみたいで、その様子がどこか可愛らしく、
攻撃的なところもないから、こちらを不安にさせることがない。 ピアノのフレーズのブレ幅は大きくて一定のスイング感はないのに、リズム感そのものは
凄まじいくらいに力強くヒップだと感じる。 鳴らされるコードも、ここで何でそのコード? と思うような音選びをしているにも関わらず、不協和の度合いは
ソフトでマイルド。 調性の重力圏外に振り飛ばされそうでいて決してそうはならず、きちんとテーマ部に戻ってくる。 つまり、ぶっきらぼうに演奏されて
いるようでいて、実は細心の注意を払って音楽が構成されているのがよくわかります。

このブリリアント・コーナーズは昔からモンクの最高傑作と言われているけれど、それは共演している他のミュージシャンの演奏がこれが一番優れている
からであって、モンク自身は他のアルバムとさほど変わったところはありません。 やはりロリンズの演奏の出来が圧倒的で、ここまでモンクの音楽に
親和性を発揮できている人は他には見当たらない。 アーニー・ヘンリーのとにかく苦戦してどうにも覚束ないアルトやクラーク・テリーの全く曲想を
活かせないトランペットや線が細くて迫力に欠けるマックス・ローチのドラムがあっても、アルバムを通して聴かれるロリンズのテナーが音楽の骨格を作り、
屋台骨として支えている様は素晴らしく、彼がいなければこのアルバムが最高傑作と言われることはなかったのは間違いない。 表題曲などはまるで
ロリンズのために書かれたかのようなはまり具合で、この曲はモンクの他の曲ほどポピュラーにはならなかったけど、それはロリンズ抜きでこの曲を
やるのはどうもなあ、とみんなが思うからかもしれません。 この作品が示すように、モンクの音楽はソロやトリオで演るのもいいですが、彼の音楽を
理解することができる管楽器奏者を加えた編成のほうが楽曲が元々持っている多重性をより上手く引き出せるんじゃないかと思います。

モンクはモーネットのことをまったく評価していなかったし、オーネットも他人の曲を演るのを拒んでいた人なので、これはあり得ない話でしょうが、
それでも、もしこの2人が共演していたらどうなっていたかなあ、と想像せずにはいられません。 根本的なところでは似た者同士だったと思いますが、
片方は変わることを拒み続け、片方は同じところに留まることを拒み続けた。 その結果、モンクは環境の変化について行けず、自ら演奏から身を引いて
しまいます。 これほどの巨大な才能ですら最後まで生き残ることが難しかったのですから、ジャズという音楽が持つ波の荒さは想像を絶するものだった
んだなあと改めて思うのです。


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ショーウィンドウに映った本当の自分の姿

2016年01月30日 | jazz LP (Atlantic)

Ornette Coleman / The Shape Of Jazz To Come  ( Atlantic 1317 )


ジャケットの写真に写るオーネットが大事そうに抱えているアルトサックス、ボディーの色が白いのに気が付く人が果たしてどれだけいるでしょう。
このサックス、実はボディーが金属製ではなく、プラスティック製なのです。 当時のオーネットはお金がなくて、普通の金属製のサックスが買えなかった。

テキサス州フォートワースに生まれたオーネットは7歳の時に父親が亡くなり、家は「ど」が付くほど貧乏で、その時から一家の大黒柱にならなければ
いけなかった。 学校に通いながら仕事を始め、やがてアルトサックスを手に入れて高校時代から街の場末の安酒場で踊る人達を相手にR&Bやジャンプ
ミュージックを演奏して家計を支えるようになった。

当時のフォートワースは人種差別に歪んだ街で、白人と黒人の居住地区は分けられ、黒人は大学(もちろん黒人専用の)を出てもまともな人生を送ることは
できない仕組みになっていた。 彼らは毎日を生きるのに精一杯で、自分が何者なのかなんて考えない。 だからオーネットは西海岸へ行く決意をします。

オーネットの演奏はその頃から既に変わっていて、西海岸に行っても誰からも相手にされなかった。 だからミュージシャンとしての仕事は滅多になく、
他の仕事と掛け持ちをして食べていくのがやっとだった。 ロサンゼルスの繁華街にある大型デパート"バロックス"で在庫品係として働いていた1954年の
ある日、昼休みに街を歩いていると、通りに面した画廊のショーウインドウにとても裕福そうな白人女性の肖像画がかかっていた。 その女性は目に涙を
浮かべて座っていた。 その絵を観たオーネットは心を打たれ、この絵から何か曲ができないだろうかと考え、そして "Lonely Woman" という曲が生まれた。

この曲は2本の管楽器が演奏するメロディーとベースとドラムが演奏するリズムの小節の長さが違うところに特徴があります。 つまり、リズムセクションが
演奏している小節の長さを100とすると、アルトとトランペットが奏でる旋律の小節の長さは130だったり150だったりと不安定で、常にズレていて重なる
ことがない。 時たまその公倍数のところでうまく帳尻が合いますが、すぐにまたズレて進んでいくという具合で、これが時間の感覚が喪失したような
印象を与え続けて聴き手を不安状態に陥らせるわけです。 オーネットの音楽はこういう具合に、「不協和音」というよりは時間が伸び縮みして一定に
流れない「平衡の喪失」のほうがベースになっていると思います。

ただ、この曲以外は割と小気味良いリズムを持った纏まりの良い曲が多く、彼がフォートワース時代に金を稼ぐために酒場で演奏していた踊るための音楽
を思わせるようなところがあり、このレコードをフリージャズの夜明けとするには強い違和感を覚えます。 オーネットの場合は、楽理を突き詰めた末に
辿り着いた姿というのではなく、明らかにセロニアス・モンクと同じで、生来備わっていたユニークな感覚に素直に、そして頑固なまでに従った結果だった
のではないでしょうか。 だから、私は彼の音楽のことを「フリージャズ」とは言わず、「頑固ジャズ」と呼びたい。

ルイジアナ州のダンスホールでブルースを演奏する仕事にありついた時に、演奏の中で自分が思いついたフレーズを挟んだらバンドのメンバーたちは
演奏を止めてステージから降りてしまった。 その後に会場の外に出ると、6人くらいの大柄な黒人のミュージシャンたちに囲まれて、オーネットは腹や
尻を蹴りあげられて、サックスを抱えたまま血まみれになって倒れて意識を失った。 また、ロサンゼルスでは無一文だったせいで車も買えず、あの
広大な街を雨が降る中でも何キロも歩いて家と演奏するクラブを往復していた。 私には、その姿はまるでゴッホの生涯を思い起こさせます。

ショーウィンドウに置かれた女性の肖像画を観ていたオーネットの眼は、そこに自分の姿が映っているのを見たわけです。 だから、"Lonely Woman"
という曲は当時の彼の孤独がありのまま描かれた曲で、作曲してから5年後の1959年のニューヨークでのレコーディングにこの曲を持ってきたのは、
そういう自分の孤独と向き合える力を感じ始めたからなのではないでしょうか。 オーネットの音楽を考える場合、これよりも先に録音されたL.A時代の
コンテンポラリーの2作のほうが私には重要な気がします。 この "きたるべきもの" というアルバムはどちらかというと、オーネットの内面の変化や成長が
克明に刻まれた極めてパーソナルな内容で、親密な雰囲気が出た作品だという気がするのです。 歴史に残る傑作という評価はそれはそれでいいけれど、
それは「フリージャズ」としての話ではなく、オーネットという音楽家の本当の姿がようやく世に出てみんなが認識することができた最初の作品である、
という意味での話だと思います。


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街はずれ、の雰囲気ではない快演

2016年01月23日 | Jazz LP (Prestige)

The Prestige Blues-Swingers / Outskirts Of Town  ( Prestige 7145 )


プレスティッジ・ブルース・スインガーズなどと名乗っているけれど、もちろんそんなバンドは実際に存在するわけではなく、当時プレスティッジと契約
していたミュージシャンたちを一堂に集めてビッグバンド形式の大ブルース大会をやろう、という豪気な企画の元に出来上がったレコードです。
良くも悪くもこのレーベルらしい内容で、地味なジャケットデザインからは想像できないような弾けまくったブルースが聴けます。

アート・ファーマー、アイドリース・シュリーマン、ジェローム・リチャードソン、バスター・クーパー、ペッパー・アダムス、ジミー・フォレストという豪華な
顔ぶれのホーン陣をタイニー・グライムス、レイ・ブライアント、ウェンデル・マーシャル、オージー・ジョンソンというベタベタのリズム隊が支える、もう
これだけでお腹いっぱいになりそうな編成です。 ビリー・エクスタイン楽団やアール・ハインズ楽団でトロンボーン兼アレンジャーとして活躍していた
ジェリー・ヴァレンタインがアレンジしたブルースのスタンダードを目一杯やっているのですが、これが驚くほどよく纏まった演奏で、常設バンドを
聴いているような気分になります。 弾むようなテンポは常に軽快で、全員のアンサンブルには一糸の乱れもなく、なんて上手い演奏なんだろう。

歌物のスタンダードが1曲も入っていないという1本筋がきっちりと通った硬派な内容で、レーベルカラーがよく出ています。 ジャズはブルースから発展
した音楽であるということ、だから本来は白人のための音楽ではないということ、そういうことを言いたげな内容です。 だから日本でもまったく人気が
ないですが、これは聴かずに済ますにはあまりにもったいない演奏です。 アレンジはとてもスッキリしていて、演奏の歯切れの良さが気持ちいい。

更に特筆するべきは、録音の良さ。 RVGらしくない怖ろしくハイファイで高い音圧にスピーカーの前から吹っ飛ばされます。 アンプのメモリを通常の
位置の半分以下に絞らないと音が大き過ぎて聴くことができません。 上手い演奏を生き生きと再現してくれます。 

有名なビッグバンドの音楽にはリーダーの個性がはっきり出ているものですが、それが胃にもたれて聴く気がしない時があります。 そういう時にこそ
こういうニュートラルなビッグサウンドはうってつけで、そういう意味でも重宝するレコードだと思います。



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若き天才の台頭

2016年01月23日 | Jazz LP (Pacific Jazz / World Pacific)

Pepper Adams / Critics' Choice  ( World Pacific PJM-407 )


ダウンビート誌の1957年のバリトン部門の新人賞を取ったペッパー・アダムスが自己名義で吹き込んだ第2作目で、スタン・ケントン楽団での盟友である
リー・カッツマンのトランぺットを相方に、ジミー・ロウルズ、ダグ・ワトキンス、メル・ルイスという素晴らしいトリオを従えたアルバム。 ワールド・
パシフィックから出ているせいで完全に盲点になっていますが、このレーベルとしては全く異質な東海岸寄りのハードバップの隠れた傑作です。

ダグ・ワトキンスが全編に渡って素晴らしいウォーキングベースを弾いており、実質的な影の主役となっていますが、メル・ルイスのドラムの上手さも
圧巻です。 若き日のジミー・ロウルズも既に趣味の良さが全開で、このリズム・セクションは本当に素晴らしい演奏をしています。 リー・カッツマンも
ビッグ・バンドの人らしくハイ・ノート・ヒッターですが、無名ながらも腕は確かで、重くなりがちなバリトン・サウンドを上手く中和しています。

録音当時アダムスは27歳でしたが既にサウンドと演奏は完成しており、圧倒的な迫力があります。 このレーベルの録音は元々音響的に奥行きが浅く、
残響を消したような乾いたサウンドが特徴でここでもその傾向は変わりませんが、それでもしっかりとハードバップとしての雰囲気が出ていて、音の分離も
良く、悪くない録音です。 各人が吹き過ぎない・弾き過ぎない演奏をしているのでワトキンスのベースラインがよく聴こえて、快楽度も高い。

トミー・フラナガン、サド・ジョーンズ、バリー・ハリスら同郷のデトロイト出身の人たちが作った曲をメインに取り上げているところも面白く、そういう
デトロイトをテーマにした他レーベルのいくつかのアルバムと雰囲気も似ています。 デトロイト出身者はみんなそのことにこだわるみたいだけれど、
なぜだろう?

※本稿の初稿では「デビュー作」と書きましたが、MODE盤がデビュー作で、このアルバムは第2作であるとご教示頂きましたので、訂正致します。
 愛聴されている方も少なからずいらっしゃることがわかり、私もうれしくなりました。 いい作品を残してくれたアダムス他メンバー達に感謝。
 


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アル・ヘイグの一番長い日

2016年01月17日 | Jazz LP

Al Haig Trio  ( 米 Esoteric Records ESJ - 7 )


1954年3月13日はアル・ヘイグにとって長い一日になりました。 その日はフランスからやって来たアンリ・ルノーのために、ニューヨークのエソテリック社で
レコーディングすることになっていました。 

アンリ・ルノーは当時ピアニストと仏ヴォーグ社の音楽監督の2足のわらじを履いており、この日はオスカー・ペティフォードやアル・コーンらのレコーディング
にピアノニトとして参加することと、当時は珍しかった白人ビ・バップ・ピアニストのアル・ヘイグの演奏をフランスに輸入するという2つの重要な仕事を
こなさなければいけなかった。 そのためアル・ヘイグのレコーディングがまず先に行われ、この録音はたった1時間で終了した。
そして、このレコードがその後フランスで発売されます。



Al Haig Trio  ( 仏 Swing M 33.325 )


エソテリック社のオーナー兼レコーディングエンジニアだったジェリー・ニューマンはアル・ヘイグら3人にスタジオに残ってもう少し録音していかないかと
持ち掛け、彼らはその場で更に13曲を演奏・レコーディングした。 そしてその中からまず8曲が上記の10インチ盤として発売され、その後レーベル名が
"CounterPoint" に改名された後に残りの曲を追加して12インチとして発売されました。

こうしてこの2枚の10インチ盤は同じ日に行われたマラソン・セッションから双子の兄弟として生まれて、まるでルーク・スカイウォーカーとレイア姫の
ごとくそれぞれが別の国に引き取られて世に出ました。 ここで聴かれる演奏はテディー・ウィルソンをお手本にしたスタイルをベースにしながらも、
バド・パウエルやジョン・ルイスら40年代後半のビ・バップのピアニストのエッセンスを上手く吸収した独特の質感があり、独自のオリジナリティーを
感じます。 稀少盤であるせいで必要以上に神格化されがちですが、実際はとてもソフトで上品な演奏です。 ただ注意深く聴くとビ・バップの語法が
いろんな所に散りばめられていて、聴き終えた後には苦い後味が残るところがあり、そこにテディー・ウィルソンのようなレイドバックした音楽とは
根本的に違う特異さがあります。

エソテリック社のジェリー・ニューマンは大学のマーチング・バンドでトロンボーンを吹いていた音楽好きで、それが高じてテープレコーダーを持ち歩く
録音マニアになり、40年代にミントンズ・プレイハウスなどに入り浸るようになります。 おそらくそこでパーカーのバンドにいたアル・ヘイグのことを
知ったんだろうと思います。 エソテリック・レーベルにはチャーリー・クリスチャンのレコードなど貴重な音源が残っていますが、ジャズだけではなく
クラシックのレコードも多く、アンテナの感度が高いレーベルでした。 この人はその後、ピリオド・レーベルでサド・ジョーンズの "Mad Thad"を録り、
更にESPでオーネットのタウンホールやファラオ・サンダースのデビュー作の録音エンジニアを務めるなど立派な仕事を残すことになりますが、
そういう彼のアンテナにアル・ヘイグは見事に引っかかったわけです。

アル・ヘイグは1944年に第2次大戦の兵役を終えてプロとして本格的に活動を始めますが、40年代はおろか50年代もレコードがあまり残っていないのは
残念です。 白人だったからということもあるでしょうが、性格的にもいろいろ問題があったようで、4度の結婚生活の中でたびたび家庭内暴力沙汰を
起こしており、ついに1968年には3番目の妻を絞殺した容疑で逮捕・投獄されます。 結局無罪判決が出て翌年に出所しますが、晩年に3番目の妻が
死んだのは自分のせいだと発言しており、それが具体的にどういう意味なのかはわからないにせよ、元々その内面には地獄を抱えていたようです。 
そういうところが自身の音楽活動に反映されないわけがなく、一番いい時期にレコードが残されなかった原因の1つだったんだろうし、出所後はまるで
何かに憑りつかれたように録音を始めるものの、音楽の雰囲気が一変してしまうところはアート・ペッパーやチェット・ベイカーと重なるところがあります。

この2枚の10インチ盤も一見典雅な演奏ですが、後になって思い返してみると、なぜかその演奏は仮面を被っていたような違和感が残ってしまう所があり、
それはそういう内面の何かが裏に控えていたせいだったからかもしれません。



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レコード産業が成り立たない国で

2016年01月11日 | Jazz LP (Europe)

George Gruntz, Hans Kennel, Heinz Bigler, 他 / Swiss All Stars  ( スイス Exlibris GC 380 )


ジョルジュ・グルンツという人は60年代初頭の段階で欧州では既にある程度の大物として扱われていますが、そこに至る経緯がレコード漁りをしている範囲
だけではどうもよくわかりません。 我々の前に大物として姿を現す前の姿がほとんど記録されておらず、誰かのバックでピアノを少し弾いていることくらい
しかわかりません。 お出かけ好きだったらしく、あちこちの国のレコーディングに参加してはいますが、そのピアノだって特に何がどうということもない。

このレコードはそんなグルンツが1964年にスイスの腕利きたちを集めて大きめの編成を組み、スタジオライヴ形式で2枚組のアルバムとして録音したもので、
自身はバンドリーダとしてスコアを書き、ピアノも弾いています。 ただスコアを書いたと言ってもヘッドアレンジ程度のものだし、そのアレンジ自体も
アメリカの白人ダンスバンドからの引用が多く、アレンジャーとしてもどうなのよ? という感じです。 ところが、ここに集まったミュージシャン達の
1人1人の演奏が実に素晴らしく、結果的にそれが大きなボトムアップになってこのレコードがとてもいい作品に化けています。 アレンジの?なところは
そのおかげで全然気にならない。

この演奏の中で1番耳を奪われるのが、Heinz Bigler のアルト。 音はジャッキー・マクリーンそっくりで、吹き方はもっとなめらかで癖がなく、これが
圧倒的に素晴らしい。 こんな人がいるんだ、と調べてみましたが、どうもリーダー作が残っていないようで、唯一、未発表音源を集めた本人名義のCDが
1枚あって、廃盤セールの常連組になっているらしい。 バラードメドレーの中で彼が吹く "I Can't Get Started" はこの曲のベストかもしれません。

他のメンバーも演奏力が高く、レコードがあまり残っていないのが不思議です。 スイスという国はもともとレコード産業にあまり熱心ではなかった国で、
クラシックでさえレコードがあまり作られなかった。 販売も当時は通信販売の形態が主流だったようで、もしかしたらプレス工場もなかったのかもしれない。 
人口が少ない国だし、音楽産業はあくまで文化事業であって、ビジネスとしては成り立たなかったのかもしれません。 このレコードも事前の予約受付分の
300枚のみのプレスだったらしいですが、この手の話はあまり信用できないにせよ、スイスらしい話ではあります。

やっていることは定型的なジャズで没個性的で音楽的には何の面白味もありませんが、とにかく演奏があまりにしっかりとしているので、その力だけで
2枚組でも飽きることなく最後まで愉しめるところが見事なレコードです。 腕利きのスタジオミュージシャンが集結した散発的なセッション、という
感じなのが惜しい。 その後も一緒に演奏したライヴなどが私家盤として残ってはいるみたいですが、常設バンドとして本格的に活動していたら、きっと
音楽的にもっと発展したものが作れていたに違いないと思います。  


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もっとブラームスを

2016年01月11日 | Jazz LP

Carla Bley / Sextet  ( 西独 Watt/17 831 697 - 1 )


ようやく見つけた、カーラ・ブレイの最高傑作。 最愛聴盤なので家聴き用にレコードも欲しかったのですが、これが意外に見つからない。
CDと並行発売されていた時期のこういうレコードは売っても金にならないので出回ることがなく、本当の意味で入手困難盤になってしまう。 
ちょうどポール・ブレイが亡くなったというニュースが朝から流れていた日だったので、何か因縁めいたものを感じました。
こんなのジャズじゃなくてフュージョンじゃんか、という話もあるけれど、フュージョンで大いに結構。 私はフュージョンが大好きだから。 

カーラ・ブレイは人気があるのかないのかがよくわからない人です。 アメリカ人にしては珍しく芸術家っぽい雰囲気を持っているので、何となく貶しちゃ
いけないような気がするし、オーケストラを使ってフリーっぽいこともやってるし、いつも誰か才能のある男がそばにいるし、オルガンなんか弾いてるし、
ちょっと浮世離れした不思議ちゃん、というのが一般的な認識ではないでしょうか。 スイング・ジャーナルやジャズ批評などのジャーナリズムにも大体は
好意的に扱われていたし、何より玄人受けしているんだからきっとすごい人なんだ、という感じです。

つまり、この人は一般のリスナーからはその実像が捉えにくい、というのが本質にある人。 カーラ・ブレイのCDを買って聴いても、本人の演奏が前面に
出ているわけでも音楽の中心にいるわけでもないから、どれを聴いても今一つピンとこない。 カーラ自身は正規の音楽教育を受けてこなかったことや
自分のピアノの腕の無さにコンプレックスを持っているらしく、それがそういう立ち振舞いをさせてきたようですが、これだけ優れた音楽をやれるんだから
そんなの気にする必要はまったくない。

ここに収録された6曲のどれもが美メロ満載の名曲ばかりですが、その中でも冒頭の "More Brahms" が最高にいい。 ハイラム・ブロックの粘っこく伸びやかな
哀愁のトーンがどこまでも切ない。 ドン・アライアスの深いタメの効いたドラムも素晴らしく、こういうドラムが叩ける人は本当にごく一握りの人だけでした。

この曲でカーラはオルガンを弾いていますが、これが空間をセピア色に染めるような淡いトーンで素晴らしい。 カーラが作った曲ではこれが1番好きです。
彼女の芸術家としての顔とは別の、素の姿が上手く出たんじゃないでしょうか。

このレコードが出された WATT RECORDS というレーベルはカーラとマイケル・マントラーが興した自主レーベルで、ECMが全面的にサポートしています。
そのため、1987年のレコード発売時は西ドイツとアメリカの両国でECMがプレスしました。 


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転校生の中間派

2016年01月10日 | Jazz LP (Vanguard)

Rolf Kuhn / Streamline  ( オーストリア Amadeo AVRS 30-9005 )


ロルフ・キューンがアメリカ修行時代に録音した数少ないものの1つで、ロンネル・ブライト、ジョー・ベンジャミン、ビル・クラークらのピアノトリオを
バックにしたワン・ホーン。 メンバーのオリジナル曲とスタンダードを半々くらいの割合で演奏しています。

米国ヴァンガード録音ですが、ヴァンガードと言えば中間派の最高の演奏を録っただけでなくクラシックの中々いいレコードも作ったアメリカの良心のような
名門レーベルで、果たしてロルフ・キューンは水が合うのかなと心配してしまいますが、これが意外とすんなり納まっています。 ヴィジターらしく郷に
従ったんだろうとは思いますが、それにしてもなかなか器用な人だったようです。

ただ、聴き進んでいくにつれて、やはり同レーベルの他のアーティストたちの音楽とは少し雰囲気が違うことに気が付きます。 クラリネットの音色や
吹き方もそれまでのアーティスト達とは違い、弱いタンギングで音をはっきりとは区切らずにシームレスに吹いているし、音階も高音域を多用するなど、
これを「モダンな」と言っていいのかどうかはわかりませんが、とにかくスイングや中間派の人たちの吹くクラリネットとは明らかに違っている。
更に、音楽全体の雰囲気が中間派っぽくないのは、ロンネル・ブライトのピアノがかなりモダン寄りの演奏になっているから、というのもあります。

中間派というのは、表現者としての自我よりも形式そのものを何よりも優先・重んじる音楽。 そんな中にあってはロルフ・キューンにはまだ違う街の
雰囲気が漂う「転校生」のような馴染んでいない居心地の悪さみたいなところがあるので、レコードもさほど需要がなかったのか、ヴァンガード盤なのに
あまり中古市場でも見かけない1枚となってしまったのかもしれません。

図らずともそうなってしまったのか、それとも確信犯的にそうしたのかはよくわかりませんが、ちょっとムードの違うヴァンガードセッションになった
ものの、内容は全然悪くはありません。 全体的なまとまりもよく、地味ながらもしっかりした音楽を聴かせてくれます。 中間派特有のバタ臭さが苦手な
向きにも、このくらいのあっさり感のほうが却っていいかもしれません。

私が拾ったのは、当時米国ヴァンガードの欧州販売窓口になっていたオーストリアのアマデオ盤。 ヴァンガードのオリジナルの半値以下で買える、
お買い得盤です。


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日本最高のトリオの記録

2016年01月09日 | Free Jazz

Yamashita Trio / Clay  ( 西独 Enja 2052 )


ジャズ評論家の故副島輝人氏の「世界フリージャズ記」を読むと、日本という国の文化的感度のどうしようもない低さを思い知ることができます。
評論の記述自体はさほど深くはないけれど、日本を飛び出し、自らの足で欧米のジャズ祭に通い詰め、そこで目撃した衝撃や感じた鼓動をつぶさに
記録した文章には褪せることのない力があるし、行間にはそういう無関心さへの苛立ちが当然ある。 

その中に、1977年5月に行われたドイツのメールスジャズ祭に登場した山下洋輔トリオのことが書かれています。 山下洋輔、坂田明、小山彰太の3人が
ステージに現れると、ステージ前のプレス席にはそれまでの倍の数のカメラマンが集まり、会場後方に並んだ飲食店のテント小屋は空っぽになり、
ステージ袖には出演中のミュージシャンたちが大勢群がり、このトリオを演奏を聴いていた。 そして1時間半の演奏が終わると「本当に津波のような
大拍手と大歓声」が生まれた、とその時の様子が克明に書かれています。 彼らはこの年の3大人気グループの1つだったそうで、あとの2つとは
アンソニー・ブラクストン、そしてアート・アンサンブル・オブ・シカゴ。 このトリオの海外での評価の高さがよくわかるエピソードです。

彼らがそこまでの人気を得るきっかけになったのが、このレコードにも収められることになった1974年のメールスジャズ祭に初登場した際の演奏でした。
まるでベートーヴェンの短調のピアノソナタのような荘厳な雰囲気で始まるこの演奏は、ただ激しいというだけでも衝撃的というだけでもない、何か恐ろしく
純化された気高さを感じます。 迷いのない、何かに向かって真っすぐに進んでいくところは欧州フリーとはまったく違うし、演奏能力の高さは凄まじい。
物憂げなピアノのカデンツァの終焉に森山威男のドラムが入ってくるところは鳥肌がたつ。

山下洋輔のピアノはフリーと言うにはあまりに抒情的過ぎるところがあります。 どれだけ激しく弾いても、例え鍵盤に肘打ちを喰らわしても、どこか儚い。
そういうメランコリックさを振り払おうと懸命に鍵盤に向かうけれど、それはどうしても拭いきれない。 その肘鉄はそういう自分に向けられたもので
あるかのようです。 そして、ピアノの物憂げな響きの中で、坂田明のリードは疾走する。 私には完璧な演奏に思えます。 この人の演奏にはがっかり
したことがありません。

音楽への本当の情熱を感じるこういう演奏は無条件に素晴らしいと思います。 形式的なものは、ここまでくるともはや何の意味もない。


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無冠の傑作

2016年01月03日 | Jazz LP (Savoy)

Nat Adderley / That's Nat  ( Savoy MG - 12021 )


1955年7月26日にサヴォイに録音されたナット・アダレイのおそらくデビュー作品ですが、これが極上のハードバップで素晴らしい内容です。

ファンキーに身も心も捧げる前のある意味純粋な姿が捉えられており、清らかさすら感じます。 コルネットのオープンホーンの音がとても美しく、
ちょうど同時期のドナルド・バードのトランペットの音にとてもよく似ています。 ブラインドでこれを聴いたら、テナーとの2管ハードバップなので
ほとんどの人がドナルド・バードのアルバム?と答えるんじゃないでしょうか。

ナットのここでの相棒はジェローム・リチャードソンですが、この人のテナーの音にも圧倒されます。 技術的にはまだ未熟でたどたどしいけれど、
ロリンズの影響が濃厚な太い音が気持ちよく、そのサウンドだけで十分に音楽を上手く作れています。 ハンク・ジョーンズやケニー・クラークら当時の
サヴォイお抱えのサポート陣も抜群で、これ以上はない纏まりの良い演奏になっています。 特に何か目新しいことをやっているわけではないですが、
非常に完成度の高い純度100%の良質なハードバップがとにかくうれしい。

また、針を落としてまず最初に驚くのはRVGサウンドの音の良さ。 透明度の高いブルーノートサウンドといった趣きで、私はこちらの音のほうが好きです。
音圧が高く、管楽器の音が最高に輝いている。 "I Married An Angel" では演奏の素晴らしさとRVGサウンドの凄みが溶け合って、至高のバラード演奏に
仕上がっています。 知る人も少なくひっそり存在するアルバムですが、これは最良の出来の1枚だと思います。


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静かな朝に聴き比べると・・・

2016年01月02日 | Jazz LP (Argo)


Art Farmer / ART  ( Argo LP 678 )


年明けの静かな朝、最初に聴くのに相応しいのは何かと考えてみるとこれしか思いつきませんでした。

今ではとても好きなこの作品、実は若い頃はまったく良さがわかりませんでした。 名盤100選には必ず出てくる定番中の定番なので当然早い時期に
聴きましたが、バラードアルバムを期待していたのに全体的にミドルテンポのものがメインだったことにがっかりしたし、「リリカルな演奏」という話
だったにも関わらず意外にざらっとした粗削りな質感で、それはその時に私が求めていたものとは大分違ったからです。 

ところがその後時間を置いて聴き直してみると、そのざらっとしたところが逆に良くて、それからは手放せない愛聴盤になった。 トミー・フラナガンの
トリオも世評で言われるほどいい演奏をしている訳ではないのですが、それがかえってファーマーのトランペットの語り口の上手さを対比させることに
なっていて、ますますワンホーンとしての魅力が引き立っているようなところがあります。 そういう演奏の細部がわかるようになったのは、状態のいい
オリジナル盤を聴いたことがきっかけでした。

ただ、このレコードのモノラル盤のレーベルにはグレイと黒の2種類があって、昔からどちらがオリジナルなのかという話が絶えない。 25年くらい前は
黒のほうがオリジナルだとみんな言っていましたが、最近はグレイがオリジナルでいいということになっている。 まあ、はっきりしない訳です。
そこでこの2種類を改めて聴き比べしてみると、いくつが気が付くことがありました。

私が演奏の良さに気が付いたのはグレイのほうを聴いた時です。 こちらはトランペットの音が大きく前に出ていて、音のかすれ具合なんかも生々しく、
ファーマーが吹く息の風圧を感じることができるような質感があります。 それに比べてバックのピアノトリオは位置的に少し奥に引っ込んだ感じで、
ピアノの音も少しくぐもったような音で、そのせいでファーマーのトランペットがすごく映える音場感になっている。

一方、黒のほうは4人が並んで演奏しているようなバランス感です。 トランペットの音はこちらのほうが粒子がきめ細かく、そのせいで音そのものに
光沢があるような感じでこちらのほうが客観的にはきれいな音ですが、風圧を感じるような勢いは少し後退しています。 ピアノの音もシンバルの音も
同じ傾向で、こちらのほうが音自体はきれいな音です。 ただ、全体的に纏まりがいい分、演奏の魅力があまり伝わってこない印象です。

これらは聴き比べてみて初めて気が付いたことですが、聴き比べるとその違いが割とよくわかります。 それに、そこまで分析的に聴かなくても、
直感的にグレイのほうがいい演奏に聴こえる、という印象を持つのではないでしょうか。

どうもこの色の違いは製造時の部材余剰の都合などではなく、意図的に使い分けているんじゃないかという気がします。 どちらかが初版で、もう片方は
マスターが劣化して質感が変わっている、という種類の違いではなく、マスターそのものが2種類存在したんじゃないかという感じなのです。 盤の製造
過程の中での話ではなく、ミキシング自体が微妙に違っている感じです。

黒はプレス枚数が極端に少なかったらしくて見かけることが滅多になく、これが「黒の方がオリジナルじゃないか」という風説の元になっていて話を
ややこしくしているのですが、私の感覚では黒の方は間違ったマスターを使ったプレスだったのですぐに製造を止めて、かといって廃棄しなけれいけない
ほど音質に問題があるわけじゃないので(実際問題、当時こんなことに気が付く人なんていなかったに違いない)、レギュラープレスのグレイと識別する
ために色を黒に変えてこっそり発売して売り逃げた、という程度の話だったんじゃないかという気がします。

従って、「DGグレイがオリジナル」という現状認識は正しくて、音楽重視ならグレイ、稀少性重視なら黒、という持ち方をここに提案致します。
(正月早々一体何を書いてるんだ、と呆れながらも、備忘録として削除せずにアップすることにしました。)


コメント
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