世界変動展望

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同じ人がずーっと好き!永遠の愛、その真相について

2013-03-03 00:09:52 | 歴史

同じ人がずーっと好き!

「僕は誓うよ。50年後の君を今と変らず愛している!」

そんなきざなセリフを純愛ドラマで聞いた事がある人もいるでしょう。そんな永遠の愛は現実にあるのでしょうか?

私が見た文献では、恋愛感情はせいぜい4年程度しか続かないらしく、熱愛で結婚しても時がくれば愛はさめます。それが一般のはず!しかし、歴史上の人物で永遠の愛を持ち続けた人はきっといたと思います。今回紹介するのは、その可能性のあった豊臣秀吉とお市の方です。

この2人の紹介は無用でしょう。秀吉は関白・太政大臣になった天下人、お市の方は織田信長の妹で、たいへん美しかったといわれる人物です。一説には秀吉はお市をずっと好きで、淀殿を娶ったのは浅井三姉妹(お市の娘たち)の中で淀殿が最もお市の容貌を受け継いでいたからと言われています。この説からは秀吉にとってお市は永遠の人だったといえます。

しかし、お市にとって秀吉は猿ですから、非常に嫌っていたようです。最初の嫁ぎ先の浅井氏を滅ぼしたのは秀吉だし、浅井長政の長男・万福丸らの処刑、思い出の地・小谷城を壊して秀吉が自分の領土としたといった事から恨みもあったのでしょう。「秀吉の側室になれ」なんて話になったら、「絶対にいや!」といって強く拒絶したでしょう。この時代は政略結婚が当たり前で、本人の意思は関係なかったかもしれませんが、お市ならたぶんそういっていたでしょう。信長亡き後織田家を再興するため、織田家筆頭家老だった柴田勝家と政略結婚したものの、織田家の後継者を決める賤ヶ岳の戦いで勝家が秀吉に敗れ、越前北ノ庄で勝家とともに自刃しました。

知ってのとおり北ノ庄城が落城した時浅井三姉妹は助けられました。この時秀吉はお市も助けるつもりだったのでしょう。たぶん、お市も城から出すように柴田側に伝えていたはずです。しかし、お市は助かっても秀吉の側室にされるのがわかっていたのでしょう。自刃した理由の一つは秀吉の側室になるのが嫌だったからというのもあったと思います。

「猿の側室になるくらいなら死んだ方がましよ!」

徹底的に嫌われてしまった秀吉。永遠の愛も届かなかったようです。秀吉は攻め滅ぼした相手の女を側室にしていましたから、お市も助かっていたら側室にされていたでしょうね。

秀吉は17歳から信長に仕え、北ノ庄城を落としたのが46歳なので、いつからお市を好きだったのかわかりませんが、仮に仕官した頃からだったとすると約30年です。淀殿を娶ったのがお市の影響だとすると、その愛はお市の死後も続いたのでしょうから、もっと長い期間だったということになります。

一人の女性を30年以上愛し続ける・・・。すごいなー。(笑)

秀吉にとってお市はまさに永遠の人だったんですね。

上で述べたように一般には愛情は4年程度しか続かないのですから、これはたいへんな長さです。秀吉とお市はずっと会っていたわけではなく、少なくともお市が浅井氏や柴田氏に嫁いでいた時は長い間ずっと会っていなかったはずです。お市が織田家にいた時も、頻繁に会っていたのでしょうか?

「長い間会ってもいなかったのに、なぜ長い間愛し続けられるの?信じられない、どんなに考えてもそれが理解できない。」

そう思う人はいるかもしれませんね。なぜ長い間会ってもいなかった一人の女性をこれほど長く愛し続けられるのでしょうか?

秀吉の妄想?いや、長い間会っていなかったとしても、お市が浅井氏から戻ってきた時や柴田氏に嫁ぐ前に秀吉はお市に会っていたはずです。妄想ならそれで覚めるはず!秀吉にとってお市への愛は決して妄想ではないのです。

ではなぜ?

ユリアを愛するラオウと同じなのでしょうか?(笑)

「永かった・・・あの日あの時お前がおれの心に焼き付いてから・・・」

この世で最も愛深き漢ラオウらしい純愛。ラオウのユリアに対する愛情は非常に激しく強いです。あんな感じでしょうか?確かにあのような愛情なら何年たっても続きそうですね・・・。

といってもこれはやはり漫画です。同じ覇王でも秀吉とラオウでは違います。

お市に対する秀吉の愛情がなぜ長年続いたのか?真相は私もわかりません。だから、以下のことは私の推測です。

お市に対する秀吉の想いは愛情というより、ただの色欲だったのではないでしょうか?秀吉は無類の女好きで気に入った女は手当たり次第という感じで、側室は20人以上、伊達政宗の側室だった藤女は秀吉の毒牙にかかってしまいました。また、高貴な女性を側室にしたことを考えると、秀吉は明らかにブランド志向。信長の妹というブランドを持ち、絶世の美女といわれたお市に天下人だった秀吉が手を出さないはずがありません。淀殿を娶った理由に信長の姪というブランド志向が絶対にあったはずです。

それが永遠の愛の真相だったのではないでしょうか?

色欲が愛情かと言われると、人によっては愛情という人もいるかもしれません。しかし、それを愛情というなら、現代のおじさんがソープランドで女性相手に情交をかわすのも愛情ということになります。やはり、そういうのは愛情ではないでしょう。(思えば建前上ソープランドは店が部屋を貸しているだけで、勝手に男女が愛情を持ってしまって、あーんな行動になったのだ!というのが合法理由ですが。)少なくとも色欲はプラトニックではないです。

男は何歳になっても色欲が衰えない人がいるんでしょう。少なくとも恋愛感情よりは長続きします。秀吉がお市を30年以上も想い続けたのは、愛情ではなく無類の色欲ゆえだったと考えると、あり得る話だと思います。

しかし、現実の歴史ではこのような色欲ではなく、長い間会っていなくても、長い間プラトニックにずっと一人を愛し続けた人がいたでしょう。そういうことは十分にあり得ることです。無論、そういう純愛があってもいいと思います。

なぜ、会っていなくても一人の人を長い間ずーっと愛し続けられるのか?

それは私はわかりません。しかし、私は大切なのはなぜかという理由を突き止めることではなく、愛情を考えた上で幸福な関係を築くように努力することだと思います。私の想像にすぎませんが、こういう愛情は本人もなぜなのか理由はわかっていないと思います。愛情とはたまにそういう性質もあるのでしょう。だから、理由を考えても仕方ないでしょう。

それより大切なのはこれからです。愛し、愛されているなら、それを受け止めた上で幸福な関係を築くように努力することの方がずっと大切だし、それで十分ではないでしょうか。

人は過去ではなく明日にむかって生きていくのですから。