よい文章を書くにはどうすればよいかと悩むことがしばしばある。よい文章とはいったい何か。谷川俊太郎の文章を読んで文章を書くことが一種の芸術的活動の一面があると思わされた[1]。谷川俊太郎によれば、個人に固有の身体的なリズムや豊かな人生経験や考えに裏打ちされた言語の質が文章を書く上で重要な要素である。彼は文章を、自分に内在する考えを言語という手段で表現する芸術だととらえているのだろう。
そう考えると、高齢者ほどよい文章が書けるということになるかもしれない。思えば、画家等の芸術家も有名者は高齢である。60歳で初めて一人前、70代から有名になるというのだから非常に遅咲きの印象をうける。それは、芸術が人間の内面性の表現であり、表現に豊かな人生経験や考えが必要だからなのだろう。
とすると、私の悩みは解決しがたい。良い文章を書くには非常に長い時間が必要だということになるからだ。日々の生活で物事に対する豊かな見識を磨いておかなくてはいけない。とても2,3年で解決するような問題ではない。まさに一生の問題となる。
ただ、私は物書きになるつもりはない。だから、文章の芸術家にならなくてもよいし、彼らほどよい文章が書けるようにならなくてもよい。もっとも、文章を書くことはこれから先たくさんあるだろう。だから、文章を書く基本くらいは意識して書きたい。手紙のように特定の人に向けた文章は自分のいいたい事が伝わるだけではなくて、相手を思いやる文章を書きたい。不特定の人に向けた文章も推敲して、できるだけわかりやすく書きたい。書き出し、展開、まとめという構造くらいはおさえておきたい。
参考
[1]谷川俊太郎:"言語から文章へ" 「文学3 言語」 1976
そう考えると、高齢者ほどよい文章が書けるということになるかもしれない。思えば、画家等の芸術家も有名者は高齢である。60歳で初めて一人前、70代から有名になるというのだから非常に遅咲きの印象をうける。それは、芸術が人間の内面性の表現であり、表現に豊かな人生経験や考えが必要だからなのだろう。
とすると、私の悩みは解決しがたい。良い文章を書くには非常に長い時間が必要だということになるからだ。日々の生活で物事に対する豊かな見識を磨いておかなくてはいけない。とても2,3年で解決するような問題ではない。まさに一生の問題となる。
ただ、私は物書きになるつもりはない。だから、文章の芸術家にならなくてもよいし、彼らほどよい文章が書けるようにならなくてもよい。もっとも、文章を書くことはこれから先たくさんあるだろう。だから、文章を書く基本くらいは意識して書きたい。手紙のように特定の人に向けた文章は自分のいいたい事が伝わるだけではなくて、相手を思いやる文章を書きたい。不特定の人に向けた文章も推敲して、できるだけわかりやすく書きたい。書き出し、展開、まとめという構造くらいはおさえておきたい。
参考
[1]谷川俊太郎:"言語から文章へ" 「文学3 言語」 1976