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世界変動展望

私の日々思うことを書いたブログです。

言論の自由について

2010-10-02 17:36:30 | 法律

ある美術専門雑誌

「画家佐倉十朗氏の個展を見た。あいも変わらず古めかしい絵が並んでいた。描写は上滑りで鋭く訴えかけるものは何もない。特に連作少女の文字通り少女趣味でセンチメンタルな甘さには抵抗させられてしまう。」

これを見て怒る十朗とその娘魔美。その後、魔美はその批評を書いた評論家剣鋭介に抗議しに行く。

魔美「私は父がどんなにあの絵に情熱をそそいだかよく知ってるんです。学校に勤める傍ら、寝る間も惜しんで。それをあなたは情け容赦もなく!」
剣鋭介「私は信じたとおりをいう。その一、情けとか容赦とか、そんなものは批評とは関係ないことです。その二、芸術は結果だけが問題なのだ。たとえ飲んだくれて鼻歌まじりに描いた絵でも傑作は傑作。一方、どんなに心血を注いで必死に描いても駄作は駄作。」
魔美「父の絵が駄作ですって!」

怒って剣鋭介に超能力で暴行を加える魔美。その後家に帰って、十朗と話す。

魔美「悪い人には天罰が下るって本当ね、パパ。」
十朗「誰だい、その悪い人って?」
魔美「決まってるでしょ、剣鋭介よ。」
十朗「はは、悪い人ってのは可哀想だよ。」
魔美「あら、あんなにひどい批評を書いたじゃない。」
十朗「魔美君、それは違うぞ。」
魔美「え、違う?」
十朗「公表された作品については見る人全部が自由に批評する権利を持つ。どんなにこきおろされても、画家にはそれを妨げることはできないんだ。それが嫌なら誰にも見せないことだ。
魔美「でもさっきはパパ、かんかんに怒ってたじゃない。」
十朗「もちろんだ。剣鋭介に批評する権利があるなら、僕にだって怒る権利がある。あいつはけなした、僕は怒った。それでこの一件はおしまいだ。魔美公もだな、そんなつまらないことに拘ってないで、はやく忘れなさい。」

(藤子F不二雄、エスパー魔美-くたばれ評論家より) - [1]
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今回の出展はマンガだが、マンガでもこういうネタが扱われているのに驚いた。さすが、藤子F不二雄先生。こういうのを法律の世界では言論の自由といい、憲法21条1項で保障されている。日本ではどんな人でも自由に意見を述べることができる。

なぜこの規定があるのかというと、戦前政治の反省のためだ。戦前は治安維持法によって政府や軍部に逆らう意見を述べるものたちを逮捕して黙らせていた。その結果、人々は政府や軍部に逆らうことなく目隠しされた状態で軍部の政治に従い悲惨な戦争に突き進んでいった。その当時の日本の政治はとてもひどいものだったが、なぜそれに歯止めがきかなかったかといえば、言論の自由が保障されていなかったことが一つの原因である。

何がよいのか、何が正しいのか、それを決めるのは言論なのである。そしておかしな政治を止めるのもまた言論なのである。言論の自由とは民主主義の基本なのだ。

もちろん、言論の自由といえど無制限ではなく、ある程度の制約はある。しかし、言論の自由の重要性から原則として言論は発表が差し止められることはない。それは政治家や芸能人のスキャンダルなど人権侵害をともなうようなものでも同様である。発表後の損害賠償で対応できるものは、原則意見を発表できる。しかし、発表すると取り返しのつかないひどい内容は例外的に裁判所が発表を差し止めることがある。

このように意見は基本的にすべて発表することができる。上の例で剣鋭介が批評を述べたのも、それに対して十朗が怒ったのも意見の表明であり、十朗がいうようにどちらにもその権利は憲法上保障されている。

藤子F不二雄先生はなかなかよいものを題材にする。この人のマンガは結構教育的な側面があって、よく勉強していると感心するものがある。

公表された著作物についてはすべての人が自由に意見を述べる権利を持つ。それは表明者の立場がどうだろうと関係ないし、原則として表明の内容によっても変わらないものだ。例えば意見の対象者にとって、表明者が嫌いな人物で表明内容が悪かったとしても、意見表明を妨げることはできない。

「あなたは私にとって嫌な人物だから、意見を言われると苦痛なんですよ。だから私の著作物について意見表明しないでください。」

「あなたの表明しようとする内容は私にとって悪いですから発表しないでください。」

こういうことは言論の自由が保障されている以上通用しない[2]。上の十朗が言うように、こういうことが嫌なら著作物を発表しないことだ。言論の自由は表明者に責任があるのは言うまでもないが、表明者の立場や表明内容によって表明を妨げられないことを保障するものである。しかし、私を含めて発表する側も気をつけないといけない。非難と批判は違う。

参考
[1]原作はこちら

図 公表された作品に対する作者の考えと表現の自由

[2]「こういうことは言論の自由が保障されている以上通用しない」というのは表現の差し止めを強制することは原則できないということ。批判等されるのが嫌な人は相手に「悪いことを発表するな!」と要求するが、これは自由。しかし相手は従う義務がないので無視できる。批判等を受けた人は裁判所に要求して発表の差し止めを請求することになるが、表現の自由(憲法21条1項)のため原則差し止めはできない。例外的によほど重大な人権侵害が起きる場合は差し止めできる。表現の自由といえど無制限ではなく公共の福祉による制約を受けるからだ。

要するに裁判所が表現の差し止めを強制することはほとんどのケースで不可能なので、事実上表現を規制する手段がなく、どんな表現もできるということ。