廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

パリの夜の印象、というけれど

2018年01月28日 | Jazz LP (Columbia)

Duke Ellington and his Orchestra  ( 米 Columbia CL 1907 )


エリントン楽団がコロンビアからリプリーズに移籍する直前の1962年に録音、リリースされた。 タイトル通り、パリの夜の印象(エリントンがパリの夜を
どう過ごしたのかはよくわからないけれど)をテーマにした建付けになっているけど、まあ、あまりそういう雰囲気はこちらには伝わってこないように思う。
実際はニューヨーク録音だったそうだから、そういうことも影響しているのかもしれない。

コロンビア・LP時代のエリントンは硬派なファンやタカ派の評論家からはあまり評判がよくないらしい。 つまり、ポピュラー音楽寄りになり過ぎて、よくできた
演奏だが「本筋ではない(far from essential)」、と言われたりする。 まあ、そう言われればそうかもしれない。 原理主義的視線からはこういうのは
大衆に迎合した堕落に見えたりするのかもしれない。 

でも、私はコロンビア時代のエリントンが好きだ。 このレコードはテオ・マセロがプロデュースしていて、片面に6~7曲を詰め込んでいる。 どの曲も2~4分と
短く刈り込んであり、曲調は明るく朗らかで屈託がない感じだ。 フランス人が作った曲やタイトルにパリという言葉が入っている曲を集めて、それらを
とても歯切れ良く、テンポ良く処理している。 かつては時々顔を出していた難解さのようなものは封印され、ここでは微塵もない。

でも、コロンビアのレコードはそういう一般大衆が聴いて楽しいようなものだけではなかった。 組曲形式の大作もあれば、歌手を招いて器楽的に歌わせたり、
特定の楽器にスポットを当てた演出をしたり、といろんな音楽上の試みをやってのけている。 それらの中には、意外に難解な音楽をやっているレコードも
ちゃんとあるし、最高のスタンダードを演ったものもある。 至る所で俗っぽいエリントンとサー・デュークが奇妙に同居していて、コロンビア時代の音楽は
彼の複雑な魅力に満ち溢れているのだ。

それにコロンビアは彼のレコードをとても丁寧に作った。 これもとても音質がいいレコードで、エリントンサウンドの魅力が十分に伝わってくる。


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1回限りという特別感

2018年01月27日 | Jazz LP (Columbia)

Duke Ellington and his Orchestra / Bal Masque  ( 米 Columbia CL 1282 )


1958年に数週間に渡ってエリントン楽団はマイアミにあるホテル・アメリカーナ内の "Bal Masque" というサパー・クラブに出演して、ダンス音楽を演奏した。
この時のことが随分印象に残ったようで、すぐにスタジオに入り、ライヴ演奏を模した録音をした。 拍手が入っているけれど、これはオーヴァー・ダブらしい。

ここにはレコーディングで取り上げるのは初めてという楽曲が複数含まれていて、その中にはその後も再録されなかったものも多く、レコードとしては1回限りの
演奏という珍しいレパートリーもあったりで、少し独特な感じが聴き終えた後に印象として残る。 サウンドはいつものエリントンだが、どことなくよそ行きな
感じとでもいうか。 古い流行り歌なんかもやっているので、全体的にはとてもポップな印象がある。 明るい曲調で、わかりやすく、穏やかな表情だ。
でも、アンサンブルには厚みがあり、聴き応えは十分にある。

更に、このレコードはおそろしく音がいい。 当時のコロンビアで最も高品質なモノラルサウンドが聴ける。 音場はクリアで楽器の音は艶やかに輝き、
重奏も分離よく聞き取れて、それでいてビッグ・バンドの演奏の分厚さや雄大さがきちんと表現されている。 こういうのを聴くと、エリントン楽団が
コロンビアと契約していて良かった、と心底思うのだ。



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追憶と言う名の音楽

2018年01月26日 | Jazz LP (Columbia)

Duke Ellington and his Orchestra / Blue Light  ( 米 Columbia CL 663 )


1934年9月から39年3月の間に録音された音源の中から、物憂げな雰囲気を持ったミディアム~スロー・テンポの曲だけを集めてLPとして切り直して1955年に
発売された。 1日が終わり、夕暮れで赤く染まった空が深い蒼い色へと変わっていく頃、人々が思い思いの場所で寛いで耳を傾けるために編集されたのだろう。
そして、この編集の仕方がエリントンの音楽のある際立った一面を浮き彫りにすることになる。

エリントンが作る曲もエリントン楽団が演奏するスタンダードも、そこには彼だけの、そして彼らだけの独特の強い匂いがある。 なぜこんなことが起こるのかは
よくわからないけれど、それは確かにそこにある。 そして、それはこういうゆったりとした楽曲により強く立ち込めているように思う。 更にはそれが
30年代という早い時期に既に香っていたということにただただ驚いてしまうのだ。 

1曲が3分に満たない楽曲たちの中で、最後に "Reminiscing in Tempo" というかなり長い曲が置かれている。 おそらくはSP数枚分の音源を上手く
繋ぎ合わせた(途中で継ぎ目の余白箇所がある)異例の大曲だが、ミディアムテンポのリズムに下支えされながら、上部のアンサンブル群が走馬灯のように
和声を移していく様子は、旧い記憶の風景や場面の断片が切れ目なく次から次へと目の前を流れて行くかのようで、聴いていて何だか切なくなってくる。
この "reminiscinng" という言葉こそ、エリントンの音楽の核心に触れるいくつかのヒントのうちの1つなのだという気がする。

1930年代の録音、と言われると聴くに堪えない音と想像する向きもあるかもしれないが、その心配は無用である。 もちろん音域の幅は狭いけれど、そんなことが
まったく気にならないくらいクリアでしっかりとした音質で音楽が再生されることに驚かされるレコードだ。 ここでのバーニー・ビガードのクラリネットの
神々しいほどの音色と響きに鳥肌が立たない者がいるだろうか。 元々の録音が相当良かったのだろうけど、LP化に際してのコロンビアのエンジニアたちの
努力の跡も伺える。 敬意と愛情が無ければ、こんな仕事はできなかったに違いない。


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吉田野乃子さんのライヴに行けなくなった

2018年01月22日 | Jazz雑記
39度6分の高熱が出たので救急外来に駆け込んだら、A型インフルエンザにかかっていた。 最悪だ。

何が最悪かって、今週金曜日に千駄木で行われる吉田野乃子さんのライヴに行く予定だったのに、これで行けなくなってしまったのだ。

日数的には微妙だけど、万が一でも彼女にうつったらマズイからね。

なんてこった。






先週、エリントンのレコードがまとまって出ていたので何枚か拾って来たが、まだ聴けてない。 この自宅待機中のどこかでゆっくり聴こう。

今日は外は大雪、外気は-1℃だ。 関東じゃ、こういうのは珍しい。


野乃子さん、ごめん。 次の機会に観に行けるのを楽しみに、今回は家でおとなしくしてます、エリントンを聴きながら。


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ブルーベック&デスモンドの隠れた傑作

2018年01月21日 | Jazz LP

Dave Brubeck & Paul Desmond / 1975 The Duets  ( 米 Horizon SP-703 )


デイヴ・ブルーベック・カルテットは、元々はブルーベック&デスモンドと名乗っていて、当時はベースやドラムはメンバーが固定していなかった。
ファンタジーからコロンビアに移籍して、ジーン・ライトとジョー・モレロが加わってからスケールの大きな演奏をするようになったけれど、デビューして
しばらくはこじんまりとした親密な音楽をやっていた。 1975年のこのアルバムは、そういう若い頃の2人を思い出させる。

ブルーベックのピアノは優しいタッチで、デリケートな演奏に終始する。 叩きつけるような、といって敬遠されるコロンビア時代の姿はここにはない。
そしてデスモンドのアルトがいつものように静かに、霞むような音色で歌う。 何という、慈愛に満ちた音楽なんだろう。

2人の好きな楽曲が選ばれていて、どの曲も過去の演奏の発展形としてより成熟した演奏になっている。 "Stardust" はデスモンドのお得意のフレーズが
満載だし、"Koto Song" はこの演奏が最も出来がいい。 この2人は結局のところ、若い頃とは何も変わっていない。 でもそれが退屈なマンネリ感に
堕することなく、いつ聴いてもフレッシュな感じがあるというのが凄いのだと思う。

このレコードは音もよく、デスモンドの息遣いやパッドを操る音も生々しく再現される。 こんないい音でデスモンドのアルトが聴けるのは幸せだ。
それだけでも素晴らしいことなのに、2人の奏でる音楽の優しさと気高さに心を打たれる。 これは間違いなく傑作。 デスモンドもお気に入りだったらしい。



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どこまでも熱いライヴ

2018年01月20日 | Jazz LP (RCA)

Lalo Schifrin / En Buenos Aires Grabado en Vivo !!  ( アルゼンチン RCA VIctor AVS-4096 )


ラロ・シフリンがピアノ・トリオにギターを加えてブエノスアイレスで行ったライヴパフォ-マンスだが、詳細はよくわからない。 故郷への凱旋公演という
こともあってか、観客の熱狂ぶりが何だか凄い。 音楽に熱狂する以前に、スターを前にした熱狂ぶりのようだ。 シフリンのMCもやたらと長く、演る側も
聴く側も気合い十分でその熱気がしっかりと記録されている。

若い頃にパリの音楽院に留学してメシアンに師事したりしながらもジャズへの想いが断ち切れずにズルズルとその道に進んだけれど、結局ジャズミュージシャン
としては身が立てられなかった。 その理由がここにも記されている。 いわゆるジャズのフィーリングが希薄なのだ。 

別に「アメリカのジャズが絶対」という訳ではないし、この人はアルゼンチン生まれなのだからアメリカ音楽が身に沁みついていないのは当然なのだけど、
それでも他のラテン・ジャズと比べるとあまりにその音楽は脱色されていてあまり印象に残らない。 ラテン音楽独特の哀感も感じられないし、ジャズと
自身のアイデンティティーの折り合いを結局は上手くつけられなかったように思える。 サントラの世界ではジャズをベースにしたサウンドで大成功したけれど、
本人的にはどういう気持ちだったのだろうと要らぬ心配をしてしまう。 ゴリゴリのジャズ愛好家の多くはラテン・ジャズには後ろ髪をひかれながらも
案外のめり込まないものだ。 それはラテン・ジャズはやっぱりアメリカのジャズとは何かが違う、と直感的に感じるものがあるからだろうと思う。

ただ、そんな風にジャズという狭い言葉にこだわらずに聴けば、艶めかしく優れたインスト音楽として愉しめる。 演奏は上手いし、リズムも素晴らしい。
熱狂する観客に煽られて、演奏が発する熱も凄い。 ジャケットがボロくて安レコだったので聴くことができたようなものだけど、ジャズのレコードからは
あまり感じることはないような、独特の南米の熱を感じることができるレコードだった。



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新しい扉を開けたのに

2018年01月14日 | Jazz LP (Blue Note)

Lee Morgan / Lee Morgan  ( 米 Blue Note BST 84901 )


ニューヨークのクラブ "Slugs" でヘレンに撃たれる半年前に録音された最後の公式アルバム。 モーガンが新しい扉を開けた瞬間が記録されている。
あの日の"Slugs" でもこういう音楽をやっていたのかもしれない。 その音はきっと悲劇の予感をはらんで響いていたことだろう。

フルート、サックス、トロンボーンを加えた重層的なサウンドがカッコいい。 特に、ビリー・ハーパーのテナーは最高の出来だ。 こんなカッコいいテナーには
なかなかお目にかかれない。 グラチャン・モンカーのトロンボーンもシブい音色で切れ味のいいフレーズを連発する。 とにかく、管楽器がカッコいい。

リズムセクションも複雑な要素を絡めた、それでいてストレートなビートで音楽をドライヴしまくる。 各リズム楽器が一糸乱れぬ一体感で進むので、
音楽の安定感は際立ち、全体ががっしりと堅牢な作りになっていく。 この纏まり感、一体感は何だろう、聴きながらそういう驚きに襲われる。

かつての小僧っ子としてのリー・モーガンはもういない。 ここにあるのは、成熟した音楽家としての姿。 トランペット1本だけでは相手にされない
難しい時代に訴求できる音楽を見事に創り出している。  ブルーノート1500番台のアーティストの中で最も優れた70年代の音楽をやったのは、マイルスを
除けば、間違いなくこの人だろう。 近年のジャズの中にも、これと似通ったサウンドやコンセプトは至る所で見ることができる。 彼は50年後にも通用する
音楽をやれていたのだと思う。 浮気なんかせず、音楽だけに専念していればよかったのだ。 どんな時代でも生き残ることができる才能があったのに。

映画 "私が殺したリー・モーガン" の中では、モーガン本人が音楽のことを語っているシーンは出てこない。 それ以外でも、彼が音楽のことをどう考えて
いたか、という発言の類いはほとんど残っていないようだ。 これは残念なことだけど、それならば一層残されたアルバムは重要になってくる。
我々にはそれらをこれからも聴いていくしかないのだろう。







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何かに辿り着いた演奏

2018年01月13日 | Jazz LP (Blue Note)

Lee Morgan / Live At The Lighthouse  ( 米 Blue Note BST 89906 )


リー・モーガンの本音が聴けるアルバムで、モードとか新主流派とかそういう面倒な話からは解放されて、ようやく自分の考えるジャズが誰からも邪魔されずに
できるようになった、という感じがある。 全体を貫くシリアスな雰囲気にグッとくる。

バンドメンバーたちの演奏も恐ろしく上手く、纏まり方もハンパない。 人気と言う面では下火だったとはいえ、ジャズメンたちはしっかりと研鑽を積み、
こんなすごい演奏ができるようになっていたんだ、ということに感嘆させられる。 とてもライヴだとは思えない完成度だ。

50年代、60年代の主流を歩いてきた人らしく、新しいストレートなアコースティク・ジャズになっていて、変なクセもない。 モーガンが持っている元々の
音楽的なスジの良さが素直に出ている。 それでいて、非常に真面目で真摯な音楽になっている。 他のアルバムではあまり聴く気になれないベニー・
モーピンもこの音楽の中では中心に置かれた重みとしての役割をうまくこなしていて、彼がいなければここまでの纏まりは実現しなかったかもしれない。

ここで聴ける音楽は、1940年頃から30年近くかけてアメリカのジャズが歩んできた道の終着点の1つだったのかもしれない。 70年代のジャズの中には
そう感じさせてくれるようなアルバムが少ないながらも存在する。 本人たちにそんな自覚はなかっただろうけど、これはそういう数少ない1つかもしれない。
そんなことを考えさせるようなところがある、いいアルバムだと思う。





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戦略的なライト志向が冴える

2018年01月08日 | Jazz LP (Blue Note)

Lee Morgan / Delightfulee  ( 米 Blue Note BST 84243 )


リー・モーガンのディスコグラフィーの中では後ろから数えた方が早い位置にある作品で、ジョー・ヘンダーソンとのクインテットによる演奏と、管楽器を
多数集めて分厚いバッキングさせながらポピュラーソングを演奏した2つのセッションからなっていて、後者ではなんとフィル・ウッズがアルトを吹いている。

非常に明るく朗らかな雰囲気の内容で、初めて聴いた時はかなり面喰ってしまった。 やはり、ビートルズの "Yesterday" の印象が大きいけれど、これが
原曲の持つ暗さを排して、明るく希望を抱かせるようなアレンジに変えているところが意外なほどいい感じになっている。 ソロのスペースを与えられているのは
ウェイン・ショーターだけでフィル・ウッズはバッキングだけなのは残念だが、それでも豪勢なアンサンブルをバックにモーガンのトランペットの音は本当に綺麗だ。

クインテットのセッションもヘンダーソンのテナーが難解なモードは封印してなめらかでメロディアスなプレイに終始しており、アルバム全体がライト志向に
なっているのは明らか。 

リー・モーガンのアルバムを聴いていて感じるのは、この人もマイルスやゲッツと同じように常に時代の流れを強く意識していて、自分の音楽をその中で
どうしていくかを真剣に考えながら、アルバムの中で試行錯誤をしていたということだ。 そして彼のいいところは、何をやるにしても常にその音楽は
バランスがよく、聴きやすいものを作ったということだった。 フリーに走ったり独りよがりには決してならず、観客が聴いて愉しめるものにこだわった。
このアルバムに収録された自作の曲はどれも非常に判りやすく、1度聴けばメロディーラインを覚えれるようなものばかりだ。 

50年代は当時の主流の音楽を器にして自分が如何に上手くプレイするかというやり方だったが、ジャズ・メッセンジャーズを卒業したあたりからは自分で
音楽全体の建付けを考えるようになっている。 それはショーターからの影響かもしれないけど、この人には案外そういう才能があったんじゃないかと思う。
トランペッターとしての腕前ばかりが語られて、彼のそういうもう1つ別の才能について語られることがないのは何とも残念だ。

短い生涯だったとはいえ、幸いなことにブルーノートに後期の作品が集中しているのだから、もっとたくさん聴かれるといいと思う。 このレコードも音質は
極めて良好で、音楽をじっくりと愉しむことができる。 ステレオプレスなら安く手に入る。 このあたりになると、モノラルよりステレオの方が音場感は
ずっと自然でいいはず。


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2017年のベスト作品ということなので(2)

2018年01月07日 | Jazz CD

Matt Mitchell / Forage  ( 米 Screwgun Records none )


2017年のベスト作品と推奨されたものの中で気に入ったもう1枚が、マット・ミッチェル。 師であるティム・バーンの曲をピアノ・ソロで演奏している。

マット・ミッチェルという名前は知っていたが、実際にちゃんと聴くのはこれが初めてであり、ティム・バーンに至っては聴いたことすらない。 だから、この作品の
意義や音楽的解析みたいなものは私には当然できない。 背景もわからないし、現在のニューヨークで行われている前衛音楽の状況についても何一つ知らない。
そういう状態であるにもかかわらずとても気に入って、この1週間ほどは家の中でこれが鳴りっぱなしなのだから、これは人の心にきちんと届く音楽なのだ、
ということである。 

ピアノ・ソロによるフリー・インプロという意味での衝撃みたいなものはここにはない。 少なくとも、セシル・テイラーの音楽に親しむ耳には、比較する意味は
ないとわかっていながらも、ピアニズムの観点では「かなり生ぬるい」という感想は自然と出てくる。 ただ、それはピアニストとしての力量の問題では
おそらくなく、やろうとしている音楽の種類が違うからだと説明する冷静さは必要だろう。 

この音楽から感じられる一番の印象は「知的な抒情感」であるが、これが作曲者であるティム・バーンの音楽の持つ特質からくるのか、演奏者であるミッチェルの
表現力によるものなのかはよくわからない。 読み齧りの知識によると、ティム・バーンはニューヨーク前衛音楽の重鎮と言われる人物であり、そういう人が
作り出す音楽にこういう抒情感が溢れているのだとしたら、その音楽は聴いてみなければなるまいと思う。

これを聴いていわゆる「フリー・ジャズ」だと感じる人はまずいないだろう。 また、ドビュッシー、ラヴェル、バルトークの名前を持ち出すのも不適切で、
そういう類いの音楽でもない。 私が類似例として最初に想起したのは、ブラッド・メルドーのソロ・ピアノ集なんかのほうだった。 

ゴリゴリの前衛ファンからは見れば想定外の抒情味溢れる小品ということかもしれないし、予備知識のない私のようなレベルから見れば凛とした透明感に
溢れた美しい作品、という感想になるかもしれない。 いずれにしても、何も警戒することなく聴けば、その美しさに心奪われることは間違いない。
2017年のベストに推されて当然の内容だと思う。

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2017年のベスト作品ということなので(1)

2018年01月06日 | Jazz LP

Jamie Saft / Loneliness Road  ( 英 RareNoise Records RNR077LP )


現代のジャズ・シーンにはまったくついて行けてなくて、尽きることのない湧き水のように溢れ出る大量の新譜たちを力なく見送るしか術のない自分が情けない。
優秀な道案内人が欲しいと思いネットを物色するとそれなりに情報は見つかるけれど、どうも頭の中にうまく入ってこないことが多い。 それらは作品の内容を
語るというよりは、そのアルバムやアーティストをめぐる状況への言及がメインだったり、そういう現代のシーンに精通しているステキなボク、という内容が多く、
それはそれで読み物としての面白味はあるんだろうけど、店頭でCD片手にまさに買うかどうかの参考情報を検索している切羽詰まった状況にいる私の
助けにはならず、結局諦めて手ぶらで帰ることになる。 そしてそういうことが重なると、何となく新譜に手を出すこと自体が億劫になっていってしまう。

そういう困った状況の中で今のところ唯一の頼りになっているのが、DU新宿ジャズ館の1Fの新品CDフロアの片隅で小さく展開されている "Monthly Buyer's
Select" という企画。 バイヤーというよりはマニアとしての感性でお薦めの作品が紹介されており、内容も新旧がいい塩梅で混ざっていて好感が持てる。
紹介文も作品の内容にきちんとフォーカスされていて、私のニーズにぴったりと合う。 ユニオンといえば廃盤セールのことばかりに話題が集中するけど、
私が一番いいなと思っているのはこういう度が過ぎない程度のマニアックな感性なのだ。

その好企画の12月版は「2017年のベスト作品」がテーマで、その中で紹介された6作品の中では2つの作品が気に入った。 その1つが、このジェイミー・サフト。
ジャズミュージシャンというよりはマルチタレントな音楽家ということらしいが、私はこの人のことはまったく知らない。 名前も聞いたことがなかった。
ネットを見ると、怪僧ラスプーチンか、はたまたZZトップか、というような風貌の画像が出てくる。

アコースティック・ピアノ・トリオで、ベースはスティーヴ・スワローだ。 そして、驚くことにイギー・ポップが歌っている曲が何曲かある。
正統派のピアノ・トリオの演奏だけど、全体的にゆったりとしたリズムて統一されていて、程よい翳りと心地よい重みのある音楽になっている。
いかにもジャズ・ピアノですという音楽ではなく、ポップスやブルースなどいろんな音楽がうまく消化されてブレンドされた深みのある、それでいて非常に
判りやすい音楽になっていて、これは素晴らしいと思った。 現代のジャズだからといって無調感や不協和の雰囲気に逃げることなく、きちんとメロディーと
ハーモニーとリズムで初めて聴くような新鮮な音楽をやっている。 スワローのベースのリズムが強力で、音楽がグイグイと前へと進んで行く。
イギー・ポップの深くダークな歌も最高だ。 これは長く愛聴できる盤になるだろう。

CDの試聴機の前にアナログも置かれていたので、そちらを持って帰った。 アナログは2枚組で、ダウンロード・コードも付いている。 このトリオとしては
これが2作目だそうで、こうなると当然1作目も聴きたくなる。 アナログは既に絶版のようなので、また探さねばならないものが増えた。


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新年に聴く、若き日のマイルス

2018年01月02日 | Jazz LP (Prestige)

Miles Davis featuring Sonny Rollins / Dig  ( 米 Prestige PRLP 7012 )


新年最初の1枚はマイルスで、というのは日本人特有のメンタリティーかもしれない。 初夢は富士山をとか、初詣は明治神宮でとか、そういうのに似ている。
でも、それは "Kind Of Blue" とかそういうんじゃない。 もっと若い頃の、手垢に塗れていない頃のマイルスの方が「新春」には相応しい。

アーティストの自発性と作品のクォリティーを何よりも優先したアルフレッド・ライオンのブルーノートに一目を置きながらも、マイルスがボブ・ワインストックの
プレスティッジを選んだことは、当時何の後ろ盾も持たなかった一介の若いミュージシャンにとってプレスティッジの「専属契約方式」が如何に有難いものだったか、
ということを物語っている。 契約条件であるアルバム制作枚数の縛りに対してうんざりしながらも、金も名声もなかった当時の自分と契約をしてくれて、
作品制作の機会と生きていくために必要だった金を与えてくれたワインストックに対して、マイルスは晩年になっても感謝の気持ちを忘れることはなかった。
そういう無我夢中で生きていた頃の雰囲気が濃厚に漂うのが、プレスティッジのレコードだ。

初出は2枚の10インチだったが、それらをヴァン・ゲルダーがリマスターして12インチにまとめたのがこの "DIG"というアルバム。 当時、弟分として毎日
一緒につるんで可愛がっていたジャッキー・マクリーンを連れて、頭角を現していた若いロリンズと一緒に演奏した貴重な記録だ。 このレコーディングは
プレスティッジでは初めてマイクログルーヴ方式という新しい技術が採用されて、それまでのSP向けの3分間の演奏から解放されたLP向けの初レコーディング
になるということで、マイルスは入念に準備をして臨んだ。 マクリーンはまだひよっ子で、この時が初レコーディングだった上に、スタジオにはパーカーが
見学に来ていたものだから、緊張度のメーターは針が完全に振り切れていたそうだ。

マイルスも、ロリンズも、マクリーンも、すでに誰の物真似でもない彼ら自身のトーンで吹いている。 この演奏の一番の凄さはそこだ。 技術的にはまだ
たどたどしいけれど、それは時間が解決するということを我々は知っている。 若い彼らの生々しい姿がリアルな音で目の前に再現されるというこの一点に、
このレコードの他にはない価値がある。


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