Ornette Coleman / The Shape Of Jazz To Come ( Atlantic 1317 )
ジャケットの写真に写るオーネットが大事そうに抱えているアルトサックス、ボディーの色が白いのに気が付く人が果たしてどれだけいるでしょう。
このサックス、実はボディーが金属製ではなく、プラスティック製なのです。 当時のオーネットはお金がなくて、普通の金属製のサックスが買えなかった。
テキサス州フォートワースに生まれたオーネットは7歳の時に父親が亡くなり、家は「ど」が付くほど貧乏で、その時から一家の大黒柱にならなければ
いけなかった。 学校に通いながら仕事を始め、やがてアルトサックスを手に入れて高校時代から街の場末の安酒場で踊る人達を相手にR&Bやジャンプ
ミュージックを演奏して家計を支えるようになった。
当時のフォートワースは人種差別に歪んだ街で、白人と黒人の居住地区は分けられ、黒人は大学(もちろん黒人専用の)を出てもまともな人生を送ることは
できない仕組みになっていた。 彼らは毎日を生きるのに精一杯で、自分が何者なのかなんて考えない。 だからオーネットは西海岸へ行く決意をします。
オーネットの演奏はその頃から既に変わっていて、西海岸に行っても誰からも相手にされなかった。 だからミュージシャンとしての仕事は滅多になく、
他の仕事と掛け持ちをして食べていくのがやっとだった。 ロサンゼルスの繁華街にある大型デパート"バロックス"で在庫品係として働いていた1954年の
ある日、昼休みに街を歩いていると、通りに面した画廊のショーウインドウにとても裕福そうな白人女性の肖像画がかかっていた。 その女性は目に涙を
浮かべて座っていた。 その絵を観たオーネットは心を打たれ、この絵から何か曲ができないだろうかと考え、そして "Lonely Woman" という曲が生まれた。
この曲は2本の管楽器が演奏するメロディーとベースとドラムが演奏するリズムの小節の長さが違うところに特徴があります。 つまり、リズムセクションが
演奏している小節の長さを100とすると、アルトとトランペットが奏でる旋律の小節の長さは130だったり150だったりと不安定で、常にズレていて重なる
ことがない。 時たまその公倍数のところでうまく帳尻が合いますが、すぐにまたズレて進んでいくという具合で、これが時間の感覚が喪失したような
印象を与え続けて聴き手を不安状態に陥らせるわけです。 オーネットの音楽はこういう具合に、「不協和音」というよりは時間が伸び縮みして一定に
流れない「平衡の喪失」のほうがベースになっていると思います。
ただ、この曲以外は割と小気味良いリズムを持った纏まりの良い曲が多く、彼がフォートワース時代に金を稼ぐために酒場で演奏していた踊るための音楽
を思わせるようなところがあり、このレコードをフリージャズの夜明けとするには強い違和感を覚えます。 オーネットの場合は、楽理を突き詰めた末に
辿り着いた姿というのではなく、明らかにセロニアス・モンクと同じで、生来備わっていたユニークな感覚に素直に、そして頑固なまでに従った結果だった
のではないでしょうか。 だから、私は彼の音楽のことを「フリージャズ」とは言わず、「頑固ジャズ」と呼びたい。
ルイジアナ州のダンスホールでブルースを演奏する仕事にありついた時に、演奏の中で自分が思いついたフレーズを挟んだらバンドのメンバーたちは
演奏を止めてステージから降りてしまった。 その後に会場の外に出ると、6人くらいの大柄な黒人のミュージシャンたちに囲まれて、オーネットは腹や
尻を蹴りあげられて、サックスを抱えたまま血まみれになって倒れて意識を失った。 また、ロサンゼルスでは無一文だったせいで車も買えず、あの
広大な街を雨が降る中でも何キロも歩いて家と演奏するクラブを往復していた。 私には、その姿はまるでゴッホの生涯を思い起こさせます。
ショーウィンドウに置かれた女性の肖像画を観ていたオーネットの眼は、そこに自分の姿が映っているのを見たわけです。 だから、"Lonely Woman"
という曲は当時の彼の孤独がありのまま描かれた曲で、作曲してから5年後の1959年のニューヨークでのレコーディングにこの曲を持ってきたのは、
そういう自分の孤独と向き合える力を感じ始めたからなのではないでしょうか。 オーネットの音楽を考える場合、これよりも先に録音されたL.A時代の
コンテンポラリーの2作のほうが私には重要な気がします。 この "きたるべきもの" というアルバムはどちらかというと、オーネットの内面の変化や成長が
克明に刻まれた極めてパーソナルな内容で、親密な雰囲気が出た作品だという気がするのです。 歴史に残る傑作という評価はそれはそれでいいけれど、
それは「フリージャズ」としての話ではなく、オーネットという音楽家の本当の姿がようやく世に出てみんなが認識することができた最初の作品である、
という意味での話だと思います。