ラーメンが続かねぇ・・・

疲れがたまっているのか、今朝は見事な寝坊で通常徘徊の出発もかなり遅れてしまいました。それでも、バカの一つ覚えのように10km近く歩き、先ほど帰還して、





「さて、またラーメンについて書くかな・・・」





と、パソコンを開いてざくっと写真を確認し始めました。そして、しばらくして





「なんか忘れているな・・・」

と(笑)





しばらく考えて、あっ!と思い出しました。

















一応区切りということで当時の気持ちも含めて振り返ってみたいと・・・





というか、本ブログでこの件について触れるのは、これで最後だと思います。





完全に忘れていたくらいですから、心の整理は出来たと思いますので(笑)





当時の自分の心情に触れたものなので、楽しい記事を期待していた方は、この先を読み進まない方があなたのためです。即座にブラウザーを閉じましょう(笑)。
































昨年の今日は、座敷童達の旅立ちの日だった







朝早い電車で、見送りの場所、新宿に向かった。生まれてこの方一緒に暮らして面倒を見てきた私にとって、それは心の一部を切り取られるような痛みだったと思う。













苦しいなりに、自分の心の整理もつけたいと旅行にも行った。













前の晩の日記には、このように記されている。





最後の夜。幾度となく過ごしてきた一緒の時間、一緒の夜。夢の中でも一緒にいられますように。





あっさりとした旅立ちだったのが、せめてもの救いだったのだが。













自宅に戻って、携帯の写真を整理した。写っているのは楽しそうな子どもたちばかり。それを見ているうちに、涙が次々にこぼれて、遠くに行ってしまったんだと実感した。そして、初めて自分の心の悲痛な叫びに気がついた。



















おもひで話、おしまい(笑)










ある心理学を扱う先生から、「人間は悲しいから泣くのではないのですよ。泣くから悲しいのです。」と聞いたことがあります。人間の心と体の関係は不思議です。自分が涙もろくなったとは思いませんが、自分の想定外のところで涙が出るのは困ったものです(笑)。





1人の生活に慣れて、実際の生活にたくさんの人が関わってくると、自然と心も癒えてくるものです。今は、子どもたちが元気で生活しているというだけでも、良かった、と思えるようになりました。切り取られた心が、いま関わっている人たちとの心との触れあいで、また再生しているようなイメージかも知れません。





















いずれ別れはやってくる







一緒の生活が続いたとしても、いずれは何らかの形で別れがやってくる。親離れ、子離れが早かったのだと考えている。たまに会えるだけでも、お互いに元気でやっていることがわかれば、それで良い。失ったものもあれば、それと引き替えに得たものもある。新しい環境、時間と共に進んできたが、これはこれで楽しいものだ。生きていれば、苦しいこともあるが、その代わりに楽しいこともある。だから生きていけるのだと思う。









あ~、久しぶりに湿ってしまったな(笑)


明日からは懲りずにラーメンを書きます









Editor CABEZÓN

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする