世界変動展望

私の日々思うことを書いたブログです。

論文・学会発表の多重発表などの研究者の不正行為について

2010-07-16 00:07:56 | 社会

研究者の不正行為は毎年そこそこある。研究者の不正行為とは論文・学会発表の盗用、捏造、多重発表、ギフトオーサーシップ、研究費の不正流用など様々だ。特に論文・学会発表の改ざん・捏造は大きな不正行為として報道されることがある。最近では

2005年5月
遺伝子を改変することで酵素の働きを抑えることに成功したと報告した論文で、データとなる画像が一部改ざんしてあったことが判明し、論文を撤回。

2005年12月
韓国国民の期待を背負った科学者ファン・ウソク(黄禹錫)が行っていたクローン胚ES細胞研究に疑義が発生。2006年1月に調査委員会により捏造だと断定され、論文は撤回

こういうことをやると研究者生命を絶たれる。

よくありがちな研究者の不正行為は論文の多重発表とギフトオーサーシップだ[1]。論文・学会発表の多重発表とはWikipediaによると「自己の過去の業績を複製したり、ほぼ同じデータを細部のみを訂正して新規の論文として発表すること」とされている。同じ内容の論文を複数の学会誌に投稿するのが典型例である。

ギフトオーサーシップとは全く、又はほとんど貢献のない研究者が論文の著者として名を連ねることである。教授や研究所の部長など責任者となっている者が行うことが多い。

論文・学会発表の多重投稿とギフトオーサーシップで共通しているのは、研究業績を水増しする点だ。出版論文数は研究者の重要な評価対象の一つなので、これを多く見せようとすることは、研究者や研究者を志す博士課程の学生にとって不正を犯そうとする動機となりえる。特に教授・准教授への昇進を目指す研究者やパーマネント研究職等への就任を目指す任期切れ間近の研究者は不正を犯す動機が強い。

上記のように全く同じ論文を複数の学会誌に投稿するというのは、まずいという意識が強くさすがにあまり見ないが、よくありがちなのは前の研究発表の内容に同じ研究過程で出た少し新しいデータ等を加えて新規論文として投稿するケースだ。従前の研究発表と比較すると重複している部分が多く、新規の部分が少ない論文や学会発表はよく見かける。

よく博士課程の学生で「私は論文を7本も出版した。普通の博士課程の学生はせいぜい論文3本出せればいいほうだ。ははは。」といって自分がいかにも優秀だと自慢げに話す学生は、あたかも自分が独立の内容で7本論文を出したと錯覚しているバカが多い。

論文の内容をきちんと見ると、発表内容は修士時代から続く研究テーマの一環であり、7本の論文は独立の内容ではなく、7本の論文のうち発表内容が重複しているものも多数ある。要は上記のように従前の研究発表に少しだけ新規の部分を加えて研究発表し、見かけ上の論文発表数を多くしているにすぎない。単なる水増し業績なのである。そういう業績は見る人が見ればすぐばれる。

こういう研究発表を多重投稿の不正行為と呼ぶかは別にしても、この類の研究発表が実に多いのは間違いない。おそらく山のようにあるだろう。こういう研究発表を不正行為といった場合は、山のような不正行為の研究発表が日々創出され続けたことになる。

では、どこまでが多重発表に該当するのか。その基準は人によって異なるが、日本原子力学会の二重投稿Q&Aによると、

「Q.組織だった審査が実施されている学術雑誌に掲載された論文の内容に、新たな知見、データ、考察を加えて原稿を作成しました。この原稿を論文(Article)として投稿できますか?


A. 論文(Article)として投稿できません。投稿すれば二重投稿となります。新たな知見、データ、考察のみで新規性と有用性を満足する原稿を作成して下さい。もちろん、著作権法に従って、掲載済みの論文内容の一部を引用することは可能です。[2]」

これが最低限度の基準といえよう。従来の発表に新しい部分を付け加えて発表する場合は、差分となる新規の部分だけで有用性等を満足し、発表としての核心と価値を持たねばならない。

少なくとも従前の発表と重なる内容を発表する場合、その部分に関しては多重発表されている。前の発表との差分が新規性であり、新しい発表の核心であり、発表の価値そのものである。しかし、発表を全体としてみると新規性のある部分に発表の核心がなく新規部分の発表価値が乏しい研究発表は、実質的にみて研究業績を水増しするだけの多重発表と見なされても仕方ないだろう

ギフトオーサーシップも研究界では常態的に行われているといってよい。よく教授昇進者の発表論文数の記録をみると、「筆頭著者での発表 50本、単著発表 15本、その他の発表 300本」などセカンドオーサー以下での発表論文数が異様に多い人がいるが、おそらくそういう人はギフトオーサーシップで論文数を多くしているのだろう。准教授・講師でも研究室の長となり研究室運営を任される大学・研究機関も多く、そういう研究室の学生は自分の論文の著者として指導教官を入れることが多い。端的にいって、教授等の指導教官がたいして貢献していなくても指導教官というだけで論文に名を連ねていることは非常に多い。

ひどい場合になると、自分が退職後大学教授として転出する上で有利になるために、部下の研究論文・学会発表等に著者として名前を記載するように指導する研究所の部長等がいる。典型的なギフトオーサーシップによる業績水増しである。かかる悪質行為は許されるべきではない。

本来は査読でこうした不正行為をチェックし排除すべきなのだが、査読には限界があり、研究発表の適正化の上でうまく機能していない[3]。研究界ではかかる業績の水増し行為に対する厳しい制裁措置などが不十分で、人事の上で十分に審査できないことも少なくないため業績水増しは「やった者勝ち」となっている側面がある。

今後はかかる不正行為に対して懲戒免職等の厳しい制裁措置を設け、研究発表の適正化を実現してほしい。


参考
[1] 二重投稿について
[2] "二重投稿に関するQ&A" (社)日本原子力学会 編集委員会 2008.7.25
[3]以下、Wikipediaからの引用 2009.10.25

科学における不正行為と査読の限界

査読では、科学者の手による「研究の捏造」や「盗用」などの科学における不正行為を見つけるような仕組みにはなっていない。

査読の段階でどのくらいの不正が発見されているかは明らかにされていない。

学術雑誌における査読では、科学による不正行為を発見しきれないのは、論文が正直に書かれていることを前提として査読が行われているからだ、とも言われる。

また、通常の場合査読者は論文の元になった全てのデータにアクセスできるわけではないから、ある部分については信用したうえで査読を行なわざるを得ないので、結局発見できないのだとも言われる。(データを必要としない数学分野などはあくまで例外である)。

査読を通過したものの、後に他の研究者によって科学における不正行為や間違いであったことが発見された事例が多数ある。

査読の限界の事例
イラクからヨルダンを経てアメリカに留学していた医師エリアス・アルサブディ(Elias Alsabti)は、テンプル大学やジェファーソン医科大学・ボストン大学などを転々とする中で、無名の学術雑誌に掲載されていた論文をそっくりそのまま盗用して他の無名の学術雑誌に投稿するという手段を繰り返した。こうして投稿した論文のうち60数編が実際に掲載され、そのことはアルサブディの業績に箔をつけることになった。結果としてアブサルディの技量の拙さを不審に感じた同僚によって真相が暴かれて、アルサブディは医師免許を剥奪されたが、論文が氾濫する中では査読による篩にも限界があることを露呈することになった。

2000年前後にかけて、米国のベル研究所を舞台に大掛かりな不正行為が行われた。ドイツ人の若手研究者であったヘンドリック・シェーン(Jan Hendrik Schön)による有機物超伝導体に関する論文は、通常の査読を経て、最高ランクの雑誌であるネイチャーやサイエンスに合計16本が掲載された。しかし、論文の結果が他のグループではまったく再現できないことなどから疑惑がもちあがり、最終的には実験結果のグラフの捏造が判明して全ての論文が撤回された。

黄禹錫(ファン・ウソク)ソウル大学教授が、査読を経てサイエンス誌に2004年および2005年に相次いで発表された、ヒトES細胞に関する論文は、後にまったくの捏造であったことが判明した。この不正は査読によってではなく、ファンの研究チームの元研究員による内部告発および電子掲示板での若手生物学者たちによる検証により発覚した。


参議院選で落選した千葉景子法務大臣は辞職すべき!

2010-07-14 00:27:19 | 政治・行政
先の参議院選挙で千葉景子法務大臣が落選した。民主党は現職の閣僚までが落選してしまった。しかし、千葉景子は法務大臣を続投するというのだ[1]。

読売新聞によると、『首相は13日夜、首相官邸で記者団に「そう遠くない時期に代表選もあるので、それまで(続投を)お願いした。議員でなくても適任者であれば大臣になれる。千葉氏は法曹出身でもあるので、十分責任を果たしてもらえる」と述べた。

内閣総務官室によると、記録が残る1953年以降、現職閣僚として臨んだ国政選挙で落選したのは、千葉氏を含めて15人。このうち、落選後も閣僚を続けた例としては、53年の参院選で落選した林屋亀次郎国務相の27日間が最長だ。千葉氏が9月まで続けると、最長記録を更新する。

千葉氏の法相続投について、政府・与党内では「失政があって落選したわけではない」(民主党幹部)などと冷静に受け止める声が多い。一方で、「落選議員の続投は民意の軽視だ」との批判も出ている。[1]』

確かに国会議員の資格は大臣の必要資格ではない。しかし、国民が信任しなかった人物を大臣として続投させるのは不適切だ。それに私は千葉景子に国会議員や大臣の資格はないと思う。

先の参議院選挙で千葉景子が落選した原因はいい加減な選挙運動のためだ。千葉は閣僚だから選挙で有利と判断し、選挙運動をあまり行わなかったし、民主党もあまり助力しなかった。自分の有利な立場からあまり選挙運動しなくても当選するだろうと選挙を甘く考えていたことが敗因だ

はっきりいって千葉景子のような人物は落選して当然といえよう。国会議員を志す者は、自分が有利だろうと不利だろうと、真剣に政策等を国民に訴えて賛同を得るように努めなければならない。それが選挙運動というものだ。閣僚だから有利なので選挙運動をあまりしなくても当選すると甘く考えているような人物は国会議員や大臣として失格である。そうした態度は選挙をばかにしているし、国民をなめているとさえいえる。どの候補者もみんな真剣に選挙運動をしている。そんな中で千葉景子のように甘く考えていい加減な選挙運動しかしない人物をみたら、みんな腹がたつだろう。

この人は法務大臣としてもたいして仕事をしていない印象も受ける。夫婦の選択的別姓制度の民法改正案など女性大臣だから積極的に取り組んでいる事はあるが、夫婦別姓制度など優先順位は低い[2]。司法試験制度や取調べの可視化などもっと喫緊の課題を積極的になんとかしてほしかった。

国会議員であることは大臣の必要資格ではないが、国民に信任されなかった以上千葉景子に法務大臣の資格はない。菅首相は「千葉氏は法務大臣として適任だし、法曹出身者なので責任を果せる」というが、選挙をなめていい加減な選挙運動しかしなかった人物は大臣としても国会議員としても不適格者であり、大臣を続投すべきではない

千葉景子の選挙運動をみたら、政治家としてのやる気がないと判断されても仕方がない。国民は大事な国政をやる気がない人物に任せたいと思わない。だから千葉景子は落選した。私は菅首相の考えに反対だし、理解できない。

千葉景子は直ちに法務大臣を辞めるべきである。

参考
[1] "千葉法相、「落選後も続投」閣僚の記録更新か" YOMIURI ONLINE 2010.7.13
[2] 民主党が導入を検討している夫婦選択的別姓制度は時事通信社の世論調査(2010年3月実施)によると、賛成が35.5%に対し、反対は55.8%。民主支持層で賛成が33.6%(反対が59.4%)、自民党支持層で賛成が24.3%(反対69.3%)である。

国民の多数は夫婦別姓制度を望んでおらず、優先順位は低い。先の参議院選で夫婦別姓制度導入を主張する民主党が敗れ、導入に慎重な姿勢を示している自民党が躍進し、ねじれ国会になった現状を考えると、夫婦別姓制度はしばらく導入されないだろう。

与党過半数割れ! - 参議院選挙

2010-07-12 00:36:15 | 政治・行政
参議院選挙は与党の過半数割れとなった。やはり消費税増税などの菅政権への反対が大きかった。また、職を辞したとはいえ小沢、鳩山の負の効果が大きかったといえよう。数々の嘘のマニフェストもまた与党の敗北に繋がった。

これでまたねじれ国会だが、そうなったのも国民を裏切り続けた与党の責任である。

名古屋人は排他的か?

2010-07-11 01:59:01 | 社会

名古屋人は排他的と言われることががる[1]。排他的というのは名古屋には他の地域の人や企業を受け入れず、地元生え抜きの人や企業を優遇するという傾向があるということだ。確かにそういったところがあるように感じることがある。新聞は中日新聞、車はトヨタ自動車、コンビニはサークルK、百貨店は松坂屋、大学は名古屋大学等の地元大学など固定的な感じがある。

例えば名古屋大学の学生のうち中部地方出身者の割合は81.8%(三重県含む)であり、愛知県出身者の割合は50.8%である[2]。これは全旧帝大でもっとも高い割合である。最も地元占有率が低い東北大学と比べると差が著しい[3]。名古屋の人は地元志向が非常に強いのだ。

しかし、排他的というのは地元を優遇することの裏返しであり、地元を優遇することは別に悪いことではない。むしろ自然なことではないか。名古屋の人が地元の人や企業を応援するのは例えば大阪の人が阪神タイガースを応援するのと同じことだ。これを排他的というならどの地方にも排他性はあり、名古屋が特別排他的というわけではない。

ただ、程度の問題というのはあって、例えば上述の名古屋大学の地元出身割合を見ると他の旧帝大の地元占有率と比べても高いものがある。名古屋の人たちの地元志向の強さは他の地域の人よりも強そうである。

近年は名古屋の地元優遇志向も弱まりつつあり、百貨店では2000年3月のJR名古屋高島屋の進出などで名古屋の伝統的な百貨店4M(松坂屋、三越、丸栄、名鉄)だけが消費者を独占している状態は解消された[1]。かつては百貨店での買い物といえば栄に行くのがほぼ当たり前のような感じだったが、今は名駅前にもそこそこ行くようだ[1][4]。

かつて名古屋人はタモリの「えびふりゃあ」という名古屋嘲笑ネタに対して悪いイメージを持っていたが、それを良く利用し売り物にして儲けている[5][6]。中部国際空港等に行けば名古屋のお土産としてエビフライのぬいぐるみを売っている[6]。このように名古屋人は合理的でないものをいつまでも引きずっていく性質ではなく、悪いものは良いものに改良し、良いものは受け入れて積極的に使う良さをもっている。

確かに名古屋人は地元優遇の傾向が他の地域よりも強いかもしれないが、有益なものを受け入れないという不合理な行為をしてまで他のものを排他することはない。

参考
[1] "黒船来襲" TOPPY.NET 2004.1.3
[2] 2009年度の数値
[3] 東北大学の学生のうち東北地方出身者は43.5%、宮城県出身者は13.7%。数値は2009年度のもの。
[4] 栄とは名古屋市の商業の中心部。松坂屋、三越等の百貨店は栄に存在する。JR名古屋高島屋はJR名古屋駅にあるツインタワーに存在する。
[5] 世界変動展望 著者:"名古屋と名古屋人の気質" 世界変動展望 2009.3.10
[6] "ちょっとほろ苦い!?海老ふりゃあ" TOPPY.NET 2004.3.20


内閣支持率急落、43.4%、不支持43.2%

2010-07-10 00:00:00 | 政治・行政
「共同通信社は参院選をめぐる有権者の意識動向を探るため7、8両日、全国電話調査を実施した。菅内閣支持率は第2回調査(6月19、20両日)から15・4ポイント急落し43・4%。不支持率は43・2%(13・2ポイント増)で支持、不支持がほぼ並んだ。[1]」

消費税増税が内閣支持率急落を招いた。15.4%もダウンするとは急落もいいところだ。やはり次の参議院選挙での与党敗北は濃厚だろう。もともとできもしないマニフェストを掲げて政策運営してきたことが悪いと思う。

またねじれ国会突入か。政権が安定しませんね。

参考
[1] スポニチ web版 (2010年07月09日付)

与党次期参議院選で過半数厳しい情勢

2010-07-08 00:00:00 | 政治・行政
新聞の調査によると与党は次期参議院選で過半数獲得が厳しい情勢だという。菅首相の消費税増税主張によって反対にまわった人が増えたと思われる。消費税自体は現実的な政策運営のため増税するのは仕方ないと思う。しかし、民主党が増税するのは反対だ。彼らは1年前の衆議院選でしばらくば消費税を上げない、事業仕分け等の無駄使い廃止で財源を何とかするといっておきながら、1年もたたず消費税増税するのは背理というものだ。

現実的な政策運営という観点では消費税増税に賛成だ。しかし、今の民主党がそれを行うのは先のマニフェストに反するので反対だ。別に他の政党が消費税増税の必要を訴えて選挙で勝ち、増税する分には反対しない。

ヤンデレとツンデレ

2010-07-07 00:00:00 | スポーツ・芸能・文芸
ヤンデレとツンデレという言葉はたまに聞く言葉だったが、今までずっと意味を知らなかった。デレという言葉から、シンデレラと何か関係のある言葉かと思っていたが全然違った。

辞書等によると、

ヤンデレ:「病んでいる」と「デレデレ」の合成語。広義には、精神的に病んだ状態にありつつ他のキャラクターに愛情を表現する様子をいう。一方、狭義には、好意をもったキャラクター(「デレ」)が次第に精神的に病んだ状態になることをいう。- wikipedia (2010.7.6) より

ツンデレ:ゲーム・アニメなどの女性キャラクターが,普段はツンツンしているのに,ある男性と二人きりになると急にデレデレになるような性格や様子。または最初はツンツンしていたのに,物語の進行とともにデレデレするような性格や様子など。- 大辞林第2版より

主にゲーム・アニメ好きの人たちの間で使われる言葉なので、私は意味を正確に知らないわけだ。私はそういう様子のよさがまるでわからないけれど、どういったところが良いのだろう?

わからない事は置いておくとして、ヤンデレとツンデレというのはおそらくずっと以前から小説等で存在していただろう。近年になって言葉が定着したに過ぎない。ヤンデレのキャラクターというのは私の知っている小説の中でははっきりとヤンデレに該当するという人物を知らないが、おそらく夏目漱石の「こゝろ」に登場するKや森鴎外の「舞姫」に登場するエリスはヤンデレなのだろう。Kは小説中、K-先生-お嬢さんの三角関係となり先生にお嬢さんを取られて失恋し自殺する。エリスは主人公豊太郎と結ばれるも彼が自分を置いて日本へ帰国することを知ってショックを受けパラノイアという精神病にかかる。おそらく現実の世界でもヤンデレという人はたくさんいるだろう。

ツンデレの例は有名な女性向けの児童小説「赤毛のアン」の主人公アン・シャーリーだ。彼女は最初は相手役のギルバート・ブライスに敵対していたが、後に好意を抱くようになる。まさにツンデレの典型例だろう。

上でも述べたとおり、ヤンデレやツンデレというのはおそらくずっと以前から小説等の中でも扱われている存在であり、物語を面白くしようと思うと、自然と出てくるような発想なのだと思う。

それが近年になってゲーム・アニメ好きの人たちの間で定着するようになったというのは少し不思議な事に思える。おそらくゲーム・アニメ好きの人たちがヤンデレやツンデレを見た時に持つ感覚は一般の人が一般の小説でヤンデレやツンデレを見るのとは違う強い感覚なのだろう。

琴光喜、大嶽親方解雇!

2010-07-06 00:00:00 | スポーツ・芸能・文芸
大関琴光喜と大嶽親方が野球賭博の責任を追及され、解雇となった。大関以上の現役力士が解雇処分となったのは初めてのこと。大相撲界は致命傷に近いダメージを受けている。不祥事が起きると場所の初日に理事長が「申し訳ありません。二度と不祥事を起こさぬように努めます。」と何度聞いたかわからないが、ここまで不祥事が続くと「本当に反省して不祥事予防に努める気があるのか?」と疑問を持たれる世論が形成されるだろう。NHKも名古屋場所を放送するかどうかまだ決めていないが、おそらく放送中止を求める視聴者の意見を考慮して放送をしないだろう。これで放送を続けてはNHKも世論の厳しい批判にさらされることになるからだ。

今の大相撲界はたいへんな異常事態だが、大相撲ファンの一人としては残念である。

割算の筆算の原理と考える力の養成、研究者の新発見の方法について

2010-07-05 00:00:00 | 物理学・数学

割算の筆算は上のように行う。誰でもやり方を知っているが、なぜこのように計算できるのか理解していない人が多い。そこで今回はそれを解説してみたい。具体的な例で説明するが、他の数値でも基本的な考えは同じである。

42 ÷ 3 という計算は、言い換えると42個の物体を3枚の各皿の上に等しくなるように置くには皿1枚あたり何個物体を置けばよいかということだ。この計算が6 ÷ 3 といったものなら答えは簡単だ。皿1枚あたり2個おけばよい。なぜ簡単かといえば、数が少ないからである。6個の物体を3つの皿に分けるのは容易な作業だ。直感的にわかるだろうし、一つずつ順に物体を皿の上に乗せていって、分け終わったところで一つの皿の上にある物体の個数を数えてもそんなにたいへんではない。

しかし、これが42個だと少しめんどくさい。まして、10万個等数がもっと多くなったのでは上述のやり方では時間がかかりすぎて困難だ。

それではどうすれば簡単に計算できるのか?上述の計算が困難な理由は数が多すぎるからである。数を減らせれば簡単に計算できることになる。では、どう数を減らすのか?上述の計算で数が多くなっていた理由は1を単位に数を数えていたからだ。10, 100, 1000, ・・・ といった数の単位ごとに物体をまとめれば単純に個数を表せる[注意1,2]。(もともと、数の表記はそういうものだと思う。例えば123 は100が1個,10が2個, 1が3個 という意味である。)

では42÷3 をこのような考え方にしたがって図で説明すると、

 

となる。おわかりですね?

割算の筆算は小学生に限らず大人を含め中学生以上でも計算原理をわかっていない人が多い。思うに、それは計算原理がそれほど重要ではないからだろう。割算の計算のやり方は日常でもよく使うのでみんな知っているが、なぜそのようになるのかという理由の方は全くといっていいほど使われていない。そのことが理由はわからないけど計算はできるという人が多くいる原因だろう。

確かに日常生活や試験ではそれで十分だろう。しかし、考える力を育てたいと教育者が思っているなら、なぜこのように計算できるのかをゼロから考えさせるのはよい練習になってよいと思う。

私は6÷3は簡単に計算できるが、42÷3はそんなに簡単に計算できない事を比較することで割算の計算原理をいかに考えつくかを説明したつもりだ。本質的な事はきちんと説明できているし、無論間違っていないが、もっと知ってほしいことは計算原理に行き着く思考過程だ。

6÷3は簡単に計算できる。それは数が少なくて単純だから。
⇒ 42÷3 は 簡単ではない。それは数が多くて複雑だから。
⇒ なぜ複雑なのか?
⇒ 1を単位に数を数えていたから。 (← なぜ複雑か原因をきちんと分析することが大切)
⇒ 10,100,1000 ・・・ を 単位に考えれば簡単化できる。
⇒ 大きい単位から順に分ける。

非常に重要な事は問題や困難の原因をきちんと分析することが新しい発見や解決作に繋がるということ。これは考える力を養うだけでなく、大学院以降の研究、実社会での問題解決作の発見等でも基本的な事であり、役に立つ。

もし、読者のみなさんの中で将来研究者を志す人がいれば、問題や困難の原因をきちんと分析することが自然と新しい発見に繋がることがあるという事はよく覚えておいてほしい事だ。小学校の簡単な計算ですら、このような考えをもとにゼロから計算原理を発見することも可能なのだから、上述の基本的考えは研究においてしばしば役に立つ。

注意
[1] 「そうは言っても、例えば53213を10, 100, 1000, 10000の単位に分けるのは簡単じゃない。物体5万個を現実に1万の単位5個に分けるのは相当な作業だ。」と現実的に考えないでください。確かに現実に5万個の物体を1万の単位5個に分けるのはたいへんな作業です。しかし、本件はもともと抽象化された数値を考えているのであり、わかりやすくするために物体の個数という具体的な問題で考えているにすぎません。5万を観念的に1万の単位5つに分けるのは容易な事なので、本文のように考えても何ら問題はありません。

[2]数を減らすといっても、43 → 3 のように数を減らすことを意味しているわけではない。単位を大きくすることで扱う対象を減らすことを意味する。


遺伝子調査で100歳以上生きられるかを予測できることについて

2010-07-03 00:01:55 | 科学技術

「人間の遺伝子を調べて、その人が100歳以上まで長生きできるかどうかを77%の確率で予測することに、米ボストン大学のチームが成功した。 2日付の米科学誌サイエンスに発表する。研究チームは100歳以上の長寿者1055人と一般の1267人を比較、長寿に関係の深い150の遺伝子を特定。さらに、さまざまな年齢で死亡した多くの人たちについてこの150の遺伝子を調べ、それをもとに100歳以上まで長生きするタイプかどうかを計算したところ、77%の確率で正しく言い当てることができた。[1]」

最近上述の新聞記事を見て少し驚いた。遺伝子は長寿にも関係しているかもしれない。そんな気はしていたが、遺伝子は人生においても重要なんだろうか。100歳以上生きられるかどうかを識別できるのはなかなかすごいことだと思うが、自分の寿命がわかってしまうのは怖い人もいるだろう。少なくとも私は怖い。予測はできても知りたくない。

この研究は検証されているわけではないだろうから、どこまで本当かわからないが、正しいとすると結構面白い研究発表ではある。

参考
[1] YOMIURI ONLINE 2010.7.2

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(2015年7月9日追記)

この成果は誤りと判明し、2011年7月に論文は撤回された関連1-写し関連2-写し


全国学力テストについて

2010-07-02 00:42:42 | 政治・行政
最近小中学校対象の全国学力テストの結果が公表されたが、こんな調査を毎年お金をかけてやる必要があるのだろうか。文部科学省の主導で何年か前から毎年実施されているが、わざわざ全国規模で毎年やるほど情報が得られているのか疑問に思うことがある。

全国学力テストは数年に一度とかでもよいような気がする。