第166夜 イチゴについての一考察

2007-05-23 23:16:44 | その他
2007.5.23(水)

今夜はイチゴ(一期じゃなくて苺)についての一考察。

このところず~と我が家ではイチゴがてんこ盛りである。

確かに我が家の畑にイチゴが植えてあるが、毎日毎日こんなに生るのだろうか。食べても食べても無くならないかのように、笊に不揃いのイチゴたちが山盛りにひしめき合っている。

私は、家人がイチゴを食べているのを見ただけで、条件反射と言うのか口の中に酸っぱいものが込み上げてくる。実際に食べて見ると思ったほど酸っぱくはないし、むしろ甘味の方が多い。ビタミンCが豊富なので食すと良いのだろうが、私は1日に1個しか食べない。

私の文学の師である文豪吉行淳之介氏が、彼の対談集の中で、苺は好きなのだが苺のツブツブが入れ歯の間に挟まるとすこぶる痛いので云々と書いていたのを思い出す。

イチゴの思い出は沢山あるが、その内の一つにイチゴにむせ返った思い出がある。私の伯母が光市でイチゴとメロンのハウス栽培を生業にしている。イチゴはやはり単価の一番高い時季であるクリスマスに出荷できるように照準を当てて栽培しているようだ。イチゴの出荷が終わるとメロンに切り替えるのだが、数年前、その切り替え時期に娘と一緒にイチゴの苗を引くのを手伝いに行ったことがある。天気の良い日だったこともあり、ビニールハウスの中は蒸し風呂のようだった。その中にイチゴの臭いが充満していてむせ返って気分が悪くなった。その後は娘たちや、結局は伯母夫婦たちが苗を引き揚げた。お土産のイチゴだけは、みかん箱4個分くらい貰って帰ったと思う。その翌年から今日までお呼びは掛からない。だが、毎年律儀にも立派なイチゴとメロンを沢山下さる。感謝、感謝。

もう一つ思い出話。私と末娘とで散歩がてら山に行った折、野イチゴが生っているのを発見。早速苗を持帰って畑の隅の方に植えたら、これがついたんですね。赤い野イチゴの実も付いていたんですが、数日後、母の手により刈り取られていた。娘と2人で母に文句を言ったが、こんなもの畑に植えるもんじゃないと一喝。後の祭りであった。

全然イチゴの考察にならなかったのでこの話題は後日に譲るとしよう。





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